BBTime 476 尻拭い

BBTime 476 尻拭い
「秋の暮大魚の骨を海が引く」西東三鬼

解説は『つとに有名な句だ。名句と言う人も多い。人影の無い荒涼たる「秋の暮」の浜辺の様子が目に見えるようである。ただ私はこの句に触れるたびに、「秋の暮」と海が引く「大魚の骨」とは付き過ぎのような気がしてならない。ちょっと「出来過ぎだなあ」と思ってしまうのだ。というのも、若い頃に見て感動したフェリーニの映画『甘い生活』のラストに近いシーンを思い出すからである。一夜のらんちきパーティの果てに、海辺に出て行くぐうたらな若者たち。季節はもう、冬に近い秋だったろうか。彼らの前にはまさに荒涼たる海が広がっていて、砂浜には一尾の死んだ大魚が打ち上げられていたのだった。もう四十年くらい前に一度見たきりなので、あるいは他の映画の記憶と入り交じっているかもしれないけれど、そのシーンは掲句と同じようでありながら、時間設定が「暮」ではなく「暁」であるところに、私は強く心打たれた。フェリーニの海辺は、これからどんどん明るくなってゆく。対するに、三鬼のそれは暗くなってゆく。どちらが情緒に溺れることが無いかと言えば、誰が考えても前者のほうだろう。この演出は俳句を知らない外国人だからこそだとは思うが、しかしそのシーンに私は確実に新しい俳味を覚えたような気がしたのである。逆に言うと、掲句の「暮」を「暁」と言い換えるだけでは、フェリーニのイメージにはならない季語の狭さを呪ったのである。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)などに所載。(清水哲男)』(解説より引用)。「La Dolce Vita」のラストシーンとは結びつきませんでした。小生の連想は「老人と海」でした。

前回「BBTime 475 不可逆」で紹介した句の次に載っていたのが掲句。「新編 折々のうた」の解説には・・「『変身』(昭和三七)所収。昭和三十七年、同句集刊行の直後六十一歳で没した岡山県生まれの俳人。新興俳句運動の大立者だが、本業は歯科医、洒脱な文章の随筆でも人気が高い。初期の句の華麗さが多く話題になるが、最終句集『変身』に収められた晩年の作には、懐深く味わい濃い句が多い。男盛りだったが胃癌に勝てず、死を身近に感じる最晩年だった。暗く壮大なものが沖へ静かに退いてゆくのを、作者は心の窓ごしに凝視している。」(「新編 折々のうた」より)。

この解説を読むまで「西東三鬼の本業は歯科医」と知りませんでしたし、西東三鬼の他に俳人である歯科医を未だ知りません。今更ながら、このような非凡なる歯科医がいらっしゃったとは、嬉しくもあり誇らしくもあり。長い長い枕となりました、二晩か三晩もお休みになられたかと(笑)。今回は自戒を込めて歯科医の仕事が「尻拭い」で終わっていいのか?について。言葉「尻拭い」を、歯科医の上から目線とお叱りを受けそうですが、あくまでも「歯科医の尻を叩く」が真意です。

辞書には「尻拭い=他人の不始末の責任を取らされること」とあります。ここでの他人とは「患者さん=ムシ歯を作った人・歯周病になった人」をさします。さて先日、不動産業を営む友人との会話で「最後はデベロッパかな」とのこと。一般的にデベロッパとは「デベロッパー(developer、開発者)とは開発業者のことで、大規模な宅地造成やリゾート開発、再開発事業、オフィスビルの建設やマンション分譲といった事業の主体となる団体・企業のことである。ディベロッパーとも言う」とありますが、友人の意味するところは「まちづくり」のようでした。

友人の話にビシッと尻を叩かれました・・「尻拭いで終わっていいのか」。ブログにも度々書いてますように、最もリアルなムシ歯の原因は「磨き残しの存在」です。あえて言うなら「他人の不始末:その方の歯磨き不足」によってムシ歯は発生します。ムシ歯になった方(患者さん)が来院し、治療し金銭を頂く。甘いものを食べてムシ歯になり、歯科医が治療しお金をもらい、歯科医は「甘い生活」を営むことができる・・素直に考えてシャレにもならん構図だと思います。

最終的にはデベロッパを考えている・・人に住居を提供して、家賃や仲介料をもらう。一般的な不動産業であっても世の中には必要な仕事です。現状に満足せず、さらに世の為人の為を思い、まちづくりへと。常々思うのです・・ムシ歯の治療、痛みをとるなど、人の為の仕事ではありますが、表現を変えれば「人の不幸につけ込んで・・」の仕事です。歯科医(もしくは歯科診療所)が尻拭い(ムシ歯治療)ではなく「歯垢拭い:しこうぬぐい」を今以上に行えば、これこそ「世の為人の為」です。

この図式はかなり昔に考えたものです。CURE=治療、CARE=手当てを必要とする方は患者さんであり、平穏な日常よりもマイナスに位置する、言わば不幸な人です。歯科医は治療などによって、噛めるようにしたり痛みをとったりしますが、マイナスからゼロの位置(平穏な日々)に戻しただけで、プラスのハッピー(幸福)を与えてはいません。より幸せは図式の真ん中より右上の部分です。当時「3C:サンシー、三つのC」とよんでセミナーをしていました。キュア、ケアに続く三つ目のCはズバリ「しあわせ」の「し」です。キュアケアなどの治療は尻拭いですが「歯垢ぬぐい」に軸足を移せば人々は「歯の痛み」も「噛めない不便さ」も味わう必要がありません。まさに「歯垢ぬぐい」は世の為です。尻拭いから「歯垢ぬぐい」へ

三つ目の「C」は果たして何なのか?今やっと見えてきました。歯科医の言い訳になりますが、日本における歯科医療(図式の左下)が「人の不幸につけ込んで」に甘んじて、積極的に「人をより幸福にする」に歩みを進めないのは、歯科予防(図式の右上)のビジネスモデルが確立されていないからです。保険診療の枠組み・システムで治療行為では収入を得ることはできますが、予防行為のみでビジネスとして成立させるにはハードルが相当高いのが現状です。小生が思う三つ目の「C」は真面目にCAKE:ケーキ!今回はここまで(笑)続きはいずれ。

画像は、覚えている人は知っている・・「おしりだって洗ってほしい」のCM。
「おしりだって洗ってほしい 皆様、手が汚れたら洗いますよね。こうして、紙でふく人って、いませんわよね。どうしてでしょう。紙じゃとれません。おしりだっておんなじです。おしりだって洗ってほしい。ToToウォシュレット 暖かいお湯で洗います。おしりだって、洗ってほしい。」1983年頃のCM、約40年前なんですね。

歯も同じです・・「私の歯も洗ってほしい」。そうなんです、ご自分では隅の隅まで洗えないんです。だからこそ「洗ってほしい」→「洗ってあげます」→ここでCAKEの登場(続きは今度)。皆様ご自愛のほど、ご歯愛の程。3120



三曲目はイタリア映画つながりで・・美女はイギリス人です。

おまけ:朝日新聞コラム「折々のことば」より
「のぞみはありませんが ひかりはあります」新幹線の駅員さん
千葉・本妙寺の掲示板にあった言葉(江田智昭著『お寺の掲示板』所収)。臨床心理家・河合隼雄が残したジョークから引かれた文言。河合が新幹線の切符を買おうとしたら、駅員にこう言われた。瞬間、この言葉の深い含蓄に感激し、同じ言葉を大声で返すと、駅員は「あっ、『こだま』が帰ってきた」とつぶやいたという。希望をなくしても仏様の光はずっと人を照らしている。」2020/9/13朝刊

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