BBTime201 違和感

BBTime201 違和感
「天地無用のビルにて蟹が茹で上がる」夏石番矢

「天地無用」を初めて見た時の自己解釈は「天地(上下)がどっちでもOK」・・しかし正解は「逆さまにしてはならない」です。以下ウイキペディアより「天地無用とは、本来「逆さまにしてはならない」という意味で用いられる。もともとは運送業者の業界用語で「天地入替無用」「天地顛倒無用」のように、上下を入れ替えることを意味する語が添えられていたはずだが、四字熟語のかたちをとるために「入替」の語を落としてしまったことに由来するものと考えられる」とのこと。納得ですが、今だに「天地無用」を見ると違和感を感じます。それにしても天地無用とはスケールが大きい!杞憂に似たり。

空港カウンターでも違和感を感じます。手荷物を預ける際に「貴重品は入ってませんか?」と聞かれますが、不思議でなりません。旅行鞄に貴重品(大事なもの)以外は入っていません!ゴミや不要なモノを持ち歩くわけないでしょ、しかも預けるわけないでしょ。一度答えたことがあります「はい、入っています。全部貴重品です」・・怪訝な顔されました。あの場で聞くのは「私(空港職員)は貴重品についてあなた(客)に確認しました、問題が起きても責任持ちません」の言い訳だと思います。その証拠に海外のカウンターでは何も聞かれません。

「赤信号 みんなで渡れば怖くない」のフレーズが昔々はやったことがあります。バイクに乗っていた頃スタンドで「水抜きを入れたほうがいいですよ、みんな入れています」の「みんな」にカチンときて二度とそのスタンド(戸畑バイパス)にはいきませんでした。グループでランチの時にリーダー格の人が「みんなカレーでよかが」といった時にひとり「カツ丼にします」と素直に希望を言います。

人は錯覚する生き物です。自分事なのに他人事のように錯覚します。錯覚なのにそれが手枷足枷(桎梏)となって(俯瞰的に見ると)変な行動を違和感なくとることがあります。自分事を他人事と錯覚せずにじっくり自分事として考える・・必要があるように思いますがね。私はこう思う、こう考えるが第一歩でしょ。毎日新聞に面白い記事(1/28)を見つけました。

松尾貴史のちょっと違和感「電車内の優先座席 恥ずべきシステムでは?」
2018年1月28日 毎日新聞
東京が4年ぶりの大雪で、通常ならば自家用車で新横浜まで行って新幹線に乗るのだけれども、自分の運転技術に鑑みて、電車で品川へ。車内が意外と空いているのは、雪で中止になった「何か」で人が動いていない分と、前日からニュースや情報番組で「明日お出かけの際は時間に余裕を持って」とアナウンスしていたから人の動きが分散したのだろうか。
ガラガラに空いているというわけではないのに、「優先座席」に空席がある。私は優先座席と指定されている椅子でも、そうでない椅子でも空いていれば同じように座るし、短距離ならば座らないことが多い。
そもそも優先座席というものが必要な社会というのは、どうにも納得がいかない。誰かが見張っているわけでも、譲ってもらうべき人物だという明確な線引きがあるわけでもないのに、まるで「制度」であるかのような体裁で設置されていることに違和感を覚える。
こうと書いておかなければ、他の座席でも優先して座ってもらうべき人が座りにくい社会を前提としている時点で、私たちの社会は敗北している。「そういう表示がなければ譲らない人がいる。しかし書いておけば少しは効果がある」というのであれば、全ての座席を「優先座席」にすべきだろう。
大きな商業施設や公的な場所には、その入り口近くに体の不自由な人の乗る車を止めるための、専用スペースが設けてある。それ以外の車は止めてはいけない場所だ。電車の場合は定員以上乗ることが常態化しているので、そこに空席が常にあることは効率が良くないから「優先」と呼んでいるという苦肉の策なのだろう。
そもそもは、どこの座席でも当たり前のように、体が不自由な人や、けが人、お年寄り、妊婦、幼児を抱いている人らが座席を譲ってもらえる社会を作るべきだろう。

立川談志さんが生前、ラジオの公開収録に来られ、本番前に電車の中での出来事を話しておられたのを思い出す。老人が1人、車両に乗り込んできた。座っていた中学生に談志さんが「坊や、譲ってあげたらどうだ」と言ったら、その子は素直に立ち上がり席を譲った。するとその老人は黙って当然のように座った。「ありがとう」の一言もなかったのだという。そこで談志さんは車内中に響き渡るどすの利いた声で「悪かったなあ、坊やっ! おじさんが余計なことを言った、席を譲ってもらってありがとうの一つも言えねえくそじじいに席を譲らせちまった。すまねえ。今度からじじいがいても、金輪際席なんざあ譲るんじゃねえぞ!」と叫んだのだそうだ。さぞや老人は居心地が悪かっただろう。
日本人の多くは、大勢人がいる場所で他人と違う行動をとることに恐怖心のようなものがあるようで、座席を譲るという低レベルの親切ですら、「注目を集めてしまう」から抵抗を感じるのだろう。しかし、席を譲る行為よりも、見て見ぬふりをして座席を占有し続けることの方が桁違いの「恥」であることは明白なのに、なぜ大恥の方を選ぶのかが不可解だ。
そろそろ、電車の中も監視カメラを設置する流れができている。痴漢やスリ、テロの防止などいろいろ目的があるだろうけれど、譲るべき人が目の前にいるのに譲らない人の姿を紹介し続けるくらいのことをしなければ、車内民度は上がらないのだろうか。
もちろん、そんなことを推奨しているわけではない。「優先座席」という恥ずかしいシステムがなくとも、全ての座席についてそうあることができる社会になってほしいというだけなのだ。(放送タレント)

「人がマインドコントロールを受けやすいのは、情報が過剰に与えられている状態か、極度に不足している状態」岡田尊司 情報が過多だと、世界は暗示や徴候(ちょうこう)に満ちあふれ、無秩序なものとなる。人は肝心の情報がどれか見えづらくて不安になる。情報が過少だと、限られた情報をもとに妄想を膨らませてしまう。いずれにせよ精神が大局を見る眼(め)と思考のための空きを失い、誘導への免疫力も失って誤作動しやすくなる。精神科医の『回避性愛着障害』から。(鷲田清一)2018.1.11折々のことばより。1400
今回の一言「自分で考え、答えを出す」
今回の一曲「Love Yourself:自愛」

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