BBTime 152 小説いれば食堂 その4

BBTime 152 小説いれば食堂 その4
「九月来箸をつかんでまた生きる」橋本多佳子

『ラーメン入れ歯』
ハナさんはいれば食堂に来ている、もうかなり食べられるようになった。今日は、お品書きの新メニュー「ラーメン入れ歯」の物語を読んでいる。
コイケさんは無類のラーメン好き。自他共に認めるラーメンオタク、ラーメンブログを日々更新している。そのコイケさんがハマったのが「リラク」のラーメン。一口で言うならば「蕎麦のようなラーメン」、麺も蕎麦っぽいが、スープが秀逸。豚骨七に魚介三のスープらしい。病み付きである、週に二回通うこともある。通い始めて優に一年は経つ。妻の「食べ過ぎよ」の冷たい視線を無視して今日もリラクに来ている。ところがである、毎週のように食べているからよくわかるが、入れ歯が緩くて食べにくい。以前はそれほどではなかったが、先月ごろからつとに緩さを感じるようになった。麺を食べようとすると上が落ちそうになるし、スープを飲もうと器に口をつけると下の入れ歯が浮いてしまう。上は安定剤をつけるとなんとかなるが、下はだめだ。スープをぐぐっとやりたいところをレンゲでちょびちょび口に運ぶ始末である。分厚いチャーシューも噛みしめ味わうことはできない。このラーメンを十二分に堪能するためにはどうすれば良いか、答えは明白、入れ歯である。

数日前「鹿児島・ラーメン」で検索してふと目にした「いれば食堂」、投稿を読むと食堂とは名ばかりで歯科医院のようである。医院名に食堂がついているのも妙な話だが、ひょっとするとラーメンが味わえる入れ歯をつくってもらえるかもと、パソコンの前でひとりほくそ笑んだ。
数日後、コイケさんはいれば食堂の治療台に座っていた。
「この歯はいつ頃作られましたか」
「今年に入ってすぐくらいに作ってもらいました。実はその時に上の歯を三本抜いて同時に入れ歯を作ってもらったんです」
経過はこうだった。その時、既に下は総入れ歯。上の前歯が三本残っていたが、抜く必要があるとの診断。当初抜いてから新しい入れ歯を作りましょうと提案されたが、前歯だったので他に方法はないのかと渋ったところ、あらかじめ総入れ歯を作っておいて、出来上がりの時に前歯を抜く方法もあるとのことで、是非その方法にしてくださいと希望した。
「即時義歯という作り方です。患者さんにとっては歯が無い期間がゼロなど利点はあるのですが、抜いた後に歯茎の形が変わるので入れ歯との間に隙間ができます。時期を見計らってその隙間を調整しなくてはいけません」
と先生は説明してくれた。言われてみればその時の歯医者さんもそのようなことを言っていた気がする。
「下は総入れ歯になって結構経つんじゃないですか」
「おそらく十年とは言わないです」
「でしょうね、歯茎がなくなってほとんど平らになってますね」
「なんとかなりますかね」
「やってみましょう。ご希望の料理は?何を食べてみたいですか」
「ラーメンですね」
先生は「ラーメン、ラーメン」とつぶやきながら上下の入れ歯を代わる代わる眺めて、口の中もじっくり診て、さらに指で歯茎を撫でるように診ていた。
「上の入れ歯は隙間を埋めて緩みを取ります。下の歯は、全体的に薄くスリムにしましょう。口の周りの筋肉の動きと入れ歯の形が調和していないのが緩みの原因です。数日かけてゆっくり固まる材料があります。これを使ってコイケさんの口の筋肉の動きに入れ歯の形を合わせていきます。ほぼ浮かない形にしてから歯茎に吸い付くようにしてみます」
先生の話はうわの空に、コイケさんの頭の中はラーメンのことで一杯だった。
「あなた最近、リラクに行った?」
「行ってない」
「あら不思議、病気?」
「今、入れ歯治療中。しっかり味わえるようになってからまた行く」
数回の通院で上の安定は見違えるように良くなった。下がもう一歩、まだ丼を持ってスープを飲もうとすると浮き上がりそうである。
「今日は下の入れ歯のベロ側の形を修正します。ここを伸ばすことで下の入れ歯の安定が格段に増します」
今日は結構時間がかかった。下の歯のベロ側の形の変化で違和感が有るような無いような。しかし先生が言った通り安定は増した。

いれば食堂に通い始めて丸一ヶ月が経とうとしていた。三日前から下の入れ歯は無い。仕上げのために預けている、仕上がるのが今日の昼。いれば食堂で入れ歯を受け取ったらその足でリラクに行く予定である。
「コイケさん、お待たせしました。完成です」
先生はきれいに仕上がった下の歯を見せてくれた。
「ゆっくり噛んでみてください。どうですか」
「いやあ、良さそうです。ピタッとしてます、気持ちいいですね」
「まずはこれで食べてみてくださいね、次は確認させてください」
いれば食堂を出て、リラクに急いだ。走りはしないが、気が急いた。昼の営業時間になんとか間に合った、定番のラーメンを注文する。待つことしばし。丼中央に鎮座するチャーシューの存在感に改めて生唾を飲み込む。まず湯気をハフハフと食べ、今日は最後に味わおうとチャーシューを横によけて麺を口に運ぶ。違和感なく麺が食せる、これぞ幸せ。箸を置いて両手で器を持ちスープを飲む、これも幸せ。鎮座するチャーシューを箸で持ち上げ口に運ぶ。ガブリとやっても下の入れ歯がずれない。噛み締めると同時にチャーシューの甘辛い味が口全体を支配する。どんぶりの底を目にした時、味わい尽くしたことに気がついた。ふうっとひたいの汗を拭って席を立った。
店を出ると桜島が噴煙を上げている、鹿児島はもう初夏である。

おかわりをどうぞ。「さんま食堂その1その2その3
九月来:九月になりました・・今回のBeat はズバリ「セプテンバー」の二曲です。6570

 

 

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