歯科小説「あなたがいれば」 インレイと唐揚げ そのいち

歯科小説「あなたがいれば」
インレイと唐揚げ そのいち
28歳男性 河上正雄 会社員

「いただきます」
正雄がぽつねんと唐揚げ弁当の蓋を開けた時には、ラジオからのナイトゲーム広島巨人戦が八回を回ろうとしていた。ここ数日、コンビニ弁当続きで少々飽きが来ていた今夜は、唐揚げ専門店に足を運び、ついでに缶ビールを一本つけた。
もりやまの唐揚げはいつ食べても美味しい。しかも揚げたてにビールとなると、この季節、最高である。温かい唐揚げを目の前にすると、匂いだけでも御飯の一杯くらいは食べられる。広島の勝利を願いつつひとり乾杯し揚げたてをほお張った。
食べ始めて何回か噛んだ時に「ギクッ」という感触を歯がとらえた。
(あれっ鶏の骨?)
舌は唐揚げをよけて、何かしら固いものを口の外に押し出した。つまんでみると一部黒光りする金属らしき小片である。しばらく眺めた後、正雄は合点した。
(歯の詰め物だ)
残りの唐揚げを急いで飲み込み、カチカチと噛んでみたが違和感はない。むしろ心地よいカチカチである。まさか、弁当の中にこの金属が?さすがにそんなことはなかろうと舌でおそるおそる歯をなめてみる。
(あっ、凹み、穴があいている)
左上の後ろから二番目の歯の噛み合う部分が凹んでいる。どうやらここに詰めてあった金属がとれたようだ。ビールをひとくち流し込んで口の中を空っぽにしてから、金属をはめてみると、はたしてはまった。治療したのはいつのことだろう?高校進学前に数回通ったあの歯医者さんだ、となると十三年くらい前のことだ。十年以上持ったこの詰め物が良いのか悪いのかと考えつつ、つい今しがたまで左上に入っていた金属が外れた状態でカチカチする方が心なし快適であることに少し驚いていた。いずれにせよ、歯医者に行かねばならないと弁当の残りを食べながら、少々気が重くなった。幸い歯に痛みは無く、残りの唐揚げをそれなりに味わうことはできた。
やはり早めに歯医者に行こう。このままだと美味しいものも不味くなる。

「こんにちは」
受付の女性は微笑んでいた。
「電話予約していた河上ですけど」
「初めての方は、こちらに記入して下さい」
住所氏名電話番号などを記入したあとは問診票のアンケートに進んだ。問診とは字面を見れば、実際に質問されることだと思うけどなあとぶつぶつ言いながらも空欄を埋めた。
待つことしばし、ほぼ予約時間通りに中に通された。なかなか良いんじゃない、この歯医者。予約時間を守ってくれる。
「詰め物がとれたようですね」
歯科衛生士 前川とネームをつけた女性は優しい声と優しい眼をしていた。
「はい、先週金曜日に晩御飯食べていてとれました」
「今日とれたものをお持ちですか」
「はい、持ってきています」
「お預かりしても良いですか」
「これです」
「いつ頃治療されたか、お分かりですか?」
「おそらく、十二、三年前です」
「では、口の中を見せて下さい」
診療台はなかなかのクッションで気持ちが良かった。身の回りのモノは日々進化している、歯科の器具や治療も進化しているといいなあと思いながら倒れる診療台に身を任せた。
「とれた金属の下が少し黒くなっていますね」
「一つ不思議なことがあるんです。とれている今の方がカチカチした時に気持ちがいいと言うか、心地いいんです」
「わかりました、院長に変わります」

続く・・・

もりやまではありません

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