BBTime 632 食べるを治す

「笑ひ茸食べて笑つてみたきかな」鈴木真砂女

2023/10/04投稿
暑い暑いと汗かいている間に九月から十月神無月へ。句の解説『軽い好奇心からの句ではあるまい。八十歳を過ぎ、心から笑うことのなくなった生活のなかで、毒茸の助けを借りてでも大いに笑ってみたいという、一見するとしごく素直な心境句である。が、しかし同時にどこか捨て鉢なところもねっとりと感じられ、老いとはかくのごとくに直球と見紛うフォークボールを投げてみせるもののようだ。よく笑う若い女性にかぎらず、笑いは若さの象徴的な心理的かつ身体的な現象だろう。どうやら社会的な未成熟度にも関係があり、身体的なそれと直結しているらしい。したがって、心理的なこそばゆさがすぐにも身体的な反応につながり、暴発してしまうのだ。私はそれこそ若き日に、ベルグソンの「笑いについて」という文章を読んだことがあるが、笑い上戸の自分についての謎を解明したかったからである。何が書かれていたのか、いまは一行も覚えていない。といって、もはや二度と読んでみる気にはならないだろう。いつの間にやら、簡単には笑えなくなってしまったので……。(清水哲男)』(解説より)。先日、地元民放テレビ中継時、小生の決めゼリフ(笑)・・「食べるを治療し、美味しいを守る」より「食べるを治す」について。

訪問診療に携わっていると、診療室内チェアサイドとは異なるシーンに出会います。端的に言うと「チェアサイドの常識が当てはまらない」。順不同でいくつかあげてみます。
1)補綴物はコントロール可能な人のための形態である。補綴物(ホテツブツ)とは、歯にかぶせる冠(クラウンなど)、歯がない箇所を前後の歯で補う(おぎなう)ブリッジ、義歯(入れ歯)等のことです(こちら参照)。
2)例えばブリッジの歯がない部分の橋渡しをポンティックと言います。歯がない部分ですので、歯茎の上に乗っかるような形態をしています。通常チェアサイドでは審美性(見た目)を考慮して歯茎との隙間を減らし見た目を自然な形にします。

しかしこの形では図のように汚れ(プラーク)が溜まりやすいので歯磨きが必要となります。訪問先患者さんの状態は様々で、ご自分で歯磨きができない方もいらっしゃいます。当然、ブリッジ部分には汚れが溜まります。このような場合審美性にはかけますが次の図のような形もあり、この方が食べ物や汚れはたまりにくいし清掃も楽です。多くの補綴物はご自分で歯科医院に足を運び、口を開け治療を受けられた時にセットされており、ご自分で口腔清掃ができていた時の形なのです。

3)入れ歯に関しても同じです。特に部分入れ歯には「クラスプ」と呼ばれる多くは金属製のバネがあり、このバネで歯をつかみます。義歯の着脱(つけたり外したり)はご自身にして頂きますが、施設利用者の方の中にはできない方もいらっしゃいます。この場合、施設スタッフの方がつけ外しをせざるを得ません。おおかた、クラスプは他人が付け外しするデザインではなく、他人の口の中の義歯の見えにくいクラスプに爪をかけて外すのは至難の技です。

4)歯が無い方が食べやすい。訪問先で多々あることです。前歯部分に本数の多いブリッジ(6本分8本分など)がセットしてあるけど歯周病でブリッジ全体がグラグラしている。噛まなければ痛みはないが、食事に時間がかかるし噛むと痛い。ミキサー食であってもグラグラブリッジが邪魔して食事時間が長くかかる。この場合、迷わずブリッジを除去します。歯を除去、抜歯、つまり歯が無い方が食べやすくなるケースもあるのです。

5)モグモグゴックンはひと続きではない。ある時「ゴックンしないので診てほしい」と依頼。その方は上下歯はなく入れ歯(総義歯)も使用せず。指を口腔内に入れるとモグモグされる。モグモグはできるのにゴックン(嚥下:えんげ)ができない。なぜだろうと舌を診てみると「舌根(ぜっこん)部がこわばって盛り上がっており、喉ちんこが見えない」・・原因はこれ?と思い、舌根部の機能回復をはかりました。詳しくは「BBTime 625 生きる入り口」に詳しく書いております。モグモグとゴックンは一連の動作行為ではなく、モグモグしてゴックンにバトンタッチしているのです。このバトンが上手につながらないとゴックンできないのです。

6)食思(しょくし)について。食思とは食欲、食い気のこと。施設の昼食準備を見ていると「普通食」「刻み食」「ミキサー食」など様々です。その方の摂食・咀嚼能力、利用者希望に合わせて準備されます。当然のことながらミキサー食は普通食に比べて、色彩・匂い香り・歯応えなどにおいて劣り、その分食欲減退につながります。いろいろな工夫が必要となります、詳しくは「BBTime 621 施設診療」をご参照ください。

7)食べるを治す。歯科医となって四十年近くなろうとしています。恥ずかしながら今頃になって歯科医の仕事は「食べるを治す」ことであると気が付きました(猛省)。ムシ歯の治療も歯周病の治療も入れ歯を作るのも全て「食べる」ためです。木を見て森を見ずでした、かと言って木の根元の笑茸もおそらく見ていなかったでしょう、精進します。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。


BBTime 631 ラジオ出演

「人間に寝る楽しみの夜長かな」青木月斗

2023/09/16投稿
先日(9/9)地元民放ラジオ(MBC)出演でした。句の解説は『秋の「夜長」。ようやく暑い夜の寝苦しさから解放されて、一晩通して眠れるようになった。この時期にこの句を読むと、はらわたに沁み入るようなリアリティを感じる。とくに会社勤めの人たちにとっては、そうだろう。私もサラリーマン時代には、寝る前にひとりでに「寝れば天国」とつぶやいていたものだった。若かったから、むろん寝ない楽しみもあったけれど、くたくたに疲れて眠る前の至福感もまた、格別だった。江戸期の狂歌に「世の中に寝るほど樂はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」があり、これは昼間も寝ている怠け者の言い草を装っていながら、眠らないで頑張る人たちへの痛烈な風刺になっている。なぜ、そんなに頑張るのか。わずかな蓄財のために、親方に鼻面をひきまわされながらも頑張って、それでお前の一生はいいのかと辛辣だ。当時の私はこの狂歌を机の前に貼り付けて、何もかもぶん投げてしまいたいと切に願っていたが、ついにそういうことにできずに、今日まで来てしまった』(解説より抜粋)。寝る楽しみもさることながら「食べる楽しみ」もあります。ラジオで話した内容を文章化してみました。

「おやつ堂」はどんなお店ですか?
・・おやつ堂には「ムシ歯予防カフェ」が枕詞として付いています。メニューは看板の「ソンナバナナジュース」をはじめ、コーヒー、抹茶、ワインなど飲み物は全て砂糖を含みません、砂糖ゼロです。飲み物以外ではドーナツ、和菓子、チーズなどを常備しております。全て取り寄せで言わばスイーツのセレクトショップです。

「ムシ歯予防カフェを開こうと思ったのは?」
・・1990年に歯科医院を開業しました。開業当初、子供さんのムシ歯を見つけると親御さんを診療室に呼んで「ここがムシ歯です」「甘いものをあまり食べないように」「もう少ししっかり磨くように指導してください」とか真顔で話していました。ある時、小学四年生くらいの男の子だったでしょうか。ムシ歯があったのでお母さんに「もっと磨くようにいてください」と話したところ、お母さんが男の子に「だから言ったじゃない」と。すると男の子は「僕、磨いたもん」お母さん「でもムシ歯ができてるじゃない」男の子「ちゃんと磨いたよ」・・二人は徐々にヒートアップして男の子は泣き顔に・・。はたで見ていて「そうだよね、この子はちゃんと磨いたんだ!けど磨き方が足りなかっただけだ」・・。
そのような経験を踏まえて、2011年に天文館近くにクリーニング専門の「ニコラ歯科」を開業しました。自費診療の歯のクリーニング専門施設です。「歯は、磨いてももらうもの」を掲げてのオープンでしたが、約十ヶ月で閉めざるを得ませんでした。

その後、勤務医として働きながらも、頭の中では「歯を磨けばムシ歯にはならない、予防できる、回避できる!」との考えが渦巻いていました。病気の中で唯一ほぼ完全に予防できる、回避できる病気が「ムシ歯」。かたや巷では「グルメブーム」・・ランチ、ディナーからスイーツに至るまで。年を経るごとに盛り上がります。グルメブーム、美味しいを求める欲望とムシ歯予防を結びつけられないかと悶々する日々でした。
 ある時「あれこれ難しく考えずに、ムシ歯予防とグルメをシンプルに結びつければ良いのでは?」・・この時、ムシ歯予防カフェの誕生です。より美味しく食べるためには、口の中の食器(食具とも言います)が、食器である歯がキレイでなければ味わえません。美味しいと思われた時に、少しでも口の中の食器の大切さ・健康を再認識していただければと思うのです。このような考えのもとに、ムシ歯予防カフェが私にとっての究極の予防歯科スタイルです。

ムシ歯予防カフェと謳っているには根拠があります。ドリンクは砂糖ゼロでもスイーツには砂糖が入っています。心配御無用、希望される方には歯磨きのプロ(歯科医師)が歯磨きチェックをします。また、その人に合った歯磨きのタイミング、歯磨き粉(歯磨きペースト)の選び方、使い方もアドバイスいたします。ドリンク砂糖ゼロだけでは勿論不十分で、プロの歯磨きチェックがあるので「ムシ歯予防カフェ」なんです。

近年の研究で歯周病と認知症の因果関係、ズバリ言うと、認知症の発症のひとつの原因が歯周病であることが明らかになりました(BBTime603「プラーク三種」参照の程)。
「美味しい」の一言が歯を守る。ムシ歯予防は歯周病予防につながり、歯周病予防は認知症予防につながる。「美味しい」の感動が人生を守る、「美味しい」のひと言が人生を味わい尽くす秘訣であると心から思います。

以上がラジオで話した内容です。おやつ堂に是非お越しください。営業日営業時間などはインスタグラムにてお知らせしております。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 630 ほぼ日二題

「腿高きグレコは女白き雷」三橋敏雄

2023/09/02投稿
九月ですが秋は来ませんね。句の解説は『ジュリエット・グレコ頌。腿は「もも」。いったいにシャンソン歌手は女性のほうが毅然としているが、なかでもグレコは群を抜いている。舞台か映像か、黒衣の彼女の歌いぶりに集中していると、その身体から白い雷が発生しているように思えたというのだ。「腿高き」が、作者の心酔度の高さを示している。私は仕事で一度だけ、来日した彼女に会ったことがある。初秋だった。半蔵門のスタジオから、紅葉のはじまりかけた皇居の森を見て「これはいまの私の色ね」と言って微笑した。つまり、自分は人生の秋にさしかかっていると言ったのである。気障なセリフだが、グレコが言うと素直に納得できるのだった。『まぼろしの鱶』所収。(清水哲男)』(引用元)。頌:しょう。句はいまいち腑に落ちませんが。最近読んだ「ほぼ日」から二題ご紹介。

一題目:8/31のほぼ日
『・若いときは、雑誌になにか原稿を頼まれたとき、
 「パンツはトランクスがいいか、ブリーフか」だとか、「ラーメンライスは是か非か」なんてことも書いていた。しかし、いつのまにか「どっちがいいか」みたいなことは、ほとんど書かなくなっていることに気がついた。
 どっちがいいとかいうことを、考えなくなっていたのだ。かんたんに言えば、「どっちだっていい」し、その言い方が冷たすぎるなら「どっちもいい」なのだ。なんで、わざわざどっちかを決めようとしていたのか。いまではもう、まったくわからない。いいと思ったら、どっちを選んでもいいし、なんなら、両方を選んでもいい。』

『トランクスかブリーフかビキニか、なんでもいい。こしあんか、つぶあんか。どっちもうまい。豆腐は、絹ごしか、もめんごしか、両方いい。
 選ばなきゃならいこともあるだろうよ、そしたら、その日、そのとき、どちらか選ぶだけだ。次の機会があるのだから、次にまた考えればいい。

 ぼかぁ、もう、まったく「毅然」としちゃってるのだ。迷いも後悔もない、どっちもいいんだもの。よくよく考えてみると、「どっちもいい」どころか、「あんまりよくなくてもいい」とさえ言える。ほんとはたいていのことが、「どっちでもいい」と、「どっちもいい」、「どれでもいい」なんだと思うんだよ。』

『・でも、たぶん人は「思考の練習」をしたいのだろうな。こしあんと、つぶあん、どっちがいいかを考えたいんだ。仲間に対案を出させたり、それをやりこめたりして遊ぶ。子どもがプロレスごっこをして遊ぶみたいに、「思考や判断ごっこ」や「論争ごっこ」をしたいんだね。
 きっと、ぼく自身にしても若いときは、そういうことがやりたくて、「どっちがいい」というテーマで遊んでいたんだろうな。だとしたら、これからは、よくあるようなどっちがいいの在庫から考えるんじゃなくて、もっと別の「思考や判断ごっこ」をしたほうがいいね。お笑いを仕事にしている人たちなんか、やってるもんね。「思考や判断ごっこ」って、お笑いの基礎なのかも。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。答えのおもしろさは、設問が決めてくれる。逆も、またある。』

たまに「歯磨き」について聞かれます。毎食後磨くのが良いか?朝食前か後か?等々。一日一回でもOKです、キレイになれば、と答えます。回数、歯磨き時間などの数字ではなくて目的は歯をキレイにすること。歯を使わなければ汚れませんが、そうはいきません。口の中の食器(歯)は替えがききません。その日の就寝時に口の中がキレイであればいいのです。

「どっちでもいい」・・これは前回「一膳九皿」で書きました、二食か三食か?それが問題だ!ではなく、その方(施設利用者)が必要としている回数(食事量)が正解です。離乳食や子供さんの歯磨きも同様で、何歳何か月だからではなく、その子供さんの歯の生え方、本数などで判断すべきでしょう。「ほぼ日」の言わんとすることと少々ずれるようですが、迷ったらゴール・目標・目的をきちんと見定めれば目の前の回数や数字はさほど重要ではないような気がします。電動歯ブラシの表示が二分だから終了ではないのです・・と思いますがね。続いて二題目9/1のほぼ日。

『・人は、山や森の景色を目にしたときに、ざっくりと「自然はいいなぁ」とか言います。しかし、自然というものの定義が、「人の手を加えない状態」であったとするならば、そこで目にしているものは自然ではないのであります。
 なんて、理屈っぽいことを言ってますが、早い話が、「自然に見えてるものは、人の手が入ってるよ」と。人の住む地域で「自然」として扱われているのは、だいたい「里山」と呼ばれる、人と自然の合作だよ、と。』

『人の手が入った自然ということばで、ふと思いました。人の身体も、「里山」に似ているんじゃないかなと。もともと、髪を切ったり、髭をそったりということも、服を着ることも、薬を飲むことも、人の手が入っています。人の身体という自然は、野生のクマやイノシシとちがって、生まれた次の瞬間から「里山」なんですよね。』

『じぶんのことを考えると、すごいですよ、手の入り方が。歯はインプラントのネジで顎の骨に差し込まれていて、歯そのものも数本がジルコニアだし、寝るときにはマウスピースをしています。メガネは近くを見るにも遠くを見るにも必要で、耳は必要に応じて補聴器をつけています。毎日、指示された薬をまちがいなく飲んでいるし、風邪をひいたりして別の薬が足されることもある。年に二回は身体のあれこれを最新の器械でチェックし、定期的に血液や尿からさまざまなデータをとっている。昨年の春からはワークアウトをまじめにやることにして、週に二回ずつはトレーニングをやっているわけで。
 人間のかたちをした「歩く里山」ですよ、ぼかぁ。』

『生まれたままのじぶんだったら、どうだったんでしょうか。少なくとも、歯についてはもう総入れ歯だったでしょうね。よく「医者にかかったことない」というご老人がいますが、そういう方がいざ症状を訴える段階になると、手をつけるのに困難な病気を抱えてたりもするらしいです。
 原生林みたいに、アメリカの自然公園みたいに生きるのは、実際、かなり人間には無理なんだよなぁと思うのです。ま、昔の人たちのように寿命が短ければ、あちこち悪くなる前に人生を終えていたんでしょうけどね。「人間は里山」、もとは自然だけれど、人の手が必要です。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「人の手」が入るというのは、ある意味ありがたいことです。』

最後の下り「人の手が入るというのは、ある意味ありがたいこと」・・同感賛成です。ムシ歯予防・歯周病予防のコツはただひとつ!「歯は、磨いてももらうもの」ハッキリ言って(すみませんが)、ご自分だけでの歯磨きでは不十分です。その不十分さがムシ歯をつくり、歯周病を引き起こすのです。せめているのではなく、自分だけではできないことを知って欲しいのです。是非「人の手」を借りてください。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 629 一膳九皿

「九月来箸をつかんでまた生きる」橋本多佳子

2023/08/27投稿 8/28加筆
今週末は九月ですが気温は真夏のまま。句の解説は『多佳子は生来の病弱で、とくに夏の暑さには弱かったという。したがって、秋到来の九月は待ちかねた月であった。涼しくなれば、食欲もわいてくる。「さあ、また元気に生きぬくぞ」の気概に溢れた句だ。それにしても「箸をつかんで」は、女性の表現としては荒々しい。気性の激しさが、飛んで出ている。なにしろこの人には、有名な「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」がある。この句を得たのは五十一歳。「箸をつかんで」くらいは、へっちゃらだったろう。しかも、この荒々しさには少しも嫌みがなく、読者もまた作者とともに、九月が来たことに嬉しさを覚えてしまうのである。九月来の句には感傷に流れるものが多いなかで、この句は断然異彩を放っている。ちなみに、若き日の多佳子は、これまた感情の起伏の激しかった杉田久女に俳句の手ほどきを受けている。「橋本多佳子さんは、男の道を歩く稀な女流作家の一人」と言ったのは、山口誓子である。(清水哲男)』(引用元)。今回は「一日二善」「一日二食」を踏まえての結論です。

前回前々回で、訪問診療中に施設の食事回数について感じたことを書きました。一日三食ではなく二食で良いのでは?。数カ所で「一日二食」の話をしました、ある施設で目撃した「一膳九皿」で結論が出ました。その日の昼食は「鮭のムニエル、サラダ、小鉢、ご飯」が標準。準備テーブルを見ていると、きざみ食、ミキサー食、水分摂取制限など、細かく利用者に合わせた膳が並びます。その中にひとつだけ皿数の多い膳を発見。数えてみると、なんと九皿が所狭しと並んでいます。これはこれは豪華ですねと、配膳係の方に問うと意外な答えが・・。

まず「一日二食」の結論から。数カ所で聞いた答えはおおかた次のようです。1)利用者の中には「こんなに(一日三食)は食べきれないから二食でいい」との声も確かにある。2)朝食はシンプルにパンと牛乳だから、そんなに時間や手間はかからない。3)施設説明時に「一日三食提供します」と「ここは一日二食です」なら、あなた(利用者家族も含めて)ならどちらを選びますか?・・というわけで「一日三食」です。

では「一膳九皿」のわけは?・・極めてシンプルでした。利用者(九十歳を超えた女性)の御家族が「おばあちゃんには、好きな物を好きなだけ食べて欲しい」と希望され、施設がその要望に応えて九皿であるとのこと。んー目から鱗でした。そうです!ここは病院ではないし、利用者は入院患者ではない。仮に残り少ない日々を「好きな物を好きなだけ」食べて欲しい。これには納得するしかありませんでした。職員さん曰く「いつも二割から三割しか食べられません」「食事量もご家族には報告しています」「それでもいいから豪華にしてくださいがご家族の希望です」。目から鱗の後、目頭が熱くなりました。

画像は黒砂糖です。南九州ではお茶請けによく登場します。少し前のことでした。訪問診療中に十時のお茶の時間、遠目に見ているとお茶と黒砂糖。職員さん「花子さんにはおまけでひとつ多く入れておくね」・・聞きながら「やめてくれ」と思いました。黒砂糖とはいえ砂糖です。ご自分での歯磨きは不十分な方が多く、結構口の中は汚れています。タイミングを見計らって職員さんに「黒砂糖は砂糖ですよね」「できれば他のものに」など話しました。他のものにと言った手前、探しました。黒砂糖よりムシ歯リスクが低く、コストパフォーマンスは同じくらいのお茶請けは?これが意外とないんです。

しかし「一膳九皿」を目撃してから探すことをやめました。おやつに、これはダメこれが良いよりも、何を召し上がってもいいのでメンテナンス(口腔清掃)をお任せください、の方がベターだと思ったからです。九皿同様、おやつは楽しみです。歯を守るためにおやつを変えるのではなく、食べた後の習慣(システム)を改善すべきであると思います。例えば、まず固形物(黒砂糖など)を出してあげて、ほぼ食べ終わってからお茶を出す。もしくは必ず最後はお茶で口の中を歯を洗うようにする、などです。もちろん、ご希望あらばメンテナンスいたします。

食べることは、多くの方にとって喜びであり幸せ。喜び優先なのか歯の健康が優先なのか?喜び優先であることは明白!黒砂糖、九皿・・その方の人生において喜びなのです。「食べるために」五年前に書いておりました、お時間あれば是非こちらも読みください。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 628 一日二善

「餡パンの紙袋提げ夏の果」下山光子

2023/08/15投稿
立秋(8/8)はとうに過ぎていますが「夏の果」なぞ、程遠い日々です。句の解説は『季語は「夏の果(はて)」。そろそろ、夏もおしまいだ。朝夕には、いくぶんか涼しい風も吹きはじめた。あれほど暑い暑いと呻(うめ)いていたくせに、いざ終わりとなると少し淋しい気がする。そんな情感が、さらりと詠まれた句だ。なんといっても「餡パンの紙袋」を提げているのが良い。代わりに同じ食べ物でも、茄子や胡瓜などでは荷も句も重くなりすぎるし、かといって水羊羹や何かの菓子の類では焦点がそちらのほうに傾いてしまう。その点餡パンは、主食というには軽すぎるし、お八つというにははなやぎに欠ける。よほどの餡パン好きででもない限り、食べる楽しみのために買うというよりも、ちょっとお腹がすいた時のために求めておくというものだろう。だから、餡パンの紙袋を提げていても、当人にはいわば何の高揚感もない。いくつかの餡パンをがさっと紙袋に入れてもらい、ただ手にぶらぶらさせて歩いているだけである。その気持ちの高ぶりが無いままに、しかし四辺には秋の気配がなんとなく漂いはじめているのであって、このときに作者はさながら紙袋の軽さで夏の終わりを実感したというところか。深い思い入れではないだけに、逆にあっけなく過ぎていく季節への哀感がじわりと伝わってくる。『茜』(2004)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は前回「一日二食」への追加です。

タイトルを考えるに「一日一善」が浮かびました。改めて語源(由来)を調べてみてビックリ!「一日に善いことをひとつしましょう」と文字通り理解しておりました。では善いこと「一日一善」の善とは?

この「善」には六つあり、他人に対する「善」は大方ひとつのみで、他は自分に対する行いのようです。一日一善とは自分自身に対して「善いこと」しましょう!の意味なんです。

一日一善:「一日に一回は善い行いをして、それを日々積み重ねなさい」「「一日一善」は仏教の「六度万行」から来ています。お釈迦様は善い行いを六行とし、「布施=親切にする」「持戒=約束を守る」「忍辱=忍耐」「精進=努力」「禅定=反省」「智恵=考え智恵を高める」の六つから成り立った言葉です。この事から、お釈迦さまはこの六行のどれか一つでも一日の中で実践することで、他の五つも行ったと同じ事になるというように教えました。よって、一善というのはこの六行のうちのどれか一つの言うことを指し、それが元で「一日一善」という言葉が生まれました。」(出典はこちら)。

さらに詳しく調べると・・六度万行(ろくどまんぎょう)とは『布施持戒忍辱精進禅定智慧六度六波羅蜜)を成就するためのあらゆる善行・徳行のこと。『大品般若経』では「六度相摂」を説き、六度行の中に菩薩行のすべてが含まれているとする。浄土教では、そうしたすべての行の功徳が念仏に包摂されているとし、これをとくに六度念仏、あるいは方行念仏という。『無量寿経釈』には、念仏は正、万行は雑と説かれている(昭法全八四)が、その万行の眼目が六度行であることには変わりない。』(出典はこちら)。

布施:ふせ 出家修行者、仏教教団、貧窮者などに衣食その他を施し与えること。
持戒:じかい 戒律をたもつこと。破戒・捨戒に対することば。仏教に帰依する者の根本として生活態度を律すること。
忍辱:にんにく 耐え忍ぶこと、堪忍すること、認めること、忍可すること
精進:しょうじん ひたすら努力して怠けることなく、仏道にかなった善行を勇敢に実践し続けることを意味する
禅定:ぜんじょう 智慧を得るために精神を集中させること。
智慧:ちえ ものごとを判断し、決定する心の働き (全て引用元はこちら)。

他人への善なる行為は「布施」のみで、他の五つ「持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」は自分自身への行為です。善行・善い行為というより、生き方における「善」です。先日(8/11)の朝日新聞「折々のことば」・・「なにもしないことはなにもしないのではなくて、悪いことをしているのだ 佐橋滋」

「一日一善」を今以上に心がけるならば、世の中の「一日一進」は可能です。画像にあるように「消防士は火の粉を被っても現場に飛び込んで行く」・・施設の関係者の方々、訪問診療に携わる皆様、いかがでしょうか。「一日二膳」を真剣に考えてみてはもらえないでしょうか。ではでは、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 627 一日二食

「よく噛んで食べよと母は遠かなかな」和田伊久子

2023/08/10投稿
「台風のたたたと来ればよいものを 大角真代」台風6号に関して同感です。以前より公共交通機関運休が早めすぎ長すぎのような気がします。句の解説『季語は「かなかな」で秋、「蜩(ひぐらし)」に分類。どういうわけか我が家の近隣では,ここ十数年ほど、まったく鳴いてくれなかった。それがまたどういうわけか、十日ほど前から突然にまた鳴きはじめたのである。数は少なくて,一匹か二匹かと言うほどに淋しいが,とにかく「かなかな」は「かなかな」である。素朴に嬉しい。そして、なんと昨日は朝の起き抜けにも鳴いた。まだ明けきらぬ四時半くらいだったか、一瞬空耳かと疑い,窓を大きく開けてたしかめたら、たった一匹だったけれど、やはり「かなかな」であった。早朝の鳴き声は,田舎にいた少年時代以来だろう。夕刻の声は寂寥を感じさせるが,早暁のそれは清涼感のほうが強くて寂しさはないように思われる。やはり一日のはじまりということから、自然に気持ちが前に向いているためなのだろうか。懐かしく耳を澄ましながら、しばししらじらと明けそめる空を眺めていた。伴うのが寂寥感であれ清涼感であれ,「かなかな」の声は郷愁につながっていく。「子供にも郷愁がある」と言ったのは辻征夫だったが、ましてや掲句の作者のような大人にとっては,「かなかな」に遠い子供時代への郷愁を誘われるのは自然のことだ。遠い「かなかな」,遠い「母」……。もはや子供には戻れぬ身に、母の極めて散文的な「よく噛んで食べよ」の忠告も,いまは泣けとごとくに沁み入ってくるのだ。私たち日本人の抒情する心の一典型を、ここに見る思いがする。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)』(引用元)。今回は歯磨きと「一日二食」について。

訪問診療でいろいろな施設に行きます。それぞれ特色があり、はたから見ると違いとして見えてきます。施設利用者の方々の口の中も十人十色、キレイな人もいれば汚れている人もいます。利用者のレベル(介護度、認知症程度等等)に大きく左右されますが、施設の方針の違いも影響するしているように思えます。ある施設は「自立支援」が目標。食堂の椅子から車椅子に移ろうとされる時に、手を貸そうとすると「ご自分でできることはご自分でしてもらいます」とのこと。歯磨きも同様「歯ブラシを持てる方には自分で磨いてもらいます」・・理解できないでもないです。椅子に座る行為(動作)は座ってしまえば完了します。しかし歯磨きは違います。洗面で歯ブラシを手に磨かれても・・「磨いた」と「磨けた」は異なります。食事の際にほんのひと口箸を付けただけで「食べました」とはなりません。ほぼ食べ終えて「食べました」です。

利用者の食後の口腔清掃介助はかなり大変です。口を開けてくれない、歯ブラシを噛む、嫌がる・・等々。ただ、訪問していると結構きれいにしていらっしゃる施設もあります。清掃介助は大変です!そこで汚す前に「汚れにくい、汚す量を減らす」方法を考えてみませんか?という提案です。
1)おやつを考える!ある施設の午前十時ごろ・・おやつの時間でした。お茶と小皿に「黒砂糖」(鹿児島では結構身近です)のかけらが数個。遠目に見ていると「おまけしとくね」ともう一個。歯科医師としてはアリャアリャです。歯の表面の汚れのきっかけは砂糖です。他のものに変えてみませんか?提案したらおそらく「費用の問題」開口一番出て来そうです。口の健康(言わばその方の寿命)と費用は、どちらが優先?

2)自立支援であっても清掃介助は必要!くどい様ですが「腰掛ける」と歯磨きは違います。可能であれば(利用者の方がさせてくれれば)介助は必須です。利用者の方の顔に汚れが付いていれば洗ってあげるでしょう。口の中の汚れ、歯の汚れ、義歯の汚れは他人には見えにくいだけなんです。介助が必要です。

3)施設利用者の食事を「一日二食」にする!今回の提案の中で最も真剣に考えて欲しいことが「三食から二食へ」です。雑誌サライの記事によると「現代では、基本的に1日3食が当たり前ですが、これが定着したのは江戸時代・元禄期(1688~1704年)以降のこと。江戸中期に、さまざまな産業の生産性が高まり、流通が盛んになるまでは1日2食が普通だったのです」(出典元)。一日三食は、端的に言えば江戸中期以降の食習慣に習っているだけのことです。医学的にも三食より二食が良いとの記事が目に留まります。

─―日本では一日3食が健康の基本だと教わります。あまり食事をしないほうが健康にいいということですか。
すべての人が実践できるアドバイスがあるとすれば、食べる回数を減らすことです。一日3食も必要ありません。」記事はこちら是非お読みください。

「胃腸は、4~5時間以上、食べ物を入れない時間をつくらないと正常に働いてくれないといわれています。消化・吸収の時間を考えても、それは正しいと考えます。
このため1回1回の食事の量を減らして回数を多く食べるよりは、食事の回数を減らし絶食時間を長くしたほうが、消化管の負担にもならず、栄養吸収の面でも効率的です。
もちろん、これは単にエネルギー摂取という意味だけではありません。胃腸に負担をかけず、かつ細胞にあるミトコンドリアをリセットする効果もあり、アンチエイジングにも効果的です。」記事はこちら、是非お読みください。

画像はミキサー食。一日三食であれば、ミキサー食利用者の食事は朝昼晩に仮に四皿あったとするとミキサーにかける回数は12回です。ミキサー食の方が6人いらっしゃったら、72回ミキサーにかけることになります。一日二食に変えたなら、労働量・労働時間も減ります。加えて歯の汚れる量・回数も減るのです。二食に変えようとして二の足を踏むのは「利用者家族への配慮」でしょう。しかし、そこは医学的根拠を説明して理解を求めるべきだと思います。

施設のモットーは「利用者の幸せ」と異口同音に言われるでしょう。そうであるならば1)おやつをしっかり考える 2)歯磨き介助をする 3)一日二食へ変える じっくりそれぞれの立場で考えてください、お願いします。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 626 ジャムパン

「厚餡割ればシクと音して雲の峰」中村草田男

2023/08/07投稿
台風が近づいて来ております。厚餡とはアンパン・饅頭の類。句の解説『辛党(からとう)の読者(私もそうです)は、意表を突かれたかもしれませんね。季語は「雲の峰」で夏。もこもこと大きく盛り上がった入道雲を意識しながら、何も暑い季節に「厚餡(あつあん)」を「割る」こともあるまいに、と……。要するに、飲み助は甘いものを暑苦しいと思い込んでしまっているのです、たぶんね。でも、最近酒量の落ちてきた私にはよくわかるようなつもりになっているのですが、そんなことはないようです。薄皮の饅頭(まんじゅう)でしょうか。特に冷やしてあるわけでもないのに、手にする「厚餡」入りの菓子はどこか冷たく重く感じられます。作者が言いたいのは、この「厚餡」と「雲の峰」との質感の相似性でしょう。あの「雲の峰」も、いま手にしている饅頭と同じように、そおっと丁寧に「割ればシクと音して」割れるようだ。「シク」が眼目。「パクッ」でもなければ、ましてや「バカッ」でもない。あくまでも大切に割るのですから、無音に等しい「シク」と鳴るわけですね。日本のどこかで、今日もこんなふうに「雲の峰」を眺めている人がいるのかと思うと、それだけでも心が安らぎます。『銀河依然』(1953)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回はBBTime 623「アイディア」の続きのようなお話。

ほぼまいにちアクセスする「ほぼ日」8/1付からの引用です。
『・アイディアとか、クリエイティブとか、創造性とか、どういうものなんだろうと、ずっと考えてます。すごいものだと思うんですよ、そこからいろんなことが始まるし、人も金も集まるし、世の中のたくさんのことを変えてしまうことだってある。すごいんだけど、それはすごい人だけのものじゃない。それは、だれでもが出せる、どこからでも出てくる。そういうカジュアルで気楽なものだとも思うのです。』

『◆アイディアとはジャムパンである。
昨日、「ほぼ日」の道場でそういう話をしました。
「あんパン」って、明治の時代の大発明だと思います。で、それはすばらしいことだけれど、偉そうじゃないです。もともと、あんこは昔からあったものだし、そのあんこを餅でくるんだ大福も、小麦粉で包んでふかしたまんじゅうもあったわけで、同じことをパンでやろうとしたのがあんぱんです。パンをふくらますのにまんじゅうのように酒種を使ったと。すごそうじゃないけど、すばらしいアイディアです。だれもが、いつも、あんパンをつくろうとする心を持とう。と言いたいのですが、これはこれで「わたしなんかにできるかなぁ?」と思われやすいですね。』

『たしかに、大福やまんじゅうの方法を、パンに応用するというアイディアはたいしたものです。しかし、その「あんパン」が登場した後で、「あんこじゃなくて、このジャムってものを入れても、同じようにおいしい菓子パンができるんじゃないか」と考えてつくって売り出した人も、いるんですよね。それはそれですばらしいアイディアじゃないですか。さらにはクリームパンだとか、チョココロネだとか、揚げあんパンだとか、カレーパンだとか、あんパンと見た目も変えたおいしいパンが出るわけです。人はだれでも、いつでも、どこかで、わたしのジャムパンを探せると思うのです。アイディアというのは、ジャムパンでオッケーなのです。ぼくらのいつもの生活のなかに、ジャムパンは隠れている。江戸時代の人にも、あんパン以前の人にも、ジャムパンはまったく見えてなかったんですよね。アイディアって、すごいけど、自然に納得のいくものです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。書いてて、あんパンとジャムパン食べたくなっちゃったよ。』

ご存じの方も多いと思いますが、あんぱんもジャムパンも発明したのは「銀座木村屋」。「木村屋のあゆみ」に詳しく載っております。

おやつ堂開店して今月で半年になろうとしております。パン+ジャム=ジャムパン。ムシ歯予防+カフェ=ムシ歯予防カフェ。あんぱん、ジャムパンのように「ムシ歯予防カフェ」が根付くよう精進の日々です。暑さ、台風、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 625 生きる入り口

「うなぎの日うなぎの文字が町泳ぐ」斉藤すず子

2023/07/31投稿
はやいもので七月文月も今日でお終い、明日から葉月八月。昨日7/30が土用の丑でした。解説は『季語は「うなぎの日(土用丑の日)」で夏。ただし、当歳時記では「土用鰻」に分類。この日に鰻(うなぎ)を食べると、夏負けしないと言い伝えられる。今年は今日が土用の入りで、いきなり丑の日と重なった。したがって、この夏の土用の丑の日はもう一度ある。鰻にとっては大迷惑な暦だ。句のように、十日ほど前から、我が町にも鰻専門店はもちろんスーパーなどでも「うなぎの文字」が泳いでいる。漢字で書くと読めない人もいると思うのか、たいていの店が「うなぎ」と平仮名で宣伝している。面白いのは「うなぎ」の文字の形だ。いかにも「うなぎ」らしく見せるために、にょろにょろとした形に書かれている。なかには、実際の姿を組合わせて文字に仕立てた貼紙もあって、句の「うなぎ」表記はなるほどと思わせる。作者は、夏が好きなのだ。もうこんな季節になったのかと、町中を泳ぐ「うなぎ」に上機嫌な作者の姿がほほ笑ましい。今宵の献立は、もちろんこれで決まりである。私は丑の日だからといって鰻を食べようとは思わない性質(たち)だけれど、世の中には、こういうことに律義な人はたくさんいる。名のある店では、今日はさしずめ「鰻食ふための行列ひん曲がる」(尾関乱舌)ってなことになりそう……。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)』(引用元)。うなぎ食べたしと思えど、値段鰻登りゆえ食卓に登らず。うなぎでも竹輪でも口から食べる、生きる入り口についてのお話。

あまり詳しく書けないのですが(ご容赦の程)。ある時ある処(高齢者施設)からの依頼が「嚥下してくれないので何とかして欲しい」診せていただきました。職員さん曰く「モグモグするんだけどゴックンしてくれない」。口腔内はほぼ無歯顎(むしがく:歯がないこと)1本だけ根っこのみ有り。見てると確かにモグモグされます。舌の触診で「オヤッ?」・・舌根部(ぜっこんぶ:舌の奥、根本部分)がこわばって、口を開けてもらっても喉チンコが見えません。舌根部が盛り上がって、口の奥を塞いでいるような状態でした。また小生の指で、その方の舌根部を押さえても「ウエッ」とされません。診断:何らかの理由で舌根部の機能低下、よってモグモグしても奥が開かないので食べ物が入っていかない、ゴックンできない。

そこで「舌機能の回復、舌根部の運動改善」を考えました。ピンときたのが「竹輪」。5センチほどに切って口の中に・・モグモグされます(リハビリ目的)。竹輪であれば穴が空いているので万が一のリスクも低いかと思いつつ、食事前の準備運動的に見守りながらの「竹輪モグモグ」を勧めてみました。大丈夫だったかなと後日訪問すると・・。

竹輪がパンダに変わっていました。この器具「ペコぱんだ」は舌機能訓練器具です。詳しくはこちら。思いました・・パンダだけに竹(竹輪)と相性がいい!・・後日、モグモグに続いてゴックンができるようになったとのこと。そこで早速、舌を触診すると・・あら不思議、舌根部が軟らかくなっているのです。続きはまた報告します。

鰻丼には思い出があります。昔のこと・・初フルマラソンが指宿菜の花でした。30数キロ過ぎ、池田湖を背に海辺に出ます。マスクをして走る人を見て「なぜマスクなの?苦しくないの」と思いました(当時、コロナのコの字も世の中にない頃)。無事完走(四時間半)し帰宅後部屋で横たわっておりました。次第に強烈な空腹に襲われ黒電話(ケータイもない頃)で出前注文「あのう、鰻丼ひとつ」。来ました来ました!蓋を開け、湯気と香りを充分に吸い込んで、まずは鰻だけを口に・・ところが飲み込めません。喉が潮風にやられていて、痛みで飲み込めないのです。この時マスク走者の理由がわかりましたが時すでに遅し。もう一度気を取り直して口に・・やはり痛くてゴックン不可。唾液は出る涙も出る・・嚥下できないことがこんなに辛いとは!呆然としつつも何とかウナギだけは胃に収めました。

小生の鰻丼と嚥下障害は意味が違いますが、「口から食べる」ことは生きること、口は「生きる入り口」であると訪問診療をしていて切に思います。理由はそれぞれで解決できない、無理な場合もあることでしょう。しかし「口から食べる」を可能な限り死守してほしいと思います。また歯科医師の最終治療は「いかに口から食べることを可能にするか」だと今更ながら、今頃になって痛感しております。食べるを治療する、食べる治療、精進します。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 624 面倒臭い

「雨蛙めんどうくさき余生かな」永田耕衣

2023/07/17投稿
七月文月も後半、今年の梅雨は開けそうで開けない!句の解説は『耕衣、七十代後半の句。雨蛙の体の色は葉の上など緑のなかでは緑色をしているが、木の幹や地上に下りると途端に茶色に変色する。保護色の好例として、小学校の教室でしばしば引き合いに出されてきた。人間には保護色はないのだけれど、考えてみれば、状況に応じて態度を変えるなどしているわけで、心理的精神的な保護色はあると言わなければなるまい。ただし雨蛙が自然に体色を変えられるのとは違って、私たちの場合は、意志的にそれをする必要がある。そこが実になんとも「めんどうくさい」と感じることになる年代が「余生」だと、作者は述べている。きょとんとした雨蛙と、何もかもを面倒くさく感じはじめた俳人との取り合わせは、ペーソスの味を越えた不思議な明るい世界に通じているとも読める。「余生」を自覚するのは人それぞれのきっかけからだろうが、作者の場合はそんじょそこらの雨蛙に触発されての自覚であった。私などは「いつ死んでもおかしくない年齢」の自覚はあっても、どこかで「余生」とは認めたくない小賢しい気持ちのままに生きている。いずれ、作者のようにそんじょそこらの「何か」に、否応もなく「余生」を告知されるのであろう……。『殺祖』(1981)所収(清水哲男)』(出典)。今回は「口腔清掃・歯磨き」について「歯磨きはめんどうくさき日課かな」のお話。

カエルに歯はあるの?ハイ、あります。詳しくはこちら。歯はありますが砂糖を摂取しませんのでムシ歯にはなりません。ヒトは「歯」を持ち「砂糖」を食べ「ムシ歯菌」がいますので、ムシ歯になるリスク高しです。

人にとって歯磨きは必須ルーティン(日課)です。あまりにも急激な食生活の変化アンドの理由で、もはや避けることはできません。面倒臭きことであっても必要です。そこで少しでも面倒の少ない歯磨きを考えてみました。
1)そこそこの歯ブラシを数本用意する(ホテル備え付けなどはイマイチ)
2)基本的に歯磨き粉は不要(唾液磨きがオススメ)
3)いつでもどこでも歯を磨くためのタイミングと場所を考える
4)歯磨き粉が必要とか毎食後に磨くとか決めつけない
5)歯ブラシだけが歯磨き(口腔清掃)と決めつけない
6)舌で歯の表面を舐めて汚れの有無を感じ取る

では具体的に
1)数本用意する:同じ形(できれば色違い)で構いません。一本は自宅、他に仕事場、ベッドサイド、デスクの上などに置きます。このことで、いつでもどこでも歯磨きの可能性がアップします。(周りの理解が必要ですが)
2)歯磨き粉・歯磨きペーストは不要:食器洗い洗剤とは全く意味が異なります。食器用洗剤、洗濯用洗剤の多くは油汚れに対して効果を発揮します。歯の汚れは「物理的刷掃(さっそう)」でなければ除去できません。バイオフィルム(歯の汚れ)に薬剤は効果なし。歯磨き粉使用に期待できる効果は、フッ化物添加による再石灰化。もしくは殺菌効果を持つ薬剤による菌数減少だけです。しかも歯の表面に、これら薬剤が留まっている間のみ。ウガイしたら効果はほぼゼロ。ハンドクリームをつけた直後に手を洗うのと同じ。唾液の力で磨く方がベターです。最近、唾液のこんな記事を目にしました!こちら
3)歯磨きで自己磨き、歯磨きでリラックス、歯磨きでひと呼吸・・。自宅歯磨きでオススメは湯船磨きです。湯船に浸かりながらの歯磨き、まさにゆったり歯磨き。特に冬は湯船磨きがオススメです。

4)5)決めつけない!日本では歯ブラシがメインもしくは歯ブラシさえ使えばOKのような雰囲気がありますが、国によって異なるようです。ブラジルは歯ブラシよりフロス(糸)が主役と聞きました。ジーパンのポケットに常に入れてあり、すぐ取り出して使うとのこと。繰り返しますが、歯磨き粉は必須ではありません。歯ブラシだけでは汚れを落とし切ることはできません。私事で恐縮ですがポケットに常時「ホルダー付フロスと歯間ブラシ」を携帯しています。ヒマとチャンスがあれば使います。聞いた話ですが「フランス人は食事バランスを数日もしくは一週間で考える」とのこと。なぜか日本は「その日その日」が多いようです。歯磨きを一週間単位で考えるのは無理がありますが、数日単位で「歯ブラシ・フロス・歯間ブラシ」は有りだと思います。付け足すと「ウガイ」もある程度効果はあるし、野菜や果物をガシガシ食べるのも自浄作用促進です。
6)歯の汚れは見えない(見にくい)し、汚れが落ちたか否かも見えにくい。そこで「舌」です。全ての歯の表面を舌で舐めてみてください。慣れればできます!難しいのは上下の七番目(第二大臼歯)の奥の面。慣れれば舌が届きます。次にジックリ舐めてください。「ヌルッ」としているのは汚れています。「ヌルヌル」しているのは結構汚いです。きれいな面は「スルッ」とした感触です。これは舌の機能訓練にもなりますので是非!

高校時代に「机についてするだけが勉強ではない。工夫しなさい」と言われました。単語帳を作り通学途中に覚える。壁に貼る、トイレに貼る。語呂合わせで年号を覚える等々。歯ブラシに歯磨き粉をつけて洗面で歯を磨く・・否定はしませんが、目的は歯の全ての面をきれいにすること。方法や道具や場所、時間はそれぞれで構いません。ダイエットに王道がないのと同じく「歯磨き」も十人十色です。必要なことはあなたに合った方法を工夫すること、実践することではないでしょうか。歯磨きは面倒くさくなきにけり。次にご紹介する曲をBGMに唾液磨きをリビングでどうぞ。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。


BBTime 623 アイディア

「涼しさは葉を打ちそめし雨の音」矢島渚男

2023/07/03投稿
 早いもので昨日は「半夏生はんげしょう」。句の解説『私が子供だったころには、降り出せば屋根にあたるわずかな雨の音からも、それがわかった。でも、いまでは部屋の構造そのものが外の雨音を遮断するようにできているので、よほど激しい降りででもないかぎりは、窓を開けてみないと降っていることを確認できない。これを住環境の進歩と言えば進歩ではあるけれど、味気ないと言えばずいぶんと味気なくなってきたものだ。もっともたとえば江戸期の人などに言わせれば、大正昭和の屋根にあたる雨音なども、やはり味気ないということになってしまうのだろうが……。そんななかにあっても、「葉を打つ雨音」など、おたがいに自然の営みだけがたてる音などはどうであろうか。それを窓越しに聞くのでなければ、これは大昔から不変の音と言ってよいだろう。昔の人と同じように聞き、揚句のように同じ涼しさを感じることができているはずである。芭蕉の聞いた雨音も、これとまったく変わってはいないのだ。と、思うと、読者の心は大きく自由になり、この表現はそのまま、また読者のものになる。『百済野』所収。(清水哲男)』(出典)。先日の早朝坐禅・・雨音の坐禅でした。記憶に残るは昨夏「蝉時雨坐禅」・・蝉時雨の中での坐禅。もの凄い蝉の声でなくとも、堂内静寂ゆえ、土砂降りの蝉時雨として耳に届きました。今回はアイディアについてのお話。

ほぼ毎日読む「今日のダーリン」から。
・アイディアが泉のように湧いてでてくる会社にしたい。冗談のようだけれど、ぼくの夢はそれなんじゃないかな。アイディアというものは、なかなか、あるようでない。アイディアがなくても、ちゃんとかたちにはなるし、アイディアなんか不要だという場面もたくさんある。
 そういうことはわかっているのだが、アイディアがあったら、もっといろんなことができる。アイディアは人をよろこばせるし、そこに人も集まる。だから、アイディアを生み出せれば、食っていける。 
 どうやって、アイディアをこんこんと湧き出させられるか。 それについてのアイディアがほしい(笑)。「こんこんと湧き出せるようにしたい」と思っているなら、そのためには、まずはなにができたらいいのか。なんにせよ、出発点はそこだと思う。

 まずは、アイディアに気づけるかどうか、なのだ。スポーツをやっている人なら、選手がいいプレイをしたときに、そこにアイディアを発見することができる。もちろん、それを見つけられない人もいる。絵を描く人どうしだったら、他の人のいい絵を見たら、そこに、意識的にどうかはともかくとして、描いた作家のアイディアを見つけることができる。美術というのはアイディアのかたまりみたいなものである。専門の仕事を持っている人は、他の専門家の仕事に、「やるなぁ」というアイディアを見つけられるだろう。ひとりのお客として、いろんな店でサービスを受けても、「これはいいなぁ」というアイディアが見つけられる。

 他者のアイディアを発見できて、感心できるか。
 それがまずは、じぶんがアイディアを出せるかどうかの「はじめの一歩」なのだと思う。あくびしながらいやいや生きていたら、人のアイディアに感心もできなきゃ嫉妬もできない。「世の中のやつら、なんてすげぇんだ!」と、毎日がっくりと落ち込むくらいの毎日を過ごして、人のアイディアに憧れたり、そのまねをしたりしてると、いつのまにか、じぶんのアイディアの芽が出てくる。以上の考え方も、平凡だけれど、ひとつのアイディアだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。なによりまず発見。そして、感心と、清潔な嫉妬が大事かも。

肝(キモ)は「他者のアイディアを発見できて感心できるか」。言い換えれば、仕事などにおける「不満やうまくいかないことをひと(他人)のせいにする」。仕事で訪問診療に行きます。訪問先で四苦八苦、格闘されている職員さんの姿を見て頭が下がります。そんな時、岡目八目ですが「改善できないだろうか」「改善するためにはどうすればよいか」と思います。繰り返します「他者のアイディアを発見できて感心できるか」がキモですが、この一歩手前が「不満やうまくいかないことをひと(他人)のせいにして改善方法を考える」です。

本来の意味からずれるかもしれません。うまくいかない時に「自分のせい」「努力不足」「スキル不足」などと考えると、改善方法は「自分の頑張り」しかない!が結論となってしまい、原因不明のままで改善策も生まれません。ひとまず自分自身ことは置いといて、周り(職場環境)に原因があると考えましょう。周りに目を向けることで「他者のアイディアを発見できて感心できる」ようになるのではないでしょうか。

患者さんにも同じようなことが言えます。義歯(入れ歯)そのものが原因なのに「私の噛み方が悪いから」とか「歯茎が痩せたから」など、ご自分に原因有りと言われます。違います!ムシ歯も同様「歯磨きが悪いから」「お菓子の食べ過ぎ」など。これも(全てではありませんが)違います!ご自分で100%歯をキレイにすることはできないのです。

以前読んだ本に「アイディアは逆から読んでもアイディア」・・これもアイディアである。という趣旨の文章がありました。先日、訪問先での相談。「食事中に下の入れ歯(総義歯)が浮いて歯茎との間に食べ物が入って痛い」とのこと。外来診療なら方法は幾つかありますが外出は無理な方。そこで一考「フィンガーボウルのように、デンチャー(義歯)ボウルを用意していただくのは?」もちろん周りの人(施設利用者)への配慮は必要ですが。

取り留めのない話になりました、アイディアって取り止めのないボヤっとした時にポコンと生まれるような気がします。まずは「人のせいにする」「自分はやるべきことはやった」から考え始めてみてはいかがでしょう。・・くどくてすみません、ムシ歯ができたのは貴方だけのせいではありません。「歯は、磨いてももらうもの」。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。