BBTime 220 唾液磨き
「春風にこぼれて赤し歯磨粉」正岡子規
文字通り「粉」の歯磨き粉の記憶は母の実家です。五右衛門風呂の横に無造作に置かれた洗面に缶入り歯磨き粉がありました。粉をつけるために歯ブラシを濡らして缶に突っ込むためか中はカパカパ、洗面は井戸水で井戸水のちょっとすえた味とカパカパの粉の味を妙に覚えています。掲句の「赤し」は不気味で不思議ですが解説を読むとさもありなんかと・・。
「歯磨剤」は「歯磨き粉」の字のごとく、はじめはペーストではなく「粉」でした。歴史に残る歯磨き粉は「かねやす」でしょう。画像にあるように「本郷もかねやすまでは江戸の内」と川柳に読まれています。1度訪れたことがあります、お店の人に「今も歯磨き粉を売ってるんですか?」と質問。「さすがに、今は・・売ってません」とのことでした。ウイキペディアには「「かねやす」を興したのは初代・兼康祐悦(かねやす ゆうえつ)で、京都で口中医をしていた。口中医というのは現代でいう歯医者である。徳川家康が江戸入府した際に従って、江戸に移住し、口中医をしていた。元禄年間に、歯磨き粉である「乳香散」を製造販売したところ、大いに人気を呼び、それをきっかけにして小間物店「兼康」を開業する。「乳香散」が爆発的に売れたため、当時の当主は弟にのれん分けをし、芝にもう一つの「兼康」を開店した。同種の製品が他でも作られ、売上が伸び悩むようになると、本郷と芝の両店で元祖争いが起こり、裁判となる。これを裁いたのは大岡忠相であった。大岡は芝の店を「兼康」、本郷の店を「かねやす」とせよ、という処分を下した。本郷の店がひらがななのはそのためである」とのこと。
また、歯磨き粉で忘れてならないのが「平賀源内」です。土用の丑とうなぎを結びつけた人です。これまたウイキペディアには「土用の丑の日にウナギを食べる風習は、源内が発祥との説がある[1]。ただし大伴家持が発祥ともいわれている。また明和6年(1769年)にはCMソングとされる歯磨き粉『漱石膏』の作詞作曲を手がけ、安永4年(1775年)には音羽屋多吉の清水餅の広告コピーを手がけてそれぞれ報酬を受けており、これらをもって日本におけるコピーライターのはしりとも評される」
かねやすが歯磨き粉「乳香散」を売り出したのが元禄年間(1688-1704)時の将軍は「生類憐みの令」で有名な五代綱吉。大雑把に言っても日本の人々(江戸人)は三百年前から「歯磨き粉」を使っていることになります。もちろん当時は今のような歯ブラシではなく「房楊枝:ふさようじ」を使っていました。興味深いことにネットでは「欧米で歯磨剤が広く用いられるようになったのは19世紀以降のことである。1800年代初頭には、歯磨きは主に歯ブラシと水だけで行われていた。その後間もなく粉末の歯磨剤が大衆に広まっていった」とあります。日本の方が欧米よりも百五十年も昔から歯磨き粉を使用していたことになります。
皆さんは野菜果物・食後の食器、髪の毛・体を洗う時にどうしますか?いきなり洗剤やシャンプーつけてゴシゴシはしないでしょう。ところが歯はどうでしょう、はじめっから歯磨き粉(洗剤)つけてゴシゴシされているのではないでしょうか。おすすめは、まず唾液磨き。歯磨きの終盤で歯磨き粉使用です。オフィスや仕事場でもいきなりトイレや洗面ではなく、ご自分の机や椅子でダラダラと唾液磨き、スマホ見ながらダラダラ磨き・・。
唾液の効能は素晴らしく「口腔粘膜の保護[4]や洗浄、殺菌、抗菌[5]、排泄[6]などの作用を行い、また緩衝液[4]としてpHが急激に低下しないように働くことで、う蝕の予防も行っている」ウイキペディアより。「洗浄・殺菌・抗菌・ムシ歯予防の作用」をもち、口に入れても(笑)飲み込んでも安心安全、いつでもどこでも手に入り、しかもタダ!声を大にして言います「唾液は夢の液体歯磨きです」にもかかわらず、お金を出して洗剤(歯磨き粉)を買っていきなり使うのは勿体無い話です。歯磨き粉メーカーの罠にまんまとはまっていますよ!
お金ももったいないのですが、唾液の様々な作用を歯磨きに生かさないのがモッタイナイのです。「唾:つば」という言葉の持つ少々ネガティブなイメージゆえでしょうか。前回「フェイクCM」で思い込みについて書きましたが、日本における歯磨き粉三百年の歴史が「はじめから歯磨き粉を使う」を日本人に思い込ませたのでしょう。
この歯ブラシは超オススメ一押しのブラシです。ライオンの「SP-T:エスピーティ」という歯ブラシです。一回使えば違いがわかります、歯がツルツルになるのがわかります。歯磨き粉を必要以上に使うのではなく、歯ブラシにこだわっての唾液磨き(最後に歯磨き粉使用)がよろしいかと。毎回、はじめからの歯磨き粉使用は思い込みです。1340