「一生の楽しきころのソーダ水」富安風生

2025/6/16投稿 6/17追加
早いもので前回投稿から一ヶ月経ちました。掲句は、この時期になると思い出します。解説は『季語は「ソーダ水」で夏。大正の頃から使われるようになった季語という。ラムネやサイダーとは違って、どういうわけか男はあまりソーダ水を飲まない。甘みが濃いことも一因だろうが、それよりも見かけが少女趣味的だからだろうか。いい年をした男が、ひとりでソーダ水を飲んでいる図はサマになるとは言いがたい。だからちょくちょく飲んだとすれば、句にあるように「一生の楽しきころ」のことだろう。まだ小さかった子供のころともとれるが、この場合は青春期と解しておきたい。女性とつきあってのソーダ水ならば、微笑ましい図となる。喫茶店でソーダ水を前にした若い男女の姿を目撃して、作者はあのころがいちばん楽しかったなあと若き日を懐古しているのだ。むろん、味などは覚えてはいない。ただそのころの甘酸っぱい思いがふっとよみがえり、やがてその淡い思いはほろ苦さに変わっていく。年をとるとは、そういうことでもある。ある程度の年齢に達した人ならば、この句に触れて、では自分の楽しかった時代はいつ頃のことだったかと想起しようとするだろう。私もあれこれ考えてみて、無粋な話だが、青春期よりも子供の頃という結論に達した。ソーダ水の存在すら知らなかった頃。赤貧洗うがごとしの暮らしだったけれど、力いっぱい全身で生きていたような感じがするからだ。その後の人生は、あの頃の付録みたいな気さえしてくる。強いて当時の思い出の飲み物をあげるとすれば、砂糖水くらいかなあ。「砂糖水まぜればけぶる月日かな」(岡本眸)。『新歳時記・夏』(1989・河出文庫)所載。(清水哲男)』(引用元)。さてabcもやっと完結、今回「C」について。「Abc」はこちら、「aBc」はこちら。

今朝(6/16 6:38)の桜島。
「C」はクリーニングです。シンプルに
1)口のクリーニング:歯磨き
2)体のクリーニング:入浴
3)脳のクリーニング:ストレス解放
口の中、皮膚の表面、脳の中、汚れや垢(あか)が溜まるとどうなるか?それら汚れに対して起こる反応のひとつが炎症です。軽微な炎症であっても慢性的(日々毎日)に起こっていれば、病気を引き起こしたり、老化や劣化を促進します。近頃よく聞くようになったのが脳のゴミと言われる「アミロイドベータ」。これが脳内に溜まってしまうとアルツハイマー型認知症を引き起こすとのこと。歯の汚れはムシ歯や歯周病の原因です。

無印良品の本「掃除」。はじめに「気持ちがいいのは なぜだろう」とあり、終わりに「『したがって、自然をほどほどに受け入れつつ、適度に排除しながらヒトは暮らしてきたのでしょう』・『まるで、打ち寄せる波が砂浜を洗う渚のように、人為と自然がせめぎ合う「ほどほどの心地よさ」を探し当てること、それが「掃除」の極意なのかもしれません』・・『この先の未来においてどんなに技術が進んでも、ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです』(引用元)」
また本の中にはない文がネットにはあります、次の文章です。

持論ですが「体の中で起きていることを、ヒトは行動として行う」。体内において「異物排除機構」なるシステムが働きます。まさにこれに相当する行為が「掃除」です。よって掃除することは、後書きにある「身体の奥底に響き続ける生のリズム」と響き合うこと。それが「気持ちいい」となるのではないかと思います。

ABC=歩く・バイト(かむ)・クリーニング。あらためて思います、この三つは「最も人間らしい行為」だと。ひとつの意見として・・人生を生き切る、味わい尽くすためには、歩いて、口から食べて、キレイにする。日々の「abc」を見直してみてはいかがでしょうか。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。