BBTime 619 ゆ

「豆飯の湯気を大事に食べにけり」大串 章

2023/05/27投稿 お知らせ:本日(6/5昼過ぎ)まで表示不可でした。
 湯気は写っていません・・もう食べられたのでしょう。句の解説には『食べ物の句は、美味そうでなければならない。掲句は、いかにも美味かったろうなと思わせることで成功している。あつあつの「豆飯」を、口を「はふはふ」させながら食べたのだ。たしかに「湯気」もご馳走である。ただし「湯気『も』」ではないから、まさかそう受け取る人はいないと思うが、食料の「大事」を教訓的に言っているのではない。念のため。「大事に」という表現は、作者と「豆飯」との食卓でのつきあい方を述べている。「湯気」を吹き散らすようにして食べるよりも、なるべくそのまんまの「湯気」を口中に入れることのほうに、作者はまっとうな「豆飯」との関係を発見したということだ。「大事に」食べなければ、この美味には届かなかったのだ、と……。もっと言えば、このようにして人は食べ物との深い付き合いをはじめていくのだろう。しかも「大事に」食べる意識が涌くのは、若い間には滅多にないことなので、作者は自分のこのときの食べ方をとても新鮮に感じて、喜んでいる。グリーンピースの緑のように、心が雀躍としている。もとより「大事に」の意識の底には、食料の貴重を知悉している世代の感覚がどうしようもなく動いているけれど、私はむしろあっけらかんと受け止めておきたい。せっかくの、あつあつの「豆飯」なのだ。「湯気」もご馳走ならば、この初夏という季節にタイミングよく作ってくれた人のセンスのよさもご馳走だ。想像的に句の方向を伸ばしていけば、どんどん楽しくなる。それが、この句のご馳走だ。『天風』(1999)所収。(清水哲男)』(出典元)。今回は豆飯の「湯気」ではなく湯気向こうの「ゆ」について。

先日、ラジオから湯道の話が流れてきました。御家元は小山薫堂氏、昔々「シャトー薫堂を飲む会」で御一緒した事があります。小生、高校二年から二年間温泉(鹿児島市)、大学六年間銭湯(小倉)の丸八年間ほぼ毎日「ゆ」に通いました。湯道サイトに投稿欄がありましたので、早速投稿、原稿四篇ご紹介します。

一の湯「湯は幸せ」
 かなり前の晩冬。その年の春にイタリアのワイナリーを巡る予定があり、まさに付け焼き刃イタリア語勉強中でした。当時、日南から大分へ出張の際、大分駅では特急を降りず、ひとつ先の別府駅下車が常。理由はただひとつ「温泉」。駅前の油屋熊八の像というよりオブジェに見送られ徒歩数分で「高等温泉」到着。目当ては半地下のような下にある湯船。その時、幸いにも下の湯は貸し切り。洗った後にひとり湯船に浸る・・それはそれは「幸せ!」。その時、ふと浮かんだイタリア語が「Mi sento felice! ミ セント フェリーチェ!」。思わず貸し切りをいいことに数回叫びました「Mi sento felice!」。ワイナリーでテイスティングの際に感想として使おうと練習中の文章。セントゥに浸りながら反復した「Mi sento felice!」。これぞ体感学習!一発で覚えました。勿論ワイナリーで連発。あぁ湯は幸せ、Mi sento felice!  (こちらもご参照ください)

二の湯「湯で磨く」
  小生がブログを始めたのは1999年のアースデイ(4/22)。当時、ホームページと呼ばれ、制作に際しデザイナー、プロバイダーさらにネットに詳しい人と小生の四人での打ち合わせが必要でした。それぞれの中間地点で会いましょうと人吉に集合。この二軒は、その時の温泉巡りでのお話し。
 人吉は温泉郷。打ち合わせと称してのミーティング、酒宴、宿泊。翌朝、帰路で見つけたのが「うぐいす温泉」。山あいの三月のこと、鶯の声がしていたかは定かではありません。季節柄、名前に惹かれて行ってみると建物は普通、湯船の大きさも普通、おそらく鶯の声は格別なのでしょう。湯につかりふと見ると、湯船に注ぐ大きな蛇口の下に小ぶりの板。近寄ると「イレバ洗うな」とマジックの拙い文字。仕事柄(歯科医師)考えました。利用者が体を洗い頭も洗い湯船に。ホッとしたところで「イレバ洗っとらんかった」と(察するに総入れ歯)。洗い場で、髭を剃り歯を磨いている人を見ることはあります。しかし入れ歯となると・・。せめて洗い場で、ご自分の洗面器の中で磨くならまだしも・・。心地良い湯、きれいな湯で磨きたくなったのでしょうか。
 二軒目。当時、人吉えびの間は高速道路未開通で加久藤峠(かくとうとうげ)ループ橋を利用。人吉からえびのへ向かう国道脇の「のぼり」に目が留まりました。その名も「かくれ里の湯」・・本当かいな?と思いながらもハンドルを切り横道へ。かくれ里への道は、まさに千と千尋に出てくるような道。くねくね行けども「のぼり」が時たま。興味が不安に変わりそうになった時、やっと建物が見えてきました。まさに「かくれ里」。湯の質も上等で「あぁ幸せ」と浸っていると、初老の男性がひとり、いかにも常連という仕草で入ってきました。見るともなしに見てびっくり!木こりか山師か?肌は赤銅色、小柄な体に無駄な肉は全くなく、ムキムキではない筋肉、まさに磨かれた体。仕事によって磨かれたのか、湯によって磨かれたのか。ご本人に理由を聞いても「そんなこと知らん」でしょう。磨こうと思って磨かれるものもあれば、図らずも磨かれるものがある。小生少々恥ずかしくなり、横目で見ながら湯に身を沈めました。男性は湯に映る我が姿を見ているのか見ていないのか、しかし湯は見ている。・・勝手に想像しながら浸っておりました。  (こちらもどうぞ)

三の湯「湯で学ぶ」
  時は昭和。小生、高校二年間大学六年間の計八年、銭湯通いでした。はじめの二年は鹿児島市の温泉、次は北九州市小倉北区の銭湯。
 さて大学入学時に借りた部屋は六畳ひと間、家賃月六千円、洗面トイレは共同、もちろん風呂は無く銭湯へ。近所の清水湯(きよみずゆ)は午後四時から。まずは、これに驚きました。鹿児島で通っていた温泉は朝6時から夜11時までの営業。この時、初めて「銭湯」と「温泉」の違いを身を持って知りました。温泉は地下から湧き出ますゆえ、始終湯船は湯で満たされています。銭湯はさにあらず、水を沸かして湯にして湯船に張る。ゆえに午後四時からの営業、と勝手に理解納得した次第。
 湯へ通う中で様々なことを知りました。銭湯によっては、湯に入れる薬があり、常連さんが番台でカップに入ったその怪しげな粉薬を貰い受け湯船に溶かすこと。家族で来た男性が「かあちゃん、シャンプー!」と声をかけると仕切り壁の上を通過してシャンプーボトルが飛んでくること。中でも一番学んだのは「刺青:イレズミ」。時が時、場所が場所だったのかも知れません。結構、お客さんの背や腕に彫ってありました。挨拶せずとも互いに常連、背中を見ただけで人物特定ができましたし、湯煙の中で顔はぼんやりでも声でわかりました。歳の頃、三十半ばでしょうか、もちろん男性です。刺青完成までの順序を知りました。
 ある日突然、白い肌に青黒い線が!日を追うごとに描かれる輪郭は複雑になっていきます。どうやら般若の面のよう、輪郭完成でひと休み。皮膚への侵襲を考慮して日を置くのでしょう。数週間経つと色が加わります。順序は定かではありません、青が入り緑が加わり赤が・・。部位ごとに色が入るのではなく、色別に足されていったように覚えています。色が入るたびに「肌休み」があり、その方の場合、完成まで数ヶ月を要したと記憶しています。完成した般若は、角度によっては少しニタリ顔のようにも見えるし、入浴時の肌の色でピンク般若であったり。まさに裸の付き合いゆえの学びでした。
 残念ながら「清水湯」は卒後数年経った頃、地上げ騒動に巻き込まれ廃業されたとか。地上げではなく湯が上がって温泉が出れば、朝から湯に浸かることができたのに!とその報を聞いて思いました、残念です。番台に座る二人のおばさんの笑顔と「いらっしゃい」の声は今もはっきりと覚えております。

四の湯「湯で清める」
 いつの頃からか、日曜朝は禅寺で坐禅を組み、道すがら温泉に寄るのが常となった。坐禅の後の入浴は気のせいか妙に心地良い。なにゆえと考えるに、高校生時の銭湯通いを思い出した。昭和の唄「神田川」よろしく洗面器にタオルや石鹸を入れ銭湯へ。思った、毎日のように体を洗いに来る。実は己の体を洗っているつもりで、本当はタオルなど湯道具をキレイに保つための行為ではないのか?湯の中には湯の神様がいらっしゃって、湯道具を清潔にするために、人間に入浴なる行為をさせているのではないだろうか。その証拠に、下宿に着いて干すタオルはいつもキレイだった。
 利休百首に「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてて飲むばかりなる事と知るべし」とある。「飲むばかり」と言いつつもそうではない。準備にて茶碗などを洗い、キレイなはずなのに点前の「茶筅通し」にて茶碗を洗う。先生の言葉で合点した。茶筅通しは「洗う」のではなく「清める」のである。入浴も同じではなかろうか。洗い場で体の「垢(あか)」を落とし、湯船で湯に浸りながら心の「垢」を落とす。湯で体を洗い、湯で心を清める。坐禅後の湯が心地良い訳もこれで腑に落ちる。
 シャワー派ではなく湯船派である。湯の神様に感謝しつつ湯に身を沈める。煩悩が多いゆえかも知れぬ。そんな小生にとって世の流れとはいえ、心の垢を洗い清めてくれる銭湯が減っていくのは寂しい限り。入浴とはただ湯を沸かし身を洗うばかりではない事と知るべし

清める・・神社などの手水場(ちょうずば)では、手を洗うというより「清める」。敬意を表するために「清める」。歯磨きは「洗う」がメインですが、お気持ちの中に「清める」を幾分かでも持っていただければと思います。皆さま、ご歯愛の程。

BBTime 618 ゴックン

「くちびるに夏欲しければ新茶飲む」小迫倫子

2023/05/13投稿
五月も半ばと言うのに朝ひんやりの鹿児島です。句の解説は『載せようか、載せまいか。何日か思い悩む句がある。偉そうにしているわけではないけれど、私なりの評価が定まらないからだ。この句も、そのひとつ。若々しく新しい感覚ではある。だが、どこか私にはいぶかしい。それは「新茶飲む」という表現のせいだ。これまでの句では、茶は「汲む」ものであり「喫する」ものでありと、「飲む」というストレートな言い方はゼロに近かった。茶には「飲む」だけでは伝わらない風合いがあるので、多くの俳人はあえて婉曲的な表現を選んできたのだろう。そんななかで、作者はずばり「飲む」と詠んでいる。ミルクやジュースと同じ「飲み方」をしている。そういうふうに読める。おそらくは、このあたりの表現法が今後の俳句の大問題になるはずで、当サイトの読者はどうお考えになるだろうか。「喫茶」という言葉が持つ色気を追放したときに、どんな新しい風が吹いてくるのか。私にも、大いに興味がある。その意味で、この作品は重要だと考え紹介することにした。小迫さんは1969年生まれ。『21世紀俳句ガイダンス』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)』(出典)。茶は「汲む」であって「飲む」ではない?今回は飲む、嚥下についてのお話し。ちなみに前回の句は「汲む」。

ご存じ、画像は燕(ツバメ)。燕に口が付いて「嚥」、検索すると『ツバメの子が口を大きく開けて親鳥からエサをもらい、 飲みこむ様子※から作られました。口へんに燕(つばめ)と 書いて「飲みこむ」という意味の動詞になったのです。※ツバメは人間に近い所で巣を作るため、給餌の様子がよく観察できました。 また、嚥下(えんげ)は英語でswallowと言います。 語源は違いますが、名詞の「ツバメ」と、動詞の「飲みこむ」と して使われています』(出典元)。と言うことは、ヤクルトスワローズのスワローは燕であり、動詞で「グッと飲む、飲み込む」です。ヤクルトスワローズの隠された意味は、ひょっとすると「ヤクルト飲もう!ヤクルト愛飲者!」かも。燕だけに不思議なゴエン!

こちら(日医工株式会社)に、非常にわかりやすい嚥下の説明が載っています。引用しながら飲み込んでいきましょう(進めていきます)。はじめに摂食嚥下のメカニズムについて。『摂食嚥下とは食べ物を認識してから、口に取り込み、咀嚼し、咽頭・食道を経て胃へ送り込む一連の機能を指します。摂食嚥下は、認知期(先行期)、準備期、口腔期、咽頭期、食道期の5つのステージにわかれており、このうち、口腔期から食道期までの、いわゆる「飲み込む」動作が嚥下に該当します』(引用元)。

1)認知期:認知期(先行期)は、食べ物を認知し、口の中に取り込むまでの段階です。食欲を感じ、唾液の分泌、消化管の運動を促すなどにつながる大切な段階と考えられています(引用元)。
ポイント(あくまでも私見です)・・レストランを例に。まずは「メニューを読む」可能ならば小声でいいので音読する。産地の表示があれば地図をイメージする。疑問があれば、質問する。オーダーが済んで料理が目の前に来た時、お店の人の説明に耳を傾ける。食前酒もベター。鰻屋、カレー屋、ケーキ屋などの匂いや香りも有効な準備です。
施設(グループホームなど)であれば、眼・耳・鼻などに問題のある方もいらっしゃるでしょう。ミキサー食の場合もあります。例えば、その食事の材料を食卓に並べる。トマト、カボチャなど色鮮やかな野菜や果物(模型でも可)を置くことなども効果的かも。

2)準備期:準備期は、咀嚼・食塊が形成される段階です。口に取り込まれた食べ物は舌と歯を使って咀嚼され、更に、唾液と混合されることで嚥下しやすい形態、つまり食塊に整えられます(引用元)。
ポイント:もちろん歯に問題があれば上手く噛めません。義歯に問題(痛みやガタつき)があっても良くありません。また、唾液が少ない、口腔内の水気が足りないもの問題です。乾杯で直前に口の中を潤す、口の動きの準備するなど必要な場合もあるでしょう。

3)口腔期:口腔期は、舌が口蓋(前歯の裏)にしっかり押し付けられ、食塊を後方の咽頭に送り込む段階です。味覚や触覚、温痛覚などが保たれていることも円滑に口腔期の運動を行うためには重要です(引用元)。

4)咽頭期:咽頭期は嚥下反射そのものであり、食べ物を咽頭から食道へ運ぶ段階です。
咽頭通過は約0.5秒以内と一瞬ですが、摂食嚥下のメカニズムの中でも「誤嚥」が起きる段階であり、まさに嚥下のポイントといえます(引用元)。

5)食道期:食道期は、食道へ送り込まれた食塊が蠕動運動によって胃へ運ばれる段階です。食道上部の上食道括約筋が咽頭への逆流を防ぎ、食道下部の下食道括約筋が胃食道逆流を防ぎます(引用元)。
引用元には、非常にわかりやすい動画があります。ぜひご覧ください。毎日毎食、当たり前にしていること・・嚥下。真っ暗闇で何か飲み物を渡されても不安です、口を開けたまま飲み込むのは至難の業。やはり健康は有難いものです。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 617 丁寧に安寧に

「丁寧に暮らす日もあり新茶汲む」奥田友子

2023/05/04投稿
先日 5/2は八十八夜、鹿児島は茶所でもあります。句の解説は『目にとめて、すぐにどきりとした。私には「丁寧に暮らす」という意識がほとんどない。大げさではなく、生まれてこのかた、大半の日々を行き当たりばったりに暮らしてきた。貧乏性に近いと思うのだが、常に何かに追いまくられている感じで暮らしており、生活や人生に落ち着きというものがない。友人などには反対に、少なくとも見かけは、何事にも丁寧につきあい、悠然としている奴がいて、どうすればあんなふうに暮らせるのかと、いつも羨しく思ってきた。そんなわけで、句の「暮らす日も」の「も」に若干救われはするけれど、しかしこれは謙遜でもありそうだ。新茶の馥郁たる香りや味を本当に賞味するには、精神的にも身体的にもよほどの強靭さとゆとりがなければ適わない。そういうことなんだろうなあ。きっと、そうなんだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)』(引用元)。今回は先月4/25に亡くなった、ハリー・ベラフォンテ氏について。おやつ堂テーマソング「Banana Boat」を大ヒットさせた方です。

ご冥福をお祈りいたします・・合掌。記事には『世界的シンガー、俳優、活動家として知られるハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)が2023年4月25日、NYマンハッタンのアッパー・ウエスト・サイドの自宅で96歳で逝去した。彼の長年のスポークスマンであるケン・サンシャインは、彼の死因について、うっ血性心不全だったと伝えている』(出典元)。

『ニューヨーク・タイムズ紙はハリー・ベラフォンテについて、「1950年代、人種差別が蔓延っていた時代に、彼がショービジネス界の上流階級に上り詰めたことは歴史的なことだった。一方で、彼が最も重視していたのは公民権であった」と記しており、彼の功績について、Varietyは、「彼の音楽がアメリカにカリプソ・ブームを巻き起こし、アフリカ系アメリカ人のパフォーマーに新しい道を切り開いた」と称えている。
レコーディング・アーティスト、俳優のみならず、人道主義者としても比類なき功績を残したハリー・ベラフォンテは、アメリカの公民権運動における先導者の一人として率直な意見を述べ、マーティン・ルーサー・キング牧師に腹心の友とみなされた人物である』(出典元)。

『1927年3月1日、ニューヨークのハーレムで、ジャマイカ出身の両親のもとに生まれたハリー・ベラフォンテは、祖母の1人と幼少期を過ごすためにジャマイカに移り住み、その後ニューヨークに戻った。1940年代、演劇への情熱を燃やしていた彼は、クラブで歌手として働きながら稼いだバイト代で、マーロン・ブランド、トニー・カーティス、ウォルター・マッソーらが在籍していたニュースクール・オブ・ソーシャル・リサーチのワークショップに通い演技を学んだ。
1949年、ルースト・レコードからポップ・シンガーとしてデビューし、音楽キャリアをスタートさせた彼は、その後、RCAビクターと契約し、1952年にリリースした 「Scarlet Ribbons (For Her Hair)」で自身初のチャート入りを果たす』(出典元)。

『1954年にRCAからリリースされたデビュー・アルバム『Mark Twain’ and Other Favorites』にも彼の音楽的進化は投影されており、その後も「Jamaica Farewell」、「Mary’s Boy Child」といったシングルで全米TOP20入りを果たした彼は、1956年にリリースした3作目のスタジオ・アルバム『Calypso』からのシングル「Day-O (The Banana Boat Song)」で全米チャート5位を記録するなどキャリア最大の成功を収める』(出典元)。

『また彼は、50年代から60年代にかけて、音楽活動と俳優業の傍ら、公民権運動に熱心にも取り組んでいた。反共産主義に基づく社会運動“マッカーシズム”時代にブラックリストに載った彼は、1963年にはアラバマ州バーミングハムでキング牧師を刑務所から救済し、同年のワシントン大行進でも重要な役割を担った。また、後にHIV/AIDS撲滅のスポークスマンとしても多大な貢献を果たしている』(出典元)。

『1985年、ハリー・ベラフォンテがアフリカの飢饉救済のための資金を集めるために構想したチャリティ・ソング「We Are The World」は全世界で数百万枚の売り上げ、グラミー賞に輝いた。「USAフォー・アフリカ」とクレジットされたこのシングルには、彼自身もコーラスで参加している』(出典元)。

『同じく2011年のmsn.comのインタビューの中で、ベラフォンテはこう明言していた。
「人生のエンジンにおいて、最も重要な駆動力は希望というピストンです。とりわけ、あなたに与えられた機会が限られている場合、信念と希望を持たなければなりません。私は常に、自分が存在している現在の時間と、自分をもたらした過去の時間を比較しています。人類の歴史において、奴隷制度の時代ほど暗い瞬間ないように思えますが、私たちはそれを生き抜いてきたのではないでしょうか?私はフレデリック・ダグラス(19世紀の社会改革主義者)や、歴史に記録されたさまざまな紛争に希望を見出した人々の言葉を頼りに、どこに進むべきかを感じ取っているのです」』(出典元)。

「希望というピストン」・・力強い言葉です。茶化すつもりはありません、御言葉を引用させて頂きます。「予防というピストン」・・ハリー氏は歌や演技で安寧(世の中が静かで事件が起こらないこと)を願い行動されました。予防というピストン・・しっかり丁寧に噛むこと・丁寧に磨くことが口の健康維持につながります。口の健康は心身の健康につながります。丁寧に噛むことはこちらを、丁寧に磨くことはここを、ご参照ください。では皆様、御自愛のほど御歯愛のほど。


BBTime 616 0.5次予防

「春なれや歩け歩けと歩き神」山田みづえ

2023/05/01投稿
葉桜の下を歩け歩けと行きたいところですが、朝晩結構寒い晩春です。句の解説は『春や春。何となく家にとどまっていられない気持ちになって、さしたる目的もないのに、外出することになる。やはり、春だからだろうか(「春なれや」)。しかも、しきりに「歩け歩け」と「歩き神」が促してくるのである。私も、そうだ。これからのほど良く暖かい季節には、休日の原稿書きの仕事がたまっていても、ついつい「歩き神」の命じるままに、少し離れた公園などに足が向いてしまう。帰宅してからしまったと思っても、もう遅い。ところで、この神様はそんなにポピュラーではないと思うが、平安末期の歌謡集『梁塵秘抄』に出てくる。「隣の一子が祀る神は 頭の縮れ髪ます髪額髪 指の先なる拙神(てづつがみ) 足の裏なる歩き神」。隣家の娘をからかった歌と解釈されており、髪はちぢれて手先は不器用、おまけにやたらとそこらをほっつき歩くというのだから、当時の女性としてはひんしゅく者だった。しかし、それもこれもが娘に宿った神様のせいだよと歌っているところに、救いはある。すなわち「歩き神」とは、人間を無目的にほっつき歩かせる神というわけで、決して健康のためにウォーキングを奨励するような真面目な神様ではない。しかも足の裏に宿っているというのだから、取りつかれた人はたまったものではないだろう。足が、勝手に動くのだからだ。このことを踏まえて、もう一度掲句に戻れば、何もかもをこのどうしようもない神様のせいにして、「ま、いいか」と歩いている作者の楽しい心持ちがよく伝わってくる。『木語』所収。(清水哲男)』(引用元)。「歩き神」なる神様がいらっしゃるとは・・。先日「ゼロ次予防」の記事を目にしました。さてゼロ次予防とは・・。

画像はこちらから借用。記事「予防医学の新しいフェーズ「ゼロ次予防」とは 千葉大学が産学で進める健康まちづくり「WACo」」によると・・『疾患の予防については、健康づくり・保健指導などの1次予防、健康診断などの早期発見・早期介入による2次予防、治療・リハビリなどの3次予防があります。最近ではさらに一歩進んで、疾患の原因となる生活習慣に影響を及ぼす社会環境や都市空間や構造などの物理環境から整えようという考え方が広がりつつあります。これが『ゼロ次予防』です。WACoではその名のとおり、暮らしているだけで健康で(Well)活動的(Active)になるコミュニティー(Community)づくりを目指しています』(引用元)。

シンプルに考えるならば、冒頭の句に出てくる「歩き神」も一緒に住んでいる家づくり、街づくり、社会にしようと理解できます。手前味噌ですが記事を読んで「おやつ堂」もこのゼロ次予防に近いのではないかと思いました。ゼロ次と言えないにしても「0.5次予防」にはなるのではないかと。

おやつ堂開店して2ヶ月経ちました。今まで診療室の中で「後手後手治療より先手先手予防」とお経のように唱えていた割には、患者さん(生活者)に寄り添っていなかったんだと痛感します。上の図に当てはめるなら「2.5」くらいの位置にいたのでしょう。2.5から0.5へシフトするには「壁がふたつ」ありますが、精進します!おやつ堂は「3じ」ですが「0.5」目指して美味しい物を探します。目指すは「スイーツセレクトショップ」!ではでは、ではまた御歯愛のほど、今日もおやつ堂ですか。今回の選曲は「歩き神」よりも「春愁」に合わせて・・。

余談:ふと手元を見て合点しました「歩き神」はいらっしゃる!小生の「歩き神」はアップルウオッチ、いつも腕にまとわりついて「歩け歩け」と。さすが神様、針を進めるのみならず歩も進める!

BBTime 615 明日は我が身?

「行く春やみんな知らない人ばかり」辻貨物船

2023/04/22 Earth Day 投稿
本日4/22 は拙ブログ「connote:カノート」誕生日、今年24歳です(1999/04/22開始)。句の解説は『季節の春はもとより、人間の春も短い。詩人は「行く春」の季節のなかで、みずからの青春を追想しているように思える。林芙美子は「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」と、みずからの青春を「花」に擬したが、これは女性に特有の感覚だろう。女性に特有の感覚だからこそ、男に愛唱される一行となった。男の感覚には、存外まわりくどいところがある。ぴしゃりと「花」に行き着くことなどは、めったにない。根っこのところで、いつも行き暮れている。茫洋とし、かつ茫然としている。常識では、この様子を「シャイ」と言ったりするわけだが、正体を割ってみれば、行き暮れているだけのこと。ときに男が「蛮勇」を振るうのも、そのせいである。男の詩人にとっての詩は、いわば「蛮勇」の振るい場所なのだ。辻の最後の詩集のタイトルは『萌えいずる若葉に対峙して』と名づけられており、明確に「蛮勇」が露出している。ひるがえって、彼が真剣に俳句と遊んだ理由は、そこが必ずしも「蛮勇」を要求しない場所だったからだ。行き暮れたまま、そのままに内心を吐露することができたからだと思う。句の「知らない人」とは、もちろんアカの他人も含んでいるが、男の感覚にとって重要なのは、このなかには親も兄弟も、連れ合いも子供も、友人知己もが「みんな」含まれているところだ。「蛮勇」を振るわなくとも、俳句ではそういうことを「行き暮れ」たままに言うことができる。今年の春も、もう行ってしまう。『貨物船句集』(2000・井川博年編・私家版)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は、前回取り上げた「認知症」に関連したお話。

色々な施設へ訪問診療に行きます。移動の途中で考えます・・認知症にならないためには何をすべきか?前回ご紹介したポスターには『「もう、災害のひとつだと思って受け入れています」 ある人は、認知症をそう語りました。 予防策もない。根本的な治療策もない。 発症したら向き合っていくしかない。 すべての人にとって、出口のない不安の闇。 それが、いまの認知症かもしれません。』(引用元)。揚げ足を取るつもりはありませんが、「発症したら向き合っていくしかない」のであれば、発症しないようにするか、発症をできるだけ遅くするかでしょう。医療に携わる者として、移動中の車内で考えます。

ネット検索で見つけました(後半は広告ですが)。「認知症を引き寄せる危険な三つの生活習慣とは」のタイトル記事。その三つの危険な習慣の第一がなんと「歯の手入れをあまりしない」です。「常に体の中で炎症が起きていたり、脳の成長に欠かせない栄養が足りなかったり、日常的に毒となるものを摂取していたりする人は、どんどん脳がアミロイドβを作ってしまって、やがて認知症を発症してしまう可能性が高い、ということです。」(引用元)。

再度おさらいします。
1)口腔内プラークが常に多いと歯周病が悪化。
2)歯周病菌が血液によって脳内に運ばれます。
3)歯周病菌を攻撃するために脳内にアミロイドβが現れ蓄積します。
4)アミロイドβプラークがアルツハイマー病発症に繋がります。
詳しくは「BBtime 603 プラーク三種」に書いておりますので是非。
また「BBTime 583 カムカムポンプ」もどうぞ。

具体的にすることは「ハミガキを今まで以上にする」「高価なハミガキ剤を使う」・・ではありません。ご自分では、どんなに頑張っても日々100%磨くのは不可能です。最も簡単で最も効果的な方法は「歯は磨いても、もらうもの」の実践です。かかりつけ歯科のある方は「月に一度磨いてください」と希望してください。担当者が「三ヶ月に一度でいいですよ」「半年に一回で十分です」のようなことを言っても「月に一度」を申し出てみてください。それでも「今のままで十分です(不要です)」と言われたら、躊躇せず歯科医院を変えましょう。認知症回避のひとつの方法は「慢性炎症軽減」。口の中の炎症は、他の部位に比べて確実に減らすことができます。決して認知症は「明日は我が身」ではないのです。ではでは皆様、今日もおやつ堂ですか、ご歯愛のほど。

BBTime 610 無糖飲料

「ごはんつぶよく嚙んでゐて桜咲く」桂 信子

2023/03/26投稿
本「食の一句」には次のようにあります・・『俳句の特徴として「因果を求めない」がある。たとえば「ガムを買ったら雷が鳴った」など、それが原因ではないのにそうなったかのように詠むことである。掲出句も、<ごはんつぶ>を嚙んでいたから桜が咲いたわけではない。しかし、たとえば「ああ、丁寧に生きているんだな。だから桜が咲くんだな」という鑑賞も可能になってくるのである。ただ、そのあたりの「理屈なさ」が、他の分野の人に俳句が理解されにくい原因なのかもしれない。』(55頁より)。・・因果を求めないと言われても、やはり理解しずらいのは小生だけでしょうか?因果をこじつける小生としてBBtime 610は「無糖:ムトー」について。

記事を見つけました。タイトル「「疲れたときに甘いもの」の習慣が招く数々の不調糖質依存は身体を老化させる元凶のひとつ」の記事の拾い読み。
1)無意識に陥ってしまう糖質中毒・・「日々の食事・栄養の改善の最初のステップとして取り組んでほしいのが、「糖質中毒」からの脱却です。それに加えて、カフェインの過剰摂取を改善することです。・・砂糖が入った甘いコーヒー、紅茶類、コーラやエナジードリンクを飲むことを毎日の習慣としている人は、これらをやめることから始めましょう。カフェインも糖質も依存性があり、毎日たくさん飲んでいると、もっと飲みたくなる性質があります。」(記事より)。「甘いジュースやカフェイン入りドリンクの代わりに何を飲むと良いかというと、ずばり水です。コンビニでペットボトル入りのお茶を買う習慣がある人は、それを水に変えることから始めましょう。コーラやエナジードリンクなどの刺激が欲しい人は炭酸水に置き換えます。」

2)「甘いものを食べると疲れがとれる」はウソ・・「疲れているけど、もうひと頑張りが必要なときに、甘いものを摂るという人は多いでしょう。しかし、たまにならまだしも、疲れたときに甘いものに手を伸ばすことが習慣になっているのは、身体にも心にも良くありません。・・なぜなら、甘いものを食べると一瞬元気になったように感じますが、そのあとで「もっと疲れる」状態になってしまうからです。これこそまさに「糖質中毒」、糖質への依存です。」(記事より)。

3)「疲れたら運動」に習慣を切り替える・・「会議やデスクワークでの疲れは肉体が消耗している疲れではなく、身体を動かさないことにより血流が悪くなって身体が不活性になるため起こる疲労です。会議で疲れたときには、軽い運動をして身体をほぐすほうがよっぽど疲れがとれます。・・おなかが空いて何か間食するとしたら、コンビニで買えるものでは、ゆで卵、サラダチキン、チーズ、素焼きのナッツなど高たんぱくで低糖質なものがオススメです。」「糖質依存は身体を老化させる元凶のひとつです。「疲れたら甘いもの」ではなく「疲れたら運動」に習慣を切り替えましょう。疲れたときに甘いものを食べても、根本的に疲れがとれて回復することはないのです。」(記事より)。

正直、疲れた時に「甘いモノ」は効果ありと思っていました。記事を読んで考え方修正します。しかしながら多くの場合、ヒトの体が欲するものと、心が欲するものは一致しません。ヒトはまんまと自分自身の脳に騙されてしまいます。まさに体内脳内においては「ひとりオレオレ詐欺」が日常茶飯事。冒頭に「因果を求めない」とありましたが、意外にも因果応報が体内にはあるように思えます。さて、今回の「無糖」とBBtime 610は無関係ではありません。もう、お分かりですよね!我田引水ですが「おやつ堂」の飲み物は、そんなバナナジュース・コーヒー・抹茶・ワイン、と全て無糖(無砂糖)です。お待ちしております。では皆様、ご歯愛のほど、今日もおやつ堂ですか?

おまけ:BBTime 610で、ムトウでした!

BBTime 601 おいシあわせ

「よく食べてよく寝て人日となりぬ」青山丈

2023/01/05本年初投稿
今年もよろしくです!今正月は元日二日は旅、三日四日はゆったりでした。句の解説は『人日(じんじつ:1/7)の起源は、古代中国の占の書からきており、一日から六日までは家畜、七日は人を占い、当日が晴なら吉、雨なら凶とされた。江戸時代では人日は公式行事となって、七草粥を食べて邪気を祓い無病息災を祈年する祝日とされた。正月の美食で疲れた胃を休める効果もあり、現在でも七草粥は正月行事の締めくくりとして風習に残る。掲句のもうはや七日と思う感慨には、ご馳走を重ね寝正月を決め込んだのちの満ち足りた心持ちとともに、明日から始まる日常のせわしさが懐かしいような恋しいような気分も含んでいる。それは浦島太郎がおもしろおかしく竜宮で過ごした日々を捨てて故郷に帰りたくなった気持ちにも似て、安穏が幸せとは限らないという人間の面白さでもある。『千住と云ふ所にて』(2013)所収。(土肥あき子)』(解説より)。今年初投稿は「おいしい」と「しあわせ」の関係について。

奈良「くるみの木」のランチ。庭先で見つけたのが冒頭画像『「おいしい」だから、しあわせ。』・・同感、共感、痛感です。これを踏まえて今回のタイトル「おいシあわせ」喜。喜びに優劣はありませんが、この喜びは極上です。さらに阿川佐和子著「残るは食欲」も合わせるなら「おいシあわせ」=老い+美味しい+幸せ。高齢者のみならず老若男女にとって「美味しい」は幸せ。

言わずもがな「おいシあわせ」を支えるのが健康な口・歯です。本年は兎歳、兎と聞くと「待ちぼうけ」を想起します。以前「株を守る:くいぜをまもる」で書いております。拙文に「歯科医師は「待ちぼうけ」の農夫と同じではないのか?診療所の中にいて「ムシ歯ができました」「歯が痛いです」「・・」などの困っている人を待っています。他の病気ならいざ知らず、ムシ歯はほぼ完全に回避できる唯一の病気です。なぜ切株を撤去しないのか?撤去できないのなら冒頭の画像のように立て札を立てないのか?・・いまだに「転げた兔」を待っているような気がするのです(自戒をこめて)。来年夏を目標に「切株撤去」すべくシステムをすたとしようと画策中です」(2021/10/20投稿)。その画策が「おやつ堂」として来月始動します!「おいシあわせ」を維持すべく、皆様の歯を守る、ムシ歯予防カフェです。逐次このブログでお知らせします。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

追記:節句について。1/7人日(じんじつ)、3/3桃の節句、5/5端午の節句、7/7七夕、9/9重陽の節句。11/11はないの?ある人の答え「一から十までで考える、十一は考えない」とのことでした。

BBTime 598 敬意

「福助の頭は空つぽや十二月」小泉八重子

2022/12/20投稿 12/25追加
先日初冠雪(12/18)翌朝のお姿(桜島)です。句の解説は『福助人形。「福助足袋」の広告で有名になったキャラクターだが、元来は江戸期より幸福招来の縁起ものとして、水商売の店などに飾られていた。句では、師走の正月用意の一つとしての足袋購入が意識されており、水商売のイメージはないと思われる。それにしても「福助」の頭の中が「からつぽ」とは、意表をついた発想だ。私など、一度もそんなことを思ったこともない。でも、言われてみると、なるほど「からつぽ」みたいに見えてくるから妙だ。頭が大きいので、なおさらである。もしも「福助」と話す機会があったとしても、どんな話をしたらよいのか、見当もつかない。そんな感じがしてくる。とにかく不思議なセンスで書かれた句ではあるが、 十二月とのマッチングが愉快だ。ちなみに、天下に「福助」キャラクターを有名にしたのは、大阪の川柳作家であった広告文案家の岸本水府である。この人は後に「グリコ」でも活躍し、「コドモハカゼノコ グリコノコ」「オザウニイハヘ グリコモイハヘ(お雑煮祝え、グリコも祝え)」などのコピー(豆文)を書いている』(解説より抜粋)。解説文中に「正月用意の一つとしての足袋購入」とあります。昭和生まれの小生のみならず多くの日本人にとって「正月」には、どこかしらキリッとした雰囲気を感じます、初詣しかり。根底にあるのは「敬意」かもと思います。新年への敬意、昨年への感謝、家族へご自身へ・・。今回は「敬意:リスペクト」についてのお話。

12/18のほぼ日「今日のダーリン」です。
『・だれにも、
 バカにされていない。
 なめられていない。
 蔑まれていない。

 そしてできることなら、
 だれかに、
 思われている。
 大事にされている。
 よろこばれている。

 たぶん、敬意というのは、
 こういう関係のことだろうけれど、
 とてもかんたんそうで、
 よくよく考えるとかんたんじゃないなぁ。』

『あんがい人は、人をバカにする。
 わりと人は、人をなめる。
 ときに人は、人を蔑んだりもする。
 そしてなかなか、だれかのことを
 思ったり、大事にしたり、
 よろこんだりもしないものだ。

 しかし、しかし。
 その逆のことだってよくある。

 人をバカにしない、人をなめない、
 人を蔑まない。
 それをしている人だって、いっぱいいる。
 そして、そういう人が、
 だれかのことを思ったり、
 だれかを大事にしたり、
 だれかによろこんだりしている。』

『かんたんそうだけど、
 かんたんじゃないけど、
 ないことじゃないし、
 たくさんあるようにも思う。
 じぶんが、そういうふうでいようとしたら、
 あんがいできることのようにも思える。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
最近、時間のこと、いのちのこと、敬意のことをよく考える。』
ほぼ日「今日のダーリン」12/18より

12/19昼のお姿。
人をなめない、己をなめない、心をなめない、体をなめない、歯をなめない。皆様、残り十日ほど、ご自愛の程ご歯愛の程。

訂正:歯だけは舐めて(lick)もいいです、よいお歳を。年内あと2本アップします(予定・希望)。
追加:いつ頃からか、不思議なことにクリスマスにはケンタッキーとなりました。「舐める」について「ツメが甘い」を書いております、こちらもどうぞ。

BBTime 597 寿命延長

「流れ行く大根の葉の早さかな」高浜虚子

2022/12/13投稿 12/17追加
桜島大根です。気がつけば師走もなかば、今年も残り二週間強となりました。この時期になると読み返す句です。解説には『これぞ、俳句。中学校の教室で、そう習った。習ったとき、我が家は生活用水として近所の小川を使っていたので、実感として理解はできた。が、一方ではあまりにも当たり前すぎて、句のよさはわからなかった。よさは、流れていく大根の葉だけを詠むことで、周辺の情景を彷彿させるところだろう。昭和三年(1928)の九品仏吟行で得た句というが、このような情景はどこかの地に特有なものではなく、全国的に普通に見られた。すなわち、往時の多くの日本人には、思い当たる情景だった。どのような表現でもそうだけれど、とくに短い俳句では、このように普遍性の高い生活環境や生活条件に下駄をあずけざるをえないところがある。言外の意味を、普遍性ないしは常識性に依存するのだ。そんなことを考えると、俳句の寿命は短い。世の中が変わると、昔の句は滅びてしまう。でも、私はそれでよしと思う。永遠の名作を望むよりも、束の間の命を盛んに燃やしたほうが、潔くてよろしい。おそらく、現代の若者には、この句の味は本当にはわかるまい。あまりにも、日常とは遠い世界の「大根の葉」であり、その「流れ行く早さ」であるからだ。あまりにも、当たり前の事象ではないからだ。まだ教科書に載っているかどうかは知らないが、載っていたとしても、教師には教えようがないだろう。俳句は、読み捨て。教えるとすれば、そういうことしかない。揚句に共感できる人も、みな同じ思いだろう。くどいようだが、それでよいのである。この句は、もはや「これぞ、俳句」のサンプルではなくなりかけてきたということ。(清水哲男)』(解説より)。解説に「俳句の寿命は短い」とあります。今回は寿命についてのお話。

先日(12/11)の朝日新聞「折々のことば」より。言い得て妙。英単語「deadline:デッドライン」は期限、〆切ですが、まさに寿命はデッド(死んだ、切れた)ライン。期限が決まっているのであれば、無駄を減らせば有効な時間(健康寿命)は結果的に伸びます。何が無駄であるかは人それぞれですが・・。

浪人は無駄ではないと思いますが、万人にとっての無駄は治療に要する時間です。病気にならなければ治療時間はゼロ。治療時間ゼロに必要なことは言わずもがな「予防」であり、病気の中でほぼ完全に予防できる病気が「ムシ歯」です。寿命の延長、歯の命を伸ばすためには歯磨き。ただし、ご自分のセルフケアだけでは足りません、合わせてプロケアも受けてください。少しでも歯の寿命延長の助けになればと、小生のセルフケアグッズをご紹介します。

まず電動歯ブラシ。ブラウンのiOシリーズ、価格は四万円前後。以前の電動歯ブラシに比べて確かに汚れは落ちるとは思いますが、CMほどの差は感じません。振動で歯磨き時間を教えてくれるのは良いかも。以前からの1万円前後でも悪くはないでしょう。

手動ブラシは「curaprox:クラプロックス」がイチオシ。行きつけの歯科医院の衛生士さんが教えてくれました。使用してみて、1)色がカラフル:色使い、カラーコーディネートが秀逸。このため歯ブラシの存在感が大きく、ブラシが「歯を磨こうよ」と言わんばかり!2)カラーバリエーションが豊富:好きな色を選ぶことで「私の歯ブラシ」という意識を強く持てる。2本使い、3本使いが可能(洗面、寝室、デスクなど)。3)ブラシ部分:見た目は日本人サイズには大きく感じるが、使ってみると歯を包み込むような磨きを実感でき、汚れが落ちる感覚あり、大きさは問題なし。4)ハンドル:八角形のハンドルがペングリップ(鉛筆握り)、パームグリップ(グゥ握り)の両方に心地良い。5)ネック:ハンドルからブラシ部への角度のために、平面に置いてもブラシ部が宙に浮き安心。6)SWISS MADE:今時珍しいスイス製。使用せずとも見ただけで信頼できる・・というのが小生の感想です。

これはウエルテックの「コンクールF」。マウスウオッシュですが、歯磨き直前に数滴口に入れ、舌で口全体(歯全体)に行き渡らせます。もしくは歯ブラシに数滴垂らします。手動でも電動歯ブラシでも同様に。歯磨き終了時はうがいせずに吐き出すだけ。歯茎から出血する方には特に勧めます。数日で出血が無くなること請け合い、これイチオシ!

液体よりもペーストがお好みの方にはコレ「ライオンのSP-T」1本1,300円位です。これもコンクールF同様、最後はうがいせずに吐き出すだけがよろしいかと。

歯間ブラシはGC(ジーシー)のルシェロが使いやすいです。先(ブラシ部)のみ交換可能で、角度やハンドルの形もなかなかよろし。

デンタルフロス(糸ようじ)はこれ、ライオンのウルトラフロス。これ1本、いつもポケットに入れてます。

最後に、プロケアもお忘れなく。是非、かかりつけ行きつけの歯科医院を持ってください。限られた人生の中の健康寿命を伸ばすために、口の大掃除もお忘れなく。老婆心ながら言い添えます。歯は人生を味わうためのもの。ヒトも生き物、人生におけるイロハとは「イ=胃、ロ=くち、ハ=歯」なり。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

追加:歯の着色が気になったら・・週に一回程度の使用で充分かと。「MASHIRO:マシロ」が良さげです。かと言って、大根のような白を求めるのはいかがなものかなと思いますがね。ではでは

BBTime 596 老のもと

「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」松尾芭蕉

2022/11/30投稿
 明日から師走、今年も残すところあとひと月。句の解説はこちらをどうぞ。前回「炎症はなし」で慢性炎症について触れました、詳しい記事を見つけましたので御紹介します。記事タイトル「ヒトはできるだけ身体を動かさないように進化してきたが、適度な運動は寿命を延ばし、生活の質を上げる」。出典はこちら

記事後半の「慢性的な軽度の炎症は、着実かつこっそりと、動脈、筋肉、肝臓、脳などの組織を蝕んでいく」を一部ピックアップします。

 運動せずに座ってばかりいると、なぜ健康を害するのだろうか。もちろんさまざまな理由があるだろうが、近年注目されているのが「慢性炎症」だ。

 人類学者のハーマン・ポンツァーがハッザ族の一日のエネルギー消費量を測定したところ、奇妙なことに、活動的なハッザ族の一日あたりの総カロリー消費量は、同じ除脂肪体重のカウチポテトのアメリカ人とほとんど変わらなかった。それ以外のデータでも、活動的なひとの一日のカロリー消費量が、同じ体重の座りがちなひとよりもわずかに多いだけだということが確認されている。人体は、エネルギーを浪費せずに効率的に歩けるように進化したのだ。

 ここからポンツァーは、「人体の総エネルギー予算は制約されている」という理論を唱えた。いまだ議論の途上にあるが、この「代謝性代償」によれば、歩くことに500キロカロリーを使うのなら、その運動量を賄うために、安静時の代謝に使われるエネルギーが減らされる。逆に歩く必要がなくなれば、そのために使うはずだった500キロカロリーは安静時の代謝に回されることになる。この余分なエネルギーが、さまざまな経路で慢性的な炎症を引き起こしているかもしれない。

「炎症」は有害な病原体や損傷した組織などを感知したときに免疫系が最初にとる反応で、免疫細胞が化合物を大量に放出して血管を拡張し、侵入者を破壊しようとして駆けつけた白血球を通過しやすくする。血流の増加にともなう腫れによって神経が圧迫され、発赤(ほっせき)、熱感、腫脹(しゅちょう)、疼痛という炎症の4つの主症状を引き起こす。その後、免疫系は必要に応じて、特定の病原体を標的にして殺す抗原を作ることにより、さらなる防衛線を活性化させるが、このとき「サイトカイン」と呼ばれる数十種類のタンパク質が炎症を制御する。

 近年の研究では、身体が病原体に感染したあと、短期間の激しい局所的な炎症反応を引き起こすサイトカインの一部が、持続的でほとんど検出できないレベルの炎症を全身に起こすことがわかってきた。風邪を引いたときのように、数日から数週間にわたって一箇所に急激に炎症が生じるのではなく、気づかないうちに数カ月から数年にわたって、身体のあちこちで炎症がくすぶるのだ。

 慢性的な軽度の炎症は、ある意味、終わりのない風邪を引くようなものだ。あまりにも軽いため、その存在に気づかないことがあるが。それでも炎症は確実に存在し、この「トロ火の炎症」が着実かつこっそりと、動脈、筋肉、肝臓、脳などの組織を蝕んでいく。

 慢性炎症は、心臓病、2型糖尿病、アルツハイマー病など、加齢にともなう数多くの非感染性疾患の主な原因であると見なされるようになった。さらには、大腸がん、全身性エリテマトーデス、多発性硬化症、関節炎など「~炎」とつく炎症のほぼすべてに、慢性炎症の痕跡が見つかっている。

 慢性炎症の最大の要因は、喫煙、肥満、特定の炎症を引き起こす食品(その代表は牛肉や豚肉などの赤い色の肉)の過剰摂取、身体活動の欠乏だ。それは次の4つの経路でわたしたちの身体を蝕んでいく。

1  内臓脂肪が溜まる
 適度な量の内臓脂肪(全体重の約1%)は正常で、長距離を歩いたり、ジョギングしたときなどに、大量のカロリーを素早く活用する短期的なエネルギー貯蔵庫として役立っている。
 だが脂肪細胞が大きくなりすぎると、膨らみすぎたゴミ袋のように膨張して機能しなくなり、炎症を引き起こす白血球を引き寄せてしまう。内臓脂肪細胞は代謝的に活発で、体内の血液供給と結びついているため、内臓脂肪細胞が膨張すると、炎症を誘発する大量のタンパク質(サイトカイン)が血液中に滲み出してくる。
 健康な若い男性が2週間にわたってカウチポテト族さながら座り続け、一日に1500歩(約1.6キロ)以上歩かないようにした実験では、内臓脂肪はわずか2週間に7%も増えただけでなく、食後に増加した血糖を吸収する能力の低下などの、慢性炎症の典型的な症状を示し始めた。

2 血液中の脂肪や糖を取り込む速度が遅くなる
 食事から4時間以内は「食後状態」で、今すぐ使わない脂肪と糖が脂肪として貯蔵される。控え目な活動であっても、すこしでも身体を動かせば、細胞はこれらの燃料を優先的に燃やす。座るのをちょっと中断して、しゃがんだり、膝をついたりして筋肉を使う軽い断続的な活動を行なうと、長時間何もせずに座っている場合より、血液中の脂肪と糖の濃度を下げることができる

3 社会心理的なストレス
 長時間の通勤、過酷なデスクワーク、病気や障害などによって座ることを余儀なくされる状況はストレスを募らせ、ストレス・ホルモンであるコルチゾールの値を上昇させる。コルチゾールはストレスの原因ではなく結果として分泌され、身体がよりよくエネルギーを使えるようにするために進化してきた。だが、身体活動をともなわない状況でコルチゾールの値が上昇すると、糖や脂肪を血流に送り込み、糖分や脂肪分の多い食べ物を欲しがらせ、皮下脂肪ではなく内臓脂肪を蓄えるようにしむけるなど、肥満や慢性炎症の原因になる。

4 筋肉の活動が停止する
 筋肉は身体を動かすことのほかに、腺としての機能を持ち、「マイオカイン」と呼ばれる重要な役割を持つ数多くのメッセンジャータンパク質を合成・放出している。マイオカインにはさまざまな機能があるが、代謝・血液循環、骨などに影響を与えるほか、炎症の抑制にも役立っている。
 身体活動による抗炎症作用は、ほとんどの場合、炎症を起こす作用より強力で長く続くうえ、筋肉は身体の約3分の1を占めるので、活発に活動する筋肉は強力な抗炎症作用を発揮する。椅子に座りつづけていると、筋肉が活動しないため、マイオカインも分泌されない。

 がんのような身体的な病からアルツハイマー病などの精神疾患まで、免疫機能が自分自身を攻撃する自己免疫疾患が疑われる病気は増える一方だ。こうした「現代病」は、すくなくともその原因の一部が、使い切れないエネルギーを体内にため込んでいることだというエビデンスが増えつづけている。

 リーバーマンのいうように、運動はきわめて効果的な「薬」であり、副作用もなく、歩いたり、走ったり、腕立て伏せをするだけなら無料だ。適度な食事と適度な運動によって身体のエネルギーバランスを整えれば、健康寿命を延ばし、生活の質(クオリティ・オブ・ライフ)を上げることができるだろう。(出典はこちら

記事を読みながら「犬の散歩」を考えました。昔、野良犬に餌をやっていた事はありますが、飼ったことはありません。飼っている人からよく聞くのが「散歩が必要」です。目にした記事に『ストレスを行動で表現します。代表的なストレスサインに、体の一部をなめ続ける行動があります。そのまま放っておくと、なめ続けた部位の毛が抜けたり、炎症を起こしたりしてしまいます』(引用元)。

ここでお伝えしたいのは「適度な運動が必要です」よりも、繰り返しますが「慢性炎症」を少しでも減らすこと。そうです!できるだけ歯周病を軽いものにしましょう。そのコツは「歯は磨いても、もらうもの」・・皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。


三つめの動画は「YouTubeで見る」をクリックすると見ることができます!