BBTime 456 一厄息災

BBTime 456 一厄息災:いちやくそくさい
「六月を奇麗な風の吹くことよ」正岡子規

好きな句です。『前書に「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い。蛇足ながら、この「綺麗」は江戸弁ないしは東京弁ではないかと、私は思ってきた。いまの若い人は別だが、関西辺りではあまり使われていなかったような気がする。関西では、口語として「美しい」を使うほうが普通ではなかったろうか。だとすれば、掲句の「綺麗」は都会的な感覚を生かした用法であり、同時代人にはちょっと格好のいい措辞と写っていたのかもしれない。高浜虚子選『子規句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)』(解説より)。江戸時代、疫病が流行るのは「悪い風・病の風」の仕業だと思われていたようです。今回は「無病息災:むびょうそくさい」ならぬ「一病息災」いえいえ「一厄息災」のお話。冒頭のブロンズ像は中村晋也作「朝の祈り」谷山サザンホールにて

無病息災:病気せず、健康であること。元気なこと。▽「無病」は病気にかかっていないこと。「息」はやめる、防ぐ意。「息災」はもとは仏の力によって災害・病気など災いを除く意。転じて、健康で元気なさまをいう(引用元)。「無病」に掛けて瓢箪六つで「六瓢:むびょう」とし、根付や箸置きなどの意匠として見受けられます。無病に越したことはないのですが「一病息災:いちびょうそくさい」も良しです。意味は「ちょっとした病気のある人のほうがからだに注意するので、健康な人よりもかえって長生きするということ」(引用元)。

New Normal:ニューノーマルとは「新常態、新しい日常」とも訳されます。コロナ後はコロナ前に戻るのではなく新しい日常生活になるとのこと、まさしく「一厄息災」。マスクはまだしも、小まめな丁寧手洗いは生活にとってプラスになること間違いなし。人によって基準はそれぞれですが「不要不急」の行動なしもマイナスではないでしょう。どこにいるのか、誰が保有しているのか、見えないコロナウイルスに対する一人一人の防御は健康にとって明らかにプラスです。喫煙をやめる、糖尿病予防の肥満防止などもプラスです。免疫能を低下させないために「丁寧歯磨き」「定期的な歯のメンテナンス」もニューノーマルに必須の習慣として生活に取り入れてください。

過去(2019/11/24)の天声人語です。『ネアンデルタール人の脳は私たちの祖先と同じくらいの大きさだったそうだ。身体はもっと頑丈でたくましかった。ともに生きていた時代もあったが、3万~4万年ほど前、彼らは地球上から姿を消してしまった▼どうして絶滅したのか。専門家の間では諸説あるというが、筆者には不思議で仕方がない。強い者が弱者を力で倒すこの世界で、勝ち残るのはむしろ彼らのほうではなかったのか▼「じつは生命の歴史をみると、生き残ったのは強者ではなく、変化に適応できる弱者のほうでした」。著書『生き物の死にざま』などで知られる静岡大学教授の稲垣栄洋(ひでひろ)さん(51)はそう教えてくれた▼私たちはつねに未来を意識し、いまを生きている。それを可能にしたのは、弱さゆえに集団性を強め、その過程で仲間が何を考えているのかを「想像する」という力を得たこと。「想像は一人ひとりが異なります。その多様性が生き残りのカギとなったのでは」と稲垣さん▼逆に言えば強い者はその強さのために変化を望まず、多様化しにくい。恐竜もネアンデルタール人も。「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」とは元サッカー西独代表ベッケンバウアーの言葉だ▼きょうは「進化の日」。160年前、進化論を唱えたダーウィンが「種の起源」を出版した日にちなむそうだ。環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる。』2019/11/24付天声人語より。

この世界にコロナウイルスが発覚する直前の天声人語です。結びに『環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる』とあります。まさしくニューノーマルとは環境への適応なのではないでしょうか。弱き存在ゆえの「一厄息災」。ご自愛の程、ご歯愛の程。8290

BBTime 455 不安不信病

BBTime 455 不安不信病
「真清水も病みて野をゆく初夏よ」沼尻巳津子

解説に『この季節のさわやか(もっとも「さわやか」は秋の季語だけれど)な「真清水」と「初夏(はつなつ)」との取り合わせ。そこに、作者は病的な照明をあてている。「も」という助詞に注目せざるをえないが、このとき、作者は病身なのだろう。常識を裏切った句というよりも、自分の感性に忠実な句。身体が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる。が、この句。発熱の悪寒から解放されたときのような清々しさも湛えている。不思議な句境だ。なお、考えてみたい。『華彌撒』所収。(清水哲男)』(解説より)。新型コロナウイルスは身体のみならず「心」をも病む病気だと思います。「心が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる」・・不安不信についてのお話。

新型コロナウイルスによって世の中が、未だ右往左往しています。街ゆく人の九割以上がマスクを着け、至る所に透明シートが貼られ・・5/30に梅雨入りした鹿児島の空は拍車を掛けるように気分を重くします。思うに新型コロナウイルス感染症は「不安不信病」に分類されるでしょう。不織布のマスクでもウイルス阻止はできません。インフルエンザもウイルスですが、インフルエンザはほぼ治療法が確立されており、ワクチンもあります。しかし新型コロナは不安です。恐怖の病とまではいかなくとも「不安な病」と言えます。

加えて「不信の病」でもあるように思えます。政府の対応、大臣の発言、議事録を取らない・・など枚挙にいとまがありません。新型なのですから試行錯誤して当たり前だと思いますが、国民の誤解発言とか、アベノマスクのお粗末さなど国民の不信感は募るばかり(少なくとも小生は)。

お相撲さんを始めスポーツ選手の口からよく「心技体」の言葉を聞きます。ウイルス感染すれば「体」が病みます。外出自粛、失職などで「心」が病む人もおられるでしょう。「技」を行動と捉えれば、コンビニや役所の窓口で声を荒げる人の増加も理解できないことはないです。感染していなくても(体が問題なしでも)「心」が病んだり、体も心も健康なのに「技」がおかしくなったり・・。やはりコロナウイルスは上の画像にあるように「見えない悪魔」かも知れません。

しかし悪魔は、あくまでも想像上のモノ。未経験の状況に振り回されるのではなく、今こそ自分の頭で判断し行動すべきだと思いますがね。ご自愛の程、ご歯愛の程。7650

BBTime 454 With C

BBTime 454 With C
「あいまいな空に不満の五月かな」中澤敬子

今朝(5/26)の桜島。雲か靄か灰か黄砂か、曖昧な空です。
昨日(5/25)の今日のダーリンに賛成です。

『いまの「WITH CORONA」の生活様式が、
 辛くてしょうがないとぼやいているのは、
 大人げないし、よくないとぼくも思う。
 しかし、これがなにか天からの大事な警告で
 いままで常識としていた「よからぬ慣習」を
 変えてしまういい機会だとことさらに強調するのも、
 なんだか危ういなぁとも思うのだ。』

『緊急事態宣言が解除されたとしても、
 しばらくは安全のために
 「新しい習慣」を守り続けることになる。
 これは守りましょう、守ります。
 でも、ぼくはこの「新しい習慣」を
 よろこんで受け容れているつもりはない。
 特別な「いま」なので、仕方なくやっているのだ。』

『おおよそ、この「新しい習慣」は
 人に対して失礼なことばかりです。
 「だれかと会うとき、2メートル間を空ける」。
 この人とは近くに寄りたくないという表現と同じです。
 「マスクをして呼気や唾液が当たらないよう注意する」。
 また、「握手やハグなどは避ける」。
 これらも、すべて親しみの逆の表現になりますし、
 一年前にそんな態度の人がいたとしたら、
 ちょっと腹を立てていたかもしれません。』

『人と人とが、親しく距離を近づけるということは、
 大昔から、互いの安心と信頼を確かめ合える
 「うれしい習慣」でもあったわけで、
 それ自体が「よろこび」であったわけです。』

『しかし、感染症が流行したらみんなが、
 じぶんも含めて人間を「感染を媒介するもの」として
 見立てなくてはならないので、
 長い歴史のなかでせっかく獲得できていた
 「信じる」ことをもとにした行動習慣を、
 いったん水に流すという経験をさせられているわけです。
 「不信」を前提に交流したり行動するという
 『新しい習慣」がみんなに求められていたのです。
 そりゃぁ、ストレスもかかるというものです。
 ぼくらは、信じるをもとにして生きたいんですから。』

『今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
コロナの先でもコロナの前でも、生きやすいのがいいなぁ。』

句の解説『いま、苦笑された方もおられるだろう。本当に、このゴールデンウイークは全国的に「あいまいな空」つづきだった。降るのか、このまま降らないのか。空ばかり見る日が多かった。作者も、旅先で仏頂面をしている。常に天気の崩れを気にしながらの旅は、気持ちも晴れないし疲れる。同じ作者に「不愉快に脳波移動す旅五月」がある。手元の角川版歳時記の「五月」の項には、「陽暦では晴天の日が多く、芍薬・薔薇が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニックの好季節」とある。これが、まずは一般的な五月のイメージだろう。引用されている例句も、みな晴れやかで不機嫌な句はない。その意味で、掲句は事実を感じたままに詠んでいるだけだが、五月へのアングルが珍しいと言えば珍しい。こういう句は、案外、晴れやかな句よりも逆に残るのではないかと思ったりした。少なくとも私は、天気の良くない五月の空を見るたびに思い出してしまいそうだ。ところで、気象庁創立以来百二十年の統計を見ると、今日「五月六日」の東京地方の天気は、晴れた日は五十回だが、三十九回が曇りで、後は雨。雷が発生した日も一回ある。晴れの五十回は、これでも五月の他の日に比べて最も多いのだから、今月の東京の「あいまいな空」の日は、漠然と思っているよりも、かなり多いということである。『現代俳句年鑑・2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)』解説より。

冒頭の句の「五月」をなんと読まれましたか?「ごがつ」がベターかと。五月は「ごがつ」と読むのが良いと「季語の博物誌 工藤力男著」で読みました。ご自愛の程、ご歯愛の程。5880

BBTime 453 要不要

BBTime 453 要不要
「考へがあつての馬鹿を冷奴」加藤郁乎(いくや)

老婆心ながら冷奴はヒヤヤッコです。解説に『冷奴だけではあるまい。句集には並べて「別の顔みせてやらばや冷し酒」とあるから、ちゃんとお神酒がついている。考えがあって、よかれと思って、意図的に馬鹿をやってみせたのではあるが、どうやら誰にもせっかくの意図が通じなかったようだ。本当の分別なし、馬鹿に見られたらしいという憤激の内での冷奴。故意に馬鹿を演じたのだから、みんなから馬鹿にされて本望のはずなのだが、そこがそうはいかないところに人間の辛さがあり面白さもある。誰かその場に一人くらい具眼の士がいて、言わず語らずのうちにわかってくれないと、にわか馬鹿の心はおさまらないのだ。にわか馬鹿の世界は、たいてい義理人情がからんでいる。だから「お前は偉いなあ」と、たとえば目で挨拶してくれるような義理や人情を期待するわけだ。それがそうではなかった。ぷいと、みんなと別れてしまった。で、乱暴な箸を冷奴に突き立てたってはじまらないのに、うーむ、悔しい。どうしてくれようか……。冷奴こそ、いい迷惑である。『初昔』(1998)所収。(清水哲男)』(解説より)。

句の解説文を読んで笑ってしまいました。「どうやら誰にもせっかくの意図が通じなかったようだ。本当の分別なし、馬鹿に見られたらしいという憤激の内での冷奴」(解説より)・・拙宅に昨日(5/24)届いたアベノマスクに繋がりました。はっきり言って「今更」です。かと言って使わないのは勿体無いので回収窓口に送ることにしました(上の画像)。回収(寄付)先はこちらこちらなど。・・枕が長くなりました。今回は「不要不急」について

不要不急を辞書で引くと『さしあたっては必要で無いこと、急いでする必要が無い様子』とあります。不要不急の外出は控えてください・・と言われても、貧乏性の小生など「私の外出には不要不急はありませぬ、全て必要です」と反論したくなります。本日(5/25)には緊急事態宣言が解除されそうですが、解除されたから「不要不急」OKではない事は容易に察しがつきます。結論です・・ムシ歯予防・歯周病予防は考え方によっては「不要不急」なのかもしれませんが必要な事です!

「歯が痛い・歯茎が腫れた」は不要不急ではありません(大方の場合)。しかし、どんな時であっても歯科においては「治療に勝る予防なし」。解除された今こそ、口のメンテナンスに足を運んでください。緊急事態(痛み・腫れ)を回避するためのメンテナンスです、不要不急のようであっても必要なんです!

記事に次のような下りを見つけました。『ブラッシングが健康にもたらす効果を医学的見地から解説。「ウイルスは、周囲をたんぱく質の膜で覆われており、プロテアーゼという酵素なしには活性化しない。プロテアーゼは、口の中で生成されやすいので、ブラッシングが歯周病だけでなく、さまざまなウイルスに対する予防になる」。これは現在、猛威を振るっている新型コロナウイルスも例外ではないという』(引用元はこちら)。

中国語で「要不要:ヤオプーヤオ」とは必要ですか、不要ですか?の意味。歯科においては治療以上に予防(メンテナンス)が必要なんです。最後に朝日新聞折々のことばを。ではまた 5630




おまけ:豆腐がらみの折々のことばです

BBTime 451 ユーモア

BBTime 451 ユーモア
「目には青葉尾張きしめん鰹だし」三宅やよい

どこかで聞いたような・・『思わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回は「ユーモア:humor」について。

先日(5/13)日経新聞「春秋」に見つけました、お見事!
さて日本のみならず、欧米各国、韓国、中国など「解除」に動き出しました。コロナ禍あと(ポストコロナ)では、コロナ前に戻るのではなく「New Normal:新しい日常」へ移行すべき、移行しましょうとの空気です。賛成です。そこで必要なひとつが「ユーモア」であるような気がします。笑いではなくユーモア・・シンプルに考えるにユーモアとは思いやり・尊敬(リスペクト)。

時に笑いは「虐」を含みます。以前、漫才などの「お笑い」によく見受けられました。(虐:ぎゃくはギャグのネタなり?) かたや落語の笑いには「虐」をほとんど感じません。最後まで「笑い」のない落語、場面によっては「泣けてくる」落語、「泣き笑い」の人情噺があるのも頷けます。笑いの中でもユーモアに近いのが落語なのかも。マスクを着けるのも思いやり、手を洗うのも思いやり、最前線でリスク背負って働く方にも思いやり・・・

朝日新聞「折々のことば」に有るようにユーモアは「理性の微笑」。笑いは自己免疫力をアップします。ユーモアは相手の免疫力までアップさせると思います。ただし、ユーモアには、笑いよりもワンランク上のセンスが必要な気もします。

画像は浅葱:あさつき。「味噌・醤油・塩・酢・浅葱・初鰹」瀬戸正洋(せとせいよう)・・俳句です。本「食の一句」には『調味料、そして薬味、初鰹。単語の羅列だけでできた句。たとえば映画のカメラが台所を撮影しているような感覚がある。味噌を映し、醤油を映し・・・と来て、最後は初鰹をクローズアップ。本当は鰹に添えたさまざま調味料を描写したのかもしれないが、(後略)』(82頁より)。ユーモアは日々の調味料・・・あなた(他人)に、もっと! You more. 4000



おまけ
「新しい日常の新しい常識」
コロナでもタダでは起きぬ!

BBTime 450 トライ

BBTime 450 トライ
「あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ」種田山頭火

山頭火は、どのような心持ちで一歩一歩放浪したのでしょうか。解説には『山頭火のファンには、圧倒的に女性が多いという。男でなければなし得ぬ「放浪」に、ほとんどフィクションに近いロマンを感じるためではなかろうか。昭和七年(1932)五月、下関に向かう道での句。どこまでもつづく金鳳花の道に、作者は旅にある喜びを全身に感じている。「人間が天然のドラマのなかに繰り込まれている」(金子兜太)ようだ。美しい句である。と同時に、山頭火は当然(大地主の息子ではあったが、農村の出だ)この季節が農民繁忙のときと知っており、この句に添えて「五月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、というやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙(そばだ)つてゐる」と書いている。「かたじけない」とは、天に感謝する思いもあるが、この好天に身を粉にして働いている人々に対する気持ちも込められているはずだ。『定本山頭火全集』(春陽堂書店)他に所収。(清水哲男)』(解説より)。

昨年秋のラグビーワールド杯が、遠い遠い過去のように思えます。毎日読むコラム:ほぼ日の「今日のダーリン」にトライについての文章がありました、同感です。

ご存じの方も多いでしょう、もともとラグビーのトライは、文字通り挑戦権を得る手段でした。こちらには『この“トライ”というのは、どういう意味なのでしょうか。英語に直せば“Try”。つまり、“挑戦する”という意味の“トライ”です。「そんな単語、中学生でも知っているよ」と言われそうですが、ではラグビーのトライとはいったい何に挑戦するのでしょうか。  昔はトライをしても得点にはなりませんでした。そのあとのキックを決めれば勝ちというルールでした。つまり、トライというのは、勝ち負けを決めるキックに挑戦する権利を獲得したということだったのです。“トライを取る”と言いますが、まさに“キックをする権利を獲得する”という意味だったのです。現在のルールだけで考えますと、トライが何に挑戦するのかはわかりにくいかもしれませんが、昔のルールで考えますとすぐにわかります。  ですが、苦労して苦労してやっと取ったトライも、キックをはずせば元の木阿弥。例えば10トライノーゴールと1トライ1ゴールでは、後者が勝ちとなるわけですが、これではおもしろくないということになり、トライにも得点が与えられるようになったのです。  もちろん、はじめの頃は、キックの方が点数が多く、重要視されていました。その後、段々とトライの魅力が勝り、いまではトライ5点、コンバージョンキック2点となったのです』(引用元)。

昔、フルマラソンに参加した時に唯ひとつ「絶対歩かない完走する」を目標としました。目標は達成できたのですが、沿道のおばちゃんからは「もっと早よ走らんか!」の声援。その方の目には「走っているのではなく歩いている」ように映ったのでしょう。速度はともかく、歩かずに完走できました。仮に、途中で立ち止まり歩いたら、その時点でフルマラソン即「失敗」でしょうか?即「リタイヤ」ですか?・・違いますよね。次の瞬間、また走り始めてゴールするプロ選手もいらっしゃいます。即「失敗」と判断するのは違うような気がするのです。

コース途中では「失敗も成功も」ないと思います。ノーサイドまで、それぞれトライし、もしくはトライしようとして、結果的に点数の多い方が勝ちです。今朝(5/11)の天声人語に『▼検査の数が少なすぎるとの批判に耐えられなくなったのだろう、厚生労働省は先日、熱が4日続くまで待たせるという従来の目安を撤回した。しかし検査が受けられず苦しんだ人への釈明もなければ、検査数が増えない理由も明確に語らない。「謝ったら負け」のゲームを見せられているようだ▼検査は実態をつかみ、手を打つためにある。患者を増やさないための関所ではない。そう考えを改めてくれたのなら、いいのだが。』とあります。失敗とか謝るとか・・そうじゃないでしょ!違うでしょ!と思います。リーダーはもちろんのこと、人それぞれも「ゴール」を見据え、ゴールにたどり着くまでは何度でも「試行錯誤」可能な空気がもっと欲しいと個人的には思います。数年前のNHKラジオイタリア語会話のモットーは「Sbagliando s’impara!」「スバリヤンドシンパラ=間違えながら学ぶ」でした。「新型」コロナウイルスです、未知のウイルスです、試行錯誤が近道のような気がします。2330


BBTime 448 笑う力

BBTime 448 笑う力
「春愁の中なる思ひ出し笑ひ」能村登四郎

世の中が無事であっても桜が散ると「春愁:しゅんしゅう」なのに、今年は・・溜息。句の解説には『春愁とは風流味もある季語だが、なかなかに厄介な感覚にも通じている。その厄介さかげんを詩的に一言で表せば、こういうことになるのだろうか。手元の角川版歳時記によれば、春愁とは「春のそこはかとない哀愁、ものうい気分をいう。春は人の心が華やかに浮き立つが、反面ふっと悲しみに襲われることがある」。国語辞典でも同じような定義づけがなされているけれど、いったい「春愁」の正体は何なのだろうか。精神病理学(は知らねども)か何かの学問のジャンルでは、きちんと説明がついているのだろうか。とにかく、ふっと「そこはかとない哀愁」にとらわれるのだから、始末が悪い。そういう状態に陥ったとき、最近はトシのコウで(笑)多少は自分の精神状態に客観的になれるので、自己診断を試みるが、結局はわからない。作者のように「ものうさ」のなかで思い出し笑いをするなどは、もとより曰く不可解なのであり、それをそのまま句にしてしまったところに、逆説的にではなく、むしろ作者のすこやかな精神性を感じ取っておくべきなのだろう。少なくとも「春愁」に甘えていない句であるから……。『有為の山』所収。(清水哲男)』(解説より)。

先日「免疫力アップ」の記事を読みました。記事「作り笑いでもOK、笑顔で免疫力アップ! 新型コロナの不安払しょく」です。記事には『(1)暗い顔だと免疫力が落ちて感染しやすくなる (2)作り笑いでも免疫力アップに効果がある (3)鏡と向き合って大いに笑いましょう』とあります。『まず「NK活性」です。NK活性とは、がん細胞を攻撃して破壊することのできるNK細胞の働きの強さのことをいいます。笑う前にNK活性が正常範囲より低かった5人は笑うことで、正常範囲かそれ以上に上昇しました。正常範囲にあった5人のうち4人も上昇。正常範囲より上の残りの人は、上がったり下がったりでした。いずれにしろ、笑いにはNK活性を増強する作用があることがわかりました。』

『さらにもう一つ、面白い実験をしています。6人の学生に表情だけの笑顔を2時間続けてもらい、前後で免疫力を調べたのです。その結果、笑顔をつくるだけでもNK細胞の働きが活発になったというのです』(記事より)。

そうなんです!作り笑い、思い出し笑いでも免疫力はアップします。今、多くの方が外出の際にマスクされてます。どうぞ、マスクで見えませんから遠慮なく、思い出し笑い、作り笑いしてください。笑うこと笑顔を作ることで、免疫力はアップしますし、「口角:こうかく」も挙がります。まさしく口角アップトレーニング、スマイルトレーニング!マスク不要になった時、あなたの地顔は今まで以上に「笑顔美人」になっていること間違いなしです。笑う力をアップすることが、免疫力をあげ地顔もアップ。やらない手はないと思います。笑いの原型は「安堵」と聞きます。希望を持つことは安堵に繋がります。次の画像は朝日新聞「折々のことば」・・

「8時だョ!全員集合」はオンタイムで観てました。荒井注が抜け、志村けんが参加した時もしっかり観てました。心よりご冥福をお祈りいたします・・合掌 9180


BBTime 444 予防薬

BBTime 444 予防薬
「春のかぜこんぺいとうが効きました」田邊香代子

こんな金平糖があればバカ売れでしょうね。昨日朝のラジオ(4/14TBS系)「日本全国8時です」の話題は「コロナウイルスにおける治療薬と予防薬」でした。

画像は新型インフルエンザ治療薬「アビガン」です。新型コロナウイルス感染症に効果があると注目されています。この薬の問題は催奇形性(胎児に対する悪影響)の副作用で、男女問わずリスクがあるとのこと。使用する際には十分な配慮が必要です。もうひとつはエボラ出血熱治療薬「レムデシビル」で実に70%の効果があったそうで、今のところ一番有力な治療薬だそうです。

予防薬として「カモスタット(経口薬:飲み薬)」「ナファモスタット(点滴薬)」が注目されているとのこと、これらは元々「慢性膵炎:まんせいすいえん」の薬です。予防薬とは感染予防、重症化を防ぐ薬です。もちろんワクチンがベターですが、新型コロナのワクチン開発にはまだまだ時間がかかりますので、今すぐ使えるのはこの「カモスタット」となります。課題は使う量(どれだけ飲めば侵入阻止が可能)がまだはっきりしてないそうです、本来は膵炎の薬ですので。

最新の中国の報告(中国国家衛生委員会)に治療薬としての漢方薬があるそうで「清肺排毒湯:せいはいはいどくとう」という日本にはない漢方です。報告によると治療薬として実に87%(1261人中1102人治癒)の効果があったとのこと。日本にはない漢方薬ですが、似た効果の漢方は国内にもあるそうです。(ラジオでは97%と言っているのですが、1261人中1102人治癒だと87%になります)

治療薬・予防薬とも安全性の確認などで、少なくともあと数ヶ月はかかるそうです。今日現在、すぐ使える治療薬・予防薬はありません、しかし予防行動はあります、可能です。三密を避け、丁寧手洗いを励行する・・あと数ヶ月、薬が使用可能になるまでは「行動変容」あるのみです。付け足しますが、口腔清掃は免疫低下を阻止します。免疫力維持のためにも口腔清掃励行もお願い致します。では、ご自愛の程、ご歯愛の程・・ここまで書いて「コロナウイルスと金平糖は形が似ている」「金平糖が特効薬であれば良いのに!」と、ふと思いました。6640


補足:ムシ歯・歯周病の治療薬・予防薬もありません。予防策は唯一「適切な歯磨き」です。くどいようですが「唾液によるダラダラ磨き」をお勧めします。タイトル「予防薬」に因んでか「444」のゾロ目となりました(喜)。

BBTime 443 コロナに喝

BBTime 443 コロナに喝!
「意志権利根性勇気アスパラガス」中田美子

出典「食の一句」(櫂未知子著)に『アスパラガスは健気でまっすぐなゆえに<意志権利根性勇気>がぴったり・・・というのは、実は俳句の読みとしては非常にまずい。それよりも、たとえば東京タワーの売店にかつてあった「忍耐」「友情」「自由」などの「座右の銘付き土産物」を思い出す方がずっと面白い(そういえば同じ作者に<友情よアスパラガスに塩少々>もあった)アスパラガスは忍耐を要する作物。歳月をかけてやっと一人前になり、そしてあっけなく食べられてしまう美学を持つ。』(食の一句65頁より)

閉塞感という厚い暗い雲が地球を覆っています。ウイルスに対してコロナウイルスではなく「コラッ!ウイルス」と喝を入れたくなります。今回はコロナに「かつ!」勝つ!克つ!活!喝!について。

1)コロナに勝つ・・外に勝つ=外への予防策です。「密閉密集密接」の三密を避ける、加えて丁寧な手洗い。水洗いは文字通り水でウイルスを洗い流します。石鹸手洗いは『石けんは、分子がたくさんあるとミセルという分子の集合体を作ります。それがウイルスに触れるとウイルスを取り込んで皮膚から剥がし、ウイルスのRNAを守っている外膜(エンベロープ)を壊し、ウイルスが不活性可するというプロセスなのだそうです。だから、石けんには、新型コロナウイルスをはじめ一定の構造を持つウイルスに対しての感染予防効果が高いのです』(引用元)。この理由で30秒以上の手洗いを推奨しています。アルコール消毒は『マスクや手洗いうがい、アルコール消毒によってウイルスの侵入を防ぐのは皆さんご存じの通りでしょう。今回はアルコール消毒に注目してください。今回のコロナウイルスやインフルエンザは脂質でできた「エンベロープ」と呼ばれる膜を表面に持っています。(持っていないものもあります:ノロウイルスなど)コロナウイルスやインフルエンザウイルスの表面のエンベロープをアルコールは破壊でき、これによってウイルスは不活性化するのです。石鹸などによる手洗いも同じで、このエンベロープを壊してしまうのでウイルスは不活性化します』(引用元)。ただしアルコール(エタノール)濃度によって、死滅時間が異なりますので、ご注意ください。詳しくはこちらを。BBTime 439「上善如水」も御参照のほど。

内に勝つ=免疫力のアップ・維持です。
まずアップするには「強き予防」に書きましたが「1)まずはともあれ、笑う!ウソ笑いでも効果あり。2)充分な水分補給、目安は日に1リットル以上。3)水分摂るなら緑茶がオススメ。4)納豆を食べる、腸内細菌の改善・良好維持。5)口をきれいに!誤嚥性肺炎予防にも。6)41度15分入浴法」などが今からできる免疫力アップ法です。維持する(下げない)方法は「口きれい?」で触れましたが『ウイルスにも負けない!? 免疫力「アップ」よりも「低下させない」食生活のポイント』(こちら)。記事の中での三つのポイント『1.栄養状態を良好に保つ 2.十分な水分を摂取する 3.口の中の衛生状態を保つ』がポイントです。

2)コロナに克つ!・・心(意志・考え)における克つです。自分の行動を律する=行動変容が必要。在宅時間が長いことによる家庭内トラブル(家庭内暴力など)が問題になって来ているようです。今こそ「克己心」を鍛えるチャンスと捉えるのも一手ではないでしょうか。「行動変容」もどうぞ。

3)コロナに活!・・今回のコロナウイルスに関して「第三次世界大戦」という言葉も目にしますが、いずれにせよ「コロナ禍」です。「禍(か)」とはわざわいのこと。今となっては避けられない禍となりました。もう、腹をくくるしかないと思います。そこで「禍福は糾える縄の如し」「わざわい転じて福となす」の諺もあるように、今回のことを今後に「活かす」ことを考えねばと思います。在宅時間が延びたことを「活かす」ひとつのことに「ダラダラ磨き」を御提案!・・在宅時間を「映画鑑賞」「家飲み」「読書」・・家飲みの後はブラシを持って映画観ながら「ダラダラ磨き」、本や雑誌見ながら「ダラダラ磨き」。口をキレイにする事は免疫力アップにも繋がります。是非是非!ダラダラ磨きをサポートします・・コロナに喝=5672喝(11画)のキャンペーンを6月末までいたします。この機会に是非どうぞ

4)コロナに喝!・・喝とは声がかすれるほどの大声で叱ること。禅宗での「喝」には四つの意味があるようです。「臨済四喝」と言われます。
ひとつ目「金剛王宝剣の如く」・・『第一は金剛王宝剣です。これは、外の世界、誘惑などを断ち切る。外の情報や内心の迷いを断ち切る。これが、まず、第一です。これは、仏教の修行の上で言えば、戒・定・慧の戒にあたる。外の誘惑を断ち切り心から湧いてくる憎しみや怒りや貪りを断ち切る。そうして、断ち切っておいて・・』(引用元)。二つ目「踞地(こじ)金毛の獅子の如く」・・『次は、踞地(こじ)金毛の獅子です。獅子がぐっと構えているようにじっとしている。これは、禅定の姿です。禅定の姿というのは、あの獅子が大地にうずくまっている姿です。それは、動物園のライオンのようにぼやっとしているしているのと違う。野生の大地に生きているライオンは、いつでも飛び掛かれるような勢いを持って、ぐっと力を蓄えている。これは、我々の禅定の様子です。しかし、禅定にもとどまらない。禅定の力を得たならば、次は・・』(引用元)。三つ目「探竿影草(たんかんようぞう)の如く」・・『禅定の力を得たならば、次は、探竿影草(たんかんようぞう)です。探竿影草(たんかんようぞう)というのは、外の世界に働いていくことです。今、どういう状況にあるのかを判断する。今、自分がどういう状況にあるか、外に向かって能動的に心を働かせていく。今日ならば、「ああ、外で雪が降っている。雪道で困っている人がいる。新聞配達の人が困る。」など、外に向かって判断する智慧を働かせていくのが探竿影草(たんかんようぞう)です』(引用元)。

最後に「一喝の用(ゆう)を作(な)さず」・・『こまでの三つの喝で、戒・定・慧がきちんとそろっている。そうして、最後は、「一喝の用(ゆう)を作(な)さず。」です。坐っている姿勢であるとか、こういう語録の言葉であるとか、様々な決まり事などにとらわれずに、自在に働いていく。これは、慈悲行として働いていくわけです。我々は、よく、先代の足立大進老師から、叱られたものです。「雪というものは、外からかけ」と。「北鎌倉駅の所へ行って、駅から道を作れ(確保せよ)」「ここ円覚寺へ来る人は外から入ってくるのだ、外から道を作れ」と円覚寺の境内から先に雪かきをしているとこうよく叱られたものです。「その時にどうやったらよいのか?」「まず、どういう道を作ったら良いのか?」外に向かって心を働かせていく。その時何をなすべきかを具体的にしていく。皆様方の為、外から来る人の為に具体的に働いていく。形にとらわれない。ですから、臨済の四喝には、きちんと戒・定・慧と慈悲行の実践がよく説かれている。そういう風に私たちの修行の有り様がなっていくことはできないだろうか。外の世界を断ち切る。誘惑、内心の眠気、憎しみ瞋りなどを断ち切る力を常に磨く。そして、ぐっと力を蓄えて丹田に力を込めて坐る。これは、いつでも動ける姿勢でなければならない。いつでも立ち上がれる姿勢でなければならない。その為の禅定である。そして、今、何をなすべきか冷静に判断する智慧が探竿影草(たんかんようぞう)。旧来の型にとらわれず、具体的に慈悲行を実践していく。これが「一喝の用(ゆう)を作(な)さず。」』(引用元)。

「純白のマスクを盾として会へり」野見山ひふみ
マスクはウイルスの盾にはなりません。お分かりとは思いますが、マスクをつけた「あなた」の考え・行動によってしか「コロナに勝つ」ことはできません。手洗いを励行し、クシャミを「喝!」に変えて、コロナに喝!!!!!6240

 

 

BBTime 442 行動変容

BBTime 442 行動変容:こうどうへんよう
「世の中は三日見ぬ間に桜かな」大島蓼太

甲突川の桜は未だ黒い枝です(4/6月曜日撮影)。掲句は「三日見ぬ間『の』桜かな」と混同されますが正しくは「に」。解説に『句の「世の中」は、自然的環境を指している。戸外、周囲の意味。「あな寒といふ声、ここかしこに聞ゆ。風さへはやし。世の中いとあはれなり」(『蜻蛉日記』下)の用法だ。句意は説明の必要もあるまいが、桜の開花のはやさを言ったもの。たしかに、咲きはじめると、すぐに満開になってしまう。散るのも、またはやい。ところで、この句を諺か警句みたいな意味で覚えている人がいる。いや、そう覚えている人のほうが多いかもしれない。「世の中」を社会的環境ととらえ、桜花の咲き散るようなはやさで、社会は変化するものだという具合に……。落語のマクラにも、その意味でよく使われる。ただし、こういうふうに覚えている人は、たいてい原句を間違ってそらんじているのが普通のようだ。「世の中は三日見ぬ間に桜かな」ではなく「世の中は三日見ぬ間桜かな」と、助詞を勝手に入れ替えている。「に」と「の」の入れ替え。なるほど、これでは警句に読めてしまう。無理もないか。たった一文字の違いによる、この激しい落差。地下の作者は泣いているだろう。蓼太(りょうた)は、18世紀の江戸に住んだ俳人。信州出身とも伝えられるが、出自は明らかでない。』(解説より)。

桜は「三日見ぬ間の」ですが、以前「ドッグイヤ」という言葉をよく耳にしました。『ドッグイヤーとは、俗に、IT業界技術進化早さを、成長が人と比べ速いことに例え俗語である。1990後半頃から用いられていた。1年は、人間7年に相当すると言われている。例えば、今までなら1年かかった技術進歩が2ヶ月もあれば可能になっているようなことがIT業界では珍しくなく、成長速いことになぞらえられている。あるいは単に時間流れ速いことを意味する場合もある。後に、ドッグイヤーより輪を掛けて速い人間18倍で成長するネズミなぞらえた「マウスイヤー」という表現登場した』(出典はこちら)。今回は行動変容について。

確かにITの変化には驚かされます。今年からの「5G」は従来4Gの百倍とか、人々が付いて行けないのも合点できますが・・今回「COVID-19」すなわち「コロナ禍」には付いて行かないと命に関わります。人々全て「行動変容:こうどうへんよう」すべき時だと強く感じます。行動変容とは「健康保持・増進のために行動・ライフスタイルを望ましいものに改善すること」の意味です。

「行動変容ステージモデル」に関するページが厚労省のサイトにあります(以下引用)。『行動変容ステージモデルでは、人が行動を変える場合は「無関心期」→「関心期」→「準備期」→「実行期」→「維持期」の5つのステージを通ると考えます。行動変容のステージをひとつでも先に進むには、その人が今どのステージにいるかを把握し、それぞれのステージに合わせた働きかけが必要になります』『行動変容ステージモデルとは、1980年代前半に禁煙の研究から導かれたモデルですが、その後食事や運動をはじめ、いろいろな健康に関する行動について幅広く研究と実践が進められています。行動変容ステージモデルでは、人が行動(生活習慣)を変える場合は、以下の【図】のように「無関心期」→「関心期」→「準備期」→「実行期」→「維持期」の5つのステージを通ると考えます』(引用元)。
図: 行動変容ステージモデル行動変容ステージモデル
この期(ご)に及んでも「無関心期」にいる人は、直ちに今すぐ一足飛びに「準備期」に進むべき!「関心期」の人も躊躇なく「準備期」に!

去る4/1から「健康増進法の一部を改正する法律」がスタートし屋内は原則全面禁煙となりました。先日、今まで駅のホームの端っこにあった喫煙場がなくなっていることに気がつきました、改正を受けての「喫煙場所撤去」なのでしょう。これまでは風向きによって「紫煙」が流れてくることがありましたが、これからは「紫煙皆無」で安心です。お酒は、飲む人以外にはさほど健康被害をもたらしませんが、タバコは違います。コロナウイルスにおいてはその被害たるや甚大です!

画像はRiminiのピザ「Primavera:春」。来年の春には「御花見弁当」を広げたいもの・・個人的希望は今秋に「紅葉弁当」を楽しみたいです・・呉々もご自愛の程!5040





糸井重里氏の「ほぼ日」の今日のダーリンから(4/8付け)

『いよいよ、緊急事態宣言がでた。
 思えば、つくづくとらえにくい災害だ。
 建物が壊れているわけでもないし、
 河川が氾濫しているということでもない。
 線路はそのままだし、そこを列車も走れる。
 こういうとき、立ち返りたいのは
 「できることをしよう」という原則だ。
 「できないことは、できない」のだから、いまはしない。
 だれかの「できかけていること」に不平を言うよりも、
 じぶんの「できることをしよう」を真面目にやる。』

『では、なにをどうすればいいのか、
 一市民として、とっくにわかっているはずだ。
 手をよく洗って清潔を保つ。
 マスクをしてくしゃみやせきの飛沫を飛ばさない。
 換気の悪い密閉空間、たくさんの人のいる密集場所、
 間近で会話をするような密接場面を避ける。
 そして、基本的に外出をしないようにする。
 <ぼくらが止まれば、ウイルスは止まる。>
 ウイルスは、ウイルスだけでは動けない。
 ウイルスの乗り物は、動く人間たちなのだ。』

『これは、ぼくだけの個人的な考えかもしれないが、
 いま「できること」は、そんなにないのだ。
 特別に「じぶんになにができるか」を考える前に、
 「ただの人」の1人として手を洗おう、
 マスクをしよう、動くのを止めようということだ。
 そして、じぶんと、じぶんたちが生き延びる術を、
 なんとか仕事として考えましょう、と思っている。
 今回は、まず、じぶんの身の回りを安全地帯にせよ、だ。』

『なにか、あなたの助けが必要なことがあったら、
 耳を澄ませていれば、きっと知らされると思うのだ。
 まずは、知り合いの食堂の弁当を買うことだとか、
 近所の人のネットの買いものを手伝うであるとか、
 こどもや犬や猫の世話に手を貸すだとか、
 近くの人たちの役に立つことをしよう。
 そして、まずは「大丈夫なじぶん」でいよう。
 感染の大波が鎮まった後に、やることは山積みだから!
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ヒーローは専門家だ。ぼくらは手のかからない人でいよう。』