心の野球2:桑田真澄

心の野球:桑田真澄

野球も人生も”うまくいかない”のが当たり前。
「超マイナス思考」で物事に向き合えば、
少しのことでプラスに変換できる。
積極的に行きていくことができるのだ。
(第5章 超マイナス思考より)

You certainly have a lot on your plate.
あなたにはやるべきことが多すぎるわ。

あなたがいれば

『子どもの頃、
祖母が好物の筍を食べながら寂しそうに
「入れ歯で食べてもいっちょん美味しゅうなか」
と言っていたのをふと思い出した。
彼女が最後まで自分の歯で食べられたら、
もっと笑顔の多い晩年だったろうに。』
marusan_sanのtwitterより

筍と聞いて、ふと昔書いた文章を思い出しました。
(以下「あなたがいれば」より)
患者さんは、はじめ恐る恐る噛み、
痛くない事がわかるとしだいに力を入れて噛みだす。
カチカチの音が元気よく聞こえてくるようになればしめたもの。
「ま、これでかえっせ、いっと、たもんみやんせ」
実際食べてみないと、こればかりは良いも悪いも言えない。

ウメさんは家に戻るとさっそく水屋から器を取り出した。
中身は竹の子の煮しめで、
ウメさんは2日前から竹の子の煮しめを作り始めていた。
竹の子、昆布、人参、いりこがはいっている。
箸でゆっくりと竹の子を口元に運ぶ。
竹の子の良い香が、鼻をくすぐる。
何年ぶりだろう。
総入れ歯になって竹の子を口にした事はなかった。
口の中に入れおずおずと噛んでみる。
入れ歯が竹の子をとらえた。
少しづつ力を入れる。痛くない。
更に噛み込んでみる。
すると、サクッサクッとはいかないが、
ザグッという音がして竹の子がつぶれた。
舌が竹の子の味をじわっととらえる。
もう一度噛む。
更に竹の子がつぶれ口の中に味が広がる。
甘辛い汁がにじみだすごとに、
目頭もじんわりと熱くなった。
お茶を一口飲んだ。
今までは、小さくくだくことができないため、
お茶で流し込んでいた。
味わう事など到底無理な事だった。

「福岡さん、こんにちは」
「竹の子食べられたよ」
「良かったね」
「あんたにも持ってきた」
有難い。
何が有り難いかというと、
僕の事を信頼してくれている事が有り難い。
総義歯の場合、完成するまでも時間がかなりかかるが、
完成義歯が口に入ってからも先は長い。
これからはいかに患者さんが義歯を使いこなし
自分のものにするか、
歯科医はそのつど適切な調整をするかが重要で、
そのような意味からも患者さんとの信頼関係が重要となる。
「福岡さん、いとなくても又来てね」
「又来る」
総義歯の人の中には、あきらめている人がいる。
入れ歯だから、痛くて当たり前、
しゃべりづらくて当たり前、
大きく口を開けると落ちてきて当たり前。
しかし本当はそうでなく、噛んでも痛くなく、
普通に会話ができ、口を開けて唄も歌えるのが本当である。
決して理想を言っているのではない。
入れ歯は、眼鏡と同様、人工心臓と同様に立派な人工臓器である。
例外も有るが、ほとんどの人の場合、
手間暇さえかければほぼ満足のゆく入れ歯はできる。

「福岡さん、どっかいたかと」
「ちがう、あんたに柏餅ば持ってきた。こん柏餅はうめよ。」
「ウメは、おまんさあの名前やが」
「まこっじゃ」
「ハハハハ」
いつの間にか柏餅の季節になっていた。
入れ歯を作ることはおいしいを作ること。
あなたがいれば。

平成4年 九州電力募集論文
論文テーマ「作る」入選作品

全文はこちら

あなただけのカレンダー3:伊集院静

あなただけのカレンダー3:伊集院静

私のカレンダーの反省から一言。
夢はシンプルで欲張りすぎぬよう。
さらに言えば
これまで着ることのなかった
新しいカラーを身につけるくらいの
モダンさがあった方がいい。
やはり人生はお洒落でなくては。
(三回に分けての最終)
朝日新聞広告より2010/06/19

We need a more creative solution to this problem.
この問題には、もっと創造的な答えが必要だ。

「薫風」ー風ふく街のニコラ歯科五月号

「薫風:くんぷう」

薫風とは
「初夏、若葉の香をただよわせて吹いてくるさわやかな南風」
と辞書にあります。
初夏・若葉と聞くと中村草田男の
「万緑の中や吾子の歯生えそむる」という句を思い出します。
さて㈱松風が唱える
MiCD=Minimally Invasive Cosmetic Dentistry
(最少侵襲による審美歯科治療)には「C」がはいっています。
今回もCにちなんで、
前回の「愛のピラミッド」のベースになった「4C理論」のお話です。

続きはこちらへ。

あなただけのカレンダー2

あなただけのカレンダー 伊集院静

私は自分のカレンダーを四十歳の半ばで作った。
勝手な夢と希望だから今もかなわぬことばかりだ。
それでもないよりあった方がよかった。
あなたにも新しいカレンダーを持つ資格がある。
なぜならあなたは今日まで世間の荒波を越えてきた。
実はそれ自体が素晴らしいことなのだ。
十二分に何かをなしてきたと言えなくとも、
ここまで十分に何かをなしているのだ。
その上、私たちは十二分に若いし、恋だってできる。
(三回に分けての二回目)
朝日新聞広告より2010/06/19

I think we all agree on this matter.
これについては皆さん賛成ですね。

タリーズの心

先日来、幾度か宮崎市中心部の
タリーズコーヒーに行った時のことです。
渡されたカップにこのような文字とイラストが!

おもわず、冷たいはずのカップが温かく感じられました!
タリーズにできて、スタバにできないこと、
あるようですね。
その店にしかできないこと、
本物の商品とはこのようなモノかも。
タリーズの心、これがタリーズの商品?
タリーズ、サンキュ!

あなただけのカレンダー:伊集院静

あなただけのカレンダー  伊集院静

新しい人生のカレンダーを作りなさい。
若い時とはまるで違う、
これからのあなたの人生のカレンダーだ。
そこにこれから自分がなすべきことを記しなさい。
何をやろうか、何ができるか、ではない。
これをやろう。
これをやるんだと、決意を記すのだ。
(3回に分けての1回目)
朝日新聞広告2010/06/19より

How do you feel about it?
それについてどう思いますか?

和のなかの白ー掘り起こし記事より

和のなかの白 205/03/15号より

「白梅のあと紅梅の深空あり」   飯田龍太

この時季、年末年始には、日常のなかに「和」が日頃よりも多く顔を出す。お歳暮につける熨斗や水引。大掃除で張り替える障子紙。門松、注連縄などのお正月飾り。年が明けては、お年玉を入れる熨斗袋やぽち袋。おせち用の白木の箸など、いわば、期間限定モノが数多く登場する。それらを見てみると、その多くのモノが白いモノである。

まず、白についていくつかの本を開いてみよう。

「最も明るい色。あらゆる波長の可視光線を物体を見て感じられる色をいう。ただし、完全な白色の物体は現実には存在しない。」(『色の手帖』より)

「太陽の光線をあらゆる波長にわたって一様に反射することによって見える色。雪のような色。何も書いたり加工したりしてないこと。潔白。」(『広辞苑』より)

「まじりけがない。しろくなる。しらむ。あかるくなる。しろくする。あきらかにする。あかるい。いさぎよい。」(『角川漢和中辞典』より)

古来日本では、正月をあらゆるものの始まりとする習わしがあった。数え年はその典型であろう。その始まりにあたって、白を多用したことには、如何なる意味があるのであろうか。おそらく、日本の伝統文化の書を繙かなくとも、白が清めの意を持つことは、想像に難くない。

お茶の点前の中には、幾度となく清めの所作がある。もちろん、準備の段階で、茶碗をはじめ、使う道具は洗い清めてある。そうしていながら、客の目の前でさらに清める。習いたての頃は、なかなかこの真意が分からず、ただ煩雑に感ずるだけであった。しかし「洗心」の茶軸を見たときに、点前の中の清めの所作は、道具を清めるのではなく、手前している本人の心や思いを清めていることを体感した。

白は、まさしく、清めの色と言えよう。ゆえに、白くするということは、和においては、清めることであり、浄化することであるといえるのではないであろか。

「点前の清めの小さな所作によって、心に清涼が訪れるという経験は、概念の奇蹟としてそのようなプロセスの根幹を占めていたに違いない。その瞬間、自分の懊悩もまた概念上の懊悩にすぎないことを、ほんの短い刹那にせよ、覚知できるのである。」
(『心理学者の茶道発見』より)

「侘びの思想は、現実を受け入れる姿勢である。その侘びの思想を体現した茶道は、私たちの懊悩の多くが概念の誤写であることを無理なく実感させてくれるシステムである。現実受容をはかり、心の癒しをはかるツールとして、今日まで機能して来たのである。私自身、この茶道の癒しの機能にずいぶん救われている。この癒しを少しでも多くの人に味わっていただきたいと願っている。」(同上より)

いささか難解な文ではあるが、清めの概念の一助になればと思い、紹介した。白くする、すなわち清めることによって、人は癒されるのである。自分自身の癒しを求めて、神に手を合わせるのではないだろうか。癒すために清めるのである。ならば、白くするということは、もちろん視覚的に歯は白くなる。しかし、その白い歯を求める心は、自分自身への癒しではなかろうか。

さて、冒頭の句のように、白と相性が良いのは「紅」である。九十九歳の賀の祝いを白寿という。「百」から「一」をとれば「白」になることからと聞く。茶名にこの「白」がつくものがある。薄茶に使う茶名に多いような気がする。聞けば、その名前には最上級にはひとつ足りないと言う意味をもつらしい。このことを口元にあてはめれば、そのひとつ足りないことを補うものは、クチビルではなかろうか。白い歯と紅いクチビルで、まさしく紅白である。

「お祝いの金封や品物に飾られた赤と白の水引や赤と白の紙を重ねて折ったのしをはじめとして、慶びの贈答と言えば紅白一対の色合わせで決まる。

赤は昇る太陽や燃える炎、熱く流れる血の色である。生命や躍動、生産をイメージする。白は日本人にとって、神秘や霊的なものを意味する色であったという。神様へのお供えの器がすべて白木であることが、古来、色を塗らない白木に神性を見たことを物語っている。白は無色を意味したものか。そうならば生命を表す赤と、神秘を表わす白との組み合わせが紅白となる。紅白の意味は生命の神秘すなわち宇宙である。ともあれ、この配色には、潔さとひたすらな明るさがある。」(『引出物』より)

顔において、クチビルが動くことを考慮すると、歯とクチビルを同等の一対のものとしてとらえるよりも、「歯はクチビルの脇役」と考える方が、面白いかもしれない。白い歯は、脇役として紅いクチビルを引き立たせる。

「コート・ドールの皿はすべて真っ白です。絵も文字も入っていません。真っ白なお皿がいいと最初から決めていました。絵皿を使うつもりはありませんでした。」(『メニューは僕の誇りです』より)

この文にあるように、西洋料理においても、真っ白な皿が多用される。古典的喫茶店におけるコーヒーカップもそうである。中国おける白磁に至っては、1500年をこす歴史がある。いずれも、その器に盛られる料理を引き立たせるためであろう。

また中国には古代から陰陽五行説なる考え方があり、その考え方を踏まえると、青春・朱夏・白秋・玄冬で白は秋になるそうである。白磁青磁の色は、雨後晴天の青空と白い雲の色を模したと言われる。この白秋もまさしく、秋の空気の清涼感・清澄感を象徴するのではなかろうか。

「白」について、このように考えてみると、洋の東西を問わず、「白」とは清らかでありながら、謙虚さをもつ。加えて、清めるという動詞的な意味合いを持つことによって、癒しの色でもある。和においては、白くすること、すなわち清めることであり、清めるということは、自分自身を癒すことであると結論づけることができよう。言うまでもなく、癒しは医療の原点である。

参考文献/
新版 色の手帖     永田泰弘監修 小学館
広辞苑第五版      岩波書店
漢和中辞典       貝塚茂樹 他編 角川書店
心理学者の茶道発見   岡本浩一 淡交社
引出物         小山織 マガジンハウス
メニューは僕の誇りです 斉須政雄 新潮社

(日本歯科漂白研究会 第1巻第1号会誌投稿 平成15年2月1日発行)
ハナマルメール2005/03/15号より

美白は文化になった!ー掘り起こし記事より

「美白は文化になった」2005/02/28付けのハナマルメールより

「中国は巨大な市場で、
上海を中心にヘアカラー文化への興味が高まっている」
2004年6月8日付けの朝日新聞の経済欄に、このような文章を見つけました。この記事は「ヘアカラー市場縮小」という見出しで、これから、成長市場を海外に求めることについての業界最大手社長のコメントです。今や、女性のみならず男性までも髪の毛を染め、「茶髪」という言葉は、もはや死語とも言われます。そんな今、ふとヘアカラー文化って、なんだろうと思いました。

文化の定義は、色々あると思いますが、広辞苑によると「衣食住をはじめ技術・学問・芸術・道徳・宗教・政治など生活形成の様式と内容とを含む。文明とほぼ同義に用いられることが多いが、西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、文明と区別する」とあります。友人の大学講師Mr.Michael Narronの論によりますと、まず科学や産業の発達(文明)によって新しいモノやサービスが生まれます。それらが人々の生活の中に浸透していきます(習慣化)。その習慣が、新しい文化を育て、その文化によってさらに新しいモノやサービスがつくられていきます。

文化という視点で、何冊かの本を拾い読みしてみました。「美女の教科書1」には「日本女性はなぜ、ここまでキレイにこだわるのか?」というタイトルで次のように書いてあります。「女はみんなキレイになりたい。でもこの日本ほどに、女が強く激しく”キレイになりたい”と思っている国はない。(中略)誇っていいのか、恥じるべきなのか。少なくとも今は”誇れること”にはなっていない。だからといって、”恥”と決めつけてしまうのはもう少し待ってほしい。なぜなら日本の女は、今すさまじい勢いで”進化”している最中だからだ。日本人が”和服”を脱いでから、まだやっと百年。西洋的な化粧をするようになってからも百年、世界に通用するようになってからも百年、世界に通用する美貌を作らないとマズイと気づいてからも、やはりまだ百年。いやそれを”戦後”と考えるなら、まだ六十年かそこらだ」(287頁)

この意見には、なるほどと納得させられる力があります。また、このような見方もありました。「顔を読む」には「美とは物自体がもつ質ではない。ただそれを見つめるひとの心の中に存在する。人の心はそれぞれに違う美しさを感じとるのである。-デヴィッド・ヒューム  (中略)美しさにはたしかに、文化が違っても見る人が違ってもなんらかの関連性があるのである。そして同時に、普遍的な要素がある」(174頁)

何かしら、しだいに解らなくなってきました。しかし、ホテルマンの書いた本「サービス哲学」に「日本には「セクシー」という文化がない!」という見出しを見つけて溜飲を下げました。「私の言う「セクシー」には二つの意味がある。一つは一般的に言われる「色っぽい」という意味。そしてもう一つは「魅力的な(転じてワクワクする)」という意味だ。(中略)とりわけ色っぽさについては、なぜか「悪しきもの」というマイナーイメージで捉えられているようで、例えば日本の女性はドレスを身にまとうときも、欧米の女性のように胸元まであらわになったものをセクシーに着ることはほとんどないし、男性にしても女性に一輪の薔薇をプレゼントして気分や雰囲気を高めるようなことはまずしないだろう。また、そのようなことをした女性や男性を世間は少し変わった人、とさえ捉えるのではないだろうか。」(83頁)

「ホテルならではのセクシーなサービス」という見出しでは「例えば、ベッドのシーツ一つとっても、素材やデザインの選択に妥協は許されない。計算に計算を重ねるべきであるが、一番いいのは、裸でスリップインしたときを想定して選ぶ方法である。そうすれば肌にも心にも、客室の空気にも優しいシーツはどれかがわかるはずだ」セクシーな文化はないといいながらも、セクシーなサービスは必要であると、説いています。裏を返せば、セクシーな文化が日本において育ってほしい、すでにセクシーな文化が芽吹いているとも読めるのではないでしょうか。

このように考えてくると、やはり、日本人にとって「美白は文化になった」と言えるでしょう。しかし、まだ成熟した文化とは言い難いようです。髪を染める、肌を白くする、そして歯を白くする。美白は、今現在、成熟中の文化です。進化している文化とも言えるでしょう。成熟した文化となるべく、一翼を担うのは、我々歯科医療従事者です。文化の創造に歯科医療が貢献できるということは、なんと素晴らしいことではないでしょうか。もちろん、今までも「健康美」という言葉は耳にしてきました。相対する言葉をあえて探すなら「官能美」でしょうか。健康美が、文字通り身体的な美であるならば、官能美は精神的な美であると言えましょう。広辞苑にも「精神的生活にかかわるものが文化」とあります。まさしく「美白は文化となった!」

参考文献:
広辞苑第五版  新村 出編    岩波書店 1999
美人の教科書1 齋藤 薫     文藝春秋 2002
顔を読む    レズリー・A・ゼブロウィッツ 大修館書店 1999
サービス哲学  窪山哲雄 オーエス出版社   2003
(日本歯科漂白研究会 第3巻第1号会誌投稿 平成17年2月1日発行)
http://connote.jp/hanamaru/007.htmより
2005/020/28のハナマルメールより