BBTime 666 舌でみる

「秋晴の空気を写生せよといふ」沢木欣一

2024/09/27投稿
 今朝6:40の桜島です。掲句の「写生せよ」と言われても・・。解説には『作者自註に「『空気が写生出来なければ駄目だ』と棟方さんが語った。終戦間もなく富山県福光町に疎開中の棟方さんを訪ねた頃のこと」とある。「棟方さん」とは、棟方志功のことだ。いかにも画家らしい言葉だが、あらゆる表現者に通ずるところがあると思う。言葉の意味としては、別に突飛でも難しくもない。たとえば「秋晴」に何をどのように感じるかは、何も感じないことを含めて、人さまざまである。このときに、どういう感じ方をしても自由なわけで、それがその人なりの「秋晴」という事象の「把握」だ。表現をしない人は常に事象を把握するのみにとどまるが、むろんそれはそれで一向に構わない。だが、ひとたび自分が把握したすべてを正確に他人に伝えようとなると、どうしても見えない「空気」を見えるように「写生」しなければならない。……と「棟方さん」は言うのである。考えてみれば、誰のどんな「把握」であろうとも、心のなかでは既に「空気」までをも「写生」した状態にあるわけだ。それをそのまま出す(「写生」する)ことができなければ「駄目」なんだと、画家はしごく当たり前のことを述べたのであった。それにしても、作者は「棟方さん」の言葉をそのまんま句にして、なおいまひとつ真意がつかめずに考え込んでいるようだ。その考え込んでいる「空気」がそのまんまに「写生」されているので、句になったというところか。『二上挽歌』所収。(清水哲男)』(引用元)。・・分かるような分からないような解説です。今回は歯の汚れは「舌でみる」について。

画像は「星の王子さま」サン=テグジュペリの像です。リヨンの中心部の公園にあり、台座に彫り込んである文章が「心でしか物事はよく見えない。本質は目に見えないんだよ。On ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux.」(であったと記憶しています)。腰掛けているのが彼で、後ろに立つのが星の王子さまです。意味合いは異なりますが「歯の汚れ」も自分の目には見えません。

そこで「舌」でみるのです。舌で歯の内側(舌側)を舐めてください。ヌルッとしていたらプラークが付着しています(歯の表面が汚れています)。少しザラザラしていたら、プラーク(歯垢)が一部石灰化して歯石になっている可能性があります。プラークは歯ブラシで除去可能ですが、歯石は無理です、歯科医院へ行ってください。

イラストのように左手についた汚れは自分の目で見て、右手で洗い落とすことができます。汚れが落ちたか否かも目で確認できます。残念ながら口の中は無理です、歯の汚れは見えません。しつこく言うと「確認できない汚れを闇雲に落とそうとしている」のが歯磨きです。

これは田園調布サヴール:saveurのケーキ。サヴールとは風味。舌の働きのメインですが、味わうのみならず舌はさまざまな機能を持ちます。まさに歯のお隣さんだけに、もっとの歯を知るために舌をご活用ください。蛇足をひとつ。「舌でみる」と聞いて思い出したのが学生時代、解剖で覚えた脳神経の覚え方。「嗅いで視る動く車の三つの外、顔聴く舌は迷う副舌」=嗅神経・視神経・動眼神経・滑車神経・三叉神経・外転神経・顔面神経・聴神経・舌咽神経・迷走神経・副神経・舌下神経の12神経です。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 665 はて?九月

「空っぽの人生しかし名月です」榎戸満州子

2024/09/14投稿
 今年の十五夜は9/17、満月は翌18日。まずは句の解説『今宵(2011.9.12)は仲秋の名月。名月の句は数えきれないほどあるけれど、この句はかなり異色だ。作者はべつに名月を待ちかねていたわけではないし、愛でようとしているわけでもないからである。しかも「空っぽの人生」とは言っているが、作者が自分の人生を深く掘り下げて得た結論でもなさそうで、せいぜいがその場の自虐的な感想程度にしか写らない。そう私が受け取るのは、たぶん「しかし」という接続詞が置かれているせいだろう。この「しかし」はほとんど「ともあれ、とまれ」と同義的に使われていて、前段を否定しているのではなく、それを容認する姿勢を残しつつ、後段に想いを移すという具合に機能している。つまり「人生」と「名月」とは無関係と認識しつつ、それこそ「しかし」、作者は無関係であることに感慨を抱いてしまっている。感慨無き感慨と言ってもよさそうな虚無的な匂いのする心の動きだ。こう読めば、作者の人生ばかりではなく誰の人生もまた、日月のめぐりのなかで生起しながら、やがては日月のめぐりに置き去りにされていくという思いにとらわれる。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)』(引用元)。前回の「はて?違和感」に続いて今回も「はて?」のお話を二つ

 例年九月になるとBBTimeで曲「September:セプテンバ」を紹介しておりました。ある時ある人から「それって12月の歌だよ」。「はて?」と確認したところ、そうでした!歌詞では「今は12月、9/21のことを覚えているだろう」。そうならばタイトルを「セプテンバ:九月」にするなよな!と思います。歌詞の和訳はこちらを。

 先日、小生自身の口のメンテナンス(月に一回)での会話。担当歯科衛生士「先週、スケーリング(歯石取り)の研修でした」「あと、器具のシャープニングも」。シャープニングとは歯石を取るハンドインスツルメント(手用器具)の刃を研ぐことです。聞きながら思いました「はて?」

数ヶ月ごとのメンテナンスで、歯の根っこをガリガリと歯石除去受けられた方も多いでしょう。歯石除去は必要です!小生の「はて?」は、歯石がつく前にメンテしてあげたほうがベターではないの?です。歯石除去とは、歯の根っこ、詳しくは根を覆うセメント質表面にしっかり付いた(歯ブラシでは除去できない)歯石を、器具を使って(おそらく)セメント質表面もいくらか削り取るのです。セメント質の下は象牙質(ぞうげしつ)で、歯髄(しずい:歯の中の神経)からの細い神経が通っています。歯石除去後に「歯がしみる、スースーする」などはこれも原因でしょう。極端な言い方をすれば、歯石除去(ガリガリ)ごとに根っこが細くなるのです。歯石除去は必要です!ならば歯石が付く前に歯垢の段階で除去してあげる方が良いのでは。

ネットを見ると『歯垢(プラーク)が残ったまま放置すると、個人差もありますが2~3日で石灰化し始め、やがて歯石へと変化して除去しにくくなります』(引用元)。残ったプラークが「数日で石灰化し始める」とは、歯石が数日で付くということではありません。小生の経験では毎月(月に一回)メンテナンスに通えば「ガリガリ」はほとんど不要です。1)患者さんへ:数ヶ月・半年ごとにメンテナンスに通っている方は是非「月に一回」通ってください。2)衛生士の方へ:担当の来院者(患者さん)に除去すべき歯石を見つけたら(もちろん除去されると思いますが)メンテナンス間隔についてもプロとしてアドバイスしてあげてください(ガリガリが極力不要な間隔)。保険診療の絡みで「三ヶ月に一回でいいですよ(毎月は無理です)」と言われたら、粘って「是非月一回」を希望してください。どうしても歯医者が「ハイ」と言わなければ思い切って変えましょう!

では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。もちろん曲は「セプテンバ」!