BBTime 629 一膳九皿

「九月来箸をつかんでまた生きる」橋本多佳子

2023/08/27投稿 8/28加筆
今週末は九月ですが気温は真夏のまま。句の解説は『多佳子は生来の病弱で、とくに夏の暑さには弱かったという。したがって、秋到来の九月は待ちかねた月であった。涼しくなれば、食欲もわいてくる。「さあ、また元気に生きぬくぞ」の気概に溢れた句だ。それにしても「箸をつかんで」は、女性の表現としては荒々しい。気性の激しさが、飛んで出ている。なにしろこの人には、有名な「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」がある。この句を得たのは五十一歳。「箸をつかんで」くらいは、へっちゃらだったろう。しかも、この荒々しさには少しも嫌みがなく、読者もまた作者とともに、九月が来たことに嬉しさを覚えてしまうのである。九月来の句には感傷に流れるものが多いなかで、この句は断然異彩を放っている。ちなみに、若き日の多佳子は、これまた感情の起伏の激しかった杉田久女に俳句の手ほどきを受けている。「橋本多佳子さんは、男の道を歩く稀な女流作家の一人」と言ったのは、山口誓子である。(清水哲男)』(引用元)。今回は「一日二善」「一日二食」を踏まえての結論です。

前回前々回で、訪問診療中に施設の食事回数について感じたことを書きました。一日三食ではなく二食で良いのでは?。数カ所で「一日二食」の話をしました、ある施設で目撃した「一膳九皿」で結論が出ました。その日の昼食は「鮭のムニエル、サラダ、小鉢、ご飯」が標準。準備テーブルを見ていると、きざみ食、ミキサー食、水分摂取制限など、細かく利用者に合わせた膳が並びます。その中にひとつだけ皿数の多い膳を発見。数えてみると、なんと九皿が所狭しと並んでいます。これはこれは豪華ですねと、配膳係の方に問うと意外な答えが・・。

まず「一日二食」の結論から。数カ所で聞いた答えはおおかた次のようです。1)利用者の中には「こんなに(一日三食)は食べきれないから二食でいい」との声も確かにある。2)朝食はシンプルにパンと牛乳だから、そんなに時間や手間はかからない。3)施設説明時に「一日三食提供します」と「ここは一日二食です」なら、あなた(利用者家族も含めて)ならどちらを選びますか?・・というわけで「一日三食」です。

では「一膳九皿」のわけは?・・極めてシンプルでした。利用者(九十歳を超えた女性)の御家族が「おばあちゃんには、好きな物を好きなだけ食べて欲しい」と希望され、施設がその要望に応えて九皿であるとのこと。んー目から鱗でした。そうです!ここは病院ではないし、利用者は入院患者ではない。仮に残り少ない日々を「好きな物を好きなだけ」食べて欲しい。これには納得するしかありませんでした。職員さん曰く「いつも二割から三割しか食べられません」「食事量もご家族には報告しています」「それでもいいから豪華にしてくださいがご家族の希望です」。目から鱗の後、目頭が熱くなりました。

画像は黒砂糖です。南九州ではお茶請けによく登場します。少し前のことでした。訪問診療中に十時のお茶の時間、遠目に見ているとお茶と黒砂糖。職員さん「花子さんにはおまけでひとつ多く入れておくね」・・聞きながら「やめてくれ」と思いました。黒砂糖とはいえ砂糖です。ご自分での歯磨きは不十分な方が多く、結構口の中は汚れています。タイミングを見計らって職員さんに「黒砂糖は砂糖ですよね」「できれば他のものに」など話しました。他のものにと言った手前、探しました。黒砂糖よりムシ歯リスクが低く、コストパフォーマンスは同じくらいのお茶請けは?これが意外とないんです。

しかし「一膳九皿」を目撃してから探すことをやめました。おやつに、これはダメこれが良いよりも、何を召し上がってもいいのでメンテナンス(口腔清掃)をお任せください、の方がベターだと思ったからです。九皿同様、おやつは楽しみです。歯を守るためにおやつを変えるのではなく、食べた後の習慣(システム)を改善すべきであると思います。例えば、まず固形物(黒砂糖など)を出してあげて、ほぼ食べ終わってからお茶を出す。もしくは必ず最後はお茶で口の中を歯を洗うようにする、などです。もちろん、ご希望あらばメンテナンスいたします。

食べることは、多くの方にとって喜びであり幸せ。喜び優先なのか歯の健康が優先なのか?喜び優先であることは明白!黒砂糖、九皿・・その方の人生において喜びなのです。「食べるために」五年前に書いておりました、お時間あれば是非こちらも読みください。では皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 628 一日二善

「餡パンの紙袋提げ夏の果」下山光子

2023/08/15投稿
立秋(8/8)はとうに過ぎていますが「夏の果」なぞ、程遠い日々です。句の解説は『季語は「夏の果(はて)」。そろそろ、夏もおしまいだ。朝夕には、いくぶんか涼しい風も吹きはじめた。あれほど暑い暑いと呻(うめ)いていたくせに、いざ終わりとなると少し淋しい気がする。そんな情感が、さらりと詠まれた句だ。なんといっても「餡パンの紙袋」を提げているのが良い。代わりに同じ食べ物でも、茄子や胡瓜などでは荷も句も重くなりすぎるし、かといって水羊羹や何かの菓子の類では焦点がそちらのほうに傾いてしまう。その点餡パンは、主食というには軽すぎるし、お八つというにははなやぎに欠ける。よほどの餡パン好きででもない限り、食べる楽しみのために買うというよりも、ちょっとお腹がすいた時のために求めておくというものだろう。だから、餡パンの紙袋を提げていても、当人にはいわば何の高揚感もない。いくつかの餡パンをがさっと紙袋に入れてもらい、ただ手にぶらぶらさせて歩いているだけである。その気持ちの高ぶりが無いままに、しかし四辺には秋の気配がなんとなく漂いはじめているのであって、このときに作者はさながら紙袋の軽さで夏の終わりを実感したというところか。深い思い入れではないだけに、逆にあっけなく過ぎていく季節への哀感がじわりと伝わってくる。『茜』(2004)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回は前回「一日二食」への追加です。

タイトルを考えるに「一日一善」が浮かびました。改めて語源(由来)を調べてみてビックリ!「一日に善いことをひとつしましょう」と文字通り理解しておりました。では善いこと「一日一善」の善とは?

この「善」には六つあり、他人に対する「善」は大方ひとつのみで、他は自分に対する行いのようです。一日一善とは自分自身に対して「善いこと」しましょう!の意味なんです。

一日一善:「一日に一回は善い行いをして、それを日々積み重ねなさい」「「一日一善」は仏教の「六度万行」から来ています。お釈迦様は善い行いを六行とし、「布施=親切にする」「持戒=約束を守る」「忍辱=忍耐」「精進=努力」「禅定=反省」「智恵=考え智恵を高める」の六つから成り立った言葉です。この事から、お釈迦さまはこの六行のどれか一つでも一日の中で実践することで、他の五つも行ったと同じ事になるというように教えました。よって、一善というのはこの六行のうちのどれか一つの言うことを指し、それが元で「一日一善」という言葉が生まれました。」(出典はこちら)。

さらに詳しく調べると・・六度万行(ろくどまんぎょう)とは『布施持戒忍辱精進禅定智慧六度六波羅蜜)を成就するためのあらゆる善行・徳行のこと。『大品般若経』では「六度相摂」を説き、六度行の中に菩薩行のすべてが含まれているとする。浄土教では、そうしたすべての行の功徳が念仏に包摂されているとし、これをとくに六度念仏、あるいは方行念仏という。『無量寿経釈』には、念仏は正、万行は雑と説かれている(昭法全八四)が、その万行の眼目が六度行であることには変わりない。』(出典はこちら)。

布施:ふせ 出家修行者、仏教教団、貧窮者などに衣食その他を施し与えること。
持戒:じかい 戒律をたもつこと。破戒・捨戒に対することば。仏教に帰依する者の根本として生活態度を律すること。
忍辱:にんにく 耐え忍ぶこと、堪忍すること、認めること、忍可すること
精進:しょうじん ひたすら努力して怠けることなく、仏道にかなった善行を勇敢に実践し続けることを意味する
禅定:ぜんじょう 智慧を得るために精神を集中させること。
智慧:ちえ ものごとを判断し、決定する心の働き (全て引用元はこちら)。

他人への善なる行為は「布施」のみで、他の五つ「持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」は自分自身への行為です。善行・善い行為というより、生き方における「善」です。先日(8/11)の朝日新聞「折々のことば」・・「なにもしないことはなにもしないのではなくて、悪いことをしているのだ 佐橋滋」

「一日一善」を今以上に心がけるならば、世の中の「一日一進」は可能です。画像にあるように「消防士は火の粉を被っても現場に飛び込んで行く」・・施設の関係者の方々、訪問診療に携わる皆様、いかがでしょうか。「一日二膳」を真剣に考えてみてはもらえないでしょうか。ではでは、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 627 一日二食

「よく噛んで食べよと母は遠かなかな」和田伊久子

2023/08/10投稿
「台風のたたたと来ればよいものを 大角真代」台風6号に関して同感です。以前より公共交通機関運休が早めすぎ長すぎのような気がします。句の解説『季語は「かなかな」で秋、「蜩(ひぐらし)」に分類。どういうわけか我が家の近隣では,ここ十数年ほど、まったく鳴いてくれなかった。それがまたどういうわけか、十日ほど前から突然にまた鳴きはじめたのである。数は少なくて,一匹か二匹かと言うほどに淋しいが,とにかく「かなかな」は「かなかな」である。素朴に嬉しい。そして、なんと昨日は朝の起き抜けにも鳴いた。まだ明けきらぬ四時半くらいだったか、一瞬空耳かと疑い,窓を大きく開けてたしかめたら、たった一匹だったけれど、やはり「かなかな」であった。早朝の鳴き声は,田舎にいた少年時代以来だろう。夕刻の声は寂寥を感じさせるが,早暁のそれは清涼感のほうが強くて寂しさはないように思われる。やはり一日のはじまりということから、自然に気持ちが前に向いているためなのだろうか。懐かしく耳を澄ましながら、しばししらじらと明けそめる空を眺めていた。伴うのが寂寥感であれ清涼感であれ,「かなかな」の声は郷愁につながっていく。「子供にも郷愁がある」と言ったのは辻征夫だったが、ましてや掲句の作者のような大人にとっては,「かなかな」に遠い子供時代への郷愁を誘われるのは自然のことだ。遠い「かなかな」,遠い「母」……。もはや子供には戻れぬ身に、母の極めて散文的な「よく噛んで食べよ」の忠告も,いまは泣けとごとくに沁み入ってくるのだ。私たち日本人の抒情する心の一典型を、ここに見る思いがする。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(清水哲男)』(引用元)。今回は歯磨きと「一日二食」について。

訪問診療でいろいろな施設に行きます。それぞれ特色があり、はたから見ると違いとして見えてきます。施設利用者の方々の口の中も十人十色、キレイな人もいれば汚れている人もいます。利用者のレベル(介護度、認知症程度等等)に大きく左右されますが、施設の方針の違いも影響するしているように思えます。ある施設は「自立支援」が目標。食堂の椅子から車椅子に移ろうとされる時に、手を貸そうとすると「ご自分でできることはご自分でしてもらいます」とのこと。歯磨きも同様「歯ブラシを持てる方には自分で磨いてもらいます」・・理解できないでもないです。椅子に座る行為(動作)は座ってしまえば完了します。しかし歯磨きは違います。洗面で歯ブラシを手に磨かれても・・「磨いた」と「磨けた」は異なります。食事の際にほんのひと口箸を付けただけで「食べました」とはなりません。ほぼ食べ終えて「食べました」です。

利用者の食後の口腔清掃介助はかなり大変です。口を開けてくれない、歯ブラシを噛む、嫌がる・・等々。ただ、訪問していると結構きれいにしていらっしゃる施設もあります。清掃介助は大変です!そこで汚す前に「汚れにくい、汚す量を減らす」方法を考えてみませんか?という提案です。
1)おやつを考える!ある施設の午前十時ごろ・・おやつの時間でした。お茶と小皿に「黒砂糖」(鹿児島では結構身近です)のかけらが数個。遠目に見ていると「おまけしとくね」ともう一個。歯科医師としてはアリャアリャです。歯の表面の汚れのきっかけは砂糖です。他のものに変えてみませんか?提案したらおそらく「費用の問題」開口一番出て来そうです。口の健康(言わばその方の寿命)と費用は、どちらが優先?

2)自立支援であっても清掃介助は必要!くどい様ですが「腰掛ける」と歯磨きは違います。可能であれば(利用者の方がさせてくれれば)介助は必須です。利用者の方の顔に汚れが付いていれば洗ってあげるでしょう。口の中の汚れ、歯の汚れ、義歯の汚れは他人には見えにくいだけなんです。介助が必要です。

3)施設利用者の食事を「一日二食」にする!今回の提案の中で最も真剣に考えて欲しいことが「三食から二食へ」です。雑誌サライの記事によると「現代では、基本的に1日3食が当たり前ですが、これが定着したのは江戸時代・元禄期(1688~1704年)以降のこと。江戸中期に、さまざまな産業の生産性が高まり、流通が盛んになるまでは1日2食が普通だったのです」(出典元)。一日三食は、端的に言えば江戸中期以降の食習慣に習っているだけのことです。医学的にも三食より二食が良いとの記事が目に留まります。

─―日本では一日3食が健康の基本だと教わります。あまり食事をしないほうが健康にいいということですか。
すべての人が実践できるアドバイスがあるとすれば、食べる回数を減らすことです。一日3食も必要ありません。」記事はこちら是非お読みください。

「胃腸は、4~5時間以上、食べ物を入れない時間をつくらないと正常に働いてくれないといわれています。消化・吸収の時間を考えても、それは正しいと考えます。
このため1回1回の食事の量を減らして回数を多く食べるよりは、食事の回数を減らし絶食時間を長くしたほうが、消化管の負担にもならず、栄養吸収の面でも効率的です。
もちろん、これは単にエネルギー摂取という意味だけではありません。胃腸に負担をかけず、かつ細胞にあるミトコンドリアをリセットする効果もあり、アンチエイジングにも効果的です。」記事はこちら、是非お読みください。

画像はミキサー食。一日三食であれば、ミキサー食利用者の食事は朝昼晩に仮に四皿あったとするとミキサーにかける回数は12回です。ミキサー食の方が6人いらっしゃったら、72回ミキサーにかけることになります。一日二食に変えたなら、労働量・労働時間も減ります。加えて歯の汚れる量・回数も減るのです。二食に変えようとして二の足を踏むのは「利用者家族への配慮」でしょう。しかし、そこは医学的根拠を説明して理解を求めるべきだと思います。

施設のモットーは「利用者の幸せ」と異口同音に言われるでしょう。そうであるならば1)おやつをしっかり考える 2)歯磨き介助をする 3)一日二食へ変える じっくりそれぞれの立場で考えてください、お願いします。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 626 ジャムパン

「厚餡割ればシクと音して雲の峰」中村草田男

2023/08/07投稿
台風が近づいて来ております。厚餡とはアンパン・饅頭の類。句の解説『辛党(からとう)の読者(私もそうです)は、意表を突かれたかもしれませんね。季語は「雲の峰」で夏。もこもこと大きく盛り上がった入道雲を意識しながら、何も暑い季節に「厚餡(あつあん)」を「割る」こともあるまいに、と……。要するに、飲み助は甘いものを暑苦しいと思い込んでしまっているのです、たぶんね。でも、最近酒量の落ちてきた私にはよくわかるようなつもりになっているのですが、そんなことはないようです。薄皮の饅頭(まんじゅう)でしょうか。特に冷やしてあるわけでもないのに、手にする「厚餡」入りの菓子はどこか冷たく重く感じられます。作者が言いたいのは、この「厚餡」と「雲の峰」との質感の相似性でしょう。あの「雲の峰」も、いま手にしている饅頭と同じように、そおっと丁寧に「割ればシクと音して」割れるようだ。「シク」が眼目。「パクッ」でもなければ、ましてや「バカッ」でもない。あくまでも大切に割るのですから、無音に等しい「シク」と鳴るわけですね。日本のどこかで、今日もこんなふうに「雲の峰」を眺めている人がいるのかと思うと、それだけでも心が安らぎます。『銀河依然』(1953)所収。(清水哲男)』(引用元)。今回はBBTime 623「アイディア」の続きのようなお話。

ほぼまいにちアクセスする「ほぼ日」8/1付からの引用です。
『・アイディアとか、クリエイティブとか、創造性とか、どういうものなんだろうと、ずっと考えてます。すごいものだと思うんですよ、そこからいろんなことが始まるし、人も金も集まるし、世の中のたくさんのことを変えてしまうことだってある。すごいんだけど、それはすごい人だけのものじゃない。それは、だれでもが出せる、どこからでも出てくる。そういうカジュアルで気楽なものだとも思うのです。』

『◆アイディアとはジャムパンである。
昨日、「ほぼ日」の道場でそういう話をしました。
「あんパン」って、明治の時代の大発明だと思います。で、それはすばらしいことだけれど、偉そうじゃないです。もともと、あんこは昔からあったものだし、そのあんこを餅でくるんだ大福も、小麦粉で包んでふかしたまんじゅうもあったわけで、同じことをパンでやろうとしたのがあんぱんです。パンをふくらますのにまんじゅうのように酒種を使ったと。すごそうじゃないけど、すばらしいアイディアです。だれもが、いつも、あんパンをつくろうとする心を持とう。と言いたいのですが、これはこれで「わたしなんかにできるかなぁ?」と思われやすいですね。』

『たしかに、大福やまんじゅうの方法を、パンに応用するというアイディアはたいしたものです。しかし、その「あんパン」が登場した後で、「あんこじゃなくて、このジャムってものを入れても、同じようにおいしい菓子パンができるんじゃないか」と考えてつくって売り出した人も、いるんですよね。それはそれですばらしいアイディアじゃないですか。さらにはクリームパンだとか、チョココロネだとか、揚げあんパンだとか、カレーパンだとか、あんパンと見た目も変えたおいしいパンが出るわけです。人はだれでも、いつでも、どこかで、わたしのジャムパンを探せると思うのです。アイディアというのは、ジャムパンでオッケーなのです。ぼくらのいつもの生活のなかに、ジャムパンは隠れている。江戸時代の人にも、あんパン以前の人にも、ジャムパンはまったく見えてなかったんですよね。アイディアって、すごいけど、自然に納得のいくものです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。書いてて、あんパンとジャムパン食べたくなっちゃったよ。』

ご存じの方も多いと思いますが、あんぱんもジャムパンも発明したのは「銀座木村屋」。「木村屋のあゆみ」に詳しく載っております。

おやつ堂開店して今月で半年になろうとしております。パン+ジャム=ジャムパン。ムシ歯予防+カフェ=ムシ歯予防カフェ。あんぱん、ジャムパンのように「ムシ歯予防カフェ」が根付くよう精進の日々です。暑さ、台風、ご自愛の程ご歯愛の程。