一語一縁:りょうかい

先日、諒解について書きましたが、
調べてみると・・・「りょうかい」には、四つの漢字が有りました。
広辞苑の見出し順に
「了解」さとること。会得すること。また、理解して認めること。
「領会」領解し会得すること。合点。
「領解」さとること。理解すること。
「諒解」事情を汲んで承知すること。諒承。了解。

りょうかいしている単語であっても、
辞書を引いてみると意外な発見があります。

一語一縁:いちごいちえん「諒解」

先日、ふと思って「一語一縁」をスタートしました。
他の企画同様、いつまで続くやら。
Twitterでは@hide1961につぶやいています。

諒解と了解
ケータイメールの返事で小生は「諒解」を使います
理由は熟語の形(二字の形のバランス)が、了解より何となく好きだからです
何気なくネットで検索して「諒解」がベターだと合点しました。

りょう‐かい【了解】レウ‥
さとること。わかること。会得(えとく)すること。領解。「―を求める」「暗黙の―」
りょう‐かい【諒解】リヤウ‥
諒として認めること。事情を汲んで承知すること。諒承。
(ネット:たんご屋本舗より)
ということで「諒解」です。

煩悩即菩提:ぼんのうそくぼだい

煩悩即菩提:ぼんのうそくぼだい

広辞苑には「相反する煩悩と菩提(悟り)とが、究極においては一つであること。煩悩と菩提の二元対立的な考えを超越すること。大乗仏教で説く。」とあります。

諸悪の根源が「煩悩」ならば、
諸善の動力も「煩悩」かも。
病気の根源が「煩悩」ならば、
健康の動力も「煩悩」かも。

美味しいものを食べたいも「煩悩」
美味しく食べて健康づくりも「煩悩」

病気の原因を予防に活用する
可能かも

 

ムシ歯は煩悩によってつくられる

「流れゆく大根の葉の早さかな」高浜虚子

前回更新から二週間以上経ちました
まさしく「看看尽臘月」みよみよろうげつつくです。

前回の「食欲を使う」から考えを深めました
結論!ムシ歯は煩悩によって成立する病気である。

煩悩1−美味しいものを食べたい!
これは、多くの人が持つ食欲を越えた欲望(煩悩)
煩悩2−使ったものを片付ける、綺麗にするのは面倒である!
これまた、多くの人が認める「ヒトは元来、怠惰である」

食べたい欲望、面倒くさいということ、
多くの人が持つ煩悩です。
胃が求める以上に食べたい、甘いものが欲しい、
歯を磨くの面倒だ、定期的に歯のメンテを受けるのも面倒だ
と、考えると「ムシ歯は煩悩によって発症する」と言えると思います。

以前から持論である「セルフケア+プロケア=100%予防可能」という式は、
一見成り立つように見えるのですが、
セルフケア(自宅での歯磨き・食事)は煩悩1が邪魔をします。
プロケア(定期的に衛生士に磨いてもらう)は煩悩2が足を引っ張ります。
よって、煩悩を限りなくゼロに近づけない限り、
ムシ歯は発生するということになります。
煩悩即菩提(ぼんのうそくぼだい)という言葉がありますが、
煩悩をゼロにすることは所詮無理なことです。
ということは「100%ムシ歯予防可能」とは絵に描いた餅であって、
現実的ではないと言うことなのでしょうか?

自分で考えておきながら「悪因は煩悩」「煩悩は無くせない」となると
ムシ歯予防可能なんて、所詮無理なこととなりそうで、メゲそうになります。
そこで発想を変えて、「人間らしい病気」にも少し書きましたが、
煩悩を使おう、煩悩使ってムシ歯予防しましょう、を考えます。

牛飲水成乳、蛇飲水成毒

同じ水でも、牛が飲めばこれを乳とし、毒蛇が飲めばこれを毒に変える。その意味は、真理は一つであっても、その解釈・作用は大きく変わってくるという事である。これは色々な物事に当てはまる。「酒は百薬の長」といわれるが、「酒は百毒の元」でもある。(ネットより引用)

同じ煩悩でも、美味しいものを食べたい!という煩悩は
解釈によってはプラスの煩悩です。
プラスの煩悩を利用してのムシ歯予防
具体的には、シンプルに美味しいものを食べるために予防する、
美味しいものを食べに行くことと予防が直結する。
現実的なスタイルとしては
カフェ+歯磨きサロン=ハノカフェ(歯のカフェ)です。
詳しいことは次回また

アニカの料理
オステリア「アニカ」の料理

追加
その昔「歯医者で虫歯が治らない理由(わけ)」という本が有りました。
内容は少々ピンぼけでしたが、タイトルはやはり的を射ているかも。