BBTime 654 アースデイ

「あんぱんの葡萄の臍や春惜しむ」三好達治

2024/04/22本日アースデイ、当ブログの誕生日(1999/4/22)
そうなんです、25年前のアースデイに拙ブログ「connote:カノート」はスタートしました。いつの間にか四半世紀経ちました、驚きです。句の解説『陰暦の歳時記では四月はもう夏だけれど、ここでは陽暦でしばし春に足をとどめて春を惜しんでみたい。三好達治という詩人とあんぱんの取り合わせには、意外性があってびっくりである。しかも、ポチリと付いているあんぱんの臍としての一粒の葡萄に、近視眼的にこだわって春を惜しんでいるのだから愉快。達治の有名な詩「春の岬」は「春の岬 旅のをはりの鴎どり/浮きつつ遠くなりにけるかも」と、詩というよりも短歌だが、鴎への洋々とした視点から一転して、卑近なあんぱんの臍を対比してみるのも一興。行く春を惜しむだけでなく、あんぱんの臍である一粒の葡萄を食べてしまうのが惜しくて、最後まで残しておく?ーそんな気持ちは、食いしん坊さんにはよく理解できると思う。妙な話だけれど、達治はつぶあんとこしあんのどちらが好きだったのだろうか。これは味覚にとって大事な問題である。私も近頃時々あんぱんを買って食べるけれど、断然つぶあん。その懐かしさとおいしさが何とも言えない。いつだったか、ある句会で「ふるさとは梅にうぐひす時々あんぱん」という句に出会った。作者は忘れてしまったが、気に入った。達治は大正末期に詩に熱中するまでは、俳句に専心していたという。戦後は文壇俳句会にも参加していたし、「路上百句」という句業も残している。「干竿の上に海みる蛙かな」という句など、彼の詩とは別な意味での「俳」の味わいが感じられる。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)』(引用元)。今回は「春惜しむ」というよりクッキーの残り香について。

クッキーを頂きました。BONJOUR KUCHIBUE (坂田阿希子氏)のバタークッキー。缶を開けた途端にフワッと立ちのぼるバターの香、しっかり充分吸い込んでから包みを開けると、そこには整然とクッキーが並んでいます。

添えられたカードに「ザクっとした歯触りの後に、サクサク、ホロホロと軽やかにこぼれ落ちてバターの香りが広がる。発酵バターと2種類の砂糖、卵に小麦粉、主な原材料はこれだけです。だからこそ、その配合や素材のよさが美味しさを作ります」と。食べてみるとわかります、がそれだけではありません。坂田さんの「思い」も入ってます。ザクっサクサクホロホロそしてニッコリ!

「B」つながりで、福岡市「珈琲美美:びみ」のこれまたBブレンドが好相性です。オンラインで取り寄せ可能なようです。インスタグラム:@BONJOURKUCHIBUE2022 

鹿児島市は今日(4/22)も曇り、昨日は結構な雨でした。今年の春は天候不順で市内の花見処はイマイチだったように聞いています。ここ数年、春や秋が短い、春や秋が無くなった?などの声も。四季が二季になっていくのでしょうか。その昔、春が来て梅雨が来て初夏、盛夏でした。いつしか春、初夏、梅雨、盛夏。ひょっとすると、今年は短い春、梅雨、盛夏となるのではと、アースデイにふと考えるのでした。

では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。
「クッキーの残り香噛んで春惜しむ」カルノ

BBTime 653 道

「どっちみち梅雨の道へ出る地下道」池田澄子

2024/04/20投稿
早い方は来週末から連休でしょうか。鹿児島は雨多く梅雨を思わせます。句の解説から『雨降りの日は地下道が混雑する。少々遠回りでも、なるべく雨を避けて歩きたい人が多いからである。かくいう私ももちろんその一人だが、しかし、句の言うように、いずれは雨の道に出なければならないのだ。そう思うと、わずかの雨を嫌がって地下道を歩いている自分が情けなくも滑稽に見えてくる。晴れている日と同じように、いつもの地上の道を真っ直ぐに行けばよいものを……。と、思いつつも、やはり地下道を選んで歩いてしまう。これが人情というものである。なお「どっちみち」は「いずれにしても」と「どっちの道」の二重の意味にかけてある。なんということもないような句だが、読者に「なるほど」と思わせる作者のひらめきは、なかなかどうして脱帽ものだ。自由詩では書けない世界である。いつか梅雨時の地下道で、この句を思い出して苦笑いする読者も少なくないだろう。「池田さんは正直に、デリケートに、またユーモアを秘めて時代と向き合っていると思う」(谷川俊太郎)。『いつしか人に生まれて』(1993)所収。(清水哲男)』(引用元)。解説では「どっちみち」の「みち」について触れていますが、結句の「地下道:ちかどう」を強引に「ちかみち」と読めば「どっちみち」「梅雨の道」「ちかみち」と「道」がみっち(三つ)!今回は「道」について、去る4/8の「ほぼ日」から。

『・いまの時代には、なにかをはじめるときに、
 それがうまく完成するものなのかどうかを、
 見極めてからはじめるべしという考え方がある。
 いや、考え方のひとつというよりは、
 そうでなければやってはいけない、
 まちがうかもしれないことをやるのは無責任である、と「原則」のようにされてしまっている。かならず成功するために調査をし、テストを続けて推論し、方向が決定されても修正を加えながら進行していく。これは、コンピューターの進化のおかげで、デジタルデータを入れての「テスト」がほぼ無限にできることになったおかげも大きいだろう。』

『いま、ぼくの付け焼き刃「論語」ブームはまだ続いていて、昨日は呉智英『現代人の論語』を読み終えたところだ。この本の第33講に冉有(求)という弟子の話がある。かいつまんで記す。覇気がなくなかなか実行しない冉有と孔子との問答だ。
 「私は先生の説く理想の道を歩むのが
 うれしくないわけではありません。
 ただ私には力が足りないのです」
 と言う冉有に、先生がおっしゃった。
 「力が足りない者なら、
 進めるだけ進んでそこでやめる。
 しかし今のお前は
 自分で自分の力を見限っている」』

『孔子は「進めるだけ進んでそこでやめる」ことを、だめじゃないか無責任だというのではまったくなく、始めず進めないことのほうを叱っているわけだ。これ、いろんな読み方があるかもしれないが、ぼくには、とても新鮮で本質的な考えに思えた。
 「まちがいなく完全に成功する計画」などありえないのに、それをやろうとしているのが現代の支配的な考え方であり、ぼくの内にも息づいている「慎重で善良な思い」である。ここでもまた、古代中国の思想家に、痛い所を突かれた。』

『日曜の夜のNHKスペシャル『LastDays』で坂本龍一が、いまつくりたい、つくっている理想的な音楽について語り、「そんなのは、ぼくのいまの力量では叶わないんだけれど」と言い「なんとか努力してみます」とはっきり結んだ。彼は「進めるだけ進んでそこでやめる」を現実にしていた! 限りある人生でできることは、みんなそれなんだと思った。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。すべては未完成にしかならないと思いつつ、進めれば幸いだ。』

画像は高村光太郎(1883-1956)の作品『手』(1918年)です。ほぼ日を読んで「道程」(1914年)を思い出しました。
『僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため』
ほぼ日の「進めるだけ進む」は、まさに
「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」!

おやつ堂は、昨年の天皇誕生日(2023/02/23)にオープンしました。いまだ「行き先の見えぬ道を歩む」です。日々精進! 皆様ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 652 酸性雨

「花の雨やがて雨音たてにけり」成瀬櫻桃子

2024/04/08投稿
この日(画像)も降ったり止んだりでした。句の解説から『季語は「花の雨」で春、「花」の項に分類。桜の花どきに降る冷え冷えとした雨のこと。「花散らしの雨」と言ったりする。桜の花に直接降る雨としてもよいし、べつに桜が眼前に無くてもよい。掲句は、後者の雨だろう。室内にいて、雨の降りはじめたことに気づいた。ちょうど桜の咲いている時期だと、まず気になるのは雨のせいで大量に散ってしまうのではないかということだ。もとよりそんなに深刻な問題ではないけれど、できれば小雨程度ですんでほしいと願うのが人情である。だが、願いもむなしく、「やがて雨音たて」て降りはじめた。ああ、これでもう今年の花もおしまいか……。と、軽い失望感が胸中をよぎったのだ。この感情もまた、春ならではの心持ちと言える。ところで、今日は全国的に雨模様だ。文字どおりに「花散らしの雨」となってしまう地方も多いだろう。そんななかで「雨に重き花のいのちを保ちけり」(八幡城太郎)と、けなげな花を目にできたら嬉しいだろうな。現代俳句文庫19『成瀬櫻桃子句集』(1994・ふらんす堂)所収。(清水哲男)』(引用元)。鹿児島市は雨がちで、桜は花の雨に濡れております。久しぶりに「酸性雨」について。

この傘マークをご存じでしょうか。実は数十年前には日本でも結構目にしたマークなんです。拙ブログ「ハナ通信」1993年7月号に次のように書いております。

「口の中の酸性雨」  エコロジー問題のひとつに酸性雨があります。強い酸性の雨水のため、森林、草花から、大理石の宮殿にいたるまでダメージをうけているというものです。ところで口の中の酸性雨のことを御存じでしょうか。砂糖を口に入れると、歯の表面のカルシウムが溶ける酸性度にまで下がり、食べ終わっても十数分間は続いていて歯の表面は少し溶けます(ミニむし歯)。このミニむし歯は唾液中のカルシウムで自然修復されますが、これには数時間かかります。ミニむし歯ができる回数が増えて修復が追いつかないと、やがて目に見えるムシ歯になります。そこで傘マークの登場です。食べてもムシ歯をつくりにくい食品にこの傘マークがついています。まだ日本には導入されてはいませんが、近いうちに目にすることと思います。口に中の酸性雨にご注意を。(引用元はこちら、一部修正)

酸性雨に関してはこちらを。その昔二十年程前、研修でスイスチューリヒに行った時のこと。駅のキオスクに並ぶガム、キャンデーなどの殆どにマークが付いていました。さすがスイスと思っていたら更なる驚き!なんとカフェでコーヒーについてきた砂糖(のようなもの)にもマークが付いておりました。日本のように一部だけがマーク付きでは意味がないんです(薄いんです)。

もちろん「トゥースフレンドリー」活動には賛成です。ただし甘いもの・スイーツの力も評価します。日本人の食において「砂糖抜き」は不可能、これまた「甘い力」として書いておりました。『まさしく「発見」であった。卵焼きにも焼肉のタレにも砂糖は入っている。ケーキやジュースだけではない、しかもムシ歯菌にとっては卵焼きもケーキも同じ。砂糖の摂取量を減らすことはできても、ゼロにすることは無理である。細菌すなわち汚れにおいても同様で、磨けば予防できると信じていた。磨けば予防可能、これは事実。しかし完璧に磨くことはできないのが現実。フロスや歯間ブラシを併用しても、歯の汚れを自力のみで完璧に取り去ることは不可能に近い。左手の汚れは、目で見て右手で落とすことができ、落ちたか否かを確認できる。ところが口の中はさにあらず。汚れている箇所を確認しないまま闇雲に磨き、汚れが落ちたか否かを確認することもできない。日常生活で不可能なことを、あたかも可能であるかのように説き、時にムシ歯をつくったのは自業自得であるかのように説明してきたことを心密かに恥じた。「甘いものを食べ過ぎず歯を磨けばムシ歯にならない」は、実生活においては正しくないのである。』(一部抜粋、引用元)。

最後に「地球上の酸性雨」はどうなったの。検索してみると・・記事を見つけました。「いま、酸性雨はどうなっているの?」2019年の記事、「酸性雨、コロナ後ph改善傾向に・・」2023年の記事、是非お目通しください。今回「ハナ通信」を読み返して思いました。口の中に酸性雨は降りません。ムシ歯菌と砂糖によって歯の表面が長時間酸性に傾くというのが正しい表現です。老婆心ながら、物理的に歯の表面の汚れを除去する(歯磨き)ことがムシ歯予防の基本中の基本です。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 651 リズム

「米磨げばタンゴのリズム春まぢか」三木正美

2024/03/30投稿 3/31追加
 その昔「二月逃げる三月去る」・・だから他の月よりも時が経つのが速いと聞きました。今年度も明日でお終い。まずは掲句の解説『当歳時記では「春近し」に分類。いかにも軽い句だけれど、あまり仏頂面して春を待つ人もいないだろうから、これで良い。四分の二拍子か、八分の四拍子か。気がつくと「タンゴのリズム」で「米を磨(と)」いでいた。たぶん、鼻歌まじりにである。なるほど、タンゴの歯切れの良い調子は、シャッシャッと米を磨ぐ感じに似あいそうだ。想像するに、作者は直接手を水につけて磨いではいないようである。何か泡立て器のような器具を使っていて、それがおのずからシャッシャッとリズムを取らせたのだろう。手で磨ぐ場合には、そう簡単にシャッシャッとはまいらない。そんなことをしたら、米が周囲に飛び散ってしまう。子供時代の「米炊き専門家」としては、そのように読めてしまった。ちなみに作者は二十代だが、私の世代がタンゴを知ったのは、ラジオから流れてきた早川真平と「オルケスタ・ティピカ・東京」の演奏からだ。アルゼンチン・タンゴを、正当に継承した演奏スタイルだったという。でも、歌謡曲全盛期の私の耳には、とても奇異な音楽に思えたことを覚えている。いつだったか辻征夫に「『ラ・クンパルシータ』って、どういう意味なの」と聞かれても、答えられなかったっけ。ま、私のタンゴはそんな程度です。「俳壇」(2001年4月号)所載。(清水哲男)』(引用元)。節分春分とうに過ぎ季節外れの句です、「タンゴのリズム花まぢか」としてご容赦の程。今回はリズムについて。

先日、面白い記事を見つけました。記事「睡眠で脳の老廃物を洗い流す仕組みが解明される、アルツハイマー病などの神経変性疾患の予防に役立つ可能性」(出典)です。要約すると「睡眠中の脳波のリズムを利用して脳内の老廃物を洗い流しているようだ」とのこと。記事によると『私たちの脳は睡眠時でも休むことなく動き続けており、睡眠中の脳ではニューロンが協調して電気信号を発し、それらが蓄積してリズミカルな波となることで脳にたまった老廃物を洗い流している可能性が、ワシントン大学医学部の研究チームによって示されています』『食事から得た栄養素がエネルギーとして脳細胞に供給されます。しかし、栄養素を消費すると、その過程で代謝による老廃物が作り出され、これらが蓄積するとアルツハイマー病やパーキンソン病などの神経変性疾患を発症する可能性が高まることが指摘されています』『「睡眠とは、覚醒時に蓄積された老廃物や毒素を洗い流すために、脳が掃除を行う時間であることが知られています。しかし、このメカニズムは解明されていません」と述べています』(引用元)。

記事は続きます『睡眠状態にあるマウスの脳を分析し、ニューロンが協調して電気信号を発し、脳内でリズミカルな波を形成することで、密集した脳組織に脳脊髄液を送りこんでいることを明らかにしました。さらに研究チームは、特定の脳領域の活動を抑制してリズミカルな波の形成を阻害すると、睡眠時に新鮮な脳脊髄液が流れることはなく、蓄積した老廃物が洗い流されないことを確認しています。
また、私たちが眠っている際にはレム睡眠やノンレム睡眠を繰り返しており、脳波のパターンは睡眠サイクルを通じて大きく変化します。研究チームは、高周波または高振幅の脳波が観測される際に脳脊髄液が大きく動くことを発見しています』(引用元)。

以前BBTime 583 「カムカムポンプ」に脳内への血液供給に「噛む」ことがポンプの役割を担っていることを書きました。脳が欲しがるものは「酸素とブドウ糖」で、これは血液が運んで来ます。その後、脳内のゴミなどを寝ている間に脳波のリズムを利用してゴミ出ししているようです。

これはアップルウオッチでトラッキングしたある夜の小生の眠りです、リズムがあります。おそらくこの朝は、スッキリした目覚めだったことでしょう。何事にも「リズム」が必要なようです。冒頭のお軸は、この季節に茶室で見かけます(逸外老師の筆)。日本語では「やなぎはみどり はなはくれない」と読んだりします。中国語では「リュウリュウ フアフォン」とちゃんと音韻を踏んでいます、リズムがあります。北京の方曰く「柳緑花紅又一春」とも言うとのこと。「リュウリュウフアフォン ヨウイーチュン(また春が来た)」・・リズミカルです。睡眠中のリズムについては「BBTime 644 歩く」もどうぞ。食べる際のリズム、睡眠中のリズム、歩く時のリズム、一日のリズム・・リズミカルな生活が良さそうですよ。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

おまけ:「柳緑花紅」の花は?・・桃のようです。詳しくはこちらを!

3/31追加:リズムのある睡眠(質の良い眠り)に必要なことは「歩くこと」の記事が出ておりました。記事によると『朝もしくは昼(太陽のあるうち)にウォーキングをすると、体の中に「幸せホルモン」と呼ばれるセロトニンがたっぷりと作られます。  このセロトニンは15時間後「睡眠ホルモンメラトニン」に加工されます。そうすると人はよく眠れます。  ですからよく眠れないという人は、朝もしくは昼、太陽のあるうちにウォーキングをすれば、幸せホルモンセロトニンが増えるとともにぐっすり眠れるというダブルの効果が期待できます』(引用元)。ということでBBTime 「歩く!」に書いたことは、どうやら正しいようです。ではでは、ではまた

BBTime 650 オイシイ

「玉丼のなるとの渦も春なれや」林 朋子

2024/03/17投稿
 鹿児島はひと雨ごとに春近づくです。句の解説『はじめての外食生活に入った京都での学生時代。金のやりくりなどわからないから、仕送り後の数日間は食べたいものを食べ、そうしているうちに「資金」が底をついてくる。さすがにあわてて倹約をはじめ、そんなときの夕食によく食べたのが、安価な「玉丼(ぎょくどん)」だつた。「鰻玉丼」だとか「蟹玉丼」なんて、立派なものじゃない。言うならば「素玉丼」だ。丼のなかには、米と卵と薄い「なると」の切れっぱししか入っていない。丼物は嫌いじゃないけれど、毎日これだと、さすがに飽きる。掲句を読んで、当時の味まで思い出してしまった。作者の場合は、むろん玉丼のさっぱりした味を楽しんでいるのだ。「なると」の紅色の渦巻きに「春」を感じながら、上機嫌である。「なると」は、切り口が鳴門海峡の渦のような模様になっていることからの命名らしいが、名づけて妙。食べながら作者は、ふっと春の海を思ったのかもしれない。楽しい句だ。またまた余談になるが、昭和三十年代前半の京都には「カツ丼」というものが存在しなかった。高校時代、立川駅近くの並木庵という蕎麦屋が出していた「カツ丼」にいたく感激したこともあって、京都のそれはどんなものかとあちこち探してみたのだが、ついに商う店を発見できなかった。さすがに今はあるけれど、しかし少数派のようだ。なんでなんやろか。『眩草(くらら)』(2002)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は「オイシイ」について。

小生「玉丼」なるもの知りませんでした。好きな丼は「カツ丼」、丼のオイシイ思い出は京都の「鳥岩楼:とりいわろう」親子丼!さて、ほぼ毎日訪問するサイト「ほぼ日」今日(3/17)のダーリンは・・

「・テレビ番組で料理を食べるタレントは、
 なぜ、「おいしい」とか「わぁ」とか言わずに、
 「やわらかい」とか「ふわふわ」とか「でかい!」とか
 「外はカリッとしてて」とか「あまーい」とか
 「ジューシー」とかから先に言うのだろうか。
 それは、「おいしい」だけじゃ、
 その時その料理なりの「よさ」が
 伝わらないからだということになっている。
 彼や彼女が「おいしい」というのは
 ただの主観、ただの感想にしかすぎないからだ、と。
 しかし、言うのが「やわらかい」でも「ふわふわ」でも、
 そんなに何かが伝わっているようには思えない。」

「食べものの「よさ」を表現するというのは、
 とっさに気の利いたことばで言えるようなものでもない。
 客観的にどうだとか、どこに価値があるかとかは、
 後でうまく言えたときに言えばいい。
 まずは、あなたが「おいしい」と感じたのか、
 そうでもなかったのか、のほうが知りたいんだ。
 「わたしなど味もよくわからないただの人です」
 だとしても、その「ただの人」が
 「おいしい」顔をしたのかどうかが知りたいのだ。」

「テレビの「食レポ」とかの影響なのか、
 いまじゃ、そこらへんのだれでもが
 一口食べて「やわらかーい」とか言っている、
 「おいしい」かどうかは言わないままで。
 いいんだよ、伝えることなんか後回しでいい。
 おいしさを表わす語彙が足りないとか、
 気の利いたふうなことは言わなくていい。
 ただ「おいしい」でかまわないんだ、自由なんだ。
 やがていつか、じぶんにも他人にも伝わるような
 「よさ」が表せる機会があるかもしれないしね。」

「たとえば昔、ぼくの近くにいた若いやつが、
 「ああ、うなぎというのは魚なんだけど、
 魚っていうだけじゃなくて、
 こう、肉と魚の間みたいな感じで、
 もうなんとも言えないおいしさですねー」
 と言っていて、いいなぁと思ったよ。
 語彙なんかないけど「よさ」が鳴り響くじゃないか。
 まず、じぶんの「感じ」をたのしもうよ、だよ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ぼくは「おいしいね!」っていう声を聞くのが大好きです。」

去る一月、行きつけの歯科で担当の方に今年の抱負を聞かれた際「もっともっとオイシイものを探す!」と即答。BBTime 633 「美味しいを守る」をアップしました。食べるを守るが歯科治療ならば、美味しいを守るは歯科予防です。加えて「オイシイを探す」はおやつ堂の役目であると確信します。先月二月に「もっと美味しいもの」見つけました!詳しくは近々アップします、乞うご期待。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 649 唄を楽しむ

「声にせば覚えてをりぬ手毬唄」大橋淑子

2024/03/16投稿
 前回投稿から早二週間、鹿児島の春はそこまで来ております。句の解説『言葉の運びが窮屈で、そこがとても惜しまれる句であるが、人の記憶のありかたについて貴重なことを言っている。作者の弁。「友達と童謡を歌っていた時のこと。てまりが殿様のおかごの屋根に揺られ紀州のみかんになった手鞠唄、全部覚えていたのです。子ども時代の歌、なつかしいです」。遠い子供の日々に、毬つき遊びをしながら覚えた歌だ。童謡『まりととのさま』は結構長いので、まさか全部を覚えているはずもないだろうと、とりあえず友達と声に出して歌ってみたら、あら不思議、二人ともすらりと全部歌えてしまったというのである。びっくりだ。嬉しかった。人の記憶にはあやふやなものが多いけれど、このように身体の動きと一緒に記憶したことだけは、なかなか抜けないようだ。歌だけを覚えているのではなくて、身振り手振りすべてが記憶のなかで連鎖しているからだ。つまり、記憶を呼び起こすキーがたくさんあるわけだ。だから、声に出すことがきっかけとなって、苦もなく歌えたのである。手鞠のように全身を使わなくとも、たとえば教室で音読させられた詩などが、ときに意味もなく口をついて出てきたりするのも、同種の記憶構造に仕込まれた引き金によるものだろう。俳誌「未来図」(1999年1月号)所載。(清水哲男)』(引用元)。今回は唄について。

昨年霜月のブログ「Music for 介護」をアップして早四ヶ月、訪問歯科診療の際にはスマホで音楽を流しております。今のところ「ノー」の方はいらっしゃいません。ご本人や家族の方にリクエストを聞くと「ちあきなおみ」「石原裕次郎」「福田こうへい(小生知りませんでした)」「おはら節」など多岐にわたります。半分以上の方が演歌を希望、あとはおまかせか童謡です。こちらの言うことは理解されるけど、言葉では返事困難な方でも反応してくださいます、体を揺する方、手(指)でリズムを取る方。言葉で対応可能な方は「口ずさむ」「(カラオケよろしく)歌う」なども。また黙って涙ぐむ方も・・季節的によく流れる童謡は「花」です。

冒頭の句の解説の追加に『記憶には「宣言的記憶」と「非宣言的記憶」という大きくわけて2種類のものがある、と言われております。宣言的記憶とは、覚えている俳句であるとか、昨日体験した出来事であるとか、簡単に言えば「口で説明できる記憶」です。非宣言的記憶とは、車の運転やスポーツなど、「口では説明できなくても動作で手順として覚えている事柄」であります。手続き記憶とよばれる記憶もこれに属します。歌や道順などは手続き記憶です。一時に全部は思い浮かべられないが動作の連続として再生はできます。なお脳にとっては言葉も動作もカテゴリーとしては同じ「運動」です。これらの記憶は蓄えられている場所も取り出し方も違います。 宣言的な記憶は海馬と呼ばれる部位が中心になって蓄えられており、本人が積極的に検索して取り出してきます。一方、手続き記憶などは様々な大脳皮質や小脳に分散して蓄えられており、ひとつの動作や想起から芋蔓式に取り出されてきます。学習も取り出しもたいていの場合は自動的です。海馬が損傷された患者さんでも歌は歌えることが多いのはこのためです。』(引用元)とのこと。

五感の中で最後まで機能するのは聴覚だと聞いたことがあります。目覚ましアラームが有効なのは耳が年中無休二十四時間営業であることの証拠です。ちなみにBGM診療で最も効果的だと感じたことは、訪問診療しているこちら側(歯科医師・歯科衛生士)です。コミニュケーションが困難、口を開けてくれない、噛まれる等々ストレスを感じることは多々ありますがBGMで明らかに軽減されます。

かたやこんな句も
「雪の降る町といふ唄ありし忘れたり」安住 敦
『町に雪がちらついている。歩きながら作者は、そういえば「雪の降る町といふ唄」があったなと思い出した。遠い日に流行した唄だ。何度か小声で口ずさんでみようとするのだが、断片的にしか浮かんでこない。すぐに、あっさり「忘れたり」と、思い出すのをあきらめてしまった。それだけの句ながら、この軽い諦念は心に沁みる。かくし味のように、句には老いの精神的な生理のありようが仕込まれているからだ。すなわち「忘れたり」は、単に一つの流行り唄を忘れたことにとどまらず、その他のいろいろなことをも「忘れたり」とあきらめる心につながっている。若いうちならば、どんなに些細なことでも「忘れたり」ではすまさなかったものを、だんだん「忘れたり」と早々にあきらめてしまうようになった。そういうことを、読者に暗示しているのだ。そうでなければ、句にはならない。唄の題名は、正確には「雪の降る街を」(内村直也作詞・中田喜直作曲・高英男歌)だけれど、忘れたのだから誤記とは言えないだろう。歌詞よし、曲よし。私の好きな冬の唄の一つだ。しかし長生きすれば、きっとこの私にも、逃れようもなく「忘れたり」の日が訪れるのだろう。せめてその日まで、この句のほうはちゃんと覚えていたいものだと思った。『柿の木坂雑唱以後』(1990)所収。(清水哲男)』(引用元)。BGM付き訪問診療、関係者の方は是非!皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 648 雪月花

「はなはみないのちのかてとなりにけり」森アキ子

2024/03/02投稿
 早くも弥生三月。句の解説『作者は俳人の森澄雄氏夫人。1988年没。ふらんす堂から出ている森澄雄句集『はなはみな』(1990)は愛妻との交流をモチーフにした一本で、後書きに、こうある。「昭和六十三年八月十七日、妻を喪った。突然の心筋梗塞であった。折悪しく外出中で死目に会えなかったことが返す返すも残念である。巻首の(中略)墓碑銘の一句は、わがために一日分ずつ分けてくれていた薬包みに書きのこしていたものである。……」。というわけで、ここではこれ以上の野暮な解説は余計だろう。そして今日三月二十三日は、森夫妻の結婚記念日である。『はなはみな』には「われら過せし暦日春の夜の烈風」など、その都度の結婚記念の句もいくつか載せられている。ふと思ったのだが、妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、森澄雄以外に誰かいるだろうか。寡聞にして、私は他に知らない。なお、句の季語は四季を通しての「はな」を指しているので、無季に分類しておく。(清水哲男)』(引用元)。画像は止止庵(ししあん)老師の筆、今回は「雪月花:せつげっか」について。

先月のお稽古(裏千家茶道)にて先生に質問『「雪月花」の(軸を掛ける)時期はいつが良いのですか?』。師答えて曰く「字面(じづら)ではない(季節など重要ではない)」とのこと。そうなんだと小生なりに考えました。
雪:気象現象であり、降って積もって溶ける
月:天体、宇宙であり満ちて欠ける
花:天然(自然)の産物であり、咲いて散る
いずれも移ろいゆくものである。さて、それらを見ている人間はいかに在るべきか、生きるべきかと問うているのでは?と思いました。

ネットで「雪月花」の詳しい解説を見つけました。引用元はこちら
『雪月花の時、最も君を憶う。移りゆく自然の一瞬一瞬の、その輝きに触れる時、何が二人の間を別とうとも、最も君を憶う。二人を別つものがどれほど大きく、圧倒的であろうとも、だからこそ一層深く、強く最も君を憶う。そもそも、「雪月花」の美しさは、季節の移ろいの中の美、儚い一瞬一瞬の輝きのなかにあります。そして、儚いことによってその輝きは減じることはありません。むしろ反対に、儚いからこそ、一層その輝きは増すのです』(引用元)。
『雪月花の時、最も君を憶う...詩歌の友も、酒の友も、すべてを「閑事」と捨て去り、儚い一瞬一瞬の、無常の時の移ろいの中に独り立ってこそ、本当の友、本物の心の友を憶うことができるのです。その瞬間こそが、すなわちこれ人間の好時節...この時には、「雪月花」もその姿を新たにしているはずです。』(引用元)。

白居易(白楽天772-846)。雪月花は『琴詩酒(きんししゅ)の友、皆我を抛(なげう)ち、雪月花の時、最も君を憶う...』からの出典のようです。こちらもご参照のほど。鹿児島は今週末は寒いとの予報ですが、おそらく最後の冬型でしょう。今年の桜(花見)では「雪月花」を反芻しながら眺めたいと思います。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 647 拙を守る

「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」夏目漱石

2024/02/10投稿 2/11追加 2/14追加 2/17動画追加
鹿児島には春がそこまで来ております。句の解説『花そのものではなく、木瓜(ぼけ)という語感に着目した句だ。「拙を守る」とはへんてこな意志と思われるかもしれないが、漱石のような才気横溢した人にとっては、おのが才気のままに流れていくことは、たぶん怖いことだったのだろう。才気には、知らず知らずのうちに現実から遊離してしまうという落し穴がある。小説家にしてみれば、この穴がいちばん恐ろしい。だから、どうしても「拙を守る」強固な意志を持ちつづける必要があった。「世間には拙を守るという人がある。この人が来世生れ変るときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい」(『草枕』)。そして漱石ならずとも、現代人の多くはいま木瓜になるべきときかもしれない。シャープという名の小賢しさが一掃されたら、どんなに気持ちがよいことか。私が俳句を好むのも、俳人には「拙を守る」人がたくさんいるからである。とは、それこそまことに小賢しい言い方かもしれないが……。『漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)』(引用元)。先日目にした記事「認知症を引き起こすアカン習慣13選」について、ズバリ認知症予防のお話。

まず『「拙を守る」とは、漱石が好んだ言葉で、生き方の基本としたものという。世渡りが下手なことを自覚し、それをよしとし敢えて拙を曲げぬ愚直な生き方、俗世に媚びて利を追求する事を卑しとする心』(引用元)。さて記事を見ていきましょう。
「日常生活の改善で発症リスクは約4割も下げられる」・・厚生労働省の推計によると認知症の患者数は2025年に約730万人にのぼり、65才以上の5人に1人は発症するとされている。もはや誰もが認知症に罹(かか)ると思った方がよさそうだ。最近の研究によると普段の習慣が認知症を招く要因になっていることがわかってきた。認知症を予防するためにやってはいけない生活習慣について専門家が解説する(記事)。
「2020年、世界五大医学雑誌のひとつ『ランセット』に、認知症の発症にかかわる12のリスク因子が掲載されました。それは、飲酒、喫煙、糖尿病、肥満、高血圧、頭のけが、運動不足、難聴、社会的孤立、うつ病、教育歴、大気汚染です。これらに加えて、睡眠の重要性も説かれており、これらを改善することで認知症の発症リスクを約4割下げられるといわれています。いまから、認知症になりにくい生活習慣を身につけておくことが重要です」(記事)。

では「アカン習慣13選」とは。
【1】たばこを吸う・・周りの人にも悪影響が!
「中年期(40~64才)以降も喫煙を続けた人は、非喫煙者に比べてアルツハイマー型認知症になる可能性が2倍、血管性認知症は2.9倍高いとされます」。受動喫煙者もリスクが上がるので要注意。・・脳内の循環
【2】愚痴や悪口を言う・・ネガティブ思考が機能低下を招く
「どうせ自分なんて」といったネガティブな思考は認知機能の低下を招く原因になるという。「悪口や批判的な態度は自分のストレスを助長するだけでなく、家族や友人が離れ、社会的な孤立を深める原因になるのでやめましょう」。・・ネガティブ(自己否定)
【3】料理はしない!食事は外食やデリバリーが中心・・“料理”は最適な脳トレに!
コロナ禍の影響でデリバリーが習慣化したり、もともと外食中心の食生活で料理をしない人もいるようだが、料理には脳を活性化させる効果がある。「脳の前頭前野の働きが活発となり、血流が増加したという研究結果も。簡単なものでいいので料理は毎日続けましょう」。・・脳の不活性

【4】面倒なときは歯みがきをサボりがち・・ムシ歯や歯周病が認知症を招く
「歯の健康と認知症の関係は深く、歯周病菌がアルツハイマー型認知症の発症因子アミロイドβの生成・蓄積を促進させることがわかっています。さらにムシ歯菌が認知機能の低下と関係していることも明らかに」。口腔内の健康が脳の健康につながると覚えておこう。・・歯周病菌が原因
【5】休日は誰にも会わず家でダラダラ~人に会わないと脳が衰える
他者とのコミュニケーションは、脳を刺激し、脳の発達を促進させる。「家にひとりで閉じこもっていては、人と話す機会が減るだけでなく、社会的孤立にもつながります。買い物に行く、カルチャースクールに通うなど、意識的に外出する用事を作って」。・・脳の不活性、ネガティブ
【6】イヤホンをして音楽を聴く・・使用自体を控えるのが望ましい
「イヤホンやヘッドホンを使い、大きな音量で音楽を聴き続けると、音を伝える役割をしている内耳の有毛細胞が徐々に壊れて難聴になりやすくなります。使用は控えた方がよいでしょう。やむなく使う場合は、音量に気をつけ、1日1時間未満に」・・難聴のリスク

【7】欲求は悪!“三大欲求”はできるだけがまん!・・欲求は満たすことこそ大切です
「認知症予防には、ストレスをためないことが大切です。人が心の底からリラックスできる状態は実は、食欲・性欲・睡眠欲の三大欲求が満たされることで成立します。性欲を満たす方法は、異性と体を重ねるだけでなく、ペットなどの動物や子供と触れ合ったり、“推し活”などの疑似恋愛でもかまいません。“ときめくこと”で、脳が活性化されます」・・脳の不活性
【8】美を維持するため筋トレは必須!毎日、ダンベルを上げています!・・筋トレのやりすぎはかえって危険!
「認知症予防に運動は大切。筋力維持を目的とした適度な筋トレはいいですが、50代以上でムキムキになるくらいの過度な筋トレは、けがや病気のもとに。認知症予防が目的なら有酸素運動が有効です。おすすめは、週2~3回、1回30分以上のウオーキング。認知機能の低下防止だけでなく、代謝がよくなり血糖値や血圧の改善も期待できます」・・怪我、ストレス
【9】ちょっとした不調でもすぐ市販薬をのむ・・必要以上の服薬は控えた方が◎
ちょっとした不調ならば、ドラッグストアなどで手に入る薬をのんで様子をみるという人も多いが…。「市販の風邪薬、花粉症薬、胃酸の分泌を抑える薬、せき止め薬、睡眠改善薬などの中には、認知機能に影響を及ぼす成分が含まれているものも。過度な服用は控え、不調時は病院で適切な薬をもらいましょう」。・・薬は毒

【10】簡単な計算にすら電卓を使う・・計算は効果的な脳トレに
「脳は使わないとどんどん衰えてしまうので、日常生活で計算する習慣を作るのがおすすめです。たとえば、買い物をしながら合計金額を算出することで、計算力と記憶力が鍛えられます」・・脳の不活性
【11】失敗が怖い。得意なことしかやりたくない・・ささやかな“初体験”を心がけて
「年齢を重ねると何事も慣れ親しんだものを選びがちですが、新しい体験をすると脳の神経細胞が活性化。いつもと違う道を通る、新しい店に入るなど、ささやかでいいので“初体験”を心がけて」・・脳の不活性、ネガティブ
【12】いつも同じ人としか話さない・・知らない人との会話が脳の刺激に
「親しい人との会話は気楽で楽しいですが、緊張感が不足するかも。初対面やあまり話したことのない人との会話の方が、相手がどんな人か探りながら話すので脳への刺激も強くなります」・・脳の不活性、ネガティブ
【13】心配性で、何度も確認したくなる・・声を出して笑ってみよう!
「スウェーデンの大学が行った調査によると、心配性な人ほど認知症になりやすいとのこと。人は笑うと脳が活性化し、心身もリラックスします。心配性な人は、意識的に声を出して笑ってみて」(出典)。脳の不活性、ネガティブ

・中国原産。実が瓜のような形であるところから「木瓜」。「木瓜」を「もっけ」と呼んでいたのが 次第に 「もけ」→「ぼけ」になった。(「ぼっくわ」→「ぼけ」の説もある) ・花の色は赤、白、ピンクなど。枝にトゲがある場合とない場合がある(引用元)。

拙(小生)なりにまとめてみます。(2/11追加)
1)喫煙・・脳内の血液循環悪化
2)愚痴悪口・・ネガティブ・自己否定
3)料理しない・・脳の不活性
4)歯磨きサボリ・・歯周病菌による慢性炎症
5)人に会わない・・脳の不活性、ネガティブ
6)イヤホン使用・・難聴のリスク
7)我慢・・脳の不活性、ヒト本来の否定
8)筋トレやりすぎ・・怪我リスク、ストレス
9)薬の服用・・薬は毒
10)暗算しない・・脳の不活性(漢字の確認でも可)
11)失敗が怖い・・脳の不活性、ネガティブ(今さら失敗はない)
12)同じ人のみ・・脳の不活性、ネガティブ
13)心配性・・脳の不活性、ネガティブ
さて、いくつ当てはまりましたか?ご覧のように殆どが脳の不活性、言い換えれば「脳を使わない」。「廃用性萎縮:はいようせいいしゅく」使わないと使えなくなる!脳をもっともっと使いましょう、よりポジティブに、より楽しく。例「テレビ捨ててラジオ聴こう」「クルマ捨てて歩こう」さっそく今日から、いや今から!
皆様ご自愛の程ご歯愛の程。
2/14追加・・セミナー用2040年問題(詳しくはこちらを)。






BBTime 646 自ら然り

「春立つと古き言葉の韻よし」後藤夜半

2024/02/04 立春投稿 2/5追加
暦では春。句の解説『韻は「ひびき」と読ませる。昔から、立春の句や歌は数多い。それだけに、後代になるほどひねくりまわし過ぎた作品が目立つようになってきた。止むを得ないところではあるけれど、だからこそ、逆に立春という題材をどう扱うかは、俳人や歌人の腕の見せどころでもある。「芸の人」夜半としては、そこでしばらく考えた。考えた結果、立春のあれやこれやの情景を捨て去って、一見すると素朴な発想のこの一句に落ち着かせることにした。さすが、である。つまり、この句には古今の名句や名歌のひびきが、すべて収まってしまっているからだ。さりげなく「他人のフンドシで相撲をとる」のも、立派な芸というべきだろう。脱帽。(清水哲男)』(引用元)。この時期、好きな句です。句とは関係なく「自然:じねん」「自ら然り:おのずからしかり」について。
もうひとつ好きな句のご紹介(2/5追加)
「雨の中に立春大吉の光あり」高浜虚子

北原白秋の詩「薔薇二曲」
「薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 
ナニゴトノ不思議ナケレド。

薔薇ノ花。
ナニゴトノ不思議ナケレド。
照リ極マレバ木ヨリコボルル。
光リコボルル。」

薔薇は向井バラ園@mukai_rosegarden 

ネットで見つけた文章
『なんのことはない。薔薇の木に薔薇が咲いたというだけだ。
しかし、考えてみれば不思議なことではないか。だれもなにも教えていないのに、時期がくればちゃんと咲くのだから。 
 動物だって、右足が出れば左足がでるというように、左右交互に手足が動くから歩いたり走ったりできるのだし、呼吸をすることも、心臓が動くことも、自分の意志とはまったく関係ない働きである。
 すべての生き物に備わっているこの不思議な働き。
 これこそ、天からの授かり物だろう。
 春来たらば草自ずから生ず、である。』(引用元)。
自ずから生ず・・まさに「自ら然り」自然(じねん)です。

自然(じねん)をネットで見ると・・
『「春は名のみの風の寒さや」
 暦の上では春なのに寒い日々が続くとき、この「早春賦(そうしゅんふ)」の詞章を想い出す人は優れた感受性の持ち主である。今や人間は大自然に住まうのでなく、改造された人工環境の中で生活している。
 今日、私たちが「自然」と言う場合、山川草木や雨や風など、人間を取り巻く外的な環境のことを指す。そのような自然環境は人間に対立するものであり、自分たちに都合のよいように改造できるものと考えてきた。その結果、地球の温暖化や砂漠化、水や大気の汚染などの様々な問題を惹起した。どれもこれも人間の我が儘が原因である。人間は自然を支配しようとするが、自然は人間の支配の対象ではない。
 仏教では、自然を〈じねん〉と訓じて「自ら然る」という意味に解する。人間の作為のない「そのまま」の在り方が自然である。法(真理)が「そのまま」に顕現していることを示す法爾(ほうに)と自然とは同義語で、その両者を合わせて「自然法爾(じねんほうに)」「法爾自然(ほうにじねん)」という四字熟語ができた。
 浄土宗開祖の源空は、「法爾自然」を略して法然と号した。浄土真宗を開いた親鸞は、「自然法爾章(じねんほうにしょう)」と称する一文を認め、その中で「自然といふは、自はをのづからといふ、行者のはからひにあらず、然といふはしからしむといふことばなり」(『末燈鈔(まっとうしょう)』)と説いている』(引用元)、こちらも。

薔薇がバラとして何事もなく咲くように、ヒトもまた自然(じねん)。Wikipediaには特徴として『直立二足歩行 現存生物で唯一ヒトのみが直立二足歩行を行う。 二足歩行のみなら鳥類やカンガルー、一時的な二足歩行であれば一部の哺乳類が行えるが、頭から足までまっすぐ伸ばした直立姿勢を取るのはヒトのみ』
『コミュニケーション能力 脳・声帯が発達しており、(身振りだけでなく)音声(音声言語)・手話や文字(書記言語)によるコミュニケーションを図れる』
加えて『全体として「大型」「群れる」「中速度で長距離を移動する」「調理された質の良い、多様な食物を食べる」「投擲など自分の体から離れたものを利用する」ことが動物としてのヒトの特徴・生態的地位といえる』(引用元)。

シンプルに考えるに、ヒトは「歩く」「食べる」「話す」が自然(じねん)、自ら然りでしょう。歩くについては「BBTime 644 歩く!」を、食べるは「BBTime エンタメ」を、話すは「BBTime 640 セイタイハイリョ」もご覧ください。皆様、是非ご自愛の程ご歯愛の程、自ら然りで人生を楽しみ尽くしませんか!

BBTime 645 平常心是道

「映画出て火事のポスター見て立てり」高浜虚子

2024/01/30投稿 02/17インタビュー動画追加
鹿児島もここ数日冷たい日々です。まずは句の解説『映画館を出た後は、しばらくいま見てきたばかりの映画の余韻が残っている。と、街角に「火の用心」を呼びかけるポスターが貼ってあった。見ているうちに、作者の意識はだんだん現実に引き戻されていく。そんな状況の句だ。季語は「火事」である。この季語についての虚子自身の説明が、岩波文庫『俳句への道』に載っているので、引用しておく。「『火事』というものは季題ではあるが、他の季題に較べると季感が薄い、ということは言えますね。一体火事という季題は、我らがきめたものですし、火事はいつでもあるが、殊に冬に多いから、というので冬の季題にしたのですが、季感は従来のものよりも歴史的に薄いとはいえる。だからこれは季感のない句であるという風に解釈する人があるかも知れぬ。(中略)そういう人は季題趣味を嫌がっている人ではないですか。だが俳句は季題の文学である。……」。つまり、虚子は自分(我ら)で「火事」を冬の季題にし、そう決めたのだから、この句を無季句などとは呼ばせないと力み返っている。この自信満々が、虚子という文学者のパワーであった。(清水哲男)』(引用元)。先日、映画「PERFECT DAYS」を観ました、ラストシーンで感じたことについて。

解説にあるように「映画館を出た後は、しばらくいま見てきたばかりの映画の余韻が残っている」・・小生も同様。帰りしな用足しに公園トイレに・・ひょっとして平山さんが掃除したのかな、と。タイトルの「平常心是道:へいじょうしんこれどう、びょうじょうしんこれどう」は茶室で目にする禅語です。和尚さん曰く「多くの人は誤解していらっしゃいます。喜怒哀楽、波があるのが平常心であって、いかなる時も冷静にいるべきであると言うのではありません」。詳しくは是非「こちら」「こちらも」ご参照ください。

以前、BBTime「ブラシラブ・掃除」に引用しました無印良品の本「掃除」。2ページ目に「気持ちいいのはなぜだろう。」の一言。うしろ(484頁)の文章・・『自然に対してヒトがなした環境を「人工」といいます。人工は心地がいいはずなのですが、プラスチックやコンクリートのように自然を侵食する素材が蔓延してくると、ヒトは自然を恋しがるようになります。しかし自然は、放っておくと埃や落ち葉が降り積もり、草木は奔放に生い茂ります。したがって、自然をほどほどに受け入れつつ、適度に排除しながらヒトは暮らしてきたのでしょう。(中略)まるで、打ち寄せる波が砂浜を洗う渚のように、人為と自然がせめぎ合う「ほどほどの心地よさ」を探し当てること、それが「掃除」の極意なのかもしれません』『この先の未来においてどんなに技術が進んでも、ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです。』(引用元)。

詳しくは書きませんが平山さんは、日常に起こる非日常による「喜怒哀楽」をトイレ掃除によって、便器とともに心まで浄化しているのかも知れません。本「掃除」に明記してあるように掃除は「気持ちいい」のです。

深呼吸すると気持ちいい、お風呂に入ると気持ちいいなど、身体感覚においてはっきりと説明できないけど「気持ちいい」と感じることがあります。なんとなく気持ちいいのは、脳が明確に捉えていない(言葉にできない)けど、身体にはわかること。本「掃除」には『ヒトは生き物。身体の奥底に響き続ける生のリズムがあります。ここに耳をすませていきたいものです』と。口の中が多少汚れていても、痛くも痒くもないけどなんとなく不快。キレイにすると息までキレイになったような清々しさを感じる。身も心も口もキレイにできる「歯磨き」、日常ルーティンである「歯磨き」・・心まで清める効果あります!

ここまで読まれても合点しにくいと思います。是非、映画平山さんを観てくださいラストシーンを凝視してください。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。