BBTime 478 オイシ教

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「梨を剥く一日すずしく生きむため」小倉涌史

彼岸を過ぎ鹿児島も涼風が吹くようになりました。解説には『この場合の「一日」は「ひとひ」と読ませる。「秋暑」という季語があるほどで、秋に入ってもなお暑い日がある。残暑である。今日も暑くなりそうな日の朝、作者はすずしげな味と香りを持つ梨を剥いている。剥きながら作者が願っているのは、しかし、体感的なすずしさだけではない。今日一日を精神的にもすずやかに過ごしたいと念じている。「すずしく生きむ」ために、大の男がちっぽけな梨一個に思いを込めている。大げさに写るかもしれないが、こういうことは誰にでもたまには起きることだ。そんな人生の機微に触れた佳句である。ところで、作者の小倉涌史さんは、この夏の七月末に亡くなられたという。享年五十九歳。このページの読者の方が知らせてくださった。小倉さんとは面識はなかったが、ページは初期から読んでくださっており、検索エンジンをつけるときのモニターにもなっていただいた。もっともっと元気で「すずしく生き」ていただきたかったのに、残念だ。心よりご冥福をお祈りします。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)』(解説より)。

前回「美味笑」を書いた後「グルメ志向は宗教的思考と同じである」との認識をさらに強くしました。まずは「イシ」について。古語「イシ」の意味をご存じでしょうか?「美し」の表記でイシ。意味は「(味が)よい。うまい」。うまいの意の「美しし:いしし」のイ音便で「いしい」、さらに室町時代に女房詞(にょうぼうことば)として「お」がついて「おいしい」となりました。美味しいの漢字「美味」は当て字です。(こちら参考

「グルメ志向は宗教的思考と同じである」と考える根拠のひとつは「人それぞれ」です。知り合いの「桜島インターのカレーがいっばんうまか(一番美味しい)」とか「ハラがふくれればよか」はたまた「食いもんは何でんよか(何でも良い)」なども聞きます。口の中も同様です。定期的なメンテナンスを欠かさない人もいれば(失礼な表現ですが)口の中が「ちんがらっ(滅茶苦茶)」の来院者もおられます。「イシ教」を信じる人もいれば信じない人もいる。

お釈迦様、イエス様を信仰する人しない人、もちろん自由です。「美味しい」に重きをおかない、評価しない人は概して口の中(歯)に関しても低い価値評価です。低い価値であるがゆえに当然、口の中に問題が生じても放置されてます。信仰は自由、ご自分の歯への価値も十人十色でしょうけど、歯のトラブルでQOL(生活の質)が低下するすることは自明の理であり、ご本人にとって決してプラスにならないと思うのは歯医者だけでしょうか。いいえ、ご本人が一番お分かりと思います。

福岡「美美:びみ」のマスターは「珈琲は生活の句読点」とおっしゃいます。言い得て妙!同様に「美味しい」も生活において日めくりカレンダーの様に、その日その日の締め括り・ピリオドの様な気がします。日に一度「一日一善」まねて「一日一膳」、一日に一度は「美味しい」の言葉を口にしたいもの、その言葉が歯の価値観を高めます・・と信じてやまない今日この頃です。食欲の秋!ご自愛の程ご歯愛の程。5790


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