BBTime 519 イカリをあげて
「マスクして人の怒りのおもしろき」上野さち子
掲句の季語は「マスク」で冬です、悪しからず。解説には『句は、大きなマスクをした人が、盛んに怒っている図だ。通りすがりに見かけて、ちょっと足が止まった。その人は大声で何かを言っているのだが、マスクに声がこもってしまって、明瞭には聞き取れない。口も鼻も覆われているし、わずかに目の光りだけが怒りの形相を伝えてくる。まことに恐ろしげな目つきで、しかし、言葉はモゴモゴだ。笑っては失礼かと思うが、作者は思わず吹きだしそうになってしまった。それを「おもしろき」と単純素朴に押さえているところが、それこそ実におもしろい。何が原因で怒っているのかは知らねども、たしかに第三者として見ていると、句のとおりに「人の怒り」に笑いを誘われることがある。そして、そんなに、こっちが笑いたくなるほど逆上することもあるまいにとも思う。むろん、これは第三者の心の余裕が思わせることなのだが……。といって、句はマスクの人を揶揄しているのではない。むしろ、つくづく人間とは「おもしろき」生き物よと感心しているのである』(一部抜粋)。今回は「イカリをあげて」
『ワクチンもない。クスリもない。 タケヤリで戦えというのか。 このままじゃ、政治に殺される。 私たちは騙(だま)されている。 この一年は、いったい何だったのか。 いつまで自粛をすればいいのか。 我慢大会は、もう終わりにして欲しい。 ごちゃごちゃ言い訳するな。 無理を強いるだけで、なにひとつ変わらないではないか。 今こそ、怒りの声をあげるべきだ。』5/11宝島社の新聞広告より。
COVID-19にイカリを上げる
発症そのものにイカリを上げる
原発場所にイカリを上げる
初期封鎖対応不備にイカリを上げる
水際封鎖不完全にイカリを上げる
国内初期対応不備にイカリを上げる
全世帯配布ガーゼマスクにイカリを上げる
第一波対応にイカリを上げる
緊急宣言一回目にイカリを上げる
オリンピック延期にイカリを上げる
マスクをせずにくしゃみする人にイカリを上げる
年越しても収束しないことにイカリを上げる
変異株ウイルスにイカリを上げる
路上飲みにイカリを上げる
オリンピックありきにイカリを上げる
はっきりしないけどイカリを上げる
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この一年は、いったい何だったのか。 いつまで自粛をすればいいのか。 我慢大会は、もう終わりにして欲しい。 ごちゃごちゃ言い訳するな。 無理を強いるだけで、なにひとつ変わらないではないか。 今こそ、怒りの声をあげるべきだ。(宝島社広告抜粋)
『今からもう、よく考えておくべきだ。いったい何に元どおりになってほしくないのかを。(パオロ・ジョルダーノ)◇感染者の数、発生地からの距離、マスクの販売枚数、株価暴落で失う金額、検査結果が出るまでの日数と、数えてばかり。恐怖にも浸され頭がいっぱいだけど、それでも「今までとは違った思考をしてみるための空間」を確保しておこうと、イタリアの作家は言う。コロナは今「僕らの文明をレントゲンにかけている」のだからと。『コロナの時代の僕ら』(飯田亮介訳)から』(朝日新聞折々のことば 2020/5/23)。ちょうど一年前のコラムです。
『一ばんしりぞけがたい誘惑は何かというと、まったく考えるのを放棄してしまいたいという誘惑よ。シモーヌ・ヴェイユ 鷲田さんのことば それだけが「ただ一つ、これ以上苦しまないですむ方法」だと、炭鉱労働者や失業者を支援し、みずからも工場に入った思想家は言う。断片化された労働、機械の速度への隷従、命令への服従。気がつけば彼女自身が「服従よりもさらにすすんで、何ごともあきらめて受け入れるようになっていた」。『工場日記』(田辺保訳)から。(鷲田清一)2017/11/29朝日新聞朝刊より。
八十四歳渋沢栄一翁が、関東大震災(1923年・大正12年)時に「みんな何をしてもらえるかより、みんな何ができるかを考えようじゃないか」と(NHKラジオ第二「歴史再発見」より)。かのジョン・F・ケネディは1961年1月20日、ワシントンD.C.で行われた大統領就任演説で「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」と語りました(参照元)。イカリを上げて上げて上げて、堪忍袋が空疎になったらじっくり考え、考えたら自ら行動に移すべきではないか・・と思います。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。6240