BBTime 638 Music for 介護

「あたたかき十一月もすみにけり」中村草田男

2023/11/23投稿 11/29報告追加
 昨今の気温について、掲句の解説のようには受け止められない「今年」です。解説は『旧版の角川書店編『俳句歳時記』には、この句と並んで細見綾子の「峠見ゆ十一月のむなしさに」が載っている。長年親しんできた歳時記だから、毎年この時期になると、二つの句をセットで思いだすことになる。並んでいるのは偶然だが、いずれもが、十一月という中途半端で地味な月に見事な輪郭を与えていて、忘れられないのだ。忙中閑あり。……ならぬ、年の瀬をひかえて「忙前閑あり」といえば当たり前だが、両句ともそんな当たり前をすらりと表現していて、しかもよい味を出している。ただ草田男句の場合は、どちらかといえば玄人受けのする作品かもしれない。(清水哲男)』(引用元)。今回は介護と音楽について。

 歯科訪問診療で介護の現場に出向きます。訪問先で感ずること二点、明るさ(照明)と音。居宅(ご自宅)であっても施設であっても様々です。今回新たな試みを始めました。今までも可能な限り、ご家族や職員の方に一言断って、カーテンや窓を開けて外光を入れたり換気したりしていました。また、その場の「音」・・テレビ、ラジオ、BGMなどの音があることもあれば無音のこともあります。大雑把に言えば、戸やカーテンが閉まって(明るくなく)音がない部屋は、空気は重く暗く感じます。

介護を受けられるご本人が耳が遠い故の無音なのかも知れません。明るい空間(現場)もあります。明るい部屋にベッドがあり介護される方も明るい。あるお宅はご主人が奥様を介護されています、奥様は元バスガイドさん。いつも音楽が演歌、歌謡曲とエンドレスで流れてきます。小生がイントロ当てクイズよろしく「これは前川清」と言って間違っていると、奥様は寝たまま大笑い。ご主人と奥様のやりとりはまさに夫婦(めおと)漫才。かたや暗い空間もあります。光は届いていても「無音」、九十代半ばのお母さんを六十代半ばの息子さんがお世話していらっしゃる。介護鬱(うつ)を疑いたくなるくらい気落ちされていることも。帰りしな思いました「音楽をかけよう!」

簡単です、手元にスマホがあります。早速BGM作戦開始!はたと考えました「何をかけよう?」その時に浮かんだ曲がチャップリンの「Smile:スマイル」。早速spotifyで検索すると、様々な歌手がこの曲をカバーしているチャンネルがありました。狙いは「ご本人」「介護する人」「我々(歯科訪問診療)」へのBGMです、スマイルです。

効果の検証はこれからです。先日百歳過ぎ女性の口腔ケアでした。会話は成立しませんが、言う事は理解してくださいます。ケア終了後「今日はこれで終わりです、また来ますね」と大きめの声で言うと、感謝と喜びの気持ちが充分に伝わる目だけの笑顔で見送ってくださいました。「目は口ほどにものをいう」と言いますが、これほどまでに伝わるとはと驚くほどの「目だけ笑顔」でした。Music for 介護、試行錯誤していきます。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

報告11/29 報告します。
1)ご家族、施設の方に「音楽をかけながらさせて頂きます」と言うと、皆さん「それは、良いですね」との反応でした。
2)コミニュケーションの取れない方には、こちらが勝手に選びます。取れる方には「どんな歌がお好きですか?」と聞きます。ある方は「演歌がいいです」・・早速流したところ、口腔ケアの合間合間に口ずさんでおられました、その曲は石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」。
3)コミニュケーションの取れない女性。スタッフが「この方は天文館(繁華街)でお店をされていたそうです」・・この方にも演歌を流しました。おそらく耳に届いていたことでしょう。情報に病歴はありますが、音楽歴も加えて頂くと助かると思いました。
4)演歌、文部省唱歌、洋楽でおおかたカバーできるでしょう。
5)音楽はエンターテイメントに分類されることもあります。介護の現場に更にエンターテインメントを取り入れることを進めていきます。続き、また報告します。11/29

https://youtu.be/xuMKgVJQZkQ?si=7WI7tvrOwlGH87bs

BBTime 637 Tea for Teeth

「雪降ってコーヒー組と紅茶組」中原幸子

2023/11/18投稿
 鹿児島は突然冬になりました(寒)。福岡市では平年より1ヶ月も早く初雪の便りとか(記事はこちら)。まずは句の解説から『寒いと思ったら、この街ではめったにお目にかかれない雪が舞いはじめた。外の情景をさっと描写したところで視点は喫茶店の内側へと切り替る。どっと入ってきてようやく席に落ち着いた一行。注文をとりに来たウェイトレスを前に幹事役の人が「コーヒーの人」「紅茶の人」と賑やかに声をかけ、手を挙げてもらっている。たくさん人が集まればよく見かける光景であるが、いい大人が「はい、はい」と、素直に手を挙げる様子もどこか子供じみて可愛げがある。幹事のとっさの問いかけであったが、この時は他の注文もなく、きれいにコーヒー組と紅茶組に分かれたのだろう。そんな偶然をきっかけにちょっと堅かった座の雰囲気も自然にほぐれる。(中略)暖かな飲物もゆきわたり、ほっと落ち着いた気分で窓に眼をやれば雪はちらちらと降り続いている。白く細やかな雪が楽しげな室内の空気をいっそう引き立てるようである。幸子の句には都会で暮らす日常のなにげない出来事が季節を感受する喜びとともに生き生きと書きとめられている。それは今の暮しの原風景であるように思える。『以上、西陣から』(2006)所収』(引用元)。今回は「歯のためのお茶」について。

先日のこと。おやつ堂に来られたお客さんとの会話「始めは歯磨き粉付けずに唾液磨きしてます」いいですね!「最後にペーストを歯に塗るようして、うがいは無し」そうです!「手にハンドクリーム塗って、すぐさま洗う人はいませんもんね」はい、その通りです。「唾液磨きの時のつばは飲み込んでもいいんですよね?」はい、問題ないです。

この会話の後、ひとつのアイデアが浮かびました。お気に入りのハーブティを用意してください。唾液磨きの途中途中で、ハーブティでブクブクうがいゴックン。もちろん、お茶でも白湯(さゆ)でもOKです。唾液磨きとティーを用意することで、リビングでもテレビや動画見ながらでも歯磨きできます。これから更に寒くなる夜に、ひんやりした洗面で磨きよりも心地良く丁寧に歯磨きできます。くれぐれも砂糖はゼロにてお願いします。個人的なオススメはミント系なら冒頭画像「ミントマジック」、ほんのり甘いカルディ「シナモンティ」です。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 636 くちびる

「物言へば唇寒し秋の風」松尾芭蕉

2023/11/10投稿 11/11画像追加 11/17リンク追加
 立冬(11/08)が過ぎたと言うのに日中は冬でもなく秋でもなく夏です。四季が二季(夏と冬)になる日も近いのでしょうか?句の解説は『あまりにも有名なので、作者の名前を知らなかったり、あるいは諺だと思っている人も少なくないだろう。有名は無名に通じる。こうした例は、他のジャンルでも枚挙にいとまがない。それはともかく、掲句は教育的道徳的に過ぎて昔から評判は芳しくないようだ。ご丁寧にも座右の銘として、こんな前書までついているからだろう。「人の短をいふ事なかれ 己が長をいふ事なかれ」。虚子も、苦々しげに言っている。「沈黙を守るに若かず、無用の言を吐くと駟(シ)も舌に及ばずで,忽ち不測の害をかもすことになる,注意すべきは言葉であるという道徳の箴言に類した句である。こういう句を作ることが俳句の正道であるという事はいえない」。ま、そういうことになるのだろうが、私はちょっと違う見方をしてきた。発表された当時には、かなり大胆かつ新鮮な表現で読者を驚かせたのではないのかと……。なぜなら、江戸期の人にとって、この「唇」という言葉は、文芸的にも日常的にも一般的ではなかったろうと推察されるからである。言葉自体としては、弘法大師の昔からあるにはあった。が、それは例えば「目」と言わずに「眼球」と言うが如しで、ほとんど医術用語のようにあからさまに「器官」を指す言葉だったと思われる。普通には「口」や「口元」だった。キスでも「口吸ふ」と言い、「唇吸ふ」という表現の一般性は明治大正期以降のものである。そんななかで、芭蕉はあえて「唇」と言ったのだ。むろん口や口元でも意味は通じるけれど、唇という部位を限定した器官名のほうが、露わにひりひりと寒さを感じさせる効果があがると考えたに違いない。「目をこする」と「眼球をこする」では、後者の方がより刺激的で生々しいように、である。したがって、ご丁寧な前書は句の中身の駄目押しとしてつけたのではなくて、あえて器官名を持ち出した生々しさをいくぶんか和らげようとする企みなのではなかったろうか。内容的に押し詰めれば人生訓的かもしれないが、文芸的には大冒険の一句であり、元禄期の読者は人生訓と読むよりも、まずは口元に刺激的な寒さを強く感じて驚愕したに違いない。(清水哲男)』(出典元)。今回は唇について。

冒頭の画像は朝日新聞「折々のことば」です。
「唇のまわりに、文化が横たわっている。」ミッシェル・セール
 食べる、味わう、話す、歌う、泣く、笑う、愛撫する。口は文化を最も基本的なところで担う器官だ。知性の原型もそこから蠢き(うごめき)はじめる。赤子は物の形状を齧って(かじって)確かめるし、考えるとはそもそもが、ものごとを吟味すること、つまり味わい分けることだ。そしてホモ・サピエンス。語源をたどれば「味わう人」を意味する。フランスの哲学者の『五感』(米山親能訳)から。

ヒトにおける歯の発生は胎生六週頃、かなり早い段階で口や歯はでき始めます。その意味は、それだけ重要ということ。口ができなければ、食べることはできません。日々、訪問診療に携わっていると「口」「歯」「唇」の重要性を感じます。最近特に感じることが「ウガイする力」です。ウガイできる方は「咀嚼・嚥下」「モグモグ・ゴックン」がおおかたできます。逆に「ウガイする力」が弱まるとともに、摂食・嚥下にいろいろと問題が生じます。ウガイする力を維持してください。具体的には、日々「ぶくぶくウガイ」の励行、準備運動としてウガイトレーニングをおすすめします。水(白湯でもお茶でもOK)を口に含んで「ぶくぶく」ぺっ(吐き出す)でもいいし、そのまま飲み込む「ぶくぶくゴックン」でも構いません。食前にすれば「準備運動」、食後にすれば「口の洗浄」「歯の素洗い」となります。最後まで口から食べるために、是非「ウガイする力」を保持してください。来週から季節通りの寒さになるようです、皆様ご自愛の程ご歯愛の程。

追加:「口」が出てきます。口は生き物の入り口であり始まりです。
追加2:冒頭の折々のことばは「BBTime 549 唇」でも。

BBTime 635 ミラクルMTG

「空っぽの人生しかし名月です」榎戸満洲子

2023/10/27朝投稿 10/27昼追加
 唐突ですが今宵(10/27)は十五夜ならぬ十三夜です(ちなみに次の満月は10/29)。まずは句の解説『今宵は仲秋の名月。名月の句は数えきれないほどあるけれど、この句はかなり異色だ。作者はべつに名月を待ちかねていたわけではないし、愛でようとしているわけでもないからである。しかも「空っぽの人生」とは言っているが、作者が自分の人生を深く掘り下げて得た結論でもなさそうで、せいぜいがその場の自虐的な感想程度にしか写らない。そう私が受け取るのは、たぶん「しかし」という接続詞が置かれているせいだろう。この「しかし」はほとんど「ともあれ、とまれ」と同義的に使われていて、前段を否定しているのではなく、それを容認する姿勢を残しつつ、後段に想いを移すという具合に機能している。つまり「人生」と「名月」とは無関係と認識しつつ、それこそ「しかし」、作者は無関係であることに感慨を抱いてしまっている。感慨無き感慨と言ってもよさそうな虚無的な匂いのする心の動きだ。こう読めば、作者の人生ばかりではなく誰の人生もまた、日月のめぐりのなかで生起しながら、やがては日月のめぐりに置き去りにされていくという思いにとらわれる。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)』(出典元)。解説を読んでも「人生と名月」の関係は・・?。今回は無関係から生まれるかもしれないミラクルMTG(ミーティング)について。

おやつ堂でお出ししている「ひとみさんのキャロットケーキ」です。ある時、ケーキ受け取り時の雑談で「何かやりましょう、ミラクル起こしましょうよ!」の一言で、ミラクルMTG開催が決まりました。
「お世話になっております、おやつ堂河野です。おやつ堂にて「ミラクルミーティング」を開きます。この会は河野がキャロットケーキをお願いしているひとみさんの一言から動き始めました。おやつ堂を舞台に「何ができるか」「何をやりたいか」「ミラクルを起こしましょう!」が狙いです。出席者の職種年齢などは様々です。勝手気ままにご意見をお聞かせください。なおちょっとした晩御飯「パニスボックス」をご用意いたします。」(お誘いの文章)

画像はパニスの投稿より。2/23天皇誕生日にオープンして早くも八ヶ月経ちました。ムシ歯予防カフェ「おやつ堂」は、カフェなのか予防室なのか、はたまた?八ヶ月経って感じることは「ポテンシャル:可能性」は大であるということです。お客さんとの会話は、予防、治療、介護、グルメ、スイーツ、ワイン等々、多岐にわたります。カフェの持つポテンシャルが大きいことは勿論のこと、カフェを舞台に広がることも大きいと感じます。

太宰府「梅園」の宝満山大徳寺納豆入です。おやつ堂開店準備中から「樫舎:かしや」(奈良)、「フロレスタ」(奈良)、「アルパージュ」(東京)、「パニス」(鹿児島)、「梅園:ばいえん」(太宰府)などの店主の方に会っておやつ堂のことを話しました。「美味しいものが歯を守るのです!」・・風が吹けば桶屋が儲かるのような話です。カフェで美味しいものを提供して、お客さんの口から「美味しい」のひと言が出ます。美味しい理由のひとつは「口と歯が健康だからです」と伝えます。美味しいと感じたことで「歯と口への敬意」をアップして頂き、更なる予防へ繋げてもらえれば、というのが狙いです。このように話すと店主の方々皆さん納得してくださいます。冒頭の画像は朝日新聞「折々のことば」です。「人生は、面白くしたものが勝つ」の考えを持ってミラクルを考えます。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

追加:これも「折々のことば」。最後の方に「菓子は人を救いもする」とあるように、美味しいもの甘いものは人を救い助ける、加えて歯を守ることもできるのです。「BBTime 633 美味しいを守る」「BBTime 429 甘い力」もご参照ください。ではでは、ではまた

BBTime 634 イライラを洗う

「疲労困ぱいのぱいの字を引く秋の暮」小沢昭一

2023/10/18投稿
 駆け足で秋が来ました、駆け足で過ぎ去るのでしょうか。句の解説『共感して大きくうなずくことは、よくある。が、共感するあまりに、力なく「へへへ」と笑ってしまいたくなるのが、この句だ。疲れた身体にムチ打つようにして文章を書いている最中に、何の因果か「ヒロウコンパイ」と書かねばならなくなった。ところが「困ぱい」の「ぱい」の字が思いだせない。大体のかたちはわかるのだが、いい加減に書くわけにもいかず、大きな辞書をやっこらさと持ちだして来て「こんぱい」の項目を「困ぱい」しながら探すのである。「疲労困ぱい」の身には厄介な作業だ。そんな孤独な原稿書きの仕事に、秋の日暮れは格別にうそ寒い……。ちなみに、季語「秋の暮」は秋の日暮れの意味であり「晩秋」のことではないので要注意(と、どんな歳時記を引いても書いてある)。ところで、この句は「紙」に文字を直接書きつける人の感慨だ。と、この句をワープロで写していた先ほど、いまさらのように気がついた。ワープロだと「こんぱい」と打てば「困ぱい」ではなく、すぐにぴしゃりと「困憊」が出てきてしまう。その「困憊」の「憊」をいちいち「ぱい」に直さなければならぬ「わずらわしさよ秋の暮」というのが、今の私のいささかフクザツな心持ちである。この句は、既に井川博年が昨年の11月に取り上げていた。さっき検索装置で調べてみて、やっと思いだしたというお粗末。ま、いいか。最近は「困ぱい」することが多いなア。『変哲』(1992)所収。(清水哲男)』(引用元)。さて疲労困憊でもイライラします、今回はイライラを洗うお話。

イライラの原因はイロイロ。三分待たされてイライラする人もいれば、三十分待ってもイライラしない人もいます。イライラがストレスとなり、ストレスが体の不調を引き起こし、不調が病気のトリガー(引き金)になる・・理解しやすい論理です。実は感じないイライラもあるのです。

「慢性炎症」が感じないイライラです。
「慢性炎症」はサイレントキラーとも呼ばれ、気づかぬうちに炎症が継続し、毛細血管を通してさまざまな病気を引き起こす。(中略)糖尿病、メタボ、アトピー性皮膚炎、認知症、躁うつ病、心臓病、脳卒中、がん…、これらの病気はまったく別の病気に見えますよね?ところが、一見無関係な病気の根本に、慢性炎症という共通項があったんです。例えば、躁うつ病はセロトニンなどの神経伝達物質の不足によると考えられてきましたが、その上流には慢性炎症があることがわかってきました」(引用元)。

「歯周病は歯周病菌による慢性炎症ですが、糖尿病を引き起こすことがわかっています。炎症性サイトカインは血糖値を下げるインスリンの働きを悪化させるため、血糖値が高くなりやすいんです。このように慢性炎症は全身いたるところに広がる可能性があり、さまざまな病気のもとになります」(引用元)。

プラーク(歯の汚れ)と認知症の因果関係も明らかになってきています。その繋がりは1)口腔内プラークが常に多いと歯周病が悪化。2)歯周病菌が血液によって脳内に運ばれます。3)歯周病菌を攻撃するために脳内にアミロイドβが現れ蓄積します。4)アミロイドβプラークがアルツハイマー病発症に繋がります(引用元)。詳しくは「BBTime 615 明日は我が身?」に書いております、ご参照のほど。

画像は先日、国が承認したアルツハイマー型認知症治療薬「レカネマブ」です。「25日、エーザイと米バイオジェンが開発したアルツハイマー病治療薬「レカネマブ」を正式に承認した。進行を遅らせる効果を証明した国内初の薬となる。薬の公定価格である薬価の決定を経て、年内にも医療現場で使えるようになる見込みだ」(引用元)。年間で薬代が約390万円、保険適用で自己負担がおおよそ14万円くらいになるだろうとのことでした。

認知症を予防する・遅らせる、ひとつの技が「歯磨き」。健康寿命を伸ばし、最後の一日まで人生を味わうための「歯磨き」と思えば、煩わしくないのではないでしょうか?心の感じない「イライラ」をアライ流す、ムシ歯予防・歯周病予防のためだけではなく、認知症予防・PPK(ピンピンコロリ)のための歯磨きと捉えるのはいかがでしょう。

以下、施設依頼セミナーのための内容です。
1)ヘッドライトを付け、開けてくれない場合は指サック式バイトブロック(上の画像)を使用する。2)歯磨きペーストは始めから使わない。3)ライトで口腔内を照らし汚れや食物残渣(しょくもつざんさ、食べかす)を見る。4)歯ブラシで落とす。5)歯間ブラシにジェル(歯磨きペースト)を付けて磨く。6)フッ素入りのペーストを少量、歯ブラシにつけて仕上げ磨きと言うより、歯にペーストを塗るつもりで磨く。7)うがいはしない(塗ったペーストの効果がなくなるので)。

これからお風呂が癒しの季節です。ぬるめのお湯にゆったり浸かりながらの「だらだら磨き」が、人生を長く輝くものにすると考えてみては、皆様ご自愛の程ご歯愛の程。



BBTime 633 美味しいを守る

「鯛焼のあんこの足らぬ御所の前」大木あまり

2023/10/14投稿
 鹿児島も、やっと秋らしくなって来ました。句の解説『朝夕はだいぶ冷え込むようになってきた。辛党の私でも、ときどき街でホカホカの鯛焼きを食べたい誘惑にかられるときがある。まして、作者は女性だ。旅先の京都で鯛焼きを求めたまではよかったが、意外に「あんこ」が少なかったので、不満が残った。庶民の食べ物とはいえ、さすがにそこは京都御所前の鯛焼き屋である。上品にかまえているナ、という皮肉だろう。それにしても、御所の前に鯛焼き屋があったかなあ。どなたか、ご存じの方、教えてください。ついでに「あんこ」の量についても。無季。『雲の塔』所収。(清水哲男)』(引用元)。久しく鯛焼き食べてませんが、あんこ好きです。前回の「食べるを治す」に続いて、今回は「美味しいを守る」

食べるを治す」に・・歯科医となって四十年近くなろうとしています。恥ずかしながら今頃になって歯科医の仕事は「食べるを治す」ことであると気が付きました(猛省)。ムシ歯の治療も歯周病の治療も入れ歯を作るのも全て「食べる」ためです。木を見て森を見ずでした・・と書きました。このことはムシ歯予防・歯科予防についても同様。ムシ歯にならないように「歯を守る」のではなくて、その方が常にずっと味わえるように「美味しいを守る」ことが歯科医の使命だったのです。「美味しい」を守る・維持するためにムシ歯予防する、歯周病予防するのです。
次の画像は先日(10/12)の朝日新聞コラム「折々のことば」です。

むしろ菓子は悲しみに寄り添うものである。 平野紗季子 
オンラインで菓子の店を開いたら、多くの人から気軽に「幸せ」と言ってもらえて驚いたと、フードエッセイストは言う。文章を書いてもこんなことはなかなかない。ある日、明日入社式があるという女性客は、不安でいっぱいの独りの夜にスイーツで自分をなだめようとしたらしい。それで菓子は人を救いもすると知ったと。随想「お菓子屋の日々」(「新潮」9月号)から。・・10/12朝日新聞折々のことばより

文章読んで溜飲を下げました。
インスタに「おやつ堂新企画について。休みの火水木はおおかた訪問診療に携わっております。その時ふと浮かんだアイディア、おやつの宅配!月に一度、オススメの和菓子もしくはスイーツをお届けし歯磨きがおまけで付きます。お菓子の持つ「甘い力」によって、御本人のみならず介護をする方のストレスも軽減できること請け合い。「おやつの宅配」・・早速来月からスタートします」と投稿しております。美味しいを守るから一歩進んで「美味しいを届ける」。

「食べるを治す」「美味しいを守る」さらに「美味しいを届ける」に精進します。最後に宣伝・・おやつ堂では各地の「美味しい」が味わえます。金土日月の開店で、詳しい営業時間などは「おやつ堂インスタグラム」をご参考になさってください。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 632 食べるを治す

「笑ひ茸食べて笑つてみたきかな」鈴木真砂女

2023/10/04投稿
暑い暑いと汗かいている間に九月から十月神無月へ。句の解説『軽い好奇心からの句ではあるまい。八十歳を過ぎ、心から笑うことのなくなった生活のなかで、毒茸の助けを借りてでも大いに笑ってみたいという、一見するとしごく素直な心境句である。が、しかし同時にどこか捨て鉢なところもねっとりと感じられ、老いとはかくのごとくに直球と見紛うフォークボールを投げてみせるもののようだ。よく笑う若い女性にかぎらず、笑いは若さの象徴的な心理的かつ身体的な現象だろう。どうやら社会的な未成熟度にも関係があり、身体的なそれと直結しているらしい。したがって、心理的なこそばゆさがすぐにも身体的な反応につながり、暴発してしまうのだ。私はそれこそ若き日に、ベルグソンの「笑いについて」という文章を読んだことがあるが、笑い上戸の自分についての謎を解明したかったからである。何が書かれていたのか、いまは一行も覚えていない。といって、もはや二度と読んでみる気にはならないだろう。いつの間にやら、簡単には笑えなくなってしまったので……。(清水哲男)』(解説より)。先日、地元民放テレビ中継時、小生の決めゼリフ(笑)・・「食べるを治療し、美味しいを守る」より「食べるを治す」について。

訪問診療に携わっていると、診療室内チェアサイドとは異なるシーンに出会います。端的に言うと「チェアサイドの常識が当てはまらない」。順不同でいくつかあげてみます。
1)補綴物はコントロール可能な人のための形態である。補綴物(ホテツブツ)とは、歯にかぶせる冠(クラウンなど)、歯がない箇所を前後の歯で補う(おぎなう)ブリッジ、義歯(入れ歯)等のことです(こちら参照)。
2)例えばブリッジの歯がない部分の橋渡しをポンティックと言います。歯がない部分ですので、歯茎の上に乗っかるような形態をしています。通常チェアサイドでは審美性(見た目)を考慮して歯茎との隙間を減らし見た目を自然な形にします。

しかしこの形では図のように汚れ(プラーク)が溜まりやすいので歯磨きが必要となります。訪問先患者さんの状態は様々で、ご自分で歯磨きができない方もいらっしゃいます。当然、ブリッジ部分には汚れが溜まります。このような場合審美性にはかけますが次の図のような形もあり、この方が食べ物や汚れはたまりにくいし清掃も楽です。多くの補綴物はご自分で歯科医院に足を運び、口を開け治療を受けられた時にセットされており、ご自分で口腔清掃ができていた時の形なのです。

3)入れ歯に関しても同じです。特に部分入れ歯には「クラスプ」と呼ばれる多くは金属製のバネがあり、このバネで歯をつかみます。義歯の着脱(つけたり外したり)はご自身にして頂きますが、施設利用者の方の中にはできない方もいらっしゃいます。この場合、施設スタッフの方がつけ外しをせざるを得ません。おおかた、クラスプは他人が付け外しするデザインではなく、他人の口の中の義歯の見えにくいクラスプに爪をかけて外すのは至難の技です。

4)歯が無い方が食べやすい。訪問先で多々あることです。前歯部分に本数の多いブリッジ(6本分8本分など)がセットしてあるけど歯周病でブリッジ全体がグラグラしている。噛まなければ痛みはないが、食事に時間がかかるし噛むと痛い。ミキサー食であってもグラグラブリッジが邪魔して食事時間が長くかかる。この場合、迷わずブリッジを除去します。歯を除去、抜歯、つまり歯が無い方が食べやすくなるケースもあるのです。

5)モグモグゴックンはひと続きではない。ある時「ゴックンしないので診てほしい」と依頼。その方は上下歯はなく入れ歯(総義歯)も使用せず。指を口腔内に入れるとモグモグされる。モグモグはできるのにゴックン(嚥下:えんげ)ができない。なぜだろうと舌を診てみると「舌根(ぜっこん)部がこわばって盛り上がっており、喉ちんこが見えない」・・原因はこれ?と思い、舌根部の機能回復をはかりました。詳しくは「BBTime 625 生きる入り口」に詳しく書いております。モグモグとゴックンは一連の動作行為ではなく、モグモグしてゴックンにバトンタッチしているのです。このバトンが上手につながらないとゴックンできないのです。

6)食思(しょくし)について。食思とは食欲、食い気のこと。施設の昼食準備を見ていると「普通食」「刻み食」「ミキサー食」など様々です。その方の摂食・咀嚼能力、利用者希望に合わせて準備されます。当然のことながらミキサー食は普通食に比べて、色彩・匂い香り・歯応えなどにおいて劣り、その分食欲減退につながります。いろいろな工夫が必要となります、詳しくは「BBTime 621 施設診療」をご参照ください。

7)食べるを治す。歯科医となって四十年近くなろうとしています。恥ずかしながら今頃になって歯科医の仕事は「食べるを治す」ことであると気が付きました(猛省)。ムシ歯の治療も歯周病の治療も入れ歯を作るのも全て「食べる」ためです。木を見て森を見ずでした、かと言って木の根元の笑茸もおそらく見ていなかったでしょう、精進します。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。


BBTime 631 ラジオ出演

「人間に寝る楽しみの夜長かな」青木月斗

2023/09/16投稿
先日(9/9)地元民放ラジオ(MBC)出演でした。句の解説は『秋の「夜長」。ようやく暑い夜の寝苦しさから解放されて、一晩通して眠れるようになった。この時期にこの句を読むと、はらわたに沁み入るようなリアリティを感じる。とくに会社勤めの人たちにとっては、そうだろう。私もサラリーマン時代には、寝る前にひとりでに「寝れば天国」とつぶやいていたものだった。若かったから、むろん寝ない楽しみもあったけれど、くたくたに疲れて眠る前の至福感もまた、格別だった。江戸期の狂歌に「世の中に寝るほど樂はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」があり、これは昼間も寝ている怠け者の言い草を装っていながら、眠らないで頑張る人たちへの痛烈な風刺になっている。なぜ、そんなに頑張るのか。わずかな蓄財のために、親方に鼻面をひきまわされながらも頑張って、それでお前の一生はいいのかと辛辣だ。当時の私はこの狂歌を机の前に貼り付けて、何もかもぶん投げてしまいたいと切に願っていたが、ついにそういうことにできずに、今日まで来てしまった』(解説より抜粋)。寝る楽しみもさることながら「食べる楽しみ」もあります。ラジオで話した内容を文章化してみました。

「おやつ堂」はどんなお店ですか?
・・おやつ堂には「ムシ歯予防カフェ」が枕詞として付いています。メニューは看板の「ソンナバナナジュース」をはじめ、コーヒー、抹茶、ワインなど飲み物は全て砂糖を含みません、砂糖ゼロです。飲み物以外ではドーナツ、和菓子、チーズなどを常備しております。全て取り寄せで言わばスイーツのセレクトショップです。

「ムシ歯予防カフェを開こうと思ったのは?」
・・1990年に歯科医院を開業しました。開業当初、子供さんのムシ歯を見つけると親御さんを診療室に呼んで「ここがムシ歯です」「甘いものをあまり食べないように」「もう少ししっかり磨くように指導してください」とか真顔で話していました。ある時、小学四年生くらいの男の子だったでしょうか。ムシ歯があったのでお母さんに「もっと磨くようにいてください」と話したところ、お母さんが男の子に「だから言ったじゃない」と。すると男の子は「僕、磨いたもん」お母さん「でもムシ歯ができてるじゃない」男の子「ちゃんと磨いたよ」・・二人は徐々にヒートアップして男の子は泣き顔に・・。はたで見ていて「そうだよね、この子はちゃんと磨いたんだ!けど磨き方が足りなかっただけだ」・・。
そのような経験を踏まえて、2011年に天文館近くにクリーニング専門の「ニコラ歯科」を開業しました。自費診療の歯のクリーニング専門施設です。「歯は、磨いてももらうもの」を掲げてのオープンでしたが、約十ヶ月で閉めざるを得ませんでした。

その後、勤務医として働きながらも、頭の中では「歯を磨けばムシ歯にはならない、予防できる、回避できる!」との考えが渦巻いていました。病気の中で唯一ほぼ完全に予防できる、回避できる病気が「ムシ歯」。かたや巷では「グルメブーム」・・ランチ、ディナーからスイーツに至るまで。年を経るごとに盛り上がります。グルメブーム、美味しいを求める欲望とムシ歯予防を結びつけられないかと悶々する日々でした。
 ある時「あれこれ難しく考えずに、ムシ歯予防とグルメをシンプルに結びつければ良いのでは?」・・この時、ムシ歯予防カフェの誕生です。より美味しく食べるためには、口の中の食器(食具とも言います)が、食器である歯がキレイでなければ味わえません。美味しいと思われた時に、少しでも口の中の食器の大切さ・健康を再認識していただければと思うのです。このような考えのもとに、ムシ歯予防カフェが私にとっての究極の予防歯科スタイルです。

ムシ歯予防カフェと謳っているには根拠があります。ドリンクは砂糖ゼロでもスイーツには砂糖が入っています。心配御無用、希望される方には歯磨きのプロ(歯科医師)が歯磨きチェックをします。また、その人に合った歯磨きのタイミング、歯磨き粉(歯磨きペースト)の選び方、使い方もアドバイスいたします。ドリンク砂糖ゼロだけでは勿論不十分で、プロの歯磨きチェックがあるので「ムシ歯予防カフェ」なんです。

近年の研究で歯周病と認知症の因果関係、ズバリ言うと、認知症の発症のひとつの原因が歯周病であることが明らかになりました(BBTime603「プラーク三種」参照の程)。
「美味しい」の一言が歯を守る。ムシ歯予防は歯周病予防につながり、歯周病予防は認知症予防につながる。「美味しい」の感動が人生を守る、「美味しい」のひと言が人生を味わい尽くす秘訣であると心から思います。

以上がラジオで話した内容です。おやつ堂に是非お越しください。営業日営業時間などはインスタグラムにてお知らせしております。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 630 ほぼ日二題

「腿高きグレコは女白き雷」三橋敏雄

2023/09/02投稿
九月ですが秋は来ませんね。句の解説は『ジュリエット・グレコ頌。腿は「もも」。いったいにシャンソン歌手は女性のほうが毅然としているが、なかでもグレコは群を抜いている。舞台か映像か、黒衣の彼女の歌いぶりに集中していると、その身体から白い雷が発生しているように思えたというのだ。「腿高き」が、作者の心酔度の高さを示している。私は仕事で一度だけ、来日した彼女に会ったことがある。初秋だった。半蔵門のスタジオから、紅葉のはじまりかけた皇居の森を見て「これはいまの私の色ね」と言って微笑した。つまり、自分は人生の秋にさしかかっていると言ったのである。気障なセリフだが、グレコが言うと素直に納得できるのだった。『まぼろしの鱶』所収。(清水哲男)』(引用元)。頌:しょう。句はいまいち腑に落ちませんが。最近読んだ「ほぼ日」から二題ご紹介。

一題目:8/31のほぼ日
『・若いときは、雑誌になにか原稿を頼まれたとき、
 「パンツはトランクスがいいか、ブリーフか」だとか、「ラーメンライスは是か非か」なんてことも書いていた。しかし、いつのまにか「どっちがいいか」みたいなことは、ほとんど書かなくなっていることに気がついた。
 どっちがいいとかいうことを、考えなくなっていたのだ。かんたんに言えば、「どっちだっていい」し、その言い方が冷たすぎるなら「どっちもいい」なのだ。なんで、わざわざどっちかを決めようとしていたのか。いまではもう、まったくわからない。いいと思ったら、どっちを選んでもいいし、なんなら、両方を選んでもいい。』

『トランクスかブリーフかビキニか、なんでもいい。こしあんか、つぶあんか。どっちもうまい。豆腐は、絹ごしか、もめんごしか、両方いい。
 選ばなきゃならいこともあるだろうよ、そしたら、その日、そのとき、どちらか選ぶだけだ。次の機会があるのだから、次にまた考えればいい。

 ぼかぁ、もう、まったく「毅然」としちゃってるのだ。迷いも後悔もない、どっちもいいんだもの。よくよく考えてみると、「どっちもいい」どころか、「あんまりよくなくてもいい」とさえ言える。ほんとはたいていのことが、「どっちでもいい」と、「どっちもいい」、「どれでもいい」なんだと思うんだよ。』

『・でも、たぶん人は「思考の練習」をしたいのだろうな。こしあんと、つぶあん、どっちがいいかを考えたいんだ。仲間に対案を出させたり、それをやりこめたりして遊ぶ。子どもがプロレスごっこをして遊ぶみたいに、「思考や判断ごっこ」や「論争ごっこ」をしたいんだね。
 きっと、ぼく自身にしても若いときは、そういうことがやりたくて、「どっちがいい」というテーマで遊んでいたんだろうな。だとしたら、これからは、よくあるようなどっちがいいの在庫から考えるんじゃなくて、もっと別の「思考や判断ごっこ」をしたほうがいいね。お笑いを仕事にしている人たちなんか、やってるもんね。「思考や判断ごっこ」って、お笑いの基礎なのかも。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。答えのおもしろさは、設問が決めてくれる。逆も、またある。』

たまに「歯磨き」について聞かれます。毎食後磨くのが良いか?朝食前か後か?等々。一日一回でもOKです、キレイになれば、と答えます。回数、歯磨き時間などの数字ではなくて目的は歯をキレイにすること。歯を使わなければ汚れませんが、そうはいきません。口の中の食器(歯)は替えがききません。その日の就寝時に口の中がキレイであればいいのです。

「どっちでもいい」・・これは前回「一膳九皿」で書きました、二食か三食か?それが問題だ!ではなく、その方(施設利用者)が必要としている回数(食事量)が正解です。離乳食や子供さんの歯磨きも同様で、何歳何か月だからではなく、その子供さんの歯の生え方、本数などで判断すべきでしょう。「ほぼ日」の言わんとすることと少々ずれるようですが、迷ったらゴール・目標・目的をきちんと見定めれば目の前の回数や数字はさほど重要ではないような気がします。電動歯ブラシの表示が二分だから終了ではないのです・・と思いますがね。続いて二題目9/1のほぼ日。

『・人は、山や森の景色を目にしたときに、ざっくりと「自然はいいなぁ」とか言います。しかし、自然というものの定義が、「人の手を加えない状態」であったとするならば、そこで目にしているものは自然ではないのであります。
 なんて、理屈っぽいことを言ってますが、早い話が、「自然に見えてるものは、人の手が入ってるよ」と。人の住む地域で「自然」として扱われているのは、だいたい「里山」と呼ばれる、人と自然の合作だよ、と。』

『人の手が入った自然ということばで、ふと思いました。人の身体も、「里山」に似ているんじゃないかなと。もともと、髪を切ったり、髭をそったりということも、服を着ることも、薬を飲むことも、人の手が入っています。人の身体という自然は、野生のクマやイノシシとちがって、生まれた次の瞬間から「里山」なんですよね。』

『じぶんのことを考えると、すごいですよ、手の入り方が。歯はインプラントのネジで顎の骨に差し込まれていて、歯そのものも数本がジルコニアだし、寝るときにはマウスピースをしています。メガネは近くを見るにも遠くを見るにも必要で、耳は必要に応じて補聴器をつけています。毎日、指示された薬をまちがいなく飲んでいるし、風邪をひいたりして別の薬が足されることもある。年に二回は身体のあれこれを最新の器械でチェックし、定期的に血液や尿からさまざまなデータをとっている。昨年の春からはワークアウトをまじめにやることにして、週に二回ずつはトレーニングをやっているわけで。
 人間のかたちをした「歩く里山」ですよ、ぼかぁ。』

『生まれたままのじぶんだったら、どうだったんでしょうか。少なくとも、歯についてはもう総入れ歯だったでしょうね。よく「医者にかかったことない」というご老人がいますが、そういう方がいざ症状を訴える段階になると、手をつけるのに困難な病気を抱えてたりもするらしいです。
 原生林みたいに、アメリカの自然公園みたいに生きるのは、実際、かなり人間には無理なんだよなぁと思うのです。ま、昔の人たちのように寿命が短ければ、あちこち悪くなる前に人生を終えていたんでしょうけどね。「人間は里山」、もとは自然だけれど、人の手が必要です。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「人の手」が入るというのは、ある意味ありがたいことです。』

最後の下り「人の手が入るというのは、ある意味ありがたいこと」・・同感賛成です。ムシ歯予防・歯周病予防のコツはただひとつ!「歯は、磨いてももらうもの」ハッキリ言って(すみませんが)、ご自分だけでの歯磨きでは不十分です。その不十分さがムシ歯をつくり、歯周病を引き起こすのです。せめているのではなく、自分だけではできないことを知って欲しいのです。是非「人の手」を借りてください。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 629 一膳九皿

「九月来箸をつかんでまた生きる」橋本多佳子

2023/08/27投稿 8/28加筆
今週末は九月ですが気温は真夏のまま。句の解説は『多佳子は生来の病弱で、とくに夏の暑さには弱かったという。したがって、秋到来の九月は待ちかねた月であった。涼しくなれば、食欲もわいてくる。「さあ、また元気に生きぬくぞ」の気概に溢れた句だ。それにしても「箸をつかんで」は、女性の表現としては荒々しい。気性の激しさが、飛んで出ている。なにしろこの人には、有名な「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」がある。この句を得たのは五十一歳。「箸をつかんで」くらいは、へっちゃらだったろう。しかも、この荒々しさには少しも嫌みがなく、読者もまた作者とともに、九月が来たことに嬉しさを覚えてしまうのである。九月来の句には感傷に流れるものが多いなかで、この句は断然異彩を放っている。ちなみに、若き日の多佳子は、これまた感情の起伏の激しかった杉田久女に俳句の手ほどきを受けている。「橋本多佳子さんは、男の道を歩く稀な女流作家の一人」と言ったのは、山口誓子である。(清水哲男)』(引用元)。今回は「一日二善」「一日二食」を踏まえての結論です。

前回前々回で、訪問診療中に施設の食事回数について感じたことを書きました。一日三食ではなく二食で良いのでは?。数カ所で「一日二食」の話をしました、ある施設で目撃した「一膳九皿」で結論が出ました。その日の昼食は「鮭のムニエル、サラダ、小鉢、ご飯」が標準。準備テーブルを見ていると、きざみ食、ミキサー食、水分摂取制限など、細かく利用者に合わせた膳が並びます。その中にひとつだけ皿数の多い膳を発見。数えてみると、なんと九皿が所狭しと並んでいます。これはこれは豪華ですねと、配膳係の方に問うと意外な答えが・・。

まず「一日二食」の結論から。数カ所で聞いた答えはおおかた次のようです。1)利用者の中には「こんなに(一日三食)は食べきれないから二食でいい」との声も確かにある。2)朝食はシンプルにパンと牛乳だから、そんなに時間や手間はかからない。3)施設説明時に「一日三食提供します」と「ここは一日二食です」なら、あなた(利用者家族も含めて)ならどちらを選びますか?・・というわけで「一日三食」です。

では「一膳九皿」のわけは?・・極めてシンプルでした。利用者(九十歳を超えた女性)の御家族が「おばあちゃんには、好きな物を好きなだけ食べて欲しい」と希望され、施設がその要望に応えて九皿であるとのこと。んー目から鱗でした。そうです!ここは病院ではないし、利用者は入院患者ではない。仮に残り少ない日々を「好きな物を好きなだけ」食べて欲しい。これには納得するしかありませんでした。職員さん曰く「いつも二割から三割しか食べられません」「食事量もご家族には報告しています」「それでもいいから豪華にしてくださいがご家族の希望です」。目から鱗の後、目頭が熱くなりました。

画像は黒砂糖です。南九州ではお茶請けによく登場します。少し前のことでした。訪問診療中に十時のお茶の時間、遠目に見ているとお茶と黒砂糖。職員さん「花子さんにはおまけでひとつ多く入れておくね」・・聞きながら「やめてくれ」と思いました。黒砂糖とはいえ砂糖です。ご自分での歯磨きは不十分な方が多く、結構口の中は汚れています。タイミングを見計らって職員さんに「黒砂糖は砂糖ですよね」「できれば他のものに」など話しました。他のものにと言った手前、探しました。黒砂糖よりムシ歯リスクが低く、コストパフォーマンスは同じくらいのお茶請けは?これが意外とないんです。

しかし「一膳九皿」を目撃してから探すことをやめました。おやつに、これはダメこれが良いよりも、何を召し上がってもいいのでメンテナンス(口腔清掃)をお任せください、の方がベターだと思ったからです。九皿同様、おやつは楽しみです。歯を守るためにおやつを変えるのではなく、食べた後の習慣(システム)を改善すべきであると思います。例えば、まず固形物(黒砂糖など)を出してあげて、ほぼ食べ終わってからお茶を出す。もしくは必ず最後はお茶で口の中を歯を洗うようにする、などです。もちろん、ご希望あらばメンテナンスいたします。

食べることは、多くの方にとって喜びであり幸せ。喜び優先なのか歯の健康が優先なのか?喜び優先であることは明白!黒砂糖、九皿・・その方の人生において喜びなのです。「食べるために」五年前に書いておりました、お時間あれば是非こちらも読みください。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。