「はなはみないのちのかてとなりにけり」森アキ子
2024/03/02投稿
早くも弥生三月。句の解説『作者は俳人の森澄雄氏夫人。1988年没。ふらんす堂から出ている森澄雄句集『はなはみな』(1990)は愛妻との交流をモチーフにした一本で、後書きに、こうある。「昭和六十三年八月十七日、妻を喪った。突然の心筋梗塞であった。折悪しく外出中で死目に会えなかったことが返す返すも残念である。巻首の(中略)墓碑銘の一句は、わがために一日分ずつ分けてくれていた薬包みに書きのこしていたものである。……」。というわけで、ここではこれ以上の野暮な解説は余計だろう。そして今日三月二十三日は、森夫妻の結婚記念日である。『はなはみな』には「われら過せし暦日春の夜の烈風」など、その都度の結婚記念の句もいくつか載せられている。ふと思ったのだが、妻を題材にした句だけを集めて一冊の本にできる俳人は、森澄雄以外に誰かいるだろうか。寡聞にして、私は他に知らない。なお、句の季語は四季を通しての「はな」を指しているので、無季に分類しておく。(清水哲男)』(引用元)。画像は止止庵(ししあん)老師の筆、今回は「雪月花:せつげっか」について。
先月のお稽古(裏千家茶道)にて先生に質問『「雪月花」の(軸を掛ける)時期はいつが良いのですか?』。師答えて曰く「字面(じづら)ではない(季節など重要ではない)」とのこと。そうなんだと小生なりに考えました。
雪:気象現象であり、降って積もって溶ける
月:天体、宇宙であり満ちて欠ける
花:天然(自然)の産物であり、咲いて散る
いずれも移ろいゆくものである。さて、それらを見ている人間はいかに在るべきか、生きるべきかと問うているのでは?と思いました。
ネットで「雪月花」の詳しい解説を見つけました。引用元はこちら
『雪月花の時、最も君を憶う。移りゆく自然の一瞬一瞬の、その輝きに触れる時、何が二人の間を別とうとも、最も君を憶う。二人を別つものがどれほど大きく、圧倒的であろうとも、だからこそ一層深く、強く最も君を憶う。そもそも、「雪月花」の美しさは、季節の移ろいの中の美、儚い一瞬一瞬の輝きのなかにあります。そして、儚いことによってその輝きは減じることはありません。むしろ反対に、儚いからこそ、一層その輝きは増すのです』(引用元)。
『雪月花の時、最も君を憶う...詩歌の友も、酒の友も、すべてを「閑事」と捨て去り、儚い一瞬一瞬の、無常の時の移ろいの中に独り立ってこそ、本当の友、本物の心の友を憶うことができるのです。その瞬間こそが、すなわちこれ人間の好時節...この時には、「雪月花」もその姿を新たにしているはずです。』(引用元)。
白居易(白楽天772-846)。雪月花は『琴詩酒(きんししゅ)の友、皆我を抛(なげう)ち、雪月花の時、最も君を憶う...』からの出典のようです。こちらもご参照のほど。鹿児島は今週末は寒いとの予報ですが、おそらく最後の冬型でしょう。今年の桜(花見)では「雪月花」を反芻しながら眺めたいと思います。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。