歯科小説「あなたがいれば」インレイと唐揚げ その3

歯科小説「あなたがいれば」インレイと唐揚げ その3

結局、とれた部分は歯に似た色調の樹脂を埋めることで治療は終了した。治療後は違和感なく食事ができている。そんな折、目にしたのが「ウクライナ情勢で歯科治療費が上がる?」というネット記事、読んでみると嘘のような本当の話しだった。

保険診療で認められている金属は何種か指定されており、一般的に「銀歯」と言われる金属のひとつは「金銀パラジウム合金」という名称で、成分は製造メーカーによって若干異なり、金12%、銀が約48%、銅が約20%、パラジウム20%、その他数%とネットに書いてあった。そのパラジウムの値段が近年高騰しており「ロシアのウクライナ介入→欧米の経済制裁→ロシアの反発→パラジウム輸出停止→パラジウム価格急騰→日本国内の告示価格上方改定→銀歯治療費値上がり」との懸念が風が吹けば桶屋が儲かる式に書いてあった。なんでもパラジウムは自動車の排ガス対策の触媒として使われたり、携帯電話にも使われるいわゆるレアメタルの一種らしい。レアメタルが歯の中にと思いながらカチカチやってみた。

今回の治療で銀歯が1本減ったことで、今までさほど気にならなかった奥歯の銀色が妙に気になり出したのである。考えてみると当たり前のことである。小六の冬休みに宿題の工作をしていた際に、カッターで左の親指をザックリ切った。その傷跡は今も1センチほど残っている。ただし皮膚の色と同じだからよく見ないとわからない。もし、縫った痕が黒くなっていたら「先生、痕が黒いんですけど」と訴えただろう。方や口の中は白い歯が銀色になっても文句を言うことはない。考えてみたら不思議である。

「河上さん、食事は問題無かったですか?」
「はい、大丈夫でした。有り難うございました。先生、ところで今回のことでネットで色々と調べてみて疑問があるんですけど・・」
「はい、なんなりと」
「皮膚のケガだったら治療後に色が変わってしまったら文句を言いたくなりますよね。なぜ歯科の場合、白い歯がムシ歯になって治療後に銀色に変化しても文句を言わないのでしょうか?」
「おっしゃる通り!ただし問題は複雑ですね。ひと言で言うと歯科治療は歯を治せないとも言えます。怪訝そうな顔をされるのも理解できます。説明しましょう」
先生の説明によると、今回のようないわゆるムシ歯の治療とは、ムシ歯の部分を除去して足りなくなった部分を金属やセラミック、樹脂などで代替的に詰める処置に過ぎないということ。食事などに支障無いようにするのは機能面だけで、見た目は二の次であったとのこと。最近になって歯科用の樹脂が発達して来たとのことだった。ムシ歯の部分を人工物に置き換えるだけのことで、厳密には治していないと言えるかも知れないというのが先生の意見だった。だからこそ、ムシ歯治療よりも健康な歯を守ることのほうが、さらに価値あることですよ、と先生は言い添えた。

奥歯に銀冠が1本ある。金属冠のことをメタルクラウンと言うらしいが、車の本で「いつかはクラウン」というコピーを読んだことがあった。今の気持ちは「いつかは白いクラウン」かな。

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歯科小説「あなたがいれば」インレイと唐揚げ その2

歯科小説「あなたがいれば」インレイと唐揚げ その2

「初めまして、院長のカワノです。詰めていた金属がとれたそうですね。痛みはないですか?」
「はい、痛みはありません。冷たいものが少ししみるかなと言うくらいです」
「まずは、見せて下さい」
診療台が横になると、大きく口を開けた。
「金属の下がどうやらムシ歯になっていたようですね。とれた理由はこのムシ歯でしょう。レントゲンで確認しますが、ムシ歯を除去して詰め直しましょう」
「先生、一つ不思議なことがあるんです。とれたあとカチカチすると、とれる前よりも心地良いような気がします」
「なるほど、ひょっとすると外れた金属が噛み合わせのバランスを崩していたかも知れません。この金属を入れた時、噛み合わせはどうでした?」
「昔のことではっきり覚えていませんが、つけてから二、三日は違和感があったような気がします。その後は慣れました」
「なるほど、まずはレントゲンを撮りますね」
レントゲン室に移動して、撮影し診療台に戻ると横のディスプレイに今しがた撮影した画像が映し出されていた。
「この部分がムシ歯です。金属と歯の間に何らかの理由で隙間ができて、その隙間に唾液などが入り込みます。細菌、いわゆるバイキンも入ります。結果ムシ歯ができた、金属をつけていたセメントが外れて、今回金属も外れたということでしょう」
「外れた金属をつけることはできますか?」
「できないとは言えませんが、新しくする方が良いでしょうね。方法としては大まかに二通りあります。削り直して型取って新たに作る。この場合、保険のカバーする銀色の金属、実は通称「12パラ」といいますが、金が12%入っています。保険外ですが金合金つまりゴールド、歯の色に似た白いセラミック、または硬い樹脂の材料があります。もう一つの方法として、新たにできたムシ歯の部分を取り除いて樹脂をつめることも可能です」
「樹脂を詰める方法は、一回で済むのですか」
「はい、一回で済みます」
「とれた金属を使わない理由はなんですか?」
「先程、お話をお聞きして、噛み合わせに問題を生じていた可能性があります。たとえ噛み合わせを調整してからつけるとしても、金属の下に新たなムシ歯ができていたことも考えて、あまりお勧めしませんね」
「では、樹脂を詰めて下さい」
「わかりました。実は、先程言われた、慣れました、について今後のためにもお話ししておきますね。歯に金属を詰めたり被せたりした場合、金合金ならまだしも、保険の金属では慣れると言うことはまずありません。革靴であれば慣れると言うことも充分考えられます。革ですから、靴の方が形を変え足に合うこともあるでしょう。しかし歯の場合は金属ですから、金属の冠や詰め物、インレイと言いますが、これら金属が形を変えることは考えにくいという訳です」
「しかし、数日後には慣れてあまり違和感を感じなくなったように記憶していますが」
「実はそこが問題と言うか、怖いのです。違和感を感じなくなったのは、慣れたのではなく、噛み合わせがずれて、もしくは噛み合わせをずらして違和感を感じなくなっただけなのです。ヒトの体は適応能力が非常に高いために、噛み合わせのズレに適応してしまったと考えられます。この小さなズレも数カ所に及ぶと問題となります」
「怖い話しですね」
「河上さん、この外れた金属を見て下さい、一カ所だけきらきらと光っています。ひょっとするとこの部分が強く当たっていたことも外れた一因かも知れませんね。外れたことによって、噛み合わせのズレがなくなり、心地よくカチカチができるようになったとも考えられます。今回外れたことは、怪我の功名かも知れませんよ」
正雄は話しを聞くうちに、今回外れたことを良かったと思い始めていた。これももりやまの唐揚げの御陰?

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その1はこちら

歯科小説「あなたがいれば」 インレイと唐揚げ そのいち

歯科小説「あなたがいれば」
インレイと唐揚げ そのいち
28歳男性 河上正雄 会社員

「いただきます」
正雄がぽつねんと唐揚げ弁当の蓋を開けた時には、ラジオからのナイトゲーム広島巨人戦が八回を回ろうとしていた。ここ数日、コンビニ弁当続きで少々飽きが来ていた今夜は、唐揚げ専門店に足を運び、ついでに缶ビールを一本つけた。
もりやまの唐揚げはいつ食べても美味しい。しかも揚げたてにビールとなると、この季節、最高である。温かい唐揚げを目の前にすると、匂いだけでも御飯の一杯くらいは食べられる。広島の勝利を願いつつひとり乾杯し揚げたてをほお張った。
食べ始めて何回か噛んだ時に「ギクッ」という感触を歯がとらえた。
(あれっ鶏の骨?)
舌は唐揚げをよけて、何かしら固いものを口の外に押し出した。つまんでみると一部黒光りする金属らしき小片である。しばらく眺めた後、正雄は合点した。
(歯の詰め物だ)
残りの唐揚げを急いで飲み込み、カチカチと噛んでみたが違和感はない。むしろ心地よいカチカチである。まさか、弁当の中にこの金属が?さすがにそんなことはなかろうと舌でおそるおそる歯をなめてみる。
(あっ、凹み、穴があいている)
左上の後ろから二番目の歯の噛み合う部分が凹んでいる。どうやらここに詰めてあった金属がとれたようだ。ビールをひとくち流し込んで口の中を空っぽにしてから、金属をはめてみると、はたしてはまった。治療したのはいつのことだろう?高校進学前に数回通ったあの歯医者さんだ、となると十三年くらい前のことだ。十年以上持ったこの詰め物が良いのか悪いのかと考えつつ、つい今しがたまで左上に入っていた金属が外れた状態でカチカチする方が心なし快適であることに少し驚いていた。いずれにせよ、歯医者に行かねばならないと弁当の残りを食べながら、少々気が重くなった。幸い歯に痛みは無く、残りの唐揚げをそれなりに味わうことはできた。
やはり早めに歯医者に行こう。このままだと美味しいものも不味くなる。

「こんにちは」
受付の女性は微笑んでいた。
「電話予約していた河上ですけど」
「初めての方は、こちらに記入して下さい」
住所氏名電話番号などを記入したあとは問診票のアンケートに進んだ。問診とは字面を見れば、実際に質問されることだと思うけどなあとぶつぶつ言いながらも空欄を埋めた。
待つことしばし、ほぼ予約時間通りに中に通された。なかなか良いんじゃない、この歯医者。予約時間を守ってくれる。
「詰め物がとれたようですね」
歯科衛生士 前川とネームをつけた女性は優しい声と優しい眼をしていた。
「はい、先週金曜日に晩御飯食べていてとれました」
「今日とれたものをお持ちですか」
「はい、持ってきています」
「お預かりしても良いですか」
「これです」
「いつ頃治療されたか、お分かりですか?」
「おそらく、十二、三年前です」
「では、口の中を見せて下さい」
診療台はなかなかのクッションで気持ちが良かった。身の回りのモノは日々進化している、歯科の器具や治療も進化しているといいなあと思いながら倒れる診療台に身を任せた。
「とれた金属の下が少し黒くなっていますね」
「一つ不思議なことがあるんです。とれている今の方がカチカチした時に気持ちがいいと言うか、心地いいんです」
「わかりました、院長に変わります」

続く・・・

もりやまではありません