「いちまいの皮の包める熟柿かな」野見山朱鳥
2024/11/02投稿
鹿児島市は日によっては暑く未だ秋ではなく晩夏です。秋は来るのでしょうか。句の解説『掌に重い熟した柿。極上のものは、まさにこの句のとおり、一枚の薄い皮に包まれている。桃の皮をむくよりも、はるかに難しい。カラスと競い合うようにして、柿の熟れるのを待っていた我ら山の子どもは、みんな形を崩さずに見事にむいて食べたものだった。山の幸の濃密な甘味。もう二度と、あのころのような完璧な熟柿を手に取ることはないだろう。往時茫茫なり。なお、この句には、同時にかすかなエロスの興趣もある。『曼珠沙華』所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は本来の意味とは異なりますが「浸透圧」について。
本題に入る前に御報告ひとつ。前回「湯島通れば」に書きました・・ご家族と話す機会があれば「お母様の好きな歌手は?」と聞きます。ある時は「お富さんです、母の名前がトミ子ですから」でした・・訪問診療行ってきました、この唄を自信たっぷりにかけました。この高齢女性、予備検診時には「なにも困っちゃおらん」「誰が歯医者を頼んだ?」「息子が歯医者を呼ぶはずがない」など、取り付く島もない反応。ということで息子さん同席で診療開始。お二人(母と息子)のやりとりはまさに漫才、さすが息子さん。お母様のネガティブ発言にもうまく対応されてます。2回目の開始に「お富さん」流したところ、歌詞が「・・死んだはずだよ お富さん・・」すぐさま「わたしゃ生きてるよ!」とお母様も大笑いでした。
さて本題「浸透圧」について。イラストはこちらから引用しました。ナメクジに塩をかけると、ナメクジは縮みます。この理由(原理)が浸透圧です。引用すると『半透膜の両側に濃さのちがう食塩水があるとき、両方の濃さを同じにしようとする圧力のことを「浸透圧」といいます』(引用元)。ナメクジに塩をかけると、ナメクジの表面の方が塩分濃度は高くなります。するとナメクジ体内の水分が、ナメクジの皮膚(半透膜)を通して外にひっぱり出されるので、ナメクジが縮むのです。
先日、坐禅中のこと。道場内は機会音ゼロです。その日は他の方の息遣いも聞こえません。たまに周りの道ゆく車のエンジン音と小鳥の声だけ。言わば浸透圧の逆のようなことを感じました。濃度の高い頭の中が、次第に周りの無音・静寂の濃度の低い方へ流れ出るような感覚。脳内の雑音・煩悩・迷いなどが徐々に薄らいでいくようでした。汚れたものを洗い清めるような、汚れた水が清くなるような、とも表現できます。
ある時、和尚さん曰く「坐禅中は感覚が鋭くなっており、目の前にある線香(タイマー替わり)の灰の落ちる音が「ドサッ」と聞こえるんです」。脳内の雑音・雑念が薄まると感覚が研ぎ澄まされるのでしょう。お寺の境内に銀杏の大木があった頃、坐禅中に銀杏の実が地面に落ちる瞬間、確かに「ボトッ」とはっきりと聞こえた記憶があります。
日常はこの真逆でしょう。テキスト情報・画像・動画・SNS、音声電話、メール、LINEなど次から次から洪水のように押し寄せてきます。当然のこと、頭の中は雑音だらけ煩悩だらけとなります。情報や感情でごちゃごちゃの脳に冷静な判断ができるでしょうか。
坐禅初心者が来られると担当の方が「映画を見るように頭に浮かぶことを次から次へと流してください」と説明されます。流して流して空になって「無」に近づくのでしょうか。今の日常はあまりにも多すぎます。夏に引っ越した時に自戒として痛感しました。
自己所有テレビで見た最後の番組は「おしん」(途中まで)でした。車を手放して九年。次にやめるのは年賀状ですかね。「放下著:ほうげじゃく」という禅語があります。何もかも捨てちまえ!の意です(こちら参照)。到底小生には無理ですが万分の一でも近付きたいと思います。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。
https://youtu.be/iuuaFrnj-IY?si=tJDGXeMauN0i2SN7
おまけ:おやつ堂が南日本新聞10/27朝刊に載りました。
たのし味(み)めぐり