BBTime 630 ほぼ日二題

「腿高きグレコは女白き雷」三橋敏雄

2023/09/02投稿
九月ですが秋は来ませんね。句の解説は『ジュリエット・グレコ頌。腿は「もも」。いったいにシャンソン歌手は女性のほうが毅然としているが、なかでもグレコは群を抜いている。舞台か映像か、黒衣の彼女の歌いぶりに集中していると、その身体から白い雷が発生しているように思えたというのだ。「腿高き」が、作者の心酔度の高さを示している。私は仕事で一度だけ、来日した彼女に会ったことがある。初秋だった。半蔵門のスタジオから、紅葉のはじまりかけた皇居の森を見て「これはいまの私の色ね」と言って微笑した。つまり、自分は人生の秋にさしかかっていると言ったのである。気障なセリフだが、グレコが言うと素直に納得できるのだった。『まぼろしの鱶』所収。(清水哲男)』(引用元)。頌:しょう。句はいまいち腑に落ちませんが。最近読んだ「ほぼ日」から二題ご紹介。

一題目:8/31のほぼ日
『・若いときは、雑誌になにか原稿を頼まれたとき、
 「パンツはトランクスがいいか、ブリーフか」だとか、「ラーメンライスは是か非か」なんてことも書いていた。しかし、いつのまにか「どっちがいいか」みたいなことは、ほとんど書かなくなっていることに気がついた。
 どっちがいいとかいうことを、考えなくなっていたのだ。かんたんに言えば、「どっちだっていい」し、その言い方が冷たすぎるなら「どっちもいい」なのだ。なんで、わざわざどっちかを決めようとしていたのか。いまではもう、まったくわからない。いいと思ったら、どっちを選んでもいいし、なんなら、両方を選んでもいい。』

『トランクスかブリーフかビキニか、なんでもいい。こしあんか、つぶあんか。どっちもうまい。豆腐は、絹ごしか、もめんごしか、両方いい。
 選ばなきゃならいこともあるだろうよ、そしたら、その日、そのとき、どちらか選ぶだけだ。次の機会があるのだから、次にまた考えればいい。

 ぼかぁ、もう、まったく「毅然」としちゃってるのだ。迷いも後悔もない、どっちもいいんだもの。よくよく考えてみると、「どっちもいい」どころか、「あんまりよくなくてもいい」とさえ言える。ほんとはたいていのことが、「どっちでもいい」と、「どっちもいい」、「どれでもいい」なんだと思うんだよ。』

『・でも、たぶん人は「思考の練習」をしたいのだろうな。こしあんと、つぶあん、どっちがいいかを考えたいんだ。仲間に対案を出させたり、それをやりこめたりして遊ぶ。子どもがプロレスごっこをして遊ぶみたいに、「思考や判断ごっこ」や「論争ごっこ」をしたいんだね。
 きっと、ぼく自身にしても若いときは、そういうことがやりたくて、「どっちがいい」というテーマで遊んでいたんだろうな。だとしたら、これからは、よくあるようなどっちがいいの在庫から考えるんじゃなくて、もっと別の「思考や判断ごっこ」をしたほうがいいね。お笑いを仕事にしている人たちなんか、やってるもんね。「思考や判断ごっこ」って、お笑いの基礎なのかも。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。答えのおもしろさは、設問が決めてくれる。逆も、またある。』

たまに「歯磨き」について聞かれます。毎食後磨くのが良いか?朝食前か後か?等々。一日一回でもOKです、キレイになれば、と答えます。回数、歯磨き時間などの数字ではなくて目的は歯をキレイにすること。歯を使わなければ汚れませんが、そうはいきません。口の中の食器(歯)は替えがききません。その日の就寝時に口の中がキレイであればいいのです。

「どっちでもいい」・・これは前回「一膳九皿」で書きました、二食か三食か?それが問題だ!ではなく、その方(施設利用者)が必要としている回数(食事量)が正解です。離乳食や子供さんの歯磨きも同様で、何歳何か月だからではなく、その子供さんの歯の生え方、本数などで判断すべきでしょう。「ほぼ日」の言わんとすることと少々ずれるようですが、迷ったらゴール・目標・目的をきちんと見定めれば目の前の回数や数字はさほど重要ではないような気がします。電動歯ブラシの表示が二分だから終了ではないのです・・と思いますがね。続いて二題目9/1のほぼ日。

『・人は、山や森の景色を目にしたときに、ざっくりと「自然はいいなぁ」とか言います。しかし、自然というものの定義が、「人の手を加えない状態」であったとするならば、そこで目にしているものは自然ではないのであります。
 なんて、理屈っぽいことを言ってますが、早い話が、「自然に見えてるものは、人の手が入ってるよ」と。人の住む地域で「自然」として扱われているのは、だいたい「里山」と呼ばれる、人と自然の合作だよ、と。』

『人の手が入った自然ということばで、ふと思いました。人の身体も、「里山」に似ているんじゃないかなと。もともと、髪を切ったり、髭をそったりということも、服を着ることも、薬を飲むことも、人の手が入っています。人の身体という自然は、野生のクマやイノシシとちがって、生まれた次の瞬間から「里山」なんですよね。』

『じぶんのことを考えると、すごいですよ、手の入り方が。歯はインプラントのネジで顎の骨に差し込まれていて、歯そのものも数本がジルコニアだし、寝るときにはマウスピースをしています。メガネは近くを見るにも遠くを見るにも必要で、耳は必要に応じて補聴器をつけています。毎日、指示された薬をまちがいなく飲んでいるし、風邪をひいたりして別の薬が足されることもある。年に二回は身体のあれこれを最新の器械でチェックし、定期的に血液や尿からさまざまなデータをとっている。昨年の春からはワークアウトをまじめにやることにして、週に二回ずつはトレーニングをやっているわけで。
 人間のかたちをした「歩く里山」ですよ、ぼかぁ。』

『生まれたままのじぶんだったら、どうだったんでしょうか。少なくとも、歯についてはもう総入れ歯だったでしょうね。よく「医者にかかったことない」というご老人がいますが、そういう方がいざ症状を訴える段階になると、手をつけるのに困難な病気を抱えてたりもするらしいです。
 原生林みたいに、アメリカの自然公園みたいに生きるのは、実際、かなり人間には無理なんだよなぁと思うのです。ま、昔の人たちのように寿命が短ければ、あちこち悪くなる前に人生を終えていたんでしょうけどね。「人間は里山」、もとは自然だけれど、人の手が必要です。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。「人の手」が入るというのは、ある意味ありがたいことです。』

最後の下り「人の手が入るというのは、ある意味ありがたいこと」・・同感賛成です。ムシ歯予防・歯周病予防のコツはただひとつ!「歯は、磨いてももらうもの」ハッキリ言って(すみませんが)、ご自分だけでの歯磨きでは不十分です。その不十分さがムシ歯をつくり、歯周病を引き起こすのです。せめているのではなく、自分だけではできないことを知って欲しいのです。是非「人の手」を借りてください。皆様、ご自愛の程ご歯愛の程。

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