BBTime200 桎梏:しっこく

BBTime200 桎梏:しっこく
「酒断って知る桎梏のごとき夜長」楠本憲吉

酒好きの小生ですが、幸いにもこのような桎梏までの経験はありません。今回は桎梏について一言。先日、歯科診療所で治療後女児が亡くなった報道に接しました。歯科医療従事者として色々と考えました。心よりご冥福をお祈りいたします。

ネット記事によると、レストレーナーを使いラバーダムをつけて治療したとのこと。様々な書き込みがありますが、ショックを起こした原因のひとつは「恐怖」であったと思います。推測ですが、開口器も装着されていたのでは。文字通り開口器をつけると口を閉じることはできません。レストレーナーで手足を拘束され、思うように声を発することもできない、ラバーダムでひょっとすると視界が遮られていたかも。想像してみてください。冷静に物事を判断できる大人であっても手枷足枷(桎梏)、猿轡(さるぐつわ)、目隠しされたら嫌でしょ、怖いでしょう。目的や内容は違うにせよ、二歳女児です。さぞ怖かったことと思います。

前回「他人事」にも書きましたが、平成の日本において映画のワンシーンのようなことが日常に起きることがあります。他人のプライバシーなど微塵もないような週刊誌の報道や、客観的に見れば「それって虐待でしょ」と言いたくなるような出来事。今は知りませんが、小生が小学生の頃は「牛乳が飲めない児童に無理に飲ませる虐待」が給食時日常茶飯事でした。牛乳の強制、抑え付けての治療など一歩下がって冷静にイメージしてみてください。本当に、何のために、それをする必要があるの?小児歯科の看板を出すなら「子供が泣かない」環境やシステムを構築すべきなのでは?飲めない牛乳なら、その子の飲める飲料に変えたら?週刊誌の取材だから、治療だから、牛乳だから・・勝手な大義名分を身勝手に作っての犯罪であり虐待ではないのですか。「その子のために」だと思うのなら、飲みたくない牛乳を飲ませない、泣く子を治療しない、(相手が有名人であろうとなかろうと)人の嫌がることをしない、でしょ。

牛乳無理強いは担当教師が牛乳完食(飲)を達成せんがためであり、無理な治療は従事者の自己満足のためと思われても仕方ないと思います。子供本人が望まないことをなぜ周りの大人はしたがるのか、不思議です。乳歯一本の治療とこれからのその子の人生とどちらが重いのでしょうか?明らかにこれからの80年90年の人生でしょう。子供が嫌がることはやめましょう。嫌がってもしなければならないことであれば、どうすれば嫌がらずにしてくれるか、させてくれるかを考えるのが周りの大人のやるべきことだと思います。特にプロの仕事はこうあるべき!と小生は思いますがね。6900
今回の一言:「ノーと言いましょう」
今回の音楽:「say no!」

ひとごとからじぶんごとへのようなCMを見つけました。

BBTime199 他人事:ひとごと

BBTime199 他人事:ひとごと
「他人事のやうに首振る扇風機」大和田アルミ

掲句は「夏炉冬扇」と言われそうですが、平成の世はさにあらず。サーキュレーターなるものと解せば合点がゆきます。今回、近頃、ここ数年「ひとごとだろ!」と言いたくなるような週刊誌の記事が登場人物を面前で謝罪させます。「あんた(週刊誌)何様?」「世間の警官?裁判官?」「マスコミのプライドは?」・・週刊誌が売れれば何やったって許されるのでしょうか?

いつからか「ひとごと」の漢字表記に「他人事」を見なくなったなあと思い、ネットで確認しました。小生の誤りでした!「ひとごと=自分には関係のない、他人の事。よそさまの事」の正しい表記は「人事」であり「他人事」は誤りのようです。ネット記事に「《もともと「他人(たにん)のこと」を意味する語・ことばには「ひとごと」という言い方しかなく、この語に戦前の辞書は「人事」という漢字を主にあてていた。ところが「人事」は「じんじ」と区別できないので「他人事」という書き方が支持されるようになり、これを誤って読んだものが「たにんごと」である。》」とありました。出典はこちら、是非お読みください。

もうひとつ見なくなったと気づいたのがこの「FOCUS」。廃刊になっていました、しかも2001年に。現時点では講談社の「FRIDAY」と光文社の「FLASH」の2誌のみが発行されているようです。不思議なことは、ひと(他人)のアラ探しをすること、付け回したり、写真に撮ったり、録音したり・・・これって違法で犯罪でしょう!週刊誌だから許されるわけはないと思いますが。ストーカー行為であり、盗撮、無断録音、名誉毀損、人権蹂躙、etc。他人を傷つける行為でお金をもらう、傷害罪なのに給料をもらう、どう考えてもおかしいと思いますがね。変な正義感を持ってのことなら、その正義感は低レベルのものです。

「人の不幸は蜜の味」という言葉を時に耳にしますが、いい気はしません。万葉の時代から「人を好きになる、恋する、愛する」は感動の原点の一つであり、歌を読ませ、文学を生み出したと思います。

小生が幼稚園生や小学校低学年の頃(誰しも同じような思い出があると思いますが)クラスメート間で「誰が好き?」という質問を受けたり、耳にしたり。ある時、考えました。ひとごとなのになぜ興味を持つのだろうか?その時の小生の答えは「神秘的だから」「好きになることは理由のない、説明できない感情だから」でした。チンパンジーやオランウータンが似たような感情を持つか否かは知りません。「好き・恋・愛」は人の人たるゆえんだと思います。

「自愛:じあい」好きな言葉の一つです。「好きになる・愛する」=人の神秘的な部分に対してもっと敬意を表すべきだと思います。愛することへの敬意、愛する人(相手)への敬意、愛する本人(自分自身)への敬意。ご自愛ください。ご自分の口や歯をご自愛ください。ひとごとより、ひとりごと(自愛)を。6870
今回の一言:「ひとごとより、ひとりごと」
今回の音楽:「love」

BBTime198 錯覚

BBTime198 錯覚
「雪の朝二の字二の字の下駄のあと」田 捨女

先日の今年初冠雪の桜島です。この句はおおよそ380年前1639年頃に詠まれたそうで、驚くことに作者(田ステ)六歳。彼女は芭蕉より11歳年上で交流があったそうです。今時(平成30年)雪の朝に下駄で歩く人はいませんが、彼女の見たであろう光景は容易にイメージできます。また俳句には「五七五」のリズムがあります。この句はさらに「の」が5回も繰り返し使われており、一度聞いたら忘れないテンポを醸し出しています。五文字の「の」、三分の一が「の」です。句をジッと見ていて与謝蕪村の「菜の花や月は東へ日は西へ」(1774年旧暦2/15)を連想しました。これは漢字と平仮名が交互に使われています。「雪の朝二の字二の字の足の跡」としなかったところが捨女の非凡さでしょうね。連想というより錯覚についての一言。追加:ネットで調べてみると「下駄の跡」の表記も見られます。いずれにせよ、当時六歳の女性が詠んだ俳句がきちんと残ったということが驚きであり、「名句」であることの証明でしょうね。

年末からNHKラジオ聞き逃し番組「人間を考える より良く生きる」第1回花園大学教授仏教学者:佐々木閑氏の話を繰り返し聴いています。そこに出てくる言葉が「六根」と「錯覚」です。六根とは「根(視覚):目」「根(聴覚):耳」「根(嗅覚):鼻」「舌根味覚):舌」「根(触覚):皮膚」「意根(意識):脳」です。人はこの六根を使って生きているが、錯覚する生き物であるとのこと。

二つの赤丸はどう見ても左が大きく見えますが、物差しで測ってみると同じなんです。講演では錯覚を錯覚と知った上で生きるのか、錯覚を事実のように受け止めて生きるのでは大きく違ってくると言うわけです。話の中では視覚のみならず他の五根も同じく錯覚を起こすとのこと。以前話題になった「プリン+醤油=雲丹」は味覚の錯覚。いろはすの味付き砂糖入り水は嗅覚・味覚の錯覚等々。

丸の絵は物差しで測ることで錯覚と知ることができます。問題なのは個人個人で錯覚と確認できない錯覚とのこと。先日も「缶コーヒームシ歯」の人(20代男性)を発見!ムシ歯のでき方が尋常ではないので「缶コーヒー飲んでますか?」とお聞きしたところ「はい、仕事中に飲んでます」。これも錯覚!前々回「病気」も錯覚。御本人は体に良かれ、心に良かれと錯覚して缶コーヒー飲んだり、ゲームをしたり。講演では本人が確認できない錯覚を解くのは難しいと話が続きます。宗教とは人々の苦しみを少しでも軽減し、より良い生き方に導くのが宗教とのこと。

小生は毎朝、保温機能なしのマイボトルにお茶か紅茶持参です。缶コーヒームシ歯の方には次のようにアドバイスしました。「缶コーヒーをキッパリやめるか」「缶コーヒー飲んだ後に歯磨きは無理でしょうから、せめて水やお茶でうがいだけでも」「ブラック、無糖、甘さ控えめなどの表示はイコール砂糖ゼロとは言えないものもあるので要注意」「表示も炭水化物と記載してある」等々。

「二の字二の字」から「下駄のあと」を連想可能ですが、大人の方でも実際の光景(下駄のあと)を見た人はどれくらいいらっしゃるでしょうか?連想と錯覚は紙一重だと思います。仏教において五感(五根)に六根目(心・脳)を加えているのは大正解です。余談ですが、「どっこいしょ」の語源が六根清浄だとも言われています。3430
今回の一言「錯覚は錯覚と知るべし」
今回の一曲「イメージ」

下駄とくれば、やはりこの歌でしょう。

ムッシュかまやつ氏は昨年鬼籍に入られました(2017.3.1享年78歳)。なんと次の歌もこの人でした。はじめ人間ギャートルズのエンディング曲。


ラストは「足の跡」です。
ムッシュかまやつ氏の言葉を見つけました。折々のことば 2017/10/22朝日新聞朝刊
910「自分のデッドラインさえ超えていれば、デカイ顔をしていられるのだ。ムッシュかまやつ」「プライドを捨てず、自然体でいられるギリギリのラインを設定して、それより下にはいかない」と決めてしまえば、気後れすることなく生きてゆけると、元ザ・スパイダースの歌手は言う。しかもその線はできるだけ低めにと。世間に合わせず自分の波長はこれだと決めると、自分の感性を傷めずに「とぼけた顔して」生きてゆける。音楽と交遊をめぐる自伝『ムッシュ!』から。(鷲田清一)折々のことば

BBTime197 春光楽楽

BBTime197 春光楽楽
「塗椀のぬくみを置けり加賀雑煮」井上 雪

春光楽楽とは春の光はウキウキして楽しいの意味で賀状に使える四字熟語です。前回「病気」アップ後に考えておりました。遊びとは本来ウキウキ楽しいもの、端(はな)から病気になるために遊ぶ人はいません。でもなぜゲームで病気になるのか?お酒、煙草、スイーツ、缶コーヒーなども同じ図式でしょう。何事も「ほどほど」が肝要なのでしょうが「ほどほど」がわかっていても「ほどほど」でやめられないのも人がゆえ。本年最初の「折々のことば」が「雑」でした。

万葉集』は、何と「雑」の分類から出発する。中西進
鷲田さんのことば 年の初めといえばお雑煮。ここにも「雑」が使われている。古代中国の辞書によれば、「雑」は「五采(ごさい)相(あ)い合うなり」(五色の彩りが一つになる)とか「最なり」(第一のもの)を意味すると、随想「美しきカオス」(「潮」昨年12月号)で国文学者は教える。雑技も華々しい技芸のこと。歌集の「雑」も華やかな開始を示すと思われ、「その他」ではないと。ごっちゃ(多様)こそ「万物の礎」?(鷲田清一

小生、丼物が好きです、チャンポンも好きです。上等コーヒーにはミルク入れても撹拌しません、味のグラデーションを楽しみます。チャンポンとは本来「さまざまな物を混ぜること、または混ぜたものを意味する言葉」のようです。日本はチャンポン文化であると聞いたことがあります。日本語などその最たるもので漢字・ひらがな・カタカナのチャンポンです。

欧米人、特にアメリカ人はトランプゲームが好きです。空港の待合などで車座になって興じる姿をよく見かけます。ちなみにトランプ大統領も同じ綴りですが、トランプの元々の意味は「トランプカードの中の切り札」であって、日本で言うところのゲームそのものとは少々異なります。折々のことばの「遊びを遊ぶ」にも出てきますが、遊びとは数多くあります。すぐに飽きるからでしょう。食事の「おかず」の語源も数(かず)に由来するそうです。

ゲームにしてもスイーツにしてもやはりチャンポンがよろしいかと。電子ゲームのみならずカードやすごろく、箱菓子にケーキ屋の菓子、果物、手作りおやつのように「雑」がよろしいかと。(老婆心:あれもこれもではなく選択肢が沢山がよろしいかと)2730
今回の一言「ほどほどのコツは雑(チャンポン)」
今回の二曲「ハーモニー」


おまけ:冒頭の句の作者に敬意を表して雪化粧の桜島です。本日(1/11)朝撮影。

BBTime196 病気

BBTime196 病気
「竹馬やいろはにほへとちりぢりに」久保田万太郎

竹馬」が冬の季語とは知りませんでした。記事(俳句一口講座)には「どの季節にも遊べそうな気がしますが、冬の季語になっています。もともとは川を渡るときや降雪の際に使われる生活用具だったそうで、そんなところから冬のものという意識が定着したのではないでしょうか」とあります。同じく「竹馬」がアマゾンなどで売られているのも驚きでした。もっとも竹製ではありませんがね。

年明け早々気になる記事を見つけました。「ゲームのやり過ぎで日常生活に支障をきたす症状、WHOが疾病分類へ」との見出し。端的に言うと新たに「ゲーム病・ゲーム症」を定義し、診断されれば患者として治療が必要であるとのこと。

いやはや・・です。小生とコンピュータゲームの出会いは高校時代、喫茶店設置型のインベーダーゲームでした。当時ワンコイン(百円)で1回。鹿児島の公立高校でしたので即禁止。学校近くの喫茶店で密かに興じていると「そげん面白かや(そんなに面白いのか)?」との声。横を見ると補導係の先生、瞬間凍りつき敢え無くゲームオーバー・・その後マリオ登場です。

「遊びを遊ぶ 安田武」 凧(たこ)あげ、蝉(せみ)とり、竹馬、お手玉、綾(あや)とり、花いちもんめ。すっかり見かけなくなった昔の児戯には二つの特徴があった。自然を相手に「ゆっくりと、のびやかに」遊ぶこと。勝ち負けを競うものではないこと。遊びは「合理性を拒否する」ものなのに、余暇として計画したりすれば、遊びを再び合理性の中に閉じ込めることになると、評論家が一昔前警(いまし)めていた。『遊びの論』から。2017.9.10 (鷲田清一「折々のことば」/朝日新聞連載)
本来、大人にとっても子供にとっても「遊び」とは楽しむもの癒すもの育むもの。逆に蝕むものならそれは遊びではなく毒や害です。9900

かたや、このような記事も。
「スイッチ、1家に1台?1人1台? 任天堂社長一問一答」揶揄(やゆ)するならば「一家に一害、一人一毒」です。自己責任ではなくゲーム機そのものに「時間制限自動ロック」が付いているば別ですが。人が創り出したもので病気になるとすれば妙な話です。「癒し・楽しみ」と「害・中毒」は紙一重。食べ過ぎると太ります、飲みすぎると酔っ払いますが、ゲームは少々異なります。太らないし、酔わないし、さほどお金を使い過ぎるでもなし。だからこそ恐いのではないでしょうか?所詮ゲームでありエンターテイメントであるべきものが「毒」になるとは・・トホホ。

BBTime195 初日

BBTime195 初日
「初明り地球に人も寝て起きて」池田澄子

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお読みください。
初日(はつひ)を見に行きました。
日頃は釣り人と散歩人とジョガーのみの長水路も
このように人人人・・。
予報は晴れでしたので多かったのでしょう。

いよいよ初日だ(7:30頃)と思いきや、雲が・・▽

この後、雲はさらに厚くなって・・▽


結局空振りでした。その後、昼から晴れて初噴火!

正月の空に天狗様現る!

これは初月の出・・拝△

翌二日は見事日の出が拝めました▽

おまけは三日の日の出▽

今年も皆さんがハッピー歯っぴいでありますように。
昨年の正月と同じですがアバの曲です。9450




最後に新年の挨拶入ってます△