「日あたりや熟柿の如き心地あり」夏目漱石
2024/10/21投稿
前回投稿から日が経ちました、「暑い暑い」と先日まで夏でした。句の解説から『不惑などという年令は、とっくのとうに過ぎてしまったのに、いまだに惑ってばかりいる。句のような心地には、ならない。いや、ついになれないだろうと言うべきか。このとき、漱石は弱冠二十九歳。あたたかい日のなかの熟柿は美しく充実して、やがて枝を離れて落下する自分を予知しているようだ。焦るでもなく慌てるでもなく、自然の摂理に身をまかせている。そんな心地に、まだ若い男がなったというのだから、私には驚きである。ここでは、みずからの充実の果ての死が、これ以上ないほどに、おだやかに予感されている。人生五十年時代の二十九歳とは、こんなにも大人だったのか。「それに比べて、いまどきの若い者は……」と野暮を言う資格など、私にはない。西暦2000年まであと二ヶ月。一年少々で、二十世紀もおしまいだ。「二十一世紀まで生きられるかなあ。無理だろうなあ」。小学生のころ、友だちと話したことを、いまさらのように思い出す。切実に死を思ったのは小学生と中学生時代だけで、以後は生きることばかりにあくせくしてきたようである。『漱石俳句集』(岩波文庫・1990)所収。(清水哲男)』(引用元)。ちなみに不惑とは四十歳、惑う:まどう。今回は音楽についてのお話。
過去にも書いております、歯科訪問診療の際にリクエストを聞いて音楽を流します。先日のこと「好きな歌手や唄などは?」とお聞きしたら、その女性は静かに口ずさみ始めました。「湯島通れば 思い出す」・・早速、検索すると「湯島の白梅」・・唄が始まるとその頃を思い出すかのように遠くに目をやり「お芝居の唄なの」とのこと。
訪問先の患者さんはコミニュケーション取れる方、そうでない方と様々です。ご家族と話す機会があれば「お母様の好きな歌手は?」と聞きます。ある時は「お富さんです、母の名前がトミ子ですから」でした。
コミニュケーション取れない方でも流します。ある女性はスナックのママであったとの情報で、演歌メドレーをかけます。情報がない場合は季節にあった童謡や唱歌などを選びます。音楽があることで、こちらも心温まりながらケアをすることができます。「Music for 介護」「唄を楽しむ」もぜひご覧下さい。
ご家族から離れて施設で暮らしておられる方が、少しでも「熟柿の如き心地」を感じて頂ければと思います。熟柿(じゅくし)のみならず、歯応えのある柿であっても味わえるようにと願いながら・・皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。