BBTime 655 シンブログ

「ある朝の焼海苔にあるうらおもて」小沢信男

2024/04/26投稿 4/25「惜春のバタークッキー
4/30「バウハウスのポスター」 5/8「河内晩柑
本当に、今年は晴日の続かない春です。句の解説『海苔(のり)に裏と表があるくらいは、誰でも承知している。でも、食卓でいちいち裏表を気にしながら食べる人はいないだろう。ご飯などに巻きつけるときに、ほとんどの人は海苔の表を外側にしていると思うが、無意識に近い食べ方である。ところが、作者はある朝に、どういうわけか海苔の裏表を意識してしまった。「ふーむ」と、箸にはさんだ「山本山」か何かの焼き海苔を、裏表ひっくり返してみては、しきりに感心している。こんな図を漱石の猫が見たら、何と言うだろうか。想像すると、楽しくなる。しかし、こういうことは誰にでも起きる。当たり前なことを当たり前なこととして直視することがある。他人には滑稽だけれど、本人は大真面目なのだ。そして、この大真面目を理解できない人は、スカスカな人間に成り果てるのだろう。余談になるが「山本山」のコマーシャル・コピーに「上から読んでもヤマモトヤマ、下から読んでもヤマモトヤマ」というのがあった。すかさず「裏から読んでもヤマモトヤマ」と反応したのが、今は早稲田大学で難しそうな数学の先生をやっている若き日の郡敏昭君であった。『足の裏』(1998)所収。(清水哲男)』(引用元)。誰でも承知している?・・知ったのは大人になってかなり経ってからでした。アルミホイルの表裏は知ってましたが。今回は新連載ブログについて。

去る二月のこと。美味しい生パスタの店「トマトの実」のカウンターに雑誌オレンジページ。パラパラめくると「エディター募集」の記事。原稿料なしですが、(ライターになる)良いチャンスと思い応募したところ採用されました!今月中旬オンライン説明会後、アップ可能となりました。オレンジページエディターとして随時ブログをアップしていきます。「オレペエディターblog」です、是非ご覧ください。

冒頭の句の解説に『どういうわけか海苔の裏表を意識してしまった』・・実は小生には、このようなことが多々あります。と言うより癖か性分なのか「当たり前な事に何故だろう?」と疑問を抱きます。例えば・・学生時代に「(超個人的に)日本人の定義は?」と思い、小生なりの答えは「日本文化を嗜(たしな)んでいる」・・その後、社会人になって「茶道」を習い始めました。ブログではカルノ的視点で感じたことを文章化していきます。

プロフィールの文章:はじめましてカルノです。歯科医になって38年、ムシ歯予防カフェ「おやつ堂」店主として丸一年。興味あること多かれど、大まかに「食う飲む遊ぶ、はは大事」にちなんだブログをアップします。「食う」鹿児島のみならず旅先でのグルメやスイーツ。「飲む」ワインを主に抹茶・茶道についても。茶道は茶名「宗秀」にて裏千家専任講師。「遊ぶ」は旅や生活雑貨など。「はは大事」歯は大事で健康や歯について。お見知り置きを!
https://www.instagram.com/oyatsu.do/

版画は黒木郁朝(いくとも)氏。内容が拙ホームページconnote.jpとかぶる事もありますが、ご容赦の程。ちなみにアルミホイル使用の際は「表裏どちらでも同じ」とのこと、詳しくはこちら。「あれなんだっけ?」「なぜなの?」などの疑問などございましたら遠慮なくリクエストください。ジャンルは「食う 飲む 遊ぶ」「はは大事」がメインです。ちなみにご紹介1曲目は「あれ、なんだっけ(名前が出てこない)」を英語で「Whatchamacallit=What you may call it.」。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 654 アースデイ

「あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ」三好達治

2024/04/22本日アースデイ、当ブログの誕生日(1999/4/22)
4/25新連載スタートしました!こちらです
そうなんです、25年前のアースデイに拙ブログ「connote:カノート」はスタートしました。いつの間にか四半世紀経ちました、驚きです。句の解説『陰暦の歳時記では四月はもう夏だけれど、ここでは陽暦でしばし春に足をとどめて春を惜しんでみたい。三好達治という詩人とあんぱんの取り合わせには、意外性があってびっくりである。しかも、ポチリと付いているあんぱんの臍としての一粒の葡萄に、近視眼的にこだわって春を惜しんでいるのだから愉快。達治の有名な詩「春の岬」は「春の岬 旅のをはりの鴎どり/浮きつつ遠くなりにけるかも」と、詩というよりも短歌だが、鴎への洋々とした視点から一転して、卑近なあんぱんの臍を対比してみるのも一興。行く春を惜しむだけでなく、あんぱんの臍である一粒の葡萄を食べてしまうのが惜しくて、最後まで残しておく?ーそんな気持ちは、食いしん坊さんにはよく理解できると思う。妙な話だけれど、達治はつぶあんとこしあんのどちらが好きだったのだろうか。これは味覚にとって大事な問題である。私も近頃時々あんぱんを買って食べるけれど、断然つぶあん。その懐かしさとおいしさが何とも言えない。いつだったか、ある句会で「ふるさとは梅にうぐひす時々あんぱん」という句に出会った。作者は忘れてしまったが、気に入った。達治は大正末期に詩に熱中するまでは、俳句に専心していたという。戦後は文壇俳句会にも参加していたし、「路上百句」という句業も残している。「干竿の上に海みる蛙かな」という句など、彼の詩とは別な意味での「俳」の味わいが感じられる。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)』(引用元)。今回は「春惜しむ」というよりクッキーの残り香について。

クッキーを頂きました。BONJOUR KUCHIBUE (坂田阿希子氏)のバタークッキー。缶を開けた途端にフワッと立ちのぼるバターの香、しっかり充分吸い込んでから包みを開けると、そこには整然とクッキーが並んでいます。

添えられたカードに「ザクっとした歯触りの後に、サクサク、ホロホロと軽やかにこぼれ落ちてバターの香りが広がる。発酵バターと2種類の砂糖、卵に小麦粉、主な原材料はこれだけです。だからこそ、その配合や素材のよさが美味しさを作ります」と。食べてみるとわかります、がそれだけではありません。坂田さんの「思い」も入ってます。ザクっサクサクホロホロそしてニッコリ!

「B」つながりで、福岡市「珈琲美美:びみ」のこれまたBブレンドが好相性です。オンラインで取り寄せ可能なようです。インスタグラム:@BONJOURKUCHIBUE2022 

鹿児島市は今日(4/22)も曇り、昨日は結構な雨でした。今年の春は天候不順で市内の花見処はイマイチだったように聞いています。ここ数年、春や秋が短い、春や秋が無くなった?などの声も。四季が二季になっていくのでしょうか。その昔、春が来て梅雨が来て初夏、盛夏でした。いつしか春、初夏、梅雨、盛夏。ひょっとすると、今年は短い春、梅雨、盛夏となるのではと、アースデイにふと考えるのでした。

では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。
「クッキーの残り香噛んで春惜しむ」カルノ

BBTime 653 道

「どっちみち梅雨の道へ出る地下道」池田澄子

2024/04/20投稿
早い方は来週末から連休でしょうか。鹿児島は雨多く梅雨を思わせます。句の解説から『雨降りの日は地下道が混雑する。少々遠回りでも、なるべく雨を避けて歩きたい人が多いからである。かくいう私ももちろんその一人だが、しかし、句の言うように、いずれは雨の道に出なければならないのだ。そう思うと、わずかの雨を嫌がって地下道を歩いている自分が情けなくも滑稽に見えてくる。晴れている日と同じように、いつもの地上の道を真っ直ぐに行けばよいものを……。と、思いつつも、やはり地下道を選んで歩いてしまう。これが人情というものである。なお「どっちみち」は「いずれにしても」と「どっちの道」の二重の意味にかけてある。なんということもないような句だが、読者に「なるほど」と思わせる作者のひらめきは、なかなかどうして脱帽ものだ。自由詩では書けない世界である。いつか梅雨時の地下道で、この句を思い出して苦笑いする読者も少なくないだろう。「池田さんは正直に、デリケートに、またユーモアを秘めて時代と向き合っていると思う」(谷川俊太郎)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)』(引用元)。解説では「どっちみち」の「みち」について触れていますが、結句の「地下道:ちかどう」を強引に「ちかみち」と読めば「どっちみち」「梅雨の道」「ちかみち」と「道」がみっち(三つ)!今回は「道」について、去る4/8の「ほぼ日」から。

『・いまの時代には、なにかをはじめるときに、
 それがうまく完成するものなのかどうかを、
 見極めてからはじめるべしという考え方がある。
 いや、考え方のひとつというよりは、
 そうでなければやってはいけない、
 まちがうかもしれないことをやるのは無責任である、と「原則」のようにされてしまっている。かならず成功するために調査をし、テストを続けて推論し、方向が決定されても修正を加えながら進行していく。これは、コンピューターの進化のおかげで、デジタルデータを入れての「テスト」がほぼ無限にできることになったおかげも大きいだろう。』

『いま、ぼくの付け焼き刃「論語」ブームはまだ続いていて、昨日は呉智英『現代人の論語』を読み終えたところだ。この本の第33講に冉有(求)という弟子の話がある。かいつまんで記す。覇気がなくなかなか実行しない冉有と孔子との問答だ。
 「私は先生の説く理想の道を歩むのが
 うれしくないわけではありません。
 ただ私には力が足りないのです」
 と言う冉有に、先生がおっしゃった。
 「力が足りない者なら、
 進めるだけ進んでそこでやめる。
 しかし今のお前は
 自分で自分の力を見限っている」』

『孔子は「進めるだけ進んでそこでやめる」ことを、だめじゃないか無責任だというのではまったくなく、始めず進めないことのほうを叱っているわけだ。これ、いろんな読み方があるかもしれないが、ぼくには、とても新鮮で本質的な考えに思えた。
 「まちがいなく完全に成功する計画」などありえないのに、それをやろうとしているのが現代の支配的な考え方であり、ぼくの内にも息づいている「慎重で善良な思い」である。ここでもまた、古代中国の思想家に、痛い所を突かれた。』

『日曜の夜のNHKスペシャル『LastDays』で坂本龍一が、いまつくりたい、つくっている理想的な音楽について語り、「そんなのは、ぼくのいまの力量では叶わないんだけれど」と言い「なんとか努力してみます」とはっきり結んだ。彼は「進めるだけ進んでそこでやめる」を現実にしていた! 限りある人生でできることは、みんなそれなんだと思った。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。すべては未完成にしかならないと思いつつ、進めれば幸いだ。』

画像は高村光太郎(1883-1956)の作品『手』(1918年)です。ほぼ日を読んで「道程」(1914年)を思い出しました。
『僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため』
ほぼ日の「進めるだけ進む」は、まさに
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」!

おやつ堂は、昨年の天皇誕生日(2023/02/23)にオープンしました。いまだ「行き先の見えぬ道を歩む」です。日々精進! 皆様ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 652 酸性雨

「花の雨やがて雨音たてにけり」成瀬櫻桃子

2024/04/08投稿
この日(画像)も降ったり止んだりでした。句の解説から『季語は「花の雨」で春、「花」の項に分類。桜の花どきに降る冷え冷えとした雨のこと。「花散らしの雨」と言ったりする。桜の花に直接降る雨としてもよいし、べつに桜が眼前に無くてもよい。掲句は、後者の雨だろう。室内にいて、雨の降りはじめたことに気づいた。ちょうど桜の咲いている時期だと、まず気になるのは雨のせいで大量に散ってしまうのではないかということだ。もとよりそんなに深刻な問題ではないけれど、できれば小雨程度ですんでほしいと願うのが人情である。だが、願いもむなしく、「やがて雨音たて」て降りはじめた。ああ、これでもう今年の花もおしまいか……。と、軽い失望感が胸中をよぎったのだ。この感情もまた、春ならではの心持ちと言える。ところで、今日は全国的に雨模様だ。文字どおりに「花散らしの雨」となってしまう地方も多いだろう。そんななかで「雨に重き花のいのちを保ちけり」(八幡城太郎)と、けなげな花を目にできたら嬉しいだろうな。現代俳句文庫19『成瀬櫻桃子句集』(1994・ふらんす堂)所収。(清水哲男)』(引用元)。鹿児島市は雨がちで、桜は花の雨に濡れております。久しぶりに「酸性雨」について。

この傘マークをご存じでしょうか。実は数十年前には日本でも結構目にしたマークなんです。拙ブログ「ハナ通信」1993年7月号に次のように書いております。

「口の中の酸性雨」  エコロジー問題のひとつに酸性雨があります。強い酸性の雨水のため、森林、草花から、大理石の宮殿にいたるまでダメージをうけているというものです。ところで口の中の酸性雨のことを御存じでしょうか。砂糖を口に入れると、歯の表面のカルシウムが溶ける酸性度にまで下がり、食べ終わっても十数分間は続いていて歯の表面は少し溶けます(ミニむし歯)。このミニむし歯は唾液中のカルシウムで自然修復されますが、これには数時間かかります。ミニむし歯ができる回数が増えて修復が追いつかないと、やがて目に見えるムシ歯になります。そこで傘マークの登場です。食べてもムシ歯をつくりにくい食品にこの傘マークがついています。まだ日本には導入されてはいませんが、近いうちに目にすることと思います。口に中の酸性雨にご注意を。(引用元はこちら、一部修正)

酸性雨に関してはこちらを。その昔二十年程前、研修でスイスチューリヒに行った時のこと。駅のキオスクに並ぶガム、キャンデーなどの殆どにマークが付いていました。さすがスイスと思っていたら更なる驚き!なんとカフェでコーヒーについてきた砂糖(のようなもの)にもマークが付いておりました。日本のように一部だけがマーク付きでは意味がないんです(薄いんです)。

もちろん「トゥースフレンドリー」活動には賛成です。ただし甘いもの・スイーツの力も評価します。日本人の食において「砂糖抜き」は不可能、これまた「甘い力」として書いておりました。『まさしく「発見」であった。卵焼きにも焼肉のタレにも砂糖は入っている。ケーキやジュースだけではない、しかもムシ歯菌にとっては卵焼きもケーキも同じ。砂糖の摂取量を減らすことはできても、ゼロにすることは無理である。細菌すなわち汚れにおいても同様で、磨けば予防できると信じていた。磨けば予防可能、これは事実。しかし完璧に磨くことはできないのが現実。フロスや歯間ブラシを併用しても、歯の汚れを自力のみで完璧に取り去ることは不可能に近い。左手の汚れは、目で見て右手で落とすことができ、落ちたか否かを確認できる。ところが口の中はさにあらず。汚れている箇所を確認しないまま闇雲に磨き、汚れが落ちたか否かを確認することもできない。日常生活で不可能なことを、あたかも可能であるかのように説き、時にムシ歯をつくったのは自業自得であるかのように説明してきたことを心密かに恥じた。「甘いものを食べ過ぎず歯を磨けばムシ歯にならない」は、実生活においては正しくないのである。』(一部抜粋、引用元)。

最後に「地球上の酸性雨」はどうなったの。検索してみると・・記事を見つけました。「いま、酸性雨はどうなっているの?」2019年の記事、「酸性雨、コロナ後ph改善傾向に・・」2023年の記事、是非お目通しください。今回「ハナ通信」を読み返して思いました。口の中に酸性雨は降りません。ムシ歯菌と砂糖によって歯の表面が長時間酸性に傾くというのが正しい表現です。老婆心ながら、物理的に歯の表面の汚れを除去する(歯磨き)ことがムシ歯予防の基本中の基本です。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。