BBTime 678 パニスのパニス

「パンにバタたつぷりつけて春惜しむ」久保田万太郎

2025/03/07 パニス開店五周年記念日投稿 3/15加筆・画像追加
パニスという名のパン屋が鹿児島市にあります。店名「panis」に引かれて足を運びました。訪問初日こそ二番目でしたが、以後一番乗りでお店に通いました。日々、行列ができるパン屋です。残念ながら、おやつ堂オープン後は一番乗りできなくなりましたが。句の解説に『・・バターではなく〈バタ〉、これは今でも雑誌「暮しの手帖」で使われているはずである。こう表記されるとバターがにわかにレトロな雰囲気を持ち、美味しそうに思えてくるのは私一人の感覚だろうか。昨今は〈バタ〉をたっぷり塗ることも少なくなった・・』「食の一句」櫂未知子著78頁より。鹿児島市は春、句は惜春ですがご容赦のほど。

panis:パニスとはラテン語で「パン、糧(かて)」の意。
その店名をつけたパン「パニス」が出たと聞いて即訪問。
冒頭画像が「panis」(パニス提供画像)。
1)お店の名前を付けた理由は?・・「当店ならでは唯一無二のパンです」
2)理由は?・・「このパンの主な材料はパンなんです」
3)ご説明を!・・「色々なパンを作る過程でパンの耳など切れ端が出ます。それらを捨てずに活用できないかと思っていました。あるセミナーで切れ端を煮て「おかゆ」のようにしたものをベースに新たなパンを作ることを知り、まさに切れ端ひとつ捨てたくない、フードロスゼロを実現したいという思いと合致しました」
4)すぐに新製品は完成したのですか?・・「いいえ!試行錯誤でした。模索するうちに当店オリジナルの意を強くし最終的にパニスと命名しました」

煮る前の「パンの切れ端など」(パニス提供画像)。
5)作り方を簡単に教えてください・・「切れ端を水煮してフードプロセッサーにかけてお粥状にします。その、いわば「おかゆ」に小麦粉、野菜などからとった出汁、自家製酵母、塩などを加えドゥを作ります。発酵後釜へ」

出汁(ダシ)を取るための野菜など(パニス提供画像)。
6)パニスの食べ方は?・・「食事パンとして何にでも合います。切れ目に野菜などを挟んでサンドもおすすめです」「パスタやスープの付け合わせとしても合いますよ」

パニスのドゥ。

7)パン「パニス」の今後の展開は?・・米粉パン「「コメパーニュ」同様、当店オリジナルとしてじっくり育てていきたいと思います。チーズを加えたものなども考えています。人に美味しい、地球に優しい、パニスならではのパンを焼いていきたいですね」
8)蛇足ながら味は(小生の感想)・・噛むと、まず意外な食感に驚きます。モチモチというよりシットリ。薄い薄い塩味、野菜の出汁、言わば超薄味の野菜スープのような味で、シェフのおっしゃるようにパスタに好相性間違いなし!冒頭の句と違ってバタをつけなくとも充分に味わえるパンです。是非一度ご賞味あれ。
・・美味しい優しいお話ご馳走様でした(有難うございました)。まさにシェフのお人柄が存分にドゥの中に入っていると痛感しつつ、お店を後にしました。まさにパニスは「心の糧」。地球に優しい美味しいパンを食べて、ご自愛の程ご歯愛の程。


BBTime 677 Abc

「なずな咲くてくてく歩くなずな咲く」小枝恵美子

2025/02/28投稿 3/3追加
気が付いたら如月も終わり!句の解説『なずな(漢字では「薺」と難しい字を書く)は、陰暦正月七日の七種粥に入れる七草の一つなので、単に「なずな」だと、歳時記的には「新年」に分類される。が、花が咲くのは早春から梅雨期にかけてであり、掲句の場合には「薺の花」で春。またの名を「ぺんぺん草」とも「三味線草」とも言う(こちらのほうがポピュラーか)。さて、この句の魅力は「てくてく」にある。「歩く」といえば「てくてく」など常套的な修辞でしかないが、実にこの「てくてく」の用法は素晴らしい。いたるところに咲いているなずなの道を行く気分は、別にいちいち花を愛でながらというわけでもないので、むしろ常套的な「てくてく」がふさわしいし、句の情景を生き生きとさせている。「むしろ技巧的に思われるほどだ」と句集の栞で書いた池田澄子は、さらにつづけて「そこここに咲いている『なずな』と、そのことを喜び受け止めながら歩いている人物は、春を輝く万物の細部としての代表である」と述べている。これまた素晴らしい鑑賞だ。春の道は、こんなふうに「てくてく」と歩きたい。なお「なずな」を「ぺんぺん草」「三味線草」と呼ぶのは、その実を三味線のバチに見立てたことにちなむそうだ。今日調べてみるまでは、つゆ知らなかった。『ポケット』(1999)所収。(清水哲男)』(引用元)。さて今回は「abc」の「A」、abcとは歩くa、口から食べる(バイト)b、きれいにする(クリーニング)c、についてのお話。

「ABC=歩く・食べる・キレイにする」について考えるようになったのは、訪問診療に携わるようになってのことです。ご存じかと思いますが「2025年問題」を日々耳にします。小生、施設の職員さんに話します「残念ながら、もしあなた方が将来、要介護になっても今あなた方が行なっているような介護は受けられないかも知れません」と。必要なのは、考え方を変え「介護予防=亡くなる直前まで自立する・できる」、介護を受けられないのならば、介護を極力必要としない生き方に「今日」から変えることです。まずはA=歩くについて。

ヒトの定義においてまず挙げられるのが「直立二足歩行」です。直立二足歩行する生き物が「ヒト」ならば、極端な表現ですが直立二足歩行しない・できなければ「ヒトにあらず」とも言えます。しかしどうでしょう、周りを見渡すと・・。ちょっとそこのコンビニ行くのも車、デスクワークにおいては座りっぱなし、小学校から大学まで授業中はほとんど椅子。足に問題がない人も「歩いていない・歩かない」日常になってます。

小生、ほぼ毎日一万歩は歩いております。歩きにシフトしたきっかけは3つ。
1)きっかけ1:車が無いこと。車を手放して9年になります。当然、公共交通機関を利用し歩いて自転車に乗ります。
2)きっかけ2:アップルウォッチ。時計が「Move」「Exercise」「Stand」を計測してくれます。日々の目標を設定し達成するようになりました。
3)きっかけ3:睡眠の波形。ウォッチで睡眠をトレースできます。以前は片道8キロ弱を自転車通勤。ある時、気がつきました。自転車通勤日の睡眠波形よりも、路面電車と徒歩通勤の波形の方がキレイなのです。それ以来、電車+片道徒歩30分通勤に変えました。

現生人類は約五万年前にアフリカから出て世界中に進出していきました。それを可能にしたのは「直立二足歩行」で、歩いてこそ「ヒト」であり、歩いてこそ「人」なのです。にもかかわらず人々は車に乗り、椅子に座り・・。

2025/2/2 朝日新聞「天声人語」、次のように続きます。

〈歩け、歩け/どんなものが出て来ても乗り越して歩け/この光輝く風景の中に踏み込んでゆけ〉・・歩くからこそ「乗り越して歩け」ができるのです。自転車でも車でも段差があると進めません。道がなければ車や自転車では進めません。しかし人生は〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る〉のです。歩きであれば道なき道を「乗り越す」ことも可能です。日々毎日、歩いていると、歩くことは単なる移動手段ではなく、ヒト・人の生き様に深く関わっている気がしてならないのです。

2/8の桜島、雪化粧しております。小生、カフェ日は朝、歩いて桜島に会いに行きます。鹿児島はようやく寒さが抜けました。徐々に歩く季節が近づいて来ました。薺を見つけに歩きましょうか。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

追加(3/3)「歩く」についてオススメの一冊

この著者「池田光史氏」を知ったのはYouTubeでした。ひょっとすると多くの方が「歩く=面倒臭い・疲れる」のイメージをお持ちかも知れません。本に「歩くのってこんなに楽しかったっけ?」とあります(2頁目)。ヒトがアフリカを出て世界の果てまでたどり着いたのも「楽しみ・心地良さ」を彼らが身体感覚として感じていたからだと思います。「人間の幸せは、動物として快調かどうかにかかっている」(8頁目)。御意!

BBTime 676 脱皮

「春立つと古き言葉の韻よし」後藤夜半

2025/01/27投稿 01/29画像追加
今年の節分は地球の公転の関係で二月二日、この時季好きな句です。解説は『韻は「ひびき」と読ませる。昔から、立春の句や歌は数多い。それだけに、後代になるほどひねくりまわし過ぎた作品が目立つようになってきた。止むを得ないところではあるけれど、だからこそ、逆に立春という題材をどう扱うかは、俳人や歌人の腕の見せどころでもある。「芸の人」夜半としては、そこでしばらく考えた。考えた結果、立春のあれやこれやの情景を捨て去って、一見すると素朴な発想のこの一句に落ち着かせることにした。さすが、である。つまり、この句には古今の名句や名歌のひびきが、すべて収まってしまっているからだ。さりげなく「他人のフンドシで相撲をとる」のも、立派な芸というべきだろう。脱帽。(清水哲男)』(引用元)。今回は「脱皮」について(ただし蛇にあらず)。

昨年晩秋頃から仕事場近くの蕎麦屋に通い始めました。店の存在は二年程前から知ってはいたのですが・・。ある時、長野松本育ちの同僚曰く「鹿児島市内で一番だと思う」。蕎麦通の一言、重く受け止め、即訪問。

店内には蕎麦の実を加工する(皮を除去)部屋、臼で挽いて粉にする部屋があります。入り口脇で待っていますと目の前の加工部屋に「脱皮所」と小さなプレート。脱皮?なるほど皮を脱ぐ「脱皮」ではなく、皮を脱がす「脱皮」のようです、詳しくはこちらを。

残念ながら「店内撮影禁止」のため蕎麦の画像はありません(近日中に外観のみ画像アップ予定)。お品書きには冷たい・温かい蕎麦が全部で十二ほどあります。全部食べました、全て感動!テーブル横の壁には日本酒のラベルのコラージュ、粋です!来月、夜の部に行こうと思います。何と!夜の部では「お蕎麦はつきません」とのこと、流石です。美味しい蕎麦を美味しく頂ける・・これ以上の「平穏無事」があるでしょうか。「なんてことのない普通の日常」こそが「最高の幸せ」。店は「万謝:ばんしゃ」・・美味しいをいつも貴方のおそばに!皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程

万謝:ばんしゃ

BBTime 675 純化

「白菜やところどころに人の恩」阿部完市

2025/01/20大寒投稿
あっという間に今月も十日余り。句の解説は『なんだろうね、これは。どういう意味なのか。阿部完市の句には、いつもそんな疑問がつきまとう。でも、疑問があるからといって、答えが用意されているような句だとも思えない。そういうことは、読み下しているうちにすぐにわかる。そのあたりが、好きな人にはこたえられない阿部句の魅力となっている。この白菜にしたところで、どんな状態の白菜なのか。作者は何も説明しようとはしていない。要するに、単なる「白菜」なのだ。「人の恩」についても同断である。そこで妙なことを言うが、この句の面白さは「ねえねえ、白菜ってさァ、見てるとさァ、だんだんこんな感じになってくるじゃんよぉ……」という女子高生みたいな口調の感想に集約するしかない、そんなところにあるのだと思う。白菜か白菜畑か、見ているうちに作者はふと「人の恩」というものに、たしかに白菜に触発された格好で思い当たったのだ。その確かさを、直裁に読者に伝えようとしている。同じ冬の野菜でも、対象が大根や人参であったとしたら、たぶん「人の恩」には行きつかなかっただろう。……などなどと、読者に数々の素朴な疑問を生じさせておいては、結果的には句のようであるとしか思わせない説得力が、一貫して阿部句の方法の中核にはある。『阿部完市全句集』(1984)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は断捨離の真髄について。

南洲寺住職「焔恵和尚」筆(えんけい和尚、鹿児島市)。毎年干支色紙を描かれます。私ごとながら昨年夏引っ越しました。その際勘弁してと言いたいくらいの「断捨離」・・ふと思いました。断捨離とは「捨てる」ことではなく「絞り込むこと」「集中すること」言い換えれば「夢中になること」一言で言えば「純化:じゅんか」であると。純化の過程で当然ながら「断つ」「捨てる」「離れる」など行います。和尚の解説を読んで意を強くしました。

「何かひとつ夢中になる」・・まさにこれぞ断捨離の極意・真髄でしょう。先日、博多西中洲で大学時代の友人と飲みました。お互い還暦を過ぎた今、異口同音に「これからはやりたいことをやる!」時に「坐禅の時は煩悩を捨てよ」などと耳にします。実際に坐って「頭の中を空(から)」にすることは至難の業で、ひとつのことだけを集中して深く深く考えることの方が可能です・・これも純化

今の世、あまりにも「モノやコトや情報」が溢れ返っています。小生は二十歳過ぎた頃、テレビ捨てました。八年ほど前に車を手放しました。テレビ捨ててラジオを拾い、車を手放して歩きを手にしました。次に捨てるものは?手放すものは?行動規範を「純化」に照らし合わせれば答えは自ずと出るでしょう。では皆さま、ご自愛の程ご自愛の程。

BBTime 674 口の悦び

「風呂吹にとろりと味噌の流れけり」松瀬青々

2025/01/04投稿
 謹賀新年 今年もよろしくお引き立ての程。目にしただけで美味しそうな句です。解説は『句も上手いが、この風呂吹大根もいかにも美味そうだ。「とろりと」が、大いに食欲をそそってくる。あつあつの大根の上の味噌の色が、目に見えるようである。松瀬青々は大阪の人。正岡子規の弟子であった。大阪の風呂吹は、どんな味噌をかけるのだろうか。東京あたりでは、普通は胡麻味噌か柚子味噌を使うが、生姜味噌をかけて食べる地方もあるそうだ。私は柚子味噌派である。いずれにしても、大根そのものの味を生かした料理だけに、子供はなかなか好きになれない食べ物の一つだろう。大人にならないと、この深い味わい(風流味とでも言うべきか)はわかるまい。ところで、「風呂吹」とは奇妙なネーミングだ。なぜ、こんな名前がついているのか。どう考えても、風呂と食べ物は結びつかない。不思議に思っていたところ、草間時彦『食べもの歳時記』に、こんな解説が載っているのを見つけた。「風呂吹の名は、その昔、塗師が仕事部屋(風呂)の湿度を調整するために、大根の煮汁の霧を吹いたことから始まるというが、いろいろの説があってはっきりしない」と。『妻木』所収。(清水哲男)』(引用元)。初投稿は「口の悦び」について。

画像は朝日新聞コラム「折々のことば」2024/12/31です。ご覧の通り、同感大賛成。以前「最後の晩餐」に書いております、こちらもどうぞ。お分かりの事とは思いますが、どうぞ「口と足」だけは日頃からメンテナンスして機能を守ってください。

「生きた唇」・・素晴らしい!だからこそ「ご馳走、お喋り、接吻、笑い、歌と、人の幸は口に集中する」のです。「幸」を存分に味わうためにも「口と歯」のお手入れをお願いします。必要な時にはアシストいたします。「歯ハ、磨イテモモラウモノ」 皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 673 ゆく歳

「うつくしや年暮れきりし夜の空」小林一茶

2024/12/31大晦日投稿
 2024年も今日で終わり、画像は今朝のお姿(桜島)です。句の解説『今年1998年は、一茶に締めくくってもらおう。ここまでくれば、ジタバタしてもはじまらない。一茶とともに、夜空でも眺めることにしたい。ただ、ミもフタもないことを言っておけば、一茶の時代は陰暦の大晦日だから、二カ月ほど先の空を詠んでいる。そろそろ梅も咲いているかもしれぬ早春の夜空だ。だから、相当に今夜とは雰囲気は異なるが、押し詰まった気持ちには変わりはないのである。古句で締めたついでに、鎌倉末期から南北朝に生きた兼好法師の『徒然草』より大晦日の件りを引用して、今年度の『増殖する歳時記』の本締めとしたい。ご愛読、ありがとうございました。「晦日(つごもり)の夜、いたう闇(くら)きに、松どもともして、夜半(よなか)すぐるまで、人の門たゝき走りありきて、何事にかあらん、ことごとしくのゝしりて、足を空にまどふが、暁がたより、さすがに音なく成りぬるこそ、年の名残も心ぼそけれ。亡き人のくる夜とて玉まつるわざは、この比(ころ)都にはなきを、東(あずま)のかたには、なほする事にてありしこそ、あはれなりしか」。(清水哲男)』(引用元)。今回は今日大晦日の毎日新聞「余録:よろく」のご紹介。

【い】犬も喜ぶ50-50【ろ】露朝の盟約、世界の迷惑【は】はて、夫婦別姓は?【に】日常になった異常気象【ほ】保護司の献身支えねば【へ】紅こうじにレッドカード【と】動画も積もれば票となる【ち】賃上げ中小悲鳴上げ【り】理不尽な客お断り【ぬ】抜け出せぬ原発の沼【る】ルールそこのけ選挙妨害【を】折り鶴の願い届いたノーベル賞【わ】忘れない世界のタクト【か】ガザの子らへぬくもりを【よ】よみがえるトラのどう喝【た】大逆風に安倍散るドレン【れ】連結外れ、こまち困った【そ】空でピアノが弾けたかな【つ】月の裏側行っチャイナ【ね】寝耳に水原【な】南海も備え確認を【ら】ライド、シェア伸びず【む】無罪でも時は戻らず【う】雲散無常の石破カラー【ゐ】インテルまいってる【の】ノートルダムの鐘再び【お】お酒の技に世界が乾杯【く】「黒い雨」に晴れ間【や】やりで射止めた金メダル【ま】真っ黒なホワイト案件【け】下克上ハマの番長【ふ】富士山隠したインバウンド【こ】コメ不足にもほどがある【え】炎上機、奇跡の脱出【て】「手取り増」で議席増【あ】アサド後に朝は来るか【さ】サンタ苦労す物価高【き】金利あるのに放漫財政【ゆ】尹(ユン)殿、ご乱心【め】メガへ加速ホンダ日産【み】右へ右への欧州選挙【し】SHOGUNに軍配【ゑ】AIにも愛を【ひ】漂流するプラごみ条約【も】もぬけの空の貸金庫【せ】政治資金寄生法【す】スターの輝きドロンと消えず【京】きょうの祈り能登の明日へ

これも今朝大晦日の空です。いろいろなこと悲喜交交あった歳でした。果たして来る歳は?無事とは言いませんが、穏やかな歳になってほしいと思います。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

追加:過去の「余録」はこちらを。

BBTime 672 良薬

「いつの間にうしろ暮れゐし冬至かな」角川春樹

2024/12/15投稿 今夜今年最後の満月 12/20追加
まさに臘月尽(ろうげつつく)今年も余すとこ二週間余り。句の解説は『冬至の日暮れです。「いつの間に」、日が暮れてしまったのだろうという驚きがあります。続く「うしろ」の使い方が巧妙です。暮らすということは、掃除でも、料理でも、前を向くこと、次の手順をこなすことです。生きているかぎり、好むと好まざるにかかわらず、私たちは、「前向き」に行動し、予定を気にしながら、先のことを考えて暮らしています。しかし、掲句は、「いつの間にうしろ」と書き出すことで、驚きながら、うしろを振り返る身振りを読み手に与えます。ふり返ると一日が終わり、一年が終わっていく。冬至の暮れは早く、東京では16時32分。一年のあれやこれやが思い起こされ、暮色に消え、長い夜を過ごします。「存在と時間」(1997)所収』(引用元)。今回は「良薬は口に苦し」は価値あることなのか?について。冒頭の画像(薯蕷饅頭)は鹿児島明石屋(2024/12月)のHPより。

ほぼ日」の今日のダーリン(12/10付)。
次のように続きます。

読んでいただければお分かりと思います。今回、小生が最も伝えたいのは「聞き入れやすいように工夫するよ」です。素人(しろうと、一般の人)にとって難しい・少しでもハードルが存在するのであれば、それらを簡単にたやすくしてあげるのが玄人(くろうと、プロ)だと思います。素人の方にとって容易でないことを、そのまま「良薬口に苦し」だと押し付けるのはプロのやることではありません。

軸は「看々臘月尽:みよみよろうげつつく」
「良薬口に苦し」と同じようなことが「歯磨き・セルフケア」にも言えます。歯磨きの必要性、歯磨きの方法、ムシ歯予防に必須等々はみなさんご承知。しかし、それができないから歯医者から「ムシ歯」を見つけられるのです。「歯磨き=良薬」これは間違いありません(歯磨きとは歯の汚れを物理的に除去すること)。そうであれば「口に苦し」ではなく、せめて「苦くない」にすべきでしょう。それを行うのがプロ(歯科医・歯科衛生士)です。三ヶ月に一度のメンテナンスならば、是非月に一度のメンテに。セルフケアにおける歯ブラシ、歯磨き粉、方法などについてもプロに確認してください。最後にアドバイスをひとつ「歯は、磨いてももらうもの」 皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。
12/20追加 「歯は磨いてももらうもの」を実践している「おやつ堂」!

BBTime 671 アイデイア

「福助の頭は空つぽや十二月」小泉八重子

2024/12/07投稿
 師走に入り早一週間経ちました。まさに「看々臘月尽:みよみよろうげつつく」。句の解説『福助人形。「福助足袋」の広告で有名になったキャラクターだが、元来は江戸期より幸福招来の縁起ものとして、水商売の店などに飾られていた。句では、師走の正月用意の一つとしての足袋購入が意識されており、水商売のイメージはないと思われる。それにしても「福助」の頭の中が「からつぽ」とは、意表をついた発想だ。私など、一度もそんなことを思ったこともない。でも、言われてみると、なるほど「からつぽ」みたいに見えてくるから妙だ。頭が大きいので、なおさらである。もしも「福助」と話す機会があったとしても、どんな話をしたらよいのか、見当もつかない。そんな感じがしてくる。とにかく不思議なセンスで書かれた句ではあるが、 十二月とのマッチングが愉快だ。ちなみに、天下に「福助」キャラクターを有名にしたのは、大阪の川柳作家であった広告文案家の岸本水府である。この人は後に「グリコ」でも活躍し、「コドモハカゼノコ グリコノコ」「オザウニイハヘ グリコモイハヘ(お雑煮祝え、グリコも祝え)」などのコピー(豆文)を書いている。このあたりについては、田辺聖子著『道頓堀の雨に別れて以来なり』(中央公論社・1998)に詳しい。『遠望』(1989)所収。(清水哲男)』(引用元)。タイトル「アイデイア」:アイディアを逆から読んでも「アイディア」・・これがアイデアとある本にありました。今回は毎日なのに「ほぼ日」の今日のダーリンから。

「よく思うのだけれど、とにかく「アイディア」なんですよ。
 いろんなむつかしいことも、おもしろくないことも、
 困ったことも、あらゆる場面で、アイディアが足りてない! 
 じぶんの関わっていることでも、そう思うし、
 あちこち見渡しても、「アイディアがないからだ」と思う。
 そりゃね、金がないとか時間がないとか人手がないとか、
 他にもありますよ、足りないものは。
 それにしても、「じゃぁ、アイディアはあるのか?」です。

 アイディアが商売じゃないという人にも、
 ほんとはアイディアがあったほうがいいし、
 アイディアがなにかを変えるもののはずです。」

「「こうすればアイディアが出ますよ」という本やら、
 講座なんかもたくさんあるのは知ってます。
 昔も今も、アイディアの大事さはさんざん言われてきたし、
 どうすればいいかについての方法も、
 ほとんど、すでに語られてきているとも言えるんですよ。
 あっちのものとこっちのものを、組み合わせるんだとか、
 ちがった角度から見てごらんだとか、ずっと言われてる。
 それは、みんな読んできたか聞いてきたと思うよ。
 でも、絶対的に、世界中にアイディアの質量が足りてない。

 どうしてか?」

「アイディアを出そうとする機会が少なすぎるからだ。
 ぼくは、そう考えるようになったんです。
 たとえば、サービス業の人だったら
 「いつも微笑んでる」なんて当たり前でしょう? 
 そうでない人もいるけど、よく微笑んでますよね。
 運転をしている人だったら、長時間、500キロくらい
 ずっと平気で運転してるじゃないですか。
 逆に、ちょっと微笑んで休んでまた微笑むとか、
 10キロ運転して休んで翌日また10キロ走るとか、
 そんなんじゃダメだってわかってるんですよね。
 だけど、そんなふうに「いつも微笑んでいる」ように、
 「いつもアイディアを出そうとしている」人が、
 あんまりいないんだと思うのです、私見ですが。
 おまえら(つまりわたくしも)、サボってるぞ。
 アイディアはとりあえずの原料費が無料だしね。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
たいしたことなくても、小さくても、とにかく出すこった。」

この方も仰ってます。
「ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない。」
Most people just don’t put in the time or energy to get there.
『何か問題を解決しようとしたとき、最初に思いつく解決方法は非常に複雑なので、ほとんどの人はそこで考えるのをやめてしまう。ここでさらに考え続け、問題を胸に抱き、タマネギの薄皮を剥き続ければ、しばしば、非常にエレガントでシンプルな解決策に到達できる。ほとんどの人は十分な時間やエネルギーをかけていない。」(ビジネスに効く10の言葉より)』

小生オススメの本、原著初版は1940年に出ております。過去にもタイトル「アイディア」で書いております、こちらもどうぞ。では、師走は名の通り走っております、足元にお気をつけて。皆様ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 670 霜月晦日

「あたたかき十一月もすみにけり」中村草田男

2024/11/30投稿
 今日は霜月晦日(みそか)明日から師走。今年の霜月は、まさに掲句。句の解説は『旧版の角川書店編『俳句歳時記』には、この句と並んで細見綾子の「峠見ゆ十一月のむなしさに」が載っている。長年親しんできた歳時記だから、毎年この時期になると、二つの句をセットで思いだすことになる。並んでいるのは偶然だが、いずれもが、十一月という中途半端で地味な月に見事な輪郭を与えていて、忘れられないのだ。忙中閑あり。……ならぬ、年の瀬をひかえて「忙前閑あり」といえば当たり前だが、両句ともそんな当たり前をすらりと表現していて、しかもよい味を出している。ただ草田男句の場合は、どちらかといえば玄人受けのする作品かもしれない。(清水哲男)』(引用元)。今回はオレンジページネット版掲載拙記事のご紹介です。冒頭画像は今朝(11/30)のお姿(桜島)7:47。

1)9/27掲載分「栗のスイーツ」
「栗饅頭に栗は入っていますか?」との問いに、おそらく殆どの方が「入っているから栗饅頭でしょ」と答えられると思います。本来はさにあらず・・あくまでも栗の実に似ているので栗饅頭だったのです、当初は。ブログ中にも紹介していますが「新和菓子噺」(薮光生著)には『ひと昔までは栗が入っていないのが普通でした。小判型をした焼き菓子で、白餡だけしか入っていなかったのです』(114頁)。

次のように続きます。

ご納得いただけたでしょうか。実は先日「きつねうどん発祥の店」で狐の肉は入っていない狐うどんを食べてきました。大阪市の「うさみ亭マツバヤ」です(詳しくはこちら)。

つゆは意外と薄味で、長方形の油揚げにしっかり味が染み込んでいました。発祥店はひと味違うと痛感しつつ店を後に。

さすがの味!お値段手頃、是非一度ご賞味あれ。
本題に戻ります。栗のスイーツはこちら

2)ワインの楽しみ方について。
画像はおやつ堂のマークをあしらった赤ワイン(仏)です。「ワインの楽しみ方」はこちら。と言うことで、明日から師走です。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程

BBTime 669 入れ歯洗い

「地玉子のぶつかけご飯今朝の冬」笠 政人

2024/11/18投稿
画像は今朝11/18のお姿(桜島)です。立冬(11/7)は、とうに過ぎたものの残暑のような暑さでしたが、今朝はやっと冬の足音が聞こえてきそうです。年年歳歳、秋が短くなってます、そのうち秋が消滅して四季から三季、春も消え二季となるのでしょうか。句の解説は『季語は「今朝の冬」、立冬のことだ。雪の便りもちらほらと聞こえてくる。まだ東京あたりではそんなでもないが、もう名実ともに冬に入っている地方もあるだろう。長くて厳しい季節のはじまりである。作者は、そんな寒い地方の人だろうか。ほかほかのご飯に玉子をぶっかけて、勢い良く掻き込んで食べている。さあ「冬よ、やってこい」と、身構えている。わざわざ「地玉子」と玉子に「地」をかぶせたのは、新鮮で栄養価の高い玉子をイメージさせることで、句の勢いを増すためだろう。単に玉子と言うよりも、よほど迫力が出る。すぐに連想したのは、高村光太郎の詩集『道程』に収められている「冬が来た」だった。昔、小学校の教室で習った。「きっぱりと冬が来た/八つ手の白い花も消え/公孫樹の木も箒になった」というのだから、季節的にはもう少し寒くなってからの詩だ。最後の二連は、こうなっている。「冬よ/僕に来い、僕に来い/僕は冬の力、冬は僕の餌食だ//しみ透れ、つきぬけ/火事を出せ、雪で埋めろ/刃物のような冬が来た」。こちらも相当な迫力で、子供のときにも圧倒された。掲句の作者にしても光太郎にしても、とにかく若くて元気だ。若くて元気でなければ、こういう詩は書けない。そこへいくと今の私などは、冬と聞くだけでへなへなとなりそうだ。あ~あと、溜め息の一つもついてしまう。これではならじ。句の作者にならって、今朝はいっちょう、ご飯に玉子をぶっかけて食うことにしようかな。今日、立冬。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)』(引用元)。卵ご飯の後もしっかり洗いましょう、入れ歯洗いについて(セミナー用の内容です)。

卵かけご飯に限らず食後にはお椀やお皿を洗います。入れ歯は口の中の食器です。食具(しょくぐ)という言葉があります。食事に用いる器具、食器などを意味します。歯も食具と言えます。お店に限らずご自宅でもほとんどの方は、洗ってあるキレイな食器に料理を盛って、キレイな箸やスプーンで食事されます。美味しいのためにも、健康のためにも!

お皿と入れ歯の違いは「表面」です。簡単に表現するならば、お皿の表面はツルツルです。入れ歯の表面はヌルヌルです。陶磁器の表面には釉薬(うわぐすり)がかけてありツルツルです。食器用洗剤の入った水に、汚れたお皿をつけておくと汚れは浮いてきます。かたや入れ歯の表面は拡大すると凸凹(多孔性)しています。この凸凹に水が入り込むために入れ歯はヌルヌルしているのです。ソフトコンタクトレンズと似たような表面構造と思ってください。この凸凹に常に水が入り込みヌルヌルしているので口の中にあっても(形に問題なければ)痛くないのです。

お皿と違って入れ歯の洗い方は異なります。入れ歯洗いは汚れを物理的に除去することが基本です。洗面器に水を張り、流水下でのブラシ洗いがおすすめ。その後に洗浄剤使用がベターでしょう。つけ置き時間は製品によって様々ですので、パッケージの説明書きをお目通しください。次の表の引用元はこちら。洗浄後(洗浄液から取り出したら)水洗いして水につけておいてください。外出時や移動時には濡れたティッシュで包んでジップロックでも構いません、乾燥が良くありません。

最後に夜は外すか?着けたままか?
1)上下のご自分の歯が噛み合う人→外して寝てもOKです
2)ご自分の歯が噛み合わない人→可能であれば、どちらか着けてお休みください。
3)一晩洗浄液につけておく必要はありません。
4)就寝中の使用に関しては「BBTime 352 口の中へ」もどうぞ。

入れ歯は口の中の食器。キレイな食器でキレイなスプーンで美味しく食べたいものです。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。