BBTime 520 ゆめゆめ
「夏草や兵どもが夢の跡」松尾芭蕉
句の解説には『五月雨の降のこしてや光堂:旧五月十三日、芭蕉と曽良は平泉見物に訪れ、別当の案内で光堂(正式には金色堂)を拝観している。「おくのほそ道」の途次のことだ。句意を岩波文庫から引いておく。……五月雨はすべてのものを腐らすのだが、ここだけは降らなかったのであろうか。五百年の風雪に耐えた光堂のなんと美しく輝いていることよ。とまあ、これは高校国語程度では正解であろうが、解釈に品がない。芭蕉はこのように光堂の美しさをのみ詠んだのではなくて、光堂の美しさの背景にある藤原氏三代やひいては義経主従の「榮耀一睡」の夢に思いを馳せているのだからである。有名な「夏草や兵どもが夢の跡」はこのときの句だ。』(解説より抜粋)。今回は「ゆめ」について。
先日、目覚めた時に、ふと気が付いたんです。睡眠中に見る「夢」と、あなたの夢は?と聞かれて「はい、私の夢は宝くじ1等に当たることです」「ムシ歯をなくすことです」の「夢」は全く別物であるということに、今更ながら気が付きました。
全く同じ「夢」を使うため「どうせ夢なんだから、実現できなくてもいいんじゃない」「そんなの単なる夢よ」「バカな夢見るのはおよしなさい」等々、言われるのがオチ。目覚めるといつしか忘れてしまう儚い夢と「将来こうありたい」「いつしかこうなりたい」の「夢」が漢字も同じであるため、混同されていると思いました(これまた今更ながら)。
ラジオか何かで聞いたのですが、就寝中に見る夢は、寝ている間の脳内整理整頓で出たゴミだそうです。ホリエモンの文章に『僕が睡眠時聞を大事にするのは、ビジネスや遊びの能率を上げるためだ。人間は通常、睡眠中に浅い睡眠と深い睡眠を1~2時間のサイクルで繰り返す。脳内では、深い眠りの間に昼間の短期記憶が整理され、浅い眠りのときに長期記憶への固定化が行われるという。つまり、学んだ知識を自分のものとして定着させるには、睡眠中の記憶の固定化が欠かせないのだ』(出典はこちら)。ここに出てくる「深い眠りの間に昼間の短期記憶が整理され」た時のゴミとのこと。よって目覚めた時には夢の内容を覚えていても「おはよう」と言った瞬間に忘れてしまいがちだし、無理して思い出さない方が脳のためには良いそうです。寝ている間に見る夢はゴミ(不要なもの)ですが、若い時に見る夢はゴミではありません。
現在放送中のNHKラジオ第二「こころをよむ」の「健康長寿の”賢食”術」に「上医治未病」が出てきます。日経新聞記事に『中国の古い医学書「黄帝内経」にこんな記述がある。「上医治未病、中医治欲病、下医治已病」。大まかな意味は「一流の医者は、病気にさせない。二流の医者は、病気になりかかっている人を治す。三流の医者は、病気になっている人を治す」。一流の医者は、まだ病気になっていない「未病」を治すと諭している』(出典はこちら)。古い医学書「黄帝内経:こうていだいけい」とは前漢代に編纂された中国最古の医学書(wikipedia)と言われるもので、前漢とは紀元前206年−8年の王朝です。二千年以上も前に、病気になりかかっている人を治すのではなく、さらに手前の未病の人を治す医者が最良の医者であるという考えがあったことに驚きました。まさしく治療ではなく予防する医者です。
歯科医院の電話番号に「6480」を見かけます。ムシ歯ゼロの語呂合わせです。ムシ歯ゼロもしくはムシ歯予防は「夢」なのでしょうか。いえいえ決してそんなことはありません、実現可能なことです。「上医治未病」とはまさにムシ歯ゼロを実現している歯科医。全ての歯科医は「上医:最良の医者」になることができます。
夢を掴むような、いえ雲を掴むような話になりましたが、最後におまけをひとつ。今宵の夢見る前の歯磨きだけは「ゆめゆめ忘るるなかれ」の「ゆめゆめ」を漢字で書くと?・・驚くなかれ「努努:ゆめゆめ」なのです。では皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。8290