BBTime 484 ナイデンテ

BBTime 484 ナイデンテ
「いちまいの皮の包める熟柿かな」野見山朱鳥

これはトルテッローニ、これも一枚の皮(パスタ)の包める・・です。今回は、前回「スフォリーノ」のお替り。まずは句の解説から『掌に重い熟した柿。極上のものは、まさにこの句のとおり、一枚の薄い皮に包まれている。桃の皮をむくよりも、はるかに難しい。カラスと競い合うようにして、柿の熟れるのを待っていた我ら山の子どもは、みんな形を崩さずに見事にむいて食べたものだった。山の幸の濃密な甘味。もう二度と、あのころのような完璧な熟柿を手に取ることはないだろう。往時茫茫なり。なお、この句には、同時にかすかなエロスの興趣もある。『曼珠沙華』所収。(清水哲男)』(解説より)。ちなみに熟柿は「じゅくし」

パスタの茹で加減、特に乾麺においてよく耳にするのが「アルデンテ」。直訳すると「歯において」・・デンテは「歯」です。Wikipediaによると『アルデンテイタリア語al dente)とは、スパゲッティなどのパスタを茹でるとき「歯ごたえが残る」という茹で上がり状態の目安とされる表現』とあり『麺が完全に茹で上がらずに麺の中心が髪の毛の細さ程度の芯を残して茹であげることをいう。芯を残して茹で上げるのは、茹で水の塩分が麺に完全に入らない分辛くならず、ソースも麺に入りやすくなり美味しさが増すからである。”al dente” を直訳すると「歯に~」であり、茹で上がりの「歯ごたえのある状態」を示す用語。パスタ以外にも、野菜などの茹で上がり状態を表現する際にも用いる』とか『なお、「アルデンテは乾麺でなければ成立しない概念であり、生パスタを利用する時はこの概念は適用されない」という勘違いもされているがイタリアでは生パスタもal denteと言う』とのこと。このアルデンテ・・スフォリーノ(の打ったパスタには)には必要ないようです。

画像は鹿児島市のスフォリーノが打ったパスタです。兄弟子の方のブログに『タリアテッレには、アルデンテは不要である。・・・現在の工房で製造するのは幅広のロングパスタ「タリアテッレ」と、詰めものをしたパスタ「トルテッローニ」のみ。ともにボローニャを代表するパスタだ。パスタ打ちにとって最も大切なのは食感。アルデンテでもモチモチでもない。薄い絹のように滑らかな舌触りで、まるで空気のような歯切れの良さを追求した河村さんの手打ちタリアテッレは「パスタの概念が変わる」とも評される』とあります。先日、食べながらこのことを聞いてみると「そうです」とのこと。イタリアではスフォリーノが打ったパスタはアルデンテではないので、離乳食としても食べられているとのこと。ではなぜ「ナイデンテ」なのか?

理由は「プリモピアット」に徹するため。またまた兄弟子(河村氏)ブログに『コース中のプリモ・ピアット。 それがパスタのポジションだ。(中略)「家庭やトラットリアでなら食べ方もある程度自由でしょう。しかし正式なリストランテでは、パスタはあくまでもセコンド・ピアット(メインディッシュ)の前に供されるプリモ・ピアットでしかありません。味覚としても、ボリューム的な観点からも、パスタでお腹いっぱいになってしまってはいけないのです。私にとって、コースの中におけるパスタは、味覚も量も食感も軽めの仕立てに持っていくのが相応しいと考えています」』(ブログより)。スフォリーノ(鹿児島市)がおっしゃるには、アンティパスト(前菜:Antipasto)とセコンド・ピアット(主菜:Secondo Piatto)の間なので、セコンド・ピアットを食べるのに負担にならないように(噛む力や意欲をを温存するために)、じっくり噛まずとも味わえるパスタを目指してますとのこと。お話聞きながら、ふと思いました。パスタの材料は「小麦粉と卵のみ」で砂糖不使用、噛む力の弱い方でも味わえる・・子供から総入れ歯の方まで、まさに老若男女にオススメの一皿と言えます。ムシ歯のリスクはかなり低く、義歯でも味わえる一皿です。

「日あたりや熟柿の如き心地あり 夏目漱石」・・先日、お昼にパスタを頂きました。食後は句のようななんとも言えない満足感と充足感・・是非、御賞味あれ!スフォリーノのインスタグラムは @sfoglinoyoshimoto


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BBTime 483 スフォリーノ

BBTime 483 スフォリーノ
「梅干の真紅を芯に握り飯」中嶋秀子

握り飯なのにパスタ?まずは句の解説からどうぞ。『季語は「梅干」で夏。梅を干す季節から定まった季語だが、句のように「握り飯」とセットになると、夏よりもむしろ秋を思わせる。運動会の握り飯、遠足やハイキングの握り飯など、とりわけて新米でこしらえた握り飯は美味かった。当今のスーパーで売っているようなヤワな作りではなく、まさに梅干を「芯(しん)」にして固く握り上げたものだ。飾りとしか言いようのない粗悪な海苔なんかも巻いてなくて、純白の飯に真紅の梅干という素朴な取り合わせが、目の保養ならぬ目の栄養にもなって、余計に食欲が増進し、美味さも増したのだった。掲句は、そうした視覚的な印象を押し出すことによって、握り飯本来の良さを伝えている。昔話「おむすびころりん」のおじいさんが取り落とした握り飯も、きっとそんな素朴なものだったのだろう(後略)』(解説より)。

加えて春の句ですが「母の日のてのひらの味塩むすび 鷹羽狩行」・・『海苔も巻かず、米と塩だけを供する塩むすびはまさしく家庭の味。かつての母達は、おなかをすかせた子供達のためにさっとおむすびを作ってくれた。贅沢とは無縁だった古き日本の母親達は、その<てのひら>から素朴な、しかし間違いなく美味しいものを生み出してくれた。子が母を信頼するのは、理屈ではない。空腹を満たしてくれたかどうか、である』(櫂未知子著「食の一句」82頁より引用。BBTime449「笑の素」参照)。

今回「塩むすび」のようなパスタを見つけました!皆さん「スフォリーノ:Sfoglino」というイタリア語をご存じでしょうか?小生、初めて知りました。スフォリーノとは『ボローニャでは、パスタの製麺に従事する者を2通りの名称に分けて呼びます。ひとつは”Pastaio”、もうひとつは”Sfoglino”です。Pastaioとは機械を用い製麺する者、SfoglinoとはMatterello(麺棒)を用い完全手作業で製麺する者を示します』(出典はこちら)。先日、フリーペーパーの記事「間借りのグルメ」に「ボローニャ仕込みの週末限定手打ちパスタ」の小見出し。これは調査隊としては百聞は一見に如かず!と先日早速調査へ。そのパスタが冒頭の画像で、次はその記事。

日曜の昼お店に・・白シャツの清潔感ある男性(この人がスフォリーノ)がにこやかに迎えてくれました。間借りゆえか流しの台に「茹でるだけですから」と電熱器ひとつ。きしめんのような平たいパスタの「タリアテッレ」(冒頭画像)と、クリームチーズとほうれん草を詰めた「トルテッローニ」(次画像)の二種のみ。二人で二種頼みシェア、まずはタリアテッレを口に、続いてトルテッローニ。食べ終わらないうちに「替え玉(お替り)可能ですか?」・・「はい可能です」。

感動でした。これ以上「何も足さない何も引かない」パスタ。初めての味わい、蕎麦なら掛け蕎麦、うどんなら素うどん。思わず質問「スフォリーノを名乗っている方は九州でも少ないでしょう?」・・「ひとりです」。「鹿児島市で究極のシンプルパスタだけを提供する」「スフォリーノを名乗る」に対して感動しました、もちろん味にも。ソースも具もないパスタのみで客を満足にさせる・・スフォリーノとしての「気合い」のみで客を幸せにする、志の高さに脱帽です。まさにパスタの伝道師!

画像は再びタリアテッレ。麺は小麦粉と全卵(白身と黄身)のみから作られます。週末(金土17時〜21時、日12時〜14:30)だけの営業。インスタグラム@sfoglinoyoshimoto スフォリーノに敬意を表してイタリア語の曲を。参考までに兄弟子の方の記事を二つ、こちらこちら。ではでは、ご自愛の程ご歯愛の程。1600


https://youtu.be/OwxOednOtI4

BBTime 482 ソンナ!

BBTime 482 ソンナ!
「をりとりてはらりとおもきすすきかな」飯田蛇笏

句の解説にはすすきのイメージとは真逆の「ソンナ、ばかな!」の話が・・『季語は「すすき(芒・薄)」で秋。秋の七草の一つ。(中略)そこで、ひとつどうでしょうか。近所の河原にでも出かけてみて、すすきを手折るなどして句のような風流を味わってみては……。でも、てな誘いにうかうかと乗せられて、すすきを手折ろうなんてことはしないほうが良いですよ。あの茎はとても強くてしぶといですから、普通の人には手折るなんて上品な行為では、まず「をりと」るのは無理でしょう。力任せに左右に何度もねじって、引き千切るくらいの野蛮さが必要です。学生時代にはじめて掲句に出会ったとき、私は蛇笏を人並外れた怪力の持ち主かと思いましたね。どう考えても、この句は丈の高い丈夫なすすきを「をりとりて」いるとしか読めません。なにしろ、手にして「はらりとおもき」なのですからね。そんなすすきを、句はたやすく手折ったように印象づけていますが、またそれでなくては句の美しさが失われてしまいますが、本当にさらりと「をりと」ったのだとすれば凄いことです。私だったら、「ねじきって」とか「ねじおって」、あるいは刃物で「きりとって」とでもやるところでしょうか。しかし、これでは「はらりとおもき」とはいきませんから駄目でしょう。名句の誉れ高いこの句は、ま、あらまほしき世界を描いたフィクションとしての名作なんでしょうね。世の中には「はらりとおもき」に目を奪われた解釈が圧倒的ですが、「をりとりて」にもう少し注目する必要があろうかと思います。むろん、私は俳句のフィクションを否定しません。否定しませんが、これはいささかやり過ぎじゃないのかと。いかにも実際めかした衣裳が、どうにもいただけませんので。(清水哲男)』(解説より)。先日、不動産屋さんとの会話にも雑草すすきが登場。すすきについては、解説に軍配が上がるようです。さて今回はバナナジュースに関する真逆の「ソンナ!」のお話。

バナナジュースに関して「極旨!」「超極旨!」「ほぼ完成」の三部作で完結したと思っておりました。ところが・・雑誌「エル・グルメ」最新号(11月号)に神レシピとして載っていた「決定!バナナジュースの黄金比!」はナント真逆。まず超極旨!の黄金比は「冷凍バナナ:生バナナ=7:3(=2.33:1)」。エル・グルメ黄金比は「冷凍:生=1:2」とほぼ真逆、そんなバナナ!

もちろん、逆黄金比で作ってみました・・美味でした。んーまた、考えます。共通点は「生と冷凍を使う」。両者ともに、それなりに美味しいのです、味わいが違うようです。例えるならば、しっかりとしたボルドーの赤ワインが美味しい、かたや繊細なブルゴーニュの赤も美味しい。現時点では真逆の二つのレシピの判断は保留です、また報告します。ちなみに二つのレシピは・・A)冷凍バナナ70g+完熟生バナナ30g+牛乳130cc B)冷凍バナナ50g+完熟生バナナ100g+牛乳125ccです。さて、秋の夜長にはやはりコーヒーでしょ。ということでコーヒーの歌を二曲ご紹介。1130


追記:ブログアップ後、毎日のようにエル・グルメレシピで作っています。こちらの方がなんとなく良さげです。
追加(10/26):冷凍バナナが生バナナの約二倍のレシピAと、逆に冷凍バナナが半分のレシピBで何度か作ってみました。どうやら軍配を挙げるとするならば「B」です。Aもそれなりに美味しいのですが、レシピB「冷凍バナナ50g+完熟生バナナ100g+牛乳125cc」の方がよりふんわりと甘いバナナジュースになるようです、ご参考までに。

BBTime 481 咖哩

BBTime 481 咖哩:カレー
「秋風やカレー一鍋すぐに空」辻桃子

「カレェェ鍋 すぐにそら」ではなく「カレーひと鍋 すぐにから」です(笑)。解説は『ややこしい句がつづいたので、スカッとサワヤカに。「空」には「から」の振り仮名。カレーライスは、こうでなくてはいけない。いつまでも、ぐちゃぐちゃと食べるものではない。福神漬かラッキョウを添えて(ベニショウガもいいな)、一気呵成に口に放り込む。食べた後の一杯の水の、これまた美味いこと。健啖の楽しさに充ちた爽やかな句だ。この句を思い出すと、つられてカレーが食べたくなってしまう。カレーは、子供が辛いものにも美味いものがあることを知る最初の食べ物だろう。なかには父親の晩酌相手の塩辛だったという剛の者もいるけれど、たいていはカレーだ。私も、そうだった。塩辛とは辛さが違い、唐辛子のそれとも違い、なんだか不思議な辛さだなと、子供心に思ったことである。ハウス・バーモントカレーもいいけれど、専門店のカレーはやはり唸らせる。ただし、私には激辛は駄目。いつだったか、タイに住んでいたことのある人と一緒に食べたことがあるが、一口でダウンした。その人は、この程度じゃ利かないねと澄ましていた。専門店もいいが、蕎麦屋系の店が出すとろみのある和風味のカレーも好きだ。ただ、そういう店ではよく、水の入ったコップに匙を漬けて出してくる。あれは、いったい何のマジナイなのだろう。あれだけは、ご免こうむりたい。『ひるがほ』(1986)所収。(清水哲男)』(解説より)。今回はカレーについて、ひと言。

実は昨年より月に数回、厨房に立つようになりました。先々を考え「まったく料理できません」では話になりませんので。・・料理に関しては苦い思い出が・・今から四十年近く前、大学三年か四年のゴールデンウイーク。ラグビーの春のリーグ戦が始まったばかりで、連休中ももちろん練習、日によっては午前午後の二回。この時、何を思ったのかチャーハンを自炊。当時たまに作っていましたが、小生にとっては「自炊=苦行」でした。理由は明白。空腹ゆえ料理を作るのに、完成まで食べられない!まさに苦行。料理途中つまみ食いするので、完成時には半分程の量しか残っていませんし、途中つまみ食いするものは、半焼けや半煮え。その自炊チャーハンに当たってしまったのです。使った卵が古かったのか?おかげで連休中、果物しか喉を通らず苦しい連休となりました。それ以来、自炊をやめました。

閑話休題。思い描く味のゴールは熊本市の「洋食屋橋本」の土鍋で供されるカレー。
家人に必要な材料を聞き、リストを作りスーパーに買い出し。数回目からは「牛すじ」に凝り下処理もじっくり。「豚軟骨」に至っては四時間以上かけて。カレールゥもその都度変えて味比べ。食事後の皿洗い・鍋洗いで、スポンジが油でべたべたになるのに驚きながら・・。

近頃では、理想の味に程遠いものの「我ながらまずまずのカレーができた」とひとりほくそ笑んでおりました。カレールゥ以外にカレーフレークの存在も知り使うように。巷のカレー屋は「スパイスカレー」がちょっとしたブーム。足を運びつつ、スパイスカレー(この表現も考えてみれば奇妙)には舌を出しても手は出さないと思っておりました。ところが、小生に刺激を受けた?家人が作ったスパイスカレーが美味!それ以来、ルゥやフレークで作るカレーには戻れなくなりました。

ネットで「印度カリー子」氏の記事で「日本のカレーはイギリス由来の煮込みカレーで、インドのカレーは炒め物」などを読むと妙に感心したり。必須のスパイスも普段に入手可能な「クミンパウダ・コリアンダ・シナモンパウダ」の三種のみ。このレシピで作ってみると、最後に味の調整が必要でした(甘酢と蜂蜜)が、従来のルゥカレーに比ぶれば「すぐに空」「お替り」と言いたくなる程の美味しさでした。

小学生の頃から、母が家で作る様子、当時のバーモントカレーのCM、キャンプでのカレー作り体験などから、カレーとは肉にジャガイモ、にんじんなどを入れて、箱入りカレールゥのもとを加え、煮込んで作るものと洗脳されていましたので、今回のスパイスカレーを自炊可能であることは「眼から鱗・口からヨダレ」でした。思い込みは損すると、実感した次第でした。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。0620


BBTime 480 非老化

BBTime 480 非老化:ひろうか
「老人の日といふ嫌な一日過ぐ」右城暮石

この方、カルメン・デロリフィチェさんの人生には「老人」という言葉は存在しないのでしょうね。この方、来年満九十歳です。『カルメン・デロリフィチェ 1931年にニューヨーク生まれ。4カ国のヴォーグの表紙を、史上初の15歳で務めて以来、85歳になる現在まで70年のキャリアを築いてきた。最近では高齢女性の活躍を自身が体現し、今なおモデル業界のアイコンとなっている』(2017/5/8の記事より)。

冒頭の句の解説には『はじめは「としよりの日」(昭和26年制定)といった。それが「老人の日」(昭和39年)となり「敬老の日」(昭和41年)となった。しかし「敬老の日」とは、いかにも押し付けがましい。国家が音頭をとって「尊敬」などと言い出し、ロクなことがあったためしはない。景気のよい時には地方自治体がお祝い金を出していたが、いまではつまらない式典だけになった。金の切れ目が縁の切れ目で、駆り出さなければ誰も来ない。私はまだ駆り出される年齢ではないが、作者と共に余計なおせっかいは「超」不快である。もちろん、いまや老人福祉の問題は国民的な課題だ。が、世間で行われている福祉の実態には、いつも式典的要素が介在するのは何故なのか。老人ホームでみんなでお歌を歌うなんてことも一例で、私なら、ほっといてくれと言うだろう。そんなことに「敬老精神」を発揮されたのではたまらない。しかも発揮する人々の多くが善意であるだけに、いっそうたまらないのである。このような「善意の愚劣」を、先輩諸兄姉よ、ここらで勇気を持って打ち砕くべきではないでしょうか。かつてロシアの文豪が、自逆的に言いました。「私は人類はいくらでも愛するが、隣の婆アはどうにも気にくわねえ」と。「善意の愚劣」の根拠でしょう。(清水哲男)』解説より。

先日、発表されたノーベル医学・生理学賞は『▽アメリカのNIH=国立衛生研究所のハーベイ・オルター氏、▽カナダのアルバータ大学のマイケル・ホートン氏、▽アメリカ、ロックフェラー大学のチャールズ・ライス氏の合わせて3人です。3人は、C型肝炎ウイルスの発見によって多くの慢性肝炎の原因を明らかにし、輸血などの際の検査ができるようにしたほか、多くの人の命を救う治療薬の開発に道をひらいたことが評価されました』(引用元はこちら)。このC型肝炎、小生の学生時代には「非A非B:ノンエーノンビー」の肝炎として習いました。さてタイトルの「非老化」これは文字通り、老化ではない・・従来老化と考えられ、人にとって避けられないものとして捉えられていた症状に実は原因があり、それは対処できるという意味です。

先日見つけた記事は「認知症の原因物質 歯周病によって蓄積する仕組みを解明」で、記事によると「認知症の7割を占めるアルツハイマー病は、「アミロイドベータ(Aβ)」などの異常なたんぱく質が長年、少しずつ脳に蓄積し、発症や症状の進行につながるとされる」・・この蓄積を歯周病菌がアシストしているようだ、という内容でした。「チームの武洲(たけひろ)・九大准教授(脳神経科学)は「歯周病菌が、異常なたんぱく質が脳に蓄積することを加速させてしまうことが明らかになった。歯周病の治療や予防で、認知症の発症や進行を遅らせることができる可能性がある」と話す」(記事より)。

中国唐代中期を代表する文人に「韓愈:かんゆ」がいます。韓愈の漢詩「落歯:らくし」・・毎年のように抜け落ちる歯と人生を重ね憂う内容です(詳しくはこちら)。ひと昔、ふた昔前は歯周病は「老化」であり、逃れられないもの(症状)として考えられていました。今では歯周病の原因は解明され、その予防法・治療法も確立されています。先程の記事のように「認知症」も少しずつ病因が明らかになり、予防法・治療法が確立される日もそう遠くないのかも知れません。

以前、ある患者さんが「(ここにくる前に)右膝が痛いので整形外科に行ったら、医者に「痛み(原因は)は、歳のせい」と言われて頭に来た。歳のせいなら左も痛いはず」とおっしゃいました。なるほど、その通り!右だけ痛いのは何かしら「痛みの原因」が右だけにあるはずです。歯周病予防が認知症予防へつながるのであれば、予防しない手はありません。時の過ぎゆくままに老け込むのは、もったいないと切に思います。皆さま、ご自愛のほどご歯愛のほど。・・曲は昨日(10/6)亡くなったヴァン・へイレンに哀悼の意を表して。9470


https://youtu.be/1Qi7c-pcq-A