BBTime 488 新スタイル
「おでん煮えさまざまの顔通りけり」波多野爽波
都城市「雨風」の黒板。この時季、好きな句です。解説には『屋台のおでん屋。あそこは一人で座ると、けっこう所在ないものだ。テレビドラマでも映画でもないのだから、人生の達人みたいな格好の良いおじさんが屋台を引いてくるわけではない。だから、おじさんと人生論などかわすでもない時が過ぎていくだけだ。したがって客としても、そんなおじさんをじろじろ眺めているわけにもいかず、必然的に、目のやり場としては、屋台の周辺を通っていく見知らぬ誰彼の方に定まるということになる。と、まさに句のように「さまざまな顔が通り」すぎていく。それがどうしたということもなく、チクワやハンペンをもそもそと食べ、なぜかアルコールの薄い感じのする酒をすすりながら、「さまざまな顔」をぼんやりと見送っているという次第。句の舞台はわからないが、爽波は京都在住だったので、勝手に見当をつければ出町柳あたりだろうか。出町柳には、私の学生時代に毎晩屋台を引いてくる「おばさん」がいた。安かったのでよく寄ったのだが、彼女は学生と知ると説教をはじめるタイプで、辟易した思い出がある。「悪い女にひっかからないように」というのが、彼女得意の説教のテーマであり、辟易はしていたが、おかげさまで今日まではひっかからないで(多分……)すんでいるようだ』(解説より)。今回は様々な食べ物のお話。
「パニス:panis」のパンです。夏以降、三つの「新スタイル」に出会いました。パニスのパン、コーヒーカウンティの豆、スフォリーノヨシモトのパスタ。パニスのパンは「食事パンと菓子パンの中間」のようなパン。コーヒーカウンティの豆は「コーヒーと紅茶の中間」の飲み物。スフォリーノヨシモトのパスタは「食事とおやつの中間」的な一皿。
サンドイッチや食パンが食事パンで、甘いパン、ドライフルーツ入りパンはお菓子パンではありません。トーストに蜂蜜つけたりジャム塗ったりしますよね。美味しいが一番の問題で、あとは中身(材料)と量でしょ。コーヒー豆も「コーヒーは苦い飲み物」ではなく、紅茶のようなフレーバーの違いを十二分に味わえるコーヒー。ミルクや砂糖はむしろ邪魔。小腹を満たすような量と内容(具)のスフォリーノのパスタ。おやつと食事の中間的一皿。
珈琲だからミルクと砂糖が必要・・なのではなく、必要なら足すというコーヒーの飲み方。一般的に緑茶には何も加えません。パイナップルが酢豚やハンバーグに加えてあることもあります。果物の柿は「柿なます」として和食に登場します。以前、記事で読んだことがあります。「日本人はカテゴライズ(分類分け)が好きな民族」・・カテゴライズが好き・・例えばその人の「血液型」を聞いて「なるほどB型だから、あの人は」と科学的根拠もなく納得したり。集団として一括りにする、従来のやり方の踏襲などは、楽かもしれませんがね。
朝日新聞11/16朝刊の「折々のことば」です。食べ物・料理も文化のひとつ、食文化の新陳代謝・多様性を味わうことは、時に新しい「美味しい」に出会えます。皆さま、ご自愛のほど、ご歯愛のほど。7180