BBTime 392 拘る

BBTime 392 拘る:こだわる
「らうめんの淵にも龍の潜みけり」青山茂根

『春の「龍天に登る」に対し、秋の「龍淵に潜む」(秋分の頃だというが)。想像上の季語であり、作りにくい。しかし、この句に出会った時にびっくり仰天した。正しいラーメン丼には必ず龍が描かれている。丼の周囲のみならず、底にも龍がいる。満々と汁をたたえた<らうめん>の淵に息づくドラゴン、それを俳句にすることは考えもつかなかった。以来、ラーメンを食べるたびに、この句を思い出す。句の力とはそういうものである』(食の一句 櫂未知子著より)。

ぐるぐる巻きの雷文(らいもん)と龍です。それぞれに意味があります、詳しくはこちらとかこちらをどうぞ。冒頭画像は騎射場の「麺匠 樹凛:キリン」の塩ラーメン、龍ならぬキリンが隠れております(美味ですよ)。さて昨日ネットで「カップヌードル専用フォーク」の記事発見、しかも10/15 よりローソンでおまけとして進呈との情報。仕事帰りに早速寄ってゲット、いいですよ!

デザイン監修はあの佐藤オオキ率いる nendo 。「無駄にこだわった」とはシニカルな表現でしょうが「トコトン拘った」「あえて必要ないことに拘った」の掛詞のような気がします。ネンドの拘りもさることながら、依頼者である日清食品の「無駄に拘る」には頭が下がります。

『さまざまな知恵や工夫が詰め込まれた「カップヌードル」。安藤が「ひらめきは執念から生まれる」と語っていたように、新しい素材や技術を導入するだけでなく、自らも新しい手法を発案し、次々に課題を解決していきました。こうして誕生した新製品は、世界中で通用するように「カップヌードル」と名付けられ、1971年9月18日に発売されました』(日清食品HPより)。発売当初は知りませんでしたし、インスタントラーメン(袋麺)全盛の頃ですから、カップヌードルが小生の日常に入ってきたのはおそらく発売から十年後(大学生の頃)です。当時は今でもコンビニなどでもらういわゆるプラスチックフォークで食べていた記憶がありますが、お箸で食べる方が多かったように思います。

カップヌードル発売からもうすぐ五十年の今、専用フォークを創る・・既存のフォークでも箸でも食べられるのにも拘らず・・実際使ってみると、確かに食べやすいフォークです。カップ入りの食べ物は大きさの大小に関わらず、かなりの種類や数が日常に入って来ています。ひょっとするとカップ用フォークとしてメジャーデビューするかも?過去にも専用食具(カトラリー)はありました、代表が「いちごスプーン」です。生イチゴを食器に入れ、牛乳もしくは練乳をかけて、潰してスプーンですくって食べるためのいちごスプーン、いつの間にか食卓から消えましたね。ついでにもうひとつ挙げるなら「先割れスプーン」でしょうか。小生の小学校のみならず中学校時代も、給食時のカトラリーはこの先割れスプーンのみでした。

閑話休題「痒い所に手が届く(言わばニーズ・needs 必要性)」の商品やサービスは最近よく見受けられます、もちろん喜ばしいことです。しかしこの専用フォークは「あなたは痒さを感じてないかもしれないけど、恐らくこれから痒くなるだろうから、もしくは本当はかゆいのでは?だから新孫の手を作っておきますね(こちらはシーズ・seeds 必要の種)」だと思います。大袈裟かもしれませんが、創業者安藤百福氏の常にシーズを探し育むスタイルが脈々と受け継がれているような気がします、脱帽!安藤百福氏については、拙ブログ「油熱乾燥法」「満腹笑顔」もどうぞ。さて、三分間待ちましょうかね!4590



おまけ:新明解国語辞典の「拘る」が、いとおかしでしたので(笑)。

BBTime 391 唯一無二

BBTime 391 唯一無二
「まつすぐの道に出でけり秋の暮」高野素十

解説には『なんだい、これは。おおかたの読者は、そう思うだろう。解釈も何も、それ以前の問題として、つまらない句だと思うだろう。「で、それがどうしたんだい」と、苛立つ人もいるかもしれない。私は、専門俳人に会うたびに、つとめて素十俳句の感想を聞くことにしてきた。私もまた、素十の句には「なんだい」と思う作品が多いからである。そんなアンケートの結果はというと、ほとんどの俳人から同じような答えが帰ってきた。すなわち、俳句をはじめた頃には正直いって「つまらない」と思っていたが、俳句をつづけているうちに、いつしか「とても、よい」と思うようになってきた……、と。かつて山本健吉は、この人の句に触れて「抒情を拒否したところに生まれる抒情」というような意味のことを言ったが、案外そういうことでもなくて、このようにつっけんどんな己れの心持ちをストレートに展開できるスタンスに、現代のプロとしては感じ入ってしまうということではあるまいか。読者に対するサービス精神ゼロのあたりに、かえって惹かれるということは、何につけ、サービス過剰の現代に生きる人間の「人情」なのかもしれないとも思えてくる。みんな「まつすぐの道」に出られるのならば、今すぐにでも出たいのだ』(解説より)。画像は先日のスコットランド戦で代表初トライを決めた稲垣選手です。彼にとってはボールを受け取った瞬間に「まつすぐの道」が現れたと思います。トップスピードで受けた途端に目の前はスローモーションとなって・・・トライ

福岡選手のインターセプト直後も「まつすぐの道」でしょう。今回ジャパンの快進撃を観るに「唯一無二」の言葉が日本チームに当てはまると感じます。もちろん日本のみならずどのチームも「唯一」ですが、その持つ力を生かす・発揮する・出し切るのが「無二」であり、ジャパンのメンバーが彼らしか出来ないパフォーマンスを出した時「唯一無二」となり勝てるのでしょう。

小生七味唐辛子、好きです。それぞれの個性が光りながらも調和が取れている。1+1=3にも5にも10にもなるようなハーモニーであり力。以前ブログ「人生七味唐辛子」をアップしました、今回の解釈とは真逆のようですが、おそらく根本は同じでしょう。今回のW杯が観る人に感動を与えるのはラグビーの持つ「理不尽さ」「協力」「個々の力」などの要素が、人それぞれ「唯一無二」の人生に投影されるからかもしれません。

決勝トーナメントはまさに「まつすぐの道」。11/02横浜に向けての道を歩むジャパンに声援を送ります。十五色唐辛子のごとく力を発揮されんことを祈ります!4350


BBTime 390 ノーベル賞

BBTime 390 ノーベル賞
「虫の土手電池片手に駆けおりる」酒井弘司

句の解説には『このとき、作者は高校生。何のために必要な電池だったのか。とにかくすぐに必要だったので、そう近くはない電器店まで買いに行き、近道をしながら戻ってくる光景。川の土手ではいまを盛りと秋の虫が鳴いているのだが、そんなことよりも、はやくこの電池を使って何かを動かしたいという気持ちのほうがはやっている。作者と同世代の私には、この興奮ぶりがよくわかる。文字通りに豊かだった「自然」よりも、反自然的「人工」に憧れていた少年の心。この電池は、間違いなく単一型乾電池だ。いまでも懐中電灯に入れて使う大型だから、手に握っていれば、土手を駆けおりるスピードも早い、早い。』(解説より)・・握りしめる電池を「単一」と決めつけている解釈に少々苦笑します。

手前味噌ですが「吉野彰氏」に関して拙ブログ「BBTime 208 ICE が消える!」で取り上げています。受賞の報を聞いて思わずブラボ!でした。記事には『リチウムイオン電池は、電気をためられますので、夜もエネルギーを、いったん電気という形でためられるわけですよ。必要なときに必要なところに供給する。まさに、もし災害が起こったら、緊急時にそこから電気を取って最低限必要な電力を取る。宇宙船も多分一緒だと思うんですけどね。そういう機能を持っていますので、これは何を意味するかといいますと、今、大きな課題になっています、地球環境問題。これもまさにエネルギーを、どううまく生み出して、どううまく有効に使うかということですよね。そういうときに、リチウムイオン電池が非常に大きく、IT革命で1つ貢献しました、次はこっちで貢献しなさいよと。これは実は、ストックホルムも今回の私の受賞の理由として、2つ挙げてるんですよね。』(出典はこちら)。ひとつ目はもちろん「リチウムイオン電池の開発(発明)」で二つ目が「地球環境問題解決の糸口の発明」です。朝日新聞「天声人語」10/10 付けには『自然エネルギーを蓄電することへの期待も高まっている。「社会が化石燃料から脱却することを可能にする」というのが、賞が贈られる理由である』とあります。

先日千葉での長期間停電について、ふと思いました。「太陽光発電している家は停電しない?」早速、知人で屋根にパネルを設置している人に聞いたところ、その方曰く「停電します。屋根で発電しても使えません」とのことでした。調べました、シンプルに言うと「蓄電設備がないと活用できない」ようです。そこでリチウムイオン電池の登場です。個人で発電した電気を電池などを使って充電・蓄電しておけば、食品を冷蔵庫から取り出して食べるように電気を使えます。パネルを設置していない家であっても、電気自動車ならばフル充電で丸二日程度の家の電気をまかなえるようです。前出の記事にも『いわゆる非常時災害時に、そういう蓄電システムがありますと、例えば、電気自動車って、少しずつ普及し始めていますので、電気自動車1台は大体一般家庭2日分の電気があるんです。ですから、この間の千葉の大停電、10万戸停電しましたと。だったら、10万台の電気自動車を送ってあげれば停電なんかなくなるわけですよね。ですから、そういうシステムを早く作らないといけないですよね』(出典元)。こちらの記事もどうぞ。

今も含めて、これからの大発明(新製品・新システムなど)は地球環境へ配慮も必要なことは確かです。こじつけですが、歯科医療における地球環境への低負荷なモノは「予防」です。歯を削るなどの治療は「電気・水・貴金属・樹脂・仕事」などを言わば消費します。予防では歯を削る必要はありません。やはり予防が一番です。最後に「執着」について・・吉野彰氏のラジオ講演(NHKラジオ 科学と人間)のなかで「あきらめない(忍耐)」について語っておられます。昨日(10/13)のラグビー日本vs.スコットランドの試合も後半の後半はまさに「忍耐」の20分間でした。あらためてお二方にお祝い申し上げます!本日は以前なら十月十日体育の日、体育の日に因んだ曲をどうぞ。3950



追加:なんと「体育の日」は今年(本日10/14)が最後とのこと。来年からは?・・こちらをどうぞ。

BBTime 389 豚とラグビ

BBTime 389 豚とラグビ
「秋晴の運動会をしてゐるよ」富安風生

小学生の句と思いきや、虚子門の高弟のひとり富安風生(とみやすふうせい)の作。解説にも『前書きに「北海道を縦断して、一日汽車に乗り通す」とある。子供みたいな句ですが、面白いですね。俳句は、短歌でも現代詩でもない。こうした句を読むと、つくづくこの世界の懐の深さが思われます。パソコンなんて捨てちゃって、それこそ秋晴れの下、一日中汽車に乗り通してみたくなってくる。窓際には、冷たい缶ビールと上等な乾き物を少々。こんなふうに思わせるところが、俳句の力だというべきでしょう』(解説より)。各地で開催中のラグビーW杯も、このような秋晴れのもと戦わせてあげたいものです。

これはピーターブリューゲル「子供の遊び」1560年作に描かれており、豚の膀胱を膨らませています、風船の代わりでしょうか。さて問題「豚とラグビーの関連は?」・・答えは「ラグビー球の由来は豚の膀胱との説あり」です。『1560年『子供の遊び』ピーター・ブリューゲル 豚の膀胱Bladderを膨らませて遊ぶ子供が描かれています。豚の膀胱は気密性があり、空気を逃がしません。ゲルマン民族は豚を解体し、殆どの部位を料理に利用したが、食べられない膀胱は子供の玩具となった。ゴム風船が現れたのは、19世紀になってからのことです。』とありました(出典はこちら)。

先の子供は最前列右から七、八人目です。この絵に登場する子供達は総勢254名、遊びの種類は91種類とのこと(引用元)。文献的にはラグビー発祥は1823年ですので、豚の膀胱使用は合点がいきます。ネットには『なぜ楕円球なのかは諸説ある。国際統括団体ワールドラグビーのホームページなどによると、元々は豚の膀胱(ぼうこう)を膨らませて作られており、楕円形になる傾向があったためだとされる。初期はその材料の大きさに違いがあるため、ボールのサイズは決まっていなかったという。抱えて走りやすいように楕円形になったという説もある。』(出典はこちら)。

イタリア・パルマ近郊で作られる有名な生ハム「クラテッロ」は画像のように豚の膀胱に詰めて作るそうです(詳しくはこちら)。予測できない人生のように、楕円球はどう転ぶかわかりません。それだけにクラテッロ同様味わい深いのでしょうか。次の試合「日本vs.スコットランド」はスコッチ片手にクラテッロ味わいながらラジオ観戦(小生テレビ不所持)しましょう、いえいえ、やはりスプマンテですかね。神風吹いて台風の影響のないことを祈ります。1910

BBTime 388 楽苦備!

BBTime 388 楽苦備!
「静寂はラグビーボール立ててより」松村史基

句の解説には『ラグビーのゴールポストはH字形で、2本のポールの幅は5.6メートル、高さは国立競技場で13メートル。地面から3メートルの高さにクロスバーが渡してある。地面に置いたボールを蹴ってゴールをねらうゴールキックの場合、ポールの間、クロスバーの上を通過すれば得点。ゴールに上限はなく、要するに2本のポールは、空に向かって伸びる平行な直線なのだ。キッカーはひたすら5.6メートルの隙間をねらい、空へ向かってボールを蹴る。そこにはサッカーのようなディフェンスとのかけひきはなく、自分との勝負。この句には、そんなラグビーのキックの本質がきちっとあり、切り取られている一瞬の静寂が、その前後の激しいプレーや、突き抜けた冬空をも感じさせる。』(解説より)。

昨夜(10/05)の日本vs.サモアにはまさしく一喜一憂・・最後には、またしても感涙!その時間、移動中のこともありラジオ実況での観戦。画像(動画)がないため、状況を飲み込むのに僅かな時差が生じます、ゆえの一喜一憂。句にあるような「静寂」は実況でも同じで、田村選手のペナルティキックやコンバージョンキックのシーンが幾度となくありましたが、ボールをセット後・・・静寂(沈黙)でした。

今回のタイトル「楽苦備:ラグビー」は大学時代の監督が口にされていた言葉です。「なぜ今ラグビーをするのか?」の問いの答えが、文字通り「楽しみ苦しみに備えるため」・・今になって納得できます。さて、当時の球はセプターの革製(画像)でした。練習後にボールを磨くのは一年生の仕事。芝ではなく土グラウンドでしたので、当然のことながら球表面は荒れます。バックスキンのようにカサカサになります。この荒れた乾燥肌(表面)だとパスする際、指への吸い付きが悪いために、練習後一年生は残ってひたすらボールを磨いていました。今思えば不思議なんですが・・自分の唾液を球表面につけてストッキング(ラグビー用)でキュッキュッと言うよりゴシゴシと磨くのです。革表面には方向があるので、磨く際には往復ではなく片道で磨けとのことでした。夏合宿時など練習後ツバも出ません。我ら一年生は先輩に「ツバください」と言って(実際には球表面にぺッと吐いてもらって)磨いてました。今は昔の話です・・今のボールはゴム製ですよね。

実際、転がる球を追いかけながら、球(たま)とは言え球形ではないですからどちらに転がるかわかりません・・これも人生ですかね。夕刻暗くなるとボールが見えなくなるので、タックルマシーンでのタックルの練習です。はっきり覚えています、練習中に「肉体の苦しみと心(頭)の苦しみは同時には来ない」という原理に気がつきました(笑)。タックルする順番を待つ間、列に並び声を出します「さあ、行こうぜ」「ナイス、タックル」「声出して行こうぜ」等々。自分の番が近づくにつれ「痛みに対する恐怖・タックルしたくない気持ち」などが徐々にアップします。いざ自分の番でタックル・・肉体的には痛いのですが、精神的にはストレスゼロです。また、ボールを繋ぐ場合にも「己を殺して球を生かす」・・ワンフォーオール・オールフォーワン(One for all, All for one)。

「理不尽なスポーツ」・・ある時、早慶ラグビー観戦中に連れの一言。言い得て妙!ボールを前に投げてはいけない、スクラムやラインアウトは基本的には敵味方両者にとって対等(サッカーのスローインとは違うと思います)。またファオワードをやって気がついたことは「自分のエリアがない!」ボールの行くとこどこまでも追いかける必要があるのです。理不尽ゆえに「紳士のスポーツ」なのでしょうか。

理不尽に加え「ストイック」もしくは「へそ曲がり」とも言えるでしょう。「トライ」「コンバージョンキック」の由来を簡単にいうと「トライによってキックの権利を得ることができ、キックが成功したら点数になる」とのことです。元々はトライはキックの権利を得られるだけで点数なし、その後の権利行使のキック成功で得点でした(詳しくはこちら)。よってトライTRY=挑戦する(キックに挑戦)し、コンバージョンCONVERSION=転換するキック成功で得点となる。非常にわかりにくいですよね、簡単にその屁理屈を説明します。現行ルールではトライ5点、コンバージョンキック2点合計7点となりますが、昔はトライ0点ただしその後のキックに成功すると7点あげるよ・・との理屈のようです。へそ曲がりの骨頂!

理不尽でへそ曲がりな紳士のスポーツ・・例えるなら、世の流れに翻弄され、付かず離れず付きそうで成就できない、かといって離れない二人がやっと最後に結ばれる(右へ左への流れの中で、スクラムやラインアウト、タックル、モールラックを繰り返し、ついにトライ!)。こちらが観ていて、もどかしくなるような、イライラするような二人がやっとのことゴールインでしょうか。まずは次の一戦、スコッチ飲みながら応援します!1280


BBTime 387 空腹ハイ!

BBTime 387 空腹ハイ!
「ラグビーのボール大地に立てて蹴る」粟津松彩子

まずは句の解説から『季語は「ラグビー」で冬。あらためて言われてみると、なるほど「ラグビーのボール」は「立てて蹴る」。ゴール・キックの情景だ。句の妙は、ラグビーのフィールドを一気に「大地」に拡大したところにあるだろう。読者がそう実感できるのは、やはり「立てて蹴る」からなのだ。キックの前には競技が止まり、キッカーは息を詰めるようにして慎重にボールを立てる。この行為を、誰も助けてはくれない。孤立無援の行為だ。このときの彼の意識には、だから束の間敵も味方も何もなく、ただあるのはボールとそれを立てるべき地表だけとなる。全神経の集中が、彼にまるで「大地」のなかにひとり放り出されたような感覚を呼び起こす。見ている観客にも、それが伝わってくる。そしてねらいを定め、高々と「蹴る」。蹴った瞬間から、徐々に彼のなかには現実が戻ってくる。敵味方が動き、観客としての作者にも競技が戻ってくる。このいわば白い緊張感が、「大地に」と言ったことで読者の眼前に鮮かとなった。昔からラグビーの句はけっこう数詠まれてきたが、試合中の具体的なシーンそのものを詠んだ句はあまり見かけない。その意味でも珍しいが、作者はよほどのラグビー好きなのだろうか。蛇足ながら、作者八十九歳の作句だ。』解説より。

小生、学生時代(大学六年間)ラグビーやっておりました。フォワード(二番フッカー)でしたので、試合中にプレイスキックの経験はありません。当時、学生試合の使用グラウンドは芝ではなくほとんど土でしたので、キックの際には踵で大地をガッガッと少し掘って、その土を手で集め小山を作り、その上に乗せて蹴っていました。因みに上記画像の名は「キックティー」、今回初めて知りました(笑)。先日のアイルランドとの試合、仕事中でしたので合間にネットで経過をチェック。再読み込みアイコンを押すたびに「アイルランドが勝っているんだろうな」と思いつつ・・ところが・・ラスト10分は神に祈りました!ノーサイドの表示が出た瞬間・・涙・涙・涙。声を上げそうなほどの感涙。

さすがにラグビーハイは感じたことはありませんでした(もっともラグビーハイなんてないでしょう)。ランナーズハイはフルマラソン中に経験あります。今回は「空腹ハイ」について。しばしばこのブログでも書いていますように、六月から減量に取り組んでいます。もちろん日々の体重は波打っていますが、ほぼ順調に減量中です。減量(体重減少)の王道は今更言うまでもなく「食べる量のコントロール」と「負荷をかける(運動)」の同時進行です。近頃感じ始めたのが「空腹ハイ」!

以前は空腹になると「軽い恐怖」「イライラ」を感じ、不機嫌になっていましたが今は違います。空腹になると「次の食事に何を食べようか?」「食事の後のスイーツは?」と考え「ワクワク」「期待」「美味しいものの連想」などが頭を占め、いわば「空腹ハイ」の状態。加えて空腹(飢餓)によってサーチュイン遺伝子のスイッチがオンになりますので、さしずめ「若返りの泉」のおじいさんの気分です。

今思えば、イライラ空腹がある日突然「空腹ハイ」になったのではありません。減量を志す中でアプリを使っての体重の可視化、レースエントリーによるランニングの強化などによって体重減少を楽しめるようになった結果だと思います。朝、空腹を感じてプルーンをひとつ口に入れた後、もう一個欲しいなと手が伸びた時、自問自答するようにもなりました。本当に「空腹なの?」「ただ食べたいだけ?」・・するともう一人の自分自身が答えます・・「空腹ではないよ」・・これで冷蔵庫を閉めます。「空腹ハイ」を楽しめるようになると楽です!減量は順調だし、お金の節約にもなるし・・ポイント還元よりも家計には効果ありです。消費税10%をきっかけに「食べる量10%減」にトライしてみては?おそらく思ったよりも簡単なはず、空腹ハイ!心地いいですよ、オススメします。最後にラグビー雑学ひとつ。蹴る球「蹴球:しゅうきゅう」は文字通りサッカー、ラグビーは闘う球で「闘球:とうきゅう」です。闘球万歳!9750



おまけ:ラグビーの発祥など・・『ラグビーの起源は、「1823年イングランドの有名なパブリックスクールであるラグビー校でのフットボールの試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスがボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことだとされている。1840年頃にはボールを持って走る「ランニングイン」が確立して普及しだしたのは確かであるが、その第1号がエリス少年だったかどうかについては諸説ある。しかし、エリスが最初にボールを持って走ったという証言が記してある文章が、ラグビーの起源を調べる上で最古の文献だということは間違いなく、起源と考案者を探る上で名前がわかっている人物はエリスただ一人である。なお、エリス少年がルールを破ったとされるのは、ボールを手で扱ったことでなく、ボールを持って走った行為についてである。その頃はまだ今でいうサッカーも生まれておらず、当時のフットボールでは手を使うこと自体はルールとして許されていた。』Wikipediaより。2023年はラグビー誕生(文献上)二百年なんですね。エリス少年万歳!ラグビー万歳!

BBTime 386 ご存じ?

BBTime 386 ご存じ?
「行先ちがふ弁当四つ秋日和」松永典子

何気なく読んで「運動会のお弁当」と思いきや・・解説には『今日あたり、こんな事情の家庭がありそうだ。絶好の行楽日和。みんな出かけるのだが、それぞれに行き先が違う。同じ中身の弁当を、それぞれが同じ時間に別々の場所で食べることになる。蓋を取ったとき、きっとそれぞれが家族の誰かれのことをチラリと頭に描くだろう。そんな思いで、弁当を詰めていく。大袈裟に言えば、本日の家族の絆は、この弁当によって結ばれるのだ。主婦であり母親ならではの発想である。変哲もない句のようだが、出かける四人の姿までが彷彿としてきてほほ笑ましい。こういうときには、たいてい誰かが忘れ物をしたりするので、主婦たる者は、弁当を詰め終えたら、そちらのほうにも気を配らなければならない。「ハンカチ持った?」「バス代は?」などなど。家族の盛りとは、こういう事態に象徴されるのだろう。みなさん、元気に行ってらっしゃい。』(解説より)。今回は前回「口掃除」の続きです。

画像は京都の和菓子屋仙太郎の「ご存じ最中」です。名前の由来はこちらをご参照ください。さてタイトルの「ご存じ」・・近頃では「ご存知」の表記を目にしますが、どうしても小生これを受け入れられません。「ご存じ」は動詞「存じる」がベース。「存知」と表記すると「ぞんち:そういう事実を知っていること」(新明解国語辞典より)のこととご存じですか?・・と言いたくなります。言葉は生き物、変わるものとも言いますが、こればっかりは頂けません。前回「口掃除」で紹介した糸井さんの文にも『使っちゃいけない理由を知らないままの人は、つい使ってしまうこともある。ある考えが、まちがっているということは、まちがっているという考えを学ぶことでしか直せない。』・・しつこいようですが「ご存じ」は「ご存知」ではないのです!

さて糸井さん提唱の『ぼくは「歯をみがく」を死語にしようと思っている』・・大賛成です。小生も代わる語として「口清め・口浄め:口をきよめる」を書きましたが、他にも考えました。「口洗い:口を洗う」「口クリン:口クリーン、口をクリーンにする、口クリーニング」「歯洗い」・・音韻を考慮すると、やはり「口きよめ」でしょうか。「口クリン:くちクリン」も良さそうに思います。

「歯をみがく」の言葉からの連想で「ゴシゴシ磨き」になることを懸念します。過去にも書いてますが、ゴシゴシ横磨きが「楔状欠損:くさびじょう欠損」の原因になるからです。ひとたび楔状欠損が生じると、その後の治療はムシ歯治療(樹脂による充填)と同じです。ムシ歯にならないように「磨いた」ことが結果的にムシ歯(と同じ状態)を作ってしまう・・ご本人は釈然としませんし、全くもって勿体無い話です。歯を守るためには「歯を磨く」ではなく「口を清める」の方がベターなんです・・って、ご存じですか?7510

BBTime 385 口掃除

BBTime 385 口掃除
「秋風や書かねば言葉消えやすし」野見山朱鳥

句の解説に『書かれない言葉が消えやすいのは言葉が思いを正しく反映しないからだろう。もやもやした言葉になる以前の混沌をそれでも僕らは言葉にしないと表現できない。加藤楸邨には「黴の中言葉となればもう古し」がある。書かねば消えてしまう言葉だからと、書いたところでそれはもう書かれた瞬間に「もやもやした真実」とは乖離し始める。百万言を費やしたところで、僕らは思いを正確に伝えることは不可能である。不可能と知りつつ僕らは今日も言葉を発し文字を書き記す。言葉が生まれたときから自己表現とはそういうもどかしさを抱え込んでいる。』(解説より)。今回は「ことば」について、ほぼ日刊イトイ新聞「今日のダーリン」(9/13)から。

・かつてあったいろんなことばが、さまざまな事情で使われなくなったりしている。ある時代までの考えが、新しい時代になってまちがっているということになると、ことばが消される。ここにいちいち書き連ねることはしないけれど、「そのことば、使っちゃだめなんだよ」ということは、けっこうたくさんある。

そして、使っちゃいけない理由を知らないままの人は、つい使ってしまうこともある。ある考えが、まちがっているということは、まちがっているという考えを学ぶことでしか直せない。先に学んだ人が、学んでない人のことを「とんでもない考え」をもった人間としてきびしく断罪することがあるけれど、それが、どうもぼくにはしっくりこないことが多い。「考え」だとか「ことば」というものは、学んで身につけるということがとても多いものだ。

・さて、話は、まったく変わって、倫理に関わるようなことばではなく、このことばは変えてしまったほうが世のため人のためではないかという例を思いついた。「歯をみがく」ということばである。歯の表面の汚れを磨くことできれいにする、という意味では、このことばはまちがってはいない。しかし、歯は、ほんとうはみがくものではない。歯と歯の間や、歯と歯肉の間の汚れや菌などを、掃除することが「歯みがき」と言われている行為の、ほんとうの目的であるはずだ。

英語では、歯は「ブラッシング」するものでね。ほんとうに、目的にかなった言い方を探すなら、歯は「掃除する」としたほうがいいはずだ。煙突掃除や、耳掃除などのように、掃除するもの。もっと大きく「手入れする」のほうがいいかもしれない。「歯みがきする」と言われたままだと、「歯間や歯肉の問題」はないがしろにされてしまう。ぼくは、「歯をみがく」を死語にしようと思っている。さて、眠くなってきたから、風呂に入って、口のなかの掃除をして寝ようかな。   今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。歯の手入れは、健康の手入れの入り口だと思うんだよねー。

まずは仕事柄イトイさんに深謝です。歯磨きを取り上げてくださって感謝します!
嬉しくなってメールしました。以下メールから抜粋。
ほぼ毎日、拝読しております。歯科医師です。全く同感です。「歯をみがく」という言葉ゆえに誤解を招き「グゥ握りでゴシゴシ」となり、人によっては歯や歯ぐきを傷めてしまう方もいらっしゃいます(楔状欠損など)。歯が硬いゆえに「磨く」が当てられたのでしょうか。   小生も「洗顔洗歯」「歯洗い」「口洗い」・・などの言葉を考えました。昔のお坊さんはやはり賢いと思います。神社やお寺には「手水場」があり、磨き(洗い)はしませんが「うがい」します。   口清め・・なんていかがでしょう。「口を清めてから寝なさいね」「おやすみの前に、口清めね」実は「グゥ握りゴシゴシ」を「鉛筆握りチョコマカ」に変えるべく「新歯ブラシ」考案中です。毎日道具である歯ブラシ(ちなみに毎日道具No.1は歯です)、口の友(口友)である歯ブラシ。新デザインの歯ブラシによって「歯磨き」から「口清め」に!最後になりましたが、「歯」を取り上げて頂いて深謝いたします。」先日の「味のある」でも「今日のダーリン」について書いています。2930


おまけの言葉:先日、来年のほぼ日手帳が届きました。箱の中蓋に次の言葉が・・。セフティ・マッチ氏とはシャレなのでしょうか?

BBTime 384 超極旨!

BBTime 384 超極旨!
「少しのことにも、先達は、あらまほしきことなり」兼好法師

今朝方(9/11)新型 iPhone 発表されました。個人的に「三つ目」はパス、二つ目のカラーバリエーションのバナナイエローがレモンイエローに変わったのも少々がっかり・・。先日「極旨!」アップ後に「バナナジュース」で検索したところ、色々と出てきました。「冷凍完熟バナナ」を使うのはジュース界では常識のようでした(笑)。その中に「極旨」の進化形レシピ発見、さて「超極旨!」とは?

超極旨!バナナジュースの作り方・・「生バナナと冷凍バナナを使う」。その黄金比は「生:冷凍=3:7」(引用元はこちら)。

試してみました。確かに「冷凍バナナ」だけより、生バナナを加えた方がフワット感が増し、より濃厚に甘く感じます。この情報を知った時に、ふと思い出したのが冒頭徒然草の一文でした。

『仁和寺にある法師、年寄るまで石清水を拝まざりければ、心憂くおぼえて、 あるとき思ひ立ちて、ただ一人徒歩よりまうでけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て、帰りにけり。   さて、かたへの人に会ひて、「年ごろ思ひつること、果たしはべりぬ。聞きしにも過ぎて、尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに、山へ登りしは、何事かありけむ。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず。」とぞ言ひける。   少しのことにも、先達はあらまほしきことなり。』第五十二段(引用元はこちら)。

たまにネット情報の中に「?」の記事もありますが、このバナナジュースレシピは「大当たり」でした。日常の何気ない行為(今回はジュース作り)も、何かの折に疑問や探究心を持って検索してみると意外に「大当たり」に出会うことがあります。ただし「ハズレ・大ハズレ」もありますので、自己検証は必要ですが。

この作り方でのバナナジュースはまさに「舌を疑う」ほどの甘さ!砂糖ゼロなのでムシ歯の心配ゼロです。繰り返しますがポイントは・・1)完熟バナナを使うこと 2)皮を剥かずにふた晩以上冷凍 3)完熟生バナナ3に対して冷凍バナナ7(実際はほぼ同じような大きさであれば、生バナナ1本と冷凍バナナ2本でもOK)です。0640



カルノレシピ・・三人分:完熟生バナナ1本+二晩冷凍完熟バナナ2本+牛乳300cc。ご注意・・このレシピで作ったジュースは、すぐにお飲みください。時間が経つと、嵩は減りフワット感も消えます。極旨ジュースが、何の変哲も無いジュースに変わってしまいます。「先達」の読みは「せんだち・せんだつ」のふた通りあるようです。
老婆心追加・・一人分だけ作る場合は?カルノレシピを三等分すればいいのですが、完熟生バナナ半分+冷凍バナナ1本+牛乳100ccでしょうかね。検証して報告します。

BBTime 383 味のある

BBTime 383 味のある
「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」渥美 清

ほぼ毎日読むエッセイに「今日のダーリン」があります。糸井重里氏のほぼ日刊イトイ新聞の冒頭コラムです。本日(9/4)分を読んで頭に浮かんだのがこのひと「寅さん」。以下スクリーンショットです。

「やさしく、つよく、おもしろく。」この順序が大事なんだよと、よく言う。なによりまず、「やさしく」からはじまる。他の人が「愛」と呼んでいるのと同じようなことだ。そして、「つよく」がそれを支える。「よわさ」のままで、ほんとうになにかするのは、ちょっと難しすぎるだろう。約束は、つよくないとなかなか守れない。そして「おもしろく」は、最後にくるのだけれど、この「おもしろく」はめしのタネです、と、ぼくは言う。腹の皮がよじれるほど笑う、というようなことではない。ふつうにしていて、しかも「おもしろい」のがいい。ふつうであることは、たいしたことなのだけれど、そこに「おもしろく」がないとそのまま埋もれてしまう。

「おもしろく」って、どういうことですか?と、よく質問されてきたような気がする。そこにはっきりした答えがあるとも言えない。ぼく自身も、その「おもしろく」ってどういうものか、ずっと考えてきているのだ。どうすれば「おもしろく」なるのか、よくわかってはいないのかもしれないけれど、実際に「おもしろい」ものは、たくさんある。それは、「いい人ってどういう人?」と訊かれて、なかなか説明しきれないのだけれど、現実には、たくさんの「いい人」がいるというのと、とてもよく似ている。

前にも書いたかもしれないけれど、ぼくの知っている、ぼくよりかなり年上のご夫婦がいて、その旦那さんが、ぼくに、さらっと言ったことがある。「女房はね、おもしろいんですよ」と、少し離れたところにいた奥さまを見ながら言った。「かわいい」ご婦人だというのは、見ていてわかった。でも、「おもしろいんです」と言われて、はじめて、なんだか、とてもうらやましいお二人なんだと思った。ぼくの言う「やさしく、つよく、おもしろく。」の「おもしろく」というのは、こういうことだ、たぶん。「あのこは、やさしくて、つよくて、おもしろいね」と、そんなふうに言われる人に、こどもたち、育つといいね。  今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「おもしろくない」ということは、ほっといたらダメだね。

読み返すほどに読み返しました。「やさしく、つよく、おもしろく。」を漢字にすると「愛情、正義、滋味」でしょうか。糸井さんのおっしゃる「おもしろく」とは「味のある」のような気がします。「おもちや」や「あんぱん」で触れたTED も同じく。『「あのこは、やさしくて、つよくて、おもしろいね」と、そんなふうに言われる人』になるためには、やはり磨く必要があるでしょう。英語に代表される外国語習得を例とするならば、単語や文法を覚えることはできても会話や文章のユーモア・センスまでマスターするなると、ちと難しいように思えます。だからこそ、最後の文章『「おもしろくない」ということは、ほっといたらダメだね。』なのでしょうか。これは冒頭の句の「どうする」に通ずるような・・。

『三木露風の童謡「赤とんぼ」を思い出す。三番の結び。「……、とまっているよ、竿の先」。掲句の作者も見ているように、よく赤とんぼ(だけではないけれど)は、秋の日に羽を光らせて「じっとしたまま」でいることがある。休息しているのだろうか。が、鳥のように羽をたたまずにピーンと張ったままなので、緊張して何か思案でもしいるような姿に写る。露風の詩はここまでで止めている(この詩が、露風十代の俳句を下敷きにしていることは以前に書いた)が、掲句はもう一歩踏みだしている。お前、明日はどうするんだい。そう言ってはナンだが、何かアテでもあるのかい。この優しい呼びかけは、もとより自身への呼びかけである。お互いに、風に吹かれて流れていく身なのだからさ。と、赤とんぼを相棒扱いにして呼びかけたところに、露風とはまた違う生活感のある人間臭い抒情味が出た。作者は、ご存知松竹映画「『男はつらいよ』シリーズ」で人気のあった寅さんだ。いや、寅さんを演じた役者だ。渥美清は、俳号を「風天」と称していた。「フーテンの寅」に発している。掲句は朝日新聞社発行の雑誌「アエラ」に縁のある人々の「アエラ句会」で披露された45句のうちの一句。熱心で、句会には皆勤に近かったと、亡くなった後の「アエラ」に出ている。このことを知ると、どうしても「寅さん」が詠んだ句だと映画に重ね合わせて読んでしまう。止むを得ないところだが、しかし、そういうことを離れて句は素晴らしい。「どうする」の口語調が、とりわけて利いている。』解説より。

寅さんを敬愛し、第45作「寅次郎の青春」にエキストラとして参加した小生にとって寅さんは永遠です。去る8/27は、第1作「男はつらいよ」の公開から50年でした。朝日新聞に「月刊寅さん」がスタート。こじつけですが「やさしく、つよく、おもしろく。」のムシ歯予防を考えています。近々、第一弾「歯と歯茎にやさしい歯ブラシ」をご紹介予定、乞うご期待!8001