BBTime 674 口の悦び

「風呂吹にとろりと味噌の流れけり」松瀬青々

2025/01/04投稿
 謹賀新年 今年もよろしくお引き立ての程。目にしただけで美味しそうな句です。解説は『句も上手いが、この風呂吹大根もいかにも美味そうだ。「とろりと」が、大いに食欲をそそってくる。あつあつの大根の上の味噌の色が、目に見えるようである。松瀬青々は大阪の人。正岡子規の弟子であった。大阪の風呂吹は、どんな味噌をかけるのだろうか。東京あたりでは、普通は胡麻味噌か柚子味噌を使うが、生姜味噌をかけて食べる地方もあるそうだ。私は柚子味噌派である。いずれにしても、大根そのものの味を生かした料理だけに、子供はなかなか好きになれない食べ物の一つだろう。大人にならないと、この深い味わい(風流味とでも言うべきか)はわかるまい。ところで、「風呂吹」とは奇妙なネーミングだ。なぜ、こんな名前がついているのか。どう考えても、風呂と食べ物は結びつかない。不思議に思っていたところ、草間時彦『食べもの歳時記』に、こんな解説が載っているのを見つけた。「風呂吹の名は、その昔、塗師が仕事部屋(風呂)の湿度を調整するために、大根の煮汁の霧を吹いたことから始まるというが、いろいろの説があってはっきりしない」と。『妻木』所収。(清水哲男)』(引用元)。初投稿は「口の悦び」について。

画像は朝日新聞コラム「折々のことば」2024/12/31です。ご覧の通り、同感大賛成。以前「最後の晩餐」に書いております、こちらもどうぞ。お分かりの事とは思いますが、どうぞ「口と足」だけは日頃からメンテナンスして機能を守ってください。

「生きた唇」・・素晴らしい!だからこそ「ご馳走、お喋り、接吻、笑い、歌と、人の幸は口に集中する」のです。「幸」を存分に味わうためにも「口と歯」のお手入れをお願いします。必要な時にはアシストいたします。「歯ハ、磨イテモモラウモノ」 皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 673 ゆく歳

「うつくしや年暮れきりし夜の空」小林一茶

2024/12/31大晦日投稿
 2024年も今日で終わり、画像は今朝のお姿(桜島)です。句の解説『今年1998年は、一茶に締めくくってもらおう。ここまでくれば、ジタバタしてもはじまらない。一茶とともに、夜空でも眺めることにしたい。ただ、ミもフタもないことを言っておけば、一茶の時代は陰暦の大晦日だから、二カ月ほど先の空を詠んでいる。そろそろ梅も咲いているかもしれぬ早春の夜空だ。だから、相当に今夜とは雰囲気は異なるが、押し詰まった気持ちには変わりはないのである。古句で締めたついでに、鎌倉末期から南北朝に生きた兼好法師の『徒然草』より大晦日の件りを引用して、今年度の『増殖する歳時記』の本締めとしたい。ご愛読、ありがとうございました。「晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なく成りぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて玉まつるわざは、この比(ころ)都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」。(清水哲男)』(引用元)。今回は今日大晦日の毎日新聞「余録:よろく」のご紹介。

【い】犬も喜ぶ50-50【ろ】露朝の盟約、世界の迷惑【は】はて、夫婦別姓は?【に】日常になった異常気象【ほ】保護司の献身支えねば【へ】紅こうじにレッドカード【と】動画も積もれば票となる【ち】賃上げ中小悲鳴上げ【り】理不尽な客お断り【ぬ】抜け出せぬ原発の沼【る】ルールそこのけ選挙妨害【を】折り鶴の願い届いたノーベル賞【わ】忘れない世界のタクト【か】ガザの子らへぬくもりを【よ】よみがえるトラのどう喝【た】大逆風に安倍散るドレン【れ】連結外れ、こまち困った【そ】空でピアノが弾けたかな【つ】月の裏側行っチャイナ【ね】寝耳に水原【な】南海も備え確認を【ら】ライド、シェア伸びず【む】無罪でも時は戻らず【う】雲散無常の石破カラー【ゐ】インテルまいってる【の】ノートルダムの鐘再び【お】お酒の技に世界が乾杯【く】「黒い雨」に晴れ間【や】やりで射止めた金メダル【ま】真っ黒なホワイト案件【け】下克上ハマの番長【ふ】富士山隠したインバウンド【こ】コメ不足にもほどがある【え】炎上機、奇跡の脱出【て】「手取り増」で議席増【あ】アサド後に朝は来るか【さ】サンタ苦労す物価高【き】金利あるのに放漫財政【ゆ】尹(ユン)殿、ご乱心【め】メガへ加速ホンダ日産【み】右へ右への欧州選挙【し】SHOGUNに軍配【ゑ】AIにも愛を【ひ】漂流するプラごみ条約【も】もぬけの空の貸金庫【せ】政治資金寄生法【す】スターの輝きドロンと消えず【京】きょうの祈り能登の明日へ

これも今朝大晦日の空です。いろいろなこと悲喜交交あった歳でした。果たして来る歳は?無事とは言いませんが、穏やかな歳になってほしいと思います。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

追加:過去の「余録」はこちらを。

BBTime 672 良薬

「いつの間にうしろ暮れゐし冬至かな」角川春樹

2024/12/15投稿 今夜今年最後の満月 12/20追加
まさに臘月尽(ろうげつつく)今年も余すとこ二週間余り。句の解説は『冬至の日暮れです。「いつの間に」、日が暮れてしまったのだろうという驚きがあります。続く「うしろ」の使い方が巧妙です。暮らすということは、掃除でも、料理でも、前を向くこと、次の手順をこなすことです。生きているかぎり、好むと好まざるにかかわらず、私たちは、「前向き」に行動し、予定を気にしながら、先のことを考えて暮らしています。しかし、掲句は、「いつの間にうしろ」と書き出すことで、驚きながら、うしろを振り返る身振りを読み手に与えます。ふり返ると一日が終わり、一年が終わっていく。冬至の暮れは早く、東京では16時32分。一年のあれやこれやが思い起こされ、暮色に消え、長い夜を過ごします。「存在と時間」(1997)所収』(引用元)。今回は「良薬は口に苦し」は価値あることなのか?について。冒頭の画像(薯蕷饅頭)は鹿児島明石屋(2024/12月)のHPより。

ほぼ日」の今日のダーリン(12/10付)。
次のように続きます。

読んでいただければお分かりと思います。今回、小生が最も伝えたいのは「聞き入れやすいように工夫するよ」です。素人(しろうと、一般の人)にとって難しい・少しでもハードルが存在するのであれば、それらを簡単にたやすくしてあげるのが玄人(くろうと、プロ)だと思います。素人の方にとって容易でないことを、そのまま「良薬口に苦し」だと押し付けるのはプロのやることではありません。

軸は「看々臘月尽:みよみよろうげつつく」
「良薬口に苦し」と同じようなことが「歯磨き・セルフケア」にも言えます。歯磨きの必要性、歯磨きの方法、ムシ歯予防に必須等々はみなさんご承知。しかし、それができないから歯医者から「ムシ歯」を見つけられるのです。「歯磨き=良薬」これは間違いありません(歯磨きとは歯の汚れを物理的に除去すること)。そうであれば「口に苦し」ではなく、せめて「苦くない」にすべきでしょう。それを行うのがプロ(歯科医・歯科衛生士)です。三ヶ月に一度のメンテナンスならば、是非月に一度のメンテに。セルフケアにおける歯ブラシ、歯磨き粉、方法などについてもプロに確認してください。最後にアドバイスをひとつ「歯は、磨いてももらうもの」 皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。
12/20追加 「歯は磨いてももらうもの」を実践している「おやつ堂」!

BBTime 671 アイデイア

「福助の頭は空つぽや十二月」小泉八重子

2024/12/07投稿
 師走に入り早一週間経ちました。まさに「看々臘月尽:みよみよろうげつつく」。句の解説『福助人形。「福助足袋」の広告で有名になったキャラクターだが、元来は江戸期より幸福招来の縁起ものとして、水商売の店などに飾られていた。句では、師走の正月用意の一つとしての足袋購入が意識されており、水商売のイメージはないと思われる。それにしても「福助」の頭の中が「からつぽ」とは、意表をついた発想だ。私など、一度もそんなことを思ったこともない。でも、言われてみると、なるほど「からつぽ」みたいに見えてくるから妙だ。頭が大きいので、なおさらである。もしも「福助」と話す機会があったとしても、どんな話をしたらよいのか、見当もつかない。そんな感じがしてくる。とにかく不思議なセンスで書かれた句ではあるが、 十二月とのマッチングが愉快だ。ちなみに、天下に「福助」キャラクターを有名にしたのは、大阪の川柳作家であった広告文案家の岸本水府である。この人は後に「グリコ」でも活躍し、「コドモハカゼノコ グリコノコ」「オザウニイハヘ グリコモイハヘ(お雑煮祝え、グリコも祝え)」などのコピー(豆文)を書いている。このあたりについては、田辺聖子著『道頓堀の雨に別れて以来なり』(中央公論社・1998)に詳しい。『遠望』(1989)所収。(清水哲男)』(引用元)。タイトル「アイデイア」:アイディアを逆から読んでも「アイディア」・・これがアイデアとある本にありました。今回は毎日なのに「ほぼ日」の今日のダーリンから。

「よく思うのだけれど、とにかく「アイディア」なんですよ。
 いろんなむつかしいことも、おもしろくないことも、
 困ったことも、あらゆる場面で、アイディアが足りてない! 
 じぶんの関わっていることでも、そう思うし、
 あちこち見渡しても、「アイディアがないからだ」と思う。
 そりゃね、金がないとか時間がないとか人手がないとか、
 他にもありますよ、足りないものは。
 それにしても、「じゃぁ、アイディアはあるのか?」です。

 アイディアが商売じゃないという人にも、
 ほんとはアイディアがあったほうがいいし、
 アイディアがなにかを変えるもののはずです。」

「「こうすればアイディアが出ますよ」という本やら、
 講座なんかもたくさんあるのは知ってます。
 昔も今も、アイディアの大事さはさんざん言われてきたし、
 どうすればいいかについての方法も、
 ほとんど、すでに語られてきているとも言えるんですよ。
 あっちのものとこっちのものを、組み合わせるんだとか、
 ちがった角度から見てごらんだとか、ずっと言われてる。
 それは、みんな読んできたか聞いてきたと思うよ。
 でも、絶対的に、世界中にアイディアの質量が足りてない。

 どうしてか?」

「アイディアを出そうとする機会が少なすぎるからだ。
 ぼくは、そう考えるようになったんです。
 たとえば、サービス業の人だったら
 「いつも微笑んでる」なんて当たり前でしょう? 
 そうでない人もいるけど、よく微笑んでますよね。
 運転をしている人だったら、長時間、500キロくらい
 ずっと平気で運転してるじゃないですか。
 逆に、ちょっと微笑んで休んでまた微笑むとか、
 10キロ運転して休んで翌日また10キロ走るとか、
 そんなんじゃダメだってわかってるんですよね。
 だけど、そんなふうに「いつも微笑んでいる」ように、
 「いつもアイディアを出そうとしている」人が、
 あんまりいないんだと思うのです、私見ですが。
 おまえら(つまりわたくしも)、サボってるぞ。
 アイディアはとりあえずの原料費が無料だしね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
たいしたことなくても、小さくても、とにかく出すこった。」

この方も仰ってます。
「ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない。」
Most people just don’t put in the time or energy to get there.
『何か問題を解決しようとしたとき、最初に思いつく解決方法は非常に複雑なので、ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。ここでさらに考え続け、問題を胸に抱き、タマネギの薄皮を剥き続ければ、しばしば、非常にエレガントでシンプルな解決策に到達できる。ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない。」(ビジネスに効く10の言葉より)』

小生オススメの本、原著初版は1940年に出ております。過去にもタイトル「アイディア」で書いております、こちらもどうぞ。では、師走は名の通り走っております、足元にお気をつけて。皆様ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 670 霜月晦日

「あたたかき十一月もすみにけり」中村草田男

2024/11/30投稿
 今日は霜月晦日(みそか)明日から師走。今年の霜月は、まさに掲句。句の解説は『旧版の角川書店編『俳句歳時記』には、この句と並んで細見綾子の「峠見ゆ十一月のむなしさに」が載っている。長年親しんできた歳時記だから、毎年この時期になると、二つの句をセットで思いだすことになる。並んでいるのは偶然だが、いずれもが、十一月という中途半端で地味な月に見事な輪郭を与えていて、忘れられないのだ。忙中閑あり。……ならぬ、年の瀬をひかえて「忙前閑あり」といえば当たり前だが、両句ともそんな当たり前をすらりと表現していて、しかもよい味を出している。ただ草田男句の場合は、どちらかといえば玄人受けのする作品かもしれない。(清水哲男)』(引用元)。今回はオレンジページネット版掲載拙記事のご紹介です。冒頭画像は今朝(11/30)のお姿(桜島)7:47。

1)9/27掲載分「栗のスイーツ」
「栗饅頭に栗は入っていますか?」との問いに、おそらく殆どの方が「入っているから栗饅頭でしょ」と答えられると思います。本来はさにあらず・・あくまでも栗の実に似ているので栗饅頭だったのです、当初は。ブログ中にも紹介していますが「新和菓子噺」(薮光生著)には『ひと昔までは栗が入っていないのが普通でした。小判型をした焼き菓子で、白餡だけしか入っていなかったのです』(114頁)。

次のように続きます。

ご納得いただけたでしょうか。実は先日「きつねうどん発祥の店」で狐の肉は入っていない狐うどんを食べてきました。大阪市の「うさみ亭マツバヤ」です(詳しくはこちら)。

つゆは意外と薄味で、長方形の油揚げにしっかり味が染み込んでいました。発祥店はひと味違うと痛感しつつ店を後に。

さすがの味!お値段手頃、是非一度ご賞味あれ。
本題に戻ります。栗のスイーツはこちら

2)ワインの楽しみ方について。
画像はおやつ堂のマークをあしらった赤ワイン(仏)です。「ワインの楽しみ方」はこちら。と言うことで、明日から師走です。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 669 入れ歯洗い

「地玉子のぶつかけご飯今朝の冬」笠 政人

2024/11/18投稿
画像は今朝11/18のお姿(桜島)です。立冬(11/7)は、とうに過ぎたものの残暑のような暑さでしたが、今朝はやっと冬の足音が聞こえてきそうです。年年歳歳、秋が短くなってます、そのうち秋が消滅して四季から三季、春も消え二季となるのでしょうか。句の解説は『季語は「今朝の冬」、立冬のことだ。雪の便りもちらほらと聞こえてくる。まだ東京あたりではそんなでもないが、もう名実ともに冬に入っている地方もあるだろう。長くて厳しい季節のはじまりである。作者は、そんな寒い地方の人だろうか。ほかほかのご飯に玉子をぶっかけて、勢い良く掻き込んで食べている。さあ「冬よ、やってこい」と、身構えている。わざわざ「地玉子」と玉子に「地」をかぶせたのは、新鮮で栄養価の高い玉子をイメージさせることで、句の勢いを増すためだろう。単に玉子と言うよりも、よほど迫力が出る。すぐに連想したのは、高村光太郎の詩集『道程』に収められている「冬が来た」だった。昔、小学校の教室で習った。「きっぱりと冬が来た/八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった」というのだから、季節的にはもう少し寒くなってからの詩だ。最後の二連は、こうなっている。「冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ//しみ透れ、つきぬけ/火事を出せ、雪で埋めろ/刃物のような冬が来た」。こちらも相当な迫力で、子供のときにも圧倒された。掲句の作者にしても光太郎にしても、とにかく若くて元気だ。若くて元気でなければ、こういう詩は書けない。そこへいくと今の私などは、冬と聞くだけでへなへなとなりそうだ。あ~あと、溜め息の一つもついてしまう。これではならじ。句の作者にならって、今朝はいっちょう、ご飯に玉子をぶっかけて食うことにしようかな。今日、立冬。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)』(引用元)。卵ご飯の後もしっかり洗いましょう、入れ歯洗いについて(セミナー用の内容です)。

卵かけご飯に限らず食後にはお椀やお皿を洗います。入れ歯は口の中の食器です。食具(しょくぐ)という言葉があります。食事に用いる器具、食器などを意味します。歯も食具と言えます。お店に限らずご自宅でもほとんどの方は、洗ってあるキレイな食器に料理を盛って、キレイな箸やスプーンで食事されます。美味しいのためにも、健康のためにも!

お皿と入れ歯の違いは「表面」です。簡単に表現するならば、お皿の表面はツルツルです。入れ歯の表面はヌルヌルです。陶磁器の表面には釉薬(うわぐすり)がかけてありツルツルです。食器用洗剤の入った水に、汚れたお皿をつけておくと汚れは浮いてきます。かたや入れ歯の表面は拡大すると凸凹(多孔性)しています。この凸凹に水が入り込むために入れ歯はヌルヌルしているのです。ソフトコンタクトレンズと似たような表面構造と思ってください。この凸凹に常に水が入り込みヌルヌルしているので口の中にあっても(形に問題なければ)痛くないのです。

お皿と違って入れ歯の洗い方は異なります。入れ歯洗いは汚れを物理的に除去することが基本です。洗面器に水を張り、流水下でのブラシ洗いがおすすめ。その後に洗浄剤使用がベターでしょう。つけ置き時間は製品によって様々ですので、パッケージの説明書きをお目通しください。次の表の引用元はこちら。洗浄後(洗浄液から取り出したら)水洗いして水につけておいてください。外出時や移動時には濡れたティッシュで包んでジップロックでも構いません、乾燥が良くありません。

最後に夜は外すか?着けたままか?
1)上下のご自分の歯が噛み合う人→外して寝てもOKです
2)ご自分の歯が噛み合わない人→可能であれば、どちらか着けてお休みください。
3)一晩洗浄液につけておく必要はありません。
4)就寝中の使用に関しては「BBTime 352 口の中へ」もどうぞ。

入れ歯は口の中の食器。キレイな食器でキレイなスプーンで美味しく食べたいものです。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 668 浸透圧

「いちまいの皮の包める熟柿かな」野見山朱鳥

2024/11/02投稿
 鹿児島市は日によっては暑く未だ秋ではなく晩夏です。秋は来るのでしょうか。句の解説『掌に重い熟した柿。極上のものは、まさにこの句のとおり、一枚の薄い皮に包まれている。桃の皮をむくよりも、はるかに難しい。カラスと競い合うようにして、柿の熟れるのを待っていた我ら山の子どもは、みんな形を崩さずに見事にむいて食べたものだった。山の幸の濃密な甘味。もう二度と、あのころのような完璧な熟柿を手に取ることはないだろう。往時茫茫なり。なお、この句には、同時にかすかなエロスの興趣もある。『曼珠沙華』所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は本来の意味とは異なりますが「浸透圧」について。

本題に入る前に御報告ひとつ。前回「湯島通れば」に書きました・・ご家族と話す機会があれば「お母様の好きな歌手は?」と聞きます。ある時は「お富さんです、母の名前がトミ子ですから」でした・・訪問診療行ってきました、この唄を自信たっぷりにかけました。この高齢女性、予備検診時には「なにも困っちゃおらん」「誰が歯医者を頼んだ?」「息子が歯医者を呼ぶはずがない」など、取り付く島もない反応。ということで息子さん同席で診療開始。お二人(母と息子)のやりとりはまさに漫才、さすが息子さん。お母様のネガティブ発言にもうまく対応されてます。2回目の開始に「お富さん」流したところ、歌詞が「・・死んだはずだよ お富さん・・」すぐさま「わたしゃ生きてるよ!」とお母様も大笑いでした。

さて本題「浸透圧」について。イラストはこちらから引用しました。ナメクジに塩をかけると、ナメクジは縮みます。この理由(原理)が浸透圧です。引用すると『半透膜はんとうまく両側りょうがわさのちがう食塩水しょくえんすいがあるとき、両方りょうほうさをおなじにしようとする圧力あつりょくのことを「浸透圧しんとうあつ」といいます』(引用元)。ナメクジに塩をかけると、ナメクジの表面の方が塩分濃度は高くなります。するとナメクジ体内の水分が、ナメクジの皮膚(半透膜)を通して外にひっぱり出されるので、ナメクジが縮むのです。

先日、坐禅中のこと。道場内は機会音ゼロです。その日は他の方の息遣いも聞こえません。たまに周りの道ゆく車のエンジン音と小鳥の声だけ。言わば浸透圧の逆のようなことを感じました。濃度の高い頭の中が、次第に周りの無音・静寂の濃度の低い方へ流れ出るような感覚。脳内の雑音・煩悩・迷いなどが徐々に薄らいでいくようでした。汚れたものを洗い清めるような、汚れた水が清くなるような、とも表現できます。

ある時、和尚さん曰く「坐禅中は感覚が鋭くなっており、目の前にある線香(タイマー替わり)の灰の落ちる音が「ドサッ」と聞こえるんです」。脳内の雑音・雑念が薄まると感覚が研ぎ澄まされるのでしょう。お寺の境内に銀杏の大木があった頃、坐禅中に銀杏の実が地面に落ちる瞬間、確かに「ボトッ」とはっきりと聞こえた記憶があります。

日常はこの真逆でしょう。テキスト情報・画像・動画・SNS、音声電話、メール、LINEなど次から次から洪水のように押し寄せてきます。当然のこと、頭の中は雑音だらけ煩悩だらけとなります。情報や感情でごちゃごちゃの脳に冷静な判断ができるでしょうか。

坐禅初心者が来られると担当の方が「映画を見るように頭に浮かぶことを次から次へと流してください」と説明されます。流して流して空になって「無」に近づくのでしょうか。今の日常はあまりにも多すぎます。夏に引っ越した時に自戒として痛感しました。

自己所有テレビで見た最後の番組は「おしん」(途中まで)でした。車を手放して九年。次にやめるのは年賀状ですかね。「放下著:ほうげじゃく」という禅語があります。何もかも捨てちまえ!の意です(こちら参照)。到底小生には無理ですが万分の一でも近付きたいと思います。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

https://youtu.be/iuuaFrnj-IY?si=tJDGXeMauN0i2SN7

おまけ:おやつ堂が南日本新聞10/27朝刊に載りました。
たのし味(み)めぐり

BBTime 667 湯島通れば

「日あたりや熟柿の如き心地あり」夏目漱石

2024/10/21投稿
前回投稿から日が経ちました、「暑い暑い」と先日まで夏でした。句の解説から『不惑などという年令は、とっくのとうに過ぎてしまったのに、いまだに惑ってばかりいる。句のような心地には、ならない。いや、ついになれないだろうと言うべきか。このとき、漱石は弱冠二十九歳。あたたかい日のなかの熟柿は美しく充実して、やがて枝を離れて落下する自分を予知しているようだ。焦るでもなく慌てるでもなく、自然の摂理に身をまかせている。そんな心地に、まだ若い男がなったというのだから、私には驚きである。ここでは、みずからの充実の果ての死が、これ以上ないほどに、おだやかに予感されている。人生五十年時代の二十九歳とは、こんなにも大人だったのか。「それに比べて、いまどきの若い者は……」と野暮を言う資格など、私にはない。西暦2000年まであと二ヶ月。一年少々で、二十世紀もおしまいだ。「二十一世紀まで生きられるかなあ。無理だろうなあ」。小学生のころ、友だちと話したことを、いまさらのように思い出す。切実に死を思ったのは小学生と中学生時代だけで、以後は生きることばかりにあくせくしてきたようである。『漱石俳句集』(岩波文庫・1990)所収。(清水哲男)』(引用元)。ちなみに不惑とは四十歳、惑う:まどう。今回は音楽についてのお話。

過去にも書いております、歯科訪問診療の際にリクエストを聞いて音楽を流します。先日のこと「好きな歌手や唄などは?」とお聞きしたら、その女性は静かに口ずさみ始めました。「湯島通れば 思い出す」・・早速、検索すると「湯島の白梅」・・唄が始まるとその頃を思い出すかのように遠くに目をやり「お芝居の唄なの」とのこと。

訪問先の患者さんはコミニュケーション取れる方、そうでない方と様々です。ご家族と話す機会があれば「お母様の好きな歌手は?」と聞きます。ある時は「お富さんです、母の名前がトミ子ですから」でした。

コミニュケーション取れない方でも流します。ある女性はスナックのママであったとの情報で、演歌メドレーをかけます。情報がない場合は季節にあった童謡や唱歌などを選びます。音楽があることで、こちらも心温まりながらケアをすることができます。「Music for 介護」「唄を楽しむ」もぜひご覧下さい。

ご家族から離れて施設で暮らしておられる方が、少しでも「熟柿の如き心地」を感じて頂ければと思います。熟柿(じゅくし)のみならず、歯応えのある柿であっても味わえるようにと願いながら・・皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

https://youtu.be/h144mLquMFs?si=5RtklXDygtTWGye8

BBTime 666 舌でみる

「秋晴の空気を写生せよといふ」沢木欣一

2024/09/27投稿
 今朝6:40の桜島です。掲句の「写生せよ」と言われても・・。解説には『作者自註に「『空気が写生出来なければ駄目だ』と棟方さんが語った。終戦間もなく富山県福光町に疎開中の棟方さんを訪ねた頃のこと」とある。「棟方さん」とは、棟方志功のことだ。いかにも画家らしい言葉だが、あらゆる表現者に通ずるところがあると思う。言葉の意味としては、別に突飛でも難しくもない。たとえば「秋晴」に何をどのように感じるかは、何も感じないことを含めて、人さまざまである。このときに、どういう感じ方をしても自由なわけで、それがその人なりの「秋晴」という事象の「把握」だ。表現をしない人は常に事象を把握するのみにとどまるが、むろんそれはそれで一向に構わない。だが、ひとたび自分が把握したすべてを正確に他人に伝えようとなると、どうしても見えない「空気」を見えるように「写生」しなければならない。……と「棟方さん」は言うのである。考えてみれば、誰のどんな「把握」であろうとも、心のなかでは既に「空気」までをも「写生」した状態にあるわけだ。それをそのまま出す(「写生」する)ことができなければ「駄目」なんだと、画家はしごく当たり前のことを述べたのであった。それにしても、作者は「棟方さん」の言葉をそのまんま句にして、なおいまひとつ真意がつかめずに考え込んでいるようだ。その考え込んでいる「空気」がそのまんまに「写生」されているので、句になったというところか。『二上挽歌』所収。(清水哲男)』(引用元)。・・分かるような分からないような解説です。今回は歯の汚れは「舌でみる」について。

画像は「星の王子さま」サン=テグジュペリの像です。リヨンの中心部の公園にあり、台座に彫り込んである文章が「心でしか物事はよく見えない。本質は目に見えないんだよ。On ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux.」(であったと記憶しています)。腰掛けているのが彼で、後ろに立つのが星の王子さまです。意味合いは異なりますが「歯の汚れ」も自分の目には見えません。

そこで「舌」でみるのです。舌で歯の内側(舌側)を舐めてください。ヌルッとしていたらプラークが付着しています(歯の表面が汚れています)。少しザラザラしていたら、プラーク(歯垢)が一部石灰化して歯石になっている可能性があります。プラークは歯ブラシで除去可能ですが、歯石は無理です、歯科医院へ行ってください。

イラストのように左手についた汚れは自分の目で見て、右手で洗い落とすことができます。汚れが落ちたか否かも目で確認できます。残念ながら口の中は無理です、歯の汚れは見えません。しつこく言うと「確認できない汚れを闇雲に落とそうとしている」のが歯磨きです。

これは田園調布サヴール:saveurのケーキ。サヴールとは風味。舌の働きのメインですが、味わうのみならず舌はさまざまな機能を持ちます。まさに歯のお隣さんだけに、もっとの歯を知るために舌をご活用ください。蛇足をひとつ。「舌でみる」と聞いて思い出したのが学生時代、解剖で覚えた脳神経の覚え方。「嗅いで視る動く車の三つの外、顔聴く舌は迷う副舌」=嗅神経・視神経・動眼神経・滑車神経・三叉神経・外転神経・顔面神経・聴神経・舌咽神経・迷走神経・副神経・舌下神経の12神経です。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 665 はて?九月

「空っぽの人生しかし名月です」榎戸満州子

2024/09/14投稿
 今年の十五夜は9/17、満月は翌18日。まずは句の解説『今宵(2011.9.12)は仲秋の名月。名月の句は数えきれないほどあるけれど、この句はかなり異色だ。作者はべつに名月を待ちかねていたわけではないし、愛でようとしているわけでもないからである。しかも「空っぽの人生」とは言っているが、作者が自分の人生を深く掘り下げて得た結論でもなさそうで、せいぜいがその場の自虐的な感想程度にしか写らない。そう私が受け取るのは、たぶん「しかし」という接続詞が置かれているせいだろう。この「しかし」はほとんど「ともあれ、とまれ」と同義的に使われていて、前段を否定しているのではなく、それを容認する姿勢を残しつつ、後段に想いを移すという具合に機能している。つまり「人生」と「名月」とは無関係と認識しつつ、それこそ「しかし」、作者は無関係であることに感慨を抱いてしまっている。感慨無き感慨と言ってもよさそうな虚無的な匂いのする心の動きだ。こう読めば、作者の人生ばかりではなく誰の人生もまた、日月のめぐりのなかで生起しながら、やがては日月のめぐりに置き去りにされていくという思いにとらわれる。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)』(引用元)。前回の「はて?違和感」に続いて今回も「はて?」のお話を二つ

 例年九月になるとBBTimeで曲「September:セプテンバ」を紹介しておりました。ある時ある人から「それって12月の歌だよ」。「はて?」と確認したところ、そうでした!歌詞では「今は12月、9/21のことを覚えているだろう」。そうならばタイトルを「セプテンバ:九月」にするなよな!と思います。歌詞の和訳はこちらを。

 先日、小生自身の口のメンテナンス(月に一回)での会話。担当歯科衛生士「先週、スケーリング(歯石取り)の研修でした」「あと、器具のシャープニングも」。シャープニングとは歯石を取るハンドインスツルメント(手用器具)の刃を研ぐことです。聞きながら思いました「はて?」

数ヶ月ごとのメンテナンスで、歯の根っこをガリガリと歯石除去受けられた方も多いでしょう。歯石除去は必要です!小生の「はて?」は、歯石がつく前にメンテしてあげたほうがベターではないの?です。歯石除去とは、歯の根っこ、詳しくは根を覆うセメント質表面にしっかり付いた(歯ブラシでは除去できない)歯石を、器具を使って(おそらく)セメント質表面もいくらか削り取るのです。セメント質の下は象牙質(ぞうげしつ)で、歯髄(しずい:歯の中の神経)からの細い神経が通っています。歯石除去後に「歯がしみる、スースーする」などはこれも原因でしょう。極端な言い方をすれば、歯石除去(ガリガリ)ごとに根っこが細くなるのです。歯石除去は必要です!ならば歯石が付く前に歯垢の段階で除去してあげる方が良いのでは。

ネットを見ると『歯垢(プラーク)が残ったまま放置すると、個人差もありますが2~3日で石灰化し始め、やがて歯石へと変化して除去しにくくなります』(引用元)。残ったプラークが「数日で石灰化し始める」とは、歯石が数日で付くということではありません。小生の経験では毎月(月に一回)メンテナンスに通えば「ガリガリ」はほとんど不要です。1)患者さんへ:数ヶ月・半年ごとにメンテナンスに通っている方は是非「月に一回」通ってください。2)衛生士の方へ:担当の来院者(患者さん)に除去すべき歯石を見つけたら(もちろん除去されると思いますが)メンテナンス間隔についてもプロとしてアドバイスしてあげてください(ガリガリが極力不要な間隔)。保険診療の絡みで「三ヶ月に一回でいいですよ(毎月は無理です)」と言われたら、粘って「是非月一回」を希望してください。どうしても歯医者が「ハイ」と言わなければ思い切って変えましょう!

では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。もちろん曲は「セプテンバ」!