「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」上杉鷹山
2022/5/8投稿
先日(5/6)のほぼ日「今日のダーリン」です
『・このごろ、あらためて、つくづく、しみじみ思う。
「やれることをやる」というのが、なにより大事だ。
そりゃそうだと思うかもしれないけど、
「やれることをやる」をやれる人が、実は少ないんだ。
みんなが憧れたりする人、名人達人と言われるような人、
いつもいいことをやってる人、すごい技術を持ってる人は、
みんな「やれることをやる」を、きっちりやってきている。
「やれること」は、「やれる」と思えるから、
「いつでもやれる」と考えられやすい。
でも、人は「いつでもやれること」をなかなか始めない。
そして、「やれること」は、ずっと「やれる」ことなのだ。
それでも、「やれること」を続けてる人はとても少ない。』
『昔から、このことについてはみんなが伝えてきた。
ちりが積もると山になるんだぜ、だとか、
千里の道も一歩からなんだよ、だとか、
雨だれがやがて岩に穴をあけてしまうぞ、だとかね。
ちりはどこにでもいくらでもあるものだし、
一歩歩くことならかんたんにできるし、
雨だれの一滴なんて気に留めてもいないだろう。
そういう「やれること」を、ほんとに「やる」ってことが、
(いまから間違った言い方をしますが→)
「ほんとにむつかしいんだよねぇ!」
(←これが、まちがった言い方です)
実際にはむつかしくないんですよね。
だってそれは「やらない」だけで、「やれること」です。
つまり、むつかしいことじゃないんです。』
『ちょっと頭よさそうな人が「愚直にやるだけです」
とか言いたがりますけどさ、
「ちり」や「一歩」や「雨だれ」さんは、
そんな「愚直」みたいなことばは使わないだろうな。
愚かでも、真っ直ぐでもないんだもの、
「やれること」を「やる」だけのことなんだから。
「やれること」を「やる」。
ほんとうに「やりたい」なら、それをいますぐ「やる」。
「人生のコツ」みたいなことを、人は知りたがるけれど、
どんな「コツ」よりこれなんだよ、と思うのだ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あらゆるものごとを「むずかしくないこと」に解体するのだ。』
「今日のダーリン」をほぼ毎日読んでいて、毎回さすがダーリン(糸井重里氏)だと思います。文章を反芻する中で思いました。「やれることをやる」以外に三つの場面があるのではないかと。1)やれることをやる 2)やれることをやらない 3)やれないことをやらない 4)やれないことをやる(やらされる・せざるをえない)の四つです。
小生思うに恐らく一番問題となるのは、4)「やれないことをやる」でしょう。つまり「本当はやれないのに、やれると(できる・可能であると本人や周りが)勘違いしていることを、やらされる・せざるをえない」が最も本人にとってマイナスです。・・もうお分かりでは?そうです。歯磨きは自分だけでは「やれないことをやっている」「やれないことをできると思ってやっている」「隅々までキレイに磨けると思って日々磨いている」が事実です。何度でも言います。「歯は、自分だけでは磨けません」「歯は、磨いてももらうもの」。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。6021
文楽「為せば成る」