あなたがいれば

『子どもの頃、
祖母が好物の筍を食べながら寂しそうに
「入れ歯で食べてもいっちょん美味しゅうなか」
と言っていたのをふと思い出した。
彼女が最後まで自分の歯で食べられたら、
もっと笑顔の多い晩年だったろうに。』
marusan_sanのtwitterより

筍と聞いて、ふと昔書いた文章を思い出しました。
(以下「あなたがいれば」より)
患者さんは、はじめ恐る恐る噛み、
痛くない事がわかるとしだいに力を入れて噛みだす。
カチカチの音が元気よく聞こえてくるようになればしめたもの。
「ま、これでかえっせ、いっと、たもんみやんせ」
実際食べてみないと、こればかりは良いも悪いも言えない。

ウメさんは家に戻るとさっそく水屋から器を取り出した。
中身は竹の子の煮しめで、
ウメさんは2日前から竹の子の煮しめを作り始めていた。
竹の子、昆布、人参、いりこがはいっている。
箸でゆっくりと竹の子を口元に運ぶ。
竹の子の良い香が、鼻をくすぐる。
何年ぶりだろう。
総入れ歯になって竹の子を口にした事はなかった。
口の中に入れおずおずと噛んでみる。
入れ歯が竹の子をとらえた。
少しづつ力を入れる。痛くない。
更に噛み込んでみる。
すると、サクッサクッとはいかないが、
ザグッという音がして竹の子がつぶれた。
舌が竹の子の味をじわっととらえる。
もう一度噛む。
更に竹の子がつぶれ口の中に味が広がる。
甘辛い汁がにじみだすごとに、
目頭もじんわりと熱くなった。
お茶を一口飲んだ。
今までは、小さくくだくことができないため、
お茶で流し込んでいた。
味わう事など到底無理な事だった。

「福岡さん、こんにちは」
「竹の子食べられたよ」
「良かったね」
「あんたにも持ってきた」
有難い。
何が有り難いかというと、
僕の事を信頼してくれている事が有り難い。
総義歯の場合、完成するまでも時間がかなりかかるが、
完成義歯が口に入ってからも先は長い。
これからはいかに患者さんが義歯を使いこなし
自分のものにするか、
歯科医はそのつど適切な調整をするかが重要で、
そのような意味からも患者さんとの信頼関係が重要となる。
「福岡さん、いとなくても又来てね」
「又来る」
総義歯の人の中には、あきらめている人がいる。
入れ歯だから、痛くて当たり前、
しゃべりづらくて当たり前、
大きく口を開けると落ちてきて当たり前。
しかし本当はそうでなく、噛んでも痛くなく、
普通に会話ができ、口を開けて唄も歌えるのが本当である。
決して理想を言っているのではない。
入れ歯は、眼鏡と同様、人工心臓と同様に立派な人工臓器である。
例外も有るが、ほとんどの人の場合、
手間暇さえかければほぼ満足のゆく入れ歯はできる。

「福岡さん、どっかいたかと」
「ちがう、あんたに柏餅ば持ってきた。こん柏餅はうめよ。」
「ウメは、おまんさあの名前やが」
「まこっじゃ」
「ハハハハ」
いつの間にか柏餅の季節になっていた。
入れ歯を作ることはおいしいを作ること。
あなたがいれば。

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