BBTime 593 磨きの真実

「焼芋を二つに折れば鼻熱し」吹田孤蓬

2022/10/24投稿 10/27リンク追加
焼き芋好きです、近頃食べてません。まずは句の解説『そのまんまの句。たしかに、焼芋は二つに折ってから食べる。折ると、湯気が鼻をつく。その一瞬をとらえた微笑ましい作品だ。いますぐに、焼芋を食べたくなった読者もいるのではないだろうか。私は、あまり食べない。ここ数年間は口にした覚えがない。なにせ戦後の食料不足時代に、芋ばかり食べていたので、どうしても当時のみじめな記憶が甦ってきて、食欲とは結びつきにくいからだ。最近、近くの武蔵野一中の創立五十周年記念スライドのためのシナリオを読んでいたら、弁当の中身は「芋だけだった」という記述に出会った。というわけで、わが世代は芋や南瓜には弱いのである。それと、焼芋を買って食べるという発想にもなじめない。とてつもない贅沢をするようで、後ろめたい思いがする。貧乏根性も、しっかり身についているらしい。(清水哲男)』(解説より)。今回は前回「足るを知る」を補足する内容です。雑誌Tarzan最新号(No.844)から。

仕事柄どうしてもこのような表紙に目が止まります。不思議なことに、この手の特集は「目と歯」のペアが多いようです。中身の多くは既に多くの方が周知していることですが、二箇所「ズバリ」真実が書いてありました。一箇所目は34ページ上段の「歯磨きは難しいです。歯医者さんや歯科衛生士が自分の口の中を完璧に磨き上げるのに15分かかるといわれているくらいです。それは無理としても、最低限これだけは必要という方法をお教えしますね」これは真実です。言い換えれば「歯科医師、歯科衛生士以外の普通の人には完璧磨きはできませんよ」となります・・これ真実です。もう一箇所あります!

同じページの下段に「プラークは洗口剤では取れません」とあります。言い換えれば「洗口剤や歯磨き粉を使ってもプラーク(歯の汚れ)は落ちません、歯ブラシで汚れを物理的に落とすことが唯一の方法です」

補足します。まずひとつ目の真実「普通の人には無理」・・なぜか?理由のひとつは解剖の知識の差です。歯科医師、歯科衛生士は歯の解剖を習っています。歯の形をしっかりと把握しています。歯の形態が隅々までわかるからこそ、全く見えない口の中の自分の歯を隅々まで磨くことが可能なんです(もちろん把握していない歯科医師・衛生士もいますが)。

二つ目の「洗口剤では取れません」・・今まで書いていますように「歯の汚れを落とすのは歯ブラシによる物理的除去のみ」です。洗口剤や歯磨き粉はほんの少し手助けはしますが、これら薬剤でプラークは落ちません。びくともしません!歯の汚れ=バイオフィルムについて詳しくは「鰯の頭も!」もどうぞ。

よって「歯は、磨いてももらうもの」・・これが最も効果のある(エビデンスのある)予防法です。しつこいですが「歯は磨いても、もらうもの」!・・ハイハイ、あんたの言う事はわかった、ではどこで磨いてくれるの?・・いい質問です。余談ですが上の画像は「歯磨き達磨」。
1)かかりつけ歯医者を持つ方は・・おそらく数ヶ月(多くは三ヶ月)ごとにメンテナンスに通ってらっしゃると思います。可能ならば次回「月に一度、磨いてほしい」と言ってみてください。多分「OK」だと思います。もちろん保険でカバーできます。月一回がオススメです。
2)かかりつけの無い方・・早速かかりつけを見つけましょう。

3)「んー歯医者には行きたくないなぁ」の方は・・しばしお待ちを、来年2月(2023/02)にムシ歯予防カフェ「おやつ堂」を開きます。バナナジュースやスイーツを楽しみながら予防可能です(1号店は鹿児島市)。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 592 足るを知る

「鯛焼のあんこの足らぬ御所の前」大木あまり

2022/10/20投稿
最近「鯛焼」食べてません。解説は『朝夕はだいぶ冷え込むようになってきた。辛党の私でも、ときどき街でホカホカの鯛焼きを食べたい誘惑にかられるときがある。まして、作者は女性だ。旅先の京都で鯛焼きを求めたまではよかったが、意外に「あんこ」が少なかったので、不満が残った。庶民の食べ物とはいえ、さすがにそこは京都御所前の鯛焼き屋である。上品にかまえているナ、という皮肉だろう。それにしても、御所の前に鯛焼き屋があったかなあ。どなたか、ご存じの方、教えてください。ついでに「あんこ」の量についても。無季。『雲の塔』所収。(清水哲男)』(解説より)。てっきり「鯛焼」が季語で、晩秋か冬と思っておりました。さて今回は「足らぬ」が完成形なのだ!のお話。

ほぼ毎日アクセスする「今日のダーリン」10/15付は、
『・「たいしたことないやつ」としてのじぶん。それは、とても本気で思っていることだ。謙遜とか腰が低いとか、ぜんぜんそういうことじゃない。ほんとうに、ただ「たいしたことないやつ」なのだ。
 いい人ぶって言ってるのでない証拠に、こう続けよう。じぶんばかりでなく、だいたいほぼすべての人が「たいしたことないやつ」なんだと思っている。天才と呼ばれる人も、偉人と言われている人も、立派な人も、博愛の人も、大物も、超人も、みんなどの人だって、ずうっと近くにいたらなにかしら弱いところだとか、欠点やら嫌なところがある。
 近くにいる人にさえわからないとしても、そのご当人が、おそらくじぶんが「たいしたことないやつ」であることをわかっていることだろう。ご本人が「なにを言うか、わたしはたいしたものだ」と言い返してきたとしたら、それはそれでもう、「たいしたことないやつ」の資格は十分だよね。
 人間だもの。っていうか、人間なのだから。人間というのはそんなにたいしたものじゃない。人間は「たいしたことないやつ」が完成形なのだ。』

『天才も偉人も王様も、「たいしたことないやつ」なりに、あれやこれやにがんばったりしたというだけのことだ。すごいことやったにしても、毎日毎時ひっきりなしにすごかったわけじゃないに決まってる。寝たり食ったり厠にでかけたりしている時間は、少なくともたいしたことはしていないだろうよ。それは、とても当たり前のことだ。

 ぼくも、けっこう長いことまちがえていた。若いときは「たいしたことないやつ」だということを、なかなか認めたくなかったような気がする。
 さて「たいしたことないやつ」だと、なにもできないのか? ぜんぜん、そんなことはない、すっごくいろいろできる。人にやさしくもできるし、でっかいことだってできる。
 あの建物も、あの仕組みも、あの発明も、あの演劇も、さまざまな「たいしたことないやつ」が集まってつくった。みんなが「たいしたことないやつ」で、ピカソだとか、ウサイン・ボルトだとかも、そのなかのひとりなのだ。ぼくもきみも「たいしたことないやつ」のひとりなのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。再度言う。人間は「たいしたことないやつ」が完成形なのだ。』

最後の文章『人間は「たいしたことないやつ」が完成形なのだ』を言い換えれば、「足るを知る」でしょう。この言葉、よく使われる意味は「身分相応の満足を知ること。身分という言葉を聞くと、社会的な地位を連想するかもしれませんが、このことわざでは自分の置かれた立場や今の状況などを指しています」(引用元はこちら)。小生の「足るを知る」の解釈は少し違っており、ほぼ日にあるように「未完成が完成形である」が現実であり、「人において完全はない、パーフェクトはない」です。

さて本題・・「歯は、磨いてももらうもの」なんです。足りないのが本来の姿、ご自身で完璧にできることはおそらく何ひとつ無いのです。当然、ご自分の口の中を完全に磨く、キレイにすることは無理難題不可能なこと。ゆえに「歯は磨いても、もらうもの」。お子さんだけではなく、いくつになっても仕上げ磨きが必要なんです、本当は。仕上げ磨きが最も効果のあるムシ歯予防法なんです!

では、なぜ大人は仕上げ磨きをしてもらえないのか?それは構図が出来上がってしまったからです。「歯は自分で磨くもの」「歯磨き粉は使うもの」「歯は洗面で磨くもの」「歯医者は治療するだけ」等々。イメージしてください・・もし、高校生が親に仕上げ磨きしてくださいと言ったら・・「自分で磨きなさい」「あなた幾つ」「そんなみっともない」。では髪の毛はどうでしょう、床屋・美容室に行って「髪切ってください」と言ったら「はい喜んで!」となるでしょう。同じです、理由は自分で完璧に磨けないから。この話で伝えたかったことは「人は不完全である」「歯は、磨いてももらうもの」の二点です。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 591 好きなカフェ

「突抜ける青が好き青十月の」北島輝郎

2022/10/08投稿 10/12夜ニカクモノ追加
画像は十月三日(月)朝七時半、磯からの桜島です。句の解説は『直球。ストレートに、十月をむかえた喜びを歌っている。爽やかな十月。今年も、そうあってほしいものだ。。さて、せっかくの爽やかな句の雰囲気に水をさすようだが、今日は一理屈こねたくなっている(えっ、いつものことだって、……すみません)。そんな気分になったのは、句の「好き」に触発されたからだ。いつの頃からか、俳句や短歌に「好き」だの「嫌い」だのという生(なま)の感情がそのまま詠まれるようになってきた。とてもひっかかる言葉遣いだ。理由は、もとより「好き」や「嫌い」は誰にでも生ずる感情だけれど、それを生で表現することの意図がわからない点にある。そうした作品を読むと、「好き」「嫌い」は作者の勝手であるが、読者である私はそう言われても困ってしまう場合が多いのだ。そこのところを、作者は読者が困らないように説得するのが「作品」であるのに、それをしていない「作品もどき」が大半である。私の常識では、この種の書き物を文学とはとても呼べない。文学以前に、作者がそうした個人的にしか通用しない生の感情を、なぜ作品として発表したいのか。他人に読んでもらいたいのか。不可解すぎて欠伸が出てしまう。社会常識もたいしたものではないことを前提にして言うのだが、こうした表現などをひっくるめて、世間は「変態」と呼んできた。ただ、私に言わせれば「変態」も結構なのだけれど、幼稚な「変態」は「嫌い」だということである。(清水哲男)』(解説より)。結局、清水氏はこの句を評価されているのだろうか?さて今回は「好きなカフェ」のお話。

これは「coffee innovate:コーヒーイノベート」。昨年晩秋、アジアンテイストのレストラン「ARTON:アートン」に行ったところ、二軒先工事中。尋ねるとカフェができるそうな・・そこがイノベートでした。TJカゴシマ10月号No.509に見開き2ページで登場。

このカフェ、ヨイショするわけではないのですが・・スゴイんです。コーヒーと週一回納入されるビーガンスイーツ(Veda Sultenfuss)もさることながら、マスターの人間関係が凄いんです。全国区イラストレーターラッパー写真家(デザイナー)、木工鉄工家他、料理人、音楽人、ヤクルトレディーに至るまで!来年2月開店のムシ歯予防カフェ「おやつ堂」の相談にも乗ってもらってます。(おやつ堂:ホテルシェラトン鹿児島から徒歩三分の場所に来年2月オープン!)

人間関係も特筆物ですが、マスターご自身が特筆者。太宰治から鈴木大拙まで、本を読んでる読んでる!マスター相手に討論なんて、十年どころか百年以上早いと思わせる読書量と見識と自己理論を持っていらっしゃいます。是非カフェに来て人生を哲学を文学をコーヒーを、マスターと語って欲しい、と思いながら通ってます。山頭火の句に「へうへうとして水を味ふ」があります。へうへうを漢字で書けば「飄々:ひょうひょう」。さしずめマスターは「飄飄として珈琲を味ふ」・・・ですが、頭や心の中は桜島に劣らず熱いドロドロが回っております。もし、対応が素っ気なく感じられたらマスターがシャイなだけなんです(おそらく)。

イノベートに来るといつも感じます。世の中に「不可能は無い!」。マスターに相談すると、何かしら情報やヒントを返してくださるし、店に来るまで「Impossible」と思えたことが、店を出るときには「I’m possible!」に変わっているのです、気持ちの中で。

何の目的でカフェに足を運ぶかは、人それぞれ店それぞれ。小生の中ではcoffee innovateのメインメニューは奇しくも福岡美美(びみ)の伝票に書いてあった文章ではないかと思うのです。
『ダルマサンガコロンダすきに 世の中も変わっとる ゆっくり珈琲ば飲んで 元気に起き上がってみんしゃい 何か手があるや呂』(昔の伝票の裏の文章)。こちらもどうぞ。
皆さま、是非コーヒーイノベートに。ご自愛の程ご歯愛の程。

追加10/12 coffee innovateの仕掛けのひとつ「第二回コーヒーイノベート作文コンクール」への投稿文です。今回のテーマは「夜に書く文」・・だったような。

夜ニ「カク」モノ
夜に「かく」もの、あぐらで酒飲み
夜に「斯く」もの、酒を飲み飲み斯く斯くしかじか
夜に「かく」もの、飲んで眠って高らか鼾
夜に「欠く」もの、歯磨き忘れ歯を欠くムシ歯
夜に「掻く」もの、蚊に刺され痒い痒い
夜に「欠く」もの、夜空の月
夜に「欠く」もの、お茶碗欠いた悪い夢
夜に「カク」もの、ふと目覚め男性諸氏の独り遊び
夜に「駆く」もの、二度寝して夢は枯野を駆け巡る
夜に「書く」もの、面白味に欠くこの駄文