BBTime 364 キス忘れ

BBTime 364 キス忘れ
「山椒魚あらゆる友を忘れたり」和田吾朗

「キス」と「忘れる」にちなんだ名曲「べサメ・ムーチョ」と「アンフォゲッタブル」についてのお話。まずは「キス」から・・先日ネットで次の記事を見つけました。『一度のキスで交換される細菌数はどれくらい?! キスをしている間に、8000万個もの細菌が交換されるって知っていた?』・・このタイトルを目にすると、エッ本当?あらヤだ!と思う方もいらっしゃるでしょうけど、さほど心配はいりません、ご安心ください。記事によると(以下引用)。

『この研究の発端は、「数多く存在する動物の中で、どうして人間だけが唯一、唇や舌のスキンシップをするのか」という疑問に対し、研究者たちが好奇心を抱いたことがきっかけだという。それには、カップル同士が唾液を交換しあうことで、お互いの相性を判断するのに役立つと言われている説もあれば、お互いの細菌を交換しあうことで、免疫力が高まるからだという説もある。  このような説があるにもかかわらず、キスによって口内の細菌がどのように交換されるのかを調査した研究は、過去に一つも存在しなかったという。そんなわけで、今回この研究を行った研究者たちが、21組のカップルのキスをモニターした結果、10秒間のディープキスにより、8000万個もの細菌が交換されることが判明したよう。さらには、キスをすればするほど、カップル同士の舌の上に生息する細菌が類似していることも発覚したそう。』記事より。

そもそも口の中の菌数はそれはそれは多く「歯垢1ミリグラム中に数億もの細菌がいます。全身の中でも、口腔内の細菌数は非常に多く、便と同じくらいのレベルといわれています」(引用元はこちら)。このように億単位の細菌がいつも棲んでいるのが口の中です。また細菌=バイキンではありません。善玉菌もいれば悪玉菌もいます。紹介した記事も『でも、キスによって交換される口腔内の大量な細菌に関して、研究者は何も結論付けていないとか』のようです。要は「口の中を清潔に保つ」すなわち「きちんと歯を磨きましょう」です。安心して「べサメ・ムーチョ」!もっとキスして!

この女性Consuelo Velázquez:コンスエロ・ベラスケスが、約80年前1940年に発表し世界的大ヒットとなった『ベサメ・ムーチョ』(Bésame mucho)の作曲者です。Wikipediaには「彼女はこの曲を、16歳の誕生日前に作った。ベラスケス自身によれば、この曲を書いた時点で彼女はまだキスを未経験で、キスとは罪深いもののように思えたという」とあります。ただし生年が1920年ではなく1916年だという説も。いずれにせよ二十歳前後でこの曲を世に出しました。歌詞和訳は『BÉSAME MUCHO キスして、いっぱいキスして まるで今夜が最後のつもりで キスして、いっぱいキスして だってあなたを失うのが恐いの いつかあなたを失うことが。(リピート)私はあなたの近くにいたいの あなたの目の奥深くのあなたを見るため あなたがとても近くにいることを確かめたくて 多分、明日には 私は遠くにいることと思うわ とてもあなたから遠くに。キスして、いっぱいキスして まるで今夜が最後のつもりで キスして、いっぱいキスして だってあなたを失うのが恐いの いつかあなたを失うことが。だってあなたを失うのが恐いの いつかあなたを失うことが。』(引用元はこちら)。

もうひとつ「Unforgettable:忘れられない」。先日も定期検診で来院の方が「日頃使ってますけど、今日は忘れました」と義歯忘れ。また「銀歯が取れたんですけど・・」外れたモノは自宅に忘れ。お願いです、日常使用の義歯は必ず持ってきてください(口の中にいれて来て下さい)。外れたモノは、金属でも白いものでも割れたものでもカケラでも可能な限り持って来て下さい。たまに「外れた金属は黒くなっていたから捨てた」とおっしゃる方も・・勿体無いですよ。保険内の金属「12%金銀パラジウム合金」は名の通り「金パラ製品の組成・成分としては、金12%、パラジウム20%、とJIS規格(JIS適合品)で定められており、銀50%前後、銅20%前後、その他インジウムなど数%が含まれています。 メーカーによって多少の成分バランス・液相点・硬度など異なりますが、金とパラジウムの含有率に関しては、どちらのメーカーでも同一規格となります」(出典はこちら)のように約8割が貴金属です。捨てるのは勿体無い!

「忘れられない」で忘れちゃいけない人がこの人、Nat King Cole:ナット・キング・コールで、もちろん「Unforgettable:アンフォゲッタブル」。しっかり歯磨きと外れたモノは、お忘れなく!6050



https://youtu.be/aXjdMV7SOfE
最後に「山椒魚」について。句の解説にも『山椒魚と聞けば、井伏鱒二の短編を思い出す。近所の井の頭自然文化園別館に飼育されているので、たまに見に行くが、いつも井伏の作品を反芻させられてしまう。この国では、本物の山椒魚よりも、井伏作品中のそれのほうがポピュラーなのかもしれない。この句を読んだ時にも、当然のように思い出した。作者にしても、おそらく井伏作品が念頭にあっての詠みだろう。文学、恐るべし。谷川にできた岩屋を棲家としている山椒魚は、ある日突然、その岩屋の出口から外に出ることができなくなるほど大きくなってしまっていることに気づく。大きくなった頭が、岩屋の出口につっかえてしまうのである。孤独地獄のはじまりだ。そこでついには、岩屋の中に入り込んできた蛙を自分と同じ境遇にしてしまえと考えて、閉じ込めてしまう。彼らのその後の運命については、書かれていないのでわからない。しかし、たぶんその蛙は先に死んでしまい、その後の山椒魚は孤独の果てに、ついには世俗へのあらゆる関心を失って行く。ただ、ぼおっとしていて、ほとんど身じろぎすらもしない存在と化してしまう。そのことを「あらゆる友を忘れたり」と一言で表現した作者の想像力は深くて重い。なんという哀しい言葉だろうか。今度山椒魚を見る時には、私はきっとこの句を思い出すにちがいない。』(引用元)。

山椒魚は悲しんだ。 彼は彼の棲家(すみか)である岩屋の外に出てみようとしたのであるが、頭が出口につかえて外に出ることはできなかったのである。今はもはや、彼にとっては永遠の棲家である岩屋は、出入り口のところがそんなに狭かった。そして、ほの暗かった。強いて出て行こうとこころみると、彼の頭は出入り口を塞(ふさ)ぐコロップの栓となるにすぎなくて、それはまる二年の間に彼の体が発育した証拠にこそなったが、彼を狼狽(ろうばい)させ且つ悲しませるには十分であったのだ。 「なんたる失策であることか!」 彼は岩屋のなかを許されるかぎり広く泳ぎまわってみようとした。人々は思いぞ屈せし場合、部屋のなかをしばしばこんな具合に歩きまわるものである。』引用元はこちら。6050

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