BBTime 411 case
「自動車のとまりしところ冬の山」高野素十
句の解説に出てくる車はこのような自動車でしょうか。解説には『まだ「クルマ社会」ではなかった頃の句。「自動車」という表現から、そのことが知れる。これは作者が乗っている「自動車」ともとれるし、それなりに句は成立するが、私は乗っていないほうが面白いと感じた。さて、バスやトラックではなくて、いわゆる乗用車が田舎道を走ってくることなどは滅多になかった時代である。走ってくればエンジン音がするし、いやでも「何事だろう」と村中が好奇の目を注ぐことになる。みんなが、どこの家の前でとまるのかと、じいっと眺めている。同じように作者も目で追っていると、点在する人家を遠く離れたところでやっととまった。はて、不思議なこともあるものよ。人の降りてくる気配もないし、なかなか発車もしない。しんと寝静まったような小さな「冬の山」の前に、ぽつんとある一台の黒い「自動車」は奇怪だ。好奇心はいつしか消えて、だんだん光景が寒々しい一枚の絵のように見えてくる。見慣れた自然のなかに、すっと差し込まれた都会的な異物が、ことさらにそう感じさせるのだ。昔の乗用車はたいてい黒色で塗ってあったから、この山がすっかり冠雪しているとなると、ますます寒々しい光景となる。子供の頃、近くを「自動車」が通りかかると、走って追いかけたのが私の世代だ。そんな世代には、懐かしくてふるいつきたいような寒々しさでもある。『雪片』(1952)所収。(清水哲男)』(解説より)。考えてみると名は「自動車」であっても「自動」では走らない。牛や馬、はたまた人に引かれる事なく自力(と言っても燃料は必要)で動くという意味でしょう。今回は前回「SEERS:シアーズ」で触れたケースのダジャレです。車とは無関係の二つのケースの話。
字面通りに読めばcaseの「A:autonomous:自主的な」が自動の意味を持ちます。さて、今回「iPhone8plus」を「iPhone11」に機種変更しました。例によって画面に保護フィルムを貼り、好みのクリアケース(ハード)をつけました。使い始めると11にはホームボタンがないため、画面をなぞる操作が増え・・結局、指の腹がフィルムに引っ掛かるのが不快で、フィルムは外して画面は裸で使っています。
8プラスを初期化してケースを外し下取り返却・・ふと手元に残ったケース(ソフト)を捨てるしかないなぁと思いながらイレブンと遊んでいると・・あらら、ぴったり入るではありませんか。8プラスのソフトケースにハードケース入りイレブンが入れ子のようにすぽっと入りました。携帯時(移動時)は表をソフトケースで覆い、使用時には背面にはめて使ってます。捨てたらゴミ、生かせばケース!
もうひとつはエアポッズ、普通のエアポッズです。何と画像のリコーカプリオの液晶ビューファインダー革ケースがぴったし!これは重宝してます。車とは無関係なケースのお話でした。
おまけ:俳人「高野素十」のwikipediaを読んでみると、東京帝国大学医学部出身で大学教授まで勤めたお医者さん、天は二物も三物も与えたんですね。医者で俳人で大学教授とは、希有なケースでしょうけど。0850
https://youtu.be/dqqT6Ru9nL8
https://youtu.be/m23-495ZRK0