BBTime 153 小説いれば食堂 その5(完結)
「をりとりてはらりとおもきすすきかな」飯田蛇笏
『あなたがいれば』
最近ハナさんは上機嫌である。昨夜はスモモを堪能した。熟したスモモの丸かじり、何年ぶりのことだろう、ひとパック全部食べた。
「ヤマノさん、食事はどうですか、食べられますか?」
「昨日なんかスモモ丸かじりでしたよ」
「旬ですね、美味しいですよね。さて、そろそろ新しい入れ歯に取り掛かりましょう。どのような入れ歯を希望されますか?」
「はい、ここに来るたびに、待合に置いてあるお品書きを読んでます。いろんな入れ歯ができるんですね。決めました。トンカツ入れ歯です」
ハナさんは躊躇なくトンカツの名を口にした。
「トンカツですか、僕はマルイチが好きですね」
「ご存じですか、私もそうなんです。実は亡くなった夫の大好物でした。ここ数年食べていませんが、あの世とやらへの土産話に、もう一度じっくり味わいたいんです。向こうで主人にまた会うまでに、マルイチの味をもう一度しっかり記憶しておきたいんです」
「トンカツ入れ歯ですね、わかりました」
先生は遠くを見るような眼差しで感慨深げに話を続けた。
「弥生三月に「百歳入れ歯」が完成しました、御歳九十六歳の女性です。歯がなくて難儀しているお母さんを見かねた娘さんが、もう一度噛んで食べさせてあげたいと来院されました。その方は治療の度に「有難う有難う」と口癖のようにおっしゃいます。不思議なものでこのような方はスタッフにも好かれるし、治療も極めて順調でした。今では娘さんよりもいい音させながら沢庵を食べていらっしゃるそうです。当初の目標は「百歳入れ歯」でしたが、この調子なら百八歳の「茶寿」を目指しますと娘さんが喜んでおられます」
守秘義務違反ですね、と苦笑いの表情で先生の話は続いた。
「入れ歯を作っていると歯医者冥利につきます。義歯は完全オーダーメイドの人工臓器なんです。その方の食べる、話す、笑う、歌うための人工臓器。失礼なこと言ったらごめんなさいね。ヤマノさんの「トンカツ入れ歯」のわけを聞いて、これからつくるトンカツ入れ歯が寿命を全うするのみならず、あの世にまで繋がる入れ歯になるのかと思うと感無量です。ヤマノさんがいらっしゃればこそ、必要とされればこその入れ歯だと改めて思いました。感謝いたします。「あなたがいれば」です」
ハナさんは「あなたがいれば、あなたがいれば」と頭の中で反芻しながら家路に着いた。
「この歳になると「花より団子」「残るは食欲」と思っていたけど・・入れ歯は食べ物を味わうだけではなく、人生も味わうことができるのね。本当「あなたがいれば」だわ、あなた」
空のあなたに聞こえたかしらと見上げた梅雨の晴れ間は青かった。
(終わり)
いかがでしたか?是非おかわりどうぞ。「さんま食堂」「その1」「その2」「その3」「その4」「あなたがいれば 前編」「あなたがいれば 後編」
今回のBeat は空のあなたに想いを馳せて「yesterday」です。
https://youtu.be/2uneYz201p0