BBTime 470 食べる歩く

BBTime 470 食べる歩く
「けふいちにち食べるものある、てふてふ」種田山頭火

句の「てふてふ」が春の蝶なのか夏の蝶かはさておき、解説には『山頭火は有季定型を信条とした人ではないので、無季句としてもよいのだが、便宜上「てふてふ(蝶々)」で春の部に入れておく』と春に分類されています。

続けて『放浪行乞(ぎょうこつ)の身の上で、いちばん気がかりなのは、むろん「食べるもの」だ。それが「けふ(今日)いちにち」は保証されたので、久方ぶりに心に余裕が生まれ、「てふてふ」の舞いに心を遊ばせている。好日である。解釈としてはそんなところだろうが、ファンには申し訳ないけれど、私は何句かの例外を除いて、山頭火の句が嫌いだ。ナルシシズムの権化だからである』(解説より)嫌いな理由は次の通り。

『元来、有季定型の俳句俳諧は、つまるところ世間と仲良くする文芸であり、有季と五七五の心地よい音数律とは、俗な世間との風通しをよくするための、いわばツールなのである。そのツールを、山頭火はあえて捨て去った。捨てた動機については、伝記などから推察できるような気もするし、必然性はあると思うけれど、それはそれとして、捨てた後の作句態度が気に入らない。理由を手短かに語ることは難しいが、結論的に言っておけば、有季定型を離れ俗世間を離れ、その離れた場所から見えたのは自分のことでしかなかったということだ。そんなことは、逆に俗世間の人たちが最も執心しているところではないのか。だからこそ、逆にイヤでも世間とのつながりを付けてしまう有季定型は、連綿として受け入れられてきているのではないのか。せつかく捨てたのだったら、たとえば尾崎放哉くらいに孤立するか、あるいは橋本夢道くらいには社会批判をするのか。どっちかにしてくれよ。と、苛々してしまう。まったくもって、この人の句は「分け入つても分け入つても」自己愛の「青(くさ)い山」である』(解説より)。お時間ある方はこちら「あなたの幸せ」もどうぞ。

今まで、句の通り字面通りに解釈してきたので、解説を読んで浅学を恥じる次第であります。今回は「食べ歩き」ではなく「食べる」と「歩く」が長寿への道のお話。

先日、最新の平均寿命データが発表されました。ご覧のように日本人男性81.4歳、女性87.5歳です。意外なのが男女とも最長寿国が香港であることです。中華料理が主因でしょうか?『2019年の日本人の平均寿命は女性が87.45歳、男性が81.41歳となり、ともに過去最高を更新したことが31日、厚生労働省が発表した簡易生命表で分かった。前年に比べ、女性は0.13歳、男性は0.16歳延び、いずれも8年連続のプラスとなった。女性は5年連続で世界2位、男性は3年連続で3位だった』(記事より)。また『同省(厚生労働省)の試算では、19年に生まれた日本人で75歳まで生きる人の割合は女性が88.2%、男性は75.8%。90歳までの割合は女性が51.1%で、男性が27.2%だった』・・昨年生まれた女性の半数は90歳まで生きる可能性がある・・やはり「百年人生」到来!

終わりに『同省は介護を受けたり、寝たきりになったりせずに生活できる「健康寿命」を算出しており、最新の16年は男性72.14歳、女性74.79歳だった。どれだけ平均寿命に近づけるかも課題となる』(記事より)とあります。多くの人が願う「ピンピンコロリ」のピンピン人生が平均寿命よりもおおよそ十年短いことに要注目です。ラスト十年、床に伏せての「ネンネンコロリ」より寿命を味わい尽くしての「ピンピンコロリ」の方が宜しいかと。そこで「食べ歩き」が大事!

ご存じのように「8020:はちまるにいまる」とは80歳で歯が20本、20本の歯があれば満足できる食生活が可能であるとの意味です。これからは「0020:丸々ニイマル」100歳で自分の歯が20本となるのでしょう。歯科医師としては「ニイマル」と言わず、幾つになっても28本(7×4=28)全部とは言いませんが、歯を失ってほしくないのが願いです。長寿の基本は「口から食べる」であり、口から食べるには「歯」が必要です。

さて歩くについて、「1日8000歩で「死亡リスク半減」 米国で研究報告」の記事を見つけました。『1日の歩数が多い人ほど死亡リスクが低いことが、40歳以上の米国人を対象とする観察研究で明らかになりました。1日4000歩の場合と比べ、6000歩歩く人では死亡リスクは低下し、8000歩ではほぼ半減していました。一方で、歩く速さは死亡リスクに影響しないことも示されました』。記事はさらに続きます。

『歩数が多い人には、以下の特徴がありました:年齢が若い、BMIが低い、食事の質が低い、学歴が高い、飲酒者が多い、併存疾患(糖尿病、心臓病、がんなど)の有病率が低い、運動制限のある(歩行の継続が困難または杖などが必要)人が少ない、健康状態が良くないと申告した人が少ない。喫煙率には差は見られませんでした』(記事より)。一日一万歩や歩く速度に、こだわる必要はなさそうです。先ずは昨日よりも多く歩くこと!昨日より多く歩けば、いつしか一日八千歩になりますから。

「食べ歩き」は人生の楽しみのひとつです。「食べる」と「歩く」が長寿の王道であることもお忘れなく。やはり百年人生は一歩一歩自分の足で歩むのが宜しいかと。ご紹介の曲は「歩く」ではなくスキップにちなんでの一曲。ご自愛の程ご歯愛の程。4370
「けふいちにち食べるものある、てくてく」カルノ


本文とは無関係ですが、この通りなのかな?と思いましたので。

BBTime 468 エシカル

BBTime 468 エシカル
「夏掛けのみづいろといふ自愛かな」能村登四郎

「夏掛け」夏用の布団で夏の季語。昨年頃から言葉「エシカル:ethical」を耳にするようになりました。意味は「倫理の、道徳上の。同義にかなった、道徳的な。(薬が)医者の処方を要する」などです。今回、エシカルについて。

日常での「エシカル」は『「倫理的」「道徳上」という意味の形容詞である。つまり、「法律などの縛りがなくても、みんなが正しい、公平だ、と思っていること」を示す。近年は、英語圏を中心に倫理的活動を「エシカル(ethical)○○○○」と表現し、エシカル「倫理的=環境保全や社会貢献」という意味合いが強くなっている』(Wikipedia)とあり、具体例として「エシカル消費・エシカルファッション・エシカルジュエリー・エシカルビューティ」などがあるようです。これらに倣って言うならば「エシカル(歯科)医療」・・つくづく考えます。

エシカル医療:今現在、このような言葉は使われていませんので定義はできませんが具体例を上げるなら1)治療前から「痛いのは嫌なので麻酔してください」ーこのような方(患者)には「痛みを感じるようであれば、麻酔しますけど」と皮肉めいた口調で答えます。2)「抗生物質をください」ー(症例・症状によって)不要な場合は「あなたの場合は抗生物質は不要です」と伝え処方しません。3)歯磨きが極めて不充分な方には「もったいない!あなたの歯ですよ、ひとたびムシ歯になると元には戻りません」等々、やんわりとイヤミを言います。4)「また悪くなったら来ます」との患者さんにはー「悪くなる前に(予防として)来られた方が良いですよ」と少々語気強く伝えます。5)治療すべき歯があるのに「部活や仕事で時間取れないから(来院できません)」の方にはー「あなたの体とどちらが大切(優先すべき)ですか」と婉曲的に伝えます。6)鹿児島弁で言うなら「口の中がチンガラ(滅茶苦茶・崩壊している)」の方にはー「これからの食生活(人生)どうしますか?」との問いを投げかけます・・等々。

このようなことを歯科医師が言うと「俺の歯だから勝手じゃん」という考えをお持ちの方も当然いらっしゃいますし、「歯科医療と言えどもサービス(客商売・人気商売)だろ」「患者の希望通りにしろよ」と言わんばかりの表情をされる方もおられます。それら患者さんの反応の受け取り方は歯科医師それぞれでしょうが、小生は「あなたにも責任があるのですよ」と言いたくなります(声に出して言いませんが、心の声で言います)。なぜなら、ほとんどの歯科疾患「ムシ歯と歯周病」は予防可能だからです。予防することで、治療に伴い消耗消費するもの・・時間、お金、エネルギー、歯科材料、金合金、心など諸々の消耗消費が回避可能です。

「ご自愛ください」「ご自愛の程」耳慣れた表現ですが、歯科予防は「自愛」に尽きると思います。かと言って「歯科予防=自愛=歯磨き」ではありません。歯科におけるご自分でできる「自愛」には限度があります。予防のために「ご自愛」のために、もっと専門家(歯科医師・歯科衛生士)を活用してください。治療のための活用が、二の次三の次になる日が来ることを信じております。画像の記事はこちら。ご自愛の程ご歯愛の程。2270




BBTime 461「耳寄な話」もどうぞ。
食の「エシカル」記事見つけました。

BBTime 467 マユツバ話

BBTime 467 マユツバ話
「うなぎ の日うなぎ の文字が町泳ぐ」斎藤すず子

解説には『季語は「うなぎの日(土用丑の日)」で夏。ただし、当歳時記では「土用鰻」に分類。この日に鰻(うなぎ)を食べると、夏負けしないと言い伝えられる。今年は今日が土用の入りで、いきなり丑の日と重なった。したがって、この夏の土用の丑の日はもう一度ある。鰻にとっては大迷惑な暦だ。句のように、十日ほど前から、我が町にも鰻専門店はもちろんスーパーなどでも「うなぎの文字」が泳いでいる。漢字で書くと読めない人もいると思うのか、たいていの店が「うなぎ」と平仮名で宣伝している。面白いのは「うなぎ」の文字の形だ。いかにも「うなぎ」らしく見せるために、にょろにょろとした形に書かれている。なかには、実際の姿を組合わせて文字に仕立てた貼紙もあって、句の「うなぎ」表記はなるほどと思わせる。作者は、夏が好きなのだ。もうこんな季節になったのかと、町中を泳ぐ「うなぎ」に上機嫌な作者の姿がほほ笑ましい。今宵の献立は、もちろんこれで決まりである。私は丑の日だからといって鰻を食べようとは思わない性質(たち)だけれど、世の中には、こういうことに律義な人はたくさんいる』(一部抜粋)。

前回「眉唾に非ず」は唾液の話でしたが、今回はそれって本当?マユツバじゃないの?のお話。ちなみにうなぎを食べると「精がつく」は眉唾ではなさそうです。詳しくはこちら

1)歯磨きの「333運動」:眉唾っぽい
「333(さんさんさん)運動」とは「毎食後(三食後)三分以内に三分間磨きましょう」です。昭和四十年代頃によく耳にしました。これは間違い(眉唾)とは言いませんが、歯科医として積極的には薦めません。「三食後に磨く」ーこれはオススメします、ただし可能であればですが。朝食前よりは朝食後の方が、予防効果は高いものとなります。朝起きてすぐは「うがい」のみで朝食後に歯磨きがベターですが、忙しい朝ですので朝起きて歯磨きし、朝食後はうがいのみでも構いません。次の「三分以内」ーこれはどちらかというとNG(良くない)です。食事中に歯の表面は酸によってわずかですが溶けている(軟らかい)状態です。その後、唾液のもつ「緩衝作用:かんしょうさよう」によって元の状態(硬い表面)に戻されます。食後三分以内に歯の表面を磨く(歯の表面をゴシゴシする)と傷つけてしまう可能性があります。ご馳走様のあと二、三十分待って磨く方が良いでしょう。最後に「三分間磨く」ーこれは悪いことではないのですが、毎回三分間磨けないこともあるでしょうし、三分間で汚れをきれいに落とすことは無理です。夜だけでも(日に一回は)三分と言わずに、五分から十分は磨いて欲しいところです。

2)歯磨き粉は必須である:個人的意見ですが眉唾です
不要とは言いませんが必須ではありません。歯磨き粉の有効成分は大まかに「研磨剤」と「フッ化物」です。ただし研磨剤は汚れを落とすのみならず歯の表面を傷つける可能性がありますので要注意。歯磨き粉で歯の表面の頑固な汚れ「バイオフィルム」を除去(溶かす)することはできません。バイオフィルム除去はあくまでも物理的除去(ゴシゴシ)のみです。唾液磨き(唾液で磨く)を推奨します。「ハミガキ」「鰯の頭も!」「ソントク」にも書いています、ご参照の程。

3)ムシ歯はできるものである:嘘です
ムシ歯の原因ははっきりしています。歯周病の原因もはっきりしています。子供はムシ歯になるものだ、歳を重ねると歯周病になるのは仕方がないーそんなことはありません。ムシ歯はほぼ100%避けることができます。歯茎の変化(退縮)は加齢によるものもありますが、加齢による変化と歯周病は別です。

4)毎日磨いている:眉唾です(疑わしい)
毎日磨いているのに「なぜムシ歯ができるのだろう?」と思われたことはありませんか。もちろん磨いておられることは否定しませんが、毎日磨いていることと、毎日磨けていること(キレイになった)は別なんです。ご自分で隅々までキレイになったかどうかを知ることはほぼ不可能です。歯科診療所で第三者による定期的清掃をオススメします。

5)治療後金属になるのはしょうがない:眉唾です。
ムシ歯を指摘され治療を受ける前に(歯科医が歯を削る前に)最終的に何が入るかを確認されることを薦めます。「白=樹脂」なのか「銀色=パラジウム合金」なのかを聞いてください。もし「金属です」の答えなら「白いのはできませんか?」と聞かれることを薦めます。また「樹脂(白)でも金属でも可能です」なら、メリットデメリットまで聞いてください。現在、多くの部位で白い樹脂による保険内治療が可能です。

6)キシリトールはムシ歯予防効果あり:眉唾ではないけど
ご存じとは思いますがキシリトールにはムシ歯予防効果があります。ただし、毎日結構な量のキシリトールを摂取(ガムを噛む)し、三ヶ月以上続ける必要があります。思い出したように「キシリトールガム」を噛んでも効果はほぼゼロです。詳しくはこちら

7)ムシ歯になってから歯医者に行けば良い:ダメです
ムシ歯という病気は、数ある中でほぼ完全に予防可能な病気です。唯一と言っても良いでしょう。ムシ歯になってから歯科に行って治療を受けても、ムシ歯以前の機能回復は可能ですが、元の歯には戻りません。多くのムシ歯治療は代替医療(別のものに置き換える)でしかないのです。

今年は土用の丑が二回、本日(7/21)と来月二日(日曜)二の丑です。美味しい精のつく鰻料理も健康な歯があっての物種です。鰻料理をブログでお届けすることはできませんので、代わりに落語「鰻の幇間(たいこ)」をお召し上がりください。小生の好きな可楽師匠の味付けで。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。1030

BBTime 464 十万が一

BBTime 464 十万が一
「純白のマスクを楯として会へり」野見山ひふみ

季語は「マスク」で冬の句、解説が結構面白いです。『さて、作者は身構えて物を言わざるを得ない人に会いに行った。実際に風邪をひいていたのかどうかはわからないが、とにかくマスクを「楯(たて)」のようにして話したというのである。「純白の」に、相手に対する挑戦的な姿勢が強調されている。マスク一つで、心強くなれる人間心理は面白い』(解説より抜粋)。黒の方が挑戦的だと思うのですが、当時(1997年発表)一般的マスクで黒はなかったでしょう。マスクからサングラスへ。

『マスクに似た効果があるのはサングラスで、あれもかけ慣れると、なかなか外せなくなる。私は若い頃にいっとき、夜でもかけていた。礼儀上外したときなど、別に身構える相手ではないのに、なんだか自分が頼りなく思えて困ったものだった』

『古風な小説や映画に出てくる怪盗などがしばしばアイ・マスクをして登場するのは、一つには顔を見られたらいけないこともあるが、そのこと以上に、あれはまず自分自身を鼓舞するための道具なのではなかろうか。風邪のマスクに話を戻せば、SARS騒ぎの中国の街で、ほとんどの人たちがマスクをしている映像は記憶に新しい。あの場合はむろん自己鼓舞とは無関係だけれど、あれだけの人々がマスクをしていたら、それまでの人間関係が微妙に変化する部分もあったのではないかと思う。句が言うように、たかがマスクとあなどれないのである。『俳句歳時記・冬』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)』(解説より)。

この解説が書かれたのが2003年12月、誰がコロナ禍を想像したでしょうか。SARSも中国起源であることを考えると、やはり中国は人口のみならずウイルス人口も世界一なのでしょう。今回はマスクが「楯」なのか「矛:ほこ」なのかについて。

今月文月二日の毎日新聞に記事「マスクと感染リスク」を読みました。『ようやく全国で移動制限が解除された。まだマスク着用など、感染対策をする新しい生活様式が必要とされる。一方で、熱中症が心配される夏である。「マスクをしないとダメなの?」と思っている人は多いだろう。   その答えは、立場によって違う。マスクの効果を調べた動物実験で、感染リスクが半分に抑えられたという。だから感染症が専門の立場からは、リスクを下げるには、マスクの着用が必要だとなる。一方で、熱中症が専門の立場からは、マスクをつけた状態で運動すると、心拍数、呼吸数、血中二酸化炭素濃度、体感温度が上昇したという報告がある。だからマスクをはずして休憩することも必要だという。結果として、科学的根拠に基づくべき厚生労働省や政府の立場からの指針は、両論併記となる。「外してよい」などと発表し、万一、感染者が出たら責任を問われてしまうからなおさらだ。』(記事より)。

『フェーズ・局面の視点から考えても、春先と今とは違う。春先には感染力の強さも感染ルートも、有効な対策も未知で、新規感染者数も1日で700人、入院者数も1万人に近づきベッドが逼迫(ひっぱく)し、緊急事態宣言が全国に拡大された。しかも、無症状の人にも感染力があるとわかった。だから拡大期には無症状の人もマスクをして、感染リスクの抑制が優先されるべきだ。』(記事より)。しかし今は夏、春先とは違うフェーズです。

記事にあるように「万が一の十分の一」つまり「十万が一」「1/100,000」です。「さらに半分に感染リスクを下げたい人には」すなわち「二十万が一・1/200,000」のリスクとなります。言い換えれば「二十万人に一人の陽性者」からの感染を考慮する方は「マスク必要」と言えます。「マスクをしないとダメなの?」の問いには、記事の最後『多くの人にとって怖いのは、ウイルスよりも、周りの目なのかもしれない』を根拠とすると「周りの目を気にする方はマスクをしましょう」となります。ところで、あなたは二十万人いや十万人の人と濃厚接触する可能性のある立場の方ですか?ご自愛の程ご歯愛の程。6250



エンニオ・モリコーネ氏死去の報に触れて・・・合掌。

BBTime 463 恙なく

BBTime 463 恙なく
「恙なき雲つぎつぎに半夏かな」廣瀬直人

解説が少々難解です・・『季語が「半夏(はんげ)」であるのは間違いないが、どの項目に分類するかについては、いささか悩ましいところのある句だ。というのも、単に「半夏」といえば一般的には植物の「カラスビシャク」のことを指すからである。だが、私の知るかぎり、この植物を季語として採用している歳時記はない。ならば当歳時記で新設しようか。でも、待てよ。歳時記をめくると、半夏が生えてくる日ということから「半夏生(はんげしょう)」という季語があって、こちらは全ての歳時記に載っている。今年は昨日7月2日がその日だった。そこで悩ましいのは、掲句の中味はカラスビシャクを知っていても、こちらの季語の意味を知らないと解けない点である。すなわち、「恙(つつが)なき雲」は明らかに、半夏生の日の天気によって米の収穫を占った昔の風習を踏まえている。梅雨の晴れ間の空に「つぎつぎに」生まれる白い雲を眺めながら、作者は昔の人と同じように吉兆を感じ、清々しい気持ちになっているのだ。だとすれば、何故「半夏かな」なのだろう。ここをずばり「半夏生」と押さえても字余りにもならないし、そのほうがわかりやすいし、いっこうに差し支えないのではないか。(後略)』(解説より一部)。冒頭画像は半夏生(今年は今日)

「如何にいます父母 恙無しや友がき 雨に風につけても 思い出づる故郷」唱歌故郷(ふるさと・1914年発表)の二番の歌詞です。ここに出てくる「恙無し:つつがなし=病気や異状が無く、いつもと変わりがない様子」は、画像のツツガムシによる病気「ツツガムシ病」に由来すると昔聞いたことがありましたが、誤りでした。「恙虫=恙虫病→恙無し(病気になっていない)=健康で変わりない」ではなく正しくは「恙(病気や災難のこと)=これを引き起こす妖怪が恙虫→その後にダニ(画像)が原因であると判明し「ツツガムシ」と命名(1899年)」とのことで、妖怪恙虫が先で実在のツツガムシが後でした。詳しくはこちら「つつがなしや」もどうぞ。長い枕となりました(笑)、今回は「恙なく」について。

ほぼ毎日目を通すサイト「ほぼ日」の今日のダーリンに
じぶんの生きている周辺の空気を、
なんの意識もせずに思い切り呼吸できる。
つまり、じぶんの一日中吸っている空気を信じられる。
これ、考えてみたら当たり前のことですよね。
これも言わばツツガナシ、コラムは続いて
なんにも特別なことを考えたりせず、
思い煩ったりもしないで生きていけるって、
根本的に大事なことなのだと思います。
信じられる環境に生きていることが、
人をのびのびさせてくれる。
そういう環境があってこそ、
人それぞれのいいところが発揮されていく。
それは、さまざまな場所で実際にやってみて
証明されつつあることのようです。』(6/30今日のダーリンより前半)

同感です!朝日新聞「折々のことば」6/7には
『生き物として生きる以上、
中と外をきっちり分けることなんてできないの。
中村桂子
呼吸、飲食、排泄(はいせつ)、悪寒、そして聴く、嗅ぐ。たしかに物が出入りしたり、互いに共振したり。人はあくまで自然の一部。環境の内、他の生命とのつながりの内にあることを忘れてはならないと、生物学者は言う。そして「『地球に優しくしましょう』。それって上から目線よね」とやんわり諫(いさ)める。インタビュー「生きることは、時間を紡ぐこと」(「暮しの手帖」第6号)から。』

今日のダーリンに加えこの文章も、ごもっともだと思います。
ヒトは何気なく空気を吸い込み、木になる実を採り、地に生える草を摘み、海や川で魚を森で獣を狩り、深く考えることなく口に運んでいたのだと思います。医療がなかったため妖怪の仕業と恐れ、時に病に倒れていたのでしょう。この頃「ムシ歯」は世にほぼ存在しませんでした。いまだに野生の動物はムシ歯とは無縁です。ヒトのみが禁断の果実を口にして「ムシ歯」という「恙」に悩むようになったのです。今のようにムシ歯が問題となったのは恐らくここ二百年のこと。あまりにも短期間に次から次へと「禁断の果実」を口にしてしまったのです。ムシ歯のみならず、飲酒喫煙による問題、食べ過ぎによる肥満など枚挙にいとまがありません。妖怪恙虫の正体は「煩悩」ではないでしょうか?

ムシ歯における「アマビエ」は残念ながら存在しません。日々歯を磨くしかありません。歯磨きを考えずに(歯を磨かずに)生活したい方は「旧石器時代」の食生活に変えるしか方法はありません、不可能です。平成令和の食生活を楽しみたい方は「食べる」のワンセットとして「歯磨き励行」しかないのです、残念ながら。恙なく食を楽しむために、ご歯愛の程、歯磨きの程。

歯磨きとは直接は関係ないのですがヒントを見つけました。イチロー氏が答えます、オススメです。おとなクラスの「質問:感情を抑えるにはどうしたらいいですか」に答えて「その先のことを考えるんですよ」。これヒントかも、美味しく食べて余韻に浸るとき「また美味しく食べるには」と考える・・すると「歯を磨こう・キレイに保とう」と歯ブラシに手が伸びるのではないかと・・我田引水ですかね。ではでは 4820


 

BBTime 460 嚥下と燕

BBTime 460 嚥下と燕
「つじかぜやつばめつばくろつばくらめ」日夏耿之介

解説に『燕は「つばくろ」「つばくら」「つばくらめ」などとも呼ばれ、「乙鳥(おつどり)」「玄鳥(げんちやう)」とも書かれる。「燕」は夏の季語とまちがわれやすいけれど、春の季語である。しかも「燕の子」だと夏の季語となり、「燕帰る」は秋の季語となる。それだけ四季を通じて、私たちに親しまれ、珍重されてきた身近かな鳥だということなのであろう』(一部抜粋)。日夏耿之介は詩人・英文学者で、読みは「ひなつこうのすけ」詳しくはこちらへ。解説にあるように掲句は春です、ご容赦を。今回は燕との「エン」のお話。

近所の軒先に燕が餌を運びます。親燕の姿を目にした時に、ふと燕に口偏がつくと「嚥」になるなあと。音読みで「えん」訓読みで「のど・のむ(嚥む)」。飲み下すことを「嚥下:えんげ」と言います。近頃よく耳にする「誤嚥性肺炎:ごえんせいはいえん」にもこの文字が入ります。この飲み下すを英語で「swallow:スワロゥ」です。ここで・・アレッ?

そうなんです、燕も英語で「swallow」。偶然なのか必然なのか・・洋の東西を問わず「嚥下と燕」は関係ありのようです。句の解説の『四季を通じて、私たちに親しまれ、珍重されてきた身近かな鳥だということなのであろう』ゆえの事でしょうか。

加えて「唾液:だえき」のことを「つば:唾」と言います。つばめに似てますね(笑)。もっともツバはツバキ『つばの意の「つ」+「吐き」』のようです。唾液に関しては「唾液磨き」や「固唾を呑む」も。

ヤクルトスワローズを別読みすると、強引ですが「ヤクルトをグッと飲む人々」との解釈も可能です。因みに球団名の「スワローズ」は国鉄と関係がありました。『「スワローズ」の名称は、当時の国鉄では唯一の特急列車、かつ日本最速だった「つばめ」号に由来する。球団旗には、列車のヘッドマーク等に使われていた「つばめマーク亅を採用し、「スワローズ」のロゴデザインは国鉄のデザイン室がデザインしたものを今日まで使っている』(引用元)。

中華(広東:カントン)料理の高級食材である「ツバメの巣」はズバリ「燕の唾:ツバメのツバ」です。最後にひとつだけ嚥下と義歯の関係について。上顎(じょうがく、うわあご)に義歯装着の方で、食べ物を飲み込み辛い、話しにくいなどの症状がある場合に、義歯(入れ歯)が原因のことがあります。特に上が総入れ歯の方はご注意ください。入れ歯だからと諦めずに、話しにくい時には歯科医にご相談を!2210





おまけ:燕の字は読めるけど書けない漢字です(小生にとって)。簡単な覚え方は・・『(つばめ)が飛翔(ヒショウ)する姿を描いた象形文字(ショウケイモジ)です。廿は頭、ヒは翼(つばさ)、口は胴体、灬は火ではなく尾の形です。漢字の部首は『灬・れっか』です』(引用元はこちら)。

BBTime 457 地道に自道

BBTime 457 地道に自道
「浦島太郎目覚めの床にあまがえる」夏石番矢

解説は『季語は「あまがえる(雨蛙)」で夏。玉手箱を開けてしまった後の「浦島太郎」落魄の景と読んだ。竜宮城での遊びに飽きて、故郷に戻ってみれば我が家もなければ知る人もいない。三年ほどの滞在のつもりが、実は三百年も(七百年説も)経っていたというお話。やっとの思いで一夜の宿を得て、目覚めると同じ「床」に「あまがえる」がきょとんとした顔で坐っていた。人も風景もみんな変わってしまったなかで、この雨蛙だけは昔と同じ姿かたちをしている。迎えてくれたのは、お前だけか。何故こんなところに雨蛙がいるのかなどの疑問よりも先に、太郎の心は懐かしさでいっぱいになっている。いるはずもない床に雨蛙を配したことで、太郎の孤独がいっそう深まっている。浦島伝説の解釈には諸説あるが、私は地域共同体を外れた者に対するいましめのための話だと思う。伝説の原型は古く『日本書紀』にあって、ある男が海上で出会った絶世の美女とどこか遠い国に行ってしまい、ついに戻ってこなかったという。どうやら、異民族との結婚話らしい。当時の人々には、おそらくまだ共同体防衛の意識などなかったろうから、憧憬譚めいたニュアンスがある。ところが今に伝わる話は、武家が天下を取った鎌倉室町期の脚色らしく、異民族や他所者との結婚や交流は共同体破壊につながるから、これを暗示的にいましめているというわけだ。すなわち、浦島太郎は共同体破壊者であり、そんなけしからん男が最後にはどんな目にあうかという「みせしめ」なのであった。『巨石巨木学』(1995)所収。(清水哲男』(解説より)。解説文に「地域共同体」「共同体破壊者」の言葉があります。今回は地道に自道を!について。

ご存じカーナビです、車に装着してある方も多いでしょう。また手元のスマホにもナビが入っています。先日ナビ使用した時のこと。ふとスマホばかり見ていて、全く周りの景色を見ていないことに気付き、すぐに大方の見当をつけてスマホをしまいました。近頃、新型コロナウイルスによる行動の変化について思うことがあります。多くの人々があまりにも「ナビ依存症」になってしまっているのではないでしょうか。ナビ依存症=言い換えれば「指示待ち」「ナビ通り」の人。さらに言うなら、ナビ(マニュアル)通りにいかないと「このカードは使えません」とか「(あなたの)ペイペイは使えません」などと言って、ちょっとしたトラブル(すんなり行かないこと)を、あれやこれやとトライして解決しようとしません。また、自粛警察の言葉に代表されるように、他人が指示通りナビに沿っていないと、「あなたは悪い」と決めつけて、時に誤った正義感で妙な行動をとる人も。

次第に気温が上がり熱中症のリスクが高まってきても「マスク着用厳守」が正しいのだ!・・これ本当? ウイルスに対して効果の薄いマスク着用よりも・・その時の気温、その場の人数、あなたの素直な判断の方がよほど意味あることだと思います。(ナビ依存症の人々に目安として言っておきながら「国民の誤解だ」と言い放つ大臣は別の意味で、全く話にならん!バカにするな!です)。

今年も「歯と口の衛生週間」・・ナビとは言いませんが、昔からの習慣を信じて疑わない行動も如何なものかと思います。歯磨きの時には歯磨き粉を使うものだ・・あえて使う必要はありませんと断言します。また、小学校で以前よく目にした光景です・・牛乳を飲めない子に「鼻をつまんででも飲みなさい」「頑張って飲めば飲めるようになるから」・・純粋に第三者の目で見ると、これは虐待では?本人の体が拒否しているのに「牛乳を飲め」と強いるのは明らかに虐待です。飲んだ途端に吐き出すのは「急性中毒」のひとつの正しい体の反応です。じきに飲めるようになったとしても、これは急性中毒が「慢性中毒」に移行しただけのものです。

人は「十人十色」。逆の見方をすると物差し(基準)もそれぞれ。あえて万人共通のものは「数字」でしょう。百円は100円だし、朝の八時は8時です。ニューノーマル・新しい日常を鵜呑みにすることなく、羹に懲りて膾を吹くことなく、常に自分の五感をしっかり使って「地道に自道(我が道)」がよろしいのでは?

先日、久しぶりに画像の歯磨き粉を使ってみました。ところが・・使用後に味覚異常発生。美味しいはずのフルーツの味が・・苦いような渋いような。味覚異常の原因はこの歯磨き粉・・そうであれば、この歯磨き粉は味覚に(舌や粘膜には)良くないと言えます。ネット情報、SNS、知り合いからのネタを頭から信じるよりも、もっともっと自分の五感を信じませんか。歯科医療についても同じことが言えます。歯科医師が「ここの治療はこうなります」と言っても、あなたの希望とギャップがあれば、納得し難いのであれば、迷わず「他にどのような選択肢がありますか?」と尋ねましょう。どうしても希望通りの治療計画でなければ、これまた迷わず他の歯科診療所へ行くのも一法。

「明日は又明日の日程夕蛙」高野素十
好きな句です。今日は今日、明日は明日。あなたはアナタ、私はワタシ。右か左か、選ぶのはご自身で。地道に自道を歩むのがよろしいかと。ご自愛の程ご歯愛の程。9270
追加:過去の朝日新聞「折々のことば」に見つけました。


BBTime 456 一厄息災

BBTime 456 一厄息災:いちやくそくさい
「六月を奇麗な風の吹くことよ」正岡子規

好きな句です。『前書に「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い。蛇足ながら、この「綺麗」は江戸弁ないしは東京弁ではないかと、私は思ってきた。いまの若い人は別だが、関西辺りではあまり使われていなかったような気がする。関西では、口語として「美しい」を使うほうが普通ではなかったろうか。だとすれば、掲句の「綺麗」は都会的な感覚を生かした用法であり、同時代人にはちょっと格好のいい措辞と写っていたのかもしれない。高浜虚子選『子規句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)』(解説より)。江戸時代、疫病が流行るのは「悪い風・病の風」の仕業だと思われていたようです。今回は「無病息災:むびょうそくさい」ならぬ「一病息災」いえいえ「一厄息災」のお話。冒頭のブロンズ像は中村晋也作「朝の祈り」谷山サザンホールにて

無病息災:病気せず、健康であること。元気なこと。▽「無病」は病気にかかっていないこと。「息」はやめる、防ぐ意。「息災」はもとは仏の力によって災害・病気など災いを除く意。転じて、健康で元気なさまをいう(引用元)。「無病」に掛けて瓢箪六つで「六瓢:むびょう」とし、根付や箸置きなどの意匠として見受けられます。無病に越したことはないのですが「一病息災:いちびょうそくさい」も良しです。意味は「ちょっとした病気のある人のほうがからだに注意するので、健康な人よりもかえって長生きするということ」(引用元)。

New Normal:ニューノーマルとは「新常態、新しい日常」とも訳されます。コロナ後はコロナ前に戻るのではなく新しい日常生活になるとのこと、まさしく「一厄息災」。マスクはまだしも、小まめな丁寧手洗いは生活にとってプラスになること間違いなし。人によって基準はそれぞれですが「不要不急」の行動なしもマイナスではないでしょう。どこにいるのか、誰が保有しているのか、見えないコロナウイルスに対する一人一人の防御は健康にとって明らかにプラスです。喫煙をやめる、糖尿病予防の肥満防止などもプラスです。免疫能を低下させないために「丁寧歯磨き」「定期的な歯のメンテナンス」もニューノーマルに必須の習慣として生活に取り入れてください。

過去(2019/11/24)の天声人語です。『ネアンデルタール人の脳は私たちの祖先と同じくらいの大きさだったそうだ。身体はもっと頑丈でたくましかった。ともに生きていた時代もあったが、3万~4万年ほど前、彼らは地球上から姿を消してしまった▼どうして絶滅したのか。専門家の間では諸説あるというが、筆者には不思議で仕方がない。強い者が弱者を力で倒すこの世界で、勝ち残るのはむしろ彼らのほうではなかったのか▼「じつは生命の歴史をみると、生き残ったのは強者ではなく、変化に適応できる弱者のほうでした」。著書『生き物の死にざま』などで知られる静岡大学教授の稲垣栄洋(ひでひろ)さん(51)はそう教えてくれた▼私たちはつねに未来を意識し、いまを生きている。それを可能にしたのは、弱さゆえに集団性を強め、その過程で仲間が何を考えているのかを「想像する」という力を得たこと。「想像は一人ひとりが異なります。その多様性が生き残りのカギとなったのでは」と稲垣さん▼逆に言えば強い者はその強さのために変化を望まず、多様化しにくい。恐竜もネアンデルタール人も。「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」とは元サッカー西独代表ベッケンバウアーの言葉だ▼きょうは「進化の日」。160年前、進化論を唱えたダーウィンが「種の起源」を出版した日にちなむそうだ。環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる。』2019/11/24付天声人語より。

新型コロナウイルスが発覚する直前(2019/11/24)の天声人語です。結びに『環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる』とあります。まさしくニューノーマルとは環境への適応なのではないでしょうか。弱き存在ゆえの「一厄息災」。ご自愛の程、ご歯愛の程。8290

BBTime 455 不安不信病

BBTime 455 不安不信病
「真清水も病みて野をゆく初夏よ」沼尻巳津子

解説に『この季節のさわやか(もっとも「さわやか」は秋の季語だけれど)な「真清水」と「初夏(はつなつ)」との取り合わせ。そこに、作者は病的な照明をあてている。「も」という助詞に注目せざるをえないが、このとき、作者は病身なのだろう。常識を裏切った句というよりも、自分の感性に忠実な句。身体が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる。が、この句。発熱の悪寒から解放されたときのような清々しさも湛えている。不思議な句境だ。なお、考えてみたい。『華彌撒』所収。(清水哲男)』(解説より)。新型コロナウイルスは身体のみならず「心」をも病む病気だと思います。「心が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる」・・不安不信についてのお話。

新型コロナウイルスによって世の中が、未だ右往左往しています。街ゆく人の九割以上がマスクを着け、至る所に透明シートが貼られ・・5/30に梅雨入りした鹿児島の空は拍車を掛けるように気分を重くします。思うに新型コロナウイルス感染症は「不安不信病」に分類されるでしょう。不織布のマスクでもウイルス阻止はできません。インフルエンザもウイルスですが、インフルエンザはほぼ治療法が確立されており、ワクチンもあります。しかし新型コロナは不安です。恐怖の病とまではいかなくとも「不安な病」と言えます。

加えて「不信の病」でもあるように思えます。政府の対応、大臣の発言、議事録を取らない・・など枚挙にいとまがありません。新型なのですから試行錯誤して当たり前だと思いますが、国民の誤解発言とか、アベノマスクのお粗末さなど国民の不信感は募るばかり(少なくとも小生は)。

お相撲さんを始めスポーツ選手の口からよく「心技体」の言葉を聞きます。ウイルス感染すれば「体」が病みます。外出自粛、失職などで「心」が病む人もおられるでしょう。「技」を行動と捉えれば、コンビニや役所の窓口で声を荒げる人の増加も理解できないことはないです。感染していなくても(体が問題なしでも)「心」が病んだり、体も心も健康なのに「技」がおかしくなったり・・。やはりコロナウイルスは上の画像にあるように「見えない悪魔」かも知れません。

しかし悪魔は、あくまでも想像上のモノ。未経験の状況に振り回されるのではなく、今こそ自分の頭で判断し行動すべきだと思いますがね。ご自愛の程、ご歯愛の程。7650

BBTime 454 With C

BBTime 454 With C
「あいまいな空に不満の五月かな」中澤敬子

今朝(5/26)の桜島。雲か靄か灰か黄砂か、曖昧な空です。
昨日(5/25)の今日のダーリンに賛成です。

『いまの「WITH CORONA」の生活様式が、
 辛くてしょうがないとぼやいているのは、
 大人げないし、よくないとぼくも思う。
 しかし、これがなにか天からの大事な警告で
 いままで常識としていた「よからぬ慣習」を
 変えてしまういい機会だとことさらに強調するのも、
 なんだか危ういなぁとも思うのだ。』

『緊急事態宣言が解除されたとしても、
 しばらくは安全のために
 「新しい習慣」を守り続けることになる。
 これは守りましょう、守ります。
 でも、ぼくはこの「新しい習慣」を
 よろこんで受け容れているつもりはない。
 特別な「いま」なので、仕方なくやっているのだ。』

『おおよそ、この「新しい習慣」は
 人に対して失礼なことばかりです。
 「だれかと会うとき、2メートル間を空ける」。
 この人とは近くに寄りたくないという表現と同じです。
 「マスクをして呼気や唾液が当たらないよう注意する」。
 また、「握手やハグなどは避ける」。
 これらも、すべて親しみの逆の表現になりますし、
 一年前にそんな態度の人がいたとしたら、
 ちょっと腹を立てていたかもしれません。』

『人と人とが、親しく距離を近づけるということは、
 大昔から、互いの安心と信頼を確かめ合える
 「うれしい習慣」でもあったわけで、
 それ自体が「よろこび」であったわけです。』

『しかし、感染症が流行したらみんなが、
 じぶんも含めて人間を「感染を媒介するもの」として
 見立てなくてはならないので、
 長い歴史のなかでせっかく獲得できていた
 「信じる」ことをもとにした行動習慣を、
 いったん水に流すという経験をさせられているわけです。
 「不信」を前提に交流したり行動するという
 『新しい習慣」がみんなに求められていたのです。
 そりゃぁ、ストレスもかかるというものです。
 ぼくらは、信じるをもとにして生きたいんですから。』

『今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
コロナの先でもコロナの前でも、生きやすいのがいいなぁ。』

句の解説『いま、苦笑された方もおられるだろう。本当に、このゴールデンウイークは全国的に「あいまいな空」つづきだった。降るのか、このまま降らないのか。空ばかり見る日が多かった。作者も、旅先で仏頂面をしている。常に天気の崩れを気にしながらの旅は、気持ちも晴れないし疲れる。同じ作者に「不愉快に脳波移動す旅五月」がある。手元の角川版歳時記の「五月」の項には、「陽暦では晴天の日が多く、芍薬・薔薇が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニックの好季節」とある。これが、まずは一般的な五月のイメージだろう。引用されている例句も、みな晴れやかで不機嫌な句はない。その意味で、掲句は事実を感じたままに詠んでいるだけだが、五月へのアングルが珍しいと言えば珍しい。こういう句は、案外、晴れやかな句よりも逆に残るのではないかと思ったりした。少なくとも私は、天気の良くない五月の空を見るたびに思い出してしまいそうだ。ところで、気象庁創立以来百二十年の統計を見ると、今日「五月六日」の東京地方の天気は、晴れた日は五十回だが、三十九回が曇りで、後は雨。雷が発生した日も一回ある。晴れの五十回は、これでも五月の他の日に比べて最も多いのだから、今月の東京の「あいまいな空」の日は、漠然と思っているよりも、かなり多いということである。『現代俳句年鑑・2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)』解説より。

冒頭の句の「五月」をなんと読まれましたか?「ごがつ」がベターかと。五月は「ごがつ」と読むのが良いと「季語の博物誌 工藤力男著」で読みました。ご自愛の程、ご歯愛の程。5880