BBTime 586 惜しい惜しい

「閑さや岩にしみ入蝉の声」松尾芭蕉

2022/9/3久しぶりの投稿
お久しぶりです。これほどまでに間隔があいたのは初めてです。さて前回の「惜しい欲しい」の続きです。まずは少々季節外れですが句の解説から『芭蕉のあまりにも有名な句ゆえ、ここに掲げるのは少々面映いけれど、夏の句としてこの句をよけて通るわけにはいかない。改めて言うまでもなく『おくのほそ道』の旅で、芭蕉は山形の尾花沢から最上川の大石田へ向かうはずだった。けれども「一見すべし」と人に勧められ、わざわざ南下して立石寺(慈覚大師の開基)を訪れて、この句を得た。「山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松栢年旧、土石老て苔滑に、岩上の院々扉を閉て、物の音きこえず。云々」と記してこの句が添えられている。(中略)天地を結ぶ閑けさとただ蝉の声、それは決して喧騒ではなく澄みきった別乾坤だった。あたりをびっしり埋め尽くした蝉の声に身を預け、声をこぎ分けるようにして、汗びっしょりになりながら芭蕉の句を否応なく体感した。奇岩重なる坂道のうねりを這い、途中の蝉塚などにしばし心身を癒された。芭蕉の別案は「山寺や石にしみつく蝉の声」だが、「しみ入」と「しみつく」とでは、その差異おのずと明解である。』(解説より抜粋)。小生、週に一度坐禅をします。八月は三回、一回目は「まさに蝉時雨」、二回目は「ひたすら雨音」、三回目は「無音」でした。尤も無音とはいえ早朝の街の音は流れてきます。一回目「蝉時雨坐禅」終了時、なんとも言えぬ心地良さでした。ここまでは枕、もうひとつよくご存じの句。

「古池や蛙とび込む水の音」松尾芭蕉
解説は『俳句に関心のない人でも、この句だけは知っている。「わび」だの「さび」だのを茶化す人は、必ずこの句を持ち出す。とにかく、チョー有名な句だ。どこが、いいのか。小学生のときに教室で習った。が、そのときの先生の解説は忘れてしまった。覚えておけばよかった。どこが、いいのか。古来、多くの人たちがいろいろなことを言ってきた。そのなかで「実際この句の如きはそうたいしたいい句とも考えられないのである。古池が庭にあってそれに蛙の飛び込む音が淋しく聞えるというだけの句である」と言ったのは、高浜虚子だ(『俳句はかく解しかく味う』所載)。私も、一応は賛成だ。つづけて虚子は、この句がきっかけとなって「実情実景」をそのままに描く芭蕉流の俳句につながっていく歴史的な価値はあると述べている。この点についても、一応異議はない。が、私は長い間、この句の「実情実景」性を疑ってきた。芭蕉の空想的絵空事ではないのかと思ってきた。というのも、私(田舎の小学生時代)が観察したかぎりにおいて、蛙は、このように水に飛び込む性質を持っていないと言うしかないからだ。たしかに蛙は地面では跳ねるけれど、水に入るときには水泳選手のようには飛び込まない。するするっと、スムーズに入っていく。当然、水の音などするわけがない。そこでお願い。水に飛び込む蛙を目撃した方がおられましたら、ぜひともメールをいただきたく……。(清水哲男)』(解説より)。先日カフェでの話に、この句が登場。一説によると、この句の元は「禅の公案」とのこと。公案とは老師が雲水に出す問題のことです(詳しくはこちら)。

おそらく学校では「古池があって蛙が飛び込み・・チャポン」のような場面を句にしたと習われたことでしょう。先程の「一説」が源だとすると、それはそれは深遠な解釈が必要な一句なのです。難解ですのでそのまま引用します(引用元はこちら)。
『松尾芭蕉の句集『春の日』に以下の有名な句があります。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
一説では根本寺(現在の茨城県鹿島)住職の佛頂和尚のもとで臨済禅に参じた折の一節が元になっていると伝わっています。根本寺と鹿島神宮の間で領地争いが起こり、佛頂和尚は末寺であった臨川庵(深川。現在は臨済宗妙心寺派臨川寺)に幾度となく滞在していました。和尚の滞在中に芭蕉が訪れ、参禅を重ねていたようです。佛頂和尚が尋ねました。如何なるかこれ、青苔未生以前の本来の面目。
青々とした苔が生き生きとしているけれど、苔が発生する以前の本来の面目とは何か?)すると芭蕉は、 
蛙飛びこむ 水の音
と答えたと伝わっています。この公案は、
父母未生以前の本来の面目
(お前の両親が生まれる前の、お前の本来の面目とはなんだ?)という形で、円覚寺の釈宗演老師に夏目漱石が参禅したことでも知られています。両親が未だ生まれていない時の自分とはなにか?と問われても、常識や知識では答えに窮します。けれど立ち止まって自分という存在を考え直すと、両親にとどまらず、大きな生命の流れの中に端を発していることに気づきます。大きな生命そのものが、即今みずからの中にあることを心身で知覚することが肝要だと、この公案から知ることができます。蛙が池に飛び込む音はどの時代でも不変の音ですので、芭蕉はこの公案に 蛙飛びこむ 水の音 と応えたのもかもしれません。』(引用元)。すなわち「蛙飛び込む水の音」が先に出て、後から「古池や」がついて俳句となったのかも知れません。

この伝え通りに句を解釈するならば、清水哲男さんの解説文にあるように『するするっと、スムーズに入っていく。当然、水の音などするわけがない。』と、これは正しい!理解しているようで、全くもっての頓珍漢(トンチンカン)も多々あるようです。さてやっとタイトルの「惜しい惜しい」歯磨き粉の使い方について。カルノオススメは「最後にちょびっと、うがいはしない」です。まずは現在の歯磨き粉(歯磨きペースト)の原型とも言える「ペプソデント」について。

ペプソデントがアメリカで発売されたのが1915年、1914年7月28日第一次世界大戦勃発です。ペプソデントは世界大戦がきっかけとなって世に出ました。拙ブログ「BBTime 435 ハミガキ」から引用します。『しかし、そのホプキンスも旧友からペプソデントを持ち込まれたときには、あまり興味を示さなかった。アメリカ人の歯の健康状態が急速に悪化していることは周知の事実だった。国が豊かになるにつれて、人々は甘い加工食品を大量に購入するようになっていた。第一次世界大戦の徴兵が始まったとき、あまりに多くの新兵にムシ歯があったため、口腔衛生に対する意識の低さは国家の安全を脅かす問題だという政府見解が出されたほどだ』(57-58頁より)。『問題は、歯磨きの習慣がないこの時代には、ほとんど誰も練り歯磨きを買わないことだった。口腔衛生が国家の問題となっても、誰も歯を磨かなかったのである』(引用元)。・・今から100年以上前に現れたのがハミガキペーストなんです。しかもペプソデントの目的は、なんとズバリ!ムシ歯予防効果の無いこのペーストを「使用させること・消費させること」が目的だったのです(詳しくは本「習慣の力」93ページ参照のこと)。現在のペーストには大方「ムシ歯予防効果のあるフッ化物」と「歯周病予防効果を期待する成分」が入っています。こちらの記事も参照ください。

100年たった今、正しい歯磨き粉(ペースト)の使い方を伝えます。まず、まともに作られた歯ブラシ(ホテルにある無料歯ブラシはおすすめしません)だけで磨きます。ブラシを口に入れるとすぐに唾液が出てきますので、唾液磨きをおすすめします。電動歯ブラシも同じです。一通り(3分から5分はかかります)磨いた後に、ペーストをほんの少し、3ミリから5ミリ程度で十分ですのでブラシに着けて、磨くというより歯に塗っていきます。唾液と混ざって歯全体、口全体に行き渡ったら、吐き出して終わり。うがいはすすめません。お風呂上がりに手にクリームを塗った後、もう一度手を洗いますか?洗わないでしょ、同じです。うがいしたらペーストの薬効成分が流されてしまいます。惜しい惜しい。

とは言え、この文章を読んで即実行に移す人は少ないでしょう。「雀百まで踊り忘れず」です、なかなか身についた習慣は変えられないもの御一考ください。では皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 581 週一回

「雨蛙めんどうくさき余生かな」永田耕衣 

2022/7/7投稿
鹿児島はあっという間の梅雨明けでしたが、戻り梅雨の昨日今日です。句の解説には『耕衣、七十代後半の句。雨蛙の体の色は葉の上など緑のなかでは緑色をしているが、木の幹や地上に下りると途端に茶色に変色する。保護色の好例として、小学校の教室でしばしば引き合いに出されてきた。人間には保護色はないのだけれど、考えてみれば、状況に応じて態度を変えるなどしているわけで、心理的精神的な保護色はあると言わなければなるまい。ただし雨蛙が自然に体色を変えられるのとは違って、私たちの場合は、意志的にそれをする必要がある。そこが実になんとも「めんどうくさい」と感じることになる年代が「余生」だと、作者は述べている。きょとんとした雨蛙と、何もかもを面倒くさく感じはじめた俳人との取り合わせは、ペーソスの味を越えた不思議な明るい世界に通じているとも読める。』(抜粋)。面倒くさくてもオススメしたい「週一回」についてのお話。

「風邪は万病のもと」と耳にしますが、今回のニュースは「歯周病は万病のもと」です。記事『「口腔ケア」で万病のもとになる歯周病の発症を抑制、生涯医療費を1千万円減らせるとの試算も』を目にしました。記事冒頭には「調査によると、歯や歯茎などの正しいケアをすることで、私たち1人ひとりの生涯医療費が1千万円以上も抑えられる可能性があるという。」1000万円と聞くと「エッ」と思いますが、さらに「この金額を1日あたりに換算すると、17万5600円÷365日=約481円となります。つまり、歯を20本以上キープする歯のケアを続けるだけで、毎日約500円もの医療費を得することになるのです。」これはかなり驚きです。では拾い読みしてみましょう。

『その中で、日々、口腔内のケアによって認知症の症状が改善したり回復していく患者さんたちを目の当たりにしているのですが、先日、かなり驚いたことがありました。 私が訪問診療を担当するグループホームに、週に1度、歯科衛生士さんにも口腔ケアに入ってもらうことにしました。すると、あるとき介護の現場の方がふと気づいたのです。「この1年半、誰も退所する人がいなかった」と。 このことは、18人の入居者のうち1人も、状態が悪化することも亡くなることもなかったことを意味します。 一般的なグループホームでは、月に1人くらいは重症度が高くなってしまって入院したり、亡くなられたりする方がいらっしゃるのが普通ですから、これはかなり驚異的なことです。 当初は、「毎週の口腔ケアは、さすがに多すぎませんか?」と言っていたスタッフや患者さんのご家族も、口腔ケアの重要性を再認識したようです。』(記事より抜粋)

『では、どれくらい医療費が抑制されるのか。 具体的に計算すると、適切な口腔ケアを行うことで、なんと1人あたりの生涯医療費が1千万円以上も安くなる可能性があるのです。 日本歯科医師会が、全国の40歳以上、約1万9000人を対象に行った調査では、残っている歯の数が20本以上ある人は、0~4本の人よりも、年間の医療費が平均で17万5900円も低いという結果が出ました。 この先、日本人の寿命は延び続け、2050年には日本の100歳以上の人口が100万人を突破すると推計されています。もし100歳まで生きるとして、歯周病菌が増え始める40歳以上から100歳までに60年間分の医療費の差額を計算すると17万5900円×60年=1055万4000円となります。 ちなみに、この金額を1日あたりに換算すると、17万5600円÷365日=約481円となります。つまり、歯を20本以上キープする歯のケアを続けるだけで、毎日約500円もの医療費を得することになるのです。』(記事より抜粋)。

記事は続きます『口内環境の悪化がさまざまな全身疾患にもつながる原因は、大きく3つあります。①歯周病菌の影響 ②歯を失うことによる脳の血流不足 ③歯を失うことによるタンパク質不足』・・それぞれについて。
『①の「歯周病菌の影響」は、35歳前後から増大し、40代になるころには進行の差こそあれ8割もの人が歯周病を発症します。歯周病は、風邪などと違って自然治癒しません。  その歯周病菌がもとになって生成される「アミロイドβ」が、血管を通じて運ばれて脳内で記憶を司る「海馬(かいば)」を中心に少しずつ溜まっていき、これが、アルツハイマー型認知症を発症させたり、悪化させたりする原因となることがわかっています。ちなみに、アミロイドβが脳内に溜まって認知症を発症するまでには、25年ほどかかると言われています。  また、歯周病菌が出す毒素の影響でつくられる炎症物質「サイトカイン」が血管を通じて全身に放出されることにより、インスリンが効きにくくなって「糖尿病」が発症・進行しやすくなります。さらに、動脈の内壁が厚く硬くなって「脳卒中」のリスクを高め、冠動脈が傷んで「心筋梗塞」を起こす一因となるのです。』(記事より)。ここに出てくる疾患は「アルツハイマー型認知症」「糖尿病」「脳卒中」「心筋梗塞」の四つです。端的に言えば、、歯をキレイにすることで予防もしくは進行を遅らせることができるのです。

『2番目の「歯を失うことによる脳の血流不足」について解説しましょう。・・・歯は、体に思っている以上に全身へ影響を与えています。実は、歯でものを噛むときには、ひと噛みごとに脳に大量の血液が送り込まれています。  歯の下には「歯根膜(しこんまく)」というクッションのような器官があり、噛むときは、歯がこのクッションに約30ミクロン沈み込みます。そのほんのわずかな圧力で、歯根膜にある血管が圧縮されて、ポンプのように血液を脳に送り込むのです。  その量は、ひと噛みで3.5㎖。市販のお弁当についている、あの小さな魚の形の醤油入れがだいたい3~3.5㎖サイズなので、噛むたびに、あの容器いっぱいの血液をピュッと脳に送り込んでいるということ。ひと噛みでこの量ですから、よく噛む人の脳にはひっきりなしに血液が送り込まれて、その間、常に刺激を受け続けていることになります。つまり、噛めば噛むほど刺激で脳が活性化されて元気になり、どんどん若返るのです。』(記事より)。

記事中の『歯根膜にある血管が圧縮されて、ポンプのように血液を脳に送り込むのです』・・この血管は、まさにみかんネットのように歯根(しこん:歯の根っこ)を包んでいます。グッと噛むことで、この血管を含む歯根膜がひしゃげて(圧迫されて)、次の瞬間、噛むことをやめると血液が流れ込む。これが歯根膜のポンプ作用です。私見ですが「やめられない、止まらない」のかっぱえびせんやポテトチップスなどパリパリポリポリの食べ物は、適度にこのポンプを動かすために、脳に心地よいのだと思います。いずれにせよ、このポンプは大切なポンプです。

結びで『本気で脳の老化を防ぎたいなら、そして、全身疾患を予防したいなら、「8020」で満足せずに、もっと高いレベルを目指す必要があります。私が推奨したいのは、「8028」!  つまり、「80歳で28本、すべての歯を残す!」という気持ちで、口腔ケアを行ってほしいのです。  ただ、日々の歯みがきやケアでは限界があります。年に1度の歯科検診だけに頼らず、3カ月に1度程度は歯科に通って歯石取りやプラーク除去などの定期的なメンテナンスを受けることをお勧めします。  いまや、「歯医者さんに通うのは治療のため」だけではありません。「国民皆歯科健診」の制度の導入からもわかるように、時代は治療歯科から予防歯科へと移り変わろうとしているのです。』(記事より)。まさに「歯は、磨いてももらうもの」であり、後手後手医療から先手先手予防へ!なのです。くどいようですが・・「三ヶ月に一度は歯科に通って・・」と記事にはありますが、記事の頭では「週に1度、歯科衛生士さんにも口腔ケアに入ってもらうことにしました」とあります。皆さま、理想は「週一回」です!理想は週一回ですが、現実的には頻繁に通っても保険内診療では月一回が限度でしょう。来年オープン予定で準備中のムシ歯予防カフェ「おやつ堂」では毎日の口腔ケアも可能です、しばしお待ちを。ではでは皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。


BBTime 574 やれないこと

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」上杉鷹山

2022/5/8投稿
先日(5/6)のほぼ日「今日のダーリン」です
『・このごろ、あらためて、つくづく、しみじみ思う。
 「やれることをやる」というのが、なにより大事だ。
 そりゃそうだと思うかもしれないけど、
 「やれることをやる」をやれる人が、実は少ないんだ。
 みんなが憧れたりする人、名人達人と言われるような人、
 いつもいいことをやってる人、すごい技術を持ってる人は、
 みんな「やれることをやる」を、きっちりやってきている。

 「やれること」は、「やれる」と思えるから、
 「いつでもやれる」と考えられやすい。
 でも、人は「いつでもやれること」をなかなか始めない。
 そして、「やれること」は、ずっと「やれる」ことなのだ。
 それでも、「やれること」を続けてる人はとても少ない。』

『昔から、このことについてはみんなが伝えてきた。
 ちりが積もると山になるんだぜ、だとか、
 千里の道も一歩からなんだよ、だとか、
 雨だれがやがて岩に穴をあけてしまうぞ、だとかね。
 ちりはどこにでもいくらでもあるものだし、
 一歩歩くことならかんたんにできるし、
 雨だれの一滴なんて気に留めてもいないだろう。
 そういう「やれること」を、ほんとに「やる」ってことが、
 (いまから間違った言い方をしますが→)
 「ほんとにむつかしいんだよねぇ!」
 (←これが、まちがった言い方です)
 実際にはむつかしくないんですよね。
 だってそれは「やらない」だけで、「やれること」です。
 つまり、むつかしいことじゃないんです。』

『ちょっと頭よさそうな人が「愚直にやるだけです」
 とか言いたがりますけどさ、
 「ちり」や「一歩」や「雨だれ」さんは、
 そんな「愚直」みたいなことばは使わないだろうな。
 愚かでも、真っ直ぐでもないんだもの、
 「やれること」を「やる」だけのことなんだから。

 「やれること」を「やる」。
 ほんとうに「やりたい」なら、それをいますぐ「やる」。
 「人生のコツ」みたいなことを、人は知りたがるけれど、
 どんな「コツ」よりこれなんだよ、と思うのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あらゆるものごとを「むずかしくないこと」に解体するのだ。』

今日のダーリン」をほぼ毎日読んでいて、毎回さすがダーリン(糸井重里氏)だと思います。文章を反芻する中で思いました。「やれることをやる」以外に三つの場面があるのではないかと。1)やれることをやる 2)やれることをやらない 3)やれないことをやらない 4)やれないことをやる(やらされる・せざるをえない)の四つです。

小生思うに恐らく一番問題となるのは、4)「やれないことをやる」でしょう。つまり「本当はやれないのに、やれると(できる・可能であると本人や周りが)勘違いしていることを、やらされる・せざるをえない」が最も本人にとってマイナスです。・・もうお分かりでは?そうです。歯磨きは自分だけでは「やれないことをやっている」「やれないことをできると思ってやっている」「隅々までキレイに磨けると思って日々磨いている」が事実です。何度でも言います。「歯は、自分だけでは磨けません」「歯は、磨いてももらうもの」。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。6021

文楽「為せば成る」


BBTime 566 Agua:水

「そんなことよく思ひつく春の水」岡田史乃

2022/3/29投稿
本日、鹿児島は雨。句の解説『さて、「そんなこと」とは、どんなことなのか。「そんなこと」は、書いてないのでわからない。わかることは、「そんなこと」が「そんな馬鹿なこと、どうでもよいこと」に近い中身であろうということだけ。もしも「そんなこと」が、心より賛嘆すべき内容を持っていたとしたら、「春の水」と照応させたりはしないはずだ。水温む候、作者の機嫌はすこぶるよろしく、「そんなこと」にも立腹せずに微笑して応えている。また、あなたの馬鹿話がはじまった。それにしても、次から次へと、よく「そんなこと」を思いつく人であることよ。わずらわしい時もあるけれど、今日はむしろ楽しい感じだ。目の前には、豊かな春の日差しを受けてキラキラと輝く水が流れている。全て世は事もなし。束の間ではあるかもしれないが、至福の時なのだ。ところで、句の成り立ちを作者の立場になって考えてみると、上中の十二文字は素直にすらりと出てきたはずだが、さあ、下五字をどうつけるかには少なからず腐心したにちがいない。それこそ「春の水」を「思ひつく」までには、相当に呻吟したと推察される。すなわち、突然口を突くように出てきた上中のフレーズを、簡単に捨てるには忍びなかったということ。反対に、実は一切そんな苦労はなかったのかもしれないが、長年俳句を読んでいると、つい「そんなこと」までをも気にかけてしまう。ビョーキである。史乃さん、間違ってたらごめんなさい。『ぽつぺん』(1998)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回は「どうでもよいこと」ではなくて・・「水」にまつわるお話。

過日、奈良の和菓子屋のご主人のお話を聞く機会に恵まれました。「私にできることは吸水・加熱・加糖のみ。可能な限り本来素材の持つ良さを損なわないよう」の言葉が響きます。菓子材料に、材料を作る農家の方々に、菓子作りの道具製作者への敬意が随所に感じられます。素材の持ち味を失わないように、ベストでミニマムな「吸水加熱加糖」のみが和菓子屋のできることで、美味しさは素材が持っていると。確かに「樫舎:かしや」の美味しさは作られたものではなく、引き出された味であると思います。和菓子に対する並々ならぬ愛が感じられ、その愛は素材への敬意であり、農家・道具の作り手への尊敬の念です。また、手を加えることを最小限にとどめるのは、人が手を掛ければ掛けるほど素材が「穢れる:けがれる」からともおっしゃっていました。寺社への奉納(納入)が多く、寺社関係者の方とのお付き合いの中でそのように思わられるようになったとのこと。樫舎についてはこちらの記事も是非!

奈良の良さ・京都とは違う品格は、言わば「自己主張しない」であるような気がします。京都より長い歴史を持ち、歴史に育まれた今の奈良の持つ真の力なのでしょうか。

「水」のお話と言いながら「吸水」のみ。実は今月御紹介したい二曲が「水」なのです。最後に取って付けたように歯磨きについて。過去に何度か書いてますが、水というか唾液による歯磨きをお勧めします。歯磨き粉使用の方が落ち着くという方は、充分に唾液で磨いた後に仕上げでペーストを少しつけてください。吸水から唾液磨き・・まさに我田引水!その曲とは「三月の水」と「おいしい水」です。4939

BBTime 561 正法眼蔵

「如月や日本の菓子の美しき」永井龍男

2022/2/23投稿
画像は京菓子司「末富」のサイトから借用です。『下萌:したもえ。雪におおわれた地面から若芽がまさに萌えでんとしている早春を、芯のまわりによもぎの入ったあんでつけ、上に山芋を使用したあんをのせたきんとんで表現しました』(引用元)。句の解説は『甘いものは苦手なので、めったに口にすることはない。が、たしかに和菓子は美しく、決して買わないけれど(笑)、ショー・ケースをのぞきこんだりはする。句は、ひんやりとした和菓子の感じを如月(きさらぎ)の肌寒さに通じ合わせ、その色彩の美しさに来るべき本格的な春を予感させている。見事な釣り合いだ。手柄は「和菓子」といわずに「日本の菓子」と、大きく張ったところだろう。「よくぞ日本に生まれけり」の淡い感慨も、ここから出てくる』(解説より抜粋)。今回は「正法眼蔵:しょうぼうげんぞう」における歯磨きについてのお話。

NHKラジオ第二放送を聞いておりましたら「歯磨き」の話が出てきました。正法眼蔵を解説する番組の中にです(ラジオ第二「宗教の時間」)。まずは正法眼蔵について『正法眼蔵は、主にである道元が執筆した仏教思想書を指す。正法眼蔵という言葉は、本来は仏法の端的な肝心要の事柄を意味する。』『日本曹洞宗の開祖である道元が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した87巻(=75巻+12巻)に及ぶ大著であり、日本曹洞禅思想の神髄が説かれている。道元は、中国曹洞宗の如浄の法を継ぎ、さらに道元独自の思想深化発展がなされている。真理を正しく伝えたいという考えから、日本語かつ仮名で著述している』以上ウイキペディアより抜粋。約八百年前鎌倉時代で、この頃はお坊さんのみならず一般庶民の口に砂糖が入ることはほぼ無かった時代の歯磨きです。にもかかわらず今以上に細かく丁寧な歯磨きが記載されています。歯磨き粉もなかった頃で、文章から推察するに、唾液磨きです。画像はラジオテキストより

文章にあるように使用しているのは「房楊枝」と呼ばれる柳の枝で作られた道具です。「よくかみて、はのうへ、はのうら、みがくがごとく、とぎ・あらふべし。たびたびとぎ・みがき、あらひ・すすぐべし。はのもとのししのうへ、よくみがき・あらふべし。はのあひだ、よくかきそろへ、きよくあらふべし。漱口たびたびすれば、すすぎきよめらる。しかうしてのち、したをこそぐべし。」房楊枝とは次のような道具です。

テキストの文章を参考に意味をとると「よく楊枝の先を噛んで房を作り、歯の表面、歯の裏側を磨くようにこすって洗いなさい。何度もこすって洗い、すすぎなさい。はぐきをよく洗いなさい。歯の間をよく擦ってきれいに洗いなさい。何度もうがいすればきれいになります。最後に舌をこすって洗いなさい」となるのでしょうか。全く今と同じです!

本当に驚きです。当時のお坊さんは仏教のみならず、学問・科学の最先端を探究する人々であったと思います。それにしても驚きです。柳と歯の関係は「BBTime310 柳と歯」にも書いております、ご参照の程。琉球や奄美大島でサトウキビが栽培され、砂糖が普及し始めたのは江戸時代になってからのこと。にもかかわらず、鎌倉時代にここまで口の清掃を細かく説いたのは、汚れているから掃除するのではなく、実際には汚れていなくとも清めるのである、とラジオの解説でした。茶道に見られる「清める」と同じ意味でしょう。汚れていなくともキレイにする・・理由はシンプルで「お釈迦様がそのようにされていたから、お釈迦様がそうしなさいと仰ったから」とのこと。お釈迦様には目に見えない細菌が見えていたのでしょうか。やはり当時の僧侶は哲学者であり科学者でもあったのです。

鶯餅です、末富のサイトには『初音を待つ心を鮮やかなうぐいす色にこめた餅です』。富安風生の句に「街の雨鶯餅がもう出たか」があります。和菓子屋さんによっては一月半ばから鶯餅を出す店があり「早すぎるのでは?」と聞いたら「初音が聞かれた途端に売れなくなります」との答えでした。ちなみに鶯餅に関して「BBTime437 鰯の頭も!」に詳しく書いております。今回、改めて昔のお坊さんの偉さ・凄さに感心しました。(自戒をこめて)今の歯医者は何しているんでしょうかね。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。2482

BBTime 556 Long Life

「春立つと古き言葉の韻よし」後藤夜半

2022/2/1投稿 2/2追記・歯磨き曲変更 2/5Longlifeにリンク追加
まずは句の解説から『韻は「ひびき」と読ませる。昔から、立春の句や歌は数多い。それだけに、後代になるほどひねくりまわし過ぎた作品が目立つようになってきた。止むを得ないところではあるけれど、だからこそ、逆に立春という題材をどう扱うかは、俳人や歌人の腕の見せどころでもある。「芸の人」夜半としては、そこでしばらく考えた。考えた結果、立春のあれやこれやの情景を捨て去って、一見すると素朴な発想のこの一句に落ち着かせることにした。さすが、である。つまり、この句には古今の名句や名歌のひびきが、すべて収まってしまっているからだ。さりげなく「他人のフンドシで相撲をとる」のも、立派な芸というべきだろう。脱帽。(清水哲男)』(解説より)。今回はLongLifeについて。

先日、デパートでふと見つけたのがこのマグカップ。「Long Life Plastic Project 2021」のタイトルでパンフレットには次のように書かれています。

Plastic Products can be lifelong companions if you care for them.

(プラスチック製品であっても一生モノになり得ます。あなたが大切にすればね。)

僕はプラスチックの経年変化が昔から好きでした。本田宗一郎がスーパーカブの風除けに取り入れた時など、未来を感じる素材としてみんなが注目しました。やがて原材料の入手や製造し易さなどから鉄や陶器、主にガラスに代わってその活躍は一気に広がる一方で「使い捨て」の代名詞になってしまいました。プラスチックはその丈夫さから、過酷な環境で働き、その汚れや傷は僕には茶道の茶の湯にある「景色」という経年変化に見えます。このプロジェクトは、プラスチックもそんな経年変化により、個性ある景色を手に入れた一生モノになり得ると考え、賛同する皆さんと毎年、このマグを持ち寄って交流するプロジェクト。プラスチックは捨てなければずっと使える。そんなメッセージのプロジェクトです。ナガオカケンメイ(D&DEPARTMENT PROJECT代表)(引用元

いい言葉です・・「lifelong companions if you care for them.」「一生モノです。あなたが大切にすればね」・・大切にすれば一生モノ!まさに「歯」・・文章中でいとをかしが、『原材料の入手や製造し易さなどから鉄や陶器、主にガラスに代わってその活躍は一気に広がる一方で「使い捨て」の代名詞になってしまいました。』・・歯の場合「日本では歯科治療費の安さから「使い捨て」とは言いませんが、ムシ歯になってから治療する「ムシ歯ありき・治療ありき」となってしまいました。しかもご自分の歯の方が何倍も何十倍も耐久性があるにもかかわらず、セラミックより硬い「歯」をムシ歯にしてレジン(プラスチック)に置き換えます。残念ながら歯に詰めたプラスチックは『捨てなければずっと使える』とはいきません。過酷な口腔内環境においてはすり減ったり、プラスチックそのものが劣化したり、接着剤が外れたりします。

Your teeth can be lifelong companions if you care for them. ムシ歯で来院する方に大きな声で伝えたい言葉です。ムシ歯にしない究極のコツをお教えします。「歯は磨いても、もらうもの」なんです。ご自分だけのケア(セルフケア)だけで守り切ることは極めて困難、ぜひ月一回のプロケア(歯科衛生士・歯科医師によるケア)を受けてください。「歯は、磨いてももらうもの」・・歯は、あなたの一生ものになります。

以上五枚の画像はこちらなどから拝借。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

2/2追記 早速購入して使い始めました。コーヒー飲みながら側面の文章を読むうちに、ふと思いました。「ケアすべきはモノではなくて、考え方・生き方なのではないか」もちろんモノも大切にします!

BBTime 553 口楽器

「運命やりんごを砕く象の口」長谷川裕

唐突ですが「象の歯は何本あるでしょう?」・・答えは後ほど。解説には『本来「りんご(林檎)」は秋の季語だが、貯蔵力が強いので、昔から冬季にも広く出まわってきた。雪の降る日の店先で真っ赤な林檎を見かけたりすると、胸の内までがぽっと明るくなるような気がする。だが、掲句の「りんご」は、そんな抒情的なしろものじゃない。情を感じる余裕もあらばこそ、大量の林檎があっという間に次から次へと「象の口」に放り込まれ噛み砕かれてしまう。これが「運命」と言うものか。と、作者は呆れつつも得心し、得心しつつも呆然としている図だ。自分の運命も、考えてみればあれらの林檎のように、あれよという間に噛み砕かれてきたようである。ちょっと待ってくれ。そう願ういとまもなく、他の多くの林檎たちともどもに噛み砕かれ消化され、あとには何の痕跡も残らない。そこで力なく「へへへ」と笑うがごとくに、自然に「運命や」の慨嘆が口をついて出てきたということだろう。なんとなく滑稽であり、なんとなく哀切でもある。自己韜晦(とうかい)も、ここまで来れば立派な芸だと言うべきか。』(解説より抜粋)。先日、ラジオから流れてきた曲を聴きながら思いついたのが「口楽器:くちがっき」。今回は口楽器の動画を見ながら歯磨きを!

さて、ラジオからの歌声はスウィングル・シンガーズ(The Swingle Singers)でした。画像を見てお分かりのように歴史は古く1962年にパリでスタート。ウィキペディアによると『グループは全部で8人のメンバーからなり、構成はソプラノ、アルトテノールバス、各2名。ジャズのスキャットの歌唱法を男女の混声合唱に持ち込んだそのサウンドは、ジャズの側からもクラシックの側からも異色で新鮮なものとして評価され、一般にも理解しやすい音楽は「ダバダバ」コーラスとして知られる。バッハ・シリーズのヒットから始まってベートーヴェンチャイコフスキーからオペラロッシーニ)にいたるまでクラシック音楽でのレパートリーを拡げ、さらに現代ポップスのヒットチャート(ビートルズビージーズなど)やその他のスタンダード・ナンバーのアレンジと、幅広い楽曲の複雑かつテクニカルかつ印象的なカバーを生み出している。アレンジはジャズの和声法やスタイルが基調であることが多い。ナット・キング・コールなど洗練された歌手・ピアニストの影響も見られる。』(Wikipediaより)とのこと。

彼らの「口楽器」の演奏を堪能してもらう前に冒頭の答えです。象の画像を見て頂くと何となく判るのですが、象の歯は上下左右の奥歯で四本です。大きな奥歯のみの四本なんです。ちなみに前歯由来の牙(きば)を含めると六本となります。では皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 552 磨く

「明け方の夢でもの食う寒さかな」辻貨物船

大方、夢の中では食べる寸前に目が覚めます。句の食べ物は何だったのでしょうか。解説には『寒い日の明け方、意識は少し覚醒しかけていて、もう起きなければと思いつつ、しかしまだ蒲団をかぶっていたい。そのうちにまた少しトロトロと眠りに引き込まれ、空腹を覚えてきたのか、夢の中で何かを食べているというのである。誰もが思い当たる冬の朝まだきの一齣(ひとこま)だ。まことに極楽、しかしこの極楽状態は長くはつづかない。ほんの束の間だからこそ、句に哀れが滲む。いとおしいような人間存在が、理屈抜きに匂ってくる。物を食べる夢といえば、子供のころには日常的な飢えもあって、かなりよく見た。でも、せっかくのご馳走を前にして、やれ嬉しやと食べようとしたところで、必ず目が覚めた。なんだ夢かと、いつも落胆した。だから大人になっても夢では食べられないと思っていたのだが、あれは何歳くらいのときだったろうか。なんと、夢で何かがちゃんと食べられたのだった。何を食べたのかは起きてすぐに忘れたけれど、そのもの本来の味もきちんとあった。それもいまは夢の中だという自覚があって、しかも食べられたのである。感動したというよりも、びっくりしてしまった』(解説より抜粋)。今回は「磨く」についてのお話。

朝日新聞「折々のことば」です。
『磨くということは、何かと何かを擦り合わせること。擦り合わせないと磨かれない。関口怜子    
 物は他の物と何度もこすれ合うことでぴかぴかしてくる。人も同じ。自分とは異質な人、理解しにくい人、話がうまく通じない人との摩擦をくり返し体験する中で人として艶(つや)やかになってゆくと、仙台を拠点に長く子どものためのアート・ワークショップを展開してきたハート&アート空間ビーアイの代表は語る。そんな遭遇を希(のぞ)むなら自分のほうから出かけていかなくちゃと。』

この文章を読みながら溜飲を下げると同時に「歯磨き」における「他の物」とは何だろうと考えました。単純には「歯と歯ブラシ」でしょうけど、「人も同じ。自分とは異質な人、理解しにくい人、話がうまく通じない人との摩擦をくり返し体験する中で人として艶(つや)やかになってゆく」を踏まえれば「歯」と「歯ブラシ」とは考えられません・・ここでの「磨く」とは、まさに切磋琢磨。

歯磨きにおける「ものと他のもの」とは「歯と歯ブラシ」ではなく「歯の汚れと気持ち」だと考えます。「キレイを保ちたい」「健康でいたい」「美味しく食べたい」等々。「汚れ」とはズバリ「食べること」であり「生きる」ことに他ならないのです。歯を使わずに生きることはできません、食べることで当然歯は汚れます。その汚れを落とすことが「歯磨き」なのです。こう考えると歯磨きとは、「日々の生活」vs「生き方」もしくは「生き様」vs「人生哲学」・・歯をキレイにしている人はキチンと生きている人だと思います。では皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 547 歯と眼

BBTime 547 歯と眼
「レノン忌より小さき記事なり開戦忌」藤本章子

前回アップから日が流れました。さて、ご存じのように本日12/08はジョン・レノンの命日、1981年のことで満四十歳。また日本人にとって12/08は「真珠湾攻撃」(ハワイ時間12/07)。日本が開戦に踏み切った日に平和を謳ったジョン・レノンが亡くなるとは・・涙。句の解説には『今日十二月八日はかつての大戦の開戦日であり、ジョン・レノンの命日でもある。日本人にとって、いや世界の人類にとって、どちらが社会的に大きな出来事であったかは言うを俟(ま)たない。だが、この日の新聞はレノンの忌のことを大きく取り上げていたというのである。むろんレノン忌のことも風化させてはなるまいが、開戦の日のことはなおさらだろう。だが、ジャーナリズムとは残酷なもので、戦争の記憶の風化を嘆く舌の根も乾かぬうちに、かくのごとくに事態を風化させて平然としている』(解説より抜粋)。今回は最近目にした記事について。

雑誌プレジデント12.3号です。タイトルは「歯と眼の大問題」・・歯科と眼科について比較しながら誌面は進みます。主たる病気と治療法、かかる患者費用、はたまた大学の国家試験合格率や給料の比較まで。歯科医から見ると特に目新しい記事はあまりないように感じました。目を通し終わって強く感じたことは(connoteの読者の皆さんならおわかりでしょうが)根本的なことに着目していない!

例えば「緑内障」・・日本での失明原因1位。「しかし、緑内障の根本的な原因は今のところ不明です」(34頁より)。「白内障」・・「白内障は、糖尿病安堵に合併して起こることもありますが、原因の大半は加齢によるもの。誰にでも起こる老化現象の一つです」(36頁より)。原因不明もしくは加齢による病気ですから、人にとって避けられない病気と言えます。

一方歯科では「歯周病」・・「歯の表面に「バイオフィルム」と呼ばれる歯周病菌の巣窟をつくります。・・それによって、歯周組織が破壊されていくのです」(38頁より)。また「毎回1時間磨いてくれたら、歯周病は治る」(41頁より)とも。歯科の二大疾患は「ムシ歯」と「歯周病」、原因はともにバイオフィルムであり、バイオフィルムの物理的除去によって発症を阻止することができるのです。ズバリ言います!緑内障や白内障の発症を避けることはできませんが、ムシ歯と歯周病はほぼ完全に予防できるのです。この点が根本的に異なるのです。

オマケをひとつ。前回「アマゾン脱出!」でコーヒーカウンティ(coffee county)を紹介しました。小生、毎朝ハンドドリップで淹れて飲んでおります。加えて月に最低2本は赤ワインを楽しみます。このため月に一度の歯のメンテナンス時に、ステイン(外来性着色)をとってもらいます。偶然インスタグラムで見つけたこの歯磨き粉「MASHIRO:マシロ」結構良さそうです。ポイントは使う量を少量にすること。ケチって使う方が懐に優しいし、何と言っても歯に優しいのです。ピンクのザクロとグリーンのハーブミントの二種のフレーバーがあり、30gで1800円。今回の歯磨き曲はもちろんジョン・レノンの「Happy Xmas(War Is Over)」。では皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。


BBTime 532 西瓜割理論

BBTime 532 西瓜割理論
「風呂敷のうすくて西瓜まんまるし」右城暮石

夏休み、田舎に帰ると土間に大きな丸いスイカがゴロンと出番を待っていました。まん丸スイカも風呂敷も今は昔。前回「唇の脇役」で糸井重里氏の「今日のダーリン」を紹介しましたが、今回も今日のダーリンより。

読むと非常にゴモットモ!と拍手したくなります。

中学校の夏キャンプでしょうか、確かにこのような記憶があります。棒を持たされ、前方にスイカを見据えたのちに目隠しをされ、ぐるぐる回され「ハイ!スタート」。思いっきり棒を振り降ろしても・・空振り。

言われてみれば、たまに「もっと右」とか「少し左」と善良な人の声がかかることもありましたが、多くは「ちがう」の声。

もちろん最初の人が一発目でスイカを割ったら、ゲームの面白みはないかも知れません。終わりの文章「百万遍の否定より、ほんの数回の肯定で前に進めるものだ」・・歯科医師になって「もっと歯を磨いてください」「歯を磨きましょう」と何遍言ったことでしょう・・これはまさに「ちがう」と、違わないことに気がついたのは歯科医師になって二十年も経ってからのことでした。

歯科医師のみならず、プロの助言は「光の射す方に向かう」の「光」でなければ意味がないのです。「ちがう」を言い続けることはプロの仕事とは言えないのです。

冒頭の画像を見てもイマイチ包み方はわかりませんが、この図解を見れば理解できます。「ちがう」のではなく「右」「左」「前」「行き過ぎ」などを助言すべきなんです(スイカ割り以外において)。

超個人的な意見ですが、歯磨き粉に関しての「右・左」。まず、歯ブラシに何も付けずに「唾液」で磨きます。磨き中の唾液は躊躇なく飲み込んでください。この「唾液磨き」で、場所を気にせずに長時間(五分以上)楽に磨けます。気になる方は遠慮なくうがいを。終わりかけにやっとこのライオンの「チェックアップ スタンダード」(一本500円から600円)を、大豆大の量つけて仕上げ磨きというよりも、歯に擦りつけるようにします。うがいはせずに歯磨き粉混じりの唾液を吐き出します。ここでうがいすると折角、歯の表面に塗ったフッ化物が流れてしまうので勿体無いのです。

おやすみ前の歯磨きには、こちらの「SP-T」(1500-1600円)がおすすめです。これも最後に大豆大つけて歯や歯茎の境目に擦りつけるようにします。もちろんウガイは無し、つばを吐くだけ。翌朝起床時の口の中が爽やかであること請け合います。

義歯の方にはこれをオススメします。義歯をキレイに洗った後、義歯の歯茎の部分(凹んだ部分)に「コンクールジェル」をたらして口の中へ。昔は義歯は外して水につけてお休みくださいと言っていましたが、噛んで痛くない方は義歯清掃後はコンクールジェルつけて口の中へ。これまた翌朝爽快です。以上三つの商品、モノは試しで使ってみてください。これは「右」であり「左」です。ではでは皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。3370