「如月や日本の菓子の美しき」永井龍男
2022/2/23投稿
画像は京菓子司「末富」のサイトから借用です。『下萌:したもえ。雪におおわれた地面から若芽がまさに萌えでんとしている早春を、芯のまわりによもぎの入ったあんでつけ、上に山芋を使用したあんをのせたきんとんで表現しました』(引用元)。句の解説は『甘いものは苦手なので、めったに口にすることはない。が、たしかに和菓子は美しく、決して買わないけれど(笑)、ショー・ケースをのぞきこんだりはする。句は、ひんやりとした和菓子の感じを如月(きさらぎ)の肌寒さに通じ合わせ、その色彩の美しさに来るべき本格的な春を予感させている。見事な釣り合いだ。手柄は「和菓子」といわずに「日本の菓子」と、大きく張ったところだろう。「よくぞ日本に生まれけり」の淡い感慨も、ここから出てくる』(解説より抜粋)。今回は「正法眼蔵:しょうぼうげんぞう」における歯磨きについてのお話。
NHKラジオ第二放送を聞いておりましたら「歯磨き」の話が出てきました。正法眼蔵を解説する番組の中にです(ラジオ第二「宗教の時間」)。まずは正法眼蔵について『正法眼蔵は、主に禅僧である道元が執筆した仏教思想書を指す。正法眼蔵という言葉は、本来は仏法の端的な肝心要の事柄を意味する。』『日本曹洞宗の開祖である道元が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した87巻(=75巻+12巻)に及ぶ大著であり、日本曹洞禅思想の神髄が説かれている。道元は、中国曹洞宗の如浄の法を継ぎ、さらに道元独自の思想深化発展がなされている。真理を正しく伝えたいという考えから、日本語かつ仮名で著述している』以上ウイキペディアより抜粋。約八百年前鎌倉時代で、この頃はお坊さんのみならず一般庶民の口に砂糖が入ることはほぼ無かった時代の歯磨きです。にもかかわらず今以上に細かく丁寧な歯磨きが記載されています。歯磨き粉もなかった頃で、文章から推察するに、唾液磨きです。画像はラジオテキストより
文章にあるように使用しているのは「房楊枝」と呼ばれる柳の枝で作られた道具です。「よくかみて、はのうへ、はのうら、みがくがごとく、とぎ・あらふべし。たびたびとぎ・みがき、あらひ・すすぐべし。はのもとのししのうへ、よくみがき・あらふべし。はのあひだ、よくかきそろへ、きよくあらふべし。漱口たびたびすれば、すすぎきよめらる。しかうしてのち、したをこそぐべし。」房楊枝とは次のような道具です。
テキストの文章を参考に意味をとると「よく楊枝の先を噛んで房を作り、歯の表面、歯の裏側を磨くようにこすって洗いなさい。何度もこすって洗い、すすぎなさい。はぐきをよく洗いなさい。歯の間をよく擦ってきれいに洗いなさい。何度もうがいすればきれいになります。最後に舌をこすって洗いなさい」となるのでしょうか。全く今と同じです!
本当に驚きです。当時のお坊さんは仏教のみならず、学問・科学の最先端を探究する人々であったと思います。それにしても驚きです。柳と歯の関係は「BBTime310 柳と歯」にも書いております、ご参照の程。琉球や奄美大島でサトウキビが栽培され、砂糖が普及し始めたのは江戸時代になってからのこと。にもかかわらず、鎌倉時代にここまで口の清掃を細かく説いたのは、汚れているから掃除するのではなく、実際には汚れていなくとも清めるのである、とラジオの解説でした。茶道に見られる「清める」と同じ意味でしょう。汚れていなくともキレイにする・・理由はシンプルで「お釈迦様がそのようにされていたから、お釈迦様がそうしなさいと仰ったから」とのこと。お釈迦様には目に見えない細菌が見えていたのでしょうか。やはり当時の僧侶は哲学者であり科学者でもあったのです。
鶯餅です、末富のサイトには『初音を待つ心を鮮やかなうぐいす色にこめた餅です』。富安風生の句に「街の雨鶯餅がもう出たか」があります。和菓子屋さんによっては一月半ばから鶯餅を出す店があり「早すぎるのでは?」と聞いたら「初音が聞かれた途端に売れなくなります」との答えでした。ちなみに鶯餅に関して「BBTime437 鰯の頭も!」に詳しく書いております。今回、改めて昔のお坊さんの偉さ・凄さに感心しました。(自戒をこめて)今の歯医者は何しているんでしょうかね。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。2482