BBTime 664 はて?違和感

「冷え過ぎしビールよ友の栄進よ」草間時彦

2024/08/30投稿 8/31追加
葉月八月も明日まで。のろのろ台風は鹿児島をやっと通過しました。無事をお祈りいたします。俳句の出典元である「増殖する俳句歳時記」へのリンクが上手くいかなかったのですが復活したようです、安堵!掲句の解説:『友人が栄進した。異例の出世である。そこで、とりあえずのお祝いにと、作者は友人を誘って一杯やりに出かけた。たぶん、二人の馴染みの小さな店だろう。と、出されたビールが、今夜にかぎって冷え過ぎている。生温いビールもまずいが、あまりに冷え過ぎたのも美味くはない。「なんだい、冷え過ぎだよ」と、思わずも口走ってしまう。つまり、自分はあくまでも素直に友の出世を祝福するつもりでいたのだが、冷え過ぎのビールに当たるという形で、どこかに隠れていた妬みの感情が露出してしまったということなのである。サラリーマンの哀しみ。(清水哲男)』(引用元)。社会人になり本格的に酒を嗜むようになったある時「乾杯=ビール」に違和感を抱きました。2002年に秋田大館市「柴田慶信さん」の取材時晩御飯の乾杯は「お酒(日本酒)」でした、合点しました。今回は生活の中での「はて?」違和感について。

週に三日程、訪問診療に行きます。施設の入り口でよく見かけるスイッチ(ボタン)。毎回思います「この表示はウソ!」。自動なら自動で開くはずです、押せば開くのでは自動ではなく「電動」です。荷物で両手が塞がっているため大声で「開けゴマ」と言いたくなります。なぜ、このような虚偽表示が当たり前であることに「はて?違和感有り」

生活の色々な場面で利用するエレベーター。乗った後、小生は「閉」ボタンをあえて押しません。理由は「待てば自動に閉まる」からと、ある県立病院が経費削減のために「節電=電気代削減」の理由で(ボタン押さずを)実行しているという記事を読んだからです。電気代削減については「さほど削減にならない」との記事も見受けられますが。押さずに自動閉鎖を待つと「アンタなぜ押さぬ」の顔で見る人もいます。しかし涼しい顔して、押すべき空気には「はて?違和感有り」

過去にも書いております「大丈夫です」について。歯科診療でも、レジでもよく耳にします。「痛みはありますか?」に対して「大丈夫です」と患者さん。お店の方が「買い物袋は大丈夫ですか?」と質問。つい「丈夫なバッグ持ってます」と答えたくなります。この大丈夫です、小生にとっては非常に不親切、あやふやに聞こえます。痛みが有るのか?無いのか?バッグを持参しているのか?もしくはレジ袋は必要なのか否か?はっきりとストレートに会話してほしいと個人的には思います。「はて?違和感有り」

訪問診療で「歯磨き粉((ペースト)使用について」のアドバイス。使わなくてもいいですよ、まずはブラッシングです。と答えると怪訝そうな顔で「えっ使わなくていいのですか」。何度も書きますが、ムシ歯予防・歯周病予防に必要なことは歯の表面の汚れ(プラーク)除去であって、歯磨き粉を使用したからと言って除去効果がアップすることはありません!ハミガキとは「洗面所」で「毎食後」に「歯磨き粉」をつけて磨くべきと信じておられるのではないでしょうか?歯磨き粉無しで歯ブラシだけでの「唾液磨き」ならば場所を問わず、タイミング(時間)も問わず可能です。さらに言えば「砂糖無し」の食事であれば「ウガイ」のみで歯磨きは必須ではありません。「洗面・毎食後・歯磨き粉」をマスト(すべきこと)であるには「はて?違和感有り」

以上、私見です。肝要は「はて?」と自問自答、自分で問うことです。知らぬ間に家族が親が他人が周りがやっているから「する」ではなく「はて?」
台風ゼロは無理です、無事を祈って最後にもう一句。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程
「台風のたたたと来ればよいものを」大角真代

おまけ:オレンジページnetに掲載中の拙記事「軽羹とデコン」はこちら
8/31追加:朝日新聞8/31朝刊beに興味ある記事発見!
『「ハードル下げは一つずつ』上手に悩むとラクになる・・の中に『例えば「ダイニングテーブルに歯ブラシと歯磨き粉を置いておく」。根が生えたようにそこから動かなくなる夫ですが、ダイニングテーブルに歯ブラシがあったら、そこで歯磨きが開始できます。口の中が泡だらけになったら、きっとうがいがしたくなりますね。』(記事より)・・賛成賛成大賛成!

BBTime 663 最後の晩餐

「美しき緑走れり夏料理」星野立子

2024/08/08投稿
パリオリンピック開会式で物議を醸した「最後の晩餐」。絵画としては、ご存じのようにレオナルド・ダ・ビンチの作品のひとつで、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院食堂に描かれています。ちなみに「最後の晩餐」は『キリスト教の新約聖書に記述されているキリストの事跡の一つ』で詳しくはこちらを。

時に「最後に食べたいものは?」のような記事を目にします。小生なら「鶏の唐揚げ」でしょうか。訪問診療に携わるようになって「最後の晩餐」について、ふと思いました。歯の本数、有無にかかわらず、人によっては普通食から刻み食、ミキサー食へと変わることがあります。歯があっても義歯が使えても「噛む力が弱い」「噛む気力が低下」などで、噛めないことが主な理由です。また、噛めても(モグモグできても・咀嚼できても)それに続くゴックン(飲み込み・嚥下)ができない場合もミキサー食になることがあります。

結論:多くの人は「最後の晩餐」をとることができない、言い換えればこれが「最後の晩餐」として認識できない場合がほとんどです。先日、ラジオで料理人の方が和食について語っていました。「誕生日、節目での祝い、季節の節目」など和食は人生の行事や節目と結びつきが深い。行事食、ハレの食事のように今でも身近に残る食事が多々あります。先月の「土用のうなぎ」もそのひとつでしょう。

その昔、レストランを数多く経営しておられる方の講演の冒頭「私はあと一万食くらいしか食べられない」と。一万食=365×3×9=9,855となり大まかに九年から十年ということでした。一食一食は貴重です。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。