BBTime 574 やれないこと

「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」上杉鷹山

2022/5/8投稿
先日(5/6)のほぼ日「今日のダーリン」です
『・このごろ、あらためて、つくづく、しみじみ思う。
 「やれることをやる」というのが、なにより大事だ。
 そりゃそうだと思うかもしれないけど、
 「やれることをやる」をやれる人が、実は少ないんだ。
 みんなが憧れたりする人、名人達人と言われるような人、
 いつもいいことをやってる人、すごい技術を持ってる人は、
 みんな「やれることをやる」を、きっちりやってきている。

 「やれること」は、「やれる」と思えるから、
 「いつでもやれる」と考えられやすい。
 でも、人は「いつでもやれること」をなかなか始めない。
 そして、「やれること」は、ずっと「やれる」ことなのだ。
 それでも、「やれること」を続けてる人はとても少ない。』

『昔から、このことについてはみんなが伝えてきた。
 ちりが積もると山になるんだぜ、だとか、
 千里の道も一歩からなんだよ、だとか、
 雨だれがやがて岩に穴をあけてしまうぞ、だとかね。
 ちりはどこにでもいくらでもあるものだし、
 一歩歩くことならかんたんにできるし、
 雨だれの一滴なんて気に留めてもいないだろう。
 そういう「やれること」を、ほんとに「やる」ってことが、
 (いまから間違った言い方をしますが→)
 「ほんとにむつかしいんだよねぇ!」
 (←これが、まちがった言い方です)
 実際にはむつかしくないんですよね。
 だってそれは「やらない」だけで、「やれること」です。
 つまり、むつかしいことじゃないんです。』

『ちょっと頭よさそうな人が「愚直にやるだけです」
 とか言いたがりますけどさ、
 「ちり」や「一歩」や「雨だれ」さんは、
 そんな「愚直」みたいなことばは使わないだろうな。
 愚かでも、真っ直ぐでもないんだもの、
 「やれること」を「やる」だけのことなんだから。

 「やれること」を「やる」。
 ほんとうに「やりたい」なら、それをいますぐ「やる」。
 「人生のコツ」みたいなことを、人は知りたがるけれど、
 どんな「コツ」よりこれなんだよ、と思うのだ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
あらゆるものごとを「むずかしくないこと」に解体するのだ。』

今日のダーリン」をほぼ毎日読んでいて、毎回さすがダーリン(糸井重里氏)だと思います。文章を反芻する中で思いました。「やれることをやる」以外に三つの場面があるのではないかと。1)やれることをやる 2)やれることをやらない 3)やれないことをやらない 4)やれないことをやる(やらされる・せざるをえない)の四つです。

小生思うに恐らく一番問題となるのは、4)「やれないことをやる」でしょう。つまり「本当はやれないのに、やれると(できる・可能であると本人や周りが)勘違いしていることを、やらされる・せざるをえない」が最も本人にとってマイナスです。・・もうお分かりでは?そうです。歯磨きは自分だけでは「やれないことをやっている」「やれないことをできると思ってやっている」「隅々までキレイに磨けると思って日々磨いている」が事実です。何度でも言います。「歯は、自分だけでは磨けません」「歯は、磨いてももらうもの」。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。6021

文楽「為せば成る」


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