BBTime 466 眉唾に非ず

BBTime 466 眉唾に非ず
「美しき緑はしれり夏料理」星野立子

夏が来れば思い出す♫句です。同時に夏料理って?と考えているうちに夏が終わります。タイトルの「眉唾:まゆつば」とはご存じの通り「正しい(本物)かどうか疑わしいこと」です。眉に唾をつけて見れば、狐や狸のいたずらに騙されない、という俗信に由来するとのこと。今回、眉唾物ではない「唾:つば」のお話。

前回「意味不明!」で学校検診に触れましたが、ムシ歯の部位は似通っています。成人の方にも同じような傾向があります。言わばムシ歯の好発部位。まずは上の前歯の隣り合う部位(隣接面):この部位は一番目立つ(他人の目から見える)部位でもありますので、モッタイナイ!ここはブラシだけでは不十分、フロス(糸)が必須です。次に見かけるのが上の一番奥の奥歯の奥の面、特にほっぺた側です:この部位は歯ブラシが届きにくいのでムシ歯好発部位です。コツがあります。口を大きく開けるとほっぺた側の筋肉が邪魔して、歯ブラシが届きません(奥に入らない)ので、口を開けてブラシを入れたら、歯ブラシをくわえるように口を閉じてください。すると筋肉が緩んで空間が出来ますので、歯ブラシが奥の奥まで届きます。次のイラスト見ていただくと・・理由がわかります。

そうなんです。日常生活で唾液によって洗われる部位はムシ歯になりにくく、唾液の届きにくい(唾液によって潤わない)部位はムシ歯になりやすいのです。一番唾液によって潤っている(濡れている)部位は、下の前歯のベロ側(舌側:ぜっそく)です。その部位には「舌下小丘:ぜっかしょうきゅう」があり、そこから唾液が出るからです。ただし、常に唾液で現れることによって「歯石:しせき」がもっとも付きやすい場所でもあります。

本来ヒトはいくつかの歯の自浄作用をもっています。野菜をガシガシ食べることで「歯磨き」の効果がありますし、「唾液」によって洗われることで唾液のもつ免疫力も加味され、ムシ歯予防を自分自身で行います。にも関わらずムシ歯を作ってしまうのは、お分かりのように食生活の激変、砂糖の過剰摂取などが主因です。

あなたの口の中の唾は、歯を守る力が絶大なんです・・眉唾ではありません!その唾液で歯を磨くことは、あなたにとって非常に有益です。赤ちゃんに母乳をあげるのと似たような有益性です。唾液磨きであれば、いつでもどこでも(歯ブラシさえあれば)磨ける、まったくの無害、もちろん無料。これでも未だあなたは「歯磨き粉」を使いますか?唾液磨きだけで落ち着かない方は、最後にほんの少し使う程度で十分なんです。

残存歯(残っている歯)が少ない多くの方が残している歯は下の前歯です。始終唾液によって守られているのが下の前歯です。くどいようですが、唾液の守る力は強力なんです。唾液のもつ免疫力はデリケートですので、人工的化学物質である歯磨き粉が口に入ると、唾液の免疫力は低下します。もったいない話です。オススメしたい「唾の使い方」は、眉に塗るのではなく歯磨きに使ってください。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。8140

BBTime 465 意味不明!

BBTime 465 意味不明!
「はつきりしない人ね茄子投げるわよ」川上弘美

これは俳句なのか、痴話喧嘩なのかはっきりしません(笑)。解説には『いずれにせよ「はつきりしない人」は、男女を問わずいつの世にもいるのだ。私たちの周囲だけでなく、企業や団体・・・・いや、政治の場でも「はつきりしない/させない」人や事、あるいは「玉虫色のもろもろ」はあふれかえっている。それらには鉄塊か岩石でも投げつけなくてはなるまい。この句で投げられるのは、あの柔らかくて愛しい弾力をもった茄子だから、むしろ愛敬が感じられる。ジャガイモやトマトとは違う。ヒステリックな表情から一転して、茄子がユーモラスな味わいを醸し出している。口調はきついが、カラリとしていて陰険ではない。この人は「投げるわよ」と恐い顔をして威嚇しただけで、実際には投げなかったかもしれないし、投げつけたとしても、すぐにニタリとしてベロでも出したかもしれない。』(解説より抜粋)。今回は近頃よく耳にする「積極的検査」について。

先日(7/11)も報道に『東京都で新型コロナウイルスの新たな感染者が増えていることについて、菅官房長官は積極的にPCR検査の受診を促し、陽性者を探し出している攻めの姿勢の結果だと指摘したうえで、感染拡大防止と社会経済活動の両立に取り組んでいく考えを示しました』(引用元)とあります。小生にとってまったくもって意味不明!医学的には、積極的に検査しても消極的に検査しても陰性は陰性、陽性は陽性です。積極的に検査した結果、陽性者数が増えただけで特に心配する必要はない、とでも言いたげに聞こえます。経済を止めたくないのはわかりますが、筋が違います。ロジック(論理・道筋)がごっちゃになっており、明らかに誤魔化しです。「積極的に検査」「攻めの姿勢」など、詭弁にすぎません。

さてこの時期、学校歯科検診結果を携えて子供さんが来院されます。学校の歯科検診では「疑わしきはムシ歯」と診断します。理由はただひとつ「見落とし」を避けたいからです。学校は歯科診療所と異なり、照明や設備などにおいて劣る可能性は否めませんので「疑わしきはムシ歯」と判断します。このため積極的検診で「ムシ歯あり」であっても臨床的には「(要治療の)ムシ歯なし」となる場合があるのです。

小さくとも明らかにムシ歯があった時、「削って詰める」場合と「削らずに様子を見る(経過観察)」場合があります。小生の判断基準はその方の歯の清掃状態です。清掃状態良好ならば経過観察し、不良ならば小さくとも治療を考えます。歯科医院で「削って詰めましょう」と言われた場合に、あなた自身(患者さん)も鏡で確認し、一言「様子見るのは不適切ですか?」と聞いてください。患者さんが子供さんの場合、親御さんが「経過観察は不適切ですか?」と歯科医師に聞いてください。歯は削ったら元に戻りませんので、積極的検診で「ムシ歯陽性」であってもすぐに削らずに「定期観察」「長期観察」の方が良い場合もあります。皆さま、ご自愛の程ご歯愛の程。7910


BBTime 464 十万が一

BBTime 464 十万が一
「純白のマスクを楯として会へり」野見山ひふみ

季語は「マスク」で冬の句、解説が結構面白いです。『さて、作者は身構えて物を言わざるを得ない人に会いに行った。実際に風邪をひいていたのかどうかはわからないが、とにかくマスクを「楯(たて)」のようにして話したというのである。「純白の」に、相手に対する挑戦的な姿勢が強調されている。マスク一つで、心強くなれる人間心理は面白い』(解説より抜粋)。黒の方が挑戦的だと思うのですが、当時(1997年発表)一般的マスクで黒はなかったでしょう。マスクからサングラスへ。

『マスクに似た効果があるのはサングラスで、あれもかけ慣れると、なかなか外せなくなる。私は若い頃にいっとき、夜でもかけていた。礼儀上外したときなど、別に身構える相手ではないのに、なんだか自分が頼りなく思えて困ったものだった』

『古風な小説や映画に出てくる怪盗などがしばしばアイ・マスクをして登場するのは、一つには顔を見られたらいけないこともあるが、そのこと以上に、あれはまず自分自身を鼓舞するための道具なのではなかろうか。風邪のマスクに話を戻せば、SARS騒ぎの中国の街で、ほとんどの人たちがマスクをしている映像は記憶に新しい。あの場合はむろん自己鼓舞とは無関係だけれど、あれだけの人々がマスクをしていたら、それまでの人間関係が微妙に変化する部分もあったのではないかと思う。句が言うように、たかがマスクとあなどれないのである。『俳句歳時記・冬』(1997・角川mini文庫)所載。(清水哲男)』(解説より)。

この解説が書かれたのが2003年12月、誰がコロナ禍を想像したでしょうか。SARSも中国起源であることを考えると、やはり中国は人口のみならずウイルス人口も世界一なのでしょう。今回はマスクが「楯」なのか「矛:ほこ」なのかについて。

今月文月二日の毎日新聞に記事「マスクと感染リスク」を読みました。『ようやく全国で移動制限が解除された。まだマスク着用など、感染対策をする新しい生活様式が必要とされる。一方で、熱中症が心配される夏である。「マスクをしないとダメなの?」と思っている人は多いだろう。   その答えは、立場によって違う。マスクの効果を調べた動物実験で、感染リスクが半分に抑えられたという。だから感染症が専門の立場からは、リスクを下げるには、マスクの着用が必要だとなる。一方で、熱中症が専門の立場からは、マスクをつけた状態で運動すると、心拍数、呼吸数、血中二酸化炭素濃度、体感温度が上昇したという報告がある。だからマスクをはずして休憩することも必要だという。結果として、科学的根拠に基づくべき厚生労働省や政府の立場からの指針は、両論併記となる。「外してよい」などと発表し、万一、感染者が出たら責任を問われてしまうからなおさらだ。』(記事より)。

『フェーズ・局面の視点から考えても、春先と今とは違う。春先には感染力の強さも感染ルートも、有効な対策も未知で、新規感染者数も1日で700人、入院者数も1万人に近づきベッドが逼迫(ひっぱく)し、緊急事態宣言が全国に拡大された。しかも、無症状の人にも感染力があるとわかった。だから拡大期には無症状の人もマスクをして、感染リスクの抑制が優先されるべきだ。』(記事より)。しかし今は夏、春先とは違うフェーズです。

記事にあるように「万が一の十分の一」つまり「十万が一」「1/100,000」です。「さらに半分に感染リスクを下げたい人には」すなわち「二十万が一・1/200,000」のリスクとなります。言い換えれば「二十万人に一人の陽性者」からの感染を考慮する方は「マスク必要」と言えます。「マスクをしないとダメなの?」の問いには、記事の最後『多くの人にとって怖いのは、ウイルスよりも、周りの目なのかもしれない』を根拠とすると「周りの目を気にする方はマスクをしましょう」となります。ところで、あなたは二十万人いや十万人の人と濃厚接触する可能性のある立場の方ですか?ご自愛の程ご歯愛の程。6250



エンニオ・モリコーネ氏死去の報に触れて・・・合掌。

BBTime 463 恙なく

BBTime 463 恙なく
「恙なき雲つぎつぎに半夏かな」廣瀬直人

解説が少々難解です・・『季語が「半夏(はんげ)」であるのは間違いないが、どの項目に分類するかについては、いささか悩ましいところのある句だ。というのも、単に「半夏」といえば一般的には植物の「カラスビシャク」のことを指すからである。だが、私の知るかぎり、この植物を季語として採用している歳時記はない。ならば当歳時記で新設しようか。でも、待てよ。歳時記をめくると、半夏が生えてくる日ということから「半夏生(はんげしょう)」という季語があって、こちらは全ての歳時記に載っている。今年は昨日7月2日がその日だった。そこで悩ましいのは、掲句の中味はカラスビシャクを知っていても、こちらの季語の意味を知らないと解けない点である。すなわち、「恙(つつが)なき雲」は明らかに、半夏生の日の天気によって米の収穫を占った昔の風習を踏まえている。梅雨の晴れ間の空に「つぎつぎに」生まれる白い雲を眺めながら、作者は昔の人と同じように吉兆を感じ、清々しい気持ちになっているのだ。だとすれば、何故「半夏かな」なのだろう。ここをずばり「半夏生」と押さえても字余りにもならないし、そのほうがわかりやすいし、いっこうに差し支えないのではないか。(後略)』(解説より一部)。冒頭画像は半夏生(今年は今日)

「如何にいます父母 恙無しや友がき 雨に風につけても 思い出づる故郷」唱歌故郷(ふるさと・1914年発表)の二番の歌詞です。ここに出てくる「恙無し:つつがなし=病気や異状が無く、いつもと変わりがない様子」は、画像のツツガムシによる病気「ツツガムシ病」に由来すると昔聞いたことがありましたが、誤りでした。「恙虫=恙虫病→恙無し(病気になっていない)=健康で変わりない」ではなく正しくは「恙(病気や災難のこと)=これを引き起こす妖怪が恙虫→その後にダニ(画像)が原因であると判明し「ツツガムシ」と命名(1899年)」とのことで、妖怪恙虫が先で実在のツツガムシが後でした。詳しくはこちら「つつがなしや」もどうぞ。長い枕となりました(笑)、今回は「恙なく」について。

ほぼ毎日目を通すサイト「ほぼ日」の今日のダーリンに
じぶんの生きている周辺の空気を、
なんの意識もせずに思い切り呼吸できる。
つまり、じぶんの一日中吸っている空気を信じられる。
これ、考えてみたら当たり前のことですよね。
これも言わばツツガナシ、コラムは続いて
なんにも特別なことを考えたりせず、
思い煩ったりもしないで生きていけるって、
根本的に大事なことなのだと思います。
信じられる環境に生きていることが、
人をのびのびさせてくれる。
そういう環境があってこそ、
人それぞれのいいところが発揮されていく。
それは、さまざまな場所で実際にやってみて
証明されつつあることのようです。』(6/30今日のダーリンより前半)

同感です!朝日新聞「折々のことば」6/7には
『生き物として生きる以上、
中と外をきっちり分けることなんてできないの。
中村桂子
呼吸、飲食、排泄(はいせつ)、悪寒、そして聴く、嗅ぐ。たしかに物が出入りしたり、互いに共振したり。人はあくまで自然の一部。環境の内、他の生命とのつながりの内にあることを忘れてはならないと、生物学者は言う。そして「『地球に優しくしましょう』。それって上から目線よね」とやんわり諫(いさ)める。インタビュー「生きることは、時間を紡ぐこと」(「暮しの手帖」第6号)から。』

今日のダーリンに加えこの文章も、ごもっともだと思います。
ヒトは何気なく空気を吸い込み、木になる実を採り、地に生える草を摘み、海や川で魚を森で獣を狩り、深く考えることなく口に運んでいたのだと思います。医療がなかったため妖怪の仕業と恐れ、時に病に倒れていたのでしょう。この頃「ムシ歯」は世にほぼ存在しませんでした。いまだに野生の動物はムシ歯とは無縁です。ヒトのみが禁断の果実を口にして「ムシ歯」という「恙」に悩むようになったのです。今のようにムシ歯が問題となったのは恐らくここ二百年のこと。あまりにも短期間に次から次へと「禁断の果実」を口にしてしまったのです。ムシ歯のみならず、飲酒喫煙による問題、食べ過ぎによる肥満など枚挙にいとまがありません。妖怪恙虫の正体は「煩悩」ではないでしょうか?

ムシ歯における「アマビエ」は残念ながら存在しません。日々歯を磨くしかありません。歯磨きを考えずに(歯を磨かずに)生活したい方は「旧石器時代」の食生活に変えるしか方法はありません、不可能です。平成令和の食生活を楽しみたい方は「食べる」のワンセットとして「歯磨き励行」しかないのです、残念ながら。恙なく食を楽しむために、ご歯愛の程、歯磨きの程。

歯磨きとは直接は関係ないのですがヒントを見つけました。イチロー氏が答えます、オススメです。おとなクラスの「質問:感情を抑えるにはどうしたらいいですか」に答えて「その先のことを考えるんですよ」。これヒントかも、美味しく食べて余韻に浸るとき「また美味しく食べるには」と考える・・すると「歯を磨こう・キレイに保とう」と歯ブラシに手が伸びるのではないかと・・我田引水ですかね。ではでは 4820


 

BBTime 462 ほぼ完成

BBTime 462 ほぼ完成
「一本のバナナと昭和生まれかな」北迫正男

解説に同感です。『季語は「バナナ」で夏。この句の感傷的感慨がわかるのは、「昭和生まれ」といっても、戦前の昭和に生まれた人たちだろう。私も含めて、その世代が子どもだったころの「バナナ」に執した思いには熱いものがあった。当時のバナナは高価であり、したがって今のようにそこらへんで気楽に房ごと買えるような果物ではなかった。リンゴなどもそうだったが、病気になったときとか、何か家で良いことがあったときとか、そういうときでもないと口に入らなかったのだ。だから、当時の人気漫画であった島田啓三『冒険ダン吉』のダン吉少年が、南洋の島でバナナにぱくつく様子が、如何にうらやましく目に沁みたことか。そして敗戦後ともなれば、昨日も書いたように、バナナどころの話ではない食糧難時代に突入する。そんなわけで、戦前の昭和生まれにとって、まさにバナナは魅惑の食べ物だったと言えよう。するすると皮を剥くと、ちょうどかぶりつきやすい太さの黄色い果肉があらわれて、一口噛めばえも言われぬ香りと甘さが口中に広がるときの至福感。そんなバナナを私が戦後再び口にできたのは、十代も終わり頃ではなかったろうか。そしていつしか、気がついてみたらバナナは巷に溢れていた。果物屋や八百屋だけではなく、そこらのスーパーマーケットでも、昔に比べれば「超」がつくほどの安値で売られている。だが、いくら安価になっても、いつまで経っても、そうした世代がバナナを前にすると、昔の憧れの気持ちがひとりでによみがえってきてしまう。句の作者は、いまちょうどそんな気分なのだ。すっかり昭和の子に戻って、「一本のバナナ」をしばし見つめているのである。「俳句」(2006年7月号)所載。(清水哲男)』(解説より)。

まさしく戦前生まれの母はこの通りで「就職したら、一度でいいから房ごと買ってお腹いっぱいバナナを食べたい」と子供の頃に思っていたようです。今回はバナナジュースのお話、三話目。こちらもどうぞ「BBTime380 極旨!」「BBTime384 超極旨!」。

おやつ食堂(計画中)メインメニューであるバナナジュースの研究に日々勤んでおります(笑)。ほぼ完成しました!各フレーバーについてお話します。
1)プレーン(基本):「超極旨!」に書いていますが「超極旨!バナナジュースの作り方は「生バナナと冷凍バナナを使います、その黄金比は生:冷凍=3:7」。シンプルに、牛乳100mlに冷凍バナナ1本と完熟生バナナ半分(0.5本)、無糖ヨーグルト茶匙一杯。これらをミキサーで撹拌して出来上がり。約300mlになり、コップ二杯分です。   2)コーヒー:プレーンに紙ドリップ用に挽いたコーヒー粉を茶さじ一杯加えてミキサーします。香りの良い豆を選ぶのかコツかと。ハーゲンダッツのクッキー&クリームのような味わいになります。

3)ココア:バンホーテンのピュアココアを、これまた茶さじ一杯加えてミキサー。
4)きな粉:結構いけますオススメです。もちろん無糖のきな粉を茶さじ一杯。
5)酢:黒酢でもOKですが、バルサミコ酢の方がベター。カレースプーン八分程。この場合ヨーグルトは加えないほうがよろしいかと。
6)干し葡萄:砂糖無し干し葡萄をカレースプーン一杯。ミキサーだけだとそのまま残る葡萄もありますので、気になる方はあらかじめ刻む必要あり。   7)他にも、紅茶・抹茶・緑茶・シナモン・ポンジュースなど色々試してみましたが、イマイチでした。メニューは全て砂糖なし(加えず)です。

いずれのフレーバーも「本当に砂糖なし?」と疑うほどの美味しさです(自画自賛)。砂糖を摂らなければ、歯磨きはそこそこでもムシ歯のリスクは低いのです。しっかり磨いたつもりでも「磨き残し」は必ず存在します。砂糖の摂取量を減らす程に「磨き残しリスク」も小さくなります。冷凍バナナを使うので、出来上がりは少しヒンヤリ、この夏に是非お試しあれ!では、ご自愛の程ご歯愛の程、明日から七月!4510

BBTime 459 飴と雨

BBTime 459 飴と雨
「アイスクリームおいしくポプラうつくしく」京極杞陽

解説に『季語は「アイスクリーム(氷菓)」で夏。作者は京極子爵家の嫡流で、世が世であればお殿様であった。だからかどうなのか、この人の多くの句にはおっとりとしたところがある。(中略)掲句などは典型で、どこにも企みは見られない。小学生の句かと見まがうほどに素直な詠みぶりだが、しかしやはり大人ならではの味がする。「アイスクリームおいしく」までは小学生でも、ポプラへと目を移す余裕は子供にはないからだ。しかも「おいしく」「うつくしく」と重ねて、アイスクリームとポプラがお互いを引き立て合っている。相乗効果で、ますます「おいしく」「うつくしく」感じられてくる。まことにおいしそうで美しそうではないか。こうしたいわば生の言葉を句に落ち着かせるためには、技術云々ではなくて、まずは作者の本心が生でなければ不可能だろう。世辞や社交辞令ではない本当の気持ちがなければ、生の言葉は浮いてしまう。腰がふらついてしまう。素材対象への素直で自然な没入。悲しいかな、私などにはそれがなかなかできないから、怖くて生の言葉は使えない。掲句を見つめていて、そういうことがよくわかった』(解説より一部抜粋)とあります。今回は飴と雨、雨は雨でも酸性雨についてのお話。

まずは「飴」・・日本では飴とキャラメルは別物ですが、外国語では・・キャンディ(candy:英語)、ボンボン(bonbon:仏語)、カラメッラ(caramella:伊語)となります。いずれにせよムシ歯を作りやすいスイーツです。

一方「酸性雨」・・『酸性雨とは、二酸化硫黄(SO2)や窒素酸化物(NOx)などを起源とする酸性物質が雨・雪・霧などに溶け込み、通常より強い酸性を示す現象です。酸性雨は、河川や湖沼、土壌を酸性化して生態系に悪影響を与えるほか、コンクリートを溶かしたり、金属に錆を発生させたりして建造物や文化財に被害を与えます』(引用元はこちら)。昔、ハナ通信に書きました。「エコロジー問題のひとつに酸性雨があります。強い酸性の雨水のため、森林、草花から、大理石の宮殿にいたるまでダメージをうけているというものです。ところで口の中の酸性雨のことをご存じでしょうか。砂糖を口に入れると、歯の表面のカルシウムが溶ける酸性度にまで下がり、食べ終わっても十数分間は続いていて歯の表面は少し溶けます(ミニムシ歯)。このミニムシ歯は唾液中のカルシウムで自然修復されますが、これには数時間かかります。ミニムシ歯ができる回数が増えて修復が追いつかないと、やがて目に見えるムシ歯になります」(一部抜粋)。

「飴」が口に入ると、やがて「酸性雨」が降り始めムシ歯(歯の表面を脱灰)を作ってしまいます。そこでアイスクリームやプリンの登場!シンプルに考えてください。口の中、歯の表面、歯の近くに砂糖がとどまる時間が長い程、ムシ歯へのリスクも高まります。口の中での滞在時間が短いスイーツほど、ムシ歯リスクは低くなります。土砂降りの酸性雨を降らせる飴やハイチュウよりも、小雨酸性雨のアイスクリームやプリン、ゼリーの方がムシ歯を作りにくいんです。詳しくはこちら「BBTime028 ハイチュウ中毒 ハイ注意!」もどうぞ。

さらなるオススメは「うがい」です。スイーツを楽しんだ後にマナーを踏まえて、水を口に含みガラガラではなく「グジュグジュ」うがいでごっくん。この夏はキャンディよりもアイスクリームを、そうして食べた後は水うがいで歯の水洗いをどうぞ。「アイスクリームおいしく歯はうつくしく」・・新型コロナで溜まったストレスを軽減するため、ひと時の幸せを求めてスイーツ摂取が増えている方、くれぐれもムシ歯を増やす事がなきよう、ご自愛の程ご歯愛の程。

余談ですが「雨」は上から下に降るのでアクセントも「上から下」と聞きました。ネットに『「雨」と「飴」はどちらも「アメ」と読む同音異義語ですが,実際に声に出して読んでみると,声の高さにはっきりと違いが出ます。NHKのアナウンサーなら,「雨」は「ア」が高く「メ」が低い,反対に「飴」は「ア」が低く「メ」が高い,ということになるでしょう。このように,声の高さの高低として捉えられるのが,日本語のアクセントの特徴です』(引用元はこちら)とありました。ではでは 1070





追加:キャンディよりアイスクリームがよろし!の資料を掲載しておきます。

表の上の説明:①プラークを作る力 ②酸を作る力と強さ ③食べている時間 ④食べ終わっても口に残って作用する時間の長さ(松久保隆1990 引用改変)

BBTime 458 笑顔笑眼

BBTime 458 笑顔笑眼:えがおえがん
「マスクしてマスクの人に目敏しよ」宮坂やよい

画像の出典は記事「名画の人物にもマスク、英美術館がグリーティングカード」(こちら)より。句の解説に『季語は「マスク」。最近では花粉症を防御するために、春もマスク姿の人は多いが,元来は風邪の季節である冬季のものである。句が言うように、たしかに自分がマスクをしていると、他人のマスクにも目敏く(めざとく)なる。やや風邪気味なのか、あるいはインフルエンザに流行の兆しが出て来たのか、いずれにしても内心ではちょっと大袈裟かなと思っているのだ。が、街に出てみると、昨日までは気がつかなかったマスクをした人がけっこう目につく。そうか、堂々とマスクをしていても変じゃないんだと、ほっと安堵の一句である』(解説)とあります。マスクは冬の季語ですが・・今回はマスク美人、マスク笑顔の話。

公共の場では恐らく九割以上の方がマスクされています。マスク着用だと表情の表現(読み取り)が困難ですが、そこを逆手に捉え、マスクの下で笑顔の練習をしてみるのもよろしいかと!毎日笑顔エクササイズすることで、口角が上がり、地顔が笑顔になり、新型コロナが終息し晴れてマスク不要になった日には、みんなの笑顔がレベルアップしているなんて、考えるだけで笑みがこぼれます。見えている「目」だけでどれだけスマイルを伝えられるか。笑顔・笑眼(えがん)の練習としてマスク着用を利用するのも楽しいかと。

雑誌「&プレミアム」に次の文章を発見
『笑うこと。
笑うのはいいなぁ。笑顔は人から人へと伝播していくのもいい。写真を撮るとき、カメラを構えて「笑ってください」と声を掛けるよりも、「さぁ笑いますよー!わぁーはっはっは!」と自分が笑ってしまうほうが、みんなつられて笑顔になるから面白い。しかも思わず笑ってしまった顔だから、自然な表情になるのもいい。笑うという行為は、自分がしあわせになると同時に、相手にもしあわせな気持ちになってもらうことなのかもしれない。たくさん笑い合って生きて行きたいなぁ。水野学』

笑うこと・笑顔が絶対的に良いと言う気はありません。笑いたくない時に無理することはないと思いますが、これから高温多湿になるのに、マスク着用を強いられる場面で「笑眼練習」として気が紛れればと思ったものですから・・笑うことで免疫はアップしますけどね。

言葉「和顔施:わがんせ」が朝日新聞の折々のことばに出てました。
『いつもニコニコしていることで、徳を積めるんです。瀬戸内寂聴
人に笑顔を施すことを「和顔施(わがんせ)」という。そのために普段からユーモアの感覚を磨いておくよう僧・作家は奨(すす)める。そして好きなことしかしないこと。何かに呆(ほう)けると悪口を言う暇もなくなる。日本文学研究者、D・キーンとの対談『日本の美徳』から。演出家の久世光彦は、寂聴姉(ねえ)は〈女〉をやめなかったから「死んで桃色の骨になるだろう」(『美の死』)と書いて、先に逝った。(鷲田清一)』こちらもご参照のほど「BBTime 333 和顔施」。

同じく「折々のことば」に次のような文章も。

ユーモアの感覚磨きとして、笑顔ではなく「変顔」練習もありかも。最後にお陰様で拙ブログ「connote:カノート」へのアクセスが百万を超えました!感謝とともにさらに精進いたします。0040



BBTime 457 地道に自道

BBTime 457 地道に自道
「浦島太郎目覚めの床にあまがえる」夏石番矢

解説は『季語は「あまがえる(雨蛙)」で夏。玉手箱を開けてしまった後の「浦島太郎」落魄の景と読んだ。竜宮城での遊びに飽きて、故郷に戻ってみれば我が家もなければ知る人もいない。三年ほどの滞在のつもりが、実は三百年も(七百年説も)経っていたというお話。やっとの思いで一夜の宿を得て、目覚めると同じ「床」に「あまがえる」がきょとんとした顔で坐っていた。人も風景もみんな変わってしまったなかで、この雨蛙だけは昔と同じ姿かたちをしている。迎えてくれたのは、お前だけか。何故こんなところに雨蛙がいるのかなどの疑問よりも先に、太郎の心は懐かしさでいっぱいになっている。いるはずもない床に雨蛙を配したことで、太郎の孤独がいっそう深まっている。浦島伝説の解釈には諸説あるが、私は地域共同体を外れた者に対するいましめのための話だと思う。伝説の原型は古く『日本書紀』にあって、ある男が海上で出会った絶世の美女とどこか遠い国に行ってしまい、ついに戻ってこなかったという。どうやら、異民族との結婚話らしい。当時の人々には、おそらくまだ共同体防衛の意識などなかったろうから、憧憬譚めいたニュアンスがある。ところが今に伝わる話は、武家が天下を取った鎌倉室町期の脚色らしく、異民族や他所者との結婚や交流は共同体破壊につながるから、これを暗示的にいましめているというわけだ。すなわち、浦島太郎は共同体破壊者であり、そんなけしからん男が最後にはどんな目にあうかという「みせしめ」なのであった。『巨石巨木学』(1995)所収。(清水哲男』(解説より)。解説文に「地域共同体」「共同体破壊者」の言葉があります。今回は地道に自道を!について。

ご存じカーナビです、車に装着してある方も多いでしょう。また手元のスマホにもナビが入っています。先日ナビ使用した時のこと。ふとスマホばかり見ていて、全く周りの景色を見ていないことに気付き、すぐに大方の見当をつけてスマホをしまいました。近頃、新型コロナウイルスによる行動の変化について思うことがあります。多くの人々があまりにも「ナビ依存症」になってしまっているのではないでしょうか。ナビ依存症=言い換えれば「指示待ち」「ナビ通り」の人。さらに言うなら、ナビ(マニュアル)通りにいかないと「このカードは使えません」とか「(あなたの)ペイペイは使えません」などと言って、ちょっとしたトラブル(すんなり行かないこと)を、あれやこれやとトライして解決しようとしません。また、自粛警察の言葉に代表されるように、他人が指示通りナビに沿っていないと、「あなたは悪い」と決めつけて、時に誤った正義感で妙な行動をとる人も。

次第に気温が上がり熱中症のリスクが高まってきても「マスク着用厳守」が正しいのだ!・・これ本当? ウイルスに対して効果の薄いマスク着用よりも・・その時の気温、その場の人数、あなたの素直な判断の方がよほど意味あることだと思います。(ナビ依存症の人々に目安として言っておきながら「国民の誤解だ」と言い放つ大臣は別の意味で、全く話にならん!バカにするな!です)。

今年も「歯と口の衛生週間」・・ナビとは言いませんが、昔からの習慣を信じて疑わない行動も如何なものかと思います。歯磨きの時には歯磨き粉を使うものだ・・あえて使う必要はありませんと断言します。また、小学校で以前よく目にした光景です・・牛乳を飲めない子に「鼻をつまんででも飲みなさい」「頑張って飲めば飲めるようになるから」・・純粋に第三者の目で見ると、これは虐待では?本人の体が拒否しているのに「牛乳を飲め」と強いるのは明らかに虐待です。飲んだ途端に吐き出すのは「急性中毒」のひとつの正しい体の反応です。じきに飲めるようになったとしても、これは急性中毒が「慢性中毒」に移行しただけのものです。

人は「十人十色」。逆の見方をすると物差し(基準)もそれぞれ。あえて万人共通のものは「数字」でしょう。百円は100円だし、朝の八時は8時です。ニューノーマル・新しい日常を鵜呑みにすることなく、羹に懲りて膾を吹くことなく、常に自分の五感をしっかり使って「地道に自道(我が道)」がよろしいのでは?

先日、久しぶりに画像の歯磨き粉を使ってみました。ところが・・使用後に味覚異常発生。美味しいはずのフルーツの味が・・苦いような渋いような。味覚異常の原因はこの歯磨き粉・・そうであれば、この歯磨き粉は味覚に(舌や粘膜には)良くないと言えます。ネット情報、SNS、知り合いからのネタを頭から信じるよりも、もっともっと自分の五感を信じませんか。歯科医療についても同じことが言えます。歯科医師が「ここの治療はこうなります」と言っても、あなたの希望とギャップがあれば、納得し難いのであれば、迷わず「他にどのような選択肢がありますか?」と尋ねましょう。どうしても希望通りの治療計画でなければ、これまた迷わず他の歯科診療所へ行くのも一法。

「明日は又明日の日程夕蛙」高野素十
好きな句です。今日は今日、明日は明日。あなたはアナタ、私はワタシ。右か左か、選ぶのはご自身で。地道に自道を歩むのがよろしいかと。ご自愛の程ご歯愛の程。9270
追加:過去の朝日新聞「折々のことば」に見つけました。


BBTime 456 一厄息災

BBTime 456 一厄息災:いちやくそくさい
「六月を奇麗な風の吹くことよ」正岡子規

好きな句です。『前書に「須磨」とある。したがって、句は明治二十八年七月下旬に、子規が須磨保養院で静養していたときのものだろう。つまり、新暦の「六月」ではない。旧暦から新暦に改暦されたのは、明治六年のことだ。詠まれた時点では二十年少々を経ているわけだが、人々にはまだ旧暦の感覚が根強く残っていたと思われる。戦後間もなくですら、私の田舎では旧暦の行事がいろいろと残っていたほどである。国が暦を換えたからといって、そう簡単に人々にしみついた感覚は変わるわけがない。「六月」と聞けば、大人たちには自然に「水無月」のことと受け取れたに違いない。ましてや、子規は慶応の生まれだ。須磨は海辺の土地だから、水無月ともなればさぞや暑かったろう。しかし、朝方だろうか。そんな土地にも、涼しい風の吹くときもある。それを「奇麗(きれい)な風」と言い止めたところに、斬新な響きがある。いかにも心地よげで、子規の体調の良さも感じられる。「綺麗」とは大ざっぱな言葉ではあるけれど、細やかな形容の言葉を使うよりも、吹く風の様子を大きく捉えることになって、かえってそれこそ心地が良い。蛇足ながら、この「綺麗」は江戸弁ないしは東京弁ではないかと、私は思ってきた。いまの若い人は別だが、関西辺りではあまり使われていなかったような気がする。関西では、口語として「美しい」を使うほうが普通ではなかったろうか。だとすれば、掲句の「綺麗」は都会的な感覚を生かした用法であり、同時代人にはちょっと格好のいい措辞と写っていたのかもしれない。高浜虚子選『子規句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男)』(解説より)。江戸時代、疫病が流行るのは「悪い風・病の風」の仕業だと思われていたようです。今回は「無病息災:むびょうそくさい」ならぬ「一病息災」いえいえ「一厄息災」のお話。冒頭のブロンズ像は中村晋也作「朝の祈り」谷山サザンホールにて

無病息災:病気せず、健康であること。元気なこと。▽「無病」は病気にかかっていないこと。「息」はやめる、防ぐ意。「息災」はもとは仏の力によって災害・病気など災いを除く意。転じて、健康で元気なさまをいう(引用元)。「無病」に掛けて瓢箪六つで「六瓢:むびょう」とし、根付や箸置きなどの意匠として見受けられます。無病に越したことはないのですが「一病息災:いちびょうそくさい」も良しです。意味は「ちょっとした病気のある人のほうがからだに注意するので、健康な人よりもかえって長生きするということ」(引用元)。

New Normal:ニューノーマルとは「新常態、新しい日常」とも訳されます。コロナ後はコロナ前に戻るのではなく新しい日常生活になるとのこと、まさしく「一厄息災」。マスクはまだしも、小まめな丁寧手洗いは生活にとってプラスになること間違いなし。人によって基準はそれぞれですが「不要不急」の行動なしもマイナスではないでしょう。どこにいるのか、誰が保有しているのか、見えないコロナウイルスに対する一人一人の防御は健康にとって明らかにプラスです。喫煙をやめる、糖尿病予防の肥満防止などもプラスです。免疫能を低下させないために「丁寧歯磨き」「定期的な歯のメンテナンス」もニューノーマルに必須の習慣として生活に取り入れてください。

過去(2019/11/24)の天声人語です。『ネアンデルタール人の脳は私たちの祖先と同じくらいの大きさだったそうだ。身体はもっと頑丈でたくましかった。ともに生きていた時代もあったが、3万~4万年ほど前、彼らは地球上から姿を消してしまった▼どうして絶滅したのか。専門家の間では諸説あるというが、筆者には不思議で仕方がない。強い者が弱者を力で倒すこの世界で、勝ち残るのはむしろ彼らのほうではなかったのか▼「じつは生命の歴史をみると、生き残ったのは強者ではなく、変化に適応できる弱者のほうでした」。著書『生き物の死にざま』などで知られる静岡大学教授の稲垣栄洋(ひでひろ)さん(51)はそう教えてくれた▼私たちはつねに未来を意識し、いまを生きている。それを可能にしたのは、弱さゆえに集団性を強め、その過程で仲間が何を考えているのかを「想像する」という力を得たこと。「想像は一人ひとりが異なります。その多様性が生き残りのカギとなったのでは」と稲垣さん▼逆に言えば強い者はその強さのために変化を望まず、多様化しにくい。恐竜もネアンデルタール人も。「強い者が勝つのではない。勝った者が強いのだ」とは元サッカー西独代表ベッケンバウアーの言葉だ▼きょうは「進化の日」。160年前、進化論を唱えたダーウィンが「種の起源」を出版した日にちなむそうだ。環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる。』2019/11/24付天声人語より。

新型コロナウイルスが発覚する直前(2019/11/24)の天声人語です。結びに『環境の変化に適応できない生き物はいつかは淘汰(とうた)されていく。人類も例外ではない。その強くて弱き存在のあすを想像して、しばし謙虚な気持ちとなる』とあります。まさしくニューノーマルとは環境への適応なのではないでしょうか。弱き存在ゆえの「一厄息災」。ご自愛の程、ご歯愛の程。8290

BBTime 455 不安不信病

BBTime 455 不安不信病
「真清水も病みて野をゆく初夏よ」沼尻巳津子

解説に『この季節のさわやか(もっとも「さわやか」は秋の季語だけれど)な「真清水」と「初夏(はつなつ)」との取り合わせ。そこに、作者は病的な照明をあてている。「も」という助詞に注目せざるをえないが、このとき、作者は病身なのだろう。常識を裏切った句というよりも、自分の感性に忠実な句。身体が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる。が、この句。発熱の悪寒から解放されたときのような清々しさも湛えている。不思議な句境だ。なお、考えてみたい。『華彌撒』所収。(清水哲男)』(解説より)。新型コロナウイルスは身体のみならず「心」をも病む病気だと思います。「心が弱っていると、世の溌溂としたもの全てが疎ましくなる」・・不安不信についてのお話。

新型コロナウイルスによって世の中が、未だ右往左往しています。街ゆく人の九割以上がマスクを着け、至る所に透明シートが貼られ・・5/30に梅雨入りした鹿児島の空は拍車を掛けるように気分を重くします。思うに新型コロナウイルス感染症は「不安不信病」に分類されるでしょう。不織布のマスクでもウイルス阻止はできません。インフルエンザもウイルスですが、インフルエンザはほぼ治療法が確立されており、ワクチンもあります。しかし新型コロナは不安です。恐怖の病とまではいかなくとも「不安な病」と言えます。

加えて「不信の病」でもあるように思えます。政府の対応、大臣の発言、議事録を取らない・・など枚挙にいとまがありません。新型なのですから試行錯誤して当たり前だと思いますが、国民の誤解発言とか、アベノマスクのお粗末さなど国民の不信感は募るばかり(少なくとも小生は)。

お相撲さんを始めスポーツ選手の口からよく「心技体」の言葉を聞きます。ウイルス感染すれば「体」が病みます。外出自粛、失職などで「心」が病む人もおられるでしょう。「技」を行動と捉えれば、コンビニや役所の窓口で声を荒げる人の増加も理解できないことはないです。感染していなくても(体が問題なしでも)「心」が病んだり、体も心も健康なのに「技」がおかしくなったり・・。やはりコロナウイルスは上の画像にあるように「見えない悪魔」かも知れません。

しかし悪魔は、あくまでも想像上のモノ。未経験の状況に振り回されるのではなく、今こそ自分の頭で判断し行動すべきだと思いますがね。ご自愛の程、ご歯愛の程。7650