BBTime 567 What a wonderful world

「朝寝して寝返りうてば昼寝かな」渥美清

2022/3/31投稿
鹿児島も桜満開です。お分かりのように渥美清は寅さんです。さて解説は『映画『男はつらいよ』で親しまれた俳優・渥美清の句です。亡くなったのが1996年で没後20年(2015年で)ですが、親しみのある顔と愛嬌のある声質が、まだ瞼に耳に残っているせいか、つい最近までお元気だったような気がしています。いや、映画の寅さんは、これからも新しい観客の心の中で産まれ親しまれるでしょうから、渥美清は死んでも、寅さんは、映画と日本語が存続する限り、観る人の心の中で産声をあげるはずです。なぜなら、寅さんはベビーフェイスだからです。赤ちゃんだから、よく寝ます。「とらや」の二階で、旅先の旅館で、よく横たわっていました。「とらや」のおじちゃんと喧嘩をしては、二階に上がって不貞寝をし、「いつまで寝てるんだよ、寅」と、はたきをかけているおばちゃんに、朝寝をたしなめられていました。掲句も、そんな寅さんの自堕落な午前中を描いているようにも思われます。しかし、朝から昼へとモンタージュで編集するところに、映画人が作った俳句だな、と感心します。また、「朝寝」という春の季語から「昼寝」という夏の季語へと一気に飛躍できるところに、この人の心の中に棲む風羅坊を感じます。ほかに、「朝寝新聞四角いまままっている」。俳号は風天。『赤とんぼ』(2009)所収』(解説より)。今回は名曲「What a wonderful world」について。

What a wonderful worldが反戦歌であったことを先日知り、驚き、涙しました。それまではタイトル通り、歌詞通りの歌であると思っていましたので。ネットには『「What a Wonderful World」がリリースされた1960年代後半は、ベトナム戦争が最も激化していた時代でした。  アメリカ本土でも、戦争の実情がテレビや映画フィルムによって報道されるなか、ベトナム戦争の惨劇を嘆いたG・ダグラスによって「What a Wonderful World」は作詞・作曲されました。  黒人への人種差別の意識がまだ抜けていない中、黒人であるルイ・アームストロングが反戦歌を歌うというのは、命の危険すらある勇気のある行動でした。  「What a Wonderful World」のリリース当初、アメリカでの宣伝活動がうまくいかなかったのも、テレビ局などがオファーを拒否していたという事情があるようです。』(出典はこちら)。

ラジオで聞きました。ルイ・アームストロング、愛称「サッチモ」「ポップス」がトランペットではなくひと回り小振りのコルネットを吹いていたのも、黒人差別が理由だったそうです。Wikipediaには『アームストロングが生まれ育ったのは、ニューオーリンズアフリカ系アメリカ人が多く住む比較的貧しい居住区であった。子供の頃、祭りに浮かれ、ピストルを発砲してしまい、少年院に送られた。その少年院のブラスバンドコルネットを演奏することになったのが、楽器との最初の出会いとなる。その後、町のパレードなどで演奏するようになり人気となった』(引用元)。

この曲のイントロ付きバージョン(1970年録音、亡くなる前年)を先日初めて聞きました。イントロ・・泣けてきます。まさに今の、今日の世界を憂いています。そして世界を地球を、人々を愛しています。
『Some of you young folks been saying to me.
“Hey Pops, what you mean ‘What a wonderful world’?
How about all them wars all over the place?
You call them wonderful?
And how about hunger and pollution?
That ain’t so wonderful either.”
“Well how about listening to old Pops for a minute.
Seems to me, it ain’t the world that’s so bad
but what we’re doin’ to it.”
And all I’m saying is see what a wonderful world
It would be if only we’d give it a chance.
Love baby, love. That’s the secret, yeah.
If lots more of us loved each other
we’d solve lots more problems.
And then this world would be gasser.
That’s wha’ ol’ Pops keeps saying.”(英文引用元

最近若いやつがよく俺にこう言ってくるんだ
「“この素晴らしき世界”ってどういう意味なんですか?」
「世界中で戦争が行われていますよね?」
「それも素晴らしいっていうんですか?」
「飢饉や環境汚染の問題もありますよね?」
「全然すばらしくなんてないですよ」
落ち着いてこのじいさんの言うことに耳を貸してくれ
俺には世界がそんなに悪いって思えない
人間が世界にしていることが悪いんだ
俺が言いたいのは、世界にもう少しチャンスを与えれば、
みんなその素晴らしさがわかるってことさ
愛だよ愛。それが秘訣なんだよ
もしもっとみんながお互いを愛しあったら
沢山の問題なんて解決される
そして世界はとびきり面白くなる
だからこのおいぼれは言い続けるのさ(和訳引用元

Louis Armstrong:1901/8/4−1971/7/6
寅さんも利己に執着せず人々を愛しました。時にマドンナを好きになりますが、人々を愛しました。寅さんが朝寝昼寝と惰眠を貪れるのも平和だから・・。この曲の聴き方が変わりました。さすが!サッチモ。Wonderful Satchmo!



BBTime 566 Agua:水

「そんなことよく思ひつく春の水」岡田史乃

2022/3/29投稿
本日、鹿児島は雨。句の解説『さて、「そんなこと」とは、どんなことなのか。「そんなこと」は、書いてないのでわからない。わかることは、「そんなこと」が「そんな馬鹿なこと、どうでもよいこと」に近い中身であろうということだけ。もしも「そんなこと」が、心より賛嘆すべき内容を持っていたとしたら、「春の水」と照応させたりはしないはずだ。水温む候、作者の機嫌はすこぶるよろしく、「そんなこと」にも立腹せずに微笑して応えている。また、あなたの馬鹿話がはじまった。それにしても、次から次へと、よく「そんなこと」を思いつく人であることよ。わずらわしい時もあるけれど、今日はむしろ楽しい感じだ。目の前には、豊かな春の日差しを受けてキラキラと輝く水が流れている。全て世は事もなし。束の間ではあるかもしれないが、至福の時なのだ。ところで、句の成り立ちを作者の立場になって考えてみると、上中の十二文字は素直にすらりと出てきたはずだが、さあ、下五字をどうつけるかには少なからず腐心したにちがいない。それこそ「春の水」を「思ひつく」までには、相当に呻吟したと推察される。すなわち、突然口を突くように出てきた上中のフレーズを、簡単に捨てるには忍びなかったということ。反対に、実は一切そんな苦労はなかったのかもしれないが、長年俳句を読んでいると、つい「そんなこと」までをも気にかけてしまう。ビョーキである。史乃さん、間違ってたらごめんなさい。『ぽつぺん』(1998)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回は「どうでもよいこと」ではなくて・・「水」にまつわるお話。

過日、奈良の和菓子屋のご主人のお話を聞く機会に恵まれました。「私にできることは吸水・加熱・加糖のみ。可能な限り本来素材の持つ良さを損なわないよう」の言葉が響きます。菓子材料に、材料を作る農家の方々に、菓子作りの道具製作者への敬意が随所に感じられます。素材の持ち味を失わないように、ベストでミニマムな「吸水加熱加糖」のみが和菓子屋のできることで、美味しさは素材が持っていると。確かに「樫舎:かしや」の美味しさは作られたものではなく、引き出された味であると思います。和菓子に対する並々ならぬ愛が感じられ、その愛は素材への敬意であり、農家・道具の作り手への尊敬の念です。また、手を加えることを最小限にとどめるのは、人が手を掛ければ掛けるほど素材が「穢れる:けがれる」からともおっしゃっていました。寺社への奉納(納入)が多く、寺社関係者の方とのお付き合いの中でそのように思わられるようになったとのこと。樫舎についてはこちらの記事も是非!

奈良の良さ・京都とは違う品格は、言わば「自己主張しない」であるような気がします。京都より長い歴史を持ち、歴史に育まれた今の奈良の持つ真の力なのでしょうか。

「水」のお話と言いながら「吸水」のみ。実は今月御紹介したい二曲が「水」なのです。最後に取って付けたように歯磨きについて。過去に何度か書いてますが、水というか唾液による歯磨きをお勧めします。歯磨き粉使用の方が落ち着くという方は、充分に唾液で磨いた後に仕上げでペーストを少しつけてください。吸水から唾液磨き・・まさに我田引水!その曲とは「三月の水」と「おいしい水」です。4939

BBTime 565 外方向かれる

「たんぽぽのサラダの話野の話」高野素十

2022/3/15投稿 3/18合格率について追加
春になると好きなこの句を思い出し、今年こそは「たんぽぽサラダ」を食べようと思いながら未だ実現せず。『たんぽぽが食べられるとは、知らなかった。作者も同様で、「たんぽぽのサラダの話」に身を乗り出している。「アクが強そうだけど」なんて質問をしたりしている。そこから話は発展して野の植物全般に及び、「アレも食べられるんじゃないか、食べたくはないけれど」など、話に花が咲き、楽しい話は尽きそうにもない。』(解説より一部抜粋)。今回は好きの反対と言える「ソッポ向かれる」について。

先日のこと、九州南部地方都市の駅窓口に「受付は夜七時で終了します」との知らせ、ショックでした。今まで仕事帰りに次回の切符を買っていたものですから・・。昨春、二枚切符が廃止され、通常購入より安くなるネット購入を利用。ネット決済しても事前に駅窓口で紙切符購入が必要です。にもかかわらず、窓口購入可能は朝7:30から19:00までとなったのです。ネット予約切符は券売機では買えません。年々、JRのサービスが低下していると思ってしまいます。

ネット利用は客のためではなく「 JR職員」のためなんですね(きっと)。小生思うに「客の方を見ていないと外方向かれますよ」。郵便事業然り。昔、永六輔さんがラジオで「年賀状の早目の投函を呼び掛けるのであれば、安くすべきじゃないの?」・・賛成!郵便局員のために早く投函するわけですから「早割」があって然るべきです。その郵便、さらにサービス低下の報道を先日耳にしました。多くの人が年賀状から離れていくのも頷けます。以前は年賀状以外にも「なんとかメール」と銘打って盛んに宣伝していましたが、今もあるのでしょうか。客が離れるのも当たり前でしょう。その点、クロネコはエライと思います。郵便に関しては昔ブログに書いておりました、「郵便局のサービスは?」ご参照の程。JRもJPも民営化されたとは言え、公共インフラですから存続するでしょうけど愛されなくなるかも知れませんね。

「客を見ていない」は人事(ひとごと)ではないのです、歯科医師も同じ。「歯科治療」にのみ注力していると、近い将来必ずやソッポ向かれます。何度も書きますが「ムシ歯はほぼ完全に予防できます、回避できます」。にもかかわらず「待ちぼうけよろしく、診療所内で「ムシ歯の患者さん」を待っているのでは、歯科医師の未来は今以上に暗くなるでしょう。歯科治療は「人の不幸がメシの種」かたや歯科予防は「人の喜びが種」です。

「たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ」坪内稔典
ちなみにタンポポを英語でdandelion:ダンデライオン。文字通り「ライオンの歯」詳しくはこちら。JRも郵便も歯科医療も「おしりに火が・・」なのかも知れません。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

追加:外方むかれている根拠「合格率最低」について
3/16に厚労省が発表しました。記事では『厚生労働省は2022年3月16日午後2時、医師国家試験と歯科医師国家試験合格発表を行った。合格率は、医師が91.7%、歯科医師が61.6%。前年(2021年)の合格率と比較すると、医師は0.3ポイント増加、歯科医師は3ポイント減少となった』(引用元)。医師より30%も低い合格率です、単純に考えると医師より歯科医師の方が1.5倍難しいと言えます。大学入試の偏差値では医学部の方が歯学部より高いのに、最終ゴールである国家試験において歯学部の方がかなり狭き門であるとは不思議だと思いませんか。しかも今年(2022年)の合格率は調べた範囲では戦後最低、ということは現行国家試験において最低です。一説によると「医師は何点以上は合格」に対して「歯科医師は上から何人」で合否を決めているとのこと。ズバリ歯科医師は2,000人です(今年は1969人)。すなわち、厚労省は歯科医師数は十分足りていて、これ以上は必要ないと見ているようです。完全に外方向かれています!さて、どうする?


BBTime 564 つなげたい

「携帯でつながつてゐる春夕べ」田口茉於

2022/3/14投稿
画像は朝日、去る3/10朝6:47の桜島。さて今回は昨年秋、ある募集に応募したエッセイのご紹介。テーマは「つながり」、ではでは・・タイトルは「おかげさま」です。
 人はさまざまなつながりの中で、生まれ、育ち、生きて、死ぬ。親のつながりで生まれ、親とのつながりで育ち、社会とつながりながら生きて、一生を終える。学生時代、生化学の試験で苦い記憶がある。試験中、解けない問題を前に今この腕の筋肉で起こっている反応なのに、見えない、理解できないとはと地団駄を踏んだ。その後、歯科医として臨床にあたる中で、この時の苦い記憶から「内とのつながり」を考えるようになった。
 内とのつながりとは「人は体内における様々なシステムに類似した行動行為をとる・類似したモノを作る」である。例えば「免疫と挨拶」:都会では薄れてはいるが、いまだ田舎では道すがら出会う人と挨拶を交わす。会釈だけで済ませることもあるが、相手を認識する。これは免疫システムに類似している。免疫では「自己非自己」が肝で、それは自己(味方)なのか、ウイルスなど体外から侵入した非自己(敵)なのかを見極めるのである。非自己であるとわかれば攻撃して排除する。「あんたはどこの人かえ?」「〇〇の次男です」「言われてみれば母親似やなぁ、大きくなったね」というように敵味方を挨拶によって識別している。
 また「常在菌と時間配分」。口腔内の常在菌の棲み分けは三歳の頃には決まると言われ、三歳までにムシ歯菌が少なく、他の菌が多く棲みついた人はムシ歯になりにくい一生を送ることができる。腸内細菌フローラにおける善玉菌と悪玉菌なども同様である。この棲み分け言わばシェア(比率)は行動の時間配分に類似する。大人から見れば、子供は暇そうに見えるが、子供には子供のやるべきことが日々決まっており忙しいし、中学生から見れば幼稚園に通う弟には十分な時間があるように見えるが、弟は弟でスケジュールがぎっしり埋まっている。
 はたまた何かとニュースになる浮気も然りで「新陳代謝と心変わり」。人体は長くても髪の毛の数ヶ月で、多くは日々新しい細胞にとってかわる。半年も経つと細胞レベルでは別人となる。余談だが歯は新陳代謝しない。

 体内と人との究極の類似は「細胞壁と廓然無聖」ではないだろうか。動物細胞には壁がない、達磨さんは「廓然無聖」と言い放った。まさに壁はない。
 内とのつながりを考えるに逆も真なりと、行動変容で体内の状態を変えることができるのではないか。笑うと免疫力がアップすると言われ、数々の実験で証明されているのが好例である。未だ人体の謎は多く、謎の解明は医学の発達につながる。ヒトの習性とも言えるような行動行為が体内活動の何に類似しているかを研究することで、謎解きの手助けになるのではないかと思う。
 もうひとつ例をあげるならば現在のネット社会である。デジタル機器そのものも人体の模倣と言えるが、インターネットやデジタル機器の使い方なども、まさに体内と同じである。血管が毛細血管となってまさに隅々までネットワーキングしている。血管に加え神経も然り。様々な物質の運搬が血管のネットワークでなされていることは、宅配などの物流に他ならないし、痛みや温度などを感知し脳に届ける神経はSNSである。しかも知覚神経と運動神経の関係は、ネットの特性のインタラクティブ(双方向)と同じである。

 「つながりで生まれ育ち生きて死ぬ」において他者や環境とのつながりが重要となる。思うに「つながり」とは自己と体内、自己と他人、はたまた自己と地球など、本人が認識しているつながりもあれば、気がついていないつながりもある。すなわち宇宙を含めた人様によって生かされている。お陰様に「陰」の字を用いるのは、認識されていないつながりを暗示しているのではないか。「おかげさま」が「つながり」の極意と言えよう。

「悲しみはつながっているカーブする」徳永政二
句の解説に『2011年も終わりに近づいている。自分が生きてきた中で今年は今までと違う一年だったと思う。3月11日の東日本大震災の津波と原発事故。私は現地へ行ったわけでもなく、被災した人たちから直接話を聞いたわけでもないが、深く心に突き刺さった出来事だった。いや「だった」と過去形ではなくそれは今も続いている。一度起こったことは片付くなんてことはない、それは形を変えていつまでも続くのだ、と言ったのは夏目漱石の『道草』の主人公だったと思うが、そうした現実から滲みだしてくる悲しみが人の心を伝わって双曲線を描きながら自分に帰ってくる。それが言葉になって表現できるようになるのはいつだろうか。川柳は俳句にはない直接性があり、時折ダイレクトな言葉の手ごたえを感じたいときには川柳を読む。』(解説より抜粋)。ウクライナの青空が赤く赤く焼け、小麦の実る豊かな大地が焦土となっている。祈りだけでもつなげたい!ご自愛の程。

BBTime 563 Say No!

「耕人は立てりしんかんたる否定」加藤郁乎

2022/3/9投稿
まずは句の解説から『土とともに生きるのは容易なことではない。農家の子供だった私には、よくわかる。いかに農業が機械化されても、同じことだ。春先、田畑をすき返す仕事はおのれの命運をかけるのだから、厳粛な気持ちを抱かざるを得ない。春の風物詩だなんて、とんでもないことである。この句は、土とともに生きてはいない作者が、土とともに生きる人の厳粛な一瞬と切り結んだ詩。かつての父母など百姓の姿も、まさに「しんかんたる否定」そのものとして、田畑に立っていたことを思い出す。いまどきの人の安易な農業嗜好をも、句はきっぱりと否定している』(解説より)。最近目についた記事二つご紹介します。

ひとつ目は『歯科業界に横行するカネ儲け主義 高額医療への誘導を“撃退”するベストな方法を指南』(出典はこちら)。仰々しいタイトルですが結論は極めてシンプルで「Say No!」「いいえ!」「考えてみます」「今回は結構です」などと断ることです。記事には『そこは初めての歯科医院だったのですが、自由診療(保険外治療)を勧めてくるので、保険でお願いしたいと伝えると、先生の口調が急に不機嫌そうになった。そして『保険だと、歯を残せないよ』という。もうかかりたくないのですが、しっかり断ることができなくて困っています』『「自由診療のほうが適切な場合があるのは事実。しかし、自由診療なら歯が残せて、保険診療だとうまくいかないというケースはほとんどありません。明らかに、高額医療への誘導です」  そんなことを平気で口にする歯科医師は許しがたいと話す斎藤氏だが、最近そうした傾向がより強くなっているという』(引用元)。

小生(歯科医師)からすると「断りにくい」がピンときません。記事にも『斎藤氏は「患者さんは自分の考えをはっきり、歯科医師に伝えるべきです。遠慮する必要ありません」と話す』。医療と言えど、ある意味買い物ですので納得いかなければ、気が進まなければ「買いません」「他の商品はないのですか?」など言うべきだと思います。また現実的には、いきなり「保険の歯にしますか?陶器の歯にしますか?」の場面は来ません。初めての歯科診療所・歯科医師であっても1回目2回目と重ねるごとに「なんか違うな」「儲け主義かも」などの雰囲気を感じると思います。これは「私の望む歯科治療・治療方針ではない」と思ったら、次回予約時に「予定が分かりませんので、こちらから電話します」と言って去るのがスマートでしょう。

記事は続きます『「一度、不信感を覚えた歯科医師のもとで治療を続けるのは、苦痛以外の何物でもない。やはり、別の歯科医院に変えるほかはないような気がします」  ただ、それを言い出すにはかなりの勇気がいる。「別の医院に行きます」と言える患者は現実には少ないだろう。毎回、診察が終わると、うながされるがままに次の予約を入れて、ずるずると通院を続けてしまうのだ』。記事には「勇気がいる」とか「ずるずる」などとありますが、これが事実だとすると患者さん側にも問題があります。はっきり言いますけど「ご自分の体」ですよ、「一度削られたら元に戻らない」のですよ、それなのに義理人情で治療続けるのですか?歯科医師歯科診療所は十人十色、ピンからキリまでいます。「違う」「やばい」と思ったら無断キャンセルであろうが「電話します」でもいいので止めるべきです。あなたの歯を守るのはあなたしかいません・・ただし「あなただけで完璧に守れないのも事実です」。となるとベストな方法は後手後手医療から先手先手予防に考えを変えることです。

二つ目の記事は『ウクライナ侵攻 銀歯の材料「パラジウム」価格急上昇で危機感』。ご存じかも知れませんが、歯科用金属の金銀パラジウム合金(金パラ)には20%のパラジウムが含まれています。『仕入れ価格は30グラムあたり2万円近く値上がりして、診療報酬の基準となる価格よりも1万円以上、高くなっているということです。金銀パラジウム合金の価格は、これまでも上昇傾向にありましたが、ウクライナ情勢の悪化が追い打ちをかけているとしていて、歯科医院ではこのまま価格の高騰が続けば、持ち出しが増え、経営を圧迫して、人件費などを削らざるを得なくなると、危機感を募らせています』(引用元)。ひょっとするとパラジウムの高騰を理由に、保険外の被せ物を勧める歯科医がいるかも知れませんが、保険診療は価格(保険点数)が決まっていますので、患者さんには無関係な話です。また現在保険では、条件付きですが6番目の歯までは白い被せ物(CADCAM冠:キャドキャムかん)が保険適用です。歯医者が削る前に「被せ物は白ですか?銀色ですか?」と確認されることを強く勧めます。もし、突然歯医者が削り始めたら左手を上げてうがいを希望し質問された方がよろしいかと。

今からでも遅くありません、まずは予防(歯石取り・クリーニング)で受診されることをお勧めします。不幸にも治療(削ること)が必要な場合は、削られる前になんの目的でどのような治療なのかをしつこいまでに聞くこと。そうして納得いかなければ「その治療は次にしてください」と言って次の予約を入れないことです。皆さま、くれぐれもご自愛の程ご歯愛の程。