BBTime 207 マスイハマズイ

BBTime 207 マスイハマズイ
「春の宵歯痛の歯ぐき押してみる」徳川夢声

昔、テレビCMで歯周病をトマトで表現している画像がありました。ご存じとは思いますが、歯の痛みには大きく二つ。ひとつはムシ歯、もうひとつは歯周病です。掲句はおそらく歯周病の痛みでしょう。この句はそれはそれは大変な時に詠まれたようで「時は昭和20年(1945年)3月13日、あの東京下町を焼き尽くした東京大空襲の3日後のこと」と解説にあります。

歯科ではよく麻酔を使います。先日(2/20)「虫歯治療の女児死亡 死因は“麻酔薬中毒”」の記事を読みました。詳しくは記事を、またBBTime200「桎梏」でも触れてます。歯科でよく使う麻酔薬はリドカインです。結論から言いますと歯科治療において「安易に麻酔を使うべきではない」と思います。治療中の痛みを我慢しなさいと言っているのではありません。痛みとは色々なサイン・アラームです、多くの貴重な情報です。患者さんによっては治療前から「(治療内容にかかわらず)痛みに弱いので麻酔してください」と希望される方もいらっしゃいます。如何なものかと思います・・。

ほとんどの歯科治療は不愉快なものです。先日は年配の女性が「歯医者を好きな子供はいない」とおっしゃいました(反論したくなりましたが)。歯科治療=痛い→麻酔を希望する or 麻酔する:わからないでもありませんがね。

歯科の麻酔注射の液は「マズイ」味です。なんとも言えない苦味のある不味いものです。同じく過度な歯科麻酔もマズイと思います。「そう言われてもねぇ」と思われた方「それを言っちゃあおしめいよ」と言われそうですが・・良い方法があります!
「予防に勝る治療なし!」です。あはっ、やっぱりご存じでしたか!9930
今回の一言「歯科治療は不快、歯科麻酔はマズイ」
今回の一曲「guilty」

完熟トマトは美味しいし荒田の「トマトの実」はオススメパスタ屋です。

BBTime 206 これでいいのだ!

BBTime 206 これでいいのだ!
「時刻表レレレレレレレ春嵐」渡辺テル

「レレレ」と聞くとやはりレレレのおじさんです!「お出かけですかぁレレレのレー」。句の「レレレ」は何?と思いきや解説によると「通過駅」の「レ」でした。

インスタグラムで「これでいいのだ!」腕時計を見つけました。一本針(one hand)腕時計で、24時間(一日)で文字盤を一回りするタイプと12時間(半日)で一回りする2タイプあり。他にもネットで見ると「時」は数字で分針のみの時計もありますが、この「slow」という腕時計は「時針」のみで分秒は全くなし。画像見ながらこれでもいいのだ!と共感しきり。

紹介動画には次のような言葉が出てきます。
Can a watch change your life?  24hours  One hand   It reminds you to stop chasing minutes and live for the moment. Be slow. 意訳すると「狭い日本そんなに急いでどこに行く。短い人生、時刻に追われるのではなくマイペース」でしょうか。

NHKラジオ第二の聞き逃しで「時間栄養学が開く健康の扉」を聴いています。体内時計・脳内時計のみならず個々の細胞にも細胞内時計があるそうで、言わば生き物の体は機械式時計のように、心臓部(脳・親時計)がきちんと動くとともに連動する個々の小さな歯車(抹消・子時計)もしっかり回らないと不具合が起こるそうです。具体的には不眠、肥満、病気等々。3/13まで聴けます、是非。

ただしマイペースは良くないとのこと、理由は明解!「地球の自転で一日は24時間となっているけど、体内時計の一日は24時間15分から24時間30分」この体内時計(脳内時計)のズレ(15-30分)を補正するために小さな歯車である細胞内時計を刺激する(例:朝ごはんを食べる)必要があるとのことでした。

「ヒトは体内で起きていることを行為として行う」が持論です。この論によれば腕時計は正確無比の電波時計よりも少し遅れる自動巻や機械式時計の方が良さそう(ヒトらしい・人に合ってそう)ですかね。9400
今回の一言「日に一回は時計を合わせましょう」
今回の一曲「time」



おまけ:BBTime 033 それでいいのだ!

BBTime205 三寒四温一姫二太郎

BBTime205 三寒四温一姫二太郎
「春がくる少し大きい靴はいて」浮 千草

今朝(2/14)ラジオで「三寒四温」について話していました。本来、真冬に中国東北部において「三日間寒いと四日目には寒さが緩むこと」を意味するそうです。日本では今の季節に「三日間寒くて四日間温かい」の意味で次第に春が近づいてくる言葉として使われていますが・・。

先日雛祭りについての「エッ!」を見つけました。ナント「お内裏様」「お雛様」はそれぞれ男女一人ずつ、二人ひと組の意味で正確には「お内裏様とお雛様=二人+二人=四人」です。「お内裏様とお雛様=殿様一人+姫様一人=二人」の誤用はサトウハチロー作詞「うれしいひなまつり」で広まったようで、サトウハチロー自身この誤りを恥じ、後々まで気にしていたというとのことでした(ウイキペディアより)。

蛇足ですがよく耳にする誤用が「一姫二太郎」。正しい意味は「初めが女の子で二番目が男の子」(男児数は何人でも可)であり「長女に続き男の子二人」(合計三人)ではありません。

さて、歯科臨床で誤用ではありませんが、誤って理解されていることのひとつに「始めは違和感あったけど良くなりました」があります。被せ物(金属冠や白い冠)や詰め物の治療後数日経っての一言で、これは誤った理解です。冒頭の句のように「革靴・布靴」なら靴が足の形に合って(変形して)「良くなる(痛くない・歩きやすい・慣れる)」ことはあっても、歯科治療での金属冠や詰めた材料が変形してその人(患者)の噛み合わせに合うことはありません、入れ歯も同様です。

違和感あったけど良くなったと感じるのは「良くなった」のではなく、合っていない人工物(被せ物・詰め物)にその人が噛み方を合わせたにすぎません。合わない被せ物によって噛み合わせがズレてしまったのです。このズレを放置することは非常に怖いことで調整が必要です。被せ物をした数日後にきちんと噛み合わせをチェックしてくれる診療所は良心的です。6790



「三寒四温」はBBTime102 でも同タイトルでアップしていました。こちらもどうぞ。

 

BBTime204 ほぼにち

BBTime204 ほぼにち
「或日あり或日ありつつ春を待つ」後藤夜半

糸井重里さんのサイト「ほぼ日」をほぼ毎日読んでいます。手帳もここ十年近く「ほぼ日手帳」。さて先日ほぼ日看板「今日のダーリン」(糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの)が歯の話でした。仕事柄有り難く存じます!少々読みにくとは思いますが、スクリーンショットをお読みください(2/3と2/7)。画像はタップで拡大されます。ポップコーンはこちら



「人間がエネルギーを取り入れる口は、口です。そこでは、歯がほとんどの大きな仕事をやっています。毎日、歯がやっている仕事をもしデータ化したら、たいへんな質を量になっていると思います。この部分が壊れかけていたり、壊れていたら、エネルギーをちゃんと摂れなくなりますし、食べることにまつわる歓びも、感じられなくなります。で、予防と治療で手入れをすれば、入口が機能します。「歯の治療で、外車が一台買えるくらい費用がかかる」などと冗談のように言っている人もいますが、立派なクルマ以上に仕事をしてくれている歯が、しっかり治療できるのなら、ある意味安いくらいです。そして、口や歯は外からも見えている場所ですから、ここをちゃんとすると、次の段階では、見えてない内蔵のことなどの健康状態にも、意識ができるようになるんですよね。歯をちゃんと気にかけるようになることが、すべての身体を整えるための最初の一歩だと思うのです」(一部書き取り)御意御意ギョーイ!
おやつ食堂・入れ歯食堂について糸井さんに話してみようと思います。6070

今回の一言「口は最初の一歩」
今回の一曲「day after day」

BBTime203 栗なき栗饅頭

BBTime203 栗なき栗饅頭
「如月や日本の菓子の美しき」永井龍男

先日来、和菓子の話をラジオで聴いています。愛し(いとし)恋し和菓子!五話にわたりますが、非常に面白く興味深い内容です。タイトルの「栗なき栗饅頭」も然り。話者は全国和菓子協会専務理事:薮光生(やぶみつお)氏。時にクレームが来るそうです。「栗饅頭なのに栗が入っていない!」に対して「たぬき蕎麦にタヌキは入ってません、きつね饂飩にキツネは入ってません」と対応されるとのこと、御意!

「栗より美味い栗饅頭」が始まりのようです。本来は画像のように黄身を塗って焼き色が付いた状態、形が栗に似ているから栗饅頭。いつしか「栗饅頭」なら栗を入れましょうとなり、今では「栗無し栗饅頭」と「栗入り栗饅頭」があるとのことでした。また「栗より美味い」に関連してサツマイモの話も出てきます。

栗(九里)には及ばないので八里五分(はちりごぶ)、栗より(九里四里)美味いで十三里(9+4=13)、当時芋で有名な川越が江戸から十三里あったからとか。NHKラジオ第二放送「私の日本語辞典」の「和菓子文化が生んだ言葉」で聴けます。第五話で「和菓子で健康」とあります。もちろん豆、和三盆などのしっかりした農産物を使用しているなども理由のひとつですが、やはり「Sweet Smile」。炬燵蜜柑同様、お茶と和菓子に勝る団欒はないでしょう。豆や砂糖の栄養素や成分よりも、和菓子を食べての心の栄養が健康を維持する。体の栄養より心の栄養。和菓子を食べての安堵幸福、これが健康につながる。大賛成!

ちなみに「ムシ歯は虫無し」です。菌はいますが虫はいません。昔(江戸時代)は病の原因は「虫」と考えられていたようです。蝕まれた(ムシバマレタ)歯でムシ歯です(こちらにも書いています)。鹿児島の今朝(2/6)は雪でした。和菓子をいつまでも味わうために御歯愛(御自愛)のほどを。3400
「うすらひをゆつくり跨ぎ和菓子店」丹沢亜郎




おまけ:きつねに「油揚げ」、たぬきには「揚げ玉」がのっているのが一般的のようです。地域差あり、詳しくはこちら

BBTime202 itaPhone

BBTime202 itaPhone
「糸電話ほどの小さな春を待つ」佐藤鬼房

「究極スマホ」のCMを見つけました。「断捨離」を耳にするようになって久しくなりますが、シンプルなものほど耐久性もあり費用もかかりません。これ以上削ぎ落とすことのできないところまで削ぎ落としたスマホです、感服いたしました。auスゴイ!

アプリ「らじるらじる」で第二放送をよく聴きます。聞き逃し番組で「人間を考える より良く生きる」第1回花園大学教授 仏教学者 佐々木閑(ささきしずか)氏の講演を繰り返し聴いています(2/5午後三時まで可能)。「人間を考える~より良く生きる」第1回は花園大学教授、仏教学者の佐々木閑さんです。佐々木さんは仏教学や仏教史について長年研究してきました。釈迦は誰しも人世において逃れられないこととして「老、病、死」であると説いています。すなわち、歳を取ること、病気になること、死ぬことです。今回は佐々木さんに釈迦の生き方、教えから私たちが「より良く生きる」とはどういう事なのかをお話し頂きます。」番組ホームページより。聴いていると「断捨離」の究極のような内容です。これまたスゴイ!

折々のことばに次の文章を見つけました。
622「破れてなかみのなくなった畳が畳であり、菜のない食事が食事であり、玩具のない遊戯が遊戯である。野間宏」それでも子どもたちは「笑いをはじかせている」と作家は言う。なのに大勢が一所に集まるとなぜ「暗い顔」になるのかとも。弁当を持って来られない子どもが同じ教室で絵本を見るふりをしている様子がとにかく切ない。閉山に沈む筑豊の炭鉱町で極貧の生活を送る子らを撮った土門拳の写真集「筑豊のこどもたち」に寄せた文章から。(鷲田清一) 2016.12.30

究極スマホは最後に御紹介します。
「食べた後に歯をキレイにすればムシ歯にならない」「食後に皿をきれいに洗う」全くもってシンプルなことなんですが・・・なかなか実行できない。言うは易く行うは難しなんでしょう。言うは易く行うも易しにするのがプロ(歯科医師)の仕事だと思うのですが・・これまた言易行難。「鬼は外福は内、ムシ歯ソト福ハ口(クチ)!」

さて板フォン、商品説明も秀逸です。
Most Simple.:世界初、すべての機能を削ぎ落とした最新のスマートフォン誕生
Imagine Free.:タップ、フリック、ピンチアウト、自由自在
Sounds Good.:「トントン」音がいい
Very Tough.:落としても割れない、水に強い、it’s tough.
0Charge 0Basic Charge 0Communication Charge:基本料ゼロ通信料ゼロ充電不要
Reversible.:さらにリバーシブル
Can Talk.:近くにいる人と話せる、海外でも使える
Can Smile.:まだ誰も感じたことのない体験をその手に、板フォンデビュー
板Phone:timber Phone
Try New Communication.
どうです、あなたも欲しいでしょ!糸電話より板フォン!iPhoneより板フォン!


おまけ:冒頭の句を一年前も使っておりました。「BBTime103 スマホ歯科」1930
もひとつおまけで「Can Smile.」

BBTime201 違和感

BBTime201 違和感
「天地無用のビルにて蟹が茹で上がる」夏石番矢

「天地無用」を初めて見た時の自己解釈は「天地(上下)がどっちでもOK」・・しかし正解は「逆さまにしてはならない」です。以下ウイキペディアより「天地無用とは、本来「逆さまにしてはならない」という意味で用いられる。もともとは運送業者の業界用語で「天地入替無用」「天地顛倒無用」のように、上下を入れ替えることを意味する語が添えられていたはずだが、四字熟語のかたちをとるために「入替」の語を落としてしまったことに由来するものと考えられる」とのこと。納得ですが、今だに「天地無用」を見ると違和感を感じます。それにしても天地無用とはスケールが大きい!杞憂に似たり。

空港カウンターでも違和感を感じます。手荷物を預ける際に「貴重品は入ってませんか?」と聞かれますが、不思議でなりません。旅行鞄に貴重品(大事なもの)以外は入っていません!ゴミや不要なモノを持ち歩くわけないでしょ、しかも預けるわけないでしょ。一度答えたことがあります「はい、入っています。全部貴重品です」・・怪訝な顔されました。あの場で聞くのは「私(空港職員)は貴重品についてあなた(客)に確認しました、問題が起きても責任持ちません」の言い訳だと思います。その証拠に海外のカウンターでは何も聞かれません。

「赤信号 みんなで渡れば怖くない」のフレーズが昔々はやったことがあります。バイクに乗っていた頃スタンドで「水抜きを入れたほうがいいですよ、みんな入れています」の「みんな」にカチンときて二度とそのスタンド(戸畑バイパス)にはいきませんでした。グループでランチの時にリーダー格の人が「みんなカレーでよかが」といった時にひとり「カツ丼にします」と素直に希望を言います。

人は錯覚する生き物です。自分事なのに他人事のように錯覚します。錯覚なのにそれが手枷足枷(桎梏)となって(俯瞰的に見ると)変な行動を違和感なくとることがあります。自分事を他人事と錯覚せずにじっくり自分事として考える・・必要があるように思いますがね。私はこう思う、こう考えるが第一歩でしょ。毎日新聞に面白い記事(1/28)を見つけました。

松尾貴史のちょっと違和感「電車内の優先座席 恥ずべきシステムでは?」
2018年1月28日 毎日新聞
東京が4年ぶりの大雪で、通常ならば自家用車で新横浜まで行って新幹線に乗るのだけれども、自分の運転技術に鑑みて、電車で品川へ。車内が意外と空いているのは、雪で中止になった「何か」で人が動いていない分と、前日からニュースや情報番組で「明日お出かけの際は時間に余裕を持って」とアナウンスしていたから人の動きが分散したのだろうか。
ガラガラに空いているというわけではないのに、「優先座席」に空席がある。私は優先座席と指定されている椅子でも、そうでない椅子でも空いていれば同じように座るし、短距離ならば座らないことが多い。
そもそも優先座席というものが必要な社会というのは、どうにも納得がいかない。誰かが見張っているわけでも、譲ってもらうべき人物だという明確な線引きがあるわけでもないのに、まるで「制度」であるかのような体裁で設置されていることに違和感を覚える。
こうと書いておかなければ、他の座席でも優先して座ってもらうべき人が座りにくい社会を前提としている時点で、私たちの社会は敗北している。「そういう表示がなければ譲らない人がいる。しかし書いておけば少しは効果がある」というのであれば、全ての座席を「優先座席」にすべきだろう。
大きな商業施設や公的な場所には、その入り口近くに体の不自由な人の乗る車を止めるための、専用スペースが設けてある。それ以外の車は止めてはいけない場所だ。電車の場合は定員以上乗ることが常態化しているので、そこに空席が常にあることは効率が良くないから「優先」と呼んでいるという苦肉の策なのだろう。
そもそもは、どこの座席でも当たり前のように、体が不自由な人や、けが人、お年寄り、妊婦、幼児を抱いている人らが座席を譲ってもらえる社会を作るべきだろう。

立川談志さんが生前、ラジオの公開収録に来られ、本番前に電車の中での出来事を話しておられたのを思い出す。老人が1人、車両に乗り込んできた。座っていた中学生に談志さんが「坊や、譲ってあげたらどうだ」と言ったら、その子は素直に立ち上がり席を譲った。するとその老人は黙って当然のように座った。「ありがとう」の一言もなかったのだという。そこで談志さんは車内中に響き渡るどすの利いた声で「悪かったなあ、坊やっ! おじさんが余計なことを言った、席を譲ってもらってありがとうの一つも言えねえくそじじいに席を譲らせちまった。すまねえ。今度からじじいがいても、金輪際席なんざあ譲るんじゃねえぞ!」と叫んだのだそうだ。さぞや老人は居心地が悪かっただろう。
日本人の多くは、大勢人がいる場所で他人と違う行動をとることに恐怖心のようなものがあるようで、座席を譲るという低レベルの親切ですら、「注目を集めてしまう」から抵抗を感じるのだろう。しかし、席を譲る行為よりも、見て見ぬふりをして座席を占有し続けることの方が桁違いの「恥」であることは明白なのに、なぜ大恥の方を選ぶのかが不可解だ。
そろそろ、電車の中も監視カメラを設置する流れができている。痴漢やスリ、テロの防止などいろいろ目的があるだろうけれど、譲るべき人が目の前にいるのに譲らない人の姿を紹介し続けるくらいのことをしなければ、車内民度は上がらないのだろうか。
もちろん、そんなことを推奨しているわけではない。「優先座席」という恥ずかしいシステムがなくとも、全ての座席についてそうあることができる社会になってほしいというだけなのだ。(放送タレント)

「人がマインドコントロールを受けやすいのは、情報が過剰に与えられている状態か、極度に不足している状態」岡田尊司 情報が過多だと、世界は暗示や徴候(ちょうこう)に満ちあふれ、無秩序なものとなる。人は肝心の情報がどれか見えづらくて不安になる。情報が過少だと、限られた情報をもとに妄想を膨らませてしまう。いずれにせよ精神が大局を見る眼(め)と思考のための空きを失い、誘導への免疫力も失って誤作動しやすくなる。精神科医の『回避性愛着障害』から。(鷲田清一)2018.1.11折々のことばより。1400
今回の一言「自分で考え、答えを出す」
今回の一曲「Love Yourself:自愛」

BBTime200 桎梏:しっこく

BBTime200 桎梏:しっこく
「酒断って知る桎梏のごとき夜長」楠本憲吉

酒好きの小生ですが、幸いにもこのような桎梏までの経験はありません。今回は桎梏について一言。先日、歯科診療所で治療後女児が亡くなった報道に接しました。歯科医療従事者として色々と考えました。心よりご冥福をお祈りいたします。

ネット記事によると、レストレーナーを使いラバーダムをつけて治療したとのこと。様々な書き込みがありますが、ショックを起こした原因のひとつは「恐怖」であったと思います。推測ですが、開口器も装着されていたのでは。文字通り開口器をつけると口を閉じることはできません。レストレーナーで手足を拘束され、思うように声を発することもできない、ラバーダムでひょっとすると視界が遮られていたかも。想像してみてください。冷静に物事を判断できる大人であっても手枷足枷(桎梏)、猿轡(さるぐつわ)、目隠しされたら嫌でしょ、怖いでしょう。目的や内容は違うにせよ、二歳女児です。さぞ怖かったことと思います。

前回「他人事」にも書きましたが、平成の日本において映画のワンシーンのようなことが日常に起きることがあります。他人のプライバシーなど微塵もないような週刊誌の報道や、客観的に見れば「それって虐待でしょ」と言いたくなるような出来事。今は知りませんが、小生が小学生の頃は「牛乳が飲めない児童に無理に飲ませる虐待」が給食時日常茶飯事でした。牛乳の強制、抑え付けての治療など一歩下がって冷静にイメージしてみてください。本当に、何のために、それをする必要があるの?小児歯科の看板を出すなら「子供が泣かない」環境やシステムを構築すべきなのでは?飲めない牛乳なら、その子の飲める飲料に変えたら?週刊誌の取材だから、治療だから、牛乳だから・・勝手な大義名分を身勝手に作っての犯罪であり虐待ではないのですか。「その子のために」だと思うのなら、飲みたくない牛乳を飲ませない、泣く子を治療しない、(相手が有名人であろうとなかろうと)人の嫌がることをしない、でしょ。

牛乳無理強いは担当教師が牛乳完食(飲)を達成せんがためであり、無理な治療は従事者の自己満足のためと思われても仕方ないと思います。子供本人が望まないことをなぜ周りの大人はしたがるのか、不思議です。乳歯一本の治療とこれからのその子の人生とどちらが重いのでしょうか?明らかにこれからの80年90年の人生でしょう。子供が嫌がることはやめましょう。嫌がってもしなければならないことであれば、どうすれば嫌がらずにしてくれるか、させてくれるかを考えるのが周りの大人のやるべきことだと思います。特にプロの仕事はこうあるべき!と小生は思いますがね。6900
今回の一言:「ノーと言いましょう」
今回の音楽:「say no!」

ひとごとからじぶんごとへのようなCMを見つけました。

BBTime199 他人事:ひとごと

BBTime199 他人事:ひとごと
「他人事のやうに首振る扇風機」大和田アルミ

掲句は「夏炉冬扇」と言われそうですが、平成の世はさにあらず。サーキュレーターなるものと解せば合点がゆきます。今回、近頃、ここ数年「ひとごとだろ!」と言いたくなるような週刊誌の記事が登場人物を面前で謝罪させます。「あんた(週刊誌)何様?」「世間の警官?裁判官?」「マスコミのプライドは?」・・週刊誌が売れれば何やったって許されるのでしょうか?

いつからか「ひとごと」の漢字表記に「他人事」を見なくなったなあと思い、ネットで確認しました。小生の誤りでした!「ひとごと=自分には関係のない、他人の事。よそさまの事」の正しい表記は「人事」であり「他人事」は誤りのようです。ネット記事に「《もともと「他人(たにん)のこと」を意味する語・ことばには「ひとごと」という言い方しかなく、この語に戦前の辞書は「人事」という漢字を主にあてていた。ところが「人事」は「じんじ」と区別できないので「他人事」という書き方が支持されるようになり、これを誤って読んだものが「たにんごと」である。》」とありました。出典はこちら、是非お読みください。

もうひとつ見なくなったと気づいたのがこの「FOCUS」。廃刊になっていました、しかも2001年に。現時点では講談社の「FRIDAY」と光文社の「FLASH」の2誌のみが発行されているようです。不思議なことは、ひと(他人)のアラ探しをすること、付け回したり、写真に撮ったり、録音したり・・・これって違法で犯罪でしょう!週刊誌だから許されるわけはないと思いますが。ストーカー行為であり、盗撮、無断録音、名誉毀損、人権蹂躙、etc。他人を傷つける行為でお金をもらう、傷害罪なのに給料をもらう、どう考えてもおかしいと思いますがね。変な正義感を持ってのことなら、その正義感は低レベルのものです。

「人の不幸は蜜の味」という言葉を時に耳にしますが、いい気はしません。万葉の時代から「人を好きになる、恋する、愛する」は感動の原点の一つであり、歌を読ませ、文学を生み出したと思います。

小生が幼稚園生や小学校低学年の頃(誰しも同じような思い出があると思いますが)クラスメート間で「誰が好き?」という質問を受けたり、耳にしたり。ある時、考えました。ひとごとなのになぜ興味を持つのだろうか?その時の小生の答えは「神秘的だから」「好きになることは理由のない、説明できない感情だから」でした。チンパンジーやオランウータンが似たような感情を持つか否かは知りません。「好き・恋・愛」は人の人たるゆえんだと思います。

「自愛:じあい」好きな言葉の一つです。「好きになる・愛する」=人の神秘的な部分に対してもっと敬意を表すべきだと思います。愛することへの敬意、愛する人(相手)への敬意、愛する本人(自分自身)への敬意。ご自愛ください。ご自分の口や歯をご自愛ください。ひとごとより、ひとりごと(自愛)を。6870
今回の一言:「ひとごとより、ひとりごと」
今回の音楽:「love」

BBTime198 錯覚

BBTime198 錯覚
「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」田 捨女

先日の今年初冠雪の桜島です。この句はおおよそ380年前1639年頃に詠まれたそうで、驚くことに作者(田ステ)六歳。彼女は芭蕉より11歳年上で交流があったそうです。今時(平成30年)雪の朝に下駄で歩く人はいませんが、彼女の見たであろう光景は容易にイメージできます。また俳句には「五七五」のリズムがあります。この句はさらに「の」が5回も繰り返し使われており、一度聞いたら忘れないテンポを醸し出しています。五文字の「の」、三分の一が「の」です。句をジッと見ていて与謝蕪村の「菜の花や月は東へ日は西へ」(1774年旧暦2/15)を連想しました。これは漢字と平仮名が交互に使われています。「雪の朝二の字二の字の足の跡」としなかったところが捨女の非凡さでしょうね。連想というより錯覚についての一言。追加:ネットで調べてみると「下駄の跡」の表記も見られます。いずれにせよ、当時六歳の女性が詠んだ俳句がきちんと残ったということが驚きであり、「名句」であることの証明でしょうね。

年末からNHKラジオ聞き逃し番組「人間を考える より良く生きる」第1回花園大学教授仏教学者:佐々木閑氏の話を繰り返し聴いています。そこに出てくる言葉が「六根」と「錯覚」です。六根とは「根(視覚):目」「根(聴覚):耳」「根(嗅覚):鼻」「舌根味覚):舌」「根(触覚):皮膚」「意根(意識):脳」です。人はこの六根を使って生きているが、錯覚する生き物であるとのこと。

二つの赤丸はどう見ても左が大きく見えますが、物差しで測ってみると同じなんです。講演では錯覚を錯覚と知った上で生きるのか、錯覚を事実のように受け止めて生きるのでは大きく違ってくると言うわけです。話の中では視覚のみならず他の五根も同じく錯覚を起こすとのこと。以前話題になった「プリン+醤油=雲丹」は味覚の錯覚。いろはすの味付き砂糖入り水は嗅覚・味覚の錯覚等々。

丸の絵は物差しで測ることで錯覚と知ることができます。問題なのは個人個人で錯覚と確認できない錯覚とのこと。先日も「缶コーヒームシ歯」の人(20代男性)を発見!ムシ歯のでき方が尋常ではないので「缶コーヒー飲んでますか?」とお聞きしたところ「はい、仕事中に飲んでます」。これも錯覚!前々回「病気」も錯覚。御本人は体に良かれ、心に良かれと錯覚して缶コーヒー飲んだり、ゲームをしたり。講演では本人が確認できない錯覚を解くのは難しいと話が続きます。宗教とは人々の苦しみを少しでも軽減し、より良い生き方に導くのが宗教とのこと。

小生は毎朝、保温機能なしのマイボトルにお茶か紅茶持参です。缶コーヒームシ歯の方には次のようにアドバイスしました。「缶コーヒーをキッパリやめるか」「缶コーヒー飲んだ後に歯磨きは無理でしょうから、せめて水やお茶でうがいだけでも」「ブラック、無糖、甘さ控えめなどの表示はイコール砂糖ゼロとは言えないものもあるので要注意」「表示も炭水化物と記載してある」等々。

「二の字二の字」から「下駄のあと」を連想可能ですが、大人の方でも実際の光景(下駄のあと)を見た人はどれくらいいらっしゃるでしょうか?連想と錯覚は紙一重だと思います。仏教において五感(五根)に六根目(心・脳)を加えているのは大正解です。余談ですが、「どっこいしょ」の語源が六根清浄だとも言われています。3430
今回の一言「錯覚は錯覚と知るべし」
今回の一曲「イメージ」

下駄とくれば、やはりこの歌でしょう。

ムッシュかまやつ氏は昨年鬼籍に入られました(2017.3.1享年78歳)。なんと次の歌もこの人でした。はじめ人間ギャートルズのエンディング曲。


ラストは「足の跡」です。
ムッシュかまやつ氏の言葉を見つけました。折々のことば 2017/10/22朝日新聞朝刊
910「自分のデッドラインさえ超えていれば、デカイ顔をしていられるのだ。ムッシュかまやつ」「プライドを捨てず、自然体でいられるギリギリのラインを設定して、それより下にはいかない」と決めてしまえば、気後れすることなく生きてゆけると、元ザ・スパイダースの歌手は言う。しかもその線はできるだけ低めにと。世間に合わせず自分の波長はこれだと決めると、自分の感性を傷めずに「とぼけた顔して」生きてゆける。音楽と交遊をめぐる自伝『ムッシュ!』から。(鷲田清一)折々のことば