BBTime 479 二足歩行

BBTime 479 二足歩行
「薄く薄く梨の皮剥くあきらめよ」神野紗希

解説に『作者はべつに一本の皮を垂らそうとしているわけではなさそうだが、それでも「薄く薄く」剥こうと心がけている。なかなかに集中力を要する作業だ。何のためかと言えば、自分に何かを「あきらめよ」と言い聞かせるためである。自分自身に決断をうながすための、いわば手続きのような作業として可能な限り薄く薄く剥こうとしている。しかし剥きながら、なお決断することをためらっている様子もうかがえる。なんという健気な逡巡だろうか。下五にずばり「あきらめよ」と配した句柄は新鮮だが、内実は古風な抒情句と言えるだろう。好きだな、こういうの。』(解説より一部抜粋)。前回「オイシ教」に引き続き梨の句になりましたが、深い意味はナシ(笑)。今回は美味探求が人類誕生の鍵かも?について。

三井誠著「人類進化の700万年」に、直立二足歩行を人類が獲得した理由がいまだ謎であり、有力な説として「食糧提供仮説」が出てきます。その説とは・・子育て中のメスによりたくさんの食糧を運んでくるオスは気に入られて、子孫繁栄となる。たくさん運ぶために両手(前足)で食糧を持つようになり、直立二足歩行するようになったのではないか・・というものです。こちらもどうぞ

ここで注意すべきことは『人類のオスは、メスへ食糧を運ぶために二足歩行に適した体に進化し、繁殖する機会を増やした』と考えるのではなく、『二足歩行ができるように進化した人類のオスは、メスに食糧を運ぶことで繁殖の機会を増やした』の方が進化を考える上では適切であろうとのことでした。進化は「目的を持って進むのではなく」「遺伝子に起きる偶然の変異、それがもたらす体や行動の変化がそもそもの始まりだ」とのこと。キリンは高い枝の葉を食べるために長い首になったのではなく、たまたま長い首の生き物が生き残った、と考える方がベターのようです。

より多くの食糧を運ぶオスがメスに気に入られた・・一歩進んで、より美味しい食糧を運ぶオスはもっとモテた!有り得ない話ではないと思います。渋柿より甘い柿、青いバナナよりも完熟バナナ。こう考えると、人類誕生の頃から「美味探求」する人類はいた!宗教が成立する何百万年前から「美味探求」をしていたのかも知れません。美味探求は宗教よりとてつもなく古く、ヒトのDNAにインプットされているのではないでしょうか。

時に「懐かしい味」に出会い、この言葉を時に口にし、喜びや幸福を感じます。人にとって「懐かしい最古の味」とは、紛れもなく「美味しい(味)」であるとは言い過ぎでしょうか。人を好きになり恋に落ちる、美味しい物を探す。「恋愛」と「美食」は、ヒトのヒトたる所以であると思えてきました、直立二足歩行と同じように。では今宵も美味しいものを食べて、ご自愛の程ご歯愛の程。明晩は中秋の名月です!6370
https://youtu.be/QEdPe1SxitI

BBTime 478 オイシ教

BBTime 478 オイシ教
「梨を剥く一日すずしく生きむため」小倉涌史

彼岸を過ぎ鹿児島も涼風が吹くようになりました。解説には『この場合の「一日」は「ひとひ」と読ませる。「秋暑」という季語があるほどで、秋に入ってもなお暑い日がある。残暑である。今日も暑くなりそうな日の朝、作者はすずしげな味と香りを持つ梨を剥いている。剥きながら作者が願っているのは、しかし、体感的なすずしさだけではない。今日一日を精神的にもすずやかに過ごしたいと念じている。「すずしく生きむ」ために、大の男がちっぽけな梨一個に思いを込めている。大げさに写るかもしれないが、こういうことは誰にでもたまには起きることだ。そんな人生の機微に触れた佳句である。ところで、作者の小倉涌史さんは、この夏の七月末に亡くなられたという。享年五十九歳。このページの読者の方が知らせてくださった。小倉さんとは面識はなかったが、ページは初期から読んでくださっており、検索エンジンをつけるときのモニターにもなっていただいた。もっともっと元気で「すずしく生き」ていただきたかったのに、残念だ。心よりご冥福をお祈りします。『落紅』(1993)所収。(清水哲男)』(解説より)。

前回「美味笑」を書いた後「グルメ志向は宗教的思考と同じである」との認識をさらに強くしました。まずは「イシ」について。古語「イシ」の意味をご存じでしょうか?「美し」の表記でイシ。意味は「(味が)よい。うまい」。うまいの意の「美しし:いしし」のイ音便で「いしい」、さらに室町時代に女房詞(にょうぼうことば)として「お」がついて「おいしい」となりました。美味しいの漢字「美味」は当て字です。(こちら参考

「グルメ志向は宗教的思考と同じである」と考える根拠のひとつは「人それぞれ」です。知り合いの「桜島インターのカレーがいっばんうまか(一番美味しい)」とか「ハラがふくれればよか」はたまた「食いもんは何でんよか(何でも良い)」なども聞きます。口の中も同様です。定期的なメンテナンスを欠かさない人もいれば(失礼な表現ですが)口の中が「ちんがらっ(滅茶苦茶)」の来院者もおられます。「イシ教」を信じる人もいれば信じない人もいる。

お釈迦様、イエス様を信仰する人しない人、もちろん自由です。「美味しい」に重きをおかない、評価しない人は概して口の中(歯)に関しても低い価値評価です。低い価値であるがゆえに当然、口の中に問題が生じても放置されてます。信仰は自由、ご自分の歯への価値も十人十色でしょうけど、歯のトラブルでQOL(生活の質)が低下するすることは自明の理であり、ご本人にとって決してプラスにならないと思うのは歯医者だけでしょうか。いいえ、ご本人が一番お分かりと思います。

福岡「美美:びみ」のマスターは「珈琲は生活の句読点」とおっしゃいます。言い得て妙!同様に「美味しい」も生活において日めくりカレンダーの様に、その日その日の締め括り・ピリオドの様な気がします。日に一度「一日一善」まねて「一日一膳」、一日に一度は「美味しい」の言葉を口にしたいもの、その言葉が歯の価値観を高めます・・と信じてやまない今日この頃です。食欲の秋!ご自愛の程ご歯愛の程。5790


BBTime 477 美味笑

BBTime 477 美味笑:びみしょう
「笑ひ茸食べて笑つてみたきかな」鈴木真砂女

先日横浜金米堂(キンペイドウ)の「どら焼き」を頂きました。ひと口含むと思わず笑みが・・これぞ名付けて「美味笑:びみしょう」・・幸せです。真砂女さんも笑い茸よりは、美味しいどら焼きで笑いましょうよ(笑)。句の解説には『軽い好奇心からの句ではあるまい。八十歳を過ぎ、心から笑うことのなくなった生活のなかで、毒茸の助けを借りてでも大いに笑ってみたいという、一見するとしごく素直な心境句である。が、しかし同時にどこか捨て鉢なところもねっとりと感じられ、老いとはかくのごとくに直球と見紛うフォークボールを投げてみせるもののようだ。よく笑う若い女性にかぎらず、笑いは若さの象徴的な心理的かつ身体的な現象だろう。どうやら社会的な未成熟度にも関係があり、身体的なそれと直結しているらしい。したがって、心理的なこそばゆさがすぐにも身体的な反応につながり、暴発してしまうのだ。私はそれこそ若き日に、ベルグソンの「笑いについて」という文章を読んだことがあるが、笑い上戸の自分についての謎を解明したかったからである。何が書かれていたのか、いまは一行も覚えていない。といって、もはや二度と読んでみる気にはならないだろう。いつの間にやら、簡単には笑えなくなってしまったので……。(清水哲男)』(解説より)

「どら焼き」・・調べてみると面白い歴史があります。餡子とカステラ生地の組み合わせで「和洋折衷」の菓子だと勝手に思っておりましたが、何と「和菓子」です。江戸以前まで遡るようです(Wikipedia)。最も今のような形になったのは明治初期のようで『たとえば『たべもの起源事典 日本編』(岡田哲著/筑摩書房)には「明治初期に、東京日本橋大伝馬町の梅花亭の森田清兵衛は、初めて丸形のどら焼きを創作する。銅鑼の形のあんに、薄く衣を付けて皮を焼く。1914年に東京上野黒門町のうさぎやで、編笠焼きが創作され今日のどら焼きができる。網笠焼きより皮を厚くしたのが三笠山である」との記載』(出典はこちら)。ちなみにドラえもんの大好物です。

先日ふと「なぜ人は美味しい物にこれほどまでに情熱を注ぐのだろう?」と自問自答しました。比較の例が不適切かもしれませんが、日本においては仏教やキリスト教をはじめとする宗教における「敬虔なる信者」の方々の数よりも「熱狂的グルメ」の数の方が明らかに多いのではないでしょうか。小生は美味を求めることを否定も批判もしません、むしろ肯定します。「グルメ:美食家・食通」と呼ばれる人々はひょっとすると「美味教」なる宗教的思考回路のもとに東奔西走するのかもしれないと、真面目に考えはじめました。

辞書で引くと『宗教:生きている間の病気や災害などによる苦しみや、死・死後への不安などから逃れたいという願いを叶えてくれる絶対者の存在を信じ、畏敬の念をいだきその教えに従おうとする心の持ちよう』(新明解国語辞典より)とあります。

笑いの原点は「安堵」であると聞きます。大昔、ヒトが食べ物だと思い口にした物が腐っていた・・とっさに吐き出して無事だった・・「やれやれ」と安堵。この「吐き出す」「安堵」の一連の口の動きが「笑い」として発達したそうです(昔、笑い療法士セミナーで習いました)。美味しい物が「死への不安」を払拭するとは言えませんが、「美味しい」と感じた時を刹那的に捉えるならば「生きてて良かった!」と実感できるのではないでしょうか。この時の笑みが「美味笑」です。

以前「食べるために」「食べるために生きる」をアップしました。「人は食べるために生きるんや」の言葉に引っ掛かったからですが、美食を一種の宗教と捉えると「食べるために生きる」もアリだと思います。自分の望む人生を、凝縮して凝縮して一瞬の「美味しい」に投影しているように思えるのです。楽しい人生、幸せな一生を皆望みますが、皆が皆そうなるとは限りません。しかし、美味しいものは食べた瞬間・・「美味しい」「生きてて良かった」とほぼ間違いなく感じることができます。「思う一生」を細切れにし凝縮した瞬間が「美味しい」の一瞬と重ね合わせて、人は笑みをこぼすのではないでしょうか。皆さま、美味しいものを食べて、ご自愛の程ご歯愛の程。4790



三曲目は前回紹介しましたが、あまりにも歯がキレイなもんで!もちろん声も顔も!

BBTime 476 尻拭い

BBTime 476 尻拭い
「秋の暮大魚の骨を海が引く」西東三鬼

解説は『つとに有名な句だ。名句と言う人も多い。人影の無い荒涼たる「秋の暮」の浜辺の様子が目に見えるようである。ただ私はこの句に触れるたびに、「秋の暮」と海が引く「大魚の骨」とは付き過ぎのような気がしてならない。ちょっと「出来過ぎだなあ」と思ってしまうのだ。というのも、若い頃に見て感動したフェリーニの映画『甘い生活』のラストに近いシーンを思い出すからである。一夜のらんちきパーティの果てに、海辺に出て行くぐうたらな若者たち。季節はもう、冬に近い秋だったろうか。彼らの前にはまさに荒涼たる海が広がっていて、砂浜には一尾の死んだ大魚が打ち上げられていたのだった。もう四十年くらい前に一度見たきりなので、あるいは他の映画の記憶と入り交じっているかもしれないけれど、そのシーンは掲句と同じようでありながら、時間設定が「暮」ではなく「暁」であるところに、私は強く心打たれた。フェリーニの海辺は、これからどんどん明るくなってゆく。対するに、三鬼のそれは暗くなってゆく。どちらが情緒に溺れることが無いかと言えば、誰が考えても前者のほうだろう。この演出は俳句を知らない外国人だからこそだとは思うが、しかしそのシーンに私は確実に新しい俳味を覚えたような気がしたのである。逆に言うと、掲句の「暮」を「暁」と言い換えるだけでは、フェリーニのイメージにはならない季語の狭さを呪ったのである。『新歳時記・秋』(1989・河出文庫)などに所載。(清水哲男)』(解説より引用)。「La Dolce Vita」のラストシーンとは結びつきませんでした。小生の連想は「老人と海」でした。

前回「BBTime 475 不可逆」で紹介した句の次に載っていたのが掲句。「新編 折々のうた」の解説には・・「『変身』(昭和三七)所収。昭和三十七年、同句集刊行の直後六十一歳で没した岡山県生まれの俳人。新興俳句運動の大立者だが、本業は歯科医、洒脱な文章の随筆でも人気が高い。初期の句の華麗さが多く話題になるが、最終句集『変身』に収められた晩年の作には、懐深く味わい濃い句が多い。男盛りだったが胃癌に勝てず、死を身近に感じる最晩年だった。暗く壮大なものが沖へ静かに退いてゆくのを、作者は心の窓ごしに凝視している。」(「新編 折々のうた」より)。

この解説を読むまで「西東三鬼の本業は歯科医」と知りませんでしたし、西東三鬼の他に俳人である歯科医を未だ知りません。今更ながら、このような非凡なる歯科医がいらっしゃったとは、嬉しくもあり誇らしくもあり。長い長い枕となりました、二晩か三晩もお休みになられたかと(笑)。今回は自戒を込めて歯科医の仕事が「尻拭い」で終わっていいのか?について。言葉「尻拭い」を、歯科医の上から目線とお叱りを受けそうですが、あくまでも「歯科医の尻を叩く」が真意です。

辞書には「尻拭い=他人の不始末の責任を取らされること」とあります。ここでの他人とは「患者さん=ムシ歯を作った人・歯周病になった人」をさします。さて先日、不動産業を営む友人との会話で「最後はデベロッパかな」とのこと。一般的にデベロッパとは「デベロッパー(developer、開発者)とは開発業者のことで、大規模な宅地造成やリゾート開発、再開発事業、オフィスビルの建設やマンション分譲といった事業の主体となる団体・企業のことである。ディベロッパーとも言う」とありますが、友人の意味するところは「まちづくり」のようでした。

友人の話にビシッと尻を叩かれました・・「尻拭いで終わっていいのか」。ブログにも度々書いてますように、最もリアルなムシ歯の原因は「磨き残しの存在」です。あえて言うなら「他人の不始末:その方の歯磨き不足」によってムシ歯は発生します。ムシ歯になった方(患者さん)が来院し、治療し金銭を頂く。甘いものを食べてムシ歯になり、歯科医が治療しお金をもらい、歯科医は「甘い生活」を営むことができる・・素直に考えてシャレにもならん構図だと思います。

最終的にはデベロッパを考えている・・人に住居を提供して、家賃や仲介料をもらう。一般的な不動産業であっても世の中には必要な仕事です。現状に満足せず、さらに世の為人の為を思い、まちづくりへと。常々思うのです・・ムシ歯の治療、痛みをとるなど、人の為の仕事ではありますが、表現を変えれば「人の不幸につけ込んで・・」の仕事です。歯科医(もしくは歯科診療所)が尻拭い(ムシ歯治療)ではなく「歯垢拭い:しこうぬぐい」を今以上に行えば、これこそ「世の為人の為」です。

この図式はかなり昔に考えたものです。CURE=治療、CARE=手当てを必要とする方は患者さんであり、平穏な日常よりもマイナスに位置する、言わば不幸な人です。歯科医は治療などによって、噛めるようにしたり痛みをとったりしますが、マイナスからゼロの位置(平穏な日々)に戻しただけで、プラスのハッピー(幸福)を与えてはいません。より幸せは図式の真ん中より右上の部分です。当時「3C:サンシー、三つのC」とよんでセミナーをしていました。キュア、ケアに続く三つ目のCはズバリ「しあわせ」の「し」です。キュアケアなどの治療は尻拭いですが「歯垢ぬぐい」に軸足を移せば人々は「歯の痛み」も「噛めない不便さ」も味わう必要がありません。まさに「歯垢ぬぐい」は世の為です。尻拭いから「歯垢ぬぐい」へ

三つ目の「C」は果たして何なのか?今やっと見えてきました。歯科医の言い訳になりますが、日本における歯科医療(図式の左下)が「人の不幸につけ込んで」に甘んじて、積極的に「人をより幸福にする」に歩みを進めないのは、歯科予防(図式の右上)のビジネスモデルが確立されていないからです。保険診療の枠組み・システムで治療行為では収入を得ることはできますが、予防行為のみでビジネスとして成立させるにはハードルが相当高いのが現状です。小生が思う三つ目の「C」は真面目にCAKE:ケーキ!今回はここまで(笑)続きはいずれ。

画像は、覚えている人は知っている・・「おしりだって洗ってほしい」のCM。
「おしりだって洗ってほしい 皆様、手が汚れたら洗いますよね。こうして、紙でふく人って、いませんわよね。どうしてでしょう。紙じゃとれません。おしりだっておんなじです。おしりだって洗ってほしい。ToToウォシュレット 暖かいお湯で洗います。おしりだって、洗ってほしい。」1983年頃のCM、約40年前なんですね。

歯も同じです・・「私の歯も洗ってほしい」。そうなんです、ご自分では隅の隅まで洗えないんです。だからこそ「洗ってほしい」→「洗ってあげます」→ここでCAKEの登場(続きは今度)。皆様ご自愛のほど、ご歯愛の程。3120



三曲目はイタリア映画つながりで・・美女はイギリス人です。

おまけ:朝日新聞コラム「折々のことば」より
「のぞみはありませんが ひかりはあります」新幹線の駅員さん
千葉・本妙寺の掲示板にあった言葉(江田智昭著『お寺の掲示板』所収)。臨床心理家・河合隼雄が残したジョークから引かれた文言。河合が新幹線の切符を買おうとしたら、駅員にこう言われた。瞬間、この言葉の深い含蓄に感激し、同じ言葉を大声で返すと、駅員は「あっ、『こだま』が帰ってきた」とつぶやいたという。希望をなくしても仏様の光はずっと人を照らしている。」2020/9/13朝刊

BBTime 475 不可逆

BBTime 475 不可逆:ふかぎゃく
「がつくりと抜け初むる歯や秋の風」杉山杉風

画像は八月末日の桜島。「初むる」はソムル「杉風」はサンプウと読みます。句の解説は『江戸の大きな魚屋で、芭蕉の門人。芭蕉の経済的後援者だったことは有名。深川の芭蕉庵も彼の下屋敷だった。右(上)の句は『猿蓑』にのるが、初案は「がつくりと身の秋や歯の抜けし跡」として、芭蕉あて書簡に出る。これだと詠嘆が勝ちすぎて、句は集中度に欠ける。改案にはおそらく芭蕉の手が入っているのだろう。近年「がっくり」の語がはなはだしく流行するが、この句あたり、最も早い時期の文学的用例かもしれない。語感を鋭くとらえている』(新編折々のうた 大岡信より)。初案改案を読むに、この「抜け初むる」は乳歯が抜けたのではなく、永久歯が歯周病(歯槽膿漏)によって抜けたのでしょう。作者は抜けた歯を手に「人生の秋」・・おそらく晩秋を感じたのかもしれません・・今回は可逆不可逆についてのお話。

不可逆を辞書で引くと「ある化学変化が生じた状態を元に戻すような変化を起こすことが不可能なこと」。つまり「元に戻せないこと」です。歯科における「不可逆」の最たるものが「ムシ歯」で、過去にも書いてますが「ムシ歯の治療」は失った歯質(歯の部分)を人工的材料で置き替えたに過ぎません。歯周病もほぼ同等で、炎症によって失った歯槽骨(歯を支える骨)を元のように戻すことはできません。よって作者は「抜け初むる」となったのです。

かたや「可逆」は?極めて初期のムシ歯であり、初期歯周病の「歯肉炎」です。この段階であれば「実質的欠損(実際の損失)」はほとんど生じていませんから、まだ元に戻すことが可能です。数日でムシ歯になるわけではありません、歯磨きしなかったからすぐに歯肉炎になるわけではありません。歯科臨床の経験的では、週に一度ほぼ完璧に磨ければ元に戻せます。しかし残念ながら御本人では完璧磨きは無理ですので、日々数回磨きましょうとなるのです。

歯科医としての希望は「月一回」の専門家(歯科衛生士・歯科医師)による歯のクリーニングです。月一回の頻度は、これまた残念ながら現時点で「保険適用外」です。今回、台風十号通過後に「事前報道ほど激しくなかった」との声をちらほら聞きますが、無事が何よりです。JRの計画運休、コンビニ閉店、鹿児島離島の島外避難等々、表現は不適切ですが「ハズレ」が良いのです。歯科予防も同様、月一回お会いして「問題なしです、無事です」が一番・・と日々思います。ご自愛の程ご歯愛の程。1790

BBTime 474 菌増殖

BBTime 474 菌増殖
「ぐんぐんと夕焼の濃くなりきたり」清崎敏郎

九月です、やっと早朝に新涼を感じます。画像は夕焼けではなく朝焼けの桜島。句の解説に『「ぐんぐんと」夕焼けていく空を見るのは、これから深い秋にむかってからのことになる。なんだかとても幼い発想のようにも見えるが、ここまでぴしりと言い切るのは、なまなかな修練ではできないと思う』(一部抜粋)。夏の空気と秋の空気の大きな違いは「湿気」だと思います。「湿度・湿気」について面白い記事を見つけました、今回は菌の増殖について。

画像はマクドナルド・・小生は十年に一度くらいの頻度でしょうか。記事とは『マクドナルドのバーガーは腐らないという通説への返答』です。この「返答」をマクドナルドが出した理由は・・『最近のあるTikTokの投稿を受けてのものではないかと推測している。その動画ではある女性が、靴箱に保存していた、1996年に買ったことを示す紙袋からフライドポテトとバーガーを取り出し、どちらも腐っていない24年ものだと見せびらかしている。この動画は50万ビュー以上を獲得している』とのこと。

以下、公式返答『2020年8月31日 適切な環境でなら、私どものバーガーは、ほかの大半の食べ物と同じく腐ることがあります。しかし、腐るためには、一定の条件が必要です──具体的には、湿気です。食べ物自体かその環境に湿気が充分なければ、細菌やカビは繁殖せず、したがって腐敗する可能性は低くなるでしょう。ですから、もし食べ物が充分に乾燥している、または乾燥すると、カビや細菌が繁殖する、または腐敗する可能性は低くなります。自宅で作る食べ物も乾燥するままにしていれば、同様の結果が見られるでしょう。』(返答前半)。

続き『注意して見てみれば、皆さんがご覧のバーガーはパサパサに乾燥しきっていて、決して「買った日と同じ」ではありません。実際のところ、私どものバーガーは100%米農務省の検査済みビーフのみでできています。私どものパテには保存料もつなぎも入っておりません。唯一加えられるのは、グリルで焼くときの塩とコショウ少々です。』(返答後半)。

返答が「詭弁」に聞こえるのは小生だけでしょうか(きべん:本来つじつまの合わない事を強引に言いくるめようとする議論)。また返答が正しいとするならば条件次第で「マクドナルド」は、非常に優れた(干物のような)保存食になりうるとも言えるでしょう(笑)。

では「腐るためには一定の条件が必要」その条件とは・・食品における「細菌発育の3条件」を見つけました。三つとは「栄養・水分・温度」  栄養:ヒトにとって栄養となる食品は、細菌にとっても栄養源となります。調理器具類では、食品の残さや汚れが細菌にとって栄養源となります(引用元)。  水分:細菌は、食品中の水分を利用して増殖します。水分含量50%以下では発育しにくく、20%以下では発育できません。  温度:ほとんどの細菌は、10~60℃で増殖し、36℃前後で最もよく発育します(引用元)。

この三条件「栄養・水分・温度」が揃うと細菌が増殖し、結果的に食物が腐敗します。ふと「口腔内環境:口の中の状態」は?と考えました。かなり似通っているはずです。調べてみると、果たしてそうでした。1)まず水分は十分にあります・・『口湿 99ている』(引用元)。2)次に温度は・・『Plasmansらは湿湿湿2629湿7894る』(引用元)。意外にも細菌が最もよく繁殖する36°Cよりは低いようです。3)さて栄養は・・もちろん食事として摂りますので十分にあります。

口の中が細菌増殖の三条件を十二分に満たしていることは明白です。細菌が発育増殖すれば、ムシ歯となり歯周病が悪化し、口臭の原因ともなります。かと言って口の中を「水分ゼロ」「温度10°C以下」は無理な話。となると「栄養」をいかに減らすかが肝要です。ちなみに口の中で「食物」自体が腐ることはありません(腐った食べ物を口にすることはあり得るでしょうけど)。栄養は日に三度四度五度と口に入りますので、暖かく(26~29°C)潤った(十分な水分あり)環境の口の中で、細菌は増殖し放題です。もう、お分かりのように適切な「歯磨き」が必須です。

最後に、うがった見方ですけど動画が本当だとすると・・仮説1)栄養不足:ハンバーガーには栄養がなかった 仮説2)水分不足:購入時すでにバーガーは干からびていた、もしくは靴箱が乾燥箱であった 仮説3)温度不足:靴箱は、かなり低温の環境に置いてあった・・皆様、どう思われますか。ご自愛の程ご歯愛の程。0070
https://youtu.be/4ElFlDZwxS8