「秋晴の空気を写生せよといふ」沢木欣一
2024/09/27投稿
今朝6:40の桜島です。掲句の「写生せよ」と言われても・・。解説には『作者自註に「『空気が写生出来なければ駄目だ』と棟方さんが語った。終戦間もなく富山県福光町に疎開中の棟方さんを訪ねた頃のこと」とある。「棟方さん」とは、棟方志功のことだ。いかにも画家らしい言葉だが、あらゆる表現者に通ずるところがあると思う。言葉の意味としては、別に突飛でも難しくもない。たとえば「秋晴」に何をどのように感じるかは、何も感じないことを含めて、人さまざまである。このときに、どういう感じ方をしても自由なわけで、それがその人なりの「秋晴」という事象の「把握」だ。表現をしない人は常に事象を把握するのみにとどまるが、むろんそれはそれで一向に構わない。だが、ひとたび自分が把握したすべてを正確に他人に伝えようとなると、どうしても見えない「空気」を見えるように「写生」しなければならない。……と「棟方さん」は言うのである。考えてみれば、誰のどんな「把握」であろうとも、心のなかでは既に「空気」までをも「写生」した状態にあるわけだ。それをそのまま出す(「写生」する)ことができなければ「駄目」なんだと、画家はしごく当たり前のことを述べたのであった。それにしても、作者は「棟方さん」の言葉をそのまんま句にして、なおいまひとつ真意がつかめずに考え込んでいるようだ。その考え込んでいる「空気」がそのまんまに「写生」されているので、句になったというところか。『二上挽歌』所収。(清水哲男)』(引用元)。・・分かるような分からないような解説です。今回は歯の汚れは「舌でみる」について。
画像は「星の王子さま」サン=テグジュペリの像です。リヨンの中心部の公園にあり、台座に彫り込んである文章が「心でしか物事はよく見えない。本質は目に見えないんだよ。On ne voit bien qu’avec le coeur. L’essentiel est invisible pour les yeux.」(であったと記憶しています)。腰掛けているのが彼で、後ろに立つのが星の王子さまです。意味合いは異なりますが「歯の汚れ」も自分の目には見えません。
そこで「舌」でみるのです。舌で歯の内側(舌側)を舐めてください。ヌルッとしていたらプラークが付着しています(歯の表面が汚れています)。少しザラザラしていたら、プラーク(歯垢)が一部石灰化して歯石になっている可能性があります。プラークは歯ブラシで除去可能ですが、歯石は無理です、歯科医院へ行ってください。
イラストのように左手についた汚れは自分の目で見て、右手で洗い落とすことができます。汚れが落ちたか否かも目で確認できます。残念ながら口の中は無理です、歯の汚れは見えません。しつこく言うと「確認できない汚れを闇雲に落とそうとしている」のが歯磨きです。
これは田園調布サヴール:saveurのケーキ。サヴールとは風味。舌の働きのメインですが、味わうのみならず舌はさまざまな機能を持ちます。まさに歯のお隣さんだけに、もっとの歯を知るために舌をご活用ください。蛇足をひとつ。「舌でみる」と聞いて思い出したのが学生時代、解剖で覚えた脳神経の覚え方。「嗅いで視る動く車の三つの外、顔聴く舌は迷う副舌」=嗅神経・視神経・動眼神経・滑車神経・三叉神経・外転神経・顔面神経・聴神経・舌咽神経・迷走神経・副神経・舌下神経の12神経です。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。