BBTime 514 舌は強か!

BBTime 514 舌は強か!
「蠅の舌強くしてわが牛乳を舐む」山口誓子

「強か:したたか」辞書には『逆境に立たされてもくじけることなく、いかなる手段や奇計とも思える策を弄してでも危機や困難を乗り越えよう(非難や世間の思惑などを気にせず、自己の利益や立場を守ろう)とする強い生命力・精神力をそなえているととらえられる様子だ』(新明解国語辞典より)とあります。今回「舌は強か!」言い換えれば「舌(美味しい)は頭(健康維持)に勝つ」「砂糖や脂肪分の量よりもオイシイが勝つ」のお話。掲句は季語「蠅」で夏です、あしからず。

巷で話題の「マリトッツォ:Maritozzo 伊語」の記事を目にしました。「伊菓子「マリトッツォ」、持ち帰りで高まる人気」(朝日新聞4/24付)・・・『ブリオッシュ生地などの円いパンに生クリームをたっぷり挟んだお菓子「マリトッツォ」が売れている。イタリア・ローマ発祥で、現地では朝食として食べられることが多いという。口をあけたような形が愛らしく、オレンジピールなどで香りづけしたり、果物を挟んだりと、バリエーションも豊かだ。手頃な大きさで持ち運びしやすく、コロナ禍で高まった巣ごもり需要にフィットしたことも人気の一因のようだ。』(記事より)。

翌日(4/25)の天声人語にも登場!『ぽっかりと口をあけたように切れ目が入り、生クリームが大量に詰まった丸いパン。週末の朝、散歩中にのぞいた菓子店で思わず声が出た。これは、ローマ名物のマリトッツォではないか▼現地で特派員をしていたころ、カプチーノと一緒に立ち飲みの喫茶店でよく食べた。手づかみで食べやすく、忙しい日の朝食にぴったりだ。最近、日本でも人気だという▼名の由来はイタリア語の「夫(マリート)」。古代ローマ時代、羊飼いの夫に妻が持たせた腹持ちのよいパンが起源だという説がある。近代にはクリームの中に指輪を隠し、プロポーズに使われたとも。最古とみられる記録は19世紀前半で、ローマの詩人が明るくうたった。〈私は毎日、聖なるマリトッツォを買いに行く……〉▼』(前半のみ)

幾つかのマリトッツォを食べました。店の違いはあれど、思ったより甘くなく美味しい!。イタリア語で「Marito:マリート」は「夫」の意。マリトッツォは日本語なら夫やウチの旦那の愛称で「ダンナちゃん」でしょうか。本「フェラーリと鉄瓶」(奥山清行著)に「朝から滅茶苦茶テンション上げないと、イタリア人とは渡り合えない」のような下りがあります。朝出勤途中のカフェでマリトッツォとエスプレッソでバチッと目を覚ますのでしょう。

人は何のために食べるのか?決して健康維持のためだけではなく、生きる糧(かて)としての食事、生きる糧である気力をチャージするためでもあるでしょう。食べることは「生きる」こと、健康維持のためだけではないと思います。マリトッツォ人気は心のチャージなのでしょうね。蛇足ですが・・歯磨きお忘れなく(笑)。福岡市なら、もちろん「アマム ダコタン」!

最後に句の解説より『誓子作品についてよく言われる即物非情の非情とは、これまで「もの」が負ってきたロマンを一度元に戻すことだ。蝶は美しい。蛾は汚い。黒揚羽は不吉。ぼうふらは汚い。蠅は汚い。みんな一度リセットできるか。それが写生ということだと誓子は言っている。子規が言い出して茂吉もそう実践している。生きとし生けるものすべてに優しさをとかそんなことじゃない。「もの」をまだ名付けられる前の姿に戻してまっさらな目でみられるか。この「強くして」がいいなあ。「生」そのものだ』(解説より抜粋)・・・まさにマリトッツォ人気も生(なま)の生(せい)。菓子パンは太る、甘いものはムシ歯になる・・ではなく、リセットしてみるとただ単に「美味しいものはオイシイ」なのでしょう、きっと。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。8010

BBTime 513 理不尽

BBTime 513 理不尽
「行春や鳥啼き魚の目は泪」松尾芭蕉

ひと雨ごとに「行く春」を感じます。この句が詠まれたのは332年前の五月十六日。解説に『芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出発したのは、元禄二年(1689年)の「弥生も末の七日(三月二十七日)」のこと。この日付をヒマな人(でも、相当にアタマのよい人)が陽暦に換算してみたところ、五月十六日であることがわかったという。すなわち、三百十一年前の今日のことだった』(2000/5/16の解説より)。「魚の目は泪」の解釈にも諸説あるようです。今回は昨春からのことを念頭においての「理不尽」。

画像は三年前(2018/5/14付)朝日新聞「折々のことば」。読み返してまさに「今でしょ!」と思います。死亡、会社の倒産、店の閉鎖、減収などを「理不尽」の一言で済ますことはできません。が、しかし未だ先が見えず、まだまだ続くであろう現状を思うに、こうでもとらえなければ「忿懣やるかたない」のです。

学生時代、ラグビーやってました。「理不尽」なスポーツです。ボールを前に投げる「スローフォワード」は禁止、スクラムやラインアウトも基本的には同等な条件です。加えてボールがご存じのように楕円球、着地後どちらにバウンドするかは球次第!・・まさに人生。ひとたび試合が開始されると「楕円形が悪い」「スローフォワードのルールが悪い」「・・が悪い」などと言っている暇はありません。

『食事は独りでとるより誰かとお喋りしながらするほうが旨い』・・これも真実。人(他人)に会いたい、集いたい、触れたい・・など、人としての根本的な行為が禁止・制限されるから「忿懣やるかたない」のです。

変異株について次のようなことを耳にしました。『ウイルスは宿主が居ないと生存できないので宿主が全滅してしまうと自分たちも全滅してしまいます。宿主が免疫を付けても繁殖しにくくなり死活問題になりますので変異して生存し続けようとしますが、感染力は上がるかもしれませんが宿主を全滅させないように基本的には弱毒化します』(出典はこちら)。だからと言って感染予防策を怠って良いということではありませんが、永遠に今と同じではないであろうということは想像に難くありません。

ノーサイドの笛が、いつ吹かれるかは神のみぞ知る。その時まで「日常は理不尽」として日々過ごすほうが、賢いでしょう楽しいでしょう。呉々もご自愛の程ご歯愛の程。6060

BBTime 512 ドロプレット

BBTime 512 ドロプレット
「晩春をヌード気分のマヨネーズ」小枝恵美子

今年は開花が例年以上に早く、しかも咲いたと思ったら瞬く間に満開となり、散り始めました。ところが散り始めてから鹿児島は花冷えです。さて晩春と呼ぶには早い気がしますが、掲句の「ヌード気分」はさておき、昨今首から下のみならず、首から上もヌードはNGの日々です。そうです!マスクが外出時のマストアイテム。今回は「マスクが極めて有効である」についてのお話。

よく聴くラジオNHK第二「カルチャーラジオ科学と人間 老化を防ぐ最新医学」第2回にマスクの話が出てきます。6/4まで聴くことが出来ますので是非!(こちら)。結論「マスク着用は極めて効果あり」!

コロナウイルスへの感染経路には「接触」「エアロゾル」「飛沫:ひまつ」などが指摘されて来ましたが、ラジオによると主犯は「ドロプレット:droplet」と呼ばれる「小滴:しょうてき」とのこと。ドロプレットとは目に見える程度の大きさの飛沫のことで、エアロゾルに比べるとかなり大きな粒子です。ましてやウイルスとは比較にならない程大きなものです。だからこそ「マスクは有効」なのです。

「会食」「大声での会話」「カラオケ」などで感染が拡大した事例から、マスクをやすやすと通過するウイルスよりもウイルスを含んだ小滴(しょうてき・ドロプレット)が主犯であるということがはっきりしてきました。もしエアロゾルが犯人だとすると満員電車でクラスターが生じるはずです。空中に浮遊しているエアロゾルよりも悪いのはドロプレットなんです。

主犯がドロプレットであるため、空中に浮遊せず下(床や地面)に落ちます。ダイヤモンドプリンセス船内において、ウイルスが多く検出されたのはトイレの床が最も多く、次いで枕や電話器、机やテレビのリモコンだったそうです。イギリスの論文では「1メートルから2メートル離れると感染力はかなり減る」とのことで、1メートル離れればかなりリスクは減り、2メートルだとほぼ大丈夫とのこと(ソーシャルディスタンス)。空中に浮遊しないので、下に落ちる、よって離れれば予防効果ありなのです。

加えて留意して欲しいのは「不顕生感染者からうつる」こと。不顕生感染者とは無症状感染者のこと。すなわちコロナ感染者からよりも「不顕生感染者」からの方が格段にうつる可能性が多いのです。具体的には症状の出ていない若い人(20歳以下)から高齢者への感染が最も危険。まとめますと最も有効なのは「ソーシャルディスタンスの確保(2メートル)」「マスク着用」「手洗い」の三つです。若い人には失礼な話かもしれませんが・・「マスク非着用の若人」が2メートル以内に接近してきたら要注意。一にも二にも「2メートル」「マスク着用」「手洗い励行」この三つです!皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。5120


BBTime 511 習慣の盲点

BBTime 511 習慣の盲点
「ンの字もソの字も同じ入学す」中野寿郎

入学式の季節です。句の解説には『季語は「入学」で春。ははは。「ン」と「ソ」は確かに似ているし、書き順を同じにすると、どっちがどっちなのか区別がつかない。まごまごしているうちに、晴れて小学校入学ということになってしまった。そんな幼いころを、自嘲というほどではないけれど、微苦笑しながら振り返っている。入学の句というと、圧倒的に我が子のそれを詠んだものが多いなかで、掲句は自分の入学を詠んでいて珍しい。一見我が子の句としても通用しそうだが、戦後の小学国語では平仮名表記から教えるから、これは片仮名を先に教えた敗戦以前に入学した人の句と解釈すべきなのだ。他ならぬ私の入学も、敗戦の一年前だった。「ン」と「ソ」の区別に悩まされたクチである。だから、作者の気持ちはよくわかる。「エ」と「ヱ」の書き分けにも戸惑ったし、「イ」と「ヰ」の使い分け方なんてさっぱり理解できなかった。おまけに「清水」という苗字の仮名表記が、なぜ「シミズ」ではなくて「シミヅ」なのであるか。それがまた戦後になると、ころりと逆転して「シミズ」と書けと言われては、何がなんだか……と、かなり目の前が暗くなった。いまひとつ国語になじめなかったのは、案外こんなところに原因があったのかもしれないと思う。全国的に、昨日今日あたりが入学式のピークだろう。いまの子供たちは、どんなことにまごつきながら入学するのだろうか。江國滋『微苦笑俳句コレクション』(1994)所載。(清水哲男)』(解説より)。今回は習慣の落し穴、習慣の盲点についてのお話。

習慣を辞書で引くと『いつもそうする事がその人の決まりになっていること』(新明解国語辞典より)とあります。皆さんの歯磨きの習慣は何歳頃のことでしょう?おおかた物心ついた時分でしょう。三歳、四歳、五歳では。冒頭の句同様に、小学校入学前には歯磨きの習慣が身に付いていたのでは。「ン」と「ソ」については入学後にしっかり習いますので書き分けができるようになると思います。しかし歯磨きはどうでしょう。おそらく四、五歳頃から親御さんに「歯は磨いたの?」「歯を磨きなさい」「ちゃんと磨きなさい」と言われて板のでは。文字は学校で教えてくれますが、誰もしっかりと教えてくれないにもかかわらず「磨け」と言われ、本人においても「磨けているのかどうか」判断つかぬまま、言わば一方的に「磨け」と言われてもなあと思いつつ・・、何の為に歯を磨くのかわからぬままに・・。

習慣とは先に書いたように「その人の決まりになっていること」であって、正しい(適切である)正しくないとは無関係です。歯磨き以外にも「顔を洗う」「体を洗う」などもありますが、根本的に違うのは歯だけが新陳代謝しない事です。顔や体は、洗い残した部分(汚れが残った部位)があっても、いずれ皮膚は汚れとともに剥がれ落ちます。しかし歯の表面は新陳代謝しないので汚れ(バイオフィルム)とともに剥がれ落ちることは決してありません。

加えて髪の毛(頭髪)であれば、周りの人はもちろん本人も鏡を使えばすぐに現状を知る事ができます。口の中(歯)はどうでしょう。たとえ鏡を使ってもなかなか見えませんよね。あなたの歯の汚れをご自分で可視化する方法はただひとつ「染め出す」事です。新学年、新生活になって気分一新の今、習慣の見直しをオススメします。日々の歯磨きに「染め出し」を是非加えてください。週に一度で結構です、是非!さらに月に一度、歯科医院でPMTC(歯のクリーニング)を受ければ言うことなしです。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。2800


追加:「ン」と「ソ」のもとになった漢字を調べました。「ン」が尓(なんじ)で「ソ」は曽とのこと。ややこしいのは「尓」の訓読みは「そ」なんです。
おまけ:先日小通りを自転車走行中に、看板「パソコン教室」が目に留まりました。「ン」と「ソ」を取り違えたら・・「パンコソ教室」・・パンこそ命!のパン大好き人が通う教室みたい(笑)。