「映画出て火事のポスター見て立てり」高浜虚子
2024/01/30投稿 02/17インタビュー動画追加
鹿児島もここ数日冷たい日々です。まずは句の解説『映画館を出た後は、しばらくいま見てきたばかりの映画の余韻が残っている。と、街角に「火の用心」を呼びかけるポスターが貼ってあった。見ているうちに、作者の意識はだんだん現実に引き戻されていく。そんな状況の句だ。季語は「火事」である。この季語についての虚子自身の説明が、岩波文庫『俳句への道』に載っているので、引用しておく。「『火事』というものは季題ではあるが、他の季題に較べると季感が薄い、ということは言えますね。一体火事という季題は、我らがきめたものですし、火事はいつでもあるが、殊に冬に多いから、というので冬の季題にしたのですが、季感は従来のものよりも歴史的に薄いとはいえる。だからこれは季感のない句であるという風に解釈する人があるかも知れぬ。(中略)そういう人は季題趣味を嫌がっている人ではないですか。だが俳句は季題の文学である。……」。つまり、虚子は自分(我ら)で「火事」を冬の季題にし、そう決めたのだから、この句を無季句などとは呼ばせないと力み返っている。この自信満々が、虚子という文学者のパワーであった。(清水哲男)』(引用元)。先日、映画「PERFECT DAYS」を観ました、ラストシーンで感じたことについて。
解説にあるように「映画館を出た後は、しばらくいま見てきたばかりの映画の余韻が残っている」・・小生も同様。帰りしな用足しに公園トイレに・・ひょっとして平山さんが掃除したのかな、と。タイトルの「平常心是道:へいじょうしんこれどう、びょうじょうしんこれどう」は茶室で目にする禅語です。和尚さん曰く「多くの人は誤解していらっしゃいます。喜怒哀楽、波があるのが平常心であって、いかなる時も冷静にいるべきであると言うのではありません」。詳しくは是非「こちら」「こちらも」ご参照ください。
以前、BBTime「ブラシラブ・掃除」に引用しました無印良品の本「掃除」。2ページ目に「気持ちいいのはなぜだろう。」の一言。うしろ(484頁)の文章・・『自然に対してヒトがなした環境を「人工」といいます。人工は心地がいいはずなのですが、プラスチックやコンクリートのように自然を侵食する素材が蔓延してくると、ヒトは自然を恋しがるようになります。しかし自然は、放っておくと埃や落ち葉が降り積もり、草木は奔放に生い茂ります。したがって、自然をほどほどに受け入れつつ、適度に排除しながらヒトは暮らしてきたのでしょう。(中略)まるで、打ち寄せる波が砂浜を洗う渚のように、人為と自然がせめぎ合う「ほどほどの心地よさ」を探し当てること、それが「掃除」の極意なのかもしれません』『この先の未来においてどんなに技術が進んでも、ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです。』(引用元)。
詳しくは書きませんが平山さんは、日常に起こる非日常による「喜怒哀楽」をトイレ掃除によって、便器とともに心まで浄化しているのかも知れません。本「掃除」に明記してあるように掃除は「気持ちいい」のです。
深呼吸すると気持ちいい、お風呂に入ると気持ちいいなど、身体感覚においてはっきりと説明できないけど「気持ちいい」と感じることがあります。なんとなく気持ちいいのは、脳が明確に捉えていない(言葉にできない)けど、身体にはわかること。本「掃除」には『ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです』と。口の中が多少汚れていても、痛くも痒くもないけどなんとなく不快。キレイにすると息までキレイになったような清々しさを感じる。身も心も口もキレイにできる「歯磨き」、日常ルーティンである「歯磨き」・・心まで清める効果あります!
ここまで読まれても合点しにくいと思います。是非、映画を平山さんを観てくださいラストシーンを凝視してください。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。