BBTime 676 脱皮

「春立つと古き言葉の韻よし」後藤夜半

2025/01/27投稿 01/29画像追加
今年の節分は地球の公転の関係で二月二日、この時季好きな句です。解説は『韻は「ひびき」と読ませる。昔から、立春の句や歌は数多い。それだけに、後代になるほどひねくりまわし過ぎた作品が目立つようになってきた。止むを得ないところではあるけれど、だからこそ、逆に立春という題材をどう扱うかは、俳人や歌人の腕の見せどころでもある。「芸の人」夜半としては、そこでしばらく考えた。考えた結果、立春のあれやこれやの情景を捨て去って、一見すると素朴な発想のこの一句に落ち着かせることにした。さすが、である。つまり、この句には古今の名句や名歌のひびきが、すべて収まってしまっているからだ。さりげなく「他人のフンドシで相撲をとる」のも、立派な芸というべきだろう。脱帽。(清水哲男)』(引用元)。今回は「脱皮」について(ただし蛇にあらず)。

昨年晩秋頃から仕事場近くの蕎麦屋に通い始めました。店の存在は二年程前から知ってはいたのですが・・。ある時、長野松本育ちの同僚曰く「鹿児島市内で一番だと思う」。蕎麦通の一言、重く受け止め、即訪問。

店内には蕎麦の実を加工する(皮を除去)部屋、臼で挽いて粉にする部屋があります。入り口脇で待っていますと目の前の加工部屋に「脱皮所」と小さなプレート。脱皮?なるほど皮を脱ぐ「脱皮」ではなく、皮を脱がす「脱皮」のようです、詳しくはこちらを。

残念ながら「店内撮影禁止」のため蕎麦の画像はありません(近日中に外観のみ画像アップ予定)。お品書きには冷たい・温かい蕎麦が全部で十二ほどあります。全部食べました、全て感動!テーブル横の壁には日本酒のラベルのコラージュ、粋です!来月、夜の部に行こうと思います。何と!夜の部では「お蕎麦はつきません」とのこと、流石です。美味しい蕎麦を美味しく頂ける・・これ以上の「平穏無事」があるでしょうか。「なんてことのない普通の日常」こそが「最高の幸せ」。店は「万謝:ばんしゃ」・・美味しいをいつも貴方のおそばに!皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程

万謝:ばんしゃ

BBTime 675 純化

「白菜やところどころに人の恩」阿部完市

2025/01/20大寒投稿
あっという間に今月も十日余り。句の解説は『なんだろうね、これは。どういう意味なのか。阿部完市の句には、いつもそんな疑問がつきまとう。でも、疑問があるからといって、答えが用意されているような句だとも思えない。そういうことは、読み下しているうちにすぐにわかる。そのあたりが、好きな人にはこたえられない阿部句の魅力となっている。この白菜にしたところで、どんな状態の白菜なのか。作者は何も説明しようとはしていない。要するに、単なる「白菜」なのだ。「人の恩」についても同断である。そこで妙なことを言うが、この句の面白さは「ねえねえ、白菜ってさァ、見てるとさァ、だんだんこんな感じになってくるじゃんよぉ……」という女子高生みたいな口調の感想に集約するしかない、そんなところにあるのだと思う。白菜か白菜畑か、見ているうちに作者はふと「人の恩」というものに、たしかに白菜に触発された格好で思い当たったのだ。その確かさを、直裁に読者に伝えようとしている。同じ冬の野菜でも、対象が大根や人参であったとしたら、たぶん「人の恩」には行きつかなかっただろう。……などなどと、読者に数々の素朴な疑問を生じさせておいては、結果的には句のようであるとしか思わせない説得力が、一貫して阿部句の方法の中核にはある。『阿部完市全句集』(1984)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は断捨離の真髄について。

南洲寺住職「焔恵和尚」筆(えんけい和尚、鹿児島市)。毎年干支色紙を描かれます。私ごとながら昨年夏引っ越しました。その際勘弁してと言いたいくらいの「断捨離」・・ふと思いました。断捨離とは「捨てる」ことではなく「絞り込むこと」「集中すること」言い換えれば「夢中になること」一言で言えば「純化:じゅんか」であると。純化の過程で当然ながら「断つ」「捨てる」「離れる」など行います。和尚の解説を読んで意を強くしました。

「何かひとつ夢中になる」・・まさにこれぞ断捨離の極意・真髄でしょう。先日、博多西中洲で大学時代の友人と飲みました。お互い還暦を過ぎた今、異口同音に「これからはやりたいことをやる!」時に「坐禅の時は煩悩を捨てよ」などと耳にします。実際に坐って「頭の中を空(から)」にすることは至難の業で、ひとつのことだけを集中して深く深く考えることの方が可能です・・これも純化

今の世、あまりにも「モノやコトや情報」が溢れ返っています。小生は二十歳過ぎた頃、テレビ捨てました。八年ほど前に車を手放しました。テレビ捨ててラジオを拾い、車を手放して歩きを手にしました。次に捨てるものは?手放すものは?行動規範を「純化」に照らし合わせれば答えは自ずと出るでしょう。では皆さま、ご自愛の程ご自愛の程。

BBTime 674 口の悦び

「風呂吹にとろりと味噌の流れけり」松瀬青々

2025/01/04投稿
 謹賀新年 今年もよろしくお引き立ての程。目にしただけで美味しそうな句です。解説は『句も上手いが、この風呂吹大根もいかにも美味そうだ。「とろりと」が、大いに食欲をそそってくる。あつあつの大根の上の味噌の色が、目に見えるようである。松瀬青々は大阪の人。正岡子規の弟子であった。大阪の風呂吹は、どんな味噌をかけるのだろうか。東京あたりでは、普通は胡麻味噌か柚子味噌を使うが、生姜味噌をかけて食べる地方もあるそうだ。私は柚子味噌派である。いずれにしても、大根そのものの味を生かした料理だけに、子供はなかなか好きになれない食べ物の一つだろう。大人にならないと、この深い味わい(風流味とでも言うべきか)はわかるまい。ところで、「風呂吹」とは奇妙なネーミングだ。なぜ、こんな名前がついているのか。どう考えても、風呂と食べ物は結びつかない。不思議に思っていたところ、草間時彦『食べもの歳時記』に、こんな解説が載っているのを見つけた。「風呂吹の名は、その昔、塗師が仕事部屋(風呂)の湿度を調整するために、大根の煮汁の霧を吹いたことから始まるというが、いろいろの説があってはっきりしない」と。『妻木』所収。(清水哲男)』(引用元)。初投稿は「口の悦び」について。

画像は朝日新聞コラム「折々のことば」2024/12/31です。ご覧の通り、同感大賛成。以前「最後の晩餐」に書いております、こちらもどうぞ。お分かりの事とは思いますが、どうぞ「口と足」だけは日頃からメンテナンスして機能を守ってください。

「生きた唇」・・素晴らしい!だからこそ「ご馳走、お喋り、接吻、笑い、歌と、人の幸は口に集中する」のです。「幸」を存分に味わうためにも「口と歯」のお手入れをお願いします。必要な時にはアシストいたします。「歯ハ、磨イテモモラウモノ」 皆様、ご自愛の程ご歯愛の程