BBTime 395 痩せた?

BBTime 395 痩せた?
「鶏頭の十四五本もありぬべし」正岡子規

最近ではあまり見かけなくなりました。『夏から秋にかけ、赤・桃色・黄色などの花穂ができる。その形状がニワトリ鶏冠(とさか)に似ていることからこの名がついた。花期は6月から9月頃。原産地はアジアアフリカ熱帯地方と推定され、日本には奈良時代に中国を経由して渡来した』(Wikipedia ケイトウより)。鶏頭の命名は見た通りですが冒頭の句は・・奥が深いようです。さて今回は鶏頭ならぬ「ケンタッキーフライドチキン」でもなく「痩せる」についてのお話。

皆さんご存じ「カーネル・サンダース」氏です。最近、少し痩せられたように感じるのですが・・小生の目の錯覚でしょうか?

下種の勘繰りです・・「フライドチキンは脂っぽくて太る」ようなイメージを少しでも払拭せんがためでしょうか。フライドチキンはさておきシンガポールでは今月「甘い飲み物の広告全面禁止」が打ち出されました。記事によると『シンガポール政府は、砂糖の含有量が一定量を超える飲料水の広告を全面的に禁じる方針を発表した。同国が「健康危機」と位置づける糖尿病対策の一環。具体的な実施方針は来年に打ち出すといい、実現すれば世界初の取り組みになる』(10/12 朝日新聞記事より)。甘い言葉すらダメ!砂糖たっぷりの飲み物はもっての外!のようです。

小生も六月末より減量に取り組んでいます。七月八月九月と、さほど苦も無く順調に減少していたのですが、ここにきて「壁」に当たりました。これまでも日毎に体重はウエーブしていましたが、10/13 に70.7kg を記録後、体重変動の波が大波になり、ここ数日は増加しています・・「壁」ですね(泣)。

6/27の76.0kgをマックスに減量してきての「壁」です。これまでは炭水化物制限せずとも幸いに自然と箸が遠のき、加えて朝のジョギングでの減量成功でした。次なる一手を打つ必要があるようです。ここ数ヶ月でつかんだコツは痩せる(減量)ためにはやはり「腸内細菌」が関係しているということです。具体的には納豆です、1日1パックでは効果なしで、最低でも1日2パック、できれば1日3パックの納豆、プラス野菜の摂取です。納豆サラダは効果的!言い訳ですがラグビー応援にかこつけてのワインが増加の隠れ原因だと思います。

次なる一手として1)朝晩にひきわり納豆1パックずつ計2パック摂る。2)ランニング距離をプラス1キロ。まずはこれで年内トライしてみます。これまた言い訳ですが「焦っても痩せない!」・・焦らずに一歩一歩ならぬ1キロ1キロ減らしていきます。

減量については「続ける!3」「減量胃袋2」もお読みください。8330




BBTime 394 南瓜大王

BBTime 394 南瓜大王
「日あたりや熟柿の如き心地あり」夏目漱石

熟柿:じゅくし 小生大好きです、スプーンで食べます。この時期至る所で目にするのが熟柿色の南瓜・・ハロウインの南瓜です。正確には柿色のハロウインの南瓜を英語で「パンプキン」、全くの別物である日本南瓜は「スクワッシュ:Squash」と言います。パンプキンとスクワッシュの違いについてはこちらをどうぞ。

ここ数年、小生にとって戸惑い・違和感を通り越して嫌悪感を抱きつつあるのが「日本のハロウイン」です。なぜあそこまで仮装して大騒ぎをするのでしょう?他人に迷惑かけなければ悪くないとは思いますが、コンビニによっては店員までもハロウイン仕様の格好をさせられたりしてます。どう考えても「やりすぎでしょ!」日本だから・・と言えばそれまでですが、来月のボジョレーヌーボーも然り、再来月十二月のクリスマスも同様、ついでにバレンタイデーもそうです。

来年のオリンピックに向けて様々な場面で「おもてなし」の言葉を耳にします。NHKラジオ外国語番組にも「おもてなし」がついている言語があります。そこまで「おもてなし(相手に敬意をもって接する)」を声高に言うのであれば、是非「起こり・起源」を多少なりとも理解した上での日本人なりの「あなたなりの」行事として欲しいと切に思います。西洋の行事(日本以外の行事)に敬意を払う意味で、ある程度はその行事の意味を知るべきだと個人的には思います。

小生が初めてハロウインを知ったのは小学生の頃、漫画スヌーピーでした。毎年10月31日夜にライナスはカボチャ畑でカボチャ大王を待ちます・・カボチャ大王とはいわばサンタさんのような存在のようです。ハロウインとは元はケルト人のお祭りが起源で、オリジナルはカボチャではなく「カブ」でした。ハロウインがアメリカに伝わるとこの時期身近にある収穫されたカボチャ(パンプキン)がカブに取って代わったようです。詳しくはこちらをどうぞ。お時間ある方は「BBTime019 歯ロウイン」「BBTime177 チガウノヨ!」もお読みください。

ハロウインとは『毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられているのこと。もともとは収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている』(Wikipediaより)。

ボジョレーヌーボーとは『毎年11月第3木曜日(日付が変わった午前0時)に解禁される、特産品の新酒をボジョレー・ヌヴォー (Beaujolais nouveau) という。以前はその年のブドウの出来栄えをチェックすることを主な目的としたもので、ワイン業者が主な顧客であったが、その後、解禁日をイベントとして、新酒として大々的に売る販売戦略や販売手法が確立され、現在はフランスでも、日本と同じ目的で一般の消費者向けに売られている』(Wikipediaより)。

クリスマスとはキリストの誕生日ではなく(誕生日は不明)「キリストの誕生を祝う日」です。『クリスマスChristmas)は「キリストのミサ」という意味で、一部の教派イエス・キリストの誕生を祝う祭であり、降誕祭ともいう。あくまで誕生を祝う日であって、イエス・キリストの誕生日ではない』(Wikipediaより)。

バレンタインデーは『ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われている。キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたが、やがてその噂が皇帝の耳に入り、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令した。しかし、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に彼は処刑されたとされる。彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である』(Wikipediaより)。

最後に句の解説をご紹介『不惑などという年令は、とっくのとうに過ぎてしまったのに、いまだに惑ってばかりいる。句のような心地には、ならない。いや、ついになれないだろうと言うべきか。このとき、漱石は弱冠二十九歳。あたたかい日のなかの熟柿は美しく充実して、やがて枝を離れて落下する自分を予知しているようだ。焦るでもなく慌てるでもなく、自然の摂理に身をまかせている。そんな心地に、まだ若い男がなったというのだから、私には驚きである。ここでは、みずからの充実の果ての死が、これ以上ないほどに、おだやかに予感されている。人生五十年時代の二十九歳とは、こんなにも大人だったのか。「それに比べて、いまどきの若い者は……」と野暮を言う資格など、私にはない。西暦2000年まであと二ヶ月。一年少々で、二十世紀もおしまいだ。「二十一世紀まで生きられるかなあ。無理だろうなあ」。小学生のころ、友だちと話したことを、いまさらのように思い出す。切実に死を思ったのは小学生と中学生時代だけで、以後は生きることばかりにあくせくしてきたようである』(解説より)。不惑=四十歳 7530

BBTime 393 ノーサイド

BBTime 393 ノーサイド
「あきかぜのふきぬけゆくや人の中」久保田万太郎

ノーサイド・・終わりました。お疲れ様でした、と同時に深謝いたします。試合終了後「ノーサイド」が頭の中をゆっくりと動いておりました。

一般的にノーサイドは「戦い終えたら、両軍のサイドが無くなって同じ仲間だという精神に由来する」(wikipedia より)と受け止められていると思います(詳しくはこちらもどうぞ)。勿論、否定しませんが小生こんなことも考えました。

連想したは「It is no use crying over spilt milk.」(訳語には「覆水盆に返らず」が当てられますが、厳密には意味が違うようです)。今回思ったのは、松任谷由実「ノーサイド」に出てくる「彼はもう二度と かぐことのない風」です。

ノーサイドとは試合終了・・もうこれ以上走る必要もない・スクラム組むこともない・タックルの必要もない・・もっと言えばもう走りたくても走れない、スクラム組みたくても組めない、もう全て終わったんだよ、です。

だからこそ、やりたいこと、走りたければ、スクラム組みたければ、今だよ!今しかないのよ、です。No side の対義語はないでしょうが、あえて作れば On side 試合中でしょうか。ノーサイドの瞬間に全て終了です、やりたければ今でしょ!のように思えるのです。日本はノーサイドで次は四年後のフランス大会ですが、残る南アフリカなどはまだノーサイドではなく、オンサイドです。

最後に冒頭の区の解説文をご紹介『人込みのなかの淋しさ。極めて現代的で都会風の抒情句だ。銀座あたりの人込みだろうか。平仮名を使ったやわらかい表現から、時間的には秋晴れの日の昼下がりだろう。これを「秋風の吹き抜け行くや人の中」とでもやったら、とたんにあたりは暗くて寒くなってしまう。すなわち、翻訳不可能な作品の典型ともいえる。人込みのなかの淋しさを、むしろここで作者は楽しんでいるのである』。万太郎同様、ノーサイドの淋しさをワイン片手に味わっております。かつて楕円球を追いかけた者として・・。5900



追加:ノーサイドの歌詞が尻切れ蜻蛉でした。
「人々がみんなあなたを忘れても ここにいるわ
何をゴールに決めて 何を犠牲にしたの 誰も知らず
歓声よりも長く 興奮よりも速く 走ろうとしていた
あなたを 少しでもわかりたいから
人々がみんな立ち去っても私 ここにいるわ」

BBTime 392 拘る

BBTime 392 拘る:こだわる
「らうめんの淵にも龍の潜みけり」青山茂根

『春の「龍天に登る」に対し、秋の「龍淵に潜む」(秋分の頃だというが)。想像上の季語であり、作りにくい。しかし、この句に出会った時にびっくり仰天した。正しいラーメン丼には必ず龍が描かれている。丼の周囲のみならず、底にも龍がいる。満々と汁をたたえた<らうめん>の淵に息づくドラゴン、それを俳句にすることは考えもつかなかった。以来、ラーメンを食べるたびに、この句を思い出す。句の力とはそういうものである』(食の一句 櫂未知子著より)。

ぐるぐる巻きの雷文(らいもん)と龍です。それぞれに意味があります、詳しくはこちらとかこちらをどうぞ。冒頭画像は騎射場の「麺匠 樹凛:キリン」の塩ラーメン、龍ならぬキリンが隠れております(美味ですよ)。さて昨日ネットで「カップヌードル専用フォーク」の記事発見、しかも10/15 よりローソンでおまけとして進呈との情報。仕事帰りに早速寄ってゲット、いいですよ!

デザイン監修はあの佐藤オオキ率いる nendo 。「無駄にこだわった」とはシニカルな表現でしょうが「トコトン拘った」「あえて必要ないことに拘った」の掛詞のような気がします。ネンドの拘りもさることながら、依頼者である日清食品の「無駄に拘る」には頭が下がります。

『さまざまな知恵や工夫が詰め込まれた「カップヌードル」。安藤が「ひらめきは執念から生まれる」と語っていたように、新しい素材や技術を導入するだけでなく、自らも新しい手法を発案し、次々に課題を解決していきました。こうして誕生した新製品は、世界中で通用するように「カップヌードル」と名付けられ、1971年9月18日に発売されました』(日清食品HPより)。発売当初は知りませんでしたし、インスタントラーメン(袋麺)全盛の頃ですから、カップヌードルが小生の日常に入ってきたのはおそらく発売から十年後(大学生の頃)です。当時は今でもコンビニなどでもらういわゆるプラスチックフォークで食べていた記憶がありますが、お箸で食べる方が多かったように思います。

カップヌードル発売からもうすぐ五十年の今、専用フォークを創る・・既存のフォークでも箸でも食べられるのにも拘らず・・実際使ってみると、確かに食べやすいフォークです。カップ入りの食べ物は大きさの大小に関わらず、かなりの種類や数が日常に入って来ています。ひょっとするとカップ用フォークとしてメジャーデビューするかも?過去にも専用食具(カトラリー)はありました、代表が「いちごスプーン」です。生イチゴを食器に入れ、牛乳もしくは練乳をかけて、潰してスプーンですくって食べるためのいちごスプーン、いつの間にか食卓から消えましたね。ついでにもうひとつ挙げるなら「先割れスプーン」でしょうか。小生の小学校のみならず中学校時代も、給食時のカトラリーはこの先割れスプーンのみでした。

閑話休題「痒い所に手が届く(言わばニーズ・needs 必要性)」の商品やサービスは最近よく見受けられます、もちろん喜ばしいことです。しかしこの専用フォークは「あなたは痒さを感じてないかもしれないけど、恐らくこれから痒くなるだろうから、もしくは本当はかゆいのでは?だから新孫の手を作っておきますね(こちらはシーズ・seeds 必要の種)」だと思います。大袈裟かもしれませんが、創業者安藤百福氏の常にシーズを探し育むスタイルが脈々と受け継がれているような気がします、脱帽!安藤百福氏については、拙ブログ「油熱乾燥法」「満腹笑顔」もどうぞ。さて、三分間待ちましょうかね!4590



おまけ:新明解国語辞典の「拘る」が、いとおかしでしたので(笑)。

BBTime 391 唯一無二

BBTime 391 唯一無二
「まつすぐの道に出でけり秋の暮」高野素十

解説には『なんだい、これは。おおかたの読者は、そう思うだろう。解釈も何も、それ以前の問題として、つまらない句だと思うだろう。「で、それがどうしたんだい」と、苛立つ人もいるかもしれない。私は、専門俳人に会うたびに、つとめて素十俳句の感想を聞くことにしてきた。私もまた、素十の句には「なんだい」と思う作品が多いからである。そんなアンケートの結果はというと、ほとんどの俳人から同じような答えが帰ってきた。すなわち、俳句をはじめた頃には正直いって「つまらない」と思っていたが、俳句をつづけているうちに、いつしか「とても、よい」と思うようになってきた……、と。かつて山本健吉は、この人の句に触れて「抒情を拒否したところに生まれる抒情」というような意味のことを言ったが、案外そういうことでもなくて、このようにつっけんどんな己れの心持ちをストレートに展開できるスタンスに、現代のプロとしては感じ入ってしまうということではあるまいか。読者に対するサービス精神ゼロのあたりに、かえって惹かれるということは、何につけ、サービス過剰の現代に生きる人間の「人情」なのかもしれないとも思えてくる。みんな「まつすぐの道」に出られるのならば、今すぐにでも出たいのだ』(解説より)。画像は先日のスコットランド戦で代表初トライを決めた稲垣選手です。彼にとってはボールを受け取った瞬間に「まつすぐの道」が現れたと思います。トップスピードで受けた途端に目の前はスローモーションとなって・・・トライ

福岡選手のインターセプト直後も「まつすぐの道」でしょう。今回ジャパンの快進撃を観るに「唯一無二」の言葉が日本チームに当てはまると感じます。もちろん日本のみならずどのチームも「唯一」ですが、その持つ力を生かす・発揮する・出し切るのが「無二」であり、ジャパンのメンバーが彼らしか出来ないパフォーマンスを出した時「唯一無二」となり勝てるのでしょう。

小生七味唐辛子、好きです。それぞれの個性が光りながらも調和が取れている。1+1=3にも5にも10にもなるようなハーモニーであり力。以前ブログ「人生七味唐辛子」をアップしました、今回の解釈とは真逆のようですが、おそらく根本は同じでしょう。今回のW杯が観る人に感動を与えるのはラグビーの持つ「理不尽さ」「協力」「個々の力」などの要素が、人それぞれ「唯一無二」の人生に投影されるからかもしれません。

決勝トーナメントはまさに「まつすぐの道」。11/02横浜に向けての道を歩むジャパンに声援を送ります。十五色唐辛子のごとく力を発揮されんことを祈ります!4350


BBTime 390 ノーベル賞

BBTime 390 ノーベル賞
「虫の土手電池片手に駆けおりる」酒井弘司

句の解説には『このとき、作者は高校生。何のために必要な電池だったのか。とにかくすぐに必要だったので、そう近くはない電器店まで買いに行き、近道をしながら戻ってくる光景。川の土手ではいまを盛りと秋の虫が鳴いているのだが、そんなことよりも、はやくこの電池を使って何かを動かしたいという気持ちのほうがはやっている。作者と同世代の私には、この興奮ぶりがよくわかる。文字通りに豊かだった「自然」よりも、反自然的「人工」に憧れていた少年の心。この電池は、間違いなく単一型乾電池だ。いまでも懐中電灯に入れて使う大型だから、手に握っていれば、土手を駆けおりるスピードも早い、早い。』(解説より)・・握りしめる電池を「単一」と決めつけている解釈に少々苦笑します。

手前味噌ですが「吉野彰氏」に関して拙ブログ「BBTime 208 ICE が消える!」で取り上げています。受賞の報を聞いて思わずブラボ!でした。記事には『リチウムイオン電池は、電気をためられますので、夜もエネルギーを、いったん電気という形でためられるわけですよ。必要なときに必要なところに供給する。まさに、もし災害が起こったら、緊急時にそこから電気を取って最低限必要な電力を取る。宇宙船も多分一緒だと思うんですけどね。そういう機能を持っていますので、これは何を意味するかといいますと、今、大きな課題になっています、地球環境問題。これもまさにエネルギーを、どううまく生み出して、どううまく有効に使うかということですよね。そういうときに、リチウムイオン電池が非常に大きく、IT革命で1つ貢献しました、次はこっちで貢献しなさいよと。これは実は、ストックホルムも今回の私の受賞の理由として、2つ挙げてるんですよね。』(出典はこちら)。ひとつ目はもちろん「リチウムイオン電池の開発(発明)」で二つ目が「地球環境問題解決の糸口の発明」です。朝日新聞「天声人語」10/10 付けには『自然エネルギーを蓄電することへの期待も高まっている。「社会が化石燃料から脱却することを可能にする」というのが、賞が贈られる理由である』とあります。

先日千葉での長期間停電について、ふと思いました。「太陽光発電している家は停電しない?」早速、知人で屋根にパネルを設置している人に聞いたところ、その方曰く「停電します。屋根で発電しても使えません」とのことでした。調べました、シンプルに言うと「蓄電設備がないと活用できない」ようです。そこでリチウムイオン電池の登場です。個人で発電した電気を電池などを使って充電・蓄電しておけば、食品を冷蔵庫から取り出して食べるように電気を使えます。パネルを設置していない家であっても、電気自動車ならばフル充電で丸二日程度の家の電気をまかなえるようです。前出の記事にも『いわゆる非常時災害時に、そういう蓄電システムがありますと、例えば、電気自動車って、少しずつ普及し始めていますので、電気自動車1台は大体一般家庭2日分の電気があるんです。ですから、この間の千葉の大停電、10万戸停電しましたと。だったら、10万台の電気自動車を送ってあげれば停電なんかなくなるわけですよね。ですから、そういうシステムを早く作らないといけないですよね』(出典元)。こちらの記事もどうぞ。

今も含めて、これからの大発明(新製品・新システムなど)は地球環境へ配慮も必要なことは確かです。こじつけですが、歯科医療における地球環境への低負荷なモノは「予防」です。歯を削るなどの治療は「電気・水・貴金属・樹脂・仕事」などを言わば消費します。予防では歯を削る必要はありません。やはり予防が一番です。最後に「執着」について・・吉野彰氏のラジオ講演(NHKラジオ 科学と人間)のなかで「あきらめない(忍耐)」について語っておられます。昨日(10/13)のラグビー日本vs.スコットランドの試合も後半の後半はまさに「忍耐」の20分間でした。あらためてお二方にお祝い申し上げます!本日は以前なら十月十日体育の日、体育の日に因んだ曲をどうぞ。3950



追加:なんと「体育の日」は今年(本日10/14)が最後とのこと。来年からは?・・こちらをどうぞ。

BBTime 389 豚とラグビ

BBTime 389 豚とラグビ
「秋晴の運動会をしてゐるよ」富安風生

小学生の句と思いきや、虚子門の高弟のひとり富安風生(とみやすふうせい)の作。解説にも『前書きに「北海道を縦断して、一日汽車に乗り通す」とある。子供みたいな句ですが、面白いですね。俳句は、短歌でも現代詩でもない。こうした句を読むと、つくづくこの世界の懐の深さが思われます。パソコンなんて捨てちゃって、それこそ秋晴れの下、一日中汽車に乗り通してみたくなってくる。窓際には、冷たい缶ビールと上等な乾き物を少々。こんなふうに思わせるところが、俳句の力だというべきでしょう』(解説より)。各地で開催中のラグビーW杯も、このような秋晴れのもと戦わせてあげたいものです。

これはピーターブリューゲル「子供の遊び」1560年作に描かれており、豚の膀胱を膨らませています、風船の代わりでしょうか。さて問題「豚とラグビーの関連は?」・・答えは「ラグビー球の由来は豚の膀胱との説あり」です。『1560年『子供の遊び』ピーター・ブリューゲル 豚の膀胱Bladderを膨らませて遊ぶ子供が描かれています。豚の膀胱は気密性があり、空気を逃がしません。ゲルマン民族は豚を解体し、殆どの部位を料理に利用したが、食べられない膀胱は子供の玩具となった。ゴム風船が現れたのは、19世紀になってからのことです。』とありました(出典はこちら)。

先の子供は最前列右から七、八人目です。この絵に登場する子供達は総勢254名、遊びの種類は91種類とのこと(引用元)。文献的にはラグビー発祥は1823年ですので、豚の膀胱使用は合点がいきます。ネットには『なぜ楕円球なのかは諸説ある。国際統括団体ワールドラグビーのホームページなどによると、元々は豚の膀胱(ぼうこう)を膨らませて作られており、楕円形になる傾向があったためだとされる。初期はその材料の大きさに違いがあるため、ボールのサイズは決まっていなかったという。抱えて走りやすいように楕円形になったという説もある。』(出典はこちら)。

イタリア・パルマ近郊で作られる有名な生ハム「クラテッロ」は画像のように豚の膀胱に詰めて作るそうです(詳しくはこちら)。予測できない人生のように、楕円球はどう転ぶかわかりません。それだけにクラテッロ同様味わい深いのでしょうか。次の試合「日本vs.スコットランド」はスコッチ片手にクラテッロ味わいながらラジオ観戦(小生テレビ不所持)しましょう、いえいえ、やはりスプマンテですかね。神風吹いて台風の影響のないことを祈ります。1910

BBTime 388 楽苦備!

BBTime 388 楽苦備!
「静寂はラグビーボール立ててより」松村史基

句の解説には『ラグビーのゴールポストはH字形で、2本のポールの幅は5.6メートル、高さは国立競技場で13メートル。地面から3メートルの高さにクロスバーが渡してある。地面に置いたボールを蹴ってゴールをねらうゴールキックの場合、ポールの間、クロスバーの上を通過すれば得点。ゴールに上限はなく、要するに2本のポールは、空に向かって伸びる平行な直線なのだ。キッカーはひたすら5.6メートルの隙間をねらい、空へ向かってボールを蹴る。そこにはサッカーのようなディフェンスとのかけひきはなく、自分との勝負。この句には、そんなラグビーのキックの本質がきちっとあり、切り取られている一瞬の静寂が、その前後の激しいプレーや、突き抜けた冬空をも感じさせる。』(解説より)。

昨夜(10/05)の日本vs.サモアにはまさしく一喜一憂・・最後には、またしても感涙!その時間、移動中のこともありラジオ実況での観戦。画像(動画)がないため、状況を飲み込むのに僅かな時差が生じます、ゆえの一喜一憂。句にあるような「静寂」は実況でも同じで、田村選手のペナルティキックやコンバージョンキックのシーンが幾度となくありましたが、ボールをセット後・・・静寂(沈黙)でした。

今回のタイトル「楽苦備:ラグビー」は大学時代の監督が口にされていた言葉です。「なぜ今ラグビーをするのか?」の問いの答えが、文字通り「楽しみ苦しみに備えるため」・・今になって納得できます。さて、当時の球はセプターの革製(画像)でした。練習後にボールを磨くのは一年生の仕事。芝ではなく土グラウンドでしたので、当然のことながら球表面は荒れます。バックスキンのようにカサカサになります。この荒れた乾燥肌(表面)だとパスする際、指への吸い付きが悪いために、練習後一年生は残ってひたすらボールを磨いていました。今思えば不思議なんですが・・自分の唾液を球表面につけてストッキング(ラグビー用)でキュッキュッと言うよりゴシゴシと磨くのです。革表面には方向があるので、磨く際には往復ではなく片道で磨けとのことでした。夏合宿時など練習後ツバも出ません。我ら一年生は先輩に「ツバください」と言って(実際には球表面にぺッと吐いてもらって)磨いてました。今は昔の話です・・今のボールはゴム製ですよね。

実際、転がる球を追いかけながら、球(たま)とは言え球形ではないですからどちらに転がるかわかりません・・これも人生ですかね。夕刻暗くなるとボールが見えなくなるので、タックルマシーンでのタックルの練習です。はっきり覚えています、練習中に「肉体の苦しみと心(頭)の苦しみは同時には来ない」という原理に気がつきました(笑)。タックルする順番を待つ間、列に並び声を出します「さあ、行こうぜ」「ナイス、タックル」「声出して行こうぜ」等々。自分の番が近づくにつれ「痛みに対する恐怖・タックルしたくない気持ち」などが徐々にアップします。いざ自分の番でタックル・・肉体的には痛いのですが、精神的にはストレスゼロです。また、ボールを繋ぐ場合にも「己を殺して球を生かす」・・ワンフォーオール・オールフォーワン(One for all, All for one)。

「理不尽なスポーツ」・・ある時、早慶ラグビー観戦中に連れの一言。言い得て妙!ボールを前に投げてはいけない、スクラムやラインアウトは基本的には敵味方両者にとって対等(サッカーのスローインとは違うと思います)。またファオワードをやって気がついたことは「自分のエリアがない!」ボールの行くとこどこまでも追いかける必要があるのです。理不尽ゆえに「紳士のスポーツ」なのでしょうか。

理不尽に加え「ストイック」もしくは「へそ曲がり」とも言えるでしょう。「トライ」「コンバージョンキック」の由来を簡単にいうと「トライによってキックの権利を得ることができ、キックが成功したら点数になる」とのことです。元々はトライはキックの権利を得られるだけで点数なし、その後の権利行使のキック成功で得点でした(詳しくはこちら)。よってトライTRY=挑戦する(キックに挑戦)し、コンバージョンCONVERSION=転換するキック成功で得点となる。非常にわかりにくいですよね、簡単にその屁理屈を説明します。現行ルールではトライ5点、コンバージョンキック2点合計7点となりますが、昔はトライ0点ただしその後のキックに成功すると7点あげるよ・・との理屈のようです。へそ曲がりの骨頂!

理不尽でへそ曲がりな紳士のスポーツ・・例えるなら、世の流れに翻弄され、付かず離れず付きそうで成就できない、かといって離れない二人がやっと最後に結ばれる(右へ左への流れの中で、スクラムやラインアウト、タックル、モールラックを繰り返し、ついにトライ!)。こちらが観ていて、もどかしくなるような、イライラするような二人がやっとのことゴールインでしょうか。まずは次の一戦、スコッチ飲みながら応援します!1280


BBTime 387 空腹ハイ!

BBTime 387 空腹ハイ!
「ラグビーのボール大地に立てて蹴る」粟津松彩子

まずは句の解説から『季語は「ラグビー」で冬。あらためて言われてみると、なるほど「ラグビーのボール」は「立てて蹴る」。ゴール・キックの情景だ。句の妙は、ラグビーのフィールドを一気に「大地」に拡大したところにあるだろう。読者がそう実感できるのは、やはり「立てて蹴る」からなのだ。キックの前には競技が止まり、キッカーは息を詰めるようにして慎重にボールを立てる。この行為を、誰も助けてはくれない。孤立無援の行為だ。このときの彼の意識には、だから束の間敵も味方も何もなく、ただあるのはボールとそれを立てるべき地表だけとなる。全神経の集中が、彼にまるで「大地」のなかにひとり放り出されたような感覚を呼び起こす。見ている観客にも、それが伝わってくる。そしてねらいを定め、高々と「蹴る」。蹴った瞬間から、徐々に彼のなかには現実が戻ってくる。敵味方が動き、観客としての作者にも競技が戻ってくる。このいわば白い緊張感が、「大地に」と言ったことで読者の眼前に鮮かとなった。昔からラグビーの句はけっこう数詠まれてきたが、試合中の具体的なシーンそのものを詠んだ句はあまり見かけない。その意味でも珍しいが、作者はよほどのラグビー好きなのだろうか。蛇足ながら、作者八十九歳の作句だ。』解説より。

小生、学生時代(大学六年間)ラグビーやっておりました。フォワード(二番フッカー)でしたので、試合中にプレイスキックの経験はありません。当時、学生試合の使用グラウンドは芝ではなくほとんど土でしたので、キックの際には踵で大地をガッガッと少し掘って、その土を手で集め小山を作り、その上に乗せて蹴っていました。因みに上記画像の名は「キックティー」、今回初めて知りました(笑)。先日のアイルランドとの試合、仕事中でしたので合間にネットで経過をチェック。再読み込みアイコンを押すたびに「アイルランドが勝っているんだろうな」と思いつつ・・ところが・・ラスト10分は神に祈りました!ノーサイドの表示が出た瞬間・・涙・涙・涙。声を上げそうなほどの感涙。

さすがにラグビーハイは感じたことはありませんでした(もっともラグビーハイなんてないでしょう)。ランナーズハイはフルマラソン中に経験あります。今回は「空腹ハイ」について。しばしばこのブログでも書いていますように、六月から減量に取り組んでいます。もちろん日々の体重は波打っていますが、ほぼ順調に減量中です。減量(体重減少)の王道は今更言うまでもなく「食べる量のコントロール」と「負荷をかける(運動)」の同時進行です。近頃感じ始めたのが「空腹ハイ」!

以前は空腹になると「軽い恐怖」「イライラ」を感じ、不機嫌になっていましたが今は違います。空腹になると「次の食事に何を食べようか?」「食事の後のスイーツは?」と考え「ワクワク」「期待」「美味しいものの連想」などが頭を占め、いわば「空腹ハイ」の状態。加えて空腹(飢餓)によってサーチュイン遺伝子のスイッチがオンになりますので、さしずめ「若返りの泉」のおじいさんの気分です。

今思えば、イライラ空腹がある日突然「空腹ハイ」になったのではありません。減量を志す中でアプリを使っての体重の可視化、レースエントリーによるランニングの強化などによって体重減少を楽しめるようになった結果だと思います。朝、空腹を感じてプルーンをひとつ口に入れた後、もう一個欲しいなと手が伸びた時、自問自答するようにもなりました。本当に「空腹なの?」「ただ食べたいだけ?」・・するともう一人の自分自身が答えます・・「空腹ではないよ」・・これで冷蔵庫を閉めます。「空腹ハイ」を楽しめるようになると楽です!減量は順調だし、お金の節約にもなるし・・ポイント還元よりも家計には効果ありです。消費税10%をきっかけに「食べる量10%減」にトライしてみては?おそらく思ったよりも簡単なはず、空腹ハイ!心地いいですよ、オススメします。最後にラグビー雑学ひとつ。蹴る球「蹴球:しゅうきゅう」は文字通りサッカー、ラグビーは闘う球で「闘球:とうきゅう」です。闘球万歳!9750



おまけ:ラグビーの発祥など・・『ラグビーの起源は、「1823年イングランドの有名なパブリックスクールであるラグビー校でのフットボールの試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスがボールを抱えたまま相手のゴール目指して走り出した」ことだとされている。1840年頃にはボールを持って走る「ランニングイン」が確立して普及しだしたのは確かであるが、その第1号がエリス少年だったかどうかについては諸説ある。しかし、エリスが最初にボールを持って走ったという証言が記してある文章が、ラグビーの起源を調べる上で最古の文献だということは間違いなく、起源と考案者を探る上で名前がわかっている人物はエリスただ一人である。なお、エリス少年がルールを破ったとされるのは、ボールを手で扱ったことでなく、ボールを持って走った行為についてである。その頃はまだ今でいうサッカーも生まれておらず、当時のフットボールでは手を使うこと自体はルールとして許されていた。』Wikipediaより。2023年はラグビー誕生(文献上)二百年なんですね。エリス少年万歳!ラグビー万歳!