BBTime 450 トライ

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「あるけばきんぽうげすわればきんぽうげ」種田山頭火

山頭火は、どのような心持ちで一歩一歩放浪したのでしょうか。解説には『山頭火のファンには、圧倒的に女性が多いという。男でなければなし得ぬ「放浪」に、ほとんどフィクションに近いロマンを感じるためではなかろうか。昭和七年(1932)五月、下関に向かう道での句。どこまでもつづく金鳳花の道に、作者は旅にある喜びを全身に感じている。「人間が天然のドラマのなかに繰り込まれている」(金子兜太)ようだ。美しい句である。と同時に、山頭火は当然(大地主の息子ではあったが、農村の出だ)この季節が農民繁忙のときと知っており、この句に添えて「五月は物を思ふなかれ、せんねんに働け、というやうなお天気である、かたじけないお日和である、香春岳がいつもより香春岳らしく峙(そばだ)つてゐる」と書いている。「かたじけない」とは、天に感謝する思いもあるが、この好天に身を粉にして働いている人々に対する気持ちも込められているはずだ。『定本山頭火全集』(春陽堂書店)他に所収。(清水哲男)』(解説より)。

昨年秋のラグビーワールド杯が、遠い遠い過去のように思えます。毎日読むコラム:ほぼ日の「今日のダーリン」にトライについての文章がありました、同感です。

ご存じの方も多いでしょう、もともとラグビーのトライは、文字通り挑戦権を得る手段でした。こちらには『この“トライ”というのは、どういう意味なのでしょうか。英語に直せば“Try”。つまり、“挑戦する”という意味の“トライ”です。「そんな単語、中学生でも知っているよ」と言われそうですが、ではラグビーのトライとはいったい何に挑戦するのでしょうか。  昔はトライをしても得点にはなりませんでした。そのあとのキックを決めれば勝ちというルールでした。つまり、トライというのは、勝ち負けを決めるキックに挑戦する権利を獲得したということだったのです。“トライを取る”と言いますが、まさに“キックをする権利を獲得する”という意味だったのです。現在のルールだけで考えますと、トライが何に挑戦するのかはわかりにくいかもしれませんが、昔のルールで考えますとすぐにわかります。  ですが、苦労して苦労してやっと取ったトライも、キックをはずせば元の木阿弥。例えば10トライノーゴールと1トライ1ゴールでは、後者が勝ちとなるわけですが、これではおもしろくないということになり、トライにも得点が与えられるようになったのです。  もちろん、はじめの頃は、キックの方が点数が多く、重要視されていました。その後、段々とトライの魅力が勝り、いまではトライ5点、コンバージョンキック2点となったのです』(引用元)。

昔、フルマラソンに参加した時に唯ひとつ「絶対歩かない完走する」を目標としました。目標は達成できたのですが、沿道のおばちゃんからは「もっと早よ走らんか!」の声援。その方の目には「走っているのではなく歩いている」ように映ったのでしょう。速度はともかく、歩かずに完走できました。仮に、途中で立ち止まり歩いたら、その時点でフルマラソン即「失敗」でしょうか?即「リタイヤ」ですか?・・違いますよね。次の瞬間、また走り始めてゴールするプロ選手もいらっしゃいます。即「失敗」と判断するのは違うような気がするのです。

コース途中では「失敗も成功も」ないと思います。ノーサイドまで、それぞれトライし、もしくはトライしようとして、結果的に点数の多い方が勝ちです。今朝(5/11)の天声人語に『▼検査の数が少なすぎるとの批判に耐えられなくなったのだろう、厚生労働省は先日、熱が4日続くまで待たせるという従来の目安を撤回した。しかし検査が受けられず苦しんだ人への釈明もなければ、検査数が増えない理由も明確に語らない。「謝ったら負け」のゲームを見せられているようだ▼検査は実態をつかみ、手を打つためにある。患者を増やさないための関所ではない。そう考えを改めてくれたのなら、いいのだが。』とあります。失敗とか謝るとか・・そうじゃないでしょ!違うでしょ!と思います。リーダーはもちろんのこと、人それぞれも「ゴール」を見据え、ゴールにたどり着くまでは何度でも「試行錯誤」可能な空気がもっと欲しいと個人的には思います。数年前のNHKラジオイタリア語会話のモットーは「Sbagliando s’impara!」「スバリヤンドシンパラ=間違えながら学ぶ」でした。「新型」コロナウイルスです、未知のウイルスです、試行錯誤が近道のような気がします。2330


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