BBTime 454 With C
「あいまいな空に不満の五月かな」中澤敬子
今朝(5/26)の桜島。雲か靄か灰か黄砂か、曖昧な空です。
昨日(5/25)の今日のダーリンに賛成です。
『いまの「WITH CORONA」の生活様式が、
辛くてしょうがないとぼやいているのは、
大人げないし、よくないとぼくも思う。
しかし、これがなにか天からの大事な警告で
いままで常識としていた「よからぬ慣習」を
変えてしまういい機会だとことさらに強調するのも、
なんだか危ういなぁとも思うのだ。』
『緊急事態宣言が解除されたとしても、
しばらくは安全のために
「新しい習慣」を守り続けることになる。
これは守りましょう、守ります。
でも、ぼくはこの「新しい習慣」を
よろこんで受け容れているつもりはない。
特別な「いま」なので、仕方なくやっているのだ。』
『おおよそ、この「新しい習慣」は
人に対して失礼なことばかりです。
「だれかと会うとき、2メートル間を空ける」。
この人とは近くに寄りたくないという表現と同じです。
「マスクをして呼気や唾液が当たらないよう注意する」。
また、「握手やハグなどは避ける」。
これらも、すべて親しみの逆の表現になりますし、
一年前にそんな態度の人がいたとしたら、
ちょっと腹を立てていたかもしれません。』
『人と人とが、親しく距離を近づけるということは、
大昔から、互いの安心と信頼を確かめ合える
「うれしい習慣」でもあったわけで、
それ自体が「よろこび」であったわけです。』
『しかし、感染症が流行したらみんなが、
じぶんも含めて人間を「感染を媒介するもの」として
見立てなくてはならないので、
長い歴史のなかでせっかく獲得できていた
「信じる」ことをもとにした行動習慣を、
いったん水に流すという経験をさせられているわけです。
「不信」を前提に交流したり行動するという
『新しい習慣」がみんなに求められていたのです。
そりゃぁ、ストレスもかかるというものです。
ぼくらは、信じるをもとにして生きたいんですから。』
『今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
コロナの先でもコロナの前でも、生きやすいのがいいなぁ。』
句の解説『いま、苦笑された方もおられるだろう。本当に、このゴールデンウイークは全国的に「あいまいな空」つづきだった。降るのか、このまま降らないのか。空ばかり見る日が多かった。作者も、旅先で仏頂面をしている。常に天気の崩れを気にしながらの旅は、気持ちも晴れないし疲れる。同じ作者に「不愉快に脳波移動す旅五月」がある。手元の角川版歳時記の「五月」の項には、「陽暦では晴天の日が多く、芍薬・薔薇が開き、河鹿が鳴き、行楽やピクニックの好季節」とある。これが、まずは一般的な五月のイメージだろう。引用されている例句も、みな晴れやかで不機嫌な句はない。その意味で、掲句は事実を感じたままに詠んでいるだけだが、五月へのアングルが珍しいと言えば珍しい。こういう句は、案外、晴れやかな句よりも逆に残るのではないかと思ったりした。少なくとも私は、天気の良くない五月の空を見るたびに思い出してしまいそうだ。ところで、気象庁創立以来百二十年の統計を見ると、今日「五月六日」の東京地方の天気は、晴れた日は五十回だが、三十九回が曇りで、後は雨。雷が発生した日も一回ある。晴れの五十回は、これでも五月の他の日に比べて最も多いのだから、今月の東京の「あいまいな空」の日は、漠然と思っているよりも、かなり多いということである。『現代俳句年鑑・2000』(現代俳句協会)所載。(清水哲男)』解説より。
冒頭の句の「五月」をなんと読まれましたか?「ごがつ」がベターかと。五月は「ごがつ」と読むのが良いと「季語の博物誌 工藤力男著」で読みました。ご自愛の程、ご歯愛の程。5880
月: 2020年5月
BBTime 453 要不要
BBTime 453 要不要
「考へがあつての馬鹿を冷奴」加藤郁乎(いくや)
老婆心ながら冷奴はヒヤヤッコです。解説に『冷奴だけではあるまい。句集には並べて「別の顔みせてやらばや冷し酒」とあるから、ちゃんとお神酒がついている。考えがあって、よかれと思って、意図的に馬鹿をやってみせたのではあるが、どうやら誰にもせっかくの意図が通じなかったようだ。本当の分別なし、馬鹿に見られたらしいという憤激の内での冷奴。故意に馬鹿を演じたのだから、みんなから馬鹿にされて本望のはずなのだが、そこがそうはいかないところに人間の辛さがあり面白さもある。誰かその場に一人くらい具眼の士がいて、言わず語らずのうちにわかってくれないと、にわか馬鹿の心はおさまらないのだ。にわか馬鹿の世界は、たいてい義理人情がからんでいる。だから「お前は偉いなあ」と、たとえば目で挨拶してくれるような義理や人情を期待するわけだ。それがそうではなかった。ぷいと、みんなと別れてしまった。で、乱暴な箸を冷奴に突き立てたってはじまらないのに、うーむ、悔しい。どうしてくれようか……。冷奴こそ、いい迷惑である。『初昔』(1998)所収。(清水哲男)』(解説より)。
句の解説文を読んで笑ってしまいました。「どうやら誰にもせっかくの意図が通じなかったようだ。本当の分別なし、馬鹿に見られたらしいという憤激の内での冷奴」(解説より)・・拙宅に昨日(5/24)届いたアベノマスクに繋がりました。はっきり言って「今更」です。かと言って使わないのは勿体無いので回収窓口に送ることにしました(上の画像)。回収(寄付)先はこちらやこちらなど。・・枕が長くなりました。今回は「不要不急」について
不要不急を辞書で引くと『さしあたっては必要で無いこと、急いでする必要が無い様子』とあります。不要不急の外出は控えてください・・と言われても、貧乏性の小生など「私の外出には不要不急はありませぬ、全て必要です」と反論したくなります。本日(5/25)には緊急事態宣言が解除されそうですが、解除されたから「不要不急」OKではない事は容易に察しがつきます。結論です・・ムシ歯予防・歯周病予防は考え方によっては「不要不急」なのかもしれませんが必要な事です!
「歯が痛い・歯茎が腫れた」は不要不急ではありません(大方の場合)。しかし、どんな時であっても歯科においては「治療に勝る予防なし」。解除された今こそ、口のメンテナンスに足を運んでください。緊急事態(痛み・腫れ)を回避するためのメンテナンスです、不要不急のようであっても必要なんです!
記事に次のような下りを見つけました。『ブラッシングが健康にもたらす効果を医学的見地から解説。「ウイルスは、周囲をたんぱく質の膜で覆われており、プロテアーゼという酵素なしには活性化しない。プロテアーゼは、口の中で生成されやすいので、ブラッシングが歯周病だけでなく、さまざまなウイルスに対する予防になる」。これは現在、猛威を振るっている新型コロナウイルスも例外ではないという』(引用元はこちら)。
中国語で「要不要:ヤオプーヤオ」とは必要ですか、不要ですか?の意味。歯科においては治療以上に予防(メンテナンス)が必要なんです。最後に朝日新聞折々のことばを。ではまた 5630
おまけ:豆腐がらみの折々のことばです
BBTime 452 しつこい
BBTime 452 しつこい
「外郎たべる五月のゆきどまり」服部智恵子
今春はコロナに始まりコロナに終わりました。気がつくと鹿児島は既に五月下旬、初夏の始まりです。今年2020年には春がなかったような・・。句の解説に『作者は、このもっちりした歯触りの菓子を食べながら、どういう事情からかはわからないが、五月も末になってにっちもさっちも行かなくなった状況に憮然としている。一年十二ヶ月を道に例えれば、いちばん「ゆきどまり」を感じるのは、年末の十二月か決算期の三月あたりが一般的だろう。そこへいくと、五月はすうっと通り抜けやすい感じが強い。だからこそ作者も憮然としているのであるが、しかし外郎を食べているくらいだから、事態はそんなに深刻ではないのかもしれない。歯切れという意味ではいささかもたつく外郎と、清々しい月のイメージからは外れた閉塞感との取り合わせが、どことなく滑稽にも思えてくる。もっともこの句を、あまり理詰めに散文的にパラフレーズすると、かえって味が落ちるような気もする。作者は実景や心情を帰納的に表現したのではなくて、自分のなかで整理のつかない心持ちを「たとえば、こんな感じかなあ」と演繹的に詠んでみたのだと解するほうが面白そうだ。そういう詠み方も、無論あってよい。『褻と晴と』(2003)所収。(清水哲男)』(解説より)。
老婆心ながら「憮然」について・・本来の意味は「意外なできごとに、呆然(ぼうぜん)とする様子、ぼんやりする様子」です。必ずしも不機嫌ではありません。さて今回は「しつこい:いつまでもつきまとわれて耐え難く思う様子」について。
去る冬、コロナ禍の始まりには「暖かくなれば収束する」とも言われていましたが、さにあらず。初夏になろうとする今「コロナと共に:With Corona:ウイズ コロナ」と言われ始めました・・しつこい!記事に『「新しい生活様式」が提唱されるなど、影響の長期化も懸念されています。そうした中でいま注目されている考え方が、「withコロナ」の社会。新型コロナウイルスと“共に生きる”ことを前提に、私たちの暮らしのかたちそのものを、変えていこうというのです。「withコロナ」の新しい社会へ、どう変わり、どう生き残っていくのか』とあります(出典はこちら)。しつこいコロナウイルスと共に生きる・・withCorona・・閉塞感です。コロナはさて置き、口の中の「しつこい」に話を進めます。
今更ながら『なぜムシ歯になるのか?」の興味深いイラストを見つけました。口の中の「しつこい」がムシ歯を発生させます。「バイオフィルムの形成とう蝕の発症メカニズム」のページから引用します。
1)歯の表面、歯肉溝(しにくこう)、歯周ポケット内セメント質表面に、糖タンパク質や静電気などによって0.1~1μmのペリクルを形成します。これは防ぐことはできません。
2)ペリクルは歯の表面を守る機能も持っていますが、同時にムシ歯菌などを引き寄せる性質も持っています。ペリクルを足掛かりに菌が付着し初期プラークを作ります。
3)初期プラークに、ムシ歯菌を始め雑多な菌が増殖することでマイクロコロニへと成長します。そこに砂糖が供給されるとムシ歯菌がグルカンを作ります。このグルカンが「しつこい」のです。粘着性が強く歯の表面にとどまり、マイクロコロニはより頑固なバイオフィルムへと変貌していきます。このバイオフィルムの中で砂糖を餌にムシ歯菌が酸を作り、その酸で歯が溶かされていくのです。
4)バイオフィルムは言わばバリヤを持っており、抗菌薬(抗生物質)や殺菌・消毒薬などは効きません。このため食べ物に含まれる砂糖を餌にさらに酸生産を続け、ムシ歯を深くして行きます。
・・しつこい話です。このしつこいバイオフィルムを取り除くには、薬液が効きませんので物理的に除去するしかないのです。そうです、ブラシで磨くしかないのです。さらにしつこいようですが、皆様が使っている歯磨き粉はほとんどバイオフィルム除去にプラスにはなっていないのです。BBTime437「鰯の頭も!」ご参照のほど。
唯一確実な方法があります。それは「砂糖を摂らない」こと・・最も効果的ですが、最も非現実的です。歯の健康、ムシ歯予防においては「with 砂糖」・・砂糖と共に「スイーツとともに」で行きましょう、生きましょう、が現実的でしょう。
30秒以上の手洗いが推奨されます。歯磨きはせめて三分以上、日に一回は五分以上は必要です。三分以上磨くためには歯磨き粉なしで「唾液磨き」をオススメします。「しつこい」を辞書で引くと『味などが濃すぎて、いつまでも不快な感じが口に残る様子だ。しつこい味』(新明解国語辞典)とあります。甘い味を楽しんだ後の歯の表面はまさに「しつこい味」。諦めて頂いて磨くより他ないようです。
冒頭の句の解説になぜ外郎をういろうと読むのか・・『名前の由来を、老舗「青柳」のHPより引いておく。「およそ600年前の中国が元の時代、礼部員外郎(れいほうえんういろう)という薬の調達をする官職にあった陳宗敬(自ら陳外郎と称した)が、日本に帰化し、せきや痰に効く薬を伝えた。その子宗奇は室町幕府三代将軍の足利義満に招かれこの家伝の薬を作り「透頂香」あるいは「ういろう」と呼んだ。また、客を接待するためにお菓子の製法も伝えたが、それが黒色・四角で「透頂香」と似ていたところからお菓子の方も「ういろう」と呼ばれるようになりました」』(解説より)。こちら「外郎外伝」もどうぞ。4670
BBTime 451 ユーモア
BBTime 451 ユーモア
「目には青葉尾張きしめん鰹だし」三宅やよい
どこかで聞いたような・・『思わず破顔した読者も多いだろう。もちろん「目には青葉山時鳥初鰹」(山口素堂)のもじりだ。たしかに、尾張の名物は「きしめん」に「鰹だし」。もっと他にもあるのだろうが、土地に馴染みのない私には浮かんでこない。編集者だったころ、有名な「花かつを」メーカーを取材したことがある。大勢のおばさんたちが機械で削られた「かつを」を、手作業で小売り用の袋に詰めていた。立つたびに、踏んづけていた。その部屋の写真撮影だけ、断られた。いまは、全工程がオートメーション化しているはずだ。この句の面白さは「きしめん」で胸を張り、「鰹だし」でちょっと引いている感じのするところ。そこに「だし」の味が利いている。こういう句を読むにつけ、東京(江戸)には名物がないなと痛感する。お土産にも困る。まさか「火事と喧嘩」を持っていくわけにもいかない。で、素直にギブ・アップしておけばよいものを、なかには悔し紛れに、こんな啖呵を切る奴までいるのだから困ったものだ。「津國の何五両せんさくら鯛」(宝井其角)。「津國(つのくに)」の「さくら鯛」が五両もするなんぞはちゃんちゃらおかしい。ケッ、そんなもの江戸っ子が食ってられるかよ。と、威勢だけはよいのだけれど、食いたい一心がハナからバレている。SIGH……。『玩具帳』(2000)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回は「ユーモア:humor」について。
先日(5/13)日経新聞「春秋」に見つけました、お見事!
さて日本のみならず、欧米各国、韓国、中国など「解除」に動き出しました。コロナ禍あと(ポストコロナ)では、コロナ前に戻るのではなく「New Normal:新しい日常」へ移行すべき、移行しましょうとの空気です。賛成です。そこで必要なひとつが「ユーモア」であるような気がします。笑いではなくユーモア・・シンプルに考えるにユーモアとは思いやり・尊敬(リスペクト)。
時に笑いは「虐」を含みます。以前、漫才などの「お笑い」によく見受けられました。(虐:ぎゃくはギャグのネタなり?) かたや落語の笑いには「虐」をほとんど感じません。最後まで「笑い」のない落語、場面によっては「泣けてくる」落語、「泣き笑い」の人情噺があるのも頷けます。笑いの中でもユーモアに近いのが落語なのかも。マスクを着けるのも思いやり、手を洗うのも思いやり、最前線でリスク背負って働く方にも思いやり・・・
朝日新聞「折々のことば」に有るようにユーモアは「理性の微笑」。笑いは自己免疫力をアップします。ユーモアは相手の免疫力までアップさせると思います。ただし、ユーモアには、笑いよりもワンランク上のセンスが必要な気もします。
画像は浅葱:あさつき。「味噌・醤油・塩・酢・浅葱・初鰹」瀬戸正洋(せとせいよう)・・俳句です。本「食の一句」には『調味料、そして薬味、初鰹。単語の羅列だけでできた句。たとえば映画のカメラが台所を撮影しているような感覚がある。味噌を映し、醤油を映し・・・と来て、最後は初鰹をクローズアップ。本当は鰹に添えたさまざま調味料を描写したのかもしれないが、(後略)』(82頁より)。ユーモアは日々の調味料・・・あなた(他人)に、もっと! You more. 4000
おまけ
「新しい日常の新しい常識」
コロナでもタダでは起きぬ!
BBTime 450 トライ
BBTime 450 トライ
「あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ」種田山頭火
山頭火は、どのような心持ちで一歩一歩放浪したのでしょうか。解説には『山頭火のファンには、圧倒的に女性が多いという。男でなければなし得ぬ「放浪」に、ほとんどフィクションに近いロマンを感じるためではなかろうか。昭和七年(1932)五月、下関に向かう道での句。どこまでもつづく金鳳花の道に、作者は旅にある喜びを全身に感じている。「人間が天然のドラマのなかに繰り込まれている」(金子兜太)ようだ。美しい句である。と同時に、山頭火は当然(大地主の息子ではあったが、農村の出だ)この季節が農民繁忙のときと知っており、この句に添えて「五月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、というやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙(そばだ)つてゐる」と書いている。「かたじけない」とは、天に感謝する思いもあるが、この好天に身を粉にして働いている人々に対する気持ちも込められているはずだ。『定本山頭火全集』(春陽堂書店)他に所収。(清水哲男)』(解説より)。
昨年秋のラグビーワールド杯が、遠い遠い過去のように思えます。毎日読むコラム:ほぼ日の「今日のダーリン」にトライについての文章がありました、同感です。
ご存じの方も多いでしょう、もともとラグビーのトライは、文字通り挑戦権を得る手段でした。こちらには『この“トライ”というのは、どういう意味なのでしょうか。英語に直せば“Try”。つまり、“挑戦する”という意味の“トライ”です。「そんな単語、中学生でも知っているよ」と言われそうですが、ではラグビーのトライとはいったい何に挑戦するのでしょうか。 昔はトライをしても得点にはなりませんでした。そのあとのキックを決めれば勝ちというルールでした。つまり、トライというのは、勝ち負けを決めるキックに挑戦する権利を獲得したということだったのです。“トライを取る”と言いますが、まさに“キックをする権利を獲得する”という意味だったのです。現在のルールだけで考えますと、トライが何に挑戦するのかはわかりにくいかもしれませんが、昔のルールで考えますとすぐにわかります。 ですが、苦労して苦労してやっと取ったトライも、キックをはずせば元の木阿弥。例えば10トライノーゴールと1トライ1ゴールでは、後者が勝ちとなるわけですが、これではおもしろくないということになり、トライにも得点が与えられるようになったのです。 もちろん、はじめの頃は、キックの方が点数が多く、重要視されていました。その後、段々とトライの魅力が勝り、いまではトライ5点、コンバージョンキック2点となったのです』(引用元)。
昔、フルマラソンに参加した時に唯ひとつ「絶対歩かない完走する」を目標としました。目標は達成できたのですが、沿道のおばちゃんからは「もっと早よ走らんか!」の声援。その方の目には「走っているのではなく歩いている」ように映ったのでしょう。速度はともかく、歩かずに完走できました。仮に、途中で立ち止まり歩いたら、その時点でフルマラソン即「失敗」でしょうか?即「リタイヤ」ですか?・・違いますよね。次の瞬間、また走り始めてゴールするプロ選手もいらっしゃいます。即「失敗」と判断するのは違うような気がするのです。
コース途中では「失敗も成功も」ないと思います。ノーサイドまで、それぞれトライし、もしくはトライしようとして、結果的に点数の多い方が勝ちです。今朝(5/11)の天声人語に『▼検査の数が少なすぎるとの批判に耐えられなくなったのだろう、厚生労働省は先日、熱が4日続くまで待たせるという従来の目安を撤回した。しかし検査が受けられず苦しんだ人への釈明もなければ、検査数が増えない理由も明確に語らない。「謝ったら負け」のゲームを見せられているようだ▼検査は実態をつかみ、手を打つためにある。患者を増やさないための関所ではない。そう考えを改めてくれたのなら、いいのだが。』とあります。失敗とか謝るとか・・そうじゃないでしょ!違うでしょ!と思います。リーダーはもちろんのこと、人それぞれも「ゴール」を見据え、ゴールにたどり着くまでは何度でも「試行錯誤」可能な空気がもっと欲しいと個人的には思います。数年前のNHKラジオイタリア語会話のモットーは「Sbagliando s’impara!」「スバリヤンドシンパラ=間違えながら学ぶ」でした。「新型」コロナウイルスです、未知のウイルスです、試行錯誤が近道のような気がします。2330
BBTime 449 笑の素
BBTime 449 笑の素
「母の日のてのひらの味塩むすび」鷹羽狩行
櫂未知子著「食の一句」に『・・海苔も巻かず、米と塩だけを供する塩むすびはまさしく家庭の味。かつての母達は、おなかをすかせた子供達のためにさっとおむすびを作ってくれた。贅沢とは無縁だった古き日本の母親達は、その<てのひら>から素朴な、しかし間違いなく美味しいものを生み出してくれた。子が母を信頼するのは、理屈ではない。空腹を満たしてくれたかどうか、である』(82頁より引用)。前回「笑う力」に続き、笑いの素について。
母の味の素は「てのひら」かも知れません。さて、あなたにとっての「笑の素」は?小生の「笑の素」は落語です。時に「入れ歯」の出てくる演目に出くわします。今回「入れ歯比べ」がでてくる落語を見つけました。五代目古今亭今輔師匠の十八番(おはこ)「お婆さんの縁談」・・詳しくはじっくりお聴きください。四十過ぎで今輔を名乗るまでは極貧生活、柳家金語楼さんのアドバイスをきっかけに「新作落語」に転向しブレーク、加えて生来の上州訛りを克服したとのこと。味深い落語家の芸には、その方の育ちや経歴が染み出しているように思えます。聴いた後、笑いの後にじわっと心温まるのはそのせいでしょうか。拙ブログ「ショーシャンクとお婆さん」でも今輔師匠の落語に触れております、ここでの演目は「青空お婆さん」。
「笑の素」は人それぞれで、色々な素があるでしょう。小生にとって落語の不思議さは、全くおんなじ演目を聴いても同じように笑えることです。二回目は初回の八割、三回目はさらに八割・・なんてことはありません。何度聴いてもその都度十割の笑いです。落語初心者の方には是非「動画付き」での鑑賞をお勧めします。やはり落語は噺家の表情・動作(所作)あっての十割です。音声だけではやはり八割・・ただしYouTubeには音声だけのものもありますので、まずは動画付きで基本的な動きを心得てください。そうして音声だけのアップを聴く際には「動作」をイメージしながら楽しんで頂くと深く味わえます。オマケでコロナ感染防止の鹿児島弁動画をアップ・・鹿児島県民には受けると思います(笑)。では今輔落語をお楽しみください!その笑いは、まさしく「塩むすび」のような味わいです。0780
https://youtu.be/kLxezv5kRK8
https://youtu.be/l1H9GuiRxxk
https://youtu.be/FJ0JuzBdhbI