BBTime 580 ハニ!チーズ

「一生の楽しきころのソーダ水」富安風生

2022/06/30投稿 6/30追加
この季節、大好きな句です。解説には『季語は「ソーダ水」で夏。大正の頃から使われるようになった季語という。ラムネやサイダーとは違って、どういうわけか男はあまりソーダ水を飲まない。甘みが濃いことも一因だろうが、それよりも見かけが少女趣味的だからだろうか。いい年をした男が、ひとりでソーダ水を飲んでいる図はサマになるとは言いがたい。だからちょくちょく飲んだとすれば、句にあるように「一生の楽しきころ」のことだろう。まだ小さかった子供のころともとれるが、この場合は青春期と解しておきたい。女性とつきあってのソーダ水ならば、微笑ましい図となる。喫茶店でソーダ水を前にした若い男女の姿を目撃して、作者はあのころがいちばん楽しかったなあと若き日を懐古しているのだ。むろん、味などは覚えてはいない。ただそのころの甘酸っぱい思いがふっとよみがえり、やがてその淡い思いはほろ苦さに変わっていく。』(解説より抜粋)。さて今年の鹿児島、梅雨入り後は雨あめアメ・・でしたが、アッと言う間に明けました。そうしたら即真夏!今回は「ハイ、チーズ」ではなく「歯にチーズ」のお話。

記事を見つけました。タイトル『虫歯はチーズで予防できる!WHO報告書で「エビデンスはほぼ確実」』。内容はタイトルの如く、チーズを食べるとムシ歯予防効果ありと言うものです。『「WHOのテクニカルリポートという報告書によると、虫歯リスクに関する科学的根拠を『確実』から『根拠不十分』まで4段階に分けた中で、リスク軽減の効果が『確実』とされる物質はフッ化物。そして、これに次いで効果が『ほぼ確実』とされたのがハードチーズでした」』(記事より)。キシリトール配合ガムよりもより確実な予防効果があるとのこと。

二つの理由を挙げています。再石灰化と緩衝能・・『「チーズは、再石灰化を促す働きがあります。チーズを噛むとその刺激で唾液成分が倍増し、カルシウムイオンやリン酸イオンによる修復が進みます。また、唾液には食事で酸性に傾いた口の中を中性に戻す緩衝能があり、虫歯を起こしにくくします。そしてこの緩衝能は、チーズにも備わっています」』
記事より)。

チーズの中でもハード系がオススメ・・『チーズの中でも特に、チェダー、パルメザン、エメンタール、ゴーダといったハードチーズやセミハードチーズが、カルシウムとリン酸の量が非常に多い。しかしチーズなら種類を気にせず、なんでもOKとのこと』(記事より)。『「虫歯予防のためにチーズを食べるなら、食事の最後が望ましいです」  何らかの食品と一緒にチーズを食べても、チーズの働きは阻害されない。もちろんお酒もOK。むしろお酒はほとんどが酸性なので、中性に戻す作用に優れるチーズと食べることが推奨される』(記事より)。手前味噌です、前回ご紹介した「そんなバナナジュース」は、牛乳・バナナともph(ペーハー)は7前後で中性です。ちなみに冒頭のソーダ水は、砂糖ゼロであっても安心とは言えません。炭酸水(ソーダ水)そのものが酸性飲料ですので、飲んだあと可能ならば、水かお茶を飲まれることをオススメします(中性に戻すために)。皆さま暑過ぎる日々です、ご自愛の程ご歯愛の程。

追加:はい、チーズについて。
ご紹介した曲のタイトルを見て頂けるとお分かりのように「はい、チーズ」のオリジナルは「Say,cheese」(セイ、チーズ:チーズと言って!)です。Say(セイ)を「ハイ」に替えただけですが、これは見事に当たりましたね。詳しくはこちらをどうぞ!日本輸入時は、まさにチーズがらみのようです(笑・スマイル・チーズ)!

BBTime 579 そんなバナナジュース

「バナナがいっぽんありました」片岡輝

2022/06/24投稿
「そんなバナナジュース誕生秘話」
1)歯は、磨いてももらうもの
 1990年に人口約五万の地方都市で歯科を開業しました。開業したて、ムシ歯の多い小学生に「歯を磨きなさい」、親御さんには「あまり甘いお菓子を食べさせないように」と真顔で諭していました。ある時、小学四年生の男の子と母親が来院。磨き残しがあるので、母親にも見てもらい「子供さんに磨くように言ってくださいね」と言ったところ、親子喧嘩に・・母「磨きなさいと、いつも言ってるでしょ」、子「磨いたもん」。母「汚れが残ってるじゃない」、子「ちゃんと磨いたもん」。徐々にヒートアップ、ついに男の子は涙声に・・はたで聞きながら「はた」と思いました!「そうか、この男の子はちゃんと自分で磨いたんだ。けど磨き残しがあった」・・ひょっとすると「自分ではきちんと磨けないのではないか」と歯科医として遅まきながら気付いたのです。そうなんです「歯は磨いても、もらうもの」なんです。左手に絵の具が付きました、自分の目で見てわかります。右手で左手の汚れを落とします、キレイになったかどうかもわかります。絵の具と違って、歯の汚れは自分ではよく見えません。どこが汚れているかなんて、大人でもわかりません。歯医者は長年、不可能なことをあたかも可能なこととして、「ちゃんと磨くように」「磨き残しがあるからムシ歯になった」と言ってきたのです。ご自分で隅々までキレイにすることは不可能なことなんです。自己反省も含めて声を大にして言います「歯は、磨いてももらうもの」。

2)ダイエットレストラン
 ジョギングしたり、ジムに通ったりとダイエットに勤しんでいた時に、ふと「入店前と店を出る時と、体重が1グラムたりとも増えないレストランがあったなら、味はイマイチでも流行るんじゃないの」と思いました。現実的には無理な話ですが・・閃きました。歯科ならできる!入店前より口の中がキレイになって店を出る!思いついたら即実行で十年ほど前、天文館に「歯のクリーニング専門店」を開きました。しかし約十ヶ月で閉店。後になって理由がわかりました。開店したのは「クリーニング店」であって「クリーニングレストラン」ではなかったのです。メインになるものが何もなかったのです。

3)ムシ歯予防カフェ「おやつ堂」
 クリーニング専門店閉鎖後、勤務医として働きながら自問自答の毎日。巷では「美味しい店」「美味しいスイーツ」などグルメ情報が年がら年中花盛りです。美食と歯は隣同士。歯が健康でないとグルメは楽しめません。美食と歯をどうにかして繋ぐことはできないだろうか?この問いへの答えが「ムシ歯予防カフェ」です。カフェでムシ歯予防・・カフェに来られたお客さんで希望される方の歯をプロが磨く「歯は磨いても、もらうもの」の実践です。ムシ歯予防カフェ「おやつ堂」は来年(2023年)2月開店予定で現在準備中です。

4)そんなバナナジュース誕生
 ムシ歯予防カフェ「おやつ堂」に必要なものは「スイーツ」と「飲み物」。スイーツはネットなどでの取り寄せスイーツがメインで、当然のことながら砂糖が入っています。かたや飲み物に関しては「砂糖ゼロ」にこだわりました。「砂糖ゼロ飲料」の主役がバナナジュースです。幼い頃、バナナは「果物の王様」「病院見舞いの定番」「高嶺の花フルーツ」でした。その反動か、大人になってからはバナナをよく食べ、バナナジュースも作っていました。甘く美味しく砂糖不使用のドリンク・・・バナナジュースしかない!早速レシピの研究です。経験に加えネットで作り方を検索、基本のレシピを少しずつ改良し、毎朝バナナジュース試作。バナナと牛乳だけでは物足りないので、隠し味の探求。ヨーグルトを入れたりバルサミコ酢を加えたり、さらに生クリームを足したりと・・。ある朝のこと、ある果汁100%果物飲料が冷蔵庫に、加えてみると・・すごく美味しい!バナナと牛乳とこの果汁だけで!そんなバカな!この瞬間「そんなバナナジュース」の誕生です。その後も割合を少しずつ変え、ついに神レシピができました。砂糖不使用砂糖ゼロですからムシ歯にはなりません。歯科医として太鼓判のバナナジュース、この度、来年二月の「おやつ堂」開店に先駆けて荒田のカフェ「coffee innovate」にて来月7/1より提供開始です。是非そんなバナナジュースをご賞味ください。
おやつ堂店主 河野秀樹

BBTime 578 珈琲二題

「休むとは流れることねあめんぼう」黒田早苗

2022/6/14投稿
冒頭の句とタイトルは無関係です。句の解説は『口語でなければ表現できない俳句世界はあるだろうか。最近、口語俳句について考える機会があって、口語俳句にこだわっている人々の俳句や五七五にさえなっていれば後は自由という作品などを、まとめて読んでみた。はっきり言って、なかなかよい句は見当たらなかった。なぜ、口語なのか。多くの句が、そのあたりのことを漫然とやり過ごしているように思えたからである。俳句のような短い詩型にあって、たとえば文語である「切れ字」を使用しないで物を言う口語は、かえって口語を不自由に窮屈にしているようだ。そんななかで、掲句は例外的と言ってもよいほどに、口語ならではの世界の現出に成功している。同じ心持ちを文語的に詠めないことはない。』(解説より抜粋)。今回は珈琲(カフェ)について文を書く機会があったのでご披露します。機会についてはこちら

「句読点」  
ウイスキーよりワインを好む。持論だが、嗜好品にはそれぞれの役割がある。ウイスキーは過去へのタイムマシン。10年ものであれば10年前に、30年ものであれば30年前に思いを馳せる。残念ながらその多くは回顧ではなく反省であり後悔、みなほろ苦い。ひとり静かに、バーの棚に目を泳がせながら聞くともなくジャズに耳を貸す・・これが小生のウイスキーの飲み方。かたやワインは今。手にしたワインのエチケットを眺め抜栓する。グラスにトクトクと注ぎ鼻を入れ口に含む。トクトクがワクワクとなり、脳の中で花開く。魅惑的な人と初めて話す時のようなワクワクである。さて、コーヒーはいかに。
 その昔「コーヒーは日常における句読点」とは美美(びみ)のマスターの言葉、言い得て妙。緑茶は読点にしかなれず、紅茶は句点、コーヒーのみが句読点となりうる。朝起きて鉄瓶を火にかけ豆を挽く、湯が沸くと温度計で確かめ、秒を計りながら湯を落とす。湯気の中の薫りを探りカップに口をつける。目覚めの儀式となっている。新聞やネットに目を走らせながら、粗熱が抜けていくとともに変化する薫りと味を楽しむ、至福の時。
 賞状の文章には句読点がない。勝手に解釈するに、賞状の文章は見る文章であり、読むものではないのだ。日常において句読点がなかったらどうなるだろう。昨年のこと、コロナ禍における飲食店時間短縮中、一人暮らしのバーテンダーが店を閉めた。時に二週間、長い時で四週間。日々の会話はコンビニやスーパーでの「ありがとう」くらい、気が滅入ったとのこと。日常における何気ない会話、仕事中の必要な会話、家族とのまさに日常会話。会話がなければ、句読点も必要ない。日常に句読点がなかったらこうなるのかも。
 日々の句読点、これがコーヒー。流されがちな日常に「喝」を入れ、日々是好日を実感させてくれる。一日の流れにメリハリをつけてくれる、リズムを与えてくれる。そして安堵の一杯である。珈琲美美の伝票には「ダルマサンガコロンダすきに 世の中も変わっとる ゆっくり珈琲ば飲んで 元気に起き上がってみんしゃい 何か手があるや呂」と。そんなコーヒーが私は好きだ。

「クラインガルテン」
 このドイツ語をご存じだろうか。直訳すると小さな庭、ドイツにおいて二百年以上の歴史を持つレンタル市民農園で、その多くは集合住宅が集まる都市中心部から離れた郊外にあり、小屋が併設されているものもある。週末になるとドイツ市民は野菜づくりに勤しみながら畑の脇でBBQしたり、小屋でくつろいだりと、実益を兼ねたレジャーとして人気だそうだ。先日、近所の「カフェ」でこの言葉を思い出した。
 「カフェ」とはひと昔前まで喫茶店と呼ばれ、コーヒーそのものでもある。以前、美美(びみ)のマスターから興味深い話を聞いた。もともとコーヒーチェリー(コーヒーの実)の果肉部分を乾燥させた、いわば「干しコーヒーチェリー」が商品であった。それを適量口に入れ、噛んで滲み出る汁を飲み込んではまた噛む、まさにチューイングガムのようなもの。この「干しコーヒーチェリー」をクチャクチャしながらお喋りに興じる、その時のクチャクチャ音がお喋り「チャット」の語源だそうな。さて、ベドウインはその「干しコーヒーチェリー」を商品として交易の旅に出るが、いかんせんカビたり腐ったりする。いつしか果肉に代わってコーヒー豆が主役となり、乾燥豆ゆえより遠くまで流通するようになったとのこと。
 「チャット」とは、今でこそネット上での対話も指すが、もともとおしゃべりである。古来、コーヒーとお喋りは好相性だが、飲みながらの対話はコーヒーが興奮剤であるためか時に討論となり激論化することもあったろう。近代、知識人や文学・美術などさまざまな分野のオタクが集い刺激し合う場としてカフェが存在し重要な役割を果たしてきた。まさにカフェでのチャットが「カルチャ」を生み育ててきたと言えよう。
 「カルチャ」と言えば、そのカフェにはコーヒーの香りに加え文化もかなり匂う。日常的に絵画、絵画的アート、立体造形の展覧があり、壁には日々変貌するアート「花」が生けてある。カウンターにはイータブルアート(食べられるアート)といえるビーガンスイーツが並び、カフェの一角には「坐って半畳」の茶室が不思議な空間を醸し出している。はたまた鉄製十六角柱椅子が片隅に鎮座しており、店主と常連客が太宰治について熱く語っている。時にライブが催されると聞く。カルチャの雰囲気漂うというより、ここでは「文化空気」を吸いながらコーヒーを楽しめる。
 ご存じの通り「カルティベート:耕す・栽培する」がカルチャーの語源である。なるほど「クラインガルテン」を思い出したのも合点がゆく。ここでは様々な文化野菜が植えられ栽培されている。小生のクラインガルテンはここである。そう言えば、カフェの名はカルチベートに似ていたような気がする。

タイトル二題で、音楽は三題。余談ですが、太宰治が山崎富栄と入水したのが昭和二十三年(1948年)六月十三日、発見されたのが十九日。奇しくも十九日は太宰の誕生日でした。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 577 六月四日

「六月を奇麗な風の吹くことよ」正岡子規

2022/6/6投稿
好きな句です。解説には『前書きに「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い』(解説より抜粋)。今回は奇麗な口元、白い歯についてのお話。

白い歯と言いながら手塚治虫氏ですが、実は関係ありなんです。タイトルの「六月四日」は『「む(6)し(4)」(虫)と読む語呂合わせから。漫画家・手塚治虫らの呼びかけで1988年(昭和63年)に設立された日本昆虫クラブが「虫の日」を制定。昆虫が住める街づくりを目指している』(引用元)。6/4は「虫の日」なのです。

同じく「6と4」で『1928年(昭和3年)から1938年(昭和13年)まで日本歯科医師会が、「6(む)4(し)」にちなんで6月4日に「虫歯予防デー」を実施していました。1939年(昭和14年)から1941年(昭和16年)まで「護歯日」、1942年(昭和17年)に「健民ムシ歯予防運動」としていましたが、1943年から1947年までは中止されていました。しかし、1949年(昭和24年)、これを復活させる形で「口腔衛生週間」が制定されました。1952年(昭和27年)に「口腔衛生強調運動」、1956年(昭和31年)に再度「口腔衛生週間」に名称を変更し、1958年(昭和33年)から2012年(平成24年)まで「歯の衛生週間」、そして2013年(平成25年)より「歯と口の健康週間」になっています』(引用元はこちら)。さて、ご存じの方もいらっしゃると思いますが、去る四月からインレーに白い材料が保険適用になりました。(インレー:白い樹脂を詰める処置(1回で終わる)ではなく、型(印象)をとって次回歯にセット(2回必要)する処置)

CAD/CAMインレー:キャドキャムインレーと呼ばれるものです。今までも白いインレーはありましたが、材料がグレードアップしましたし、インレーの作り方が全く異なります(詳しくはこちらを)。患者さんの疑問について述べたいと思います。まず一番多い質問が「耐久性」について。銀色は「12%金銀パラジウム合金」と呼ばれる金属で、かたやCAD/CAMインレーは「ハイブリッドレジン」です。この材料だけを比較すれば金属であるパラジウム合金に軍配が上がります。ただしインレーを歯につける際に使用するセメントとの相性においては、CAD/CAMインレーの勝ちです。個人的意見としては「耐久性」に、ハズレにくいを加味すればどちらとも言えないと思います。CAD/CAMインレーに関してはネットにも記事が散見されます、こちらも是非どうぞ。

「割れやすい」からと金属インレーをすすめる歯科医もいます。嘘ではありませんが、CAD/CAMインレーの場合、もし欠けても場所によっては白い詰め物で修復可能です(CR充填)。敢えて付け足すなら・・その歯科医がCAD/CAMインレーに技術的に対応できていない場合もあります。CAD/CAMインレーは新しい材料ですので、当然のこと新しい技術が必要です(さほど難しくはないのですが)。

と言うことで、特に急ぐ必要のない部位であれば、銀色を白くするのをもう少し待つのも賢い選択です。また価格においては、セット時(完成時、歯にセットする時)の支払いに関してはCAD/CAMインレーの方が安いです。治療の部位が銀色になることは、小生の考えでは「治っていない」のと同じです。もともと白ければ、治療後も白いのが当たり前。今まで適切な材料がなかったために、白い歯が治療後は銀色になっていたのです。最後に、しつこいようですが、歯はもともと生えてきた時は白い奇麗な歯です。ムシ歯にしてしまうので「銀色か白か」と言うことになってしまうのです。ムシ歯にしなければ白いままなのです。一に予防二に予防です!皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。

BBTime 576 今日でしょ!

「明日は又明日の日程夕蛙」高野素十

2022/6/2投稿
好きな句です。句の解説には『とにもかくにも今日の仕事を消化して、作者はしばし夕蛙の鳴き声に耳を傾けている。ホッとしている。明日もまた忙しいが、明日は明日のこととして、今日はもう仕事のことは考えたくないという心境だ。このように、昔は蛙たちが一日の終りを告げたものだが、いまの都会では何者も何も告げてはくれない。もっと言えば、一日の終りなどは無くなってしまっている。だから、明日の日程のために眠ることさえできない人も増えてきた。過労死が起きるのもむべなるかな。こんな世の中を愚かにも必死につくってきたのは、しかし私たちなのである。『雪片』所収。(清水哲男)』(解説より)。気持ちは理解できますが「明日は明日のこととして」と言えない今日この頃。コロナ然り、ウクライナ戦争しかり、気候変動然り・・。今日をしっかりしないと明日が来ない世の中になるのではないかと危惧します。思うだけでは世の中は変わりません、行動を起こさなければ・・言うは易く行うは難し。今回は最近気になっている曲のご紹介。