正しいことを正しく伝えてもひとは理解しない

「正しいことを正しく伝えてもひとは理解しない」

ある歯科セミナーのタイトルです、同感です。
チラシで見たので内容は分かりませんが、タイトルに興味を持ちました。
これを、正しいことを正しく伝えても「ひとは変わらない」として考えてみます。
1−「正しいこと」とは?
歯科医学的に正しい、誰が考えても正しいことであっても、
それらはあくまでも「正しいこと」に過ぎないのでは?
2−「正しく伝える」
これは、内容にかかわらず必要なことです。

例えば、グルメなあなたが中華街を歩いていました、
店の前で、店員さんが一生懸命に話しかけます。
店の料理がいかに厳選された材料を使い、心を込めて調理して
どの店よりも美味しいと、熱心に中国語で話されたら・・
あなたが中国語の知識を持ち合わせていなければ理解できませんし、
お店に入ることもしないでしょう。

下戸で香水好きなあなたがデパートのワイン売り場を通りかかった時、
いかにこのワインが誠実に作られた葡萄を原料とし、
素晴らしい生産者の手によって作られたかを話されても
お酒を嗜まないあなたにとっては馬耳東風です。

先に結論を述べます
聞く人にとって「必要なことを」理解してくれるように「楽しく伝える」ことが
肝要な気がするのです。
「正しいことを正しく伝えてもひとは理解しない」は、
医療従事者側の上から目線の思考のような気がします。

グルメなあなたに話しかけた店員さんが日本語で熱弁をふるったら、
あなたはすぐさま入店するでしょう。
香水の好きなのあなたに「このワインのアロマは・・」をグラスを差し出され、
そのアロマやブーケ(ワインの匂い)をクンクンしたら・・
「そうだ!ワインの好きなあの人に買って行こう」となったかも。

以前「Aをして欲しければBと言え」という話を聞きました。
小学生参加のキャンプで飯盒炊爨(はんごうすいさん)のあと、
飯盒をキレイに洗ってもらう時に、
キレイに洗う(A)をキレイに洗って下さい、と言っても
キレイとは何かの個人差はあるし、小学生にはピンと来ないし、
そんなに熱心には洗わない・・
そこで、飯盒の底に君の顔がきれいに映るようになったら教えてね(B)と言えば
小学生は争って飯盒をキレイにする、という内容です。
まさしくこの手法です。

正しくてその人にとって必要な内容を、
もしくは潜在する必要性を明らかにして、
またはいかに利益をもたらすかを分かりやすく
聞いている人が理解する言語で(相手が小学生なら小学生言語)
キレイにするではなく、顔が映ると表現する

まあ、この話題は奥が深いので長くなりそうです。
まずはこの辺で・・(苦笑)

アオキの中華
サブロー
青木の中華

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